自分の周囲にいる人間の意識に働きかけるこころのあり方
すべてのネイティブ・ピープルがそうだとは限らないのだが、ネイティブ・ピープルのなかに特別な人がいることは間違いない。ここでいう「特別な人」とは「周囲にいる人間の意識に働きかける力を持つ人」という意味で使っている。もちろん、この力は、ことさらにネイティブの人のなかにだけ見られるものではなく、いわゆる「スター」「セレブ」「ロックンローラー」とされる人たちもおうおうにしてこの力を修得していたりする(その力の使い方はともかく)。スターの近くにいるとスターになったような気分になれるということは、おそらくわかる人にはわかる事実である。人びとが有名人の近くに行きたがる理由の何パーセントかはこの力が作用しているのだろう。
70年代のドラッグ・カルチャーの俗語のひとつに「コンタクト・ハイ」というものがあった。覚えていない人もいるだろうし、初耳の人もいるだろうから、説明しておくと、これは「ハイな状態が伝染している」という意味だ。人びとのなかにハイになっている人がひとりいると、そのハイな状態は、周囲の人たちに伝染していく。ハイになって喫茶店なんかに入ると、それまで静かだった店内がある瞬間から急に活気づいて人びとがよく話したり笑ったりしはじめる。それをコンタクト・ハイという。ハイの状態を周囲に伝染させる能力は、人によって実にさまざまであり、その能力が際だっている人もいた。おそらくその力は心のあり方と大きな関係があったのだろう。
ネイティブ・ピープルのなかに、自分の心のあり方を周囲にいる人の心に投影する能力を持っている人がかなりいるとぼくがはっきりと気がついて、意識して気にとめるようになったのは、ネバダの沙漠でローリング・サンダーと出会って以降である。ここでいうネイティブ・ピープルのなかにいる特別な人とは、たとえばその人と同席していたり、自然のなかを一緒に散策していたり、いわゆる聖なる土地とされる場所で共に時間を過ごしたりしていると、その人物のリアリティに応じて、こちらの意識が変容しはじめるような人物だ。特別としか言いようがない。
そうやってその人物の存在がこちらの意識の状態に影響を及ぼしはじめると、じきに世界の見え方、聞こえ方、感じ方、その味までもが変化してくるのがわかる。もちろん、心のあり方の問題だから、人によってはそれがわからない人もいないわけではない。すくなくともぼくの場合は、その人といるだけで自分の世界の見え方そのものが変わってしまう体験を幾度もした。まるで一時的とは言え自分のエゴが融けだしてその人のなにかと解け合ってしまったかのような不思議な感覚だった。この感覚をハートとあたまとからだでまず知ることが、地球に根を生やした人たちの文化を知るためには欠かせないのではないかと思っている。
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Comments
僕は昨年Rokkoーmountainであった北山さんにそれを感じました。おそらくはそれは眼にみえないもので人から人に継承されていくものかも・・・。今日のブログ感動です。
Posted by: alone | Friday, January 27, 2006 07:37 PM
僕は、ある写真家にそのような感覚を覚えたことがあります。北山さんのおっしゃっている内容と合うものであるかは分かりませんが・・・。それは中平卓馬という写真家です。
ここで、少し彼についての説明をしておかねばなりません。
彼は60年代に先鋭的な写真と芸術批評で世を挑発しましたが、当然その批評は自身にも向けられ、自身のそれまでの作品をも否定してネガを焼き捨て、自意識や固定観念を徹底的に排した写真を模索する中、急性アルコール中毒により記憶を失います。覚えていたのは自分の名前と写真家であるということだけだったそうです。
しかし、その後写真家として復帰し、記憶喪失前に自分が模索していた写真というものを実現するかのような、ある意味突き抜けた写真を撮影するようになります。
縁あって彼と知り合えた僕は、何度か撮影をご一緒したことがあるのですが、カメラを持った彼と一緒に街を歩くと、まるで街そのものが巨大な見知らぬジャングルにでもなったかのような感覚がしてきます。自意識を越えた存在として、彼はよく生き物を撮るのですが、彼の生き物に対する態度、また人に対してもそうなのですが、なにか目を見開かされるものがあります。一緒に夜のジョギングをするときもそうで、夜の道が、夢の中に繋がっているような、妙な感覚がします。
北山さんの今回の記事を見て、そんな事が思い当たりました。
Posted by: りょうちん | Saturday, January 28, 2006 10:49 AM
りょうちんさん 中平卓馬氏とは小生縁あって70年代の前半に仕事を一緒にさせていただいたことがあります。というよりぼくが編集者となって最初に宝島という雑誌で出会った数人の写真家の一人が中平さんでした。彼とはいまはなくなった「CALOL」というバンド(E. Yazawa!)の撮影に同行してもらいました。ぼくが「写真家とは不思議な人だ」という認識を持っているとしたら、あきらかに中平さんのせいだと言えます。平気で地べたにはいつくばることができるなど、思えばメディスンマンというかトリックスターというか、そうした不思議なリアリティをオーラのように身にまとっておられました。小柄だけれど大きな人という印象が残っています。あの当時の写真もきっと焼き捨てられてしまわれたのでしょうね。
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, January 28, 2006 11:03 AM
!!!!!驚きを隠せません。
そうでしたか。北山さんに説明など、まさに釈迦に説法でしたね、失礼をお許し下さい。
しかもCALOLの・・・。
記憶を失くされる以前の中平さんのことは、当時を知る方からのお話でしか分からないのですが、こうしてお話を聞く度に、記憶喪失後もその人柄はほとんど変わっておられないのだなと感じます。
彼がよく話して下さるのが、子供の頃、故郷の葉山の海に潜って、魚や蛸をモリで突く話です。他にも、沖縄で取った蛸がどのくらいの大きさだったとか、どこそこでハブに会って、「悪い蛇じゃないと思うよ」と言って、周りの制止を聞かずに近づいて写真を撮ったこと、動物園でライオンの檻に入って近くで写真を撮ったこと、近くの川で子供が見つけた蛇を「警察が来る前に逃がしてあげて」と言われて、「よし分かった」と手で掴んで(もちろん撮影後)川の中ほどに投げ入れて、その蛇が下流へ泳いでいったこと、飼っていた猫が空気銃で撃たれて死んだ話、とにかく生き物と出会った時の話や、エピソードを繰り返し繰り返し話します。もちろん、親しい人の話もよくなさいます。
一緒に撮影に行くと、会う生き物、もちろん人にも、誰に対しても同じように親しげに接しいらっしゃいます。
木下大サーカスのテント裏からスイスイと勝手に入って、一緒にキリンやシマウマを撮影したこともあります。僕なんかは、「黙って入って、見つかったらまずいな。」なんて人目を気にしてるのに、中平さんはへっちゃらな顔で、この人にはボーダーと言うものがほとんどないんじゃないかと感じました。
記憶を失くされる前のことで、人から聞いた話では、魚料理屋の店先の水槽を撮った写真で、水槽の魚が全部こちらを向いているという「ちょっと妙な」写真があるそうなのですが、中平さんはその写真のことを「魚に号令をかけたんだ。」と冗談っぽく言っていたそうです。
そういう彼のエピソードは挙げればきりがありません。
おっしゃるように、中平さんの世界観には、まさに先住民的な世界観と重なるものがあるのではないかと常々感じておりました。「写真家とは不思議な人だ」というご感想、同感です。僕自身、写真を真っ向から考えようと思ったきっかけが、彼の写真でした。
当時のフィルムは、例外なくすべて焼いてしまったと聞いております。当時の助手の方の手元にわずかに残るばかりだとか。
何だか長くなってしまい、すみません。北山さんからも、当時の中平さんの姿を知ることができ、また面白い縁の繋がりを見つけてしまい、とても嬉しく思います。
Posted by: りょうちん | Tuesday, January 31, 2006 03:11 PM