アイデンティティー偽装事件の深く暗い闇
極貧のインディアン・リザベーションに病がちの体の弱い子として生まれたひとりのネイティブ・アメリカンの作家が「血は河のごとくわが夢のなかを流る(The Blood Runs like a River Through My Dreams)」というエッセーをエスクァイアという雑誌に発表したのは1999年のことだった。後にこの作品は全米雑誌作品大賞を獲得し、当然の流れとして同名のタイトルで大幅に書き足されたものが単行本化された。『血は河のごとくわが夢のなかを流る』(2000年、左カバー写真)そしてこの本がベストセラーになってアメリカの大衆の涙をおおいに誘ってしまったことから、話はいっそうややこしくなる。まるでどこかで聞いたような話ではないか。アメリカのベストセラーが日本で翻訳出版される可能性が高いので、まだ本が出ていないうちにこの事実だけは書いておかなくてはならない。
この「血は河のごとくわが夢のなかを流る(The Blood Runs like a River Through My Dreams)」というベストセラーの作者は、「Nasdijj」と名のり、自分はナバホの母親と白人の父親の間に生まれたと主張していた。メディアの批評も好意的で、「ひとりの偉大なネイティブ・アメリカンの回顧録」「マルチ・カルチャー文学の最高峰」「切なさが胸を打つ最高傑作」などと盛大にもてはやされ、これがまた売り上げを伸ばすのに拍車をかけた。映画化の話まで持ちあがっていたという。いやはやほんとうにどこかで聞いたような話ではないか。
この「Nasdijj」という人物がじつはネイティブ・アメリカンではなく、白人のSMとゲイ・ポルノ小説作家のティモシー・バラス(Timothy Barrus)だとすっぱ抜いたのはLAウィークリーという雑誌の今年の1月下旬に刊行された記事だった。記事は「偽ナバホ」というタイトルで「Nasdijj」なる人物の出現から現在までに迫っていくルポになっている。(「NAVAHOAX」by Matthew Fleischer Saturday, January 28, 2006)
「Nasdijj」を名乗った人物はまったくいつわりのアイデンティティーを想像のなかで創りあげ、自分をネイティブになりすまして数冊のベストセラーをこれまでに残した。『少年と犬は寝ている』(2003年)『ジェロニモの骨——ぼくたち兄弟の思いで』(2004年)の2冊はアメリカの大手出版社が刊行した。今では日本の amazon.co.jpでも、彼の著書の一覧 からハードカバー、ソフトカバーの両方を手に入れることが可能だ。
こうしたなりすましによる偽のインディアンの本はもちろんこれがはじめてではない。アメリカではほぼ10年に一度ぐらいの間隔で定期的に起こっている現象だ。そのきわめつけがアサ・カーターことフォレスト・カーターという極右グループ「クークルックスクランKKK」に属する白人優越主義者による『リトル・トリーの教育』という自称「伝記」本で、アサ・カーターがKKKの創始者であったナタニエル・ベドフォード・フォレストに捧げた(そして著者の名前にフォレストを暗号のように用いた)のではないかといわれるいわくつきの小説本だが、この本については少し前に記事にしてあるのでもうこれ以上は触れたくない。
「Nasdijj」の書いた本も、ここ数年同じようにアメリカの大衆の心をとらえてきた。試しに「Nasdijj」の名前でグーグルを検索すると、この本に心を打たれた人たちのページがいくつもある。日本人の方の記事もある。そしてここでもリトル・トリーのときと同じように「心を打つ潔さと強さ」への賛辞にあふれる批評が目白押しだ。
しかし「Nasdijj」の書いたものは当のネイティブの人たちの目から見るとリアリティを決定的に欠いているものだという。「Nasdijj」がおそらく剽窃したとされるもととなるお話しを書いて本にしていたのが、ネイティブ・アメリカンの作家の新世代として高く評価されるスポケーン・トライブ出身のシャーマン・アレクシーだが、彼は非常に早い時期に「Nasdijj」の書くものが彼の作品からの盗作であるらしいことに気がついていた。「血は河のごとくわが夢のなかを流る(The Blood Runs like a River Through My Dreams)」はシャーマン・アレクシーが1993年に発表した「アリゾナのフェニックスではそれはこのような意味である」という短編小説をもとにして書かれていて、そのシャーマン・アレクシーは今年の1月29日のTIMEマガジンのアメリカ版に「Nasdijj」についての短いけれど的確な内容の記事(「盗まれた話が自分のものだったとき——偉大なネイティブ・アメリカンの回顧録ともてはやされた本の著者にはイカサマの香り」)を提供しているが、その中で彼はこう書いた。
「ネイティブ・アメリカンの作家のひとりとして、また、マルチカルチャーのなかで育った人間として、わたしが心配したのは、このNasdijjなる人物が、文才のある怒れる白人として、多文化で育つものたちを嘲笑う目的で自らをネイティブ・アメリカンになりすましているのではないかということだった。いつか自分のなりすましが白日のもとにさらされたとき、彼が『な、みんなもこれでわかったろう、多文化のなかで育つなんてことはリアルでも、特別でもないんだ。こんなものは誰にでも書けるんだぜ』と大声で主張しないともかぎらないではないか」When the Story Stolen Is Your Own by SHERMAN ALEXIE,
TIME Magazine on line edition, Posted Sunday, Jan. 29, 2006.Nasdijjなるネイティブ・アメリカンになりすまして大金を稼いだ人物の創りあげた小説が、心温まる美しい実話として世の中に広まって一人歩きしてしまうことで最も傷つくのが他ならぬネイティブ・アメリカンであることを忘れてはならない。こうしたアイデンティティーの偽装の背景にあるものを、ネイティブ・アメリカンに関心を持つものは、今後もつねにしっかりと見続けている必要があるだろう。
Friday, January 27, 2006
自分の周囲にいる人間の意識に働きかけるこころのあり方
すべてのネイティブ・ピープルがそうだとは限らないのだが、ネイティブ・ピープルのなかに特別な人がいることは間違いない。ここでいう「特別な人」とは「周囲にいる人間の意識に働きかける力を持つ人」という意味で使っている。もちろん、この力は、ことさらにネイティブの人のなかにだけ見られるものではなく、いわゆる「スター」「セレブ」「ロックンローラー」とされる人たちもおうおうにしてこの力を修得していたりする(その力の使い方はともかく)。スターの近くにいるとスターになったような気分になれるということは、おそらくわかる人にはわかる事実である。人びとが有名人の近くに行きたがる理由の何パーセントかはこの力が作用しているのだろう。
70年代のドラッグ・カルチャーの俗語のひとつに「コンタクト・ハイ」というものがあった。覚えていない人もいるだろうし、初耳の人もいるだろうから、説明しておくと、これは「ハイな状態が伝染している」という意味だ。人びとのなかにハイになっている人がひとりいると、そのハイな状態は、周囲の人たちに伝染していく。ハイになって喫茶店なんかに入ると、それまで静かだった店内がある瞬間から急に活気づいて人びとがよく話したり笑ったりしはじめる。それをコンタクト・ハイという。ハイの状態を周囲に伝染させる能力は、人によって実にさまざまであり、その能力が際だっている人もいた。おそらくその力は心のあり方と大きな関係があったのだろう。
ネイティブ・ピープルのなかに、自分の心のあり方を周囲にいる人の心に投影する能力を持っている人がかなりいるとぼくがはっきりと気がついて、意識して気にとめるようになったのは、ネバダの沙漠でローリング・サンダーと出会って以降である。ここでいうネイティブ・ピープルのなかにいる特別な人とは、たとえばその人と同席していたり、自然のなかを一緒に散策していたり、いわゆる聖なる土地とされる場所で共に時間を過ごしたりしていると、その人物のリアリティに応じて、こちらの意識が変容しはじめるような人物だ。特別としか言いようがない。
そうやってその人物の存在がこちらの意識の状態に影響を及ぼしはじめると、じきに世界の見え方、聞こえ方、感じ方、その味までもが変化してくるのがわかる。もちろん、心のあり方の問題だから、人によってはそれがわからない人もいないわけではない。すくなくともぼくの場合は、その人といるだけで自分の世界の見え方そのものが変わってしまう体験を幾度もした。まるで一時的とは言え自分のエゴが融けだしてその人のなにかと解け合ってしまったかのような不思議な感覚だった。この感覚をハートとあたまとからだでまず知ることが、地球に根を生やした人たちの文化を知るためには欠かせないのではないかと思っている。
Thursday, January 26, 2006
自給自足の暮らしから遠く離れて
つらつら思うに、先住民の知恵が伝えているのは、結局のところ「自給自足のための技術」ということになるのではなかろうか。おそらくこの「自給自足」というのが、あらゆる点で「自由への鍵を握るもの」であることは間違いない。経済的な意味でも、また詩的な意味でも。
ほとんど街の子として育ったぼくは、アメリカ・インディアンの世界を体験したあとは都会で生活することが精神的にできなくなってしまった。ほとんどなにもなかったところからなんでもあるところにもどってきたのだからそれも仕方がないといえばいえる。ぼくは心の内側と外側のバランスをとりながら、最小の経済活動をしつつ、東京から百キロ近く離れた地方の町のはずれで生活してきた。富士山麓、熱海、宇佐見、中伊豆の修善寺、そして神奈川県津久井町、そして現在の座間まで、ほんとうにすこしずつ東京に近づいてきた。ここ5年ほどはいわゆる郊外生活に浸っている。アーバン・ライフである。ここまでくれば街の生活とほとんど差はないにもかかわらず、東京に出て行くときはまだ身構えている自分を発見したりする。でも生活はもう自給自足から遠く離れたところにある。子どもや家族に食べさせるもののほとんどはお金とひきかえに購入せざるを得ない暮らしだ。税金も電話代もガス代も電気代も払う。
街の暮らしは便利なものであるけれど、それは実際はつねに誰かに頼って生活しているものなわけで、そうやって誰かに依存して生きているかぎり絶対に自由にはなれない。よくわかっている。すすんで牢屋に入っているようなものだ。現実的に言うなら、今の日本で誰にも頼ることなく自分と自分の家族で暮らしていくことは不可能だろう。つまり日本列島においては本質的に「自由」はあらかた失われてしまっている。そうやって文明生活に依存しつづけていれば、その依存している文明の終わりは、依存している人たちにとっても終わりということになる。今の日本のシステムの終わりは、そのシステムに依存している人たちの終焉である。
ぼくがネイティブの人たちにひかれたのは、彼らが「自由とはなにか」を知っている人たちだったからである。彼らは「自給自足のための技術」をかろうじて持ち続けていた。もちろんすべてそうしたものを失って普通の文明人として生きている人たちも数多くいたが、それでも「自由とはなにか」をかろうじてまだ心のなかのどこかで知っているような雰囲気だけは漂っていた。しかもそうやって生きている自分を全面的に信頼する独立独行の人たちとも数多く会うことができた。
しかし「自給自足のための技術」を持つ人たちが、完ぺきに自由でいられるかというと、じつはそうでもないのだから話は複雑になってくる。なぜなら、自給自足の暮らしは、それを可能にする自然環境に全面的に依存している生活に他ならないからである。自然界に全面的に依存した暮らしは、この惑星が育み養っているたくさんのいのちに依存していると言うことで、地球規模で進行中の自然環境の崩壊は結局のところそのまま死を意味する。
つまり今では「自給自足のための技術」は、ただ自由になるためのものだけではなく、自然界を生き残らせ、自分たちもその中で生き残っていくための知恵として、これをぼくたちは再評価し、生活のなかに取り入れていく必要があるようになりつつあるのではないかと、すっかり便利な暮らしにつかりながら頭の片隅で考えている今日この頃であります。
Monday, January 23, 2006
「私の大統領就任は世界の先住民の勝利だ」とボリビアの新大統領は語る。
ボリビアで大統領就任式が行われた。毎日新聞がモラレス氏が大統領に就任するここ数日の動きをよくレポートしているので、ぜひ読まれると良いと思います。藤原章生という記者の人がモラレス氏に同行取材をしているらしい。おそらく世界の歴史にとってもとても重要なことが起こっているのだけれど、まだそれがどのような影響をもたらすか認識されていないと思われる。世界で最も貧しいとされる国の時代を変えるための選択に今後も注目し続けたい。
モラレス次期大統領たたえ、先住民が儀式 2006年1月22日
コカ葉農民が次期大統領の政治拠点 2006年1月22日
モラレス大統領が就任式 天然ガスの国有化強調 2006年1月23日
Saturday, January 21, 2006
明日南北アメリカ大陸史上初めて先住民の大統領がボリビアで誕生する
南米大陸にある国のボリビアで、歴史上はじめて「先住民の大統領」が誕生する。昨年12月18日におこなわれた大統領選挙において、ボリビア左派で先住民の代表でコカ栽培農家組合リーダーのフアン・エボ・モラレス・アイマ氏(1959年生まれ)が50バーセント以上の支持を獲得して、ある意味でアメリカ帝国の意向を受けた対抗者であり、アメリカで教育されたホルヘ・キロガ氏を退け、次期大統領になることが決定した。200年にわたるボリビアの歴史のなかで、あるいはコロンブス以後の南北アメリカ大陸の歴史のなかで、これはきわめて画期的な出来事だと言えるだろう。
ボリビアの次期大統領であるエボ・モラレスという興味深い人物については、中南米の出来事を日々伝えてくれているのでぼくが愛読しているブログ「ラテンアメリカから見ると」のボリビアのカテゴリーであるここをお読みください。特に昨年12月中旬以降の、モラレス次期大統領と世界の各国のメディアや政治家たちとのやりとり、新大統領の政策について伝えるニュースは世界の見方を変える意味でも必読といえよう。
いちばん最新の記事(1月21日)では彼が「先住民省と女性省を廃止する」決定を下したことを伝えている。理由は「両省のあることが先住民と女性に対する差別であり、次の政権には先住民と女性が参加するので不要だ」としている。
ボリビア大統領の就任式は明日22日である。
Friday, January 20, 2006
アメリカ国内にお住まいの方に
PBS がフレンチ・インディアン戦争(アメリカ独立のきっかけとなったイギリスとフランスによる「北米先住民」を巻き込んだ戦争)についての興味深いシリーズを放映しているよと、カリフオルニアの友人が教えてくれました。タイトルは『アメリカを作った戦争(The War That Made America.)』です。
以下のサイトで調べれば、自分の住んでいるところでいつ放映されるかチェックできます。
http://www.pbs.org/thewarthatmadeamerica/
おすすめだそうです。またサイトからはシリーズのDVD等購入できるみたいです。
日本国では PBS はケーブルでも放送されていないので見ることができません。感想でもコメントしてくれるとうれしいのですが。
信じ続けることの力
おまえがなにごとかを信じ、そしてそれをじゅうぶんに長く信じ続けることができるなら、それはかならず実現するだろう。ローリング・サンダー チェロキー
これもまた記憶の底に焼きついているローリング・サンダーの言葉だ。不思議なことに、彼の言葉は時々、正しい時と場所に、記憶の底から浮かび上がってくる。まるで彼がもうこの世界にいなくなったことが嘘でもあるかのように。「自分は死んだあとも世界に影響を与え続ける」と彼は言っていた。さてオリエントに起源を持つ巨大組織宗教の波にさらされる以前のネイティブの人たちは、われわれはとてつもなく偉大な存在によって創られた、と考えていたようだ。もちろんいまだにそう考えている人たちも多い。彼、もしくは彼女がわれわれを創られたのは、その意思をわたしたちの心のなかで絵として、あるいはヴィジョンとして実現させるためなのだと。人間の思考には3つの次元というかステップがあるらしい。それらは言葉による思考、絵による思考、そして感情による思考である。言葉を考えることでヴィジョンが創りだされ、われわれはそのヴィジョンのために、情熱や欲望や傾倒や他の強い信仰を感覚で受けとめ、そのことで自らの感情を創りだしている。ひとたびヴィジョンが創られると、われわれは考えたものに向かって動き、そして考えたものになるのだ。信じ続けることができるならば。
Monday, January 16, 2006
歴史を繰り返さないときめたナバホ国のあり方と、今のわたしたちの便利すぎる暮らし
過去2年間でウラニウムの値段は3倍に跳ねあがった。ニューメキシコとならんでウラニウム鉱石を豊富に埋蔵していて、採掘にともなう最悪の後遺症を引きずるアリゾナに、またもやウラニウム・ラッシュが押し寄せそうな予感がある。昨年1年間に700の鉱山で試掘が申請され、北アリゾナに広がる高原沙漠の人里離れたところの100カ所に実際に穴があけられた。
専門家によれば今回のウラニウム・フィーバーは1980年代のそれに勝るとも劣らないという。世界的にウラニウムの備蓄が減って価格が高騰してきたのは中国とインドとそして日本の、それぞれの国の原子力産業によるウラニウム需要が急激に高まっているせいであると、アリゾナ・セントラル紙は1月2日の経済面で指摘した。ウラニウムのスポット市場における価格は現在1パウンドで36ドル。ほんの4年前には1パウンドがわずか7ドルだった。
だが今回のウラニウム熱をすべての人たちが歓迎しているかというとけしてそうではない。昨年4月にも当「Native Heart ナバホ・ネーションがウラニウムの採掘を法律で禁止する(Wednesday, April 27, 2005)」でお伝えしたように、ウラニウムの採掘を禁止したナバホ国の議長ジョー・シャーリーJr(Joe Shirley Jr.,)氏は、ウラニウムの採掘がどれだけ危険なものだったかを思い出させるための行動をとるように促している。
ナバホの人たちは1950年代に最初のウラニウム・ラッシュの大波がリザベーションを襲った際に多大の健康被害を被ったのだ。当時鉱山で採掘に従事していた多くのナバホの人たちが若くして命を失っているばかりか、ウラニウムの被爆による遺伝子障害は今の世代にまで残されている。「リザベーションのなかをすこし見て回れば、多くの年寄りたちが身体障碍者となってまともに呼吸すらできないことに気がつくだろう」と語るのはテューバ・シティに暮らすロバート・スチュワート氏だ。彼もまた50年代にウラニウム採掘工として5年間働いている。「われわれの世代はおかげで壊滅的な打撃を受けました」
ナバホの土地でのウラニウムの露天掘りは東西冷戦の熱狂のなか、核爆弾の原料となるほどの質のよいウラニウムが求められたために加速した。つぎに開発にともなって市場が勢いづいたのが80年代後半で、価格は高騰したあげくクラッシュして、結果的に銀行の大型倒産が続くことになりウランの価格が1パウンド10ドルあたりで下げ止まり、以後そのまま低価格にとどまり続けた。
実際20年前にウラニウムの価格がクラッシュして調査試掘が止まる以前から、自然保護論者たちはウラニウム鉱山の開発がグランドキャニオン一帯の水質や道路すらない地域環境に与える影響に危惧していた。そしてナバホ国が自分たちの土地からのウラニウムの試掘や買い取り交渉をすることを禁止する決定を下したことにたいする連邦政府や州や企業からの圧力は当然ことのほか大きく、今、原子力産業(デンバーに拠点を持つインターナショナル・ウラニウム会社。例の日本から運び出された放射性物質を含んだ土の精錬を引き受けたのもこの会社 参照「Native Heart 放射性物質を含んだ土が日本からユタの沙漠にむかって送り出された(Thursday, October 06, 2005)」)とその取り巻きは、インターステイト40号線とユタ州の州境に広がる、州と、連邦政府と、個人が所有する土地に狙いをつけている。そこにざっと数えて1ダース近くのウラニウムの鉱脈が眠っていて、連中はそこが喉から手が出るほど欲しいのだ。そこはグランド・キャニオンの北側で、2000年にナショナル・モニュメントになったばかりのふたつのポイントもふくまれるため、再びウラニウム採掘がもたらしかねないグランド・キャニオンの環境汚染が問題になるかもしれない。
こうした国際企業や州政府や連邦政府からのいや増しに増え続ける圧力をナバホの人たちは苦々しく感じている。ナバホ国部族会議議長のスポークスマンであるジョージ・ハーディーンは、議長のシャーリー氏がワシントンの議会に出向き、部族の自治権を再度強く訴え、内務省が求めているような企業との採掘契約交渉に入るつもりがないことをすでに伝えたと語ったうえで「ウラニウムはナバホ国に致命的な遺産を残しています。議長はそれを皆殺しだと言っています。部族はロヤリティーとしてもたらされる何百万ドルもの金銭をあきらめても、歴史を繰り返すつもりはありません」と付け加えた。
ナバホ国にたいしてウラニウムの採掘を求める国際企業の背後にもまた「日本国とその意向を受けた原子力産業」の影がちらついていることを、わたしたちは覚えておくべきである。
- 原子力はクリーンエネルギーじゃない。
- 原子力は安いエネルギーじゃない。
- 原子力は地球温暖化への解答じゃない。
- 原子力は安全なものじゃない。
- ウラニウム採掘には危険がいっぱい。
- 核兵器の投げかけた脅威は終わってない。
- 核廃棄物の問題はずっと未解決のまま。
Sunday, January 15, 2006
だからネイティブ・ピープルは輪になって座って話をする
車座になって座し、話をすることでこころの内を共有することは、ネイティブの伝統である。ジョン・ピーターズ(スロー・タートル) ワンパノアグ
ジョン・ピーターズ(1930-1997)は北米東部森林地帯の大西洋沿岸部をテリトリーとするマシピ・ワンパノアグ・インディアンの優れたメディスンマンだった人物。インディアンの名前はワンパノアグ語で「Cjegktoonuppa」といい、意味は「スロー・タートル(ゆっくりな亀)」だった。彼は生前来日したことがあり、ヒロシマとナガサキで、原子爆弾の犠牲者を追悼するための伝統的な儀式を執りおこなっている。
マシピ・ワンパノアグ一族はアメリカ・ニューイングランドの先住民で、「マシピ」とは「大きな入り江のある土地」を意味した。マサチューセッツ州では最大のネイティブ・グループで、人口は1500人ほどであるが、皮肉なことに合衆国政府は彼らを「連邦法上の先住民」とは認定していない。
今回とりあげた彼の言葉は、いわゆるネイティブの人たちの会議というか話をする会である「トーキング・サークル(話の輪)」について語っているもの。トーキング・サークルとは、特定のひとりの人間にたっぷりと時間を与えて心ゆくまでお話しをしてもらう場のことをいう。しばしばこれを「みんなであれこれ話しあうための場」と誤解している人がいるので注意が必要である。話をしている以外の人で輪に参加している人たちは、聞くことによって多くを学ぶ体験をするのだ。あくまでもトーキング・サークルとは学びの場なのである。ぼくはよく講演のときになど「人間に耳がふたつあって口がひとつあるのは、話すことの2倍よく耳を傾けて聞くことの重要性を、わたしたちを創られた存在が教えているのだ」という話をする。耳がふたつに口がひとつというのは、けして偶然の産物なのではない。そして話をする場は、人びとが輪を作っている。北側には男性が座り、南側には女性が座ることことが多い。場を仕切るものは東側に座る。そうやってできた人びとの輪は、話をする人間とひとつになるみんなのハートを全員で共有するためのものである。そうやってみんなで共有するものでわれわれは互いに癒しを体験する。心のなかにある痛みや悲しみについて話をするとき、その痛みや悲しみは輪のなかで分散され、われわれは痛みや悲しみから解放される。トーキング・サークルがほんとうに機能するためには、人びとは輪を構成しなくてはならないのだ。人びとが文字通りサークル(輪)を描く。そしてそのとき輪の中央には偉大な神秘が顕現するのである。
トーキング・サークルを機能させるためのガイドライン
- 一度に話すのはただひとりだけ 話をする人間に鳥の羽根かトーキング・スティックと呼ばれる棒がわたされる場合もある。直接誰かに向かって話をしない。直接誰かに話しかけることは、対立を生じる危険があり、輪に亀裂をもたらしかねない。
- 自分が誰かを伝える 最初に話をするときにはまず自己紹介をするのが礼儀。自分のスピリット・ネームを伝えるか、本名を名乗るかはどちらでもよい。
- ハートから話す 話をする人間は自らの心からの言葉をサークルに差し出すこと。時間は気にしなくてもよいが、他に話す人がいる場合にはその人の存在に敬意を払うこと。
- 敬意を持って耳を傾ける 話し手以外の全員は注意深く耳を傾けて話者にたいする支援を惜しまないこと。ハートで聞くことで、話されていることの下に隠れている話者の意図を受けとめることができる。自分の話を聞いてもらうときにそうあって欲しいような聞き方をすること。
- サークルのなかで聞いた話はその輪のなかに留める 話し手の許可をもらうことなく、サークルのなかで聞いた話を他のところで繰り返したりすることは絶対にしないこと。
※サークル全体の場の感情が高ぶっているときには、セージなどを焚きつづけるとよい。
Saturday, January 14, 2006
スピリットを持たない人間などいない
人種の違いとか、言語の違いは、大きな問題ではない。人びとが高度にスピリチュアルなレベルで顔をあわすことができるなら、一切の障害は消え去る。ローリング・サンダー チェロキー
これはローリング・サンダーがおりにつけて口にした言葉のひとつである。人種の違いも言語の違いも、スピリチュアリティーによって乗り越えることができるが、スピリチュアリティーによって乗り越えられるのはしかしそれだけでなくて、ありとあらゆるものすべてがスピリチュアリティーの前では障害にすらならない。なぜならスピリットを内側に持っていない人間など一人もいないからだ。人と人とが顔をあわせるとき、われわれは外側を見るか内側を見るかの選択ができる。スピリチュアリティーが他者の内側に宿るのが見えるなら、われわれは自己の内側に宿るスピリチュアリティーも見えるに違いない。もしわれわれが自分たちの内側に宿るスピリチュアリティーを見ることができるなら、他者の内側に宿るスビリチュアリティーも見えるだろう。自分の目に見えているものを、われわれは自分のものにするのだから。
『ローリング・サンダー—メディスン・パワーの探究 』(平河出版社|ダグ・ボイド 著|谷山大樹+北山耕平訳|1991年刊行)
Tuesday, January 10, 2006
生物学的年齢を逆回転させる10のステップ
リバース・エイジング(若返り)の技術『若返ること、長く生きること リバース・エイジングの10のステップ』より
- ものの見方を変える
- 深い休息と落ち着いた知覚と安らかな睡眠を堪能する
- 健康な食物をつうじて体をいたわる
- 栄養補助食品は賢く用いる
- 呼吸法、ヨガ、太極拳、気功、合気道などで、心と体の統合を高める
- 規則正しい運動 筋力運動と有酸素運動で体調を整える
- 暮らしから毒素を取り除く
- 柔軟性を培い、創造的意識を養う
- 互いを思いやる関係を維持し、他に向かう愛を育む
- 頭を若々しく保つ
ディーパク・チョプラ(医学博士)、デイビッド・サイモン(医学博士)共著 ハーモニー・ブックス刊行 2001年 ニューヨーク 未訳
Grow Younger, Live Longer: Ten Steps to Reverse Aging.
By Deepak Chopra, M.D., and David Simon, M.D.. New York, Harmony Books, 2001. Index, references, p. 64. ISBN: 0609600796.
Monday, January 09, 2006
大晦日の日にモハビ火力発電所が閉鎖され、聖なる泉を守るホピの人たちの戦いのひとつがとりあえず終わった
昨年の大晦日の日をもって南カリフォルニア・エジソン社他3つの会社が所有していたネバダのモハビ沙漠の中のラーフリンという町にあるモハビ火力発電所(写真)が閉鎖された。グランドキャニオン一帯の大気汚染を引き起こしていた施設と裁判所が認定したことを受けての処置であるが、これによってホピの伝統派の指導者たちや環境活動家たちが30年間続けてきた発電所とその関連施設の閉鎖を求める闘争も一応の終結を見ることになる。
発電所から273マイル東に離れたところに位置するホピの人たちの聖地であるブラックメサには彼らの儀式用の泉があり、ピーボディ石炭会社はブラックメサで露天掘りされた石炭を細かく砕いたものをその泉の地下からくみ上げた地下水を使ったパイプラインで発電所に供給してきた。聖なる泉の水が次第に枯渇してきたことに危惧するホピの伝統派の指導者たちはただ砕いた石炭を運ぶためだけの目的でとてつもなく貴重な地下水を大量にくみ上げ続けたピーボディ石炭会社との闘争を続けてきた。この闘争のある部分は宮田雪監督のドキュメンタリー映画『ホピの予言』(ランド・アンド・ライフ)にも記録されている。そして30年間かかってようやく彼らは発電所そのものを閉鎖に追い込むことができたのだ。聖なる泉の水の枯渇を憂いその原因をもたらしているさまざまな企業の利益本意の活動をとめようとしてきた多くの人たちにまずはおめでとうをいいたい。
だがこの発電所の閉鎖によって関連施設で働いていた160人のナバホやホピの人たちが職を失い、両方の部族政府は何百万ドルものロヤリティーの支払いを受けられなくなることがきまっている。南カリフォルニア・エジソン社は皮肉なことにこの施設の閉鎖により「大気汚染クレジット」を他企業に年30から50万ドルで売却する権利を得ることになることがわかっていて、ネイティブの活動家や環境運動家たちはそのうちの年間20万ドルをホピとナバホの人たちの再就職支援トレーニングなどのためにふたつのコミュニティーに供出することを求めているが、エジソン社はもたらされる可能性のある利益を独り占めする姿勢を崩していない。
この苦い勝利を手にして、ホピ部族会議の前チェアマンのヴァーノン・マサイェスバ(Vernon Masayesva )氏は「発電所閉鎖はエネルギー新時代の最初のステップ(Closing power plant is first step in new era of energy )」という声明を公開した。なお今年の3月には15人のホピのランナー(走る人)たちがこの勝利を祝し、ホピの聖なる泉の水をヒョウタンにつめたものを、メキシコシティで開催される「第四回世界水フォーラム」の会場まで大地を踏みしめて運ぶことがきまっている。
Sunday, January 08, 2006
あるチェロキーの知識人にとってのリトル・トリー
昨日のエントリーについては個人的にもいくつかのメールをいただいた。ショックを隠しきれないで困惑している人も見受けられた。しかしこの問題は、20代の後半から20年以上ネイティブ・アメリカンの世界と関係を持ち続けてきたぼくとしては見過ごすことのできない重大な問題だった。個人的な意見としていわせてもらうならば、『リトル・トリー』という本をとおしてアメリカ先住民を理解されてしまうことはたいへんに困ったことなのである。日本のみならず世界のニューエイジとされる人たちのほとんどがその本を絶賛し、感動して、涙を流したと公言してはばからないものにたいして、あえてそれを逆撫でするようなことを口にするのは、そうした生き方をしている人たちすべてを敵にまわすかもしれないにせよ、なお心ある人たちにほんとうのことを伝えなくてはならないと思ったからなのだ。
この『リトル・トリー』という本について、実際のチェロキーの人たちはどう考えているのかということを、ぼくはかねてから知りたいと思い続けた。なぜならぼくに今の道を指し示してくれた今は亡きローリング・サンダーその人が、チェロキーと白人とのハーフブリード(混血)として生まれて、小説の主人公であるリトル・トリーとほぼ同じ時代に同じような環境で育った人だったからである。彼は白人に近い顔をしていたもののその生き方は、一挙手一投足のすべてがまったくインディアンであった。
チェロキー・ネーション出身のリチャード・L・アレン(Richard L. Allen)は教育学の博士号を持つ知識人で現在は政治アナリストだが、彼は「リトル・トリーの教育に見る偽りの自分の創出 チェロキーなのか、ただのなりたがりなのか?」(Creating a Fraudulent Identity in The Education of Little Tree: Cherokee or Wannabe?)と題された2005年2月10日のアメリカ大衆文化連合年次総会における講演のなかで、彼がリトル・トリーを偽装だとする指摘を列挙し、その本がいわゆるニューエイジと呼ばれる「いとも簡単に答えが与えられると信じた人たち」の市場をにらんで創りだされたもので、いわゆる「高貴な野蛮人(ノーブル・サベイジ)」という一連の考え方の延長線上にあるもの、ヨーロッパ列強による亀の島の植民地化を正当化するためにつくりだされた作品のひとつと結論づけた。要点を以下にまとめておくので、改めて本を読み、フォレスト・カーターことアサ・カーターという人物が小説『リトル・トリー』の行間に忍び込ませたものを解読するときの参考にされたい。
- チェロキーにはもともと豊かな口頭伝承の伝統がある。世代を超えて伝えられる数多くの伝説や神話が存在する。にもかかわらず、本の中のおばあちゃん(グランマ)はそうした話のひとつもリトル・トリーに語ることはない。かわりに、彼女はシェイクスピアを彼に読み聞かせている。
- チェロキーは「名前というものは神聖なものだ」と考えている。真の友以外には自分の名前を伝えないのがしきたりだ。にもかかわらず、本の中でリトル・トリーはどこで出会った誰にでもその名前が知られている。
- チェロキーはふつうしっかりとしたコミュニティーのなかで暮らしている。それはきわめて親密な共同体である。にもかかわらず本の中でリトル・トリー、おばあちゃん(グランマ)、おじいちゃん(グランパ)、ウィロー・ジョンの4人だけが共同体から離れて暮らしている。他の人たちと顔をあわせるのは日曜日に教会でというのも不自然。もちろんチェロキーのなかには、伝統的な宗教だけでなく、キリスト教を実践しているものがいないわけではないが、その場合でも伝統的な宗教をないがしろにすることはあり得ない。『リトル・トリーの教育』のなかに描かれたチェロキーはしかし伝統的な信仰をまったく実践していない。
- 英語版の元本の51ページ。パイン・ビリーが火のなかにつばを吐くシーンが描かれている。チェローキーは火をきわめて神聖なものとしており、おしっこをかけたり、つばを吐きかけるようなことは冒涜と見なされ、いかなる形であれ火を冒涜するような真似はしないもの。チェロキーの子どもは火をおもちゃにすることをきつく戒められて育つ。にもかかわらずパイン・ビリーは火のなかにつばを吐きつけたばかりか、その部屋にいた他のチェロキーの人間も誰ひとりとしてこれに反応していない。これはありえない。
- 『リトル・トリーの教育』のなかに描かれたグランマとグランパは人前で極めて仲むつまじく愛情表現を展開してみせるが、ほんとうのチェロキーのおじいちゃんとおばあちゃんは絶対にそんなまねはしない。時代が大恐慌の1930年代だとしたらなおさらのこと。
- 本の中にはセックスについて触れる箇所がきわめてたくさん出てくる。「売春」のことまで出てくる。ほとんどのチェロキーの人間は、またあの時代ならばほとんどのアメリカ人の誰もが、それが5歳の子どもの前で話すような内容ではないことをわきまえているのが普通だった。
- カーターは本の中で新婚したばかりのカップルがヒッコリーの木で作られた結婚棒(マリッジスティック)を贈られてそれを自分たちのベッドの上につりさげるという伝統について書いている。この棒にはふたりの名前が彫り込まれ、生活のなかで忘れられないことが起きるごとに、その棒に刻み目がひとつづつ加えられていくことになる(ふたりが喧嘩をして仲直りをしたときとか、赤ん坊が誕生して一族の孫の数が増えたときとか)。なるほど心温まるステキな考え方ではあるのだろうし、それを認めるのにやぶさかではないが、しかしそのような伝統はチェロキーのなかのどこを見ても存在しないし、おそらくそんな伝統を持つインディアンはどこにもいないはずである。
- 金切り声を上げるフクロウたちが本の中の2カ所に出てくる。フクロウが高い声で泣くのを聞くことは、チェロキーの人間にとってはよいことではない。チェロキーの人間にとってはそれは死を告げる声であり、悪いことが起こる前兆でもある。しかしその2カ所のいずれでも、そのことにまったく触れられていない。リトル・トリーにとっても祖父母にとっても、フクロウの金切り声は、睡眠を妨げる耳障りな音にすぎないのである。
- おばあちゃん(グランマ)がリトル・トリーに向かってチェロキーの信仰のなかの輪廻、生まれ変わりについて説明する箇所があるが、チェロキーは普通、死後のいのちは信じてはいるものの、生まれ変わることなどまったく信じてはいない。
- リトル・トリーが孤児の施設に送られたとき、彼は犬狼星シリウスを介したテレパシーを使って祖父母やウィロー・ジョンと会話を交わしている。こんなことをまともに信じているのはおそらくニューエイジの人間だけであるだろう。
図版は1997年に映画化された『リトル・トリー』のサントラ盤(マーク・イシャム音楽)のカバージャケット。
Saturday, January 07, 2006
フォレスト・カーターよ、あなたはリトル・トリーなのですか?
じつは mixi の「インディアンスピリット」というコミュニティで「リトル・トリーという本」というタイトルのトピックがたっていて、そこで『リトル・トリー』という本についてさまざまな意見があることをたまたま通りがけに読んで、あれが作られたリアリティーなのだというほんとうのことが知らされていないままだったことにいささか驚愕して、ぼくも年齢を考えずに、「あの本は自伝ではなく、小説家が頭のなかで創りだした作品なのだ」などといくつか発言したりした。トピックは、『リトル・トリー』という本が、白人至上主義者で極右のKKKの人間によって書かれた小説であることにたいする驚きとためいきにそこかしこであふれ、「それでもあの本は美しいのだ」「書いた人間を見ないで本だけを見よ」といった発言が飛び交っていた。
この本(The Education of Little Tree)にたいするぼくのスタンスははっきりしている。1991年にノンフィクションとしてベストセラーとなったオリジナル版(The Education of Little Tree: A True Story, by Forrest Carter, the autobiography of a Cherokee Indian's boyhood in Tennessee / テネシーで少年時代を過ごしたチェロキー・インディアンの自伝・フォレスト・カーターによる実話物語)を、もともと500ドルという格安で版権を購入して刊行した「インディアン本の権威」であるニューメキシコ大学出版局(University of New Mexico Press)も、それまでたいして売れないでいた「ひとりのインディアンの伝記」の出版権を購入した当初は、実話・自伝と信じ切っていたであろうことは間違いないのだが、実際はチェロキーでもインディアンでもない——いわんや原著の初版本の著者紹介が述べていたような「チェロキー・ネーション認定のストーリーテラー」などでもまったくない——という著者の生い立ちなどが明らかになった今では、フォレスト・カーターの『リトル・トリー』ははっきりと「小説」であることを示した上で販売されるべきもの——事実アメリカでは、発売後25年もたった90年代の半ばから「表紙」の「実話物語」が消されて、かわりに「虚構(フィクション)」や「小説(ノベル)」の文字が印刷されるようになっている——のであり、これを「ひとりのチェロキーとの混血が幼少時を回想して書きつづった清らかな自伝」と信じ込んではならないというものである。
オクラホマ大学のエイミー・カリオ・ボールマンという博士号を持つ人がウェブ(リトル・トリーの教育とフォレスト・カーター——わかっていることと調べればわかること)に書いているように「自身の人種差別主義者としての信念を、ネイティブ・アメリカン、特にチェロキーの哲学のなかの口当たりが良くておとなしくてわかりやすい言葉に結びつけて、全体を優しさと寛容さと尊敬という甘いベールに包んで大成功した小説としての本」の出来はともかく、これを「あるネイティブの家族を描いた自伝的作品」として発売した(発売を続けている)ことはまずいのではないかと思う。あくまでも小説でないとして公開され続けるのならこれは「偽書」のたぐい(かつてにも『チーフ・レッド・フォックスの回想(The Memoirs of Chief Red Fox)』という本が日米で刊行されたことがあり、この本も実在しないインディアンの人物を騙って白人の小説家が書いたものだとあとになって発覚し、絶版になった)であり、このままベストセラーとなったこれを「実話」としたまま見過ごしてしまうことは、他のブラック・エルク、フールズ・クロウ、レイム・ディアーなどたくさんのネイティブ・アメリカン・ピープルのほんものの自伝や伝記の信憑性すら疑われかねなくしてしまう危険性を秘めているのだから。
フォレスト・カーターことアサ・カーターは、職業はラジオ番組の作家であり、政治家のスピーチライターであり、極右白人至上主義団体のアジテーター兼職業的指導者として給与をもらっていて、酒におぼれるようになってから金を稼ぐために何冊か西部にまつわる小説も書いた。KKKのある支部のリーダーでもあった。
チェロキー出身の作家であり評論家のギアリー・ホブスン(Geary Hobson)は1995年に公開した書簡のなかで、カーターは「チェロキーの文化についてほとんどなにも知らない」「彼がリトル・トリーのなかでチェロキーの風習として描いていることや、チェロキーの言葉はどれも不正確」と書いている。作品の出来の美的判断としてはもちろん異論のあるところでもあるだろうが、そこに意図的かどうかはともかくも、反ネイティブ・アメリカン的ななにか——純粋さへの極端なこだわり——が見え隠れしていることを、あらかじめ認識した上で、読者は作者がなにを伝えようとしたのかを知るために、もう一度あの本を読み返すべきだろう。自分があの本の中のどの部分に心を動かされたのかを確認しておくことは、けして無駄なことではないと思う。
ここに掲載したのは彼が放送作家時代の写真であり、リトル・トリーの日本語の初版にだけ掲載されて(以後は消されてしまった)彼の肖像写真(左側)であります。
Friday, January 06, 2006
ジャンピングマウスの初語りがおこなわれます
ストーリーテラーの古屋和子さんと、ネイティブ・アメリカン・フルートの奏者ののなかかつみさんによるストーリーテリング「ジャンピングマウス」の初語りコラボレーションが開催されます。すでにお聞きの方も、初めての方も、何度でもこの物語を聞いてハートの深いところにしまい込んでください。
出演: 古屋和子 + のなかかつみ(インディアン・フルート)
日時:1月 9日(日) 2時〜
10日(月)19時〜
横浜市港北区篠原西町1−18 tel.045−433−8442
ACCESS 東急東横線「白楽」駅西口下車、徒歩70メートル、サンクス前
(東横線白楽下車 渋谷に向かって左方向に出て 坂を登って一分弱 サンクスの向かい側。道路に面した門から階段を降りて行く隠れ家みたいなギャラリーです。)
参加費:¥1500(先着30名)
会場が狭いためかならずあらかじめご予約をお願いします。
予約の連絡先:090−3908−7046
縄文・弥生文化とは別のもうひとつの古代文化の存在があきらかに
宮古島市城辺の新城海岸付近にある「アラフ遺跡」で宮古に存在しない種類の石材が出土したほか、人間の生活痕跡が未確認だった地層で未製品のシャコガイ製貝斧(かいふ)や焼石調理の痕跡を示す集積遺構、サメの歯で作った装飾品などが見つかったというニュースが琉球新報の12月31日に掲載されていた。
貝斧など新たに発見 宮古島市城辺「アラフ遺跡」 琉球新報(12/31 11:14)
記事によれば「アラフ遺跡は約2800―1900年前ごろの先島先史時代の遺跡とされ、当時の宮古・八重山地域では縄文・弥生文化とは別の、砂丘地に居住して主に貝斧を使用する南方系文化が展開していたと考えられている」とある。発掘調査をおこなった沖縄国際大学の江上教授は「先島先史時代はほとんど解明されておらず、この遺跡は重要。今後の調査でさらに多くのことが明らかになっていくだろう」と話している。
Thursday, January 05, 2006
アメリカン・インディアンの十戒
Ten American Indian Commandments
調べてみたらまだ紹介していなかったようなので今日は「アメリカン・インディアンの十戒」なるものについて。この「十戒」がポスターやカードになったものがリザベーションの近くのグローサリーストア(雑貨屋)などでしばしば売られている。アメリカを旅するものの目につく機会は多いと思う。文面はここにあげるものとほとんど同じか、すこし異なっている場合もあるようだが、大きな内容の変更はない。ここに掲載したものは、それらのなかで最もシンプルなものである(異なった表現がある場合は、末尾に注を入れた)。残念ながらこれを考えたのが誰なのかわかっていない。ちなみにGoogleで「Ten American Indian Commandments」を検索すると、9つのサイトがこれを掲載していることがわかる。そこで10番目のサイトとして名のりを上げることとした(笑)。
- なにを為すにせよグレイトスピリットの近くにとどまれ。
Remain close to the Great Spirit, in all that you do. - 汝に従ういのちあるものたちに大いなる尊敬をはらえ。
Show great respect for your fellow beings. - どこでも必要なところに援助と優しさを与えよ。
Give assistance and kindness wherever needed. - いついかなるときでも誠実かつ正直であれ。註
Be truthful and honest at all times. - 自分で正しいとわかっていることを為せ。註
Do what you know to be right. - 精神と肉体の健康に留意せよ。
Look after the well-being of mind and body. - 地球とそこに住まうすべてのものを尊敬を持って扱え。
Treat the Earth and all that dwell thereon with respect. - 自らの行動にたいして一切の責任を負え。
Take full responsibility for your actions. - より大いなる善にたいしてさらなる努力を捧げよ。
Dedicate a share of your efforts to the greater good. - すべての人類の利益のために共に働け。
Work together for the benefit of all Mankind.
註(若干異なる付け足しのあるバージョン)
4. いついかなるときでも誠実かつ正直であれ。(とりわけ自分自身にたいして誠実かつ正直であれ)
Be truthful and honest at all times (especially be truthful and honest with yourself).
5. 自分で正しいとわかっていることを為せ。(独善に陥るなかれ)
Do what you know to be right (Do not to fall into self-righteousness).
Wednesday, January 04, 2006
神社はなぜ日本列島に持ち込まれたのだろう?
韓国中央日報紙が東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員からの記事として2006年1月2日に掲載した記事を再録しておく。『ネイティブ・タイム——先住民の目で見た母なる島々の歴史 』(地湧社刊 2001年)をしこしこと編纂しているとき「神宮」のはじまりが半島にあることを確認して以来、ぼくにとってこの事実は「さもあらん」と思うだけで、それほど驚くようなことではなくなっているのだが、とはいえおそらくこの記事は日本国内の新聞にはまったく掲載されることはないかもしれないから、ニュース・コレクションとしてここに留めおいた。
「日本の神社、韓半島に由来」韓日史学者共同研究日本国内の相当数の神社が古代韓半島から直接的な影響を受けて建てられた、という調査結果が出された。 また、日本の多くの神社は韓半島の祖神を祭神としていることが分かった。
シン・ジョンウォン韓国学中央研究院教授ら韓国・日本の史学者4人は昨年、東京、埼玉、神奈川など関東地方と京都の神社50カ所余を訪問し、こうした事実を確認したと、2日、明らかにした。
これら史学者が最近発刊した研究所「韓国の祖神を祭る日本の神社」によると、古代韓半島からの渡来人は日本に定着した後、故郷の慣習にならって祭壇を建て、祖神と豊年を祈願する祭事を定期的に行ったという。このため、韓半島系統の神社が日本に数多く生じることになった。
西暦927年に完成した日本古代律令集「延喜式」(全50巻)の神名帳(9-10巻)には、当時の全国2861の主要神社と祭神が記録されており、このうち相当数が韓半島から渡来した神社と推定された。
◇代表的な事例=埼玉県の「高麗(こま)神社」はすぐに韓半島系統の神社であることが確認できる。 古代日本で「高句麗(コグリョ)」を「高麗」と表記し、「こま」と読んだからだ。 特に、この神社がある埼玉県日高市は、西暦716年、高句麗系の渡来人によって高麗郡が設置された所だ。
大阪の飛鳥戸神社は、百済(ぺクジェ)系の飛鳥戸造一族の祖神「飛鳥大神」を祭っている。 「飛鳥大神」は百済の崑枝王だ。
四国地方の徳鳥県には「新羅神社」がある。 この神社は扁額に新羅の日本式発音「しらぎ」ではなく「しんら神社」と明記されている。 現地の人はこれを「しんら神社」と呼んでいる。 特に、この神社は代表的な新羅の神であり「牛頭天皇」で知られる素盞烏尊という神を祭っている。
東京浅草にある浅草神社も、すぐ隣にある浅草寺を創建した韓半島系渡来人、桧前浜成の氏族3人を祭るために建てられたという。
研究陣はまた、温泉休養地の箱根にある箱根神社も、近隣の相模国に定着した高句麗出身の渡来人が創建したと推定した。
見えないものを見、聞こえないものを聞く
目を閉じたときに見えるものの方が大切なのだ。故レイム・ディアー ラコタのエルダー
目を閉じて心を静めたとき、そこにはまったく別の世界が広がる。静寂のなか、われわれは知る。静寂のなか、われわれは聞く。静寂のなか、われわれは見る。静寂のなか、われわれは感じる。人間は誰もが例外なく、自らの内側に静けさとその中でささやきかけてくる声を持っていることを。その声のよってきたるところを確認するために、われわれは時に目を閉じて知覚の扉を閉じてみる必要があるのだ。目を閉じて見ること。自分の子どもや配偶者に向かって話しかけているとき、目を閉じて相手の言葉を聞いてみるのもいいだろう。声の調子に耳を傾け、感情の高ぶりに耳を傾け、心の痛みに耳を傾けてみる。
『インディアン魂—レイム・ディアー〈上〉 』(河出書房新社|リチャード アードス 編|北山 耕平訳|1998年刊行)『インディアン魂—レイム・ディアー〈下〉 』(河出書房新社|リチャード アードス 編|北山 耕平訳|1998年刊行)
Sunday, January 01, 2006
犬たちの選挙の話
今さらだけれど、昨年の選挙の結果は衝撃的だった。思い切り落胆した知りあいが何人もいる。選挙って言うのはこわいものだということがよくわかった。ぼくたちは小さいときから選挙というものに馴らされている。小学校のクラス委員選挙あたりから。何でもかんでも選挙、選挙、選挙だものね。これがありがたい民主主義だと思っている。
なんで選挙のことを書いているかというと、アメリカ・インディアンの年寄りのなかに選挙に文句を言う人が結構いたからなのだ。アメリカは選挙でできている国みたいなもので、なにかというと投票になる。「自分たちのところでは2500年間ぐらい選挙なんてしないでやってきたのだ」とラコタのエルダーだったレイム・ディアー爺さまも言っていた。「なかったのは選挙だけじゃない。牢屋も、酒場も、銀行も、狂ったような教会も、裁判所も、税金も、弁護士も、判事も、電話も、そんなものはなにひとつなくてもやってこれた。ところが白人さんたちは、わしらのそういうシステムをもっと改善できると思いこんでいた。そう、選挙という手段を使えばな。一昔前のフル・ブラッドのじいさんたちだったら、まずそんなうまい話には乗らなかった。乗るわけがない。ワシントンにある白人の政府がわしらインディアンのためになにか良いことをするとはとても思えなかったし、その白人政府が傀儡として作りあげた部族会議だって似たようなもので信ずるに値しないからな。もともとわしらは数千年にわたって自分たちを聖なるしきたりにならってひとつにまとめあげてきていたのだ。あの連中にはわからんのだろうが、わしらにはそのやり方がわかっていた。別に誰の力を借りる必要もないのだ」そういうと彼は、犬たちの選挙についてのちょっとした話を聞かせてくれた。ちょうど犬の年のはじまりなので、この話をしておこう。
昔むかし、犬たちが大統領を選ぶために選挙をすることになった。犬たちの代表が集まって大きな会議が開かれ、なかのひとりがこう発言した。
「ブルドッグを大統領に推薦する。ブルドッグは強くて、いざというときには戦えるからな」
「でもあいつは足がのろいぞ」別の犬が言った。「あんなにのろまなくせに、ほんとうに戦えるのだろうか? あれでは敵にみんな逃げられてしまうに決まっている」
すると別の犬が勢いよく立ちあがって言った。「大統領にするならグレイハウンドがよい。彼の足は折り紙付きだ。その足の速さは半端ではないぞ」
ところがそれを聞いた犬という犬がこぞって不満そうな声を張り上げた。「だめだめ。足が速いのは認めるが、グレイハウンドでは戦いにならない。いくじなしだからな。敵を追いかけておいついたはいいが、その後でどうなると思うのさ。捕まえたつもりが逆に捕まってこっぴどく打ちつけられちまうにきまってる。その程度のやつだからな」
ケンケンガクガクと会議は続いた。あるとき見てくれのよくない小さな雑種の犬が発言を求めた。「わたしは、尻尾の付け根の裏側の匂いがよい犬を大統領にすべきだと提案します」
すると別の雑種の犬が勢いよく立ちあがって「賛成! それがいい!」と声をあげた。
さあそうなると犬たちはいっせいに色めき立って、あちこちでみな勝手に近くにいる犬の尻尾の付け根の裏側の匂いをくんくんとかぎはじめた。
「く、くせえなぁ、おまえ!」
「あいつの臭いはひどいや」
「や、こいつもたまらん臭いだ」
「くさいぞ、くさい。ひどい臭いだなあ、キミは」
「こんなくさいやつが大統領だなんてとんでもない!」
「われわれ人民はこんなにひどい臭いの持ち主を望んではいない!」
「なんておまえはケツの付け根の臭いがくさいんだ」
「こんな臭いの候補者なんてまっぴらさ」
というわけで、散歩の途中で犬たちと出会ったらよく観察してみるといい。あいつらはいまだに自分たちの指導者をきめかねている。尻尾の付け根の裏側がよいにおいのする犬を、今も必死に探し続けているのだ。
偉大な謎に向かって祈る
当ブログ右サイドバー巻頭の Peace な写真を差し替えた。祈りのある写真を探してこの「Prayer to the Mystery」を選んだ。1907年にエドワード・カーティスが公開した写真で、タイトルを直訳すると「謎に向かって祈る人」となるが、この場合の「Mystery」は「謎」「神秘」「ミステリ」とするよりも「グレイトスピリット」のほうがふさわしいのかもしれない。グレイトスピリットは、ネイティブ・アメリカン・ピープルの信仰の中核にある概念で、「およそ言葉にできないとてつもない謎のような存在」のことである。もちろん「グレイトスピリット」という言葉が最初からあったわけではない。部族によってその指し示す対象を表現する言葉は当然のことながら全部異なっているものの、その対象となる存在にたいする認識は一致していたので、それを便宜的に表現するために通詞によって選ばれた言葉だ。「グレイト・ミステリ」「偉大な謎」と表現されることもあるし、「おそろしいまでに聖なる力」と言われることだってある。
われわれはいとも簡単に「神」という言葉を今では用いるが、それは「神」という言葉では言い表せないなにかをあらかじめ持たされているのだろう。「神」という言葉を使うことでそれが理解できるのかというとけしてそうではないと思う。「神」という「漢字」でも、「偉大な精霊」をあらわす「Great Spirit(グレイトスピリット)」という「英語」でもおよそ表現しきれないものがその概念のなかにはある。それに最も近いところにある言葉はやはり「謎」なのかもしれないと、ぼくは個人的に考えている。「人間には謎が必要だ」と言われたことがある。科学は世界から「謎を一掃する」目的で今日まで突き進んできた。しかし一日24時間を高度に豊かな精神生活(信仰と儀式)のなかで過ごすネイティブの人たちは「謎をすべて解明してはならない」と戒める。言葉では説明できないものが人間が生きていくためには必要なのであると。そこでここに選び出した写真のタイトルが「謎に向かって祈る人」となる。
写真をクリックされると拡大されるし、拡大された写真の下にある「Higher resolution JPEG version」をクリックされると、さらに解像度の高い写真をご覧になることができる。被写体とされた彼はローズバッド居留地に暮らしていたピケット・ピンという名前のオグララ・ラコタに属する人間で、拡大されたこの一枚の写真を見てみると、パイプの吸い口を空に向かって掲げている彼の足下にバッファローの頭骨があることがわかる。これが平原インディアンにとってのいうならば「祭壇」「神棚」のような役割を果たすものである。彼らはその全生活をスピリット・アニマルであるバッファローという存在に依存してきた。天と地をつなぐところに人間が立っているというきわめてネイティブの精神世界を象徴する一枚の写真だ。
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