スピリットチャイルド
アステカ・インディアンが残したキリスト降誕の祭文
一族の滅亡と共に忘れ去られていた聖なる歌
Japanese Text Version 2.0.4 Kitayama Kohei
アステカ語から英語への翻訳 ジョン・ビアホースト
英語から日本語への試訳 北山耕平
覚書
スピリット・チャイルドの祭文(祭りの時に唄われる祝詞)は、もともとはアステカの詠唱者たちが「ウエウエトゥル(huehuetl)」と呼ばれる立てて使う皮製の太鼓と、「テポナツリ(teponaztli)」と呼ばれるふたつの音色を奏でる木製の長い打楽器に合わせて暗唱したものです。作詞作曲はサーグン(メキシコの古い町)のフレイ・ベルナディオという修道士で、彼はアステカ人の詩人を助手に使っていました。歌は、聖書のなかのお話と、西洋の中世伝説、伝統的なアステカの説話のみっつを混ぜ合わせたもので、素材とされたもののうちではっきりとわかるものは「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」です。悪魔の描写とか、キリスト生誕の夜におきたさまざまな奇跡の伝え方などには、ヨーロッパの民話の影響が見られます。しかし物語そのものの展開のしかた、短い文を積み重ねていく技法、掛け合いの部分、主な登場人物のけれんのないまっすぐな描写など、そうした部分にはたぶんにアステカ族の影響が見て取れます。とりわけ、天使たちが羊飼いたちに向かって唄う歌詞の部分などには、アステカの人たちの演説のしかたを彷彿とさせるものがあります。この物語は、「サーグンのパサルモディア・クリスチアーナ」(1583年 メキシコ)という本に収められています。すべてがアステカの言葉で記された本で、新世界において刊行された最も古い書物のひとつです。今まで現代語に翻訳されたことはありません。英語訳に際しては、ブラウン大学のジョン・カーター・ブラウン図書館収蔵のマイクロフィルムに撮影された原本を用いました。
追記わたしはキリスト教徒ではありません。ネイティブ・アメリカンの信仰に関心があるひとりの人間としてこれを訳出しました。おそらく新世界で最も古いキリストの物語でしょう。キリスト教がどのような形で新世界に入っていったのかを伝える貴重な資料でもあるし、クリスマス・ウィークのことでもあり、よい機会なのでお読みください。
(北山耕平)
世界がはじまったのち、五千年もの長きのあいだ、悪魔が王として君臨した。高慢で底意地の悪い王で、地球上の誰ひとりとて、わたしたちを彼の手から救うことはできなかった。
力があり、頭もよくて、正しい生き方をした人たちも数多く生まれはしたのだが、しかしその人たちには、悪魔の手から自分を救う力も、そして他人を救う力も、与えられることはなかった。
悪魔はとにかく悪賢かった。わたしたちが地球で生きているときには、のちのちどれくらいひどいことをするつもりかなどということは、まったくおくびにも見せないでいる。笑いながら悪魔は、わたしたちの目を閉じさせて、二度と目を開けさせなくしてしまうのだ。それから、わたしたちを死者の国に連れて行く。
死者の国にあるものといえば、絶えざるひもじさと、果てることなき議論、そしていくつもの病気と、つらい労働だけ。
だが「イエス」という名前は、世界がはじまる前に、すでに存在していた。それは常に彼の名前だった。たとえ生まれる前でも、彼の名は「イエス」だった。地球にやってきて彼がおこなったのは、悪魔の手から人びとを救い出すこと。イエスとは「人びとを救う者」を意味する言葉だ。彼はまさしくその名前のとおりのことをおこなった。
スピリットよ、御子よ、あなたは燃える炎、全能なる父のきらめき。御子よ、遠い昔にいかに生まれしかを、思い出したまえ。
かつてヨセフという、賢く、善良な心を持つ男がいた。ヨセフはひとりのうら若き女と所帯を持った。その相手こそ、誰あろうスピリットの母親となることが定められし女性だった。ふたりは夫婦になったけれど、それでもなお、彼女はひとりの若い処女としての生活を続けた。ヨセフもまた、共に生活をはじめたものの、それでもなお、彼はひとりの少年であることをけしてやめるようなことはなかった。
ヨセフとマリアが、かくも奇跡的なやり方でひとつになったさい、主である神は使者として天使ガブリエルをお遣わしになった。彼が降りたのは、ガリラヤの国のナザレスと呼ばれる町。
その若き女の暮らす家を見つけると、ガブリエルは家の中に入り、かたわらに立って、神聖な言葉を告げた。「よくやりましたね、マリア、喜びなさい。神はあなたとともにおられます。あなたほど運のよい女性はありません。神はあなたを気にいられました。神はあなたの魂をいのちの力でみたしました。そしてそれがために、あなたは世界中でほめたたえられることになるのです」
しかしこの言葉を聞いてマリアは顔を曇らせた。自分は天使の挨拶を受けるに値しないと考えていたから。おとなしすぎて意気地がない人間だと。天使の言葉を考えているうちに気持ちが滅入ってきた。そして口を開いた。「こんなわたしに話しかけてくれたりする人なんておりません。それがどうしてほめられたりするでしょうか?」
天使ガブリエルの顔が明るくなった。太陽がすべてのものを照らし出したかのように。背中の羽根が光を放ちはじめ、やがてきらきらと輝いた。緑の羽根はいちだんと長くなり、カザリキヌバネドリ(ケツァール鳥)の羽根よりもいっそうきらきらと緑色に輝いた。
そして天使が告げた。「マリアよ、おそれることはありません。神の目のなかであなたは讃えられているのです」
「お聞きなさい! これからわたしが偉大なる神秘の話をします。やがてあなたはおなかにひとりの子供を宿すことになるでしょう。あなたは身ごもります。おなかの子供は『イエス』と呼ばれることになるでしょう」
「あなたが生むことになるその少年のイエスは、いずれ大変に偉大な存在となられます。タビデの王国を統治されて、その支配は永遠に終わることがありません」
ところが天使の話を聞くと、レディはおもむろに「そんなことがあるはずもありません。だいいちわたしは男性を知りもしないのですから」とこたえた。
「神の御力、神聖なるスピリットが、あなたのなかにおはいりになるのです」天使はつづけた。「だからこそ、その御子は一点の非の打ち所もなくお育ちになるでしょう。御子はいずれ『神の子』と呼ばれることになります」
「いまここにいるわたしは」マリアがつづけた。「主のしもべです。お召しのまま、いわれるままに、すべてをおまかせしましょう」
この瞬間、われらが主なる神、神の息子が、マリアの、完全なる若きレディの子宮のなかで、ひとりの人間となられた。その瞬間、レディのマリアは神の母となられた。
ヨセフのもとにあらわれた天使が口を開いた。「ヨセフよ、これよりあなたに秘密をお話しします。マリアは精霊の働きでその胎内に御子を宿らされました。おそれることはありません。彼女のそばを離れてはなりません。彼女はこの世を救われる方をお産みになるのですから」
それからのヨセフはマリアの護衛となった。どこへ行くときも彼女を連れて出かけた。その身をかばい、常にかたわらに居つづけた。ふたりは共に暮らし、一心同体だった。
父なる神はそのヨセフを彼の子供の守護者に選ばれた。なぜならヨセフはこの世界の誰よりもよき心の持ち主だったから。こうしてヨセフは神のしもべとなり、神の御子の世話をまかされた。
皇帝の命を受けてベツレヘムにおもむかなくてはならなくなったときも、ヨセフはマリアを同行させていた。そして月日が満ち、いよいよマリアが赤ん坊を産む日がやってきた。
スピリット・チャイルドよ! 世界のすべての人たちがあなたを待っています。囚人として鎖につながれているわたしたちを、御身ならお救いくださるはず。暗闇のなかにいるわたしたちにはあなたは光。さあはやく、はやくこちらにこられよ。そして約束をお果たしください。エルサレムの神聖なる王よ。聖なる皇太子よ。高貴なる御子よ。目を覚まされよ! 生きてくだされ! 大空は喜び、大地は踊るでしょう。
マリアがヨセフと共にベツレヘムにたどり着いたとき、ちょうど十月十日の日が満ちて、彼女に最初の赤ん坊が生まれた。
赤子が生まれると、彼女はその子を布に包み、牛たちが干し草を食べるかいば桶のなかに寝かせた。
わたしたちの救世主が寝床として必要にされたのは、ほんのわずかな干し草だけ。かいば桶のなかで寝かされることもいやがらず、ごくごくわずかな量の食べものだけでも心は満たされていた。
王たるイエスが生まれたのは、夜のこと。なれど、若き女性のマリアは、赤ん坊を抱いたまま、空に太陽がしろしめすのを見た。それから彼女は膝をついて、うやうやしくその赤子を崇拝した。なぜならそれは、ひとりの偉大な王が地球にやってきたことを伝える御しるしだったから。
主イエス・キリストが誕生したとき、世界のいたるところで、無数の奇跡が相次いでおきた。
イエスがあらわれたその夜に、空に出た太陽は、じつはみっつあった。ひとびとはそれを見て驚愕した。しばらくするとそのみっつの太陽が合体してひとつになった。
スピリット・チャイルドのイエスが生まれたのは真夜中のこと。だがそのとき世界の隅々までが光に包まれた。
わたしたちの主であるイエスが生まれたとき、ローマには甘い油の泉が出現した。偶像や偽りの神を崇拝していたすべての人たちが許されるという御しるしだった。わたしたちの統治者であるイエスが生まれたとき、エルサレムのエンゲディと呼ばれる場所では不思議なこともあるもので、ブドウの木にいっせいに花が咲いた。それは悪魔の教えが葬り去られるという御しるしだった。
わたしたちの支配者である高貴な子供のイエスが生まれたとき、平和の王が召されて到着し、いきなり世界中が平和になった。
さてもベツレヘムの町のはずれでは、羊飼いたちが夜通し羊の見張りをしていた。その彼らのもとに、空からひとすじの偉大なる光が降りてきて、天使ガブリエルが姿をあらわした。
「友よ、わたしはみなさんに大切な知らせを伝えに来ました」天使がいった。「今日、ベツレヘムで、救世主がお生まれになりました。そのお名前は『イエス』です」
「さあベツレヘムに行きなさい。彼なら見つかるでしょう。ダビデの都市のなかにおられます。アレルヤ、アレルヤ」
その瞬間、たくさんの天使たちがあらわれた。王として生まれたその子供を讃える「アレルヤ」という不思議な言葉を口々に歌いながら。
羊飼いたちは、わたしたちに話しかける。あなたは、彼と会ったのですか、と。「たしかにわたしたちはそのお姿を見ました」
いかにして彼を見つけたのですか?
「天使たちの歌声が聞こえていました」
空から鳥のごとく天使たちが降りてきた。歌声は鈴の音のごとく。響きはさながら横笛のごとく。「天におられる神を讃えなされ、アレルヤ」
天使たちは空から舞い降りてきた。口々に「地上に平和を、アレルヤ」と歌いながら。
甘い香りのする歌の花がいたるところにまき散らされ、黄金の雨となって地上に降り注いだ。「さあ、共にこれら黄金の花をまきましょう、アレルヤ」
しずくで重そうな花、花、花。それらしずくは光にあふれ、ベツレヘムのなかで、さながら宝石のごとく輝く。「アレルヤ」
ハートの形をした花、花、花。スモモの形をした鈴のような花、花、花。赤い杯のような花、花、花。
数えきれぬほどの花が暁の光のなか、ひとつひとつ輝きを放ち、黄金のごとく光り輝いて。「アレルヤ」
無数のエメラルドが、真珠が、赤い水晶が、光をたたえて、おのずと輝く、夜明けのとき。「アレルヤ」
ベツレヘムの町なかにまきちらかされる宝石が、つぎからつぎへと地上に落ちてゆく。「アレルヤ」
イエスがベツレヘムで生まれたとき、空に新しき星があらわれた。かねてよりヤコブから星が生まれるだろうと予言されていて、ひとびとはそのときを長く待ち続けてきた。予言者は述べた。「男がひとり世にあらわれる。彼はイスラエルから生まれるであろう。ひとりの救世主がユダヤの地に誕生する。そのとき、新しき星がひとつ目撃されるだろう」
ひとびとは空を見つづけた。そして新しき星を確認すると、みなはそれぞれの王に伝えた。さらにはそこに、東方より三人の王がやってきた。彼らは星に導かれて、ベツレヘムに向かって旅をしてきた。
香り高きミルラとお香と黄金とを三人は運んできた。「ユダヤの王にお生まれしその御方はいずこにありや?」と彼らは尋ねた。
エルサレムにたどり着いたとき、三人はひとびとにただした。「統治者はいずこにおられる? 王はどちらに?」
ユダヤの統治者であったヘロデは、ひとびとが新しい王を探していることを耳にして、ねたましさを覚えた。エルサレムの司祭の長らを呼びつけて尋ねた。「王はどこにおるのか? みなのものたちが待ち望んでいるこのキリストとやらは?」
長たちがこたえた。「ベツレヘムでございます。ユダヤの国の一部であるところの」
ヘロデはその知らせを聞くと、ひそかに三人の王を呼び集め、最初にその星を見たのはいつのことかなど、くだんの星について根掘り葉掘り質問した。
三人の王はすべてを話して聞かせた。するとヘロデはこたえた。「このままベツレヘムへ行くがよい。その子供を見つけたときには、もういちどここに戻り、話を聞かせてくれ。わしもその御方を礼拝したいから」
しかしヘロデは腹では別のことを考えていた。ずるそうに彼は三人の王にこう伝えた。「もちろんこのわしとて、真の王が地上に降りられたのなら、自ら出向いてあがめ奉るのもやぶさかではない。こちらから出向いて、その御方をわしの神にしよう」だが、実のところヘロデは、幼いイエスをなきものにしようと、いのちを狙っているだけだった。
ヘロデに話したいだけ話させると、三人の王はその足で、ベツレヘムにまっすぐおもむいた。
するとそこにもまた、あの星が出ていた。三人が以前にも見た星だった。星が三人を照らし出してくれたので、彼らは喜んだ。なぜなら彼らがエルサレムに足を踏み入れたときには、町の城壁にさえぎられてその星が見えなかったから。
ふたたびあの星が彼らを導いた。王たちはその星を頼りに長い旅を続けてきた。三人がベツレヘムにたどりつくと、一軒の馬小屋の上空にその星がとどまっていた。幼子はその中に寝かされている。
そうこうするうちにも、三人は建物に足を踏み入れた。そしてひたすら星を追いかけてきた彼らの旅も、ついにそこで終わりを迎えた。一目見て三人には彼がわかった。彼はそこにいた。これ以上動き回ることも、旅を続ける必要もなくなった。三人は馬小屋に入り、そこで幼子のイエスと、そのかけがえのない母親である聖なるマリアと対面した。
彼らはその場にひれ伏して、幼子を礼拝した。信仰するものとしてその三人の偉大な王たちは地面にひざまづき、彼を礼拝した。彼らにはその幼子が誰なのかよくわかっていた。なぜならその幼子は、スピリットであり、最強の力であり、天の所有者であり、地の所有者であったから。
彼らは櫃を開き、貴重品の箱を開けた。そして中から自らの主となった幼子への贈り物を取り出して、うやうやしく並べた。
三人からの貢ぎ物は、黄金、香り高きミルラ、そしてお香だった。
そのことがあってからさらに数日、三人は幼子の元にとどまって、たくさんの不思議がおこるのを目撃した。そして眠りのなかにいるとき、彼らはその場を立ち去るように命じられた。三人はそれぞれの眠りのなかでスピリット・チャイルドと出会った。夢のなかにあらわれたその御方は、三人をそのままふるさとに直接送り届けた。
三人の王がヘロデのところに戻ることはなかった。なぜなら、スピリット・チャイルドにはヘロデのたくらみがわかっていたから。
おお、悪の化身ヘロデよ! 全能なるものをだませるとでもお考えか? まだ幼子にすぎないかもしれぬが、赤子のイエスにはすべてがお見通し。なぜなら、彼は神なのだから。
彼にそなわる神聖さと神秘は、父なる神その存在そのものにそなわる神聖さと神秘と、まさしく同じもの。人間となられ、わたしたちのなかに混ざって生きるためにやってこられしもの、そは父なる神。
彼はわたしたちの救世主になるためにやってこられた。人間は誰もが許されうるのだ。もはや悪魔には、イエスの手からただひとりの人間をつかまえて取り返すだけの力もない。
そのときすでに妙なる平和が地に満ちあふれた。世界のいたるところに、美しき雨が、素晴らしき雨が降り注いでいる。あまりにも不思議な雨が地球のうえをおおいつくしていた。
まさしく今日はは救いの日。長く待ちこがれた癒しの日。救済は頭上より降り注ぎ、わたしたちに道を指し示す。
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