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Friday, December 16, 2005

12月16日 シッティング・ブルが殺された日

sitting-bull

1890年12月16日(火曜日 月齢4日)合衆国政府によって捕虜の身となり、サウス・ダコタのイェーツ砦(陸軍基地)に収監されようとしていたシッティング・ブルが第八騎兵隊の兵隊たちとインディアン警察官によって殺害された。39人の警察官と4人の志願兵はシッティング・ブルを逮捕するために集められていた。殺害現場に集合していたシッティング・ブルの支援者100人以上の目の前で凶行はおこなわれ、当然現場は阿鼻叫喚の極みとなって、結果としてシッティング・ブルの他にも何人かが死んだり怪我をした。陸軍の記録によれば、兵士4人とインディアン8人が死に、3人の兵士が負傷したとされる。この事件が起きた週末の『アバディーン・サタデイ・パイオニア』紙(Aberdeen Saturday Pioneer)は、その社説でシッティング・ブルのことをつぎのように書いた。一部を引用する。


「ここに広がる広大な大草原のもともとの所有者たるものの誇り高きスピリットは、大草原の所有を巡って幾世紀にも及んだ激しくかつ血なまぐさい戦争の時代をつうじて生き延び、シッティング・ブルの胸の中まで脈々と伝えられた。彼が倒れたことでインディアンの気高さは消失し、わずかに残されたものたちはもはや、自分たちを打つ手に鼻を鳴らして憐れみを乞う野良犬たちの群れにすぎない。白人は、征服の法に基づき、文明の裁きによって、名実共にアメリカ大陸の支配者となった。今後はわずかに残されたインディアンどもを徹底的に壊滅せしむることによって開拓地への移住者の安全は保証されることになろう」

このまつたくもって身の程知らずで手前勝手な——今のブッシュ大統領のイラクにたいする演説にも共通する響きがある——文章を社説に執筆したのは、同紙の編集委員のライマン・フランク・ボーム(L. Frank Baum)という人物であり、彼はのちに『オズの魔法使い』(1939年)の原作者として世界に名を轟かせることになる。なおシッティング・ブル殺害の実行犯は、白人からあることないことを吹き込まれたインディアンの警察官だったとされる。シッティング・ブルは同じネイティブ・アメリカンによって暗殺されたのである。そして同年同月の凍てつく年末29日の「ウーンデッドニーの大虐殺」へと時代は音を立てて流れていく。

それは、年も押し詰まった12月末、極寒のウーンデッドニー・クリークで、チーフ・ビッグ・フットをはじめとして女性や子供120人を含む350人のインディアンが、ゴースト・ダンスをするための準備中に、500人を数えたアメリカ陸軍第七騎兵隊の兵士たちのの銃撃を浴びて30分ほどのうちに女性や子供たちを含む150人が撃ち殺される悲劇として、「ウーンデッドニーの大虐殺」として後世に語り継がれる事件である。

(「暗殺」と「殺害」という報道上の用語の区別について考えたことがあるだろうか? 生前その人物がどのくらい偉大だと考えられていたのかによって、ただ殺されたのではなく、暗殺されたとマスコミは書くのだろうか? 疑問)

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