冬至は太陽が立ち止まるとき
今年の冬至ですが、日本列島では12月21日ではなく、22日でしたね。厳密には22日の午前3時35分に起こります。だから21日の夜には準備をはじめなくてはなりません。
今年はこんなにもう雪が降っているのに、暦の上では冬至からが冬本番になります。そういえばわたしたちはこの季節に極東アジア上空に現れる猛烈な寒気のかたまりのことをいつのころからか「冬将軍」と呼ぶようになっています。テレビの天気予報には「冬」という1文字を兜(かぶと)の額につけた将軍さまが登場したりします。寒い土地から雪と冷たい風を引き連れて、元寇よろしく攻め込んでくる強力な敵の武将というイメージです。日本海沿岸に暮らす人たちの大雪との戦いぶりを見れば、「攻め込んでくる」という表現もうなづけますね。ネイティブ・アメリカンの世界にも冬を連れて南に降りてくる男の話がレナペの人たちに残されています。こちらは家出した女房が忘れられなくて会いに来る男の話です。
「亀の島の北側に広がるツンドラの地に、いつも天気のことでああだのこうだのと言い争ってばかりいる夫婦が住んでいた。ある日、ほとほと口げんかがいやになったかみさんが、もう我慢の限界とばかり家出をしてしまい、旦那をひとり残したまま、南の暖かな地へ行ってしまった」というところが発端です。男は思うところがあり、わびを入れるつもりで、しかたなく大好きな冬の冷たい空気と雪を連れて、南で暮らすかみさんに会いに出かけることにしたのです。だから毎年今ごろの季節になると、恋しさのあまり男が冬を引き連れて南の別れた女房に会いに来るというわけ。
冬将軍という強そうなイメージはないけれど、「逃げた女房に謝るために冬を連れてやってくる」男といううら淋しげなイメージにも捨て難いものがあります。
冬至の日にはおまつりを
さて、一年で最も昼の時間が短くなる冬至が、地球の北半球に暮らす人たちにとっては重要な意味を持っていた日であることは、間違いありません。陰と陽で世界を見る宇宙観の言葉に「一陽来復」がありますが、これは冬至の日に陰と陽が逆転し「地中に一陽が宿る」ということを意味します。
わかりやすく言うと「最初の夏の一粒が」地中にできて動きはじめるのです。この日を境に日がまた伸びはじめ、本格的な夏のはじまりを告げる6月の夏至の日に「最初の冬の一粒が」降りてきて夜が最も短くなるのです。地球と太陽の位置関係が変わる「冬至」と「夏至」は、信仰や生活の仕方は違っても、自然とともに生きているかぎり太陽と地球の位置関係は地球に生きる人にとってはきわめて重要なターニングポイントでした。
英語では冬至は「Winter Solstice」と言います。Solstice は「太陽が立ち止まる」という意味です。冬至はなにかが終わり、なにかが始まる、その節目にあたっています。この変化の瞬間にじゅうぶんな敬意を払うための儀式を執りおこなうことは、しかし、自然から切り離された生活を選択して以来ほとんどのところで失われつつあります。大昔には北半球のどこでもそのための儀式がその日もたれていたことは疑いようがありません。自然とともに生きると言うことのなかには、当然「天球の自然」もふくまれるからです。月、星、星座、太陽の動きを観察する人たちには、太陽が特別な場所に到達し、そして向きを変えて新しい旅をはじめるその日は、神秘的でもありまた深い意味のあるものであったはずです。その日に太陽に力を与える儀式を行わないと、そのまま太陽の力が衰えて完全なる闇の世界にはいってしまって、光あふれる世界には戻れないかもしれないという恐怖もあったかもしれません。
北半球の各地に、この日を新年のはじまりとする文化が昔はたくさんありましたし、クリスマスだっておそらくはその日の祝祭であったろうと思われます。日本列島でもはるか古代の冬至の儀式を彷彿とさせる奇祭が残されている土地があります。岐阜県揖斐郡揖斐川町上野の朝鳥明神(社がない神社。磐境といって、岩がご神体として祀られている!)で、この明神さまには太陽神が祀られていて、毎年冬至の日の早朝から冬至祭がおこなわれます。言い伝えでは1500年前から続くとされる日本建国以前の祭りで、日の出を迎えて太陽の力の復活を祈る儀式(「日迎の神事」)が中心です。この祭りの光景を3年前に記事にした岐阜新聞がここにあります。
地球の家族と宇宙の家族
アメリカ・インディアンが冬至と夏至の日をことのほか大事だとしてきたことの背景にも、太陽の力の復活を祈る儀式がありました。北カリフォルニアの太平洋沿岸に暮らしていたチュマッシュの人たちはその日をきわめて大切な日と認識して数日間続く祭りを数千年前から伝えていました。独自の星の知識を持つラコタの人たちは北のホワイトバッファローの象徴としてこの日の太陽を見たようです。ホピの人たちはこの日から1ヶ月ほど続くソーヤルという祭りに入ります。冬至の日を新しいサイクルのはじまりの日として大切にする人たちは、天球に起こっている変化がわたしたちと密接につながっていることを理屈ではなくハートで知っていました。
この宇宙のなかにあるものはそこにある他のものすべてと網の目のように連結されていて、当然ながら宇宙にあるものはことごとくが太陽の影響を受けているのです。これはどこかに書いたことなのですが、インディアンの人たちはしばしば「わたしたちには親や兄弟があって家族を形作っているが、ほんとうの母親はマザー・アースであり、父親はファーザー・サンなのだ。母なる地球と父なる太陽が宇宙のすべてにいのちを与えている」と言います。これは美しい表現でありますが、けして夢のようなことを言っているのではなく、もっとリアルなことを伝えようとしているのです。それは、あなたには地球の家族があるように、宇宙の家族も存在しているのですよということです。
「Sharing Circle (Infos)」カテゴリの記事
- トンボから日本人とアメリカインディアンのことを考える(2010.09.03)
- ジャンピング・マウスの物語の全文を新しい年のはじめに公開することについての弁(2010.01.01)
- ヴィレッジヴァンガード 下北沢店にあるそうです(2009.12.30)
- メリー・クリスマスの部族ごとの言い方
(How to Say Merry Christmas!)(2009.12.24) - 縄文トランスのなかでネオネイティブは目を醒ますか 27日 ラビラビ+北山耕平(2009.12.16)
The comments to this entry are closed.
Comments
はじめまして。
冬至の記事、興味深く拝読しました。
こういう知識、おもいがあって冬至を迎えることがあったら素敵だなあと思い、私のブログでご紹介させていただきました。
Posted by: こはる | Wednesday, December 21, 2005 04:25 AM
本当にそうですネ。太陽のお父さんは、その大きな愛で私たちを導き、美しく偉大で愛にあふれた地球のお母さんを、必ず幸せにしてくれると、固く信じています。そして、そうなるように、いつも祈っています(*^-^*)
Posted by: グリン | Wednesday, December 21, 2005 06:26 AM
「この宇宙のなかにあるものは
そこにある他のものすべてと網の目のように連結されている」
このことを、(私を含む)人間は、どうしてこんなにも「自分の問題として実感」せずに生きているのだろう、と思います。
人間の行動できるエリアは拡大しているのに、それに反比例して意識や精神的なものはどんどん縮小していく… その落とし穴にはまらないようにと日々願い、本当に大切なことは何なのかってことを自分のなかに刻みつけなくちゃいけないと思っています。
Posted by: コロ | Wednesday, December 21, 2005 11:12 PM
地球家族のお話を書いてみました(^^)(かなり怪しいかな、笑)
Posted by: グリン | Thursday, December 22, 2005 07:23 AM