時の輪講座のためのノート 「自己中心的生き方」がもたらしたもの
この覚え書きは「時の輪」歴史講座のためのノートであり、近いうちに参加者が加入することになっているメーリングリストが立ちあがったあかつきには、そちらに続きが書き込まれる予定のものである。
歴史講座としてわたしがお話ししていることの中心的な課題は、等身大の持続可能な世界を築いて数万年環を描いて続いていた「地球に生きる人としての生き方」であり、これと対立するのがわずか二千年ほどで地球を生態学的な死に追い込んでしまうことになる直線軌道を描いて現代まで続く「自己中心的生き方」である。この「自己中心的生き方」の起源は、わたしたちが考えている「歴史」のはじまりと無関係ではない。区切られた狭いエリアを支配するひとり(または複数の)人間の意向を受けて歴史が文字で書かれるようになる以前には、始まりもなく終わりもない時の輪のなか、ときおりそうした生き方の萌芽は見られたものの、そうしたものはおそらく社会的な病気と認識され、これが大多数の人びとの心をとらえて知らず知らずのうちに人びとを見えざる牢屋に追い込むもののひとつであるとは誰も考えることはなかったといっていい。
自己中心的な生き方のもたらすものをまとめてみると、以下の6つが考えられる。
- 人と人との間を切り離す。
- 自分たちには環境(自然)を敬い愛する義務があるということを考えさせないようにする。
- どこかに行きたい、なにかをしたい、もっと欲しいと絶えず思わせる。そのことによって、今という瞬間のために生きることよりも、過去や未来のために生きるように仕向ける。
- 飽くなき欲望、憎しみ、怒り、恐れ、嫉妬によって他の人といつでも自分を切り離すことばかりに向かっていくようにする。
- いかなる形においても世界観——世界とはいかなるものであるか、人はなんのために生きるものなのか——などについての共通認識にいたることがないようにわざと仕向ける働きがある。
- ことのほか死を恐れるよう仕向ける。
ではいかにしてこの自己中心的生き方という見えざる牢獄——日本列島においては千数百年前から建設がはじまり、今なおより強固なものにしようと補強工事が続けられている「共同幻想」——から脱出できるのか、そしてこの見えざる牢屋を形作っているさらにほかのものとは? こうした大きな問題についてはまた項目を改めていつか考えてみよう。
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