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Saturday, December 24, 2005

願わくばあなたの家とハートが暖かさと優しさで満ちあふれますように


pueblo_winter

Wish You Have A Very Native Christmas!

去年のクリスマスにも同じことを書きましたが、今年もすこしだけトーンを変えて同じことを書きます。同じことを書いているつもりでも、すこしずつ中身も変化していくかもしれないので。(余談ですが、今年ほど「アメージング・グレース」がメデイアで流された年はなかったように思われます。それが「賛美歌」なのだということを認識している人はきっと少ないのでしょうし、ましてやその歌がチェロキーの人たちにとっては国歌とされるものであることを知る人はさらに少ないのかもしれません。「アメージング・グレース」が人びとに歌われる背景にあるものは、すっかり失われてしまった聖なるものにたいする郷愁なのでしょうか。上のミュージック・プレイヤーをクリックするとチェロキー語のアメージング・グレースが一度だけ流れます)

クリスマスの風習はヨーロッパから渡来人によって新大陸にもたらされたものです。ネイティブ・アメリカンの代表がヨーロッパに渡ってその習慣を持ち帰ったわけではありません。アメリカと呼ばれることになる大陸に渡ってきたヨーロッパ系の移民たちがキリストの話や、この日に贈り物をする習慣、サンタクロウス(セイント・ニコラウス)のことを先住民たちに教えました。

現在アメリカ・インディアンの人たちの世界を見てみると、彼らの信仰は大きくふたつのタイプに分けることができます。ひとつは「伝統派」といわれる人たちのもので、この信仰を守っている人たちの多くはいわゆる「フル・ブラッド」である場合が多く、大半がリザベーションで暮らしています。

フル・ブラッドとは部族を超えた結婚はあったもののヨーロッパ系の人たちとは混血をしていない人たちのことで、血の濃さが「100パーセント・インディアン」であることをあらわしています。もうひとつのタイプは、「新インディアン」「コンテンポラリー・インディアン」とされる人たちで、大都市近郊で育ち、その多くが「ブリード・ピープル」と呼ばれる「混血」で、生まれたときから一貫してキリスト教的な世界観のなかで育ってきた人たちです。

キリストはインディアンという見方

すべての信仰を敬うように教育されて育つのが普通の伝統派の人たちは、当然ながらキリスト教の主人公である人物をも心のどこかで敬いながら育ちます。愉快なことに伝統派の人たちのほとんどがヘブライ人のキリストを、自分たちと同じインディアンの生まれであると見ていたようです。(ラコタのメディスンマンのレイム・ディアーの伝記にはそうした記述がたくさん見られます)キリストは荒野という自然のなかで自然から生き方を学びました。これもまたインディアンの伝統にぴたりかさなるものです。だからクリスマスは、伝統派の人たちにとっては最初のインディアンの精神的指導者の誕生日になります。キリストは「星の人」であり、「神の具現」なのです。

では、アメリカ・インディアンにとってのクリスマスと、インディアン以外の人たちにとってのクリスマスとの決定的な違いはどこにあるのでしょうか? それは伝統派の人たちにとっては「毎日がクリスマス」だということです。毎日の夜が「聖夜」なのです。日々の食事がそのまま「聖餐」なのです。彼らは食事を食べるときにはかならず自分に与えられた食べものの一部を取り分け、それらを「4本の脚を持つもの」「翼を持つもの」「根を持つもの」「二本脚を持つもの」の代表として、スピリットの世界への捧げ物とするのです。祈りの言葉はキリスト教のものとはだいぶ違いますが、いずれにせよ「天におられる祖父」「スピリット」そして「守護天使たち」に向かって祈りの言葉があげられます。インディアンの人たちは「神出鬼没な天使たち」をごく当たり前に自分たちの信仰にかなうものとしてみています。いろいろなところに突然姿を見せて救いの手をさしのべる天使の存在は、インディアンとしての生き方そのものだったからです。彼らは弱い人や病んでいる人や救いを必用としている人たちに行く先々で手をさしのべました。食べものは貧しい人や病人にまず与えられました。彼らは与えるという行為のなかにとても大切なものが秘められていることを知っていたのです。

ほんとうの豊かさとはなんだろう

昔の生き方が可能だった時代、インディアンの子供たちは伝統的に「自分たちには必要なものが有り余るぐらい与えられているのだ」「われわれほど豊かな人たちはいない」と教えられて育ったのだそうです。インディアンの人たちがよく言う「創造主」あるいは「この世界のすべてのものをつくられた存在」は、創られたそのすべてを与えてくれていたのですから。水も、いのちの空気も、わたしたちの肉体としての大地も、わたしたちの心臓のような働きのエネルギーもなにもかも。

だから彼らはそのことに日々感謝をし、感謝のなかで生活をしていました。朝早く、太陽が昇る前に起き出して、昇ってくる太陽に向かって、夜明け前の空で輝く星たちに向かって祈りました。太陽が西の果てに沈むときには沈んでゆく太陽と宵の星たちに祈りました。無限に広がる宇宙空間のなかのどこかにいるいつか顔をあわせることになるであろう親戚たちに向かって祈りました。偉大なる精霊の息子が再びこの地球で生きることも同じように祈りました。

インディアンの人たちにとっては毎日がクリスマスなのです。クリスマスがずーっと連続していつまでも切れ目なく続いているのです。だから許可を得ることなく人のものを持ち去るようなことは起こりえませんでした。人びとが集まる前には薬草が焚かれ、その薬草が採集されるときにはその薬草が育った土地にあらかじめ必要なだけを採集するための許可を求めて、すこしの煙草の捧げ物が為されました。薬草を採取するときには根こそぎ奪い去るようなことはなく、地表にでている部分のほんの少しだけを切り取るようにして、その土地で再びその薬草の子供たちが育つように心がけました。

こうした昔に続けられた伝統的な生き方が消えてしまわないようにすることはとても大切なことかもしれません。同じようにこの地球で「地球に生きる人としての旅」をはじめたはずの日本列島に暮らしているわたしたちは、ずいぶん昔にそうした与えることを中心にすえた生き方から離れてしまったかのようにも思えます。ほんとうの豊かさとはなんでしょうか? 

クリスマスの朝、子どもたちに伝えること

クリスマスの朝、子供たちに、彼らが楽しみにしていたプレゼントが与えられるとき、贈り物というのは「与えられる喜び」を体験するためのものなのだということを教えたいものです。そしてその「喜び」が薄れてしまったら、その贈り物を他の子どもたちに「贈り物」として廻していくことを習慣づけられるような共同体にしたいものではありませんか。インディアンのリザベーションではひとつの人形が1年に8回も持ち主が変わって廻されて喜びを伝えていく光景は珍しいことではありません。

地球に生きる人の道というのは、自分のするすべてのおこないをスピリチュアルな行為にするということなのです。クリスマスの日であろうとなかろうと、自分が持っている不要なものを必要とする人がいるのなら、それをその人への捧げ物にすることで、毎日をクリスマスにかえてしまいたいものですね。

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Comments

こんばんは
確かに今年はAmazing Graceをよく聴きます…古い賛美歌というところまでは存じ上げておりましたが…
いつの頃からか惹かれて覚え、ワタシにとって「これは歌えます」みたいな曲になっていたので、不思議なご縁を感じます
カナダのスーザン・アグルカークもイヌイットの言葉で、無伴奏で歌っていますね
(Arctic Roseというアルバムに収録されています)

あたたかでやさしい気持ちを誰もがもう一度気付いて分かち合えるようになったらいいなあ

そう祈りつつ、メリークリスマスです…

Posted by: ロドリーグ。 | Sunday, December 25, 2005 at 12:08 AM

素敵な贈りものをありがとうございました。
(しかも歌まで♪)何よりのプレゼントでした。

私は今年、北山さんの大切なものを
このブログ、本、そしてお話から、
たくさんわけていただいたきました。

私はうれしくなって、すぐにそのことを家族や周囲の人に伝えたくなってウズウズして、
黙っていられなくなってしまうのですが、そうして誰かに話しをすると最後には話の内容ではなく、
私が熱くなっていることを笑い飛ばされるか、バカにされるか、友達を失いそうになるか、で終わるのです。

せっかくの嬉しい気持ちが悔しさと
自己嫌悪に変わってしまいましたが、人に話をするというのは難しいことだなと知りました。

でも、人にはなかなか伝わらくても
嬉しい気持ちやとまらないスマイルは言葉のいらない動物には通じるのかな?
最近では窓を開ければ鳥が飛んできてくれるし、道で出会う猫も犬も私を見つけてくれます。
山で出会った猿たちは、あたたかく私をほおっておいてくれました。
穏やかで静かな瞬間でした。

時の輪講座で熊と出会ったときのお話を聴いていたこと、猿たちが知っていたに違いないですね:-)

あっ!また話し過ぎちゃった!?


感謝の気持ちをこめて・・

メリークリスマスです。


Posted by: Y.Shima | Sunday, December 25, 2005 at 02:56 PM

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