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Tuesday, December 27, 2005

人間はミミズでもなければキツツキでもない

人間は「自分たちの生活に都合のいいように」に加えて「自分たちの主張に都合のいいように」自然を作り替える。そこまで進化したのかも知れない。
Over 40 カザリヤ・ジャーナル

昨日ぼくの書いた記事に即座にトラックバックをしてくれた Over 40 カザリヤ・ジャーナルが、ぼくの主張にはうなづけないとしてその理由を書いている(「本当の自然とは?生物が作り替えた自然」2005年12月26日)。引用したのはその結論にあたる部分だ。

なにが問題の本質なのか?

自然は、わたしたちの命綱であると、ぼくは考えている。自然をつうじてぼくたちは地球とつながっているのだと。自然という命綱が弱まると言うことは、そのまま地球が病にかかっていると言うことであるのだが、これを生きている地球の側から見れば、病気にかかっているのは地球ではなくて、「自分たちの都合のよいように自然を作り替えてきた人間」の内側と言うことになる。あるネイティブの人は「この病気で地球が死ぬことはない。この病気で死ぬのはわたしたち人間である」と言った。そうなのだろうとあらためてぼくは思う。

人間はあきらかに自分のことだけしか大切にしていない。カザリヤ・ジャーナルが言うように、人間はそれを「進化」として見る傾向にある。しかし大切な事実を忘れてはいないだろうか? そうした自己中心的(人間中心的)な人間の生き方・存在の仕方こそが、あまたの問題を引き起こしているのである。ミミズだってキツツキだって、ありとあらゆる植物や鉱物や動物が自然のバランスを壊す力を持っているわけではない。ミミズが川の水を飲めなくするだろうか? キツツキが酸性雨を降らせて木々を枯らせたりするだろうか? 海の魚が海を汚したのだろうか? 答えはNOである。彼らにはそんな力はない。

ひとり人間だけが他のそうしたいのちたちの持っていない力を持つ存在なのだ。これは人間が最も強い生き物であることを意味しない。自然のバランスを壊す力を持っているのは人間だけであるという事実を伝えているにすぎない。人間だけが自分自身を壊す力を持っているのである。ある人はそれを「自殺機械」と呼んだ。わたしたちにはそうした力があらかじめ与えているからこそ、伝統的な文化の多くが、本来は弱くて謙虚であるべき人間にとってふさわしい居場所がどこにあるのかを伝える話を今に伝えてきた。

アメリカ大陸の先住民族が、そうした話を今に伝えているのは、おそらく1万年程前に彼らの祖先がマンモスなどを絶滅させてしまった苦い体験を忘れないためではないかと思われる。ホピの人たちは「人間が創造主の教えを忘れたために前の世界が滅びた」という神聖な物語を語り継いでいる。

nacircle人間の自己中心的な生き方によってわたしたちの存在自体が危ういものになりつつある今こそ、先住民族のエルダーたちが言い続けているように、わたしたちは、未来の7世代のことに思いを馳せることをとおして、地球という惑星で生きる方法を学びなおすようにしなくてはならないのではないか。自分たちに都合のよいように自然を作り替えることが、これから生まれて育つ7世代にどんな影響を与えるだろうか? そんなことをいちいち考える必要なんかどこにもないと、あなたはいうかも知れない。それはあなたがほんとうの自然を生まれてからまだ一度も知らないからなのだ。

ほんとうの自然を前にしたときあなたはなにを考えるだろうか? これだけの巨木があれば大きな家が建てられると考えて、人間は木を切り倒してきた。石油なんかあるだけ使ってしまえばよいといまだに考えている。もしこの木を切ったら鳥たちが巣を作れなくなるのではとか、もしこの川の流れを変えてダムを造れば魚やけものや樹は水を奪われるのではないかとか、それがゆくゆくどんな未来をもたらすのかとか、自分がけものたちをひとつ残らず獲物として取り尽くしてしまったら、なにが起こるのかとか、そうしたことを考えずにこれまでやってきた。自分たちに都合のよい自然だけを自然として、自然を家畜化し、2000年近くやってきて、今わたしたちは最初の教えに戻るべき時にきている。

それは、「自分のとる行動は、自分の子どもの子ども、そのまた子どもの子どもにどんな形で影響を及ぼすだろうか」と絶えず問いかけ続けることである。

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Comments

人間が行う働きかけは「人間の都合」のみしか考えられないこと。それは常に人間の価値観だけでの判断だからだ。「進化」などという驕った言葉が使えるのも、人間の作り出したせまいせまい世界観=パラダイムのことしか見えていないからだ。
ミミズもキツツキも、そんなせまい世界に捕らわれてはいない。個をしかとしてもっていながらいつも宇宙そのもの(ワカンタンカ)との交流がある。それ故に彼らのもたらす「変化」は自然界・地球にとって調和をもっているのだ。

進化とは何なのか。
シャイアン族の人は言った。「変化はあります。しかし進化はありません。」
人間は「現在」という切り離された時空間の価値観で、現在の人間にとって都合のよいことは進化と言い都合の悪いことは退化と言う。先進国だの発展途上国だの言うのはその際たるもので。ダーウィニズムだって「現在の人間」を最終段階に置いての考えから抜け出せない。
人間は進化なんてしているのか。奴隷制と共和制を何度繰り返しているか。バビロニアの太古に地球は丸いことを知りつつ(その大きさまで測っていた)その後なんと長いこと平らな大地を信じ続けていたか。

「森は巨大なダムだよ。それも人間の管理するダムじゃない。神さまが管理しているダムなんだ。」
人間の都合だけの水を確保しようとするダムにニングルが言ったことばを思い出す。
「ワッカウシカムイ、オキクルミに伝えよ。人は、ヤイカムイになってしまいました」

人間が自然を「作り変える」などということを肯定する考えに触れるとき、神を真似て醜いもの達だけの世界を作り出したサタンは人間の自画像だ、との実感に身震いせずにいられない。ワカンタンカからとおくとおく離れてしまったニンゲンが世界を作ろうとしている。おそろしいことだ。

われわれは、われわれの友人がヤイカムイ(化け物)とならないために渾心を尽くさなければいけない。

Posted by: 山竒 | Wednesday, December 28, 2005 at 11:06 AM

進化=良い方向に向かった。退化=悪い方向に向かった。と言う意味、で使う言葉。だからカザリヤ・ジャーナルさんの、手前勝手な考えだと思います。
私は本当の自然を見ていないから、わかってないとは思うが…、自然は、ゆっくり時間をかけて育っている事はわかります。使い過ぎれば、元に戻すのは大変。とにかく人間は自分の都合ばかりです。しかも欲張ったり! 使ったら無くなるって考えればわかるんだけど…
私に何ができるんだろ-、とにかく必要な物を必要なだけ、といつも心がけています。
北山耕平さま、良いお歳を!(^-^)/~新月は30日?それとも31日?

Posted by: 美紀子 | Wednesday, December 28, 2005 at 10:27 PM

新月は「12/31 12:12 PM」ですね。新年1日にはうるう秒があるのだとか。妙にキリがよいのが気になるところではありますねぇ。

Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Wednesday, December 28, 2005 at 11:15 PM

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