マカー族の乙女は瞳で語る
およそ1ヶ月ぶりに右列サイドバー最上部のピースな写真を差し替えた。エドワード・カーティス(Curtis, Edward S., 1868-1952)が1915年に公開した写真の一枚で「マカー族の乙女」(クリックすると大きな写真が出ます)というタイトルがつけられている。こういうまなざしで見つめられたら、言葉を失うでしょ。
マカー族というのは北西太平洋沿岸の浜辺の5つの村に別れて暮らす海の人たちで、アメリカの国のなかで最も北西のカナダ国境に接したワシントン州のオリンピック半島というところに国を持っている。そのかつての生き方や暮らしぶりなどは、おそらく太古の日本列島ので暮らしていた海の人たちもかくやと思わせるようなライフスタイルだった。伝統的な(2000年以上続く)スピリチュアルな——ひと月も続く祈りと断食と清めの儀式をともなう——やり方で、カヌーを巧みに操ってクジラ狩りをすることをアメリカ合衆国政府に認めさせている海のインディアンのなかでは唯一の部族である。1920年代にアメリカの商業捕鯨産業が北太平洋で灰色クジラの捕鯨をしすぎたためにクジラの数が激減してマカーの人たちのクジラ・ハントは事実上休止状態に追い込まれたが、1999年の5月、ほぼ70年ぶりに、環境保護論者が反対し、世界中のメディアが注目するなか、カヌーを使う伝統的な昔のままのクジラ・ハントのやり方にのつとって灰色クジラ一頭をしとめた。そのクジラが周辺の村からマカーの人たちを支援しに集まっていたたくさんのカヌーによって岸まで曳航されると、初めてクジラを生で見た子供たちは目を丸くしてその大きさに驚愕したという。マカーの人たちを生き延びさせるためにいのちを捧げてくれたクジラに盛大に祈りがあげられ、クジラのスピリットが解放されて彼岸に送られた。しきたりどおり正しい敬意が払われた上でクジラは解体され、今に生きるマカーの人たちは、彼らの先祖を数千年間安定して生きながらえさせてきたものの肉を、70年ぶりに口にした。クジラの解体は夜通し続けられ、その肉は冷凍されたり薫製にされたりシチューになった。その出来事があった週、カナダや合衆国のあちこちから先住民の代表がマカーの土地を訪れて、マカーの人たちがもう一度クジラ狩りの伝統に還ったことを祝したと言われている。その後マカーの人たちは自分たちの権利である伝統的なクジラ・ハントを続けるべくいくつかの裁判闘争を争って今日に至っている。
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Comments
感心します。
勉強になりました。
彼らの文化に勝手に立ち入ってはダメですねよね。
自然と共生をしていないのは現代人のほうですもんね。
ありがとうございました。
Posted by: reo | Monday, December 12, 2005 07:39 AM
6年ほど前、妻とカリフォルニア州ヨセミテ、ワシントン州オリンピックのそれぞれのナショナルパークをレンタカーを借りて一週間ずつ見て回りました。AAAでもらったオリンピック半島の地図には北西先端付近にはリザベーションと書かれてあったのですが、当時はインディアンに関する知識もなくてその意味も知らず、訪れることもせずただ観光地として有名な“苔のホール”などや“ハリケーンリッジ”を見ただけで今思えばもったいないことをしたと思います。彼の地はヨセミテとは異なり訪れる人はほとんどおらず、一日ハイキングしても人に会わない日もありました(山の中ですが)。
たぶんマカー族の人々の住む近くの海岸だったのだと思うのですがそこで見た太平洋に沈む夕日の美しさがいまでも印象に残っています。今日の日記を拝見して、彼の地の素晴らしい風景が想い起こされたので嬉しくなり投稿しました。有難うございます。
Posted by: 聡哲 | Wednesday, December 14, 2005 05:05 PM