ぼくたちはそろそろ日本列島の自然についての認識を改めなくてはならないのではないか
この数字がなんだかわかりますか? ぼくは今『ネイティブ・タイム』に基づいて歴史を見つめなおすことを提唱しているが、そのなかでしばしば「日本列島の自然はあまりにも不自然な自然だ」「盆栽のような自然を人びとは自然だと思わされている」と言い続けてきた。われわれは本来の自然をあらかた失ってしまったのだと。ぼくたちのはるかなる先祖が今現在につながる生き方を選択して以来、およそ2000年近くの年月をかけて、日本列島本来の自然は波がひくように消え去り、もはやわれわれはこの島々の本来の自然の姿を想像すらできなくなっているのだと。
それにもかかわらず「日本の自然は豊かだ」というプロパガンダによって、ぼくたちは不自然な自然を自然だと思いこむことに疑問を抱かなくなっている。環境から本来の自然が喪失していると言うことは、「環境がその中に暮らす人たちの心の投影である」ということを信じるなら、われわれの内側にあった本来の自然もまた失われたと言うことを意味している。こうした話をすると、多くの人たちが「ほんとうなのか?」という顔をするので、かねてよりその事実を裏付けるデータはないものかと探していたところ、つい最近になって冒頭に掲げた数字を見つけることが出来た。
この「0.06%」という数字は、環境生態学者として「潜在自然植生(すべての人間の干渉を停止したと仮定したときに、現在の自然環境が支えうる自然の緑、森のこと)」を研究し、日本中の植生を徹底的に現地調査して『日本植生誌全十巻』という書物をまとめた横浜国立大学名誉教授で(財)国際生態学センター研究所長の宮脇昭先生が発表したもので「日本列島にどのくらい土地本来の森が残されているか」を示すものである。(左の図版は日本列島の潜在自然植生をあらわす。クリックすると大きくなる)
つまり日本列島に残されている森の99.94%は人間が手を入れて「家畜化」した不自然な森なのだということなのだ。先生はそれを「人工的な森」といっておられる。先生の意見をまとめると「今の里山のクヌギなどが中心の雑木林は人間が人工的に作ったもので、本来の植生はシラカシなどの常緑樹、海岸部は照葉樹林だった」「現在の雑木林は20年に一回の伐採と3年に一回の下草刈りが前提とされている森。それをやらないと維持することができない」「松にしてももともと条件の悪い山頂部などに限定して生えていただけのものを、人間が自分勝手に広げてしまった」「日本列島の森が不自然な森となったために自然災害が起こる」「元の土地本来の森に戻すためには、200年間は森に人間が手を加えないことが必要」「200年あれば元に戻る」ということになる。
200年かぁ。2000年かかって失われたものが、200年で回復するとしたら、母なる自然の力はそれだけ偉大と言うことになります。言っておきますが、200年手を入れなければ原生林になるというのではありません。先生は「現在の自然環境が支える土地本来の樹木を植えながら、人間と共存できる森をつくっていこう」と主張されているのです。「照葉樹林帯においては、『シイ、タブノキ、カシ類』という“三種の神器”といわれる常緑広葉樹を植えて、人類の生存母体である森を、何とか少しでも再生させていきたい」と。
2005年の3月に公開された宮脇先生のインタビューがここにあります。
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