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Monday, November 21, 2005

ヴィジョンの探求者として生きる

「インディアンはヴィジョンを追いかけ、白人はマネーを追いかける」
ジョン(ファイアー)レイム・ディアー
ラコタのメディスンマン

ラコタのメディスンマンの故レイム・ディアーの言葉のなかで印象に残るもののひとつで、彼の伝記(『レイム・ディアー インディアン魂』河出文庫)のなかに出てくる。彼はまた、自分たちの隠語として、ドル札のことを「緑色の蛙の皮」と呼んでいるともいっている。グリーン・フロッグ・スキンだ。車に轢かれてアスファルトの道路の上で干からびている蛙の皮が遠くから見ると一ドル札(グリーン・バック)に見えるかららしい。インディアンにとってのヴィジョンと、白人にとっての金というふうに、両者が本質的に求めているものの違いを鮮明に浮き上がらせているのがなんとも興味深いではないか。大地に根を生やしたものと、スピリットが大地から切り離されたものの、生き方の違いがここに鮮明に見て取れるわけだ。

ネイティブ・ピープルは、もともとヴィジョンというものにたいする感覚がとぎすまされている人たちである。ここでいうヴィジョンとは、国や企業の「長期的計画」とか「目標」とか「計画」というものを意味しない。貯金や保険による個人の将来設計でもない。それはふだんは目に見えないものを見る能力、あるいはその力によって見えた特別なものを指し示している。もちろんヴィジョンがわたしたちの未来を決定づけているという観点からすれば、それは「生きるための目標」と言ってもいいだろう。ネイティブ・ピープルであるということは、生まれついてヴィジョンにたいする知識と能力に秀でていると言うことなのだ。彼らは生涯これを求め続ける。

彼らにとってのヴィジョンは、どれもこれも「偉大なる精霊」と必ず関係がある。わたしたちの生活の隅々にまで創造主の意思が行き渡っていることを、彼らは日常的に認識している。必要なのは、一族のものたちについてのヴィジョン、健康的な人間関係についてのヴィジョン、互いに助け合うことについてのヴィジョン、幸福でいることについてのヴィジョン、学び続けることについてのヴィジョンといったもの。日々わたしたちは自分たちのヴィジョンを新しくしていかなくてはならない。創造主がわたしたちをそうあらしめたいと願われる存在に自分がなれるようなヴイジョン、人生において立ちあわせたいと考えておられる場所に自分がいれるようなヴイジョンをお与えくださいと、人は偉大なる精霊に頼み込むべきだろう。金を追いかけて、買えるものを次々と手に入れることを果てしなく求めるのではなく、どこまでもヴィジョンを探求する人間であり続けること。「お金で買えないものはない」なんて胸をはるのではなくてさ。

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