アース〇サークルから「北山耕平の連続講座」のご案内
アース〇サークルはWPPD2004を契機として誕生した「地球のネイティブであるとはどういうことか」を学ぶ非営利の団体です。小生は今年、これまで東京でアース〇サークルの主催で二度講演会を行いました。講演会に参加いただいた方々から「もう少しつっこんだ話をしてもらえないか」という声があがったのを受けて、アース〇サークルの主催、『時の輪講座 インディアンの目で見た日本列島の歴史を語る』というテーマで連続講座を行うことにしました。これは冬から早春にかけてのストーリーテリングの季節だけの特別講座であって、講演会ではありません。できるだけたくさんの人に来てもらうためにおこなうものではないことをあらかじめおことわりしておきます。すでにアース〇サークルとご縁のあった方々を対象に一次募集をすませておりますが、今回募集の受け入れ枠を若干名広げて、最大で8名ほどを追加募集することになりました。以下に、アース〇サークルからのお知らせと、小生からのご案内とをそのまま掲載します。興味のある方は続きをクリックしてお読みください。
始まりもなければ終わりもない時空を超えた精神の旅へ
北山耕平 「時の輪」講座
「インディアンの目で見た日本列島の歴史を語る」
連続講座 第一期/講師:北山耕平
会場:国立オリンピック記念青少年総合センター(代々木)
センター棟会議室 ウェブサイト
日程+プログラム:全4回
- 2005年11月25日(金)われわれは どこから来たのか
- 12月16日(金)われわれは いまどこにいるのか
- 2006年 1月20日(金)われわれは なにものなのか
- 2月24日(金)われわれは どこにむかうのか
時間:18:30より19:00pmの間(講座の開始時間は検討中)〜21:45pm 終了
教科書:『ネイティブ・タイム』北山耕平著、地湧社刊(定価 ¥5000−)
お手元に無い方は、会の方で、一括購入いたしますので、申込み時にご注文ください。(Bでの申し込み)
受講料:全4回/A.¥16000−(受講料のみ)
B.¥20000−(教科書込み)
●基本的には、連続講座なので、全4回一括申し込みといたします。
●資料代+テキスト代 込み。
●定員30名 定員に達したために受付は終了しました。
応募について:簡単な自己紹介文を提出。
申し込み方法:氏名・連絡先(Tel、Fax、携帯、E−Mail、住所)・年齢・職業、自己紹介文(200字〜400字以内)と、AかBを明記し、下記まで送信してください。
申し込み先:アース〇サークル Email kazeohiraku@hotmail.co.jp
FAX 03-5486-9847
主催:アース〇サークル
皆さま、いよいよ、ネイティブモンゴロイドとして日本列島に住む私たちの元々の歴史の目を開く 学びがはじまります。北山耕平さんと共に、秋〜冬〜早春にかけて、講座の輪の中で 深く 学んでゆきましょう。アース〇サークル
「時の輪」講座に寄せて 文・北山耕平 ネイティブ・ジャパニーズを探す精神の旅へ
いまから20年近く前、ネイティブ・アメリカンのあるエルダー(長老)に「人間が自分の足で辿らなくてはならない、もっとも長く、かつ神聖な旅路は、おのれのマインドからハートに至る道だ。そのことを生涯忘れてはならない」と言われたことがあります。「マインドからハートに至る長い道」という言葉がその時以来わたしの頭に焼きつきました。「このマインドからハートに至る道」とは「アタマからココロに至る道」のことです。 わたしがアメリカ・インディアンについての最初の本『ネイティブ・マインド——アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(地湧社刊)のもととなる原稿を書いていたのは1980年代の後半のことでした。70年代後半にアメリカで知りえたアメリカの先住民のことを、日本列島で生きている人たちに知ってもらいたくて、考えた末にそのタイトルを選びました。アメリカ大陸ではコロンブスが到来するまでは「日本でいうところの縄文時代が続いていたわけか!」という自分にとって「腰をぬかすほど」の発見と、「日本人は白人と商売がいちばん上手なインディアンだな」というディネ(ナバホ)の青年に言われた言葉に触発されて書き綴ったものです。 もともと「インディアン」でありながら、われわれはなぜかインディアンの道から遠く離れたところにきてしまっていると、実感したのです。思えばその本以後の十数年近くを、わたしは文字どおり「マインドからハートへの旅」を続けてきたということになります。2001年に同じ地湧社から本にした『ネイティブ・タイム——先住民の目で見た母なる島々の歴史』は、まさしくその旅のサインポスト(道案内)として、利用してもらうための道具です。 自分がなぜ日本列島に生まれたのかということに疑問を感じた人はいつかこのマインドからハートにいたる旅に出なくてはなりません。それはまた心の奥底に厚く積もっている「差別」と向き合い、それらをひとつひとつ溶かしていく癒しの旅でもあります。なぜ日本列島の自然が極端に矮小化されてしまったのかについて疑問を感じた人は、日本人としての歴史がまずは自然を差別するところからはじまっていたことに気がつくでしょう。われわれはいつどのような形でネイティブであることをやめて日本人になったのかを、ともに考える絶好の機会を提供します。 日本列島に生まれた「ネイティブ」としてもう一度母なる島々に、その自然に直接触れ、その声を聞くためには、どんなにたいへんであろうとも、われわれは少なくとも数千年から数万年の時間を遡るための想像力を持たなくてはなりません。その想像する力の助けとなる様々な情報を、無数に集めて年代別に編集整理したものが国家の歴史( HIS story )ではなく母なる日本列島で生きた先住民の年代記( HER story )である『ネイティブ・タイム——先住民の目で見た母なる島々の歴史』であり、それを今回わたしは自分なりの風の言葉にしてみなさんの耳に送り込みたいと思います。それはストーリーテリングの大きなチャレンジでもあります。といっても無味乾燥な歴史の勉強ではありませんから安心してください。さながらお風呂にでも浸かるように数万年の昔への旅を体験してみませんか。必ずや「日本列島」を見る目が変わることでしょう。 わたしたちが学校で習い、わたしたちの子供たちがあいかわらず学校で学ばされている日本の歴史というものは、偏狭で好戦的な愛国主義者たちが望むように、日本という国家を愛する子供たちを多く作り出した/作り出すかも知れませんが、母なる日本列島とその自然を愛する子供たちを生み出すことはいまだかつてなかったし、今後もないでしょう。世界中の先住民は、自分たちが偉大なる精霊から与えられた大地の上に後天的に作られた征服国家を「一枚の絨毯」と認識しています。その絨毯をくるくると巻きあげると、その下には手つかずの自然が息づいていて、祈ることによってその自然をよみがえらせることができるという予言が多く残されていたりします。 日本列島の自然は沈黙しつつあります。なぜなら彼女の声を聞く人たちが急速にいなくなりつつあるからです。わたしたちは数万年の旅路をさかのぼり、時空を越えて、地球のネイティブであるとはいかなるものであるかを、自分のアタマとココロとカラダで体験し、理解し、国家という名前の一枚の絨毯の下で息づいているものに触れなくてはならないときがきているのかも知れません。日本人の歴史を越えて、日本列島に生きる地球の人のスピリットに触れてみましょう。そのスピリットに触れてその力と自分のハートとをひとつにつなぎあわせることがないかぎり、何千年暮らそうと人はその土地のネイティブになり得ないのです。 この長い旅は、実に発見と驚きに満ちた旅。あたりまえだと思っているものがほんとうはあたりまえでもなんでもないことを知ることができる旅です。どうかネイティブ・ジャパニーズとしてのもう一人のあなたを発見してください。 この講座がその旅の道案内としてお役に立てば幸いです。 |
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Comments
>わたしたちが学校で習い、わたしたちの子供たちがあいかわらず学校で学ばされている日本の歴史というものは、偏狭で好戦的な愛国主義者たちが望むように、日本という国家を愛する子供たちを多く作り出した・・・
この部分に疑問を感じました。
昨今の教科書騒動でもおわかりになるとおり、戦後日本の子供が歴史の時間に刷り込まれたのは、「日本悪玉史観論」です。
決して「愛国主義教育」ではありませんよ。
私はそんな教育を受けましたから。
しかし、最近いろいろなことがわかり、「日本は悪い国だ」という洗脳が解除されました。
実は10年以上前に「ローリング・サンダー」を読んだのもそのきっかけのひとつです。
失礼ですが、もう一度「日本の子供が刷り込まれている日本の歴史教育」について調査されてはいかがですか?
「あいかわらず学校で学ばされている日本の歴史」は、「日本を愛せなくするための教育、日本は有史以来悪いことしかしてこなかった国」という某新聞に代表される「歴史観」ですよ。
Posted by: mikasa | Saturday, November 12, 2005 01:29 PM
mikasa さま
わたしが述べているのは、なにゆえに日本列島の自然はこれほどまでに汚れたのか、ということです。なにゆえにこれほどまでにゆがんだ自然を自然だと思いこんでいるのかということです。日本近海の海が世界で最も汚れてしまった原因は「教育」にあります。日本列島の森がかくも荒れてしまった理由もまた原因は「教育」にあります。富士山がゴミの山になった理由もまた「教育」にあります。ここでわたしのいう「教育」とは学校だけの教育とは限りません。親が子供にたいする教育も教育です。共同体の個人への教えも教育でしょう。おおもとのところで自然から切り離されている官製の歴史教育は、右であれ左であれ、そういう教育を放棄したところからはじまっているのです。日本という国家を愛するほどには日本列島の自然を愛さない人たちを何故こんなに多く排出したのかということです。それ以上でもないし以下でもありません。なにゆえに聖なるものを、わたしたちは自然のなかに見れなくなってしまったのかということです。
mikasa さんは日本という国をどのように観ているのでしょうか?
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, November 12, 2005 02:08 PM
北山先生
>わたしが述べているのは、なにゆえに日本列島の自然はこれほどまでに汚れたのか、ということです。
今回のエントリーの全体で述べられている骨子は理解しているつもりです。
何度も拝読させていただきました。
しかし、私がどうしても引っかかったのは、先に述べた部分です。
先生が「あいかわらず」と仰っているのは「自然を大切にしないようになってしまう教育」ということなのだとは思いますが、この文章から受ける印象は、「日本万歳という教育」を受けている、というものです。
事実「日本を愛せない教育」を受けているのにもかかわらず、愛国教育を受けている、という書き方をされています。
日本の自然が壊れているのと同様、世界の自然も壊れていると私は感じています。
日本だけではありません。
毎年のように世界で起こる災害などは、何かの啓示にように思えてなりません。
アインシュタインが言ったように、
「人間の邪悪な心を変えるより、プルトニウムの性質を変えるほうがやさしい」
というのは本当なのかもしれません。
しかし、彼は同じ口で
「人間性について絶望してはいけません。なぜなら、わたしたちは人間なのですから」
とも言っています。
愛しているなら大切にするはずです。
しかし、本当に愛していないから大切にしないのではないのでしょうか。
某国がやっている「愛国教育」は、他国を憎む教育です。これは、本当に自分の国を愛する教育ではありませんよね。
同じように「我が国万歳」という教育も自然な愛が湧いてくる教育ではないと思います。
そして何よりも戦後日本が行ってきた「加害者の国日本」という教育は、まさに自分の国を愛せない人間を育てる教育だと思います。
そんな教育を受けた人間が親になり、そして子供を育てます。それがずっと続いているのが現状でしょう。
私は北海道出身です。
ご存知のように北海道には先住民族がいました。
私が「ローリング・サンダー」に感銘を受けたのは、そのことと決して無関係とは思えません。そして、自然と共存しながらも、今現実に生きている世界の問題と立ち向かうローリング・サンダーの姿に「人間はかくあるべし」と教えられた気がしました。
自然と人間が離れていった原因のひとつに「優越感」があるのではないでしょうか。
人間という生き物の方が優れている、という傲慢さが、自然破壊をはじめ、人種差別やいじめなどの問題の根源のような気がします。
これは私の解釈なので、人によって違うとは思いますが。
ローリング・サンダーは、人間の方が自然より偉いなどという考えを持っていませんでした。
読んでいて一番感動した章は、「薬草を集める」です。
ダグ・ボイドが蚊に悩まされている間、ローリング・サンダーは全く蚊の餌食にならなかった、という理由です。
「ヴァイブレーション」だというのです。
人間のとる態度にはおのずとそれ相応のヴァイブレーションがある。そうやって自然界と「会話」する、という部分です。この場合は「蚊」でしたが、これは自然に対して人間が発してるヴァイブレーションがどのようなものなのか、今現在の自然を見ればわかります。
>mikasa さんは日本という国をどのように観ているのでしょうか?
日本は私にとっては「母親」であり、「子供」でもあります。
私は日本人として生まれてきたことに何か宿命を感じています。
それが何なのかは、はっきりとはわかりません。
しかし、この不思議な形をした島に生まれたことが、私にとっては重要なことなのです。
日本の歴史を紐解けば、不思議な話がたくさんあります。
近代では、例えば、日本が最も過酷な支配をした「朝鮮半島」。彼らは日本人がいかに残酷であったかと吹聴しています。私もこの半島を植民地にしたことは肯定しませんが、私を一番驚かせた事実があります。それは、日本人があの国の土地に、せっせと「植林した」という話です。(これは当時支配を受けていた朝鮮人が認めています)
日本人は自然を愛していないはずなのに、何故、植林したのでしょうか。
事実は逆だったのだと思います。
もともと日本人は自然を愛しているのだと思います。
まだまだ勉強中ですが、私は日本人に絶望していません。
この国は、必ず良くなります。
私の大切な祖国ですから。
長々と失礼いたしました。
「ジャンピング・マウス」を今読んでいます。
今後も、このような物語を紹介していただきたいと思っております。
そして、私のコメントに対する誠実な返答に感謝しております。
ありがとうございました。
Posted by: mikasa | Saturday, November 12, 2005 07:42 PM
mikasa さんの書かれた文章のなかの「日本」という箇所を「日本列島」に、「日本人」という箇所を「日本列島人」と置き換えると、わたしが話していることとほぼ同じになります。
貴兄が無意識に「日本」「日本人」と使っている言葉そのものに、小生は大きな疑問を抱いたのです。これは自分がなぜ今ここに存在しているかという問題と不可分だし、きわどい話になってしまうので極力公開の場ではしないようにしてきたものですが、わたしたちは「日本」「日本人」という言葉の裏側にある二千年近く積もり積もった「自然なるものの差別」から目をそらし続けています。もともとこの島々に「日本人」がいたわけではないのです。日本列島にはいくつかの国があり、そのなかのひとつが他の人たちの国を吸収する形で拡大して混血を繰り返し、差別を利用することで「日本人」を作り上げてきたのであり、オリジナルを喪失したという点で、この意味では「日本人」は「アメリカ人」ととてもにています。アメリカ人というのがほんとうは存在していないように。先住民がいたのは北海道だけではないのです。
明治時代になるまで、表の人口と同じぐらい、戸籍に載っていなかった人たちが存在して、別の価値体系の世界がそこに形作られていたことなど、まったく知る必要もないのだといわんばかりに、知らされることもなく育つわけです。
わたしは人間であることに絶望をしていないけれど、日本人であることには深い悲しみを抱いています。日本人は日本人として自然を愛しているのであり、ひとりの地球に生きるヒトとして自然を愛しているのではありません。盆栽のように自分たちの自由になる自然しか自然としてみないのです。かつてローリング・サンダーがぼくにこういいました。「同じインディアンでありながら、おまえたち(日本列島人)はどうして世界でいちばん高い値段を付けて自分たちの母親である大地を切り売りすることが平気なのか」と。大地にたいする考え方が、180度異なっていることに驚愕しました。なぜわれわれは土地を売り買いすることに麻痺してしまったのでしょうか。自分たちに都合の良い自然しか愛していないのです。都合の悪い自然は都合の良いように変えられると非常に早い時期に思いこんで、その道を突き進んできた結果が今なのです。
わたしは日本列島に生を受けたことに宿命を感じています。
わたしたちは人間として生まれて、日本人になるように教育され続けて育つのです。
日本人が自然を愛しているのではなくて、日本人のなかにある人間の部分がどうしようもなく自然を必要としているのです。
日本列島がもう一度豊かな森と美しい海岸線を取り戻すという夢をわたしは捨てたわけではありません。この島はわたしが生まれ自分のスピリットを確認した島でもあります。
古来「国破れて山河あり」といいます。わたしは日本を愛するよりも、日本列島を愛おしいと思うものです。
わたしのいう歴史の反省というのは、百年二百年の単位ではなく、千年から数千年の単位をいいます。日本人というものの成り立ちの最初に「嘘」があれば、いくら美しく繕ったとしても、その美しさは頼りないもの、中身のないものだと信じます。歴史のはじまりにさかのぼることによってのみ、このいやしがたい差別感に終止符を打てるのだと、わたしは信じています。
この話はもうこれまでにしましょう。どのタイムスパンから日本と日本列島を眺めているかで、話は実のあるものにならないかもしれないから。わたしがネイティブ・ハートというブログを続けているのは、「地球に生きる人間」に絶望していないからです。少なくても有意義な会話ができたことをうれしく思います。
どうもありがとう。 北山耕平
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, November 12, 2005 08:41 PM
お二方のお話、すごく勉強になりました。
>私達は人間に生まれて、日本人になる教育をうけて、育つのです。
ドキッ、としました。
私は人間。私は日本人。だけど、
野性や本性と理性、本能と順応は、→自然と不自然 ぐらいに違うんだ。と感じました。
自然って、どこからどこまでを言うのだろ〜、すごくおっきな、視野で見る事を考えさせられました。
ありがとうございます。
Posted by: 美紀子 | Sunday, November 13, 2005 12:50 AM
初回の講座が無事終了した。第1回ということもあってオリエンテーションの部分がかなりを占めたが、あと3回でなにを学ぶのかということの予感はもたれたのではないかと思う。次回からは歴史のサーフトリップです。もう一度自分のスピリットを日本列島とつなぎあわせるためには避けて通れない世界の旅がはじまります。頭からハートへの旅は時間と空間の旅でもあるわけで、この冬の講座では「時間の旅」のガイドをさせていただきます。分厚い時間旅行マニュアルをお手元にご用意いただき、シートベルトをおしめください。日本列島のさまざまな力の場所を訪れる空間旅行もいつか企画してみたいのですが、それまでは各自が自分の場所(聖なるポイント)探しにお励みいただくとしましょう。
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Sunday, November 27, 2005 11:51 AM
アースハート
Posted by: アースハート | Saturday, October 14, 2006 08:55 AM