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Saturday, October 15, 2005

単行本「ジャンピング・マウス」(太田出版刊)のまえがき 再録

以下は今年の春の終わりに出版された単行本『ジャンピング・マウス』のまえがきそのままの再録である。したがって本をお読みいただいた人には無用のものかもしれない。再録する目的は、いまだ本を読んでいなくて、その中身がどのようなものか想像している人に、実際に本を手に取ってみようと思わせるための情報提供である。シャイアン一族に残されてきた「ジャンピング・マウス」とはいかなるお話しなのかということを、出来るだけたくさんの人たちにわかっていただきたいと思うし、今回紹介するものが、これまで日本で紹介されてきたいくつかの「ジャンピング・マウス」のお話しのバージョンと、どこがなぜ異なっているかを知っていただきたいと思ったからである。

▼ジャンピング・マウスのまえがきを読む。


い伝えによれば、昔むかし、今ではもう誰も思い出せないぐらいはるか遠い昔に、木や、草や、石や、山や、雲が話をした時代があったという。そしてつぎに、動物や鳥たちや魚たちが今の人間たちのように話をした時代がくる。世界各地に残されているネイティブ・ピープルの伝承によれば、この時代は、のちに全地球規模の洪水によって跡形もなく押し流されてしまうことになるのだが、その時代のことは「動物たちがまだ人だったころの話」として、地球に根を生やして生きる人たちの間に、つまり伝統的な生き方を大切にして部族的な価値観をまだ失っていない人たちの間に、いまだにいくつも語り継がれている。

 本書のタイトルにもなっている「ジャンピング・マウスの物語」も、そうした時代の話のひとつである。

画 相馬章宏(コンコルド・グラフィックス)
mouse
 この物語は、北米先住民、いわゆるネイティブ・アメリカン・ピープルのなかの、大平原の民(プレーンズ・ピープル)とされるシャイアン一族に伝えられた「自分を与えつくすこと」を教えるサンダンス・ストーリーであるとされている。居留地に押し込まれる前のシャイアンは大平原を常に移住して定住することがなかった人たちであり、一族が顔を合わせるのは毎年夏の祭りぐらいしかなかった。サンダンスというのは夏至のころにおこなわれる部族の大例祭で、自己の肉体を偉大なる神秘に捧げて、祈りを聞き届けてもらうための、平原の民が守り続けている伝統ある神聖な祈りの踊りのことで、自分の胸板の筋肉など肉体の一部にクマの爪を用いて穴をうがち、そこに木の短い串を貫通させて、棒の両端を長いロープで祭祀の場の中央の高い御柱に結びつけ、太陽を見ながら胸板の肉が千切れて体が自由になるまで、あるいは本人がへとへとに疲れ果てて意識を失って倒れるまで、飲むものも食べるものもなく、イーグルの骨で作った笛を口にくわえたまま、ひたすら四日四晩にわたって体を激しく前後に揺すりつつ踊りつづけるという強烈な痛みとエクスタシーの伴う過酷な祈りの儀式だ。

 これからお読みいただくジャンピングマウスの物語は、シャイアン一族の宗教哲学の中核にあるそのようなサンダンスの本質の部分(祈りを聞き届けてもらうためには自己を捧げ物としてとことん与えつくせという神聖な教え)を世代を超えて伝えるための物語として、古来より一族の間で門外不出とされてきたものである。

それまで長いこと口伝で大切に伝えられてきたこのシャイアン族の言葉で語られた物語を、メモをもとに最初に英語に翻訳して公表したのは、ロビン・リジングトン(Robin Ridington)という人類学者で、一九六九年の十一月にニューヨークで開かれたアメリカ人類学協会の年次総会の場においてであった。彼の情報源でありこの物語を教えた教師は、記録によれば平原インディアンのクロー族のヘメヨースツ(ウルフ)ことチャック・ストーム( Chuck Storm)という人物であった。そのときの講演は後に活字化され年次報告として翌七十年に公開されている。

 次にヘメヨースツ・ストーム(Hyemeyohsts Storm)という名前の−−シャイアン族とクロー族という長年対立するふたつの部族の血を受け継いでリザベーションに生まれたと主張する−−ひとりのネイティブの作家が、彼の最初の自著のなかでこの物語の、先のものとは多少異なるバージョンを発表したのがその二年後の一九七二年のことだった。おりしもその年はスウェーデンのストックホルムで世界の少数民族の精神的指導者などの代表らも参加して国際連合が人間環境会議を開催し、宣言のなかで「地球の危機」がうたわれた年でもある。まだ子供だったヘメヨースツ(ウルフ)・ストームがこの物語を一族の年寄りから聞かされたのは、合衆国政府によって先住民の宗教儀式の大半が違法とされていた一九四〇年代のことだったという(余談だが、アメリカ南西部のホピ族とナバホ族の土地でウラニウムが最初に発見されたのも、一九四〇年のことだ)。二十余年の孵化期を経て、はじめから流ちょうな英語で書かれたジャンピング・マウスの物語が、彼の最初の著作である『セブン・アローズ』(バランタインブックス ハーパー・アンド・ロー社刊 一九七二年)に収録されることになった。彼が前述のチャック・ストーム本人なのかどうかについては、彼は口をつぐんだままだ。おそらくそうなのだろうと推測される。

 ではなぜ彼は「自分はクロウとシャイアンの両方の血を受け継いでいる」と主張したのか? クロウ族に生まれた彼が、長く敵対してきたシャイアンが秘密としてきた物語を公開するためには、自らのある部分をシャイアンになりすます必要があったのかもしれない。アメリカ・インディアンの権利回復と精神復興の動き、一般白人社会の先住民に対する認識の変化と新しい意識の獲得に後からしたがう形で、アメリカにおいて百年以上もの間禁止されていたネイティブ・アメリカンの宗教行為のすべてが合衆国政府によって完全に合法化されるのは、さらにそれから六年後の一九七八年のことであった。

 ヘメヨースツ(ウルフ)・ストームの『セブン・アローズ』という小説は、シャイアン一族のなかのナイト・ベアという人物と彼の一族がたどったとされる戦いの道の顛末と、その世界−−平原インディアンのシャイアン族の精神世界−−におけるスピリチュアルなものの探求を小説化したネイティブ・アメリカンの文学の最高峰のひとつと呼べるかもしれないものであり、そのなかで一族に伝えられた重要な自己発見と内的成長の教えの物語として挿入されているのが、このジャンピング・マウスの物語である。

 シャイアンの人たちが長く秘密として世に出すことをさけてきたジャンピング・マウスの物語が、こともあろうに伝統的に敵対してきた部族であるクロウの人間によって一般に公開され、また小説のなかに描写されたいくつかの儀式がシャイアンのものとはかけ離れていたために、小説『セブン・アローズ』はその後政治的にふたつの部族間の間で、そして一般の人たちを巻き込んで、かなりの物議をかもしだすこととなる。

 二〇世紀後半にこの物語が世に出されて以来、アメリカの一般社会においても「ジャンピング・マウスのおはなし」は、その部分だけが印象深い平原インディアンの伝説として取り出されて、いろいろな使われ方をしてきた。だからある意味ではこの物語こそが、アメリカという国において広くアメリカ先住民に対する一般社会の見方を変えるきっかけになったものと言っても、あながち間違いではないかもしれない。

 その結果、これだけが絵本になっていたり、ラジオでドラマ化されたり、人間性開発運動のシンボル的な物語にされたりしつつ、物語自体も時代とともにゆっくり変容してきた。あるものでは本来特別な名前など与えられていなかった主人公に、きわめてヨーロッパ的な少年の名前が与えられていたり、前半部分の、一匹の野ネズミが退屈な日常生活のなかで非日常的なものの存在に気がつく部分がまるごとカットされて、いきなりあこがれの遠い土地へ旅に出る野ネズミの話にされていたりと、六〇年代末から七〇年代初頭にかけて時を前後して同じストームという人物によって英語世界に紹介されたふたつのバージョンのものとも、そしておそらくはシャイアン一族の言い伝えにもっとも近いであろう形の物語とも、かけ離れてきてしまっているものも多い。

 現在ではそうやって変形したものがインターネットのうえでしばしば公開される機会も多くなった。また作家でありアイオワ大学で教鞭もとるヘメヨースツ・ストーム自身も、自らのホームページで自著『セブン・アローズ』のなかからこの物語の部分だけを抜粋し「バランスとスピリットを伝える不思議な力の物語」として公開している。

 ▼Jumping Mouse : http://www.hyemeyohstsstorm.com/7frecce/emouse2.htm

 わたしがこの物語をはじめて接したのは、インターネットの夜明けもほど近い一九七八年のことで、南カリフォルニアのロスアンゼルス市にひとりで暮らしていたときのことだった。完全に「日本」という国から−−へその緒が−−切れた状態で、新しい生き方を模索するのにいそがしく、日本に帰るかどうかもわからない不思議な、そして微妙なバランスのうえにある精神状態だったことも手伝って、ヘメヨースツ・ストームという奇妙な響きを持つ名前の著者でありストーリーテラーが著した英語版の『セブン・アローズ』という本を一読して激しい衝撃を受けたことは、つい昨日のことのように覚えている。『セブン・アローズ』はネイティブ・ピープルの信仰とそのうえに築かれた世界を描いた小説でありながら、全体としてはさながら古代中国の『易経(変化の書)』のようにそれを開くものの心のありさまを写しだしていたからだ。それは文字で記されたプレーンズ・ピープルの世界の曼荼羅といってよいものかもしれない。

ovest7arws とりわけわたしの心をつかまえたのは、ジャンピング・マウスがほんとうの自分を知るために自己を犠牲にして成長していく物語の部分だった。わたしのネイティブ・アメリカン・ストーリーテリング探求の原点がここにあるといっていいだろう。あきらかにわたしは、この物語に登場する野ネズミの旅と自分の旅(人生)とを、そのとき完全に重ね合わせて読んだのだ。親元を離れ、家を離れ、母なる国を離れて、早急な成長を迫られていたわたしは、不思議な力に惹きつけられ、読み終えた後は、しばらくは涙をおさえることができなかった。そのとき以来わたしはこの物語とともに旅をつづけることになる。

 ネイティブ・アメリカンの世界に深く足を踏み入れてからは、この物語のオリジナルを、可能な限り最初の形に近づけるものを探し求め続けた。そして、時期がきたら、つまり、わたしにこの物語を語って聞かせるような相手ができたら、いつかこの物語を、できるだけオリジナルな形に近いところまで復元したものを、なんとか自分で、自分の声で、日本語にしてみたいものだと思い続けた。なぜならネイティブ・ピープルのストーリーテリングの技法を学び続けてきて、物語にとってとりわけ重要なのはそれが語られる声であり、それを語る人間の意識のありようであると、わたしは信じるに至ったから。

 日本においてこの物語の部分が日本語で活字化されたのは、一九八〇年に、日本のニューエイジ運動のゴッドファーザーの一人で『空なるものに捧げる愛の歌』(講談社刊)などの著作があるおおえまさのり氏が「アメリカの友人が話してくれた平原インディアンのスー族に伝わるお話」として『じゃんぴんぐまうす』(いちえんそう刊)を自家出版されたのが最初である。あいにく当時わたしは日本で暮らしていなくて、おおえ版『じゃんぴんぐまうす』を手に入れるのは何年かあとになる。東京の西荻窪にある新しい生き方を探している人のための本屋であるブラサード書店で購入したそれは、手描きの絵の版画が挿入された五〇ページほどの忘れがたい装丁の−−手漉きの和紙のような長い紙を本の大きさに折り畳んでボール紙の表紙をつけただけの——シンプルな本で、一冊一冊におおえさんの自筆のサインがされていて、ボール紙の箱におさめられ、まるで仏教の経典のような雰囲気がたちこめていた。今手元にある同書を改めて読み直してみると、それはヘメヨースツ・ストームの小説『セブン・アローズ』のなかのお話を下敷きにされて、メディスン・ホイールという平原の民の世界観を伝えようとしているようにも読める。そしてその十二年後に、ネイティブ・アメリカン研究を専攻にする立教大学助教授の阿部珠理氏(現在は教授)が、大著『セブン・アローズ』を完訳されて、全体が三部作「聖なる輪の教え」「心の目をひらく旅」「よみがえる魂の物語」(それぞれ地湧社刊)となり日本語で読めるようになったのである。

 それからも、さらに十年ちかくの歳月が流れた。環境の危機、自然の喪失が叫ばれ、先住民の伝統的な生き方にたいする意識が高まり、地球には新世紀が到来した。この間、日本でもアメリカ・インディアンに関する書物が多く出版されるようになったし、時代の閉塞感を超えていくための鍵となるものが先住民的な、あるいは部族的なものの見方や考え方や生き方(生き残り方)にあるのではないかとうすうす感じている人たちも増えた。時代は大きく変わりつつあるようである。いや確かに時代は変わったと言ってよいのかもしれない。それでも、いやだからこそ、生きることの厳しさはいや増しに増してきている。いくつものネイティブ・ピープルの予言が伝えているように、愚かな振る舞いを公然とおこなう人たちの数も増えた。今はただ生きればよいという時代ではなく、バランスと調和の世界を実現するためには、生き残るために努力を求められる時代である。だからこそ二一世紀になってもなお、この無垢の精神による内的な成長と自己発見を主題とした「自分を偉大なるものに与えつくす教え」を伝えて長く秘密とされてきた物語は、わたしのなかでいささかも輝きを失ってなどいない。いや、むしろそれどころか、ありとあらゆる価値が崩壊し、絶望と不安がまん延しつつあるこの世界でも、聖なるサンダンスを象徴する自己を捧げ物としてほんとうの自分と出会うこの物語は、なおいっそうの輝きを増しているようにも思えるのだ。

 ジャンピング・マウスの物語は、現在わかっているだけでも四種類の底本というか異なるバージョンがある。大幅に前半部分がカットされたものをのぞけば、基本的にはどれも同じストーリーの骨組みなのだが、細部の表現の仕方や場面の構成の仕方がそれぞれ微妙に違っている。おそらくはその物語が語られた時代や場所や環境や聞き手やストーリーテラーによって生まれた違いであるのだろう。今回、この本を作る機会を与えられて、世の中に流布されているバージョンの異なる三つのジャンピング・マウスの物語をあらためて自分のなかで統合し、より物語として濃密で完成度の高いものとして紡ぎあげて、読者に提供できることになったのは望外の喜びである。なお二〇世紀後半にヘメヨースツ・ストームの著した英語単行本版を底本として日本語化されたふたつのジャンピング・マウスの物語は、いずれも今回わたしが本書で紹介するものとは異なり、数カ所の説明部分が省略されている短いバージョンのものであることをおことわりしておかなければならない。今、手にされている物語の長尺版では、骨組み自体は変わらないものの、全体を短く構成し直す必要も要求もないので、物語の肉付けとなる細かなディテールの部分を可能な限り省略しないように心がけた。

 たくさんの人たちが、この自己を偉大なものに与えつくすことによってほんとうの自分を知り成長する物語から、なにかを得ることができるだろう。著しく頭の中まで西洋人化しつつあるとはいえ、あらかじめ日本人として日本列島に生まれついた人たちの精神の深いところには、地球に生きる人として動物が話をしていた時代の物語を理解する能力がかろうじて残されているはずである。わたしがこの物語を自分の声で、自分の頭で、自分のハートで語るべき時がきているようにも思う。できるだけオリジナルに近い形を目標に掲げて日本語に翻案したこのロング・バージョンの「ジャンピングマウス」の物語が、正しい時と場所を得たものであることを祈らずにはおれない。わたしはこの物語をきみのために、ようやく道を探しはじめて、すこし不安を感じているきみのために、残しておくつもりだ。

 手にとってくれて、ありがとう。

二〇〇五年、
偉大なるサンダーバードの年、
物語を語る月、強い風が吹いて、冬の終わる日に

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jumpingmousesジャンピング・マウス
北山 耕平 (著)

価格: ¥1,554 (税込)
● 単行本(ソフトカバー): 211 p ; サイズ(cm): 20
● 出版社: 太田出版 ; ISBN: 4872339584 ; (2005/05/25)

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Comments

父の読んでいた本で、表紙のねずみの絵が可愛いと思い読んでみることにしました。
初めに最後に書かれている再掲を読みました。
一番心に残った言葉は「自分の目に見えたものだからといって、それがそのままほかのものたちの目にも見えるとはかぎらないのだ。」ということばです。「なるほどぉ~」と思いました。
決して長い物語ではないのに、なんていろいろなことが凝縮されているのだろう、と思いました。
読み終わったあと、本当に私は今までとは少し違いました。
なんと言えばいいのかぴったりの言葉が見つからないのですが、変わったのは確かです。
素敵な本に出会えてよかったです。
ありがとうございました。

Posted by: ★e★ | Saturday, April 04, 2009 at 10:42 AM

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Tracked on Tuesday, November 08, 2005 at 08:08 AM

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