夜空にはなぜ無数の星が散らばっているのか知っていますか?
秋は夜空を見あげる機会が多くなる季節ですね。先日どこかで読んだのですが、東京で最後に天の川が見えたのは1971年だそうです。34年前のことです。1971年以後に生まれていちども東京から出たことがない人は、天の川も、無数の星たちが瞬く夜空も、見たことがないということなのでしょう。悲しいことに東京に暮らしているかぎり、満天の星はプラネタリウム以外ではもう見れなくなってしまっているのです。
東京に暮らさなくなってわたしはこれまでにたくさんの星空をいろいろなところで見てきました。でもやはり夜空の星といったら、沙漠(デザート)にかなうところはありません。何百万、何千万、いや幾億こもの星にみつめられていることが実感できるのです。きっとみんな考えるはずです。いったいなんでこんなにたくさんの星が夜空にぶちまけられたようにあるのだろう?
プエブロの人たちの言い伝えでは、昔、それも遠い昔、人びとが地下の世界から今の世界にやってきたときの話というのが残されています。われわれの母親、すべての人びとをうみたもうたあらゆる人の母親が、ひとりの少女に白い木綿の布で作られた袋を運ぶように命じたそうです。少女は名をコチマンヨといいました。母親はその際、なにがあってもその袋を開けてはならないと伝えました。
何日も何日も歩き続けるうちに、しかしコチマンヨはだんだんその袋が重くなってくるのを感じました。小さな少女が持って歩くにはたいへんな重さです。
ある夜のこと、一族のみんなが歩く足を止めました。コチマンヨはひとりで近くの小高い山にのぼると、誰にも見られていないのを確認してから、例の木綿の白い袋の口をしっかりと結わいてあるいくつもの口紐をひとつひとつほどいていきました。全部の口紐をほどいてコチマンヨがその袋のなかをそっとうかがおうとした途端、いきなり袋の口が大きく開いて、無数の明るいものが大空にチリじりになって逃げていったのです。
あわててコチマンヨは袋の口を手で押さえました。でもそのときにはもういくつかの星座のかたまりだけが袋のなかには残されていただけで、他の星という星たちは夜空のあちこちにまきちらかされてしまっていました。だから星たちは今も夜空にぶちまかれたようになっているのです。たったひとりの少女のちょっとした好奇心のおかげで。
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