ルイジアナの先住民たちに合衆国政府の支援の手は届かず
「思った通りルイジアナの先住民たちに救助の手は届いてはいない」(Native Heart Wednesday, October 05, 2005)の記事の続報である。これは「新たなる基準(The NewStandard)」というノン・コマーシャルな独立系メディアが10月18日に報じた「ハリケーン・リタの洪水の後自力で更生を目指す沼地地帯の町」という記事(ジェシカ・アズレイ記者)の要約である(別のニュースでは3つ目のハリケーンが勢力を強めてフロリダを狙っているというではないか)。
ふたつの巨大ハリケーンに襲われたメキシコ湾岸の湿地帯の町であり、連邦ホウマ国のあるルイジアナ州デュラック(Dulac, Louisiana)は、人口のほとんどがネイティブ・アメリカンから構成されている。この町はニューオリンズの南西70マイルのところにあり、ふたつのハリケーンの洪水から1ヶ月を経たいまも、多くが泥付けの状態で荒廃したまま放置されている。連邦緊急管理庁(FEMA)からまったく無視されたこの町の住民は、しかし長年の経験ではなから援助を期待するほど愚かではなかった。
連邦ホウマ国のみならず、このエリアのインディアンの人たちは合衆国政府よりも、個人的に寄付された食物や、水や、おしめ、もし可能な場合に清掃する掃除必需品であふれたトラックでやってくる2、3のボランティア団体の方を信頼している。
連邦ホウマ国の女性のチーフ・ブレンダ・ダーダー・ロブショーは「もしわれわれが連邦緊急管理庁や赤十字の来るのを待っていたら、今ごろは苦境に陥っていたことだろう」と語った。連邦ホウマ国では推定で4000人ほどの人たちが家を失うか破壊されてしまった。ロブショーをはじめとする各インディアン部族の指導者たちは、ルイジアナのレースランドのチーフの家の庭に独自に緊急支援物資の集配センターを起ちあげ、各地から寄せられる寄付の食料、衣類、必需品を分配している。
チーフ・ロブショーは言う。「部族のメンバーのところを訪ねて話を聞くと、みんなひとりひとりが苦しんでいることがわかります。生活のこと、自分たちの今後のこと、家族をどうやって食べさせていくかについて、どこに暮らせばよいのかについて。ほとんどが保険に入っていなかったし、入っていたとしても非常にわずかなもので、こういう人たちの力になれるのは、われわれしかいないのです。それでも、みんなは口々に、特にエルダーたちは目に涙を浮かべで自分らは元の家に帰りたいのだと言います。われわれにとっても、彼らが元の家に戻れるようにすることが重要なのです。なぜならそここそがわたしたちの共同体であり、わたしたちの歴史であり、わたしたちが受け継いだ遺産であり、わたしたちは幾世代にもわたってそこで生きてきたのです。だから、もしそこに帰ることができなければ、わたしたちはわたしたちをわたしたちたらしめているある部分を失うことになるのですから」
自分の部族のメンバーが連邦緊急管理庁からの援助を受けようとした場合にはとんでもない障害があるとチーフ・ロブショーは語っている。彼女の一族の人たちは1960年代まで公立学校への入学が認められなかったために、ほとんどの人が読んだり書いたりすることが出来ないし、もっと大きな問題は彼らが英語をまったく話せないと言うことである。「連邦緊急管理庁の支援の網にかかることなく、自分の生活の面倒も見れない人たちの世話をわたしたちはしているのです」
合衆国政府のハリケーン被害にたいする支援がまったく受けられない状況を、チーフ・ロブショーは過去の歴史を振り返りつつ、記事の最後にこう言っている。「まあ、われわれとアメリカ政府との関係は、昔から一貫してこういうものだったので、期待はずれではあるけれど、驚くほどのことではありません」
「Native News Update」カテゴリの記事
- ホピの国にこの50年ではじめて建てられたホテルの外観と内装をご覧ください(2009.11.30)
- ローラ・インガルス・ワイルダーが「大草原の小さな家」の初版のある部分を十数年後に書き直していた背景になにがあったか、あるいは野蛮人は人間ではないという無意識に焼き込まれた保守思想(2009.11.03)
- 古代のアボリジニのなかにはウサイン・ボルト選手よりも早く走れた人がいたかもしれない(2009.10.22)
- ネイティブ・アメリカン部族国家会議がホワイトハウスで開催される(2009.10.20)
- 今年ホピのスネーク・ダンスの儀式に非アメリカ・インディアンの見学者の立ち入りが禁止された(2009.10.16)
The comments to this entry are closed.
Comments