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Wednesday, September 28, 2005

ナバホ国で幻覚性サボテンであるペヨーテの宗教上の利用が解禁された

ナバホが宗教におけるペヨーテの利用を合法化したとインディアン・カントリー・トゥデイが9月26日に報じている(該当記事)。アリゾナのチンリーからの記事でナバホ・ネーションの指導者たちが,彼らの言葉で「アゼー」と呼ばれるいわゆる幻覚性サボテンのペヨーテの宗教儀式における使用の合法化を認める新しい部族の法律の成立を宣言したというもの。ナバホ国議会は7月22日の議会において63対1の大差で、ペヨーテの所有と販売にたいする罰金刑をすべて破棄する決定を下していた。「今後は部族のものたちがペヨーテをメディスンとして敬意をもって用いるように仕向けるという大きな仕事が待っている」と議員のひとりは語っている。またこのペヨーテの解禁宣言によって、「長く待たれていた一族の癒しのプロセスがようやくはじまることになる」と語る議員もいた。

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土地の名前は忘れない

征服者が先住民のことを忘れたがってもそう簡単に忘れられないのは、土地の名前が先住民の言葉でつけられたりしている場合が多いからである。日本列島の本州にもアイヌや蝦夷によってつけられたであろう名前がかなりまだ残っているし、北海道の地名の多くがアイヌ語に起源を持っている。かつては亀の島と認識されていたアメリカ大陸にも、先住民の言葉で呼ばれる地名が無数に残されている。アメリカのマジョリティーが心の底でインディアンの存在を忘れたがっているとしても、彼らに先住民の存在を決して忘れさせないものがそうした土地の名前である。征服の最後の仕上げがいうならば土地の名前をかえてしまうことであるのかもしれない。

アメリカを車で走っていると時々まったく意味のわからない言葉の町などの側を通過することがある。そうした名前の多くがインディアンの言葉だったりする。実際アメリカのロードマップをめくってみると、ヨーロッパ語に起源を持たない言葉の地名をいくつも見つけることができる。征服がはじまって500年ぐらいしか経過していないために、開拓者たちが先住民の名前から採用してつけた土地の名前が無数に残されている。小さな町ばかりでなく、都市や、山や、湖や、川や、沼や、谷の名前がインディアンの言葉だったりする。たとえば「五大湖」と呼ばれる5つの大きな湖のうちの4つはインディアンの言葉だし、50ある州の半分以上の28州の州名がネイティブ・アメリカンの言葉を起源とするのである。ABC順にあげていってみよう。

Alabama アラバマ クリーク同盟に属するインディアンの名前だとか。

Alaska アラスカ アリューシャンというのはロシア人がイヌイットの人たちを呼んだ名前で、もともとイヌイットの人たちの「アラクシャーク」から名づけられた。半島、大いなる大地、島ではない土地という意味。

Arizona アリゾナ ピマ・インディアンが「小さな泉の場所」と名づけていた土地をスペイン人がアステカ語の「アリズマ」「銀のでる土地」と名づけた。

Arkansas アーカンサス クオポー・インディアンのつけていた名前のフランス語なまり。クオポーはスーの言葉を話し、アーカンサスというのは「川下の人たち」を意味する。

Connecticut コネチカット モヒカン語、あるいはアルゴンキン語で「長い川の場所」という意味。

Delaware デラウエア もともとはヴァージニアの藩主であったデ・ラ・ウエア卿からきている。デラウエアは最初川の名前となり、次にその川の流域に暮らしていた部族であるレニ・ニナペの人たちを指し示す言葉となり、最後に州の名前となった。

Hawaii ネイティブ・ハワイアンの「故郷」をあらわす「ハワイキ」という言葉から。

Idaho アイダホ もともとはカイオワ・アパッチがコマンチのことを呼んだ呼び名だと言われている。

Illinois イリノイ フランス人が「イリニ」「イリニの土地」と呼んだもの。アルゴンキン語で「男」「戦士」を意味する。

Indiana インディアナ 文字通り「インディアンの大地」という意味。

Iowa アイオワ 「美しき土地」「眠りに誘う土地」という意味。

Kansas カンサス スー語で「南風の人」を意味する。

Kentucky ケンタッキー 「暗くて殺伐とした土地」「牧草地」「明日の土地」という意味だとか。

Massachusetts マサチューセッツ 「大きな丘のある場所」という意味で、そこにもともと暮らしていた部族がそう呼ばれていたらしい。

Michigan ミシガン アニシナベ語の「ミチ・ガマ」から。「偉大な水」という意味。五大湖のひとつ。

Minnesota ミネソタ ダコタ語で「曇った水」「空を写した水」の意味。ミネソタ川のこと。

Mississippi ミシシッピ アニシナベ語の「ミチ・ジビ」からといわれている。「偉大なる川」「すべての水を集めるもの」という意味。またアルゴンキン語の「メシッピ」からとする説も。

Missouri ミズーリ アルゴンキン語で「大きなカヌーの川」という意味。

Nebraska ネブラスカ オマハ・インディアン、オト・インディアンの言葉で「広い水」「平らな川」を意味する。その川は現在プラット川と呼ばれている。

North & South Dakota ノース・ダコタ、サウス・ダコタ 「ダコタ」はスー語で「友だち」「盟友」を意味する。

Ohio オハイオ イロコイの言葉で「きれいな川」「良き水の流れ」を意味する。

Oklahoma チョクトー・インディアンの言葉で「オクラ・フンマ」が「赤い人」を意味する。

Tennessee テネシー リトルテネシー川流域にあったチェロキーの村が「タナシ」と呼ばれていたことから。

Texas カドゥ・インディアンをはじめ多くのインディアンが「友だち」の意味で使っていた言葉。

Utah ディネの人たちの言葉で「高いところ」「高く登ったところ」を意味する。もともとはショショーニの人たちがユテの人たちをそう呼んだことから。

Wisconsin ウィスコンシン アニシナベ語で「草の多い土地」を意味する。

Wyoming ワイオミング アルゴンキン語で「大きな草原の場所」を意味する。

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Tuesday, September 27, 2005

ポジティブな批判はありがたきもの

「批判されることが好きな人は誰もいない。だが批判というのは沙漠に吹く風のようなもので、やわな茎を激しく打つことで植物が用心のために根をさらに深くはるように仕向ける働きをすることもある」
ポリンガイシ・クォヤワヤマ ホピ

この場合の植物とは当然トウモロコシのことである。ホピの人たちは農耕の民としてトウモロコシと深くつきあって過ごすから、トウモロコシの気持ちがよくわかっている。沙漠で吹く風は、穏やかなものとばかりは限らない。ときには砂嵐となって、人間が戸外に出ることすらできなくなることだってあるのだ。トウモロコシたちも激しい強風にあおられる。しかし強風に吹き付けられたトウモロコシは、そのことを察知するとさらに地中に根を深くはって、しっかりとそれに耐えようとする。人間も同じように自分がこうなりたいという絵をあらかじめ頭のなかに描かれていて、それにむかっていく。頭のなかに自分がこうなりたいと思えるものの絵を描くことを、普通ネイティブの世界ではヴィジョンをもつという。そしてヴィジョンはわれわれを導く。ヴイジョン通りの道を進んでいれば問題はないが、時としてわれわれはその道から外れることがあり、するとそこにさまざまな軋轢が生じる。もめ事に巻き込まれたりするわけ。人生にも砂嵐が吹くことがある。もめ事が自分の身に降りかかると言うことは、自分の生き方が自然と調和していないぞと自然が教えてくれていることでもあるのだな。そうしたとき人間が人間の力になれるひとつの方法が、批判をすることである。ネイティブの社会においてはエルダーというのはしばしば人間の生き方について批判をするものである。もちろんその批判は、ただ単にその人間をだめにするためのものではなく、批判によってその人間の力になるためのものである。最近の言葉で言うなら、ポジティブなフィードバックとなるが、それこそがまっとうな批判というものであるだろう。エルダーの与えてくれる批判は、われわれがしっかりと大地に立つためにはありがたいものである。必要なときにそうした前向きな批判を与えてくれる存在が必要なのだ。

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Sunday, September 25, 2005

あれからがおもしろくなったというのに、ねえ

嗚呼、またやってしまつた。そのことに気がついたときには午後9時を回っていた。6時から始まった講演会は、8時には終了する予定だった。でも気がついたときには9時を回っていて、新宿住友ビルの43階の教室のエアコンのスイッチが切られていたのだ。朝日カルチャーセンターで「ネイティブ・アメリカンは風と話す」というタイトルで、ネイティブの人たちの精神性と、われわれがもう一度地球にネイティブの人たちのようにさわれるようになるためにはどうすればよいのかについて、軽く入門的な話をする予定でいたのに。

なぜか講演や話をするとぼくはしばしば同じような羽目に陥る。もちろん聞きに来ていただいた人たちが熱心であるというのも大きな理由のひとつかもしれない。特に街の人たちはアメリカ・インディアンがどういう人たちなのかということを耳にする機会はほとんどない。飽くなき好奇心でスポンジが水を吸い込むように耳を傾けている。ぼくが話をし出すと止まらない人間であることは、つきあった人はみな知っている。時間にうるさい講演会などでは、必ず大げさな身振りで時間が迫っていることを教えてくれる人が配置される。ところが土曜日の夜は違っていた。ぼくは時計というものをもっていないので、たいていは会場のどこかに掛けられている壁時計を時々盗み見しながら時の流れを確認する。そうしないと時間が止まってしまったかのような感覚に襲われるからだ。その日は、土壇場になって収容する人の数を増やすために会場が変更されたために、壁の時計がぼくの背後にかけられていた。ぼくの目には時間を示すものはなにひとつ見えない。結果としてぼくの意識が意図的に時間を止めようとしているのかもしれない。これはローリング・サンダーの近くにいてぼくがからだで学んだものだ。それ以後数人出会ったメディスン・ピーブルとされる人たちとの対話のなかでも、同じ現象を確認した。あきらかに、話しをすることは、時間を止めることなのだ。ホピの諺に「物語を語るものが世界をコントロールする」というものがある。

土曜日の夜、台風が関東地方に近づいて、しきりに雨が降ったり止んだりしていた。ぼくはあらかた時間の感覚をなくしていたと言っていい。あまりにたくさんの話をしようとしたために、どのように終わらせるかを考えていなかったのだ。自然に近いところで話していると、風が吹いたり、月が動いたり、鳥がいきなり鳴いたり、焚き火の薪が崩れたり、チョウチョが飛んできたりと、さまざまな形でメッセージが運ばれてくるので、話と現実がシンクロして動く。しかし高層ビルの43階で、外の見える窓ガラスを背後にして、自然と言えば人びとだけという状況下で話をしたら、人間以外にメッセージを運んできてくれるものなんてどこにもいないのである。話し始めるとそのことを忘れてしまう。その結果、話のなかに世界が埋没していき、気がつけば時間が静止していると言うことになる。

なんと弁解しようと、時間をあれほどひっぱってしまったのは小生にとって痛恨の極みである。自己嫌悪もある。なんとなれば、もう少し早めに切り上げて多くの人たちと会話を交わすことをもくろんでいたのに。きっと迷惑に思った人も多いかもしれない。最後まで辛抱強く、半ばあきらめ顔で話を聞いていただいたみなさんに、この場を借りてあらためて感謝します。今度は自然のなかで、もっとゆっくり、時間をかけて,世界が寝静まるまで、あなたとお話しをしたいものです。メディスン・トークというのは、時間が完ぺきに止まってしまってからが、本番になるわけですから。

ホ!

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ジェイ・スポッテッド・エルクの死

サウス・ダコタ州ローズバッド生まれのラコタ族の青年ジェイ・スポッテッド・エルクが警察の留置場で首をつって自殺したとされるのは今年の7月16日のことだった。彼は友人と別れた足でガールフレンドの家に向かって歩いていたところを、警察につかまえられて連行された。以前スピード違反をしてそのときの召喚状を無視したというのが逮捕の理由だった。普通ならば一週間ほどの拘留で解放される程度のものだったが、ジェイはその日のうちに留置場で命を落としてしまう。明るくて陽気な青年にしてはあまりにも早すぎる死だったといわざるをえない。さまざまな人種からなる学校の同級生たちから慕われ愛されていた彼。母親に「生まれて初めて恋をした」と打ち明けた直後の彼の突然の死が、ほんとうに自殺なのだろうか?

以下は彼の死に疑問を感じた彼の友人の女性がメディアに配ったプレスリリースである。アメリカ・インディアンの人たちの死は、アメリカにおいて、他のどんな人種の人たちの死よりも常に軽く扱われてきた。インディアンの人たちは、絶望していると言っていい。彼らは先住民であるがゆえに、21世紀になって5年が過ぎた今でもなお虫けらのように扱われ、命を落とすことがある。留置されるにあたって、イアリング、バンダナ、靴をわざわざ没収した警察がなぜベルトは取りあげずにいたのか? 同じ留置場で別の房に入っていた人間は、ひどく虐待されていたことを証言したが、誰にも見えないところでなにが行われたのか真実は闇のなかだ。わずか15分後には彼が死んでいることが発見された。

こうした事件は、アメリカ・インディァンの世界ではほとんど日常的に起こっていることだと言って言い。そしてこうした現実についてはメディアはほとんど報道しない。まるでインディアンなんか見たくないとマジョリティは考えているかのようである。豊かな国のなかにある第三世界の今に、すこしでも関心がある御方は、以下の英文のプレスリリースをお読みになるといい。かつてローリング・サンダーが「コロンブスが来たときにはじまった戦争は終わっていない」といったそのことの意味、ジェノサイド(大量虐殺)が今も続いているのだということを、この報告はあらためて教えてくれている。

Beadline.jpg

PRESS RELEASE:

There are many unanswered questions surrounding the death of Jay Spotted Elk, who died by hanging on July 16, 2005. Jay is a member of the Sicangu Lakota tribe from Rosebud, South Dakota. He had just left friends and was walking to his girlfriends house. While walking, he was picked up by the police on an old speeding warrant, which would have resulted in no more than weekend in jail. How is it that within minutes of being in that jail cell, Jay was dead? It was almost too quick for suicide, especially for a bright and happy young man, well respected and liked by his peers of all races, who had just told his mother he was in love for the first time in his life.

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Thursday, September 22, 2005

きっとブッシュはネイティブ・アメリカンが大嫌いなのだ

ハリケーンのカトリーナがニューオリンズのアフリカ系アメリカ人の社会に与えた大打撃についてはCNNやMSNBCをはじめとする主要なニュースメディアによって世界に広められたが、このニュースの影でまったくと言っていいほど無視されたのが該当地域に暮らすネイティブ・アメリカンのコミュニティーであった。当然日本のメディアも彼らのことなどまったく無視し続けている。彼らはアメリカにおいてゆっくりとではあるけれど「忘れられた人びと」になりつつあるのだろうか?

今回壊滅的な被害を受けたネイティブ・アメリカンの部族はチョクトー・インディアンのモバイル−ワシントン・バンド、アラバマのポーチ・クリーク・バンド、チティマカ族、コウシャタ・インディアン、チョクトーのヘナ・バンド、トゥニカ・ビロクシィ族、ルイジアナの連合ホウマ国、チョクトーのミシシッピ・バンドの人たち。バンドというのは部族を構成するほど大きくない人びとの集団のことだ。こうした人たちのことをほんの少しでもニュースで聞いた人がいるだろうか? CNNですら無視した人たちだから、アメリカでだって、インディアン・カントリー・トゥデイとかナバホ・ヴォイスのようなマイナーな新聞に毎朝目を通していない限り、この人たちの名前を目にした人はまずいないと思われる。

メディアはここぞとばかりにブッシュの人種偏見が救助の遅れに繋がったのではないかとはやし立てた。「ブッシュはブラック・ピープルが好きじゃない」とハリケーン・カトリン救援テレソンで歌ったラッパーがいた。白人と黒人の人種差別という構図の影に、ネイティブ・アメリカンはまるで見えない人たちにされてしまった格好だ。でもぼくにいわせれば「ブッシュはネイティブ・アメリカンが大嫌い」ということが今回ではっきりした。ネイティブ・アメリカンのことを心配しているのはネイティブ・アメリカンの人たちだけというあまりの現実に、ぼくは唖然とし慄然とする。

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Wednesday, September 21, 2005

講座「ネイティブ・アメリカンは風と話す」のお知らせ 再掲

th_TF49001朝日カルチャーセンター 新宿教室 教養講座(社会)

ネイティブ・アメリカンは風と話す   講座番号 0484059

講師:北山耕平(翻訳家)

講座の内容:
彼らの世界には「自然」を表す言葉も概念も存在しません。それは自分が暮らしている世界そのものであるからです。彼らの知恵に耳を傾け、私達が忘れてしまったものを考えます。

期間・曜日・時間:
9月24日 土曜日 18:00〜19:30

受講料(税込み):
1回 会員 2,730円  一般 3,250円 (入会金不要)

場所:新宿住友ビル43階

お問い合わせ先 朝日カルチャーセンター外国語科 03−3344−1948
(月〜金曜日 10:00〜19:00 土曜日 10:00〜18:30)

講座名 ネイティブ・アメリカンは風と話す 講座番号 0484059

インターネット受付(新宿)7月期
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0507koza/A0101.html 9月24日のところから

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大空にお住まいになられる偉大なる精霊よ

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大空にお住まいになられる偉大なる精霊よ、
われらを平和と理解の道へ導きたまえ。
われら全員みな、兄弟姉妹のごとく
ともに暮らそうではないか。

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Monday, September 19, 2005

魔法のごとき夜 六甲山から帰り着いて

神戸の六甲山中腹にある六甲山YMCAでランド・アンド・ライフが主催して開かれたワークショップ『風をひらく 第2章「聞くことと 見ること」』とお話会を無事に終えて新神戸からのぞみに乗り新横浜に着いたときには夜10時を過ぎていた。神戸から横浜まで車窓からは常にフルムーンが見えていた。一年で最も明るい満月である。深夜12時を回ろうかという頃家に戻ると月見まんじゅうが用意されていた。まんじゅうを口にほおばりながら、前夜のたき火を囲んでときおり森の黒々とした木立越しに眺めた丸い明るい月をぼくは思い出した。なによりもワークショップおよび翌日のお話会に参加いただいき、同じ時間を共有することができた合計で40名近いみなさんのひとりひとりにお礼を言いたい気持ちです。とりわけ17日の夜には、風をひらくワークショップのあと、満月に近いグランドマザー・ムーンに見下ろされ、木々の黒い影のなか、とても充実した魔法のような夜を過ごせました。ちょうど良い大きさのたき火が夜8時頃から深夜遅くまで焚き続けられて、火が踊るのを見ながら輪になって話をすることができたことを、ありがたく思い起こしています。実に見事に——大きくならず、かといって小さくもならずに——燃え続けたたき火でした。やはり火を見ながら夜遅くまでお話しをするというセッティングは、他のなにものにも代え難いものがあります。おかしな話ですが、青い夜に包まれながら数千年前にもにたような状況下で火をみなで見つめながら話をしていたような気がしました。

fireこのような機会を与えてくれた呼びかけ人である辰巳さんと梅井さんと切東さんという3人の底力ある女性たちに感謝します。そこでなにを話したかと言うことは、その場を分けあったみんなとの共通の秘密にしておきましょう。きっといつか力になるはずです。前回の最初の六甲山ワークショップも、今回も、六甲山のスピリットに守られているという気持ちが最後までとぎれることなく続いていました。おかげて六甲山という山にぼくは強い愛情を感じています。また早朝に気功をご指導いただいた臨床心理学者でタッピング・タッチというからだとこころと地球を癒す技法の発案者でもあり、平和憲法の守護者としての決意をもつ中川一郎さんにもお礼を言わなくてはなりません。みんなのからだとこころを朝の森の心地よい空気のなかでときほぐし、われわれがパンツをはいた猿であることを自覚させていただき、元気をたくさん分けていただきました。なお、昨日のお話会にだけ参加するためにわざわざ来ていただいた10名近い虹と光のスピリットを分けあってくれた眼に稲妻を宿した魔女たちにも感謝します。時代が大きく変わってきていることを彼女たちは実感させてくれました。ストーリーテリングというものは、話をする人間だけでなく、聞く側の意識が同じくらい大切な場合があります。話というのは、聞く人たちの準備がどのくらいできているかによって深くもなれば浅くもなるものですから。話をした人間として言わせてもらえば、とても良いエネルギーの交流が行われ、話したあとも疲労はほとんど残らず、みななにか去りがたい気持ちを六甲山に残すことができました。最後に今回のワークショップに遠くから、東京、鳥取、九州などから参加していただいた方々の美しいスピリットたちにもお礼を。願わくば、偉大なる精霊が、われわれに祝福の微笑みを、お向けくださいますように。

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Friday, September 16, 2005

わたしたちのものの見え方をとおして世界のすべてに影響を与えうる物語

smallbearストーリーテリングを学んでいてクマ好きの小生には、たまたま行き着いた財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構のサイトの「ものがたり」のなかで紹介されている「ちいさなくまのカムイのおはなし」がとりわけヴィジョンのように心に残った。鈴木隆一さんというかたがアイヌのエルダーたちの伝承を絵本にしたものだが、クマの目から見た人間の世界について描かれていてあざやかに記憶に残るものになっている。このような、わたしたちのものの見え方をとおして世界のすべてに影響を与えうる物語は、地球のネイティブに広く共通するものだが、それはまた人間というものが、しばしばリアリティのほんの一部だけをとおして自然世界を見ているだけのものにすぎないことを思い出させる重要な働きをしているのだ。

読み始めるとすぐにねこのストーリーが「クマのいのち」について教えていることに気がつく。わたしたちの祖先が動物のいのちを奪うことで生きながらえてきたと言うことを、スーパーマーケットでラッピングされた肉を買って食べている現代人はともすると忘れているが、この物語はその事実を美しく思い出させてくれるし、クマにとって尊厳ある死とはなにかについても考えさせる物語でもある。解説もわかりやすいので、おはなしを読んだあとには必ずこれも合わせて読もう。

もともと不完全な人間にとって、たまにはクマの目から世界を見ることも必要なのだと言うことを、ここで再びわたしは強調しておきたい。今年も又秋が終わる頃にクマたちが里におりてきて、猟銃を持って喜々とした大人たちに追い回されるのだろうか。(冒頭の図版はちいさなくまのカムイのおはなしより。部分)

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日本列島住民のための「アイヌ文化フェスティバル2005」のお知らせ

ネイティブ・アメリカンを構成している人たちの流れのひとつとして、昔から太平洋の真ん中にあるハワイのネイティブ文化に関心を抱いているので、以前トラックバックをもらって以来ときどきのぞいている「古代ポリネシアの航海技術から環太平洋先住民まで」関心の領域を広げているサイトに「ホクレア号をめぐる沢山のお話を」とその兄弟プログサイトの「航海カヌーを愛でる」がある。これはそこで見つけた情報。

アイヌ文化フェスティバル2005
アイヌ伝統文化の美と舞がここに集う

日時

10月15日(土)
13:00〜16:00
開場 12:00
開演 13:00

会場

東京国際フォーラムホールC
東京都千代田区丸の内3-5-1

入場無料

ご来場の皆様にアイヌの伝統楽器 「ムックリ」をプレゼント!

−申込方法−

お申し込みは、ハガキ、FAXまたはインターネットにて承っております。ハガキ、FAXでお申し込みの場合は、郵便番号・住所・氏名・電話番号・参加希望人数を明記して送付してください。インターネットから申し込まれる場合はクリックしてください。

http://www.frpac.or.jp/evt/festival1710.html

申込締切 10月7日(金)

※先着順で整理券を郵送します。定員になり次第締切とさせていただきますのであらかじめご了承ください。

【ステージの部】13:00〜16:00
 ■開  演 ご挨拶
       アイヌ文化賞贈呈式
 ■講  演 馬場悠男(国立科学博物館人類研究部部長、東京大学大学院 理学系研究科生物科学専攻教授)
      「日本列島住民の形成」
 ■休  憩 
 ■演  奏 星野工  居壁太
       トンコリ演奏
 ■公  演 千歳アイヌ文化伝承保存会
       アイヌ古式舞踊

【展示の部】12:00〜16:00
 ■アイヌ文化紹介パネル展示
  アイヌの生活や信仰、アイヌ語についてご紹介します。
 ■アイヌ工芸品展示
  独自の美しい刺繍を施した衣服や木工芸品など、生活の中で巧みに美しさを表現した工芸品の数々をご覧いただけます。
 ■刺繍実演
  アイヌの着物や工芸品に施された文様の刺繍とその実演をご覧いただけます。
 ■木彫実演
  伝統的なアイヌの木工芸品とその実演をご覧いただけます。
 ■ビデオ上映


講演 「日本列島住民の形成

馬場悠男(ばばひさお)

国立科学博物館人類研究学部部長、東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻教授 1945年東京生まれ。東京大学理学部生物学科人類学課程卒業、同博士課程中退 独協医科大学解剖学助教授をへて現職、専門は人類形態進化学 日本人類学会会長、日本顔学会副会長

【研究内容】
人類の進化や日本人の起源を身体の形態と機能との関係から分析する。たとえば、直立二足歩行獲得のメカニズム、アジア人の進化、東アジアおよび日本の現代型新人化石、縄文以降の日本人の変遷など。現在の研究テーマは、ジャワ原人の古人類学的研究、古人骨の形態からみた日本人の起源の解明、ヒトと脊椎動物の顔の形態学的研究など。最近では、顔を学際的に研究する学会を研究仲間と創って、縄文顔と弥生顔の形成原因や顔の色気の研究の行っている。

【著書】
『検証日本の前期旧石器』(学生社/2001年)『ホモ・サピエンスはどこから来たか−ヒトの進化と日本人のルーツが見えてきた』(河出書房新社/2000年)『顔を科学する』(ニュートンプレス/1999年) 他


いやー、おもしろそうなイベントだ。「日本列島住民の形成」という講演も実に興味深い。いいなあ、この「日本列島住民」という言葉。あまり聞いたことがなかったのでとても新鮮な響きがある。「日本人」というより「日本列島住民」という方がずいぶんイメージもはっきりする。またこのイベントを企画主催している財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構のサイト(〒060-0001 札幌市中央区北1条西7丁目 プレスト1・7)も同じくらい興味深い。この組織については少し気にかけて調べてみようと思うが、地味なサイトではあるけれど、これまでにない視点から日本列島の先住民の暮らしの一端をかいま見れるようになっている。

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Thursday, September 15, 2005

ここ一週間にメールを送っていただいたなかの関係するみなさんに北山耕平からのお詫び

ブログに関心を持っていただく人の数が増えるに連れて、小生のアドレスにも1日50通を超えるスパム・メールが届くようになっています。一応の対策としてプロバイダー(接続業者)のスパム・フィルターを使っていて、90パーセントほどはそこでこちらの指示に従ってブロックされますが、もちろんなにをブロックするかの判断は人ではなく機械的に行われているわけで、いくつか読者の方からの個人的なメールもそのフィルターに引っかかってしまいます。たとえば「ホットメール」や「ヤフーメール」などのアドレスから発信されるものです。スパムを送りつけてくる業者の多くがそうしたフリーメールのアドレスを使っているので、そうしたフリーメールからのメールをフィルターの設定からはずすわけにはいきません。普段はそうしたメールを3日にいちど、一通ずつ確認して、ひとつひとつ除外設定をしてきたのですが、じつはこの一週間ほどのあいだにおくられてきたホットメールやヤフーメールのアドレスからの読者の手紙を、クリックする場所を違えて誤ってサーバーから一括で消去してしまいました。気がついた時にはすでに後の祭りです。確か3、4通あったと思いますが、メールは読ませていただいたのですが、それらの方には返事を出すことが出来ないでいます。もし何らかの返事を期待されていたとしたらお詫びしようもありません。あらためてお送りいただければまちがいなく次からはメールが届くようにフィルターのやつを鍛えてやります。というわけで再送よろしくお願い申しあげます。
北山耕平

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昨日までなにをしていたのか

いなぎおはなしの会が企画し、稲城市中央公民館が主催した小生の12日の講演会は、国政選挙の翌日であり、また月曜日の午前中というスケジュールにもかかわらず、70名近くがご参集くださった。はじめからテーマを『聴くということ○語るということ』としたために、ネイティブ・ストーリーテリングを学んできたものとしては当然話にも熱が入らざるをえなかったし、聞き手にとっては普段はあまり聴くことができない話を耳にする機会だったのではないかと思う。講演の後に関係者の方々と昼食と稲城市で収穫された梨を共にしながら雑談をするなかで、その日に回収されたアンケートも読ませていただき、講演がおおむね好意的に受けとめられたことに安堵する思いだった。話の基本的な部分は、良き話し手になるためにはうちなる自由を獲得することが重要だということだったが、この「うちなる自由の獲得」は、ほんとうのことをいうと、なにをするにつけても同じように重要なことなのだということを理解していただきたいと願う。また自分としても機会を見つけてこの「自由」については、繰り返して話してみたいと考えている。

ここ数日、長野県の農業協同組合が毎月出している「長野県のおいしい食べ方」というブログマガジンの共同編集作業をしていた。今から20年ぐらい前、アメリカの沙漠から帰国して、それ以前にやっていたような「都市生活者」にむけてのアンリアルな雑詩作りに嫌気がさしている自分を見つけ、といって雑誌や書籍を編集したり、文章を書いたりすることぐらいしか生き延びる糧をえることができないで伊豆の山の中でネイティブ・アメリカンについての本を書いてくすぶっていたぼくに、もう一度雑詩作りのおもしろさを体験させてくれたのが『家の光』(家の光協会刊行)という農家の人たちのための雑誌であり、同協会が青年農業者向けに編集刊行している『地上』という月刊誌だった。すくなくとも「土に触ることで生計を立てている人たち」になら、自分が関心を持つようなことをある程度は楽しんでもらえるのではないかと考えたからだ。自分が学んできたことを分けあっていちばん喜んでくれるのは、心ある農業者に違いないという気持ちは今も変わっていない。はたせるかなそういう素晴らしい農業者たちと何人も巡りあい話をする機会を得ることもできた。それは自分にとって大きな財産になっている。今では長い年月を経て、昔のように積極的にインタビューにいったりすることはなくなったが、それでもそのときできた人間関係のおかげで、ぼくは雑誌づくりがどういうものかをかろうじて忘れないまま、現実世界との接点を保ち続けさせてもらっている。農協関係者のなかで「有機栽培」という言葉が公然と使われるようになってきたのもこの間のことである。今現在、長野県の農業協同組合のためにブログ・マガジンという月刊誌のスタイルのネット雑誌の編集委員のひとりとして手と頭を貸しているのもその結果であるし、長野県は日本アルプスを有して日本有数の農業県であり、その自然と環境のありようは日本列島全体に影響を与えうる位置にあることはまちがいないように思えたからだ。できるだけたくさんの人の意識を信州に向けさせることはやりがいのある勤めである。農業そのものが、また農協そのもののありかたもが、当然ながら根幹から大きく変わろうとしているが、土と太陽と風と水を要素とする人間の営み自体は変わることはないと信じる(最近では各地に野菜製造工場なんてものが生まれてはいるけれど)。ぼくの希望は、その変わらないところの農耕に係わる人たちのあたまとこころに働きかけ続け、彼らに「大地の守護者」としての意識を芽生えさせることであったし、あるし、これからもありつづけるのだが、現実の世界はそんなに甘くないことも知っている。ともあれようやく変わるかもしれないと言うところまで日本の農業は来ているようなので、新たに農という「本質的には知的な」作業を志す——自分の頭で考えて農業をする——新しい世代の登場を夢に見つつ、この行く先がどこなのかもうしばらくつかず離れずの関係を保っていこうと思う。もし気が向いたら、「長野県のおいしい食べ方」という季節を感じたい人のための月刊ブログマガジンもお楽しみください。

その雑誌の仕事も一段落しようとしていた昨日の夜、テレビで窪塚くんの『ネイティブ・アメリカン紀行(「窪塚洋介 ネイティブアメリカン紀行 魂に触れる旅 聖なる大地へ」)』という特別番組(TBS 14日 夜)を観た。友人からメールが届いて、ぜひ観るようにすすめられたのだ。サウスダコタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ぼくにとっては愛おしくも懐かしい光景がいくつも出てきた。空を飛んで落ちた窪塚くんが元気になったこともよくわかった。彼が有能な役者であることも、自分の頭で考える人間であることも痛いほどよくわかった。それよりもぼくが感じたのは、一過性テレビメディア番組の限界というものだった。番組のなかでナバホのヒーラーのエルダーが、何回も撮影を止めるようにいい、言葉を荒げ、最後には窪塚くんに「おまえはほんとうに自分のための儀式を撮影させたいのか」とわざわざ問いかけるシーンは、2時間のなかで最も印象的な悲しいシーンだった。窪塚くんは「自分は役者であり、多くの人に見せたい」といったような意味の言葉を口にしたが、ヒーラーのエルダーは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。正直な話、いかなる理由があれ撮影は許可されてはならないものだったとぼくは思う。聖なる瞬間というのは、きわめて個人的なものであり、それは撮影をしてみなと分けあうようなものではないからだ。メディスンマンの老人はそのことをよくわかっていた。その瞬間に、聖なるものは俗なるものに変化してしまう。番組としてはそれが売り物なのだから撮影したいという気持ちは画面の隅々にまであらわれていた。それは老メディスンマンにとっては耐えられないくらい非礼なことなのだ。これまでにもぼくは日本人の有名人であるミュージシャンや歌手や役者がアメリカ・インディアンのところをたずねていくドキュメンタリー紀行というものを何回かテレビで見たことがある。そしていつも思うのだが、彼らはそのときの体験を自分のなかで発酵させることよりも、その場にいたということをみなに見せたいだけなのではないかと。これでは「うるるん滞在記」と本質的な違いはどこにもない。これは窪塚くん自身に問題があるのではなく、日本的なテレビの番組作りにいつも感じるある種の傲慢さである。同じことが学者といわれる人たちにも言えるだろう。番組の関係者が最初望んだようにホピの国に入れなかつたのは当然の結果だといっていい。関係者は「リスペクト」ということをもう一度はじめから勉強しなくてはならない。それは「ていねいな言葉遣い」以上のものなのである。結論、地球の秘密を知りたければ、沙漠はひとりぼっちで体験すべし。

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Monday, September 12, 2005

ランド・アンド・ライフ(神戸)からのおしらせ 再掲

第2回 地球の上に生きる のおしらせ

 ー北山耕平氏と共に
    ネイティブの知恵を学ぶ集いー

 風をひらく  第2章 「聞くことと 見ること」

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「ながめていることと、見ることは違います。人には耳が二つ与えられているのは、話すよりも二倍多く聞くためだと風をひらくの第1回目にお話ししました。今回は、その風をひらくの復習をします。そして、同じようにふたつ与えられている目で世界をより深く見るための技術についてお話します。」
北山耕平

2005年 9月17日(土)18日(日)

 六甲山YMCA (神戸)
 
参加費 12,000円 1泊夕・朝食付き

定員   30名 要予約

 arrow2 詳細はワークショップイベント『風をひらく』のご案内へ。

ランド・アンド・ライフ
〒657−0817 神戸市灘区上野通1−2−35−312
T/F 078・881・8163
http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/
EMail landandlife@r6.dion.ne.jp

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Saturday, September 10, 2005

北山耕平講演会(9月12日)のお知らせ (再掲)

稲城市・市民企画提案による公民館主催講座

    「聴くということ

        語るということ」

    講師 北山耕平(先住民文化研究家・作家・翻訳家)

    受講無料

   とき 9月12日(月)
      9時30分〜12時30分

  ところ 稲城市立中央公民館 4階 集会室
      東京都稲城市東長沼2111 稲城市中央文化センター(公民館)
      JR南武線稲城長沼駅下車徒歩13分
       京王相模原線稲城駅下車徒歩7分

  arrow2 会場までの地図

       語るとはなにか
       文字を持たなかった時代、
       ひとびとは生きる智慧や指針を
       口から耳へと伝えてきた。


         ■ストーリーテラーの役割とは?
         ■物語を語るとは?
         ■こころを伝えるとはどういうことか?
         ■どのように子供を育ててきたか?


    申し込み 稲城市立中央公民館 042-377-2121
    主催   稲城市立中央公民館

    企画提案 いなぎおはなしの会

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今日はローリング・サンダーの誕生日

rollingthunderじつは今日、9月10日は、わたしにネイティブの道を指し示してくれたRTことローリング・サンダーの誕生日である。だから彼の人生について、これまでほとんど明らかにされなかったことを少し書くことにする。

彼が生まれたのはアーカンサス州のスタンプスという町だ。今回ハリケーン・カトリーナの被害を被ったルイジアナのすぐ北の州になる。そのアーカンサス州のほぼまんなかにスタンプスという町はある。

今ではアーカンサスとして知られる州のあるところは、ネイティブ・アメリカンの文化区分でいうと広大な南東部森林地帯文化の南の一角にあたる。もともとこのあたりにどの部族が暮らしていたのか明らかではない。徹底した虐殺など、あまりにいろいろなことがありすぎた土地なのだ。マスコーギー、チカソー、チョクトー、オセージ、アーカンサス、カドゥーらの部族は足跡をたどれるが、ラコタの本流は白人到来以前にこの南東部エリアからミシシッピ川をさかのぼって大平原にはいっていった。今もアーカンサスの北のはずれに「チェロキー・ヴィレッジ」という小さな町があることからもわかるように、すぐ北のアパラチア山脈の南端にはもともと山の民であるチェロキー・インディアンの人たちの大きな国もあった。ネイティブ・ピープルのライフスタイルは農耕と狩猟採集であり、イロコイなどの東部森林地帯の人たちと平原の民とのほぼ折衷したものといってよい。

ローリング・サンダーの生まれた町であるスタンプスに行くには、いちばんわかりやすいのがテネシー州のメンフィスからはいるのがよい。メンフィスからリトル・ロックまで行き、そこで州間高速道路30号線にはいってテキサスに向かうと「ホープ(Hope)」という町が出てくる。そうしたらフリーウエイをはずれて南に向かう田舎道を、地図上では鉄道の線路を左に見るようにしながらえんえんと下っていく。線路と道路はじつはかなり離れているが、スタンプスという町は、彼が地球における旅を終えたネバダのカーリンという町と同じように、鉄道の分岐点となっているのである。希望という名前の町からおよそ半日ほどのドライブでルイスヴィル(Lewisville)の町に着くからそこで州道82号線で東に向かうと、次の町がスタンプスである。衛星写真で上空から見下ろすと、きれいな緑色のグラデーションがデジタルに連なっている。

1916年の9月10日、チェロキーの母親のもとローリング・サンダーは誕生した。父親はケージャンだった。ケージャンというのはフランス系の人たちで、ウィキペディア百科事典日本語版には「"Acadianの訛りで、アカディア(カナダのノヴァスコシア州とニューブランズウィック州)に居住していたフランス語系の人々のこと。アカディアのフランス系住民はフレンチ・インディアン戦争中、イギリス国王に対する忠誠表明を拒否したため強制追放され、フランス植民地でスペイン領となったルイジアナに分散して移住した。ルイジアナ州のニューオリンズに定着した集団がよく知られている。1990年の国勢調査ではケイジャン人口はルイジアナ州で43万人、米国全土で60万人であった」と記されている。あのケイジャン料理のケイジャンであり、ブラック・アメリカン同様今回のハリケーンで大きな被害を受けたのもこの人たちの子孫である。RTはハーフブリード゜(混血)としてこの世界に生を受けた。ちなみに1916年は、北米大陸最後の野生のインディアンととして20世紀に紛れ込み8年間だけ鉄文明時代を生きたヤヒ族のイシが「あなたは居なさい、ぼくは行く」の言葉を残して地球の旅を終えた年であり、日本では大正5年にあたっている。

そのアーカンサス州の西隣のオクラホマ州南東部、ちょうど州境あたりにキアミチ連峰という大きな山の連なりがあり、一帯はオークとヒッコリーの森が続く山の中に湖があって、きれいな川が流れていたりする絵に描いたような風光明媚で自然豊かな土地だが、ローリング・サンダーはこの山の中で母親とともに幼年期から少年期を過ごすことになる。15歳の時には独力でその山のなかに山小屋を造り、そこの森のなかで一人っきりで数年間を過ごす経験をした。ひとりきりで静けさに耳を傾けながら過ごしたもはや誰にもかなわないような少年時代の経験が、ローリング・サンダーの人格や性格やスピリットに与えている影響は計り知れないものがある。彼はそれを自分のヴィジョン・クエストだと語っていた。

彼のことをしばしば「インタートライバルな——部族の枠を超えた——メディスンマン」という人たちがいるし、ぼくもその表現を使うことがあるけれど、彼自身がそう名乗ったわけではない。メディスンマンというのは、部族もしくは共同体があって初めて成立する職能ではあるけれど、スピリットにおいては、はじめから部族というものを超えた存在でもある。部族のネットワークとは別にメディスンマンのネットワークというものも確かに存在するのだ。ローリング・サンダーはさまざまな部族のメディスン・ピープルからメディスンについて学んで育った。チェロキーには彼の薬草の師となるアモネータ・セコイヤ(Amoneeta Sequoyah)という名だたるメディスンマンがいたし、彼の同志、助言者、指導者にはタスカローラのメディスンマンであるマッド・ベア・アンダーソンとか、ホピの予言でおなじみかと思うがホピ伝統派長老だったグランドファーザー・デイビッド・マニャンギ翁がいた。もちろん部族のなかでメディスン・ピープルとなっていく人もいるのだが、彼のように部族の枠を超えてさまざまな師や同志たちに教えを請いながら自分について来る人たちのためにメディスンの道を進んでいる人は今だっている(はずだ)。

ローリング・サンダーは、メディスンについて話すときは実に注意深く言葉を選んだ。たとえばこんなふうに。「わたしのことをメディスンマンだという人たちは確かにいる。わたしは自分としては自分が何者であるかをあえて言挙げはしない」と。しかし彼はたくさんの人たちにとっては確かに信頼に足るメディスンマンであり、賢者であり、知者であった。ぼくもそのことを疑う人間ではない。自分としては、あのときあの場所で彼と出会えたことを幸せだと思う。後々わかったことだが、当時のローリング・サンダーはおそらくいちばん怒っていた時期であり、彼が怒りの嵐にとりつかれると数日は誰もそばに近寄らないようにしていたといわれるころだった。たまたま訪れた日の翌朝早くに、まだ壮健で機嫌のよいメディスンマンとしてのエネルギーにみちた彼と直接顔をあわせる経験が出来たことを、ぼくはほんとうに感謝している。

彼はよく「死んだあとも自分は影響を与えることが出来る」と語っていたが、ぼくの記憶のなかに時々あらわれるローリング・サンダーは、80年半ばの車椅子姿の彼ではなく、奥さんでショショーニのクランマザーであったスポッテッド・フォーンが健在だった1979年当時の、彼が63歳の頃のままなのだ。以前、書いた記事につけられたコメントのなかで、グレイトフルデッドと彼についてのおもしろい話しはないかと聞かれたことがあるが、ぼくが彼と出会ったのは、60年代後半から続いていた熱狂があらかた終息しつつあった頃であり、彼は白人文明が行き着いた地点としてヒッピーたちが産み出した文化なるものにある部分絶望をしていた。それだけ彼はこの世代に期待もしていたのだと思う。彼はその当時の話をほとんど口にしなくなっていたというのが実情だ。

話の締めくくりとして、彼はそれほど完ぺきな人間なのかということについて書いておくと、彼にももちろん完ぺきじゃない部分もあった。「完ぺきなものなんてこの世には存在しない。そこにあるのは完ぺきにむかおうとする力だ」と彼はしばしば口にした。ぼくが彼のことをすごいと思うのは、自分の失敗を否定したりごまかそうとしたり絶対にしなかったことにある。それに彼は「グル」のように扱われるのをおそろしくいやがってもいた。

じつは彼の最後の本である『ローリング・サンダー・スピークス 亀の島への伝言("Rolling Thunder Speaks: A Message for Turtle Island")』(Clear Light Books 1999)という本について、彼の息子(マーラ・スポテッド・イーグル・ポープ)(Mala Spotted Eagle Pope)の息子で、RTの孫にあたるショショーニのレッド・ウォルフ・ポープ(Red Wolf Pope)が、「自分の祖父がブッダかなにかのようにまつりあげられていることに」危険な匂いを感じ、同書の信憑性に疑問を投げかける公開文書をサンタフェの版元に送った。この本を翻訳したり人に勧めたりしないようにしてくれという手紙を今年の夏のはじめに読んで、翻訳しようという熱意が幾分冷めてしまった。ぼくは晩年のローリング・サンダー自身の口から「オレゴンの大学生に自分の原稿を預けている」「それで本を作ろうと考えている」という話を聞いたことがあるのだが、その元原稿となったものが、ローリング・サンダーの最期ををみとって、それ以降ポープ姓を名乗っているカーメン・サン・ライジング・ポープ(Carmen "Sun Rising" Pope)という女性が編集した本になったのかどうかわからない。ぼくはRTの最後の奥さんとなってネバダのカーリンにある家を引き継いだ彼女とは残念ながら面識がないのだ。できるならいちど彼女にもあってきちんとした話をしたいと思っている。

補遺 図版はあの時代のサンフランシスコのベイエリアのおもむきを十二分に伝える『Rolling Thunder』という1972年にリリースされたミッキー・ハートの最初のソロアルバムのジャケット。アルバムの冒頭に、一曲目としてローリング・サンダー本人が発しているスピリットの降臨を求める召命の雄叫び[Rolling Thunder (Shoshone Invocation)]三連発がおさめられている。グレイトフル・デッドのメンバーのなかで最もRTと親交の厚かったのがミッキー・ハートで、ふたりの関係は彼の著書である『ドラム・マジック—リズム宇宙への旅』(ミッキー ハート 著 佐々木 薫 翻訳 工作舎刊 1994年)に詳しい。余談だが、ジャケットをクリックするとアマゾンの該当ページに飛ぶが、そこではそのローリング・サンダーの鋭い叫び声を「試聴用サンプル」として聞くことができる。ぜひお聞きあれ。

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Friday, September 09, 2005

World Peace & Prayer Day 2006 はアラスカで

ホワイトバッファロー「ミラクル」の誕生を契機としてはじまった World Peace & Prayer Day(WPPD/せかいへいわといのりの日)。昨年の富士山における嵐の中の祈りの日は、誰にとっても忘れられないものになった。そのほぼ二ヶ月後、ミラクルは10歳になった直後にこの世界での旅を終えている(Native Heart Friday, October 08, 2004)。そして今年の6月、アメリカ、サウスダコタ、ブラックヒルズで10年目の節目をむかえたWPPD2005に参加してきたWPPD2004日本側実行委員の本出みささんの報告によると、来年6月のWPPD2006はアラスカで行われるそうだ。その後も、2007年はメキシコで、2008年はニュージーランドで予定されている。みささんは「聖地に集い、世界中の人々と、集いや祈りの場を共有することで、様々なレベルでの交流やつながりが深まっていくことに大きな希望を感じています。海外からの情報が届き次第、日本のWPPDのホームページにも記載する予定ですので、今後も時々HPを見ていただければ幸いです」と記していた。

arrow2 日本のWPPDのホームページ http://wppd2004.org/index.html

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沖の島では2000年前から小麦栽培

壱岐市の原の辻遺跡(国特別史跡)では約二千年前から小麦が栽培されていたことが、出土した小麦の年代測定で裏付けられたと県学芸文化課埋蔵文化財班の中尾篤志文化財保護主事が明らかにした。同課によると、原の辻遺跡での小麦栽培は、古墳時代初めの住居跡から小麦が見つかったことから同時期とみられていた。今回の研究成果で栽培時期が約三百年さかのぼることになった。(長崎新聞9月7日

小麦の栽培には1万年近い歴史があるといわれる。バレスチナからコーカサス山脈および南武カスピ海にわたる地域が発祥の地だと。小麦カルチャーはふたつのルートを辿って近東からアジアにもたらされた。ひとつはインド経由でインドシナ半島にはいり、そこから雲南省、四川省へ。もうひとつはトルキスタン、蒙古を経て、中国の黄土地帯へ。いずれにせよ中国に小麦が到達したのは紀元前三千年頃、今からおよそ五千年前になる。沖の島の原の辻遺跡で見つかった炭化した小麦が、「紀元一年前後の弥生中期末から弥生後期初頭のもの」と確認されたというニュースである。弥生時代といわれているけれど、これは日本列島に集団移住者による多くのコロニーが生まれていた時代の便宜的な呼び名に過ぎない。秦の始皇帝が中国を統一したのは紀元前二百二年だから、それ以前の戦国時代に難を逃れて新天地を求めて日本列島に移住してきてのちに日本人になっていく難民たち」が小麦を持ち込んで農耕をはじめたものだろう。日本列島では「前の世界(始まりもなければ終わりもない世界)」が「新しい生き方の世界」にのみこまれようとしていた。

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Thursday, September 08, 2005

あなたは「最も偉大なネイティブ・アメリカン」って誰だと思いますか?

greatna5年前、ネイティブとノン・ネイティブのあいだに理解を打ち立てることを目的に教育と啓蒙活動をはじめたレッド・ルーツ・エデュケーショナル・プロジェクト(RREP)という組織の中心人物であるテリー・ジーンさん(女性編集者、オーガナイザー)が、今、個人的に「最も偉大なインディアンは誰か?」という「とてつもないテーマ」(北山耕平談)のもと、Eメールでの投票を呼びかけている。そしてつい先日、さまざまな部族から211人の偉大なインディアンたちの第一次選考を通過した候補者たちが発表された。科学者、バレリーナ、作家、詩人、俳優、ミュージシャン、伝統的歌手、ポップ・ロック・シンガー、カントリー・シンガー、ビジネスマン、雄弁家、部族のチーフ、スポーツマン、土器師、教師、学者、政治家、活動家、コミュニティのリーダー、教育者、ジャーナリスト、宇宙飛行士、偉人、予言者、平和運動家、スピリチュアル・リーダー、セレモニアル・チーフ、軍属・軍人、戦士、前の世界の生存者、物理学者、医師、組織など、アメリカ・インディアンの世界では図抜けた「セレブたち」が集められている。これを読まれている方たちにもおなじみの人たちがいるかもしれない。有名人をひろってみると、コメディアンのウイル・ロジャース(チェロキー)、ギタリストのロビー・ロバートソン(モホーク)、エルヴイス・プレスリー(チェロキー)なんてひとたちまで、クレイジー・ホース(ラコタ)、スゥイート・メディスン(シャイアン)、レツド・クラウド(ラコタ)、ブラック・エルク(オグララ・ラコタ)、チーフ・ジョセフ(ネスパース)ら名だたるチーフや精神的指導者と一緒に名を連ねている。またAIMの創設者のひとりであるデニス・バンクス(アニシナベ)や、作家のシャーマン・アレクシー(スポケーン)などという人たちも顔を出している。ネイティブ・アメリカンのなかの過去現在を問わずに名をなした人、名をなしつつある人たちの出身部族や、来歴や、功績をひとつひとつ読んでいくだけでも、とてもおもしろい。別にネイティブ・アメリカンではなくても投票できるらしいので、関心のある方は該当ページの注意事項をよく読まれたうえで、Eメールで投票に参加してみるのはいかがだろうか? でもさ、これって「最も偉大なアジア人」とか「最も偉大なヨーロッパ人」みたいなものじゃないのかなぁ。

arrow2 Who is the Greatest Native American?

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Wednesday, September 07, 2005

自分がどれだけまっとうな生き方をしているかを知るための四つの指針

トワイラー・ニッチ Twylah Nitsch (1912〜)はセネカ・インディアンの、狼氏族のグランドマザーで、セネカ語の名前は「イェヘゥェノデ」「風に乗る声」という。よわい70歳になってはじめて伝統的な教えを分けあう決意をした彼女にいわせると、真実を知ったり、真実を口にしたりするだけでは、じゅうぶんに人間らしい生き方とは言えず、真実を行動に移さなくてはならないらしい。つまりわれわれは真実を生きねばならないのである。彼女は真実を生きるということの意味を知るために、自分に問いかけてみるべき四つの基本的な質問があるという。それが、以下の四つの質問である。

自分がどれだけまっとうな生き方をしているかを知るための四つの指針
  1. 今こんなことをしている自分は幸福だろうか?
  2. 混乱を助長するようなことをなにかしていないか?
  3. 平和をもたらすためになにかしているだろうか?
  4. 死後、自分はみなにいかに思い出されるだろうか?

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NO MORE WAR! NO MORE 9.11

050911

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Tuesday, September 06, 2005

チェロキーに伝えられた予言 #02

グレイトスピリットは赤い人たちには、インディアンの人たちには、大地の守護者としての役目を与えた。このサイクルのあいだ、われわれは大地の教えについて、大地から育つ植物のことや、口に入れることのできる食べもののことや、癒しの力をくれる薬草のことなどを学ぶことになった。そうすれば他の姉妹たちや兄弟たちとともにわれわれがいま一度集まったとき、そうした教えをみなで分けあうこともできるかもしれない。この大地にはなにか良きことか起こることになっているのだ。

次にグレイトスピリットは南に向くと黄色い人たちに風の守護者としての役目を与えた。その人たちは、みなのスピリチュアルな進歩のために、空について、そして地球の呼吸である息について、学ぶことになっていた。みながいま一度集合するときには、この人たちはその知識を分けあうことになっていた。

そしてグレイトスピリットは今度は西に向き直って、黒い種族の人たちに水の守護者としての役割を与えた。この人たちは水の教えを学ぶことになっていた。水は世界を形作っている主要な要素のなかでも第一の地位にあり、最も控えめであって、最も強力なものである。わたしは長老たちからこう教わったことがある。肌の黒い人たちが、いずれ水の教えを持ってくるだろうと。

さらにグレイトスピリットは北の人たちに向かいあうと、白い人たちに火の守護者としての役割を与えた。世界にあるものの多くのものをよくよく見れば、その中心に火があることがわかるだろう。「電球」は白人の火だというものたちがいる。車の内部をよく見ればその中心で火花が飛んでいるのがわかるだろう。飛行機の内部にも、汽車の内部にも、火を見つけることができる。火はすべてを呑みこみ、なおかつまた動く。大地のうえを動き回りわれわれをもう一度人間家族としてひとつにつなぎあわせはじめたのが、他ならぬ白い人たちの姉妹や兄弟だったのはそういう理由による。

それから長い長い時が流れた。グレイトスピリットはそれら四つの色の人たちのそれぞれに石版を二枚ずつ与えた。われわれ赤い人たちに与えられた石版は、アリゾナのフォーコーナー地区にあるホピ・インディアン居留地のサード・メサのうえで守られている。わたしはかつてある黒人に、彼らの石版がケニヤ山(訳注 ケニア中央にある火山で標高5199メートル)の麓にあるという話を聞かされたことがある。ククユー族の人たちが守っているらしい。あれは15年ほど前のインディアンのスピリチュアルなギャザリングでのことだった。

quillwheel2サウスダコタから来ていたあるメディスンマンがその集会の会場の中央にビーズで形作られたメディスン・ホィールを置いた。そのメディスン・ホィールは四つの色と四つの方角を表したものだった。彼が会場のみんなにたずねた。

「これがどこで作られたものかおわかりかな?」

「モンタナじゃないかな。あるいはサウスダコタか。ひょっとしたらカナダのサスカチュワンかもしれんな」

みんなが口々にこたえた。

すると彼が口を開いた。

「これはケニヤからきたものだ」と。そのメディスン・ホィールの作り方は、ビーズの使い方といい、色の具合といい、われわれのものとうりふたつだった。

黄色い人たちに与えられた石版は、チベットの人たちが守っている。仮にアリゾナのホピ・インディアン居留地から地球の反対側に通じる穴をずーっと掘っていくとチベットに出るのだ。チベットの人たちの言葉で「太陽」はホピの人たちの言葉では「月」をあらわし、ホピの人たちの「太陽」という言葉は、チベットの人たちの「月」をあらわす。

ヨーロッパの人たちの伝統を守り続けているのはスイスだ。スイスでは、それぞれの家族が自分の家に伝えられた仮面を持っていてそれをみなで持ち合う日という風習がある。それぞれの家族が自分の家の色というものをまだ知っているのだ。全員がそうだというわけではないが、シンボルがなにかをまだ知っているものたちもいる。これら四つの種類の人たちは、それぞれが偶然のように山々に囲まれたなかで暮らしている。(不定期につづく)

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Monday, September 05, 2005

チョウチョという名前のスーパー・タイフーン

bluebutterfly今度の台風14号は韓国語で「ナービーNABI)」という名前がつけられてる。「チョウチョ」という意味だそうだ。デジタル台風では「台風は当初の予報に比べると、しだいに東よりの経路を取りはじめています。現在のところまだ雲の形は崩れていないため、今後も勢力を保ち大きな暴風域を持ったまま、奄美〜九州へと接近することになりそう」と書いている(9月4日現在)。米軍合同台風警報センター(JTWC)は9月5日朝「九州を縦断して国東半島から周防灘、山口県、広島県、島根県の三瓶山を経て日本海(東海)にぬけて明後日に北海道奥尻島、檜山地方に再上陸との予想を立てた。気象庁も本日の午前8時にそれよりもやや東にずれ九州四国近畿地方を直撃の予想を発表した。いずれにしても最悪のコースを辿りそうな気配である。今日明日と息をひそめて空を見上げる日が続きそうだ。

ところでチョウチョはネイティブ・アメリカンの世界では「とてもスピリチュアルな存在」と考えられている。チョウチョがいるところにはとてもよいスピリットが降臨していると。それはまた「変化」の兆しでもある。生物学的用語では「変態」であり、芋虫からチョウチョへはまさしく「大変貌」をとげるものである。バランス、ハーモニー、優雅さ、平和、美しさ、そしてスピリチュアリティーなどがチョウチョについては語られるケースが多い。そこには悪い要素はまったく見られない。そういえば先だって、『セブン・アローズ』を書いたH・ストーム(HYEMEYOHSTS STORM)氏から『ジャンピング・マウス』の刊行を祝するメールが出版社に届いた。『ジャンピング・マウス』というシャイアンに伝わるお話しを世界に最初に公開した人物がストーム氏だ。『セブン・アローズ』のなかに『ジャンピング・マウス』の一部が収録されている。そのメールのなかに

Sometimes an author finds a butterfly suddenly perched right on his finger --your Edition of JUMPING MOUSE is in very good taste and delightful.
ときとして作家は、はっと気がつくと自分の指のうえに一匹のチョウチョがとまっているのを発見することがあります。あなたがたの作られた『ジャンピング・マウス』たいへんによいテイストで、素晴らしい。

と書かれていた。お世辞にしてもうれしいが、指のうえにチョウチョがとまっていることにあるときはっと気がつくという表現が、とても新鮮なものに思えたものだった。

きっとこのとてつもなくでかい台風に姿を変えたチョウチョは、それに見合うだけの大きな変化を運んでくるのだろう。これを機になにかが変わりはじめるような気がしている。選挙に与える影響だろうか? みなを夢からさませるような働きをするのだろうか?

進路にあたる地域の方々は充分に警戒されたし。必ず良きことがその後に起こるから。

(註 チョウチョって「一頭」「二頭」って数えるのが正しいらしいのだけど、「指先に一頭のチョウチョがとまっている」と訳すと、なんだか牛か馬のようなチョウチョを想像してしまうじゃありませんか)

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Sunday, September 04, 2005

大勢順応じゃないというのはこういうことなのかも

a_bigger_bang_地球を転がし続ける偉大なロックンロール・バンドであるザ・ローリング・ストーンズの最新アルバム(まだ「アルバム」と言っていいんだよね?)「A Bigger Bang」が9月5日にリリースされる。すでにこの「ひさびさの名作」との呼び声の高いアルバムのなかからシングル・カットされた「Streets Of Love」が8月22日にリリースされて、スペインではすでにチャートのトップに居座っているし、彼らのワールド・ツアーも8月21日のボストンを皮切りにはじまっている。ミック・ジャガーがニューズウイーク誌のインタヴューに語ったところによると、次のアルバムに収められている「Sweet Neo Con(ネオコンはおいしい)」という歌は、あからさまにブッシュとその仲間たちのやり方を批判しているものになっているらしい。歌詞のなかの一節は次のようなものだ。

「You call yourself a Christian, I call you u a hypocrite / You call yourself a patriot, well I think you're full of shit.」
「あんたは自分のことをキリスト教徒だと言っているようだが、おいらに言わせればな、おめえは偽善者さ。あんたは自分のことを愛国者と言っているようだが、おいらから見りゃあ、おめえはとんでもねえ糞野郎だ」

すごいですね。さすがストーンズのミック・ジャガーではありませんか。世界中のミュージシャンが腐りきって大勢に順応していたわけじゃなかったのですね。もともとロックというのはそういうものなわけで、筋金入りの(まつとうな)不良とは彼のような人のことをいうのかも知れません。バンドのギタリストでこちらも筋金入りのクールな不良だったキース・リチャーズは、でも「歌詞の内容に」少しだけ浮かない顔だとか。なぜなら彼は今アメリカに生活の拠点を移しているから。インタヴューでのふたりの言葉がおもしろい。

ミック・ジャガー:「思ったことをまっすぐ言ったまでさ」
キース・リチャーズ:「あまり比喩的な表現とは言えないがね」

少なくともアメリカで暮らしているわけではないミック・ジャガーは「おれはまったく心配なんてしていないさ」と笑い飛ばしている。この「よりでっかいバーン(A Bigger Bang)」には他に「最大のあやまち(Biggest Mistake)」「またおまえかよ、よしてくれ(Oh No, Not You Again)」なんて歌もはいっている。アルバムの発売はもうすぐだ。さっそく A Bigger Bang (試聴もできるぞ)を予約しなくては。

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Friday, September 02, 2005

自己検閲と大勢順応という腐敗した風土

戦争と平和に関する翻訳記事や重要な情報を、できるだけ早く知らせることを目的とした掲示板のTUP-Bulletin、その8月27日発行の「速報534号 テッサ・モーリス=スズキ、日本のメディアを語る」は読み応えのある記事だった。『辺境から眺める アイヌが経験する近代』(みすず書房刊 2000年)という「アイヌ問題」がじつは「和人(本土日本人)の問題」であることを指摘した刺激的な書物の著者であり、日本研究家としても独特の座標軸を持つ彼女の視点は真に「日本を開く」ために貴重である。以下にきわめて強烈に心に残った末尾の一節を引用しておく。何事かを表現しながら「日本」という腐れ切った風土のなかで絶望しているあなたは、ぜひご一読されたい。

TUP速報の購読は http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/

市民社会、地方メディア、そして新しいオンラインネットワークが手をたずさえたならば、ひょっとすると、日本の主流派ジャーナリズムをますます包摂しつつある自己検閲と大勢順応という腐敗した風土に対して、それが対抗力を生み出す日がいつか訪れるかもしれない。
テッサ・モーリス=スズキ

いつか。そう、いつか、きっと。かならず・・・

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アメリカ・インディアンの大学生がじわっと増加中

デイリー・カリフォルニアン紙が9月1日に伝えたところでは、政府が先週に公表した資料によると、この25年で全米の大学に通うアメリカ・インディアンの学生の数が2倍を超えているにもかかわらず、UCバークレー校だけは授業料の高いこともあって例外的にインディアンの学生数が少ないままらしい。

連邦教育省の報告では1976年に四年制の大学に通っていたインディアンの学生の数は35000人だったが、2002年には84600人にその数が跳ねあがっている。各部族が経営する大学が各地に増えたことも原因のひとつではあるだろう。同報告ではまた10年前までは四年制の大学に通うアメリカ・インディアンの数よりも地域のコミュニティ・カレッジに通うアメリカ・インディアンの数が多かったがそれももう昔の話であるようだ。

ところがUCバークレー校だけは例外で、インディアンの学生数は伸び悩みを見せていて、学部生のわずか1パーセントにもみたないほどだという。前年度のアメリカ・インディアンの学生数は123人で、この数は1995年の207人を大幅にしたまわっているとか。

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玉(特別に美しい石)文化の研究会とその研究発表会の案内

日本玉文化研究会という研究会がある。玉は当然「ぎょく」と読むのだろう。〈考古学上の「玉文化」(玉類及び装身具)に関する学術上の情報交換や研究活動を行なうことを目的〉につくられたと設立趣意書に書かれている。ひとりの「石」に興味を持つ人間のひとりとして、小生は日本列島において古代に発達した「玉文化」「石文化」にはただならぬ関心を覚えてきた。ヒスイの原石を確認するために糸魚川周辺を探索したこともある。交易の結果として日本列島や朝鮮半島や沿海州あたりの遺跡からヒスイの玉や珠や勾玉が出土するたびに、古代の日本列島の姿を想像してきた。この石にたいする古代日本列島人の信仰がどのように変形していったのか実に興味深い。というわけでこの玉に対する関心は「研究会」がつくられるぐらいに日本の中でも相当なものがあるようだ。とまれ石に興味を抱く人は日本玉文化研究会のホームページはお気に入りにいれておくべきだろう。とりわけ「連載講座」はなにかと役に立つ情報が掲載されている。会員になろうかな。

日本玉文化研究会 第3回北海道研究発表会
開催日:9月10日(土)・11日(日)
テーマ:「北海道のヒスイ玉の特質 −縄文時代後期を中心として−」
会 場:札幌市内及び札幌近郊(江別・恵庭・千歳・苫小牧)
問い合わせ:日本玉文化研究会(e-mail:jomon@sea.plala.or.jp
→ http://gyokuken.sakura.ne.jp/menu/menu.htm

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チェロキーに伝えられた予言 #01

チェロキーの予言は、1986年にアラスカ州のフェアバンクスという都市で南北アメリカの先住民の代表が集まって会議を開いたときに、チェロキー一族のリー・ブラウンによって世界に公開されたものであり、以下はその要約であるが、オリジナルそのままではなく、小生(北山耕平)がところどころに読者の便宜を思って解説を加えてある。(当然だが予言のコアの部分には脚色は加えていない)

予言の伝えるところでは、かつて「鉱物の周期」「石のサイクル」の時代があったという。そして時を経て「植物の周期」の時代に移る。そして「植物のサイクル」の時代もやがて終わりを迎えると、つぎには「動物の周期」がはじまった。ここでいう「周期」「サイクル」というのは時代が大きな輪を描いて廻ることを意味している。ネイティブの宇宙観では時間は一直線に続いているのではなく、時間も又大きな輪を描いていることになっている。「時の輪」である。これを「サイクル」とここでは呼んでいる。1986年になぜ南北アメリカの先住民の代表がアラスカに集まって会議を開いたかというと、そのころがここでいう「動物のサイクル」が終わりかけていたからであった。地球各地で動物たちが姿を消しはじめていた。そうやって「動物のサイクル」が終わり、本格的な「ヒューマン・ビーングのサイクル」がはじまりかけていたのだ。「人間の周期」に全面的に移行すると、われわれにあたえられていた最高最強の力が、いよいよ人間のものとして解放されることになるのだ。

じつは「人間の周期」は昨日今日にはじまったわけではない。それはご存知のことと思う。「人間のサイクル」は数万年前にはじまっている。それこそが「ネイティブ・タイム」である。チェロキーの言い伝えでは、この「人のサイクル」がはじまったとき、グレイトスピリットが姿をあらわし、地球のうえの人たちを一堂に集めてこう言われた。

「わたしはこれからあなた方を地球の四つの方向に派遣することにする。やがて時が経ると、それぞれの方角に向かった人たちの色が四色に変わってしまうだろう。みなを送り出す前にあなたたちにいくつか教えておくことがある。あなたたちはこれを『もともとの教え(オリジナル・ティーチングス)』と呼ぶことになるだろう。いずれまたみなが寄り集まり、この教えをわけあうことがあれば、この地球のうえで平和に生きていけるし、偉大な文明が出現するかもしれない。わたしはあなた方にふたつの石版を授けることにする。時の輪が回っているあいだ、これらの石版をけして大地に投げ捨てるような真似をしてはならない。兄弟たち姉妹たちのなかで、もし誰かがこの石版を大地に投げ捨てた場合には、人間に苦難が降りかかるだけではなくて、地球そのものが死んでしまうようなことが起こるだろう」

そのような言葉を伝えたあと、グレイトスピリットはわたしたち一人一人に責任と守護すべきものをお与えになった。(不定期につづく)

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Thursday, September 01, 2005

4000年前のネイティブ・ジャパニーズの特別な建物が遺跡で発見された

北海道で最大級の平地住居跡を発見 斜里・縄文時代中期の「来運1遺跡」
北海道新聞 2005/09/01 09:23

【斜里】網走管内斜里町にある縄文時代中期(約四千年前)の「来運1遺跡」(同町来運二〇)で、直径十二−十三メートルの円すい形をした伏屋式平地住居跡が、同町教育委員会の三十一日までの発掘調査で見つかった。縄文時代の平地住居跡では道内最大級の規模。専門家は、同遺跡が、付近の集落の拠点だったとみている。

 同町教委は昨年五月から発掘調査を開始。昨年の調査で深さ約五十センチの地中に、だ円形を半分にしたような形で長さ七メートル、幅一・五メートルの格子状に組まれた炭化した木材が出土し、住居の外壁だとみられていた。

 さらに、今年の調査で炭化した格子状の木材が、直径十二−十三メートルの円形に広がり、同心円状に並んでいたことが判明。地面は平たんで、縄文時代では珍しい「伏屋式平地住居跡」で、木材が屋根に使われていたことがわかった。

 遺跡には、炉など火を使った跡がないことから、生活のための住居ではなく祭祀(さいし)の場などだった可能性が高いとみられている。

 調査に当たった同町立知床博物館の松田功学芸係長は「平地住居跡の発掘例では根室市の穂香竪穴群などで直径五−六メートルのものがあるが、今回の規模の大きさは道内では初めて。屋根の格子に細い枝材を組み込み、土が落ちないよう工夫しているのも興味深い」と話している。

 発掘の調査指導をした東北芸術工科大の宮本長二郎教授(建築史)は「直径が十メートル以上あり、広い範囲を統括していた拠点集落の中心だったと考えられる。縄文時代は全国的にも竪穴しか住居として認知されていないが、屋根材が平地に残っていたことで今後、(縄文時代にも)平地住居があったとの認識が強まるだろう」と話している。


「生活のための住居ではなく祭祀(さいし)の場などだった可能性が高い」とある。「祭祀の場」という言葉が、縄文時代の遺跡を語る時、それがなんだか現代人の頭で理解できないと、ほとんどいつでも判で押したように使われるけれど、ネイティブ・ジャパニーズ・ピープルの生活って、生活のすべてが儀式、一日二十四時間が宗教の生き方なのだから、当然と言えば当然だよね。すべてが祭祀の場なわけだから。そろそろ他の表現を考えられないものなのかな? 当方の想像力不足なのか「伏屋式平地住居跡」というのがいまひとつわかりにくい。具体的にどんな建物だったのだろうか?

wigwam富山市教育委員会事務局主幹の藤田富士夫氏が「富山の住まいと暮らし」というテレビ放送の講座の記録のなか、「縄文の住まい 遊動から定住へ」と題された非常に興味深い講義のなかで「鹿児島県国分市の上野原遺跡(早期前半で約8,000年前)では、伏屋式平地住居が多数発掘されており、定住集落が縄文早期に確立していることを示す」と話している。木材を円錐形に組んで、獣皮や草等で屋根を覆う伏屋式平地住居は非常に早くから日本列島に広まっていた建築様式であるらしい。「ウィキャップ」とか「ウィグワム」と呼ばれるものとも似てそうだ。ネイティブ・ジャパニーズは、定住インディアンだったのかも。もっとも、人というのはもともとが定住指向が基本なわけだし、イロコイなどの森林地帯の人たちと同じような「ロングハウス」と呼ばれる大きな長い家を村の中心にすえたライフスタイルがあったとしてもおかしはくない。ちなみに亀の島(北アメリカ大陸)の住人たちが長い歴史のなかで風土に適して独自に開発した家の作り方には大きく七種類あると言われている。「ウィキャップ」「ウィグワム」「ロングハウス」「ティピ」「ホーガン」「ダグアウト」「プエブロ」だ。このうち「ウィキャップ」と「ウィグワム」が伏屋式平地住居にあたるものだと思う。ネイティブ・アメリカンの家については「NATIVE AMERICANS Native Housing」のページに写真も絵もたくさん掲載されているので参考にしてみてください。そのページの記述によれば「最も一般的な家はウィグワムで10人から12人が暮らせるほどのもの」という。ネイティブ・アメリカンの伝統では、ウィグワムを建てるのは一族の女性たちの大切な仕事とされた。はたしてネイティブ・ジャパニーズの場合はどうだったのだろうか?

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