沖の島では2000年前から小麦栽培
壱岐市の原の辻遺跡(国特別史跡)では約二千年前から小麦が栽培されていたことが、出土した小麦の年代測定で裏付けられたと県学芸文化課埋蔵文化財班の中尾篤志文化財保護主事が明らかにした。同課によると、原の辻遺跡での小麦栽培は、古墳時代初めの住居跡から小麦が見つかったことから同時期とみられていた。今回の研究成果で栽培時期が約三百年さかのぼることになった。(長崎新聞9月7日)
小麦の栽培には1万年近い歴史があるといわれる。バレスチナからコーカサス山脈および南武カスピ海にわたる地域が発祥の地だと。小麦カルチャーはふたつのルートを辿って近東からアジアにもたらされた。ひとつはインド経由でインドシナ半島にはいり、そこから雲南省、四川省へ。もうひとつはトルキスタン、蒙古を経て、中国の黄土地帯へ。いずれにせよ中国に小麦が到達したのは紀元前三千年頃、今からおよそ五千年前になる。沖の島の原の辻遺跡で見つかった炭化した小麦が、「紀元一年前後の弥生中期末から弥生後期初頭のもの」と確認されたというニュースである。弥生時代といわれているけれど、これは日本列島に集団移住者による多くのコロニーが生まれていた時代の便宜的な呼び名に過ぎない。秦の始皇帝が中国を統一したのは紀元前二百二年だから、それ以前の戦国時代に難を逃れて新天地を求めて日本列島に移住してきてのちに日本人になっていく難民たち」が小麦を持ち込んで農耕をはじめたものだろう。日本列島では「前の世界(始まりもなければ終わりもない世界)」が「新しい生き方の世界」にのみこまれようとしていた。
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