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Thursday, August 04, 2005

自分が誰かを知るために自らにたいして施す教育のすすめ

「われわれは自分が誰かを知るために自らを教育しなくてはならない。わたしが『子供たちに教えよう』というのは、そのことを意味している」
バウドウェー・ウィ・ダン(エディー・ベントン・バナイ)
オジブワのエルダー、教育者、AIMの創設者の一人

エディー・ベントン・バナイのこの言葉は、本出みささんが翻訳された『ネイティブ・アメリカン 叡智の守りびと』(スティーブ・ウォール+ハービー・アーデン著 築地書館 1997)のなかに出てくる。鍵は「教育」という言葉だ。この場合の教育は「国家の奴隷になるための教育」ではない。「自分が誰か」「自分は何者か」を知るために、「自分が自発的に自分に施す教育」のことである。わたしたちが自分に与えられているパワーの源にたどりつくためには、自分を知ること以外に道はない。「汝、自身を知れ」は昔から繰り返し言われてきた箴言である。それは「あなたがあなた自身について知っていることを聞かせてくれたら、つぎにはわたしが、あなたが神についてなにを知っているかを話してあげる」ということでもある。自分自身について語ることは、そのまま自分の信ずるもののことを語ることでもあるのだから。自分が誰でどこから来たのかについて知れば知るほど、精神的に成長することを選べるようになってくる。そうするとそれに連れて次第に行いも正され、やがて子供に人間として生きる道を教育できるようになる。自分が誰なのかをわかっていない人に子供の教育をまかせっぱなしにしていることはとても危険なことでもあるだろう。今日の言葉の締めくくりにエディー・ベントン・バナイの言葉をもうひとつ書きとめておこう。

「成功の秘訣は、ひたすら苦痛と快楽に身をゆだねるかわりに、そうした苦痛と快楽の使い方を学ぶことにある。それができてはじめてあなたは自分の人生をコントロールしていると言える。それができなければ、あなたは人生にコントロールされているのだ」

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Comments

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Posted by: cocoro☆ | Thursday, August 04, 2005 at 02:53 PM

12歳の時に死に面し、その後自分がどのように生きたいのか知るためには自分自身が何者なのかを知らなければならなかった。わらうという感情を忘れたまま七年間を過ごしし、自分というもの(自分がこの世界で立っている位置)が理屈ではなく全身全霊で理解できたのは22歳のときだった。以前には知ることの出来なかった心奥からのわらい、悲しみ、さまざまな感情をそのまま覚えるようになったとき、インディアンたちに逢った。彼らはおれと同じ大地に生きるひとびとだった。

自分を知るということは世界を知るということだ。世界を知るということは自分を知るということだ。

自分を知ろうとした人は、目の前のくさや木、土やかぜを見てごらん。最初は何も聞こえないかもしれない。しかし、ニンゲンの造った言葉を忘れてごらん。彼らのこえがきこえてくるよ。そのこえは、自分の体や魂からだって、おなじようにきこえてくるんだ。こどものときは、みんなきこえていたことばなんだ。

Posted by: 山竒 | Friday, August 05, 2005 at 09:33 AM

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