3000年前の南太平洋民の先祖の顔が復元された
共同通信が8月23日に「南太平洋民の先祖の顔復元 3000年前の頭骨で京大教授」として写真入りで伝えたニュース。
【シドニー18日共同】南太平洋のフィジー諸島で発掘された約3000年前のものとみられる人の頭蓋(ずがい)骨から復元した顔の像が完成し、フィジーのサウス・パシフィック大学がこのほど公開した(写真あり)。骨は南太平洋の島々に住む人々の先祖とされるラピタ人のもので、ラピタ人の顔が復元されたのは初めて。この人骨は、同大学などの調査団が2002年半ばにフィジー中部の小島、モトゥリキ島の集落跡を発掘中に発見。ソロモン諸島の方言で「真実」を意味する「マナ」と名付けられ、詳しい分析のため京都大学霊長類研究所の片山一道教授(現・大学院理学研究科教授)に送られた。
ソロモン諸島では真実は「マナ」というのだね。マナは、ポリネシアの世界ではどこでも「スピリチュアルな力」を意味している。
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Comments
「マナ」はやまとことばでも「カナ」に対する言葉として知られていますね。「仮名」は仮の言葉、「真名」はまことの言葉。「国語学」では仮名をひらがな、真名を漢字としていたりしますが、本来はそんな文字のことなどを言ったものではないです。
「カ」とはものごとの具象化している面を指している音で、「マ」は目に見えないものごとの本質そのものを指しています。そのものが存在している源のすべてというか。
だからたとえばあるひとの「マナ」といえばそのひとのすべてについて語っている。いまのそのひとの内外面はもちろん、そのひとの今に至るまでのつながりあるすべて。
しかしそれは限られた音にまとめられるものではとてもない。だから、そのひとのある一面しかあらわさないけれども音に出して言えることの出来る具象化した「カナ」、仮の名前が要る。
マナを知ればそのもののすべてを支配できるという考えもここから発展したのでしょうね。
またマナはモノにも通じる。「物、者、鬼」。「鬼」という字にはいろいろなよみを当てているけれど、モノとよんだのは「正体、得体が知れないが(=目に見えない)、本質的なちからを感ずる」という畏れからでしょう。
環太平洋はもとより氷河期以前には全世界でひとつの言語を使っていたのだと思っています。方言はあったでしょうが。それが何でこんなに「違う言葉」になってしまったのか、聖書にあるバビルの塔の逸話は大いなる示唆なのでしょうか。
「白人と話をしても無駄だ。彼等とは言葉だけでなく考え方(生き方)そのものが違う。」
ネイティブの言葉をよみがえらせるということは生き方をよみがえらせるということで、それは人も獣も草も木もおなじことばを話していた時代をよみがえらせるということで。・・・
Posted by: 山竒 | Wednesday, August 24, 2005 10:56 AM