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Monday, August 15, 2005

人生は娯楽ではなく、神聖なつとめ

「人生は娯楽なんかではない。それは神聖なつとめだ」
マシュー・キング ラコタのエルダー

1989年に別の世界に旅立たれたマシュー・キング翁は、おそらく20世紀後半のラコタ一族で最も偉大なチーフの一人であった。クレイジー・ホースとシッティング・ブルという偉大な二人のラコタを祖父に持つ彼は、一族の人たちには「チーフ・ノーブル・レッド・マン(高貴な赤い人)」として知られ、70年代にはじまったインディアンたちの「偉大な目覚め」の仕掛け人の一人でもあった。彼は次のような言葉を残している。

「人間にも、民族にも、国にも、本来の使命というものがある。そのものがいのちある限り従うことを求められている道が。その道を見つけ出してその道を進むことがなければ、人生は空虚で、意味のないものとなるだろう。だがその道を見つけ出すことができさへすれば、それはつまり、いつの日にかその道の上を歩いているおのれを見つけ、おのれがおのれの原初の使命にしたがっていること理解したときには、そのものはいまだかつて夢にすら見たことがなかったような生きる意味を知ることになるはずだ。そのときになってようやく、人生が、快楽や権力や貨幣のためにあるのでなく、なんのためのものなのかが理解されよう。快楽や権力や貨幣を追いかけることは時間の無駄である。人生は聖なる道の上を生きるためにある。人生とは道である! 自分が原初の使命にしたがうつもりなら、ほかの選択などそこにはなく、どこに向かうにせよ、おのれの道にしたがうまでのことである」

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