糸魚川周辺を基点に縄文の交易網7千年前から
現在の石川県と新潟県糸魚川周辺の海岸地域を結ぶ交易網が、縄文時代早期の約7000年前にすでに存在したことが、金大・金沢学院大の藤則雄名誉教授(地球科学)の研究で分かったという記事が北國新聞社のきょうのニュース(2005年7月7日更新)にでていた。
石川県内の同時代の遺跡から出土した石器に、糸魚川産の石灰岩を含む石材が使われていることを藤教授が突きとめたのだという。すでに存在が確認されている縄文前期末—中期の糸魚川産ヒスイの全国的流通(交易)ネットワークよりも前、北陸地方ですでに石を通じた交易が行われていたことを示しているらしい。
七尾市の三引遺跡、能登町の真脇遺跡、金沢市の上安原遺跡、野々市町の御 経塚遺跡など県内の縄文早期から晩期にかけての遺跡から出土した石器約6400点の材質を調べたところ、このうち、三引遺跡など縄文早期から前期初めにかけての遺跡から出土した装身具が、糸魚川産の石灰岩系の石を加工したものと特定された。そのほかの石器にも蛇紋岩(じゃもんがん)や輝緑凝灰(きりょくぎょうかい)岩、粘板(ねんばん)岩、古生代砂(こせいだいさ)岩など、糸魚川や周辺山地の石が使われていたという。
ヒスイが運ばれた交易網は加工技術が発達した縄文前期末以降、産地の糸魚川を中心に礼文島から九州まで全国に拡大したことが知られているが、今回の研究では、縄文人がヒスイの加工技術を獲得する以前にも、比較的加工が容易な石材の交易を行っていたことをうかがわせる。金沢学院大の小嶋芳孝教授(考古学)も「ヒスイの全国的な広がりは、それ 以前にあった原石の交易ルートにのって各地に広がったものと思われる」と指摘する。
藤教授は石材の運搬技術について、「南米ペルー・チチカカ湖で用いられるような枝や草などの船を造り、沿岸を含む海路で運んだ可能性もある」との仮説を示し、これまで県内の遺跡からこうした船の出土例はないとした上で、「今後、こうした観点で発掘を進めると共に、実証のための実験を行いたい」と述べたという。
以上が記事の一部始終だが、そういえば20年ほど前、静岡側からフォツサマグナ(日本列島の裂け目)を辿って糸魚川まで行き、姫川の上流にある巨大な翡翠の原石の上に寝転がってきた記憶がある。太古から神石信仰の拠点であった糸魚川周辺だが、日本列島の開拓初期(日本国成立以前)に、糸魚川姫川のヒスイの多くが出雲を経由して半島大陸に送られたと小生は考えている。
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