グレイトスピリットにはすべてがお見通しであるということ
「グレイトスピリットには見えないものはなにひとつなく、聞こえないものはなにひとつないことを、われわれは信じるように教わって育つ。そうやって見たり聞いたりしたことを、彼は絶対にお忘れにはならず、その功罪に応じてひとりひとりの人間にスピリットの家を与えてくださるのだ。心良き人間には良き家庭が与えられ、悪しきものには悪い家庭が与えられる」チーフ・ジョセフ(1840-1904)
ネスパースの有名なチーフ
人の目はだませても、自分を創ってくださった偉大な存在の目は誰にもだませるものではない。自分がなにを考え、なにをしようとしているか、そうしたことはすべてお見通しなのである。ネイティブ・アメリカンが「グレイトスピリット(偉大なる精霊)」と言うとき、それは自分をも含めたこの世界のあらゆるいのちを創りだされた存在を意味している。創造主であり、造物主だ。かつてネイティブだった記憶をかすかに持つわれわれ「日本人をやっているもの」の頭のなかからすっぽりと消されてしまっている概念のひとつが、この「グレイトスピリット」であるだろう。人間を「神」にするかわりに失ったものはとてつもなく大きいようだ。グレイトスピリットは創造主として火、水、土、風の四つの要素からすべてのいのちを作り出された。すべて自然のなかにあるものがそれぞれつながっていていのちの網になっているというのはその事実を伝えている。その存在はなにもキリスト教の専売ではない。創造主は、当然ながら「応報のシステム」もおつくりになられた。応報のシステムとは、なにかをすればなにかが返ってくるというもののこと。春に植物の種をまいて、夏にそれなりのケアをすれば、秋には収穫があるというのもそのひとつ。良いことをすれば良いことがかえってくるし、悪いことをすればそれなりの報いがもたらされる。「因果応報」という言葉は知らない人はいないだろう。これはあたりまえのこととして「その人間が考えること」にもあてはまってしまう。われわれが誰かのことを考えたとき、われわれのほうも又同じように誰かに考えられているのである。われわれが送り出すエネルギーは、物質であれ精神であれ、そのまま自分たちのところにかえってくる。この「応報のシステム」そのものを改変することは、われわれ人間には出来ない相談である。これからどうするかよりも、その人間がこれまでなにをしたのかが、ほんとうに大切なことなのだ。
*ネスパースは現在のアイダホ州から北ワシントン州にかけてをテリトリーとしている平和を愛する一族。チーフ・ジョセフは、一族の人間には「水面から立ちのぼって山の高見から空にしろしめす雷」という名前で知られた偉大なチーフだった。同じようにチーフだった父親が合衆国政府と結んだとされる一方的な条約にもとづいてリザベーションに送られることになり、一族のものの先頭に立って最後の戦いを闘ったが、力尽きて投降。捕虜となった一族は居留地に送られた。チーフはなんとか故地にかえるべく交渉を続けたが、結局居留地で絶望のうちになくなった。「戦うことにつかれた。わたしは二度と永遠に武器は取らない」という言葉が記録されている。
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