線を引く行為にひそむ危険
「太陽の力添えで地球は形作られたのだから、生まれたままの姿でいつまでものこしておかなくてはならない。国と国とをわけへだてる境界線などというものははじめからなかったわけで、人間がわざわざ線を引くようなものではないのだ」チーフ・ジョセフ、ネスパースの長老
「国なんてものはないのだ」と想像してごらんと歌ったのはジョンだった。「そのために殺したり死ぬことなんてないのだよ」と。でも、国というのはもともと人間の心のなかにあった。なかったのは「国と国の間に線を引く」ことだ。なにかとのあいだに線を引いて境界線を設けようとするとき、そこに「危険」が必ずひそんでいる。線を引く行為のなかにひそむ危険は、われわれの内側にもあるし外側にもある。あらゆるものとのつながりや相互依存関係が見えなくなってしまうこと、きっとそれがとても危険なことなのだ。いろいろな相関関係を見失い、孤立し、声高に自分のものを主張しはじめる(これは俺のものだぞ! 自分のものを好きにしてなにが悪い!)。すると、かならずもめ事が起きることになる。個人のレベルであれ、国家のレベルであれ、それはかわらない。わたしたちが存在していることがそのまますべてのものと密接に、網の目のようにつながりあっていることが信じられなくなると、自己中心的になり、自分の好き勝手に振る舞いはじめたりする。調和やバランス、全体性を常に考慮に入れなくてはならない。自分という存在、自分の国というものが、なにかとてつもなく偉大なあるものの一部であることをわきまえたうえで、それにしたがって自分を、自国を律しなくてはならないのではないか。
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高校の頃、物理の先生が話していた。
「電子というのは、実はどこにあるのか分からないんだ。原子核の周りにある可能性が高いというだけで、一瞬後には十メートル先にあるかもしれないし、あるいはアンドロメダ星雲にあるかもしれない。ぼくらの体がどこまでぼくらの体か、じつは誰にもわからない。」
交じり合い関わりあった中でわれわれの体が出来ている。それはこころも同じで、きのう見た雲とか、あの時言われた言葉とか、いつも影響しあい交じり合っている。
自分というのは自分でないものたちと繫がりながら存在しているし、自分以外のものたちも自分の存在と一緒にある。
線を引く人は、「殻」のからだにとらわれて、「自分」以外を拒否していこうと必死になる。それはとりもなおさず自分をも拒否することなのに。
ひとが人であることに固執するとき、他の魂たちを傷つける。ひょっとしたらそれは、肉体の一部が切り離される傷みなのかもしれない。癌が生まれる苦しみなのかもしれない。
地球はいま、傷みを味わっている。
Posted by: 柴﨑 | Wednesday, June 08, 2005 at 01:16 PM