なぜわたしはこのブログを続けているのか
[この文章は2005年6月1日に公開したものの改訂版である]
もうじき夏至の日が巡ってきます。サンダンスの季節到来です。今年(2005年)は夏至の日と満月が重なるので、きっと大きなターニングポイントになるかもしれません。
じつは最近はっと我に返って気がついたのですが、このブログを、腰をすえてはじめてから一年以上が経ちました。おかげさまで累計アクセス数も一年余で10万になろうとしています(実際は最初の数ヶ月間はアクセス解析をしていなかったので、ほんとうの数はわからないのですが)註。
もともとこのブログをはじめたきっかけは、ラコタ族の精神的指導者であるチーフ・ア−ボル・ルッキングホースの提唱する「せかいへいわといのりの日(World Peace & Prayer Day 2004 Japan)」のために自分になにができるのかということでした。書くことを仕事にしていたので書くことでそれに参加してゆこうと。そして富士山の朝霧高原であのヴィジョンの雨の中思ったのは、ブログを続けていこうということでした。それで終わりにするのではなく、それをはじまりにしようと。思えばわたしはアメリカ大陸から帰ってきて以来富士山のスピリットと共に今日まできたようです。富士吉田、熱海、伊東、修善寺と富士山の気を感じる場所に長いこと暮らしてきて、富士山がどのような扱われ方をしているのかを見続けてきました。聖なる山とネイティブのスピリットとの関係をわたしはアメリカ先住民の人たちから学びました。「常に山の頂を見続けよ」と彼らはいいます。「すべての山の頂には神が立っている」とも。アメリカの大地とアメリカ・インディアンの精神のことを日本列島で日本人をやっている——祈ることを忘れた(あらかじめ奪われていた?)——若い世代に、できるだけ伝えていきたいというのが、長いこと自分の希望でした。そのための道案内になるような本も、書いたり翻訳したりしてきました。もちろんそれで食べていけるようなわけにはいかないので、昔とったきねづかというか、雑誌編集の技術を生かして毎月仕事をしつつ、それでもブログだけは続けていこうとあの横殴りの雨の中で考えたのです。
「ぼくの人生はサンダンスだ(My Life Is My Sun Dance)」とレオナルド・ペルティエという証拠もないままFBI職員を銃殺したとして、本人は完全に否定しているにもかかわらず、20年以上も牢獄に入れられているひとりのラコタとアニシナベの両方の血を受け継ぐ戦士が獄中記で書いていますが、実際サンダンスとは生きることそのものなのかもしれないと小生も思うことがあります。この一年をかけてようやく形にすることができた「ジャンピング・マウス」という、すべてがシンボルから構成されているシャイアン一族の物語も、まさしくそのことを教えてくれています。サンダンスというのは、平原インディアンの人たちが夏至の日の前後におこなう年に一度の大例祭です。自分を偉大な存在に明け渡すことによって願いを聞き遂げてもらうための過酷で壮絶な儀式である祈りの踊りがその中心にあるのですが、ひとたび踊りはじめた者にとってそれは大例祭の四日間で終わるのではなくて、象徴的には残りの人生のあいだ続くものなのです。そしてそれは World Peace & Prayer Day についても同じことが言えるでしょう。それは数日間の印象的な催しごとではなく、それ以後もずっと続いているのですから。
わたしは読者(あなた)をアメリカ・インディアンに改造しようとしているわけではありませんし、アメリカ・インディアンのように振る舞えといっているわけでもありません。アメリカ・インディアンのところで学んだ儀式をみんなに勧めているわけでもありません。そうしたことに意味があるとも思えません。われわれはアメリカ・インディアンにあこがれる必要もないし、またなる必要もないのです。
わたしたちは自分のなかの「インディアンの部分」を眠らせたまま長いこと日本列島で生きているということに気がつけば、自分のスピリットと日本列島のスピリットとをつなぐはずのものの存在に気がつけば、そこから新しい生き方がはじまり、もう一度日本列島においてネイティブとはいかなることかを学びなおすことも可能になると信じるからです。かつて遠い昔に「大陸伝来の文字」によっていつのまにか牢獄に閉じこめられてしまった「自由な精神」を、もういちど今度は「文字と声」の魔法の力によって解き放つことはできないものだろうかと、わたしは考え続けています。わたしが「書くこと」と同じかそれ以上に「話すこと」を重視しているのもその理由によります。
母なる日本列島から自然がすべて姿を消してしまわないうちに、日本列島の深いところと自分のスピリットとを結びつける新しい世代が登場することを、あの横殴りの、しかし不思議とやさしかった台風の雨、くしくも「雷の母(The Mother of Thunder)」と名づけられた特別な台風の中で、わたしは富士山から教わることが出来ました。そしてその人たちのために、それらの目を覚ましつつあるスピリットたちのために、このブログを続けていこうとあらためて今思っています。
今日はこれを読んでくれてありがとう。
そしてわたしのウェブサイトにようこそ!
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Comments
あの時何故いくことになったのか、不思議な朝霧でした。確かにあの6月、知人に富士山に誘われていましたが行く気にならず、ひょんなことからWPPDのイベントのことを知り遊びがてら湖畔の宿を予約したのです。でも結局キャンセル。参加するのはやめようと思ったのです。
ただパイプセレモニーだけ参加を決めバスを予約。当日朝、嵐覚悟で横殴りの雨の中数時間
立ち尽しました。結果・・・感じたのは異常な高揚感と喜びでした。私は悲惨な雨を嘆いて疲れているのに・・・魂のようなところが歓喜している感じでした。帰り迷い込んだスタッフルームからタクシーを呼び、何人いたともわからない高原にいた隣の人と偶然再会し、一緒にタクシーで駅までいき、即動いている新幹線に乗り、何も無かったように家路につきました。
まだまだわからないことばかりですが、いずれきちんと書くことで自分の気持ちをまとめたいと思っています。
なので、書く仕事をなさっている北山さんのブログはものすごい勉強になります。
これからもがんばって続けてください。
Posted by: 信珠 | Wednesday, June 01, 2005 07:10 PM
始めて、コメントを書き込んで居ります。
あの日、祈りの輪とムーンサークルで祈った人々の心に宿った平和の灯火、消えないで欲しい。消さないで欲しい。大きな人、小さな人、強い人、弱い人、人はそれぞれ違うから、自分にできることから始めれば良いと思います。ただ、先日北山さんも書いてらしたように「わたし」が「今」やることが大切だと思います。こういう私、自分の短所、弱さも良く知っているからこそ、あの日「諦めない」と誓いました。あの場に居合わせたみなさんに向けて誓いました。平和を諦めない。
祈りの後、本部のあったヴィジターセンターで参加者に囲まれて話をしていらした北山さんを見つけました。私は、どうしてもご意見を伺いたいことがあって、その輪に加わり順番を待ちました。機を得て、ルッキングホース氏の「インディアン以外による儀式の中止とパイプの返還を求める声明」につてお尋ねし、それをどう受け釣るべきか貴重なご意見を頂きました。そのときも、今日のブログのように「インディアン流である必要は無いのではないですか。儀式の意味は、例えば、あなたが1本の木のもとへいって共に生きているということを確認しあい、絆を育むことと同じはずだ」というような話をして下さいました。私が目指す生き方も、この「日本」と呼ばれている大地に授かった自分を、この大地に相応しく生きて死ぬということことです。
ただ、私が、そういう思いに至ったきっかけは、北米先住民の生き方に触れたことでした。13年前になりますが、旅をして、その間にクリンギットとナバホのコミュニティーで暮し、サンダンスに4年はダンサーとして1年はサポーターとして参加する機会を得ました。最初のダンスで言われたことは、「サンダンサーであるとは、偉大なマッチョ・インデイアンであるということでは無い。人々に仕える身になったということだ。これからお前の人生は毎日がサンダンスだ。行って仕えなさい。」最初のサンダンスで、始めて知ったのは絆でした。私と親兄弟、友人、私が触れた全て、日本という大地と自然。
旅から帰り、7年という心と暮しの葛藤の末、まず自分が祈るためにイニピィロッジを作りました。そのときから、月に一度ですが、今日まで欠かさず祈りのときを持っています。自分が大地とすべてに繋がっていて、ひとつであるということを思い出すために。3年前からは希望する方があれば、ご自分と全ての絆を思い出すきっかけにして頂きたいと思い、どなたでも参加して頂いてます。北山さんとお話した後も色々と考えましたが、イニピィの火は燃やし続けることにしました。インディアンに成るためでなく、ほんとうの自分であるために。
今年の夏至の日にも祈りの火を焚きます。10人にもならない小さな輪ですが、この輪は平和を願う全ての人に、全ての存在に繋がっているはず。この祈りを私たちに繋がるすべてに捧げるつもりです。
最後になりましたが、いつも「諦めない」姿を見せて下さってありがとうございます。私も私なりに諦めません。あの輪の中にいて下さったあなたにもこの言葉を捧げます。
かわじり
Posted by: かわじり宏昭 | Thursday, June 02, 2005 03:17 PM
北山さんのこのサイトをひょんなことから見つけてからというもの、今ではなくてはならないものになりました。お仕事の傍ら、このブログを継続されるのは非常に労力を費やされる作業であろうとお察しします。私は現在アメリカ大陸で生活しています。先住民族の歴史の色の大変濃い場所です。今年はじめに日本に帰った折、富士山の夢を見ました。写真のような二次元の画像ではなく、立体映画を見ているような大変美しい姿でした。富士山のまわりの空気の動きが感じられるような不思議な映像でした。それが画面いっぱいに映し出されましたが音はまったくありませんでした。
これがアメリカに戻る三日前に見た夢です。
そのまま日本を発ちました。富士山のあの映像のことも忘れかけていたときに急にまた思い出し、そのとき突然頭の中に
ぽかんとある言葉が浮かび上がりました。
それまで富士山はお天気を知りたい時くらいにしか見ることはありませんでしたが、北山さんのおっしゃるとおり、やはり聖なる山なのだろうかと・・・思い始めています。
あの夢以来立て続けに不思議な、というかありがたい体験をさせて頂いてます。それは自己満足のためでなく人のために使うべき経験なのでしょうが、何をどうしたらいいのか私には分かりません。
ただ今は、富士山の夢で頂いた言葉の通り「志を高く」自分の中の太陽を信じて毎日を淡々と生きています。
Posted by: 螢月 | Friday, June 03, 2005 09:08 AM
こんにちは。
六甲でお世話になりました。
大変よいときを過ごさせていただき、ほんとうにありがとうございました。
当日おはなしした内容を少しTBしてみました。よろしければ、ご参考にしてくださいませ。
また、みなさんにお会いできればいいなと思っております^^
Posted by: ultra3040 | Friday, June 03, 2005 06:43 PM
はじめまして。北山さんの言葉は時代の流れとは正反対で、せかせかした日本という社会や国家の中で、穏やかな気持ちにさせてくれます。
僕は以前に恋人に言われたことがあるのですが、それは「中村君はスピリチュアルなものが嫌いなんだよね」というものでした。でも、僕は「スピリチュアル」という言葉を否定的には考えていません。僕は、冷静沈着で論理的にものを考えるタイプの人間で、物事を他人にハッキリ伝えすぎるようなところがあります。それでも、そのことと「スピリチュアル」という言葉は矛盾しないように思えます。
例えば「雲というものは海面からの水蒸気が空で冷えて液体になったものなんだ」という説明をしたとしても、その人が雲を見て「あぁ。美しいな」などと思う気持ちに変化が起こるとは思えません。
この投稿を読んだ感想として、今も僕が生きている限り、何かをじっと観察してみたり、どこかへ思いを巡らせてみたり、ただそれだけのことが精神を和らげてくれるってことはあるだろうし、消費や情報や時間や規律などに流されてしまうことのないように、意味もなくゆっくりと生きていければいいのかな、という気分にさせられました。
僕は二度の自殺未遂をしています。今日ここのブログを知り、高校生の頃に読んだ北山さんの本を、もう一度読んでみようかな、という気になりました。肩の力を抜こう。
Posted by: Phexy | Wednesday, November 02, 2005 08:49 AM
民族、信教、体制において、互いを隔てる線引きを取り払い
よきものはよきものとして互いに尊重し、価値を認め、活かす
そこに、平和と豊かさは、うまれないのだろうか。
少なくとも、私はネイティブのことばを必要と感じたことがある。
書物を通しての、また映像作品を通しての出逢いだった。
積極的に発掘する段階には至っていないが、
これからも注意を払っていくであろう。
ネイティブに限らず、生きていく力になることばは、
あらゆる思想に潜在しているものなのではなかろうか。
Posted by: 純希 | Sunday, November 13, 2005 01:17 PM
はじめまして。
僕は、今World Rainbow Gahtering 2006 Thailandの準備と開催地スカウティングのためにタイを訪れています。
虹の戦士の預言からなる新しいトライブによる自由の集いをはじめてインドより東のアジアで実現させようという試みです。
先日ラノーン県の南部に第一の開催候補地を発見し、いよいよギャザリングはリアリティーを帯びてきました。
詳しくはメーリングリスト
http://groups.yahoo.com/group/thaicaravan/
や
http://www.welcomehome.org/
等を参照していただくほうが僕のつたない文章力での説明よりも正確なのではないかと思います。
北山さんも主張していらっしゃるように、
「声の魔法」そして行動し体験することにより、全てのスピリットを自由の中へ解き放つステップの一段へとなるのではないかと思います。
日本語のメーリングリストも将来の日本でのギャザリングのために用意しましたが、
バビロンシステムに向かっている時間よりも、大地のスピリットに身をゆだねている時間のほうが今は多いため、あまり活用されていません。はばたきましょう!!
http://groups.yahoo.co.jp/group/caravanjapan/
Posted by: Koji Hanumaan sema | Tuesday, January 31, 2006 04:57 PM
はじめまして北山さん。
僕の中にはネイティブ・スピリットが根付いています。
それはとても当たり前のこと・・・例えば、
「ご飯を食べるときは、お百姓さんと、食べ物になってくれるお魚(など)に感謝して食べなさい。」とか・・・
「地面をコンクリートなどで埋めてしまうのはよくない事なんだ。アリやセミが出られなくなって死んでしまうし、草や木も生えなくなるから。」
とか・・・、
他にも
「お年寄りには親切に・・・」とか・・・。
だけどそれをネイティブ・スピリットと呼ぶとは昨年夏ごろまで知りませんでした。
僕は勝手に”土着民魂(のようなもの)”と呼んでいました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「自然の教科書」と「ジャンピング・マウス」、購入しました。
僕は横浜に住んでいますが、町なかの自然のある公園で、自然観察やビオトープづくりをしながら、いかにネイティブ・スピリットを伝えていくかを課題としています。
今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by: まっくん | Wednesday, February 01, 2006 10:24 PM
北山さま
ここにはmixiからやってきました。
私は24〜5年前に瞑想中に見たビジョンの風景の意味が分からずに
ずっと辛い思いをしてきました。
ところが昨年、友人の福田典子さんというリーディングをする方に
その風景の場所にお連れします、と言われて、たどり着いたのが
ホピランドでした。第一メサにさしかかった時の、あの何とも言えな
い懐かしさ、そして馬に乗った一人のネイティヴの男性のビジョンが
鮮明に見えました。(ビジョンクエストに出ていたようです。)
そしてホピミュージアムのレストランで食べたホピスープのあの味!
同行したほとんどの人が半分も食べられなかったのに、私は本当に
おいしく、完食しました。
そしてその帰り道にホピの人たちを訪ね、子供達と戯れ、誤って車の
キーを閉じ込めてしまった人を、一家総出で懸命に助けようとする
ホピの姿に接し、それらの出来事が自分の中で眠っていた記憶を全て
呼び起こし、あの時見たビジョンがホピの住居跡の遺跡だったことも
全部理解出来ました。
自然とのつながりを忘れることなく、この物質文明に警告を送り続け
るネイティブの人々と何か一緒に出来ることがあれば、と遠い日本の
空の下で、思いめぐらせていました。
北山さん、もう長くなるのでやめておきますが、きっと私は北山さん
から受けるべきメッセージがたくさんあるような気がしています。
ときどきここに戻ってきますので、ブログぜひ続けて下さい。
宜しくお願いします。(「輝く星」を買わせていただきました。)
Posted by: 鈴木秀一郎 | Saturday, May 13, 2006 10:53 AM
一昨年初めて富士山に登りました。下から仰ぎ見たときは頂上まで晴れていたのに、登りきったときは立っていられないほどの嵐にみまわれました。天候のことはともかく、その時地球の骨が飛び出ていて、そこに立っているような感覚になりました。
考えてみると日常生活の中で、大地にしっかりと足をつけて立っているという感覚を持つことはほとんどありません。あるいは日本にそのような「場」が少なくなってきてしまったのでしょうか。だから富士山の頂上で特別なイメージを持ったのかも知れません。
インディアンは常に大地を感じていたのでしょうか。
(Native Heartは時々アクセスしてまとめ読みしています)
Posted by: 塚原 康徳(JBN) | Saturday, July 29, 2006 11:11 AM
北山耕平様
昨日は、ありがとうございました。
子供を育てた経験から食べ物の大切さを痛感しております。日本人の場合スピッリツ以前に添加物や栄養の偏りが心配でした。食べ物によって性格や知能まで左右されるようです。ネイティブの人々の惨状を思うと憂鬱になります。彼らに伝えてください。あなた達は悪く無いと。
Posted by: JUN SHIOAWA | Sunday, October 15, 2006 02:37 PM
はじめまして!
私は京都でインディアン&ハワイアンのジュエリーや雑貨の店を経営している者です。
北山さんの手掛けられた本は数知れず持っていますし、いつもネイティブアメリカンの方々の言葉に励まされ・助けられています。
そこで、私に何か出来ないのか。。。??
という思いに駆られ北山さんに色々教えていただきたくメッセージさせていただきました。
このままでは、ネイティブアメリカンという存在自体が過去のものになってしまうのではないか、ネイティブアメリカンの人々が言うことは自分たちを守るだけの言葉ではなく今の全世界に必要なものであると思うのです。
Posted by: SleepingBeauty | Tuesday, November 07, 2006 01:51 PM
北山さん初めまして、「とさっぽと」いいます。とさっぽとは高知県人という意味です。北山さんのブログがあるのを昨夜初めて知って書き込みさせてもらってます。
宝島の編集長の頃から北山さんを尊敬してました。古い話しですけど「抱きしめたい」って本がありましたよね、あの本大好きで、大切にして何回も読みました。友達に貸したらそのまま返ってきませんけど...
今、読みたいと思っても田舎に住んでるもんで、古本屋にも図書館にも置いてません...
今一番好きなのは「ネイティブマインド」です。ローリングサンダー亡くなりましたね。なんかこのページ見ると北山さんの本いっぱいありますね「こんなの高知にゃ置いてないよ~」ってね(笑)北山さんの言葉は心の奥まで響いて来るので大好きです。
あまり長くなっても失礼ですからこの辺で...今でも尊敬してます。また来させてもらいます。でわでわ
Posted by: 吉田 俊太 | Friday, December 08, 2006 09:51 AM
唯一尊敬する北山さんへ
あけましておめでとうございます、今年もどうぞ、お付き合いよろしくお願い申し上げます。世界がより良き方向に進化しますように。
Native Heatを知ってから、私の中で、何かが変わり始めたのがはっきり自覚できます。感謝しています。
毎日来させてもらっておりますので、精進なさって、世界のために頑張ってください。ありがとうございました。
(このメールを、ブログに載せる載せないは、北山さんにおまかせします)
Posted by: 吉田 俊太 | Wednesday, January 03, 2007 08:20 AM
初めまして、北山さん。
フォレストカーターについて調べていったら、ここにきました。
縄文時代って、キリストを中心に数えた時代より何倍も長いやん。
アメリカ大陸に渡った私らの先祖の親戚から学ぶ事は、縄文学を学ぶ事にもつながる。
ニュージーランドのマウイ族も、縄文は遠い親戚だと知ってる。
白人がこの2000年程で築き上げた価値観に、もうさようならの時が来た。
人類は、地球の表面に生かせてもらってきた生物 という事。
その地球が、じつは病気のおばーちゃんになってしまってるという現実。(こんな事はあまり言いたくないが)
フォレストカーター論争も、良い、悪い、という感覚でとらえるのはおもしろくない。
彼が描写したかったのは、アメリカとユナイテッドステイツの歴史の描写だったと思う。
彼がk.k.k.に関わってたのは、ジェロニモのように仮面をかぶってたのかもしれない。
Posted by: 仲津由紀 | Wednesday, January 10, 2007 09:20 PM
凄く涙が溢れる想いがしました。
ありがとうございます
満月のエネルギーが満ちあふれている時に出逢えたことに感謝します。
TAOには宝の場所となりました^^
ひとにみせるホームページ変えてゆきます
http://www.saihate.com/old/
Posted by: TAO | Saturday, October 27, 2007 06:32 AM
はじめまして。
このブログもずっと前に「時の輪」っていう本を持ち歩いてた頃に、ブックマークにしてあったらしく、今日たまたま開きました。メッセージをしたいって思ったので唐突すぎて何を書こうって気持ちです。
そんなタイミングの下手くそな文章なので、もし読んでいただけるお時間がある時に読んでいただけたら嬉しすぎます。
僕は虹の戦士と2冊しか読んだことがないんですが、両方とも北原さんが関係してたのをたった今知って驚いています。今思えば随分あの2冊は僕の生活の片隅にいつもったような。ですから感謝の意と伝えたいと思ったことをここに書かせていただきました。
僕は山育ちの絵描きです。
自分の内面ばかり描こうとしていた10年間からやっと抜け出して、ある日驚くように何か方向が変わりました。着地点が変わったら、何か全体が変わってきました。説明しずらいですが。とにかくこの2〜3年間で、すこしずつ変わってきたと思います。
ちょうど絵が変わりはじめていた頃にちょっと不思議な出来事がありました。
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夜はお酒、昼間は料理が食べれるっていうバー(?)に入ると、外国人のマスターがこっちをチラチラ見てきました。
突然「過去にあってるよね。」と言われました。
僕は外人さんの呑み屋なんかにもたまに行くのですが、どうしてもさっぱり思い出せなくて
「そうですー?すみません、覚えてません!」と答えました。すると、
「そうじゃなくて、過去っていうのは前世の話」と彼は当たり前のように言いました。
そのマスターさんはおばあさんがネィティブアメリカンで、血を引いているというのです。
僕は今もですがそんなにネィティブアメリカンのことには詳しくないので、「へー!なんだか素敵だなぁ」って思ったくらいでした。
ファッションからしても、インディアンジュエリー等は全くしてない僕にたいして、
「あなたは、ネィティブアメリカンについて興味があるはずだ、いつから?」と聞いてきした。
と言われても、子供の頃から民族っぽいいものは好きではありましたけど、ネィティブアメリカンの血を引いた彼の前では、そんな軽率に大好きだって答えづらかったのです。歴史とか詳しくないし。でも確かにかなり何故か昔から好きだったと思う。
しかしその時、自分のバックの中に、あの「時の輪」が入っていることを思い出したのです。
当時「時の輪」の本の表紙の雰囲気がいいなぁ、とか、なんか困った時や、気になった時に「パッ」っと開いてみたりするのが、自分の生活にぴったりだったので、その頃はいつも持ち歩いていました。
申し訳ないのですがそんな程度の感覚で読ませていただいてました。(苦笑)
ネィティブアメリカンに興味があると言うよりもここに書かれてる言葉に強く惹かれてるのは確かでした。
「ネィティブアメリカン…詳しくないけどね。この本はずいぶん前から持ち歩いてるけど。」
と本を手渡すと、はじめ何気なくパラパラと見て、もう一度表紙に目をやった彼が目を真ん丸にして、突然キッチンにいる彼の奥さんを大声で呼びました。奥さんは日本人でした。彼女もその本の表紙を見ると涙ぐんでしましました。
わけがわからずにいると、奥さんが説明してくれました。
『実は私のお腹には赤ちゃんがいるの。彼の名前はもうずいぶん昔に決めていて、○○○(ちょっと忘れてしまいましたが)と言う神様の名前に決めていたの。でも、ほんと昨日の夜中に、レオ(旦那さん)が急に名前を変えるといってきた。私はレオの直感を信じてるから同意したわ。』
『その名前がカルロスっていうのよ。』
びっくりしました。
カルロスといったら…、おっと、北原さんですので説明する必要がないですよね。
『時の輪』の表紙にしっかり書いてある名前!!!
レオは
『あんたはこのことを伝えにきてくれたんだよ。まだ気持ちが揺らいでいたけど、決心がついた。カルロスにするよ』
『君は名付け親だね、本当にありがとう』
と言われました。
鳥肌がずっと立っていました。そんな話をしながらいつしかすごく仲良くなれていて、気がついた時には初対面とは違うような気がしていました。
この日、僕は全くこの場所に来る予定がありませんでした。
僕は休みの日の予定は極力たてないようにしていて、例えば絵を描くにしてもその日に着たい服で行きたい場所を探るように自然となんとなく向かう場所で絵を描くことが多いんです。この日はもっとそういう感覚が強く表にある日で、ある用事があるにも関わらず気がついたら全く反対方向に向かっていました。友人にはそのことを伝えて、まず御飯を食べてからそちらに向かうことにしたのです。数年前までパンクロック大好きだった私が、数年ぶりにパンクな服屋さんに向かうと、何故かそこの店長(カッコイイおばさん)が、そのブラジル人のお店に行ってみなというのです。食事はどこでもよかったので、生返事をしてお店を出ると僕の背中に向かって『美味しいから行ってみなよ!』と言うのです。そして向かうことになったのが、そのバー(?)だったわけです。
その数日後パンクなおばさんに何故念押ししたのか聞くと、そんなこと覚えてないと言いました。不思議です。
レオは子供の話をした後に、コロナビールを1本をおごると、
「店に入ってきた時から気になったけど、あなたは金色の帯が背中から出てる」と言ってくれました。
これは過去にいろんな場所で、初めて会う人(外国の方が多い)にも何度か言われたことがあったので、
ちょっと気味が悪くなって、それが見えるのか訪ねました。
すると彼は笑って、外に出ました。
初対面なのに彼のいう『人間観察』という趣味と、やり方を教えてもらいました。
自分の落書きノートを見せると、『もうこのノートを開く前から解る』と言って、
ノートを丁寧に見た後、
『ポジティブシンキングに向かう鍵がここには無数にある』
『普通の絵描きの絵はそこへの鍵とドアが1つあるのが一般的だけど、この絵は無数にある。』
『すぐに国をでてアメリカにいきなさい』
なんだか変な気持ちでした、とにかく不思議な出合いだったのです。
でもこんな出合いが最近は気持ちが悪いくらい多いです。
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ちょっと気持ち悪いけど、心地よい出会い。
でも今はそんなちょっと無気味だけど、金色な美しい出会いなどから、
なんというかいろんなことを少しづつ信じはじめたところです。
こんな出合いが立続けに続くなんて説明ができないですもん。説明なんて必要無いし。
その後、あるカウンセラーに前世を見てもらうと、ピタリと「インディアン」と言われました。かなり詳しく言われて驚きました。さらに、霊能力やら超能力的なものがあるから、カウンセラーになるか、この絵でなにか大事にやりなさいと言ってもらえました。竜が守ってくださってると言うのです。嬉しい。
そして、山育ちの僕が今までの生活で、山の中渓流の岩の上で絵を描いたりする、この何気ない行動は、無意識のうちの…何かの目的の一部分な気がします。
空に金の粒が無数に動いてることは子供の頃から見ていたのに、いつのまにか忘れていたことにハッとしたり。眠れない日なんかに外に出れば、必ず月が満月だったり。今虹が出てるという確信ある時外に出ると虹が出ていること。
こういう些細な日常こそが本当にキレイに輝いてると思います。
なんか馬鹿みたいに大きなことを言ってしまうと、地球とか全体が今それを必要としてると思います。
そこに着地点が移動したら、絵が本当に変わりました。まるで欲しているように。
なんとなくハングリーにただ苦しんで描くのが理想な画家像だったのに、そこから、全てがもっと大きな自然や宇宙みたいなもので、葉が木から落ちたっていうことくらい、ドンピシャリとそのタイミングで起こること。でもそれは些細なことで神秘的なこと。
生活もすべてが同じな気がしています。
力になれるかどうかはわからないですが、今さら政治家にもなれない僕はARTという方面から、地球が少しでも穏やかで、子供たちがわくわくできる空気にできたらと思います。
今思えば、絵にずっと助けてもらってきました。もちろんいろんな人にも。
タイミングがきてもしお会い出来る機会があったらと思うとなんだか面白いなぁって思います。
文章を書くのは好きですが下手で、文を書く人にこのようなメッセージを読んでいただくのは、実は恥ずかしいです。
しかし、今日はとても寒い朝で、仕事するまえに何気なく開いたインターネットの、さらにずいぶん前にブックマークしていたこのブログを、ほんとに偶然開いたっていうのは素敵だなとおもったので、書きました。
もしここまで読んでくださっていたら、嬉しすぎます。
こういうことがまだ始まったばかりの未熟者ですが、わくわくしてるってことを伝えたかったです。
2冊の本を、今日たった今思い出したことも嬉しかったです。
突然のメッセージなのに長くなりました。
12月22日満月生まれの絵描き「cobble」こと生駒優貴でした。
HPがなくて、今はmixiのみで絵や活動を公開しております。
いつかお話できたら本当に嬉しいです。
u_key_the_kid@yahoo.co.jp
Posted by: cobble | Thursday, November 22, 2007 08:33 PM
「元型」とされる個性。「内なる戦士」。
きっとそれはあると思います。
スケールをものすごく小さくした視点から言えば、なんだか好きな「雰囲気」は、生まれてから見てきた物や人や物語の影響を強く受けているのは間違いないんですが、それだけとは全く思えません。
あきらかに自分が手にしてきたものに、同じ匂いがあるといいますか。
最近になって子供の頃から気に入っていたものや、気になって手にするものなんかには、繋がっているような何かがある気がします。
頭で考えないでスッと手にとってしまうもの。
後々調べたりするとびっくりするくらい。もちろん経験からの影響でそれを選んでるだけかもしれないですが。
…そういうスケールが小さい話しも、スケールの違いってだけで、全ては同じように起ってる気がします。
つまらないかもしれないけど、些細なところではファッションとか、音楽とか。
惹かれていくこと。
きっと、ほとんどの人(自分も含めて)は、その音や色がどうして、しっくりとピシャリとくるのかと、考えることは少ないっていうことで、どんな場面にも、一呼吸にも、「内なる戦士」がいるというか。すぐ隣にいるのに。
自分なのだから隣っていうのは違うのかもしれないですが、情報やポーズだけで自分の好き嫌いを決めてしまわないこと、もっと直感的に自分がすんなり手にしてしまうことに目を向けてみることも何か重要な気がしました。そういう『個性(それを個性というのかわからないですが)』を持つ人がすごく魅力的に思えてます。どんな生き方をしていても、全ての人がもってる魅力なんですけど、それに向き合っているか、それか、意志がなくても自然と向き合えてる人は、なんというか未知な美しさがあるように気がします。
そんな些細なところにも美しさはあるって思えます。
--------
今僕は、若い人が集まる(自分も若いと思ってるけど)クラブイベントでライブアートを描いたりもしています。これは小さな挑戦です。本を読まない若い人たちが興味を持つ場所。若い人の憧れとなることが興味を持ってもらうことへの第一歩だと思うからです。
もちろん、俗にいう『若い人が憧れるカッコイイ音楽』とともに、絵を見せれば、まず見てはもらえますから。
絵に全く興味のない人が、まず第一歩として興味を持つ。
しかし伝えたいことはこの前も書いたようなことで、それを心底『美しい!』とリアルに人々が感じるように。だれもが美しいと思う色調が「美しい」ではないということも含めて。
はじめはカッコイイとかで十分。でもただ、ポーズでカッコイイではダメで、本当にポーズだけじゃない!と強く感動してもらわなくてはいけないなぁと思ってます。
震えるような。
だから僕はあえて若い人に向けて簡単に『平和』とか『スピリット』とか口にはしません。
それは大事なことだからです。ただのポーズとなってしまうことが一番危険だと思います。
『いじめはやめましょう』という標語とかわらなくなってしまうのは危険すぎますよね。みんな頭では分かってるくせに普通にいじめはします。
とにかく、軽く口にするだけで若い人に広まるのは、目先の、つまらないことなので、そこを避けていたいのですが、それが一番難解です。みんなが簡単に「ピースフル」とか言い出したら、ポーズになってしまう。
ただ、若い人たちがただ、集まってるだけでは何の意味もないと思います。でも若い人がしっかりと興味をもたなければ。
そのためにはちゃんと言葉が重みを持つ人にならなければならないと思うようになりました。それは人間的にはもちろんですが、社会的な位置も重要なんだと、やっと気がつきました。
そういう位置を持ってるいろんな人たちと、いろんな切り口で、いろんな方向からこの全ての問題に向かっていかなければ。
『国家の奴隷となった』からこそ、もしかしたら、発想が柔軟な気がするし、宗教心なんて忘れてしまった日本の若者だからこそ発想が柔軟になっている気もします。
この日本や世界の状態は危険だけど、このピンチが最大のチャンスだと思います。
このある意味自由な国の柔らかい人たちが、魂が震えるようなことを気持ちよく思えば、変わると思います。何か動かせないですかね?
「内側で眠りこけている盟友としての戦士」と全ての人が対話しはじめたら、なにごともなかったかのようにクリーンになっていくような。
場所に集まってる気みたいな重力が、美しい重力になっていくみたいな。壮大なことに思えて実は何ごともないように変わったりする様な。
そのためには心底感じないとダメなんだとおもいます。
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ライブアートを始める前、僕は落ち葉や石ころに絵を描いて、またそれをそこに置いておくっていうことをしてました。
恥ずかしながらそれがその時考えつくもっとも大事なことだったからです。無意味かもしれないけど、もう6年くらい、今もそれは続けてるんですが、当時はライブアートとか思い付きもしませんんでした。
子供が絵の描かれてる葉っぱや石を拾ったら、絶対ワクワクするはずだからやってたんですが、なかなか拾う子供なんて少ないですよね。笑
僕が子供の頃落ちてる錆た釘を拾って、たたいてナイフをつくったりしました。大事な宝物は道ばたにだってあるはずなのに。最近の子供は賢くなりすぎてるような。(本当の意味で賢くないと思うけど)
なんていうのか『葉っぱに絵を描いてばらまいてるだけ』では追い付かないかなって最近は思います。笑
僕はちゃんと絵を描いて、絵はもちろん言葉にも説得力がある人にならなきゃいかんと思うようになりました。うまく社会を利用しなきゃいけないし。
着地点、目的は子供がワクワク育つような世の中にすること。
とにかく絵を描き続けることが、僕にとってのやれることな気がしてます。
11月23日の日記を何度か読んでから書いたら、また長くなりました。
cobble
Posted by: cobble/生駒優貴 | Wednesday, November 28, 2007 04:46 PM
あ!
コメントってここに載っちゃうんですね?
恥ずかしい!!!笑
Posted by: cobble | Thursday, November 29, 2007 06:03 PM