メディスン・ピープルの生き方
「自分のことをいえば、メディスンマンの生き方の本質とは、謙虚であることだ。とてつもなくたいへんな忍耐力を持つこと。地球のすぐ近くに居つづけること。可能な限り質素に暮らすこと。そしてけして学ぶことを止めないことだ」
小生が翻訳した『インディアン魂(レイム・ディアー)』(河出文庫)という驚くべき本を残したレイム・ディアーは、ラコタのメディスンマン、聖なる人として7人のメディスンマンを育てたという。その一人が息子のアーチーである。アーチーもまた先年亡くなって、夜空のゴースト・トレイルを辿って南にある幸福な狩り場に移り住んでしまった。これは生前にアーチーが残した言葉のひとつで、メディスンマンやメディスンウーマンといわれる人たちがどのような生き方をしているのかについて明解にこたえているものである。つまるところメディスン・ピープルといわれる人たちは「なにをなすか」よりも「どのようにあるか」にいつでも意識の焦点を当てている人たちなのだ。わたしたちは結局のところ「人間をしている」のではなくて「人間としてここにある」のだからね。メディスン・ピープルはとにかく辛抱に辛抱を重ねる人で、いつでも意識的に謙虚な生き方をしようと心がけている。いうならばその人たちは、自ら奉仕することによって人びとを導く。メディスン・ピープルが意図することはたいていの場合、他のものが求めていることにすすんで奉仕することに他ならない。このすすんで他の人たちのためになにかをなそうとする姿勢があるからこそ、みなも彼や彼女の話すことに耳を貸そうという気持ちにもなるし、その人にぜひ従おうということにもなる。メディスン・ピープルは「すべては師」「誰もが自分の先生である」という決まり文句をたいてい口癖にしている。わたしたちもそうした生き方をできるだけ見習うべきではないかと思う。謙虚につつましく、辛抱強く、母なる地球を敬い、そして自分たちになにかを教えてくれる存在に耳を傾けること。
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Comments
いつも楽しく拝読しております。
>謙虚につつましく、辛抱強く、母なる地球を敬い、そして自分たちになにかを教えてくれる存在に耳を傾けること。
ほんとうにそう思います。そう心がけているのにすぐに自分が一番正しい、とか、まわりはバカばかり、とか、思っているのですよね。。。
ひらきなおって、ビバ未熟者!とサンバでも踊りたい気分です(涙)
話はかわり、今、教会組織と教会で出会った友人とあそこにいた時の経験や疑問点、神や聖書の読み取り方などなど、自分なりの意見を伝えています。
キリスト教のなかでもかなり戒律の厳しかったところなので、どうしても教えや教会のありかたなど否定、批判めいてしまいます。戒律で人を律すると、中にはそのことにより内面に傷を抱いてしまうことがあるのです。
ただ、その中で幸せと言う人もいて、なにを残しなにを訴えなければならないか、とても難しいところですね。現在は、負や争いのエネルギーにまみれています。伝えるだけ伝え、来月には身を引こうと考えています。
そんなバタバタをしているせいか、人間としてここにあるということ、それは本当に深いことだなあとすごくすごく身にしみてきます。
Posted by: さよ | Friday, June 17, 2005 05:28 PM