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Friday, June 24, 2005

ひとつの水、ひとつの空気、ひとつの地球

「そこはわしらの裏庭・・・いや玄関先の前庭のようなものだ。そこが原子力に汚染されて、あらゆるいのちが天寿を全うできない。われわれはピープルとしてひとつにつながって『もうそんなものはいらない!』と声を発しなくてはならない。われわれはここで、このわしらの惑星を救うために頭を寄せあって考えなくてはならない。われわれにはただひとつの水・・・ただひとつの空気・・・ただひとつの母なる地球しかないのだから」
コービン・ハーネィ、ニューイ(西ショショーニ)精神的指導者

「上関町は財政的に厳しいから。過疎・高齢化は止まらず、税収を増やすのは不可能。これまで進めてきた流れもある。町は中電のために誘致するのではない。これまで町を支えてくれた高齢者に、楽に生活してほしいからだ。例えば、四代地区の住民が病院へ行くには、柳井市までバスを2時間ほど乗り継がねばならない。住民が豊かに暮らせる環境を作るために、原発は必要だ」と山口県上関町長の柏原重海さんは朝日新聞のインタヴュー(2005年6月23日 山口版)でそのようにこたえている。常に7代先の世代のことを考えて行動するというネイティブの人たちとの生き方のあまりの違いに愕然としてめまいを覚えたほどだった。

なによりも彼が必要だといっている原子力というものが「最終的にはあらゆるいのちを殺してしまうもの」であり「人間もその影響を受けざるを得ない」という認識はまるでないのが悲しいところではないか。「住民が豊かに暮らせる環境」を「原子力発電所」が運んでくるのだと町長は政治家として信じているようである。いつだって電力会社は原子力はとても大切なもので、安く電力を供給できる、環境にも優しいと猫なで声で言うが、原子力によって作り出される放射能が死や死に至る病の原因になったり、それがありとあらゆるものを汚染してしまうものであることは絶対につたえることはない。

それが起こったときに被害者になるのは誰なのか? 被爆して苦しむのは誰なのか? 原子力に「平和」利用などというものはあり得ないのだ。日本列島から鳥たちや魚たちや植物たちがいなくなってしまうかもしれないことが想像できない政治家たちに未来のことを語る資格なんてあるのか。六カ所に核燃が作られる時も同じだった。「どうせわたしたちはいつまでも生きるわけではないから」とインタヴューで語った賛成派の年寄りの語る言葉が耳に焼きついている。

すべての原子力の利用に反対するのが「地球に生きる人としての道」であるとわたしはニュウイ(西ショショーニ国)の人たちから学んだ。原子力発電所は、安全というお為ごかしで人間を、すべてのいのちを実験台として扱う施設である。そのことの本質に目を向けてはっきり認識しなくてはならない。この認識がしっかりとしていないと、電力会社から資金提供を受けて書籍や環境映画を作ったりするトホホなはめに陥ったりする。(星川淳@屋久島 innernetblog 心網付録 2005年02月5日 02時00分 続・トホホなガイア ●そして最後に、なんとも情けない話。

政治家も政府も企業も考えるのは金のことばかり。金、金、金。すべての物事を金の観点から考えるのをそろそろここらで止めようではないか。お金では絶対に手にはいらないもののことを考えるとしよう。ほんとうの豊かさとは「金」なのではない。地球に生きる人たちはそれでもお金に支配されていない世界を信じる。そして一人一人が自発的に集まってみんなで手をつなぎ、話しあい、笑いあい、共にすべてのいのちを讃えるためのセレモニーをしようではないか。われわれがこんな時代に日本列島に生まれてきたのはなんのためだろうか? もう一度大地とのつながりを求めて人びとと手をたずさえて、すべてのいのちと共に真に豊かな暮らしをするためではないのか。

arrow2 祝島漁協のホームページ

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Comments

私は佐賀県に住んでいますが、九州電力でも同じことが行われています。今TVで放映されているプルトニュームのリサイクル施設の建設地選出をめぐり、理解を求める内容が毎日写し出されているのですが、その訴えを行っているのが宇宙飛行士の毛利さんです。そのコマーシャルを見るたびにゾクっとするのです。明解な理由を説明せずに、あれよあれよと進めて行くのではないのか…そんな思いで、心が苦しくなります。食料自給率100%以上を誇る地域でありながら、土地そのものやすべての生命を一瞬にして奪ってしまう原子力発電所も併せ持っています。「なぜこんなに美しい海に原発を造らなければなかったのか?」余りにも無頓着に扱われている事に憤りを感じるのは、きっと私だけではないはずです。今の社会を作ってきた、私たちの親やその上の世代の人たちは確かに戦後の復興には必死で立ち向かってきたかも知れませんが、次の時代に生きていく子孫たちのことよりも自分たちが良ければ良いという発想が強すぎるような気がしてならないのです。山を削り、農薬をまき散らし、海を汚し…そうやって好き勝手に自然を使ってきた挙げ句、地球上で今起っている自然災害をもたらしている本当の原因を正面から見つめようとはせず、相変わらず、計画通りにダム建設のために山を崩し、不必要な道を造っているのが現実です。生きて行かないと…そんな言葉で片付けないでほしい。もう一度自然と一緒に生きて行ける道を見つけたい…と願いながら毎日を過ごしています。

Posted by: アイノコ | Saturday, July 09, 2005 at 06:57 PM

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