いってきます。先週の土曜日の朝、嘘のような晴れ。電車と新幹線を乗り継いで仙台に向かった。11時半頃に仙台駅着、さっそく仙台スピコン事務局のハガさんの車で「ホピの予言2004」映画自主上映会の会場へ。そういえば「ホピの予言」(オリジナル版)の公開時のとき(1986年)にも、16ミリフィルムを持って仙台にきたことがあった。「ホピの予言」と小生と仙台のあいだには不思議な因縁があるらしい。
会場の太白区中央市民センターでは入り口近くで「穫れたて野菜市」がおこなわれていて盛大な人だかり、3Fの大会議室にはすでに椅子が並べられていた。神戸から同じ日の朝に飛行機でやってきたランド・アンド・ライフの辰巳さんと、辰巳さんが協力して『ホピの太陽の下へ——女三人、アリゾナを行く』(野草社刊)を上梓されたばかりのハグさんこと羽倉玖美子さんと近くのコーヒーショップで談笑。じつはこの自主上映会はハグさんが書かれたその本の出版記念会でもある。ハグさんとは実に「ホピの予言」(オリジナル版)の上映会からの知りあい。辰巳さん母娘とハグさんがホピの国に行くまえと帰国後にもお会いしていろいろとホピの国のおかれた現状などのおはなしを聞かせていただいた。
観客のなかには懐かしい顔も。午後1時半ごろから映画会をはじめる。4、50人はいただろうか。小生「ホピの予言2004」を大きな画面で見るのはこれがはじめて。オリジナル版を観た後に2004年に辰巳さんがヴィデオで撮影してきたアップデート情報を追加したものを続けて観た。「2004年版」が実に今日的なテーマとホピとの関係を整理してくれていて、これはもう一度あらためて観る価値があることを再確認してうれしくなった。ホピの人たちの置かれている状況が少しでも世界に伝わって欲しいものである。
映画上映後、ホピの伝統派とはいかなる人たちかということと、地球と少数民族の運命についてのお話しをしばらくし、辰巳さんとも対談をして幕。「ジャンピング・マウス」にサインをしたり、大切に読んでくれていることがわかる「ローリング・サンダー」の昔の本に恥ずかしながらサインをする。それからそのまま有機食材をふんだんに使ったビュッフェスタイルのファミリーレストランのブースに移動して懇親会と打ち上げ。仙台スピコンのハガさんの仲間たちと時間を忘れて話し込む。パワフルな魔女たちに圧倒された数時間。
その夜のうちに福島県のいわき市まで行かなくてはならない強行軍だったので、早々に、三時間後に切り上げて表に出たらこれが恵みの雨。翌日に北海道に上映会のために渡る辰巳さんとハグさんや、仙台の魔女たちともこころ引かれつつもお別れし、同じ福島県からはるばる車で迎えに来てくれた僧籍にある友人徳雲さんの4WD車で、彼の友人で小生とも(石川県鳥越村のトークセッションで)面識があり、金沢からわざわざきてくれた「タノシイコト、ダイスキ」のマチャミさんと三人で、夜のハイウェイを一路南下。車中様々な話題でとどまることを知らないほど盛り上がる。いわゆる One of These Nights ってやつ(特別な夜)。闇のなかを車はひた走り、その夜遅くにいわき市湯本のとある温泉旅館が経営するビジネスホテルにはいる。
硫黄の匂いのする温泉にしばらく浸かった後はおぼろで、気がつけば良く晴れた光まぶしき朝。旅館の朝食後、タクシーでいわき市美術館に向かう。気持ちの良い朝。曹洞宗の僧である友人が法事を終えてくるまでマチャミさんと同美術館で開催中(7月3日まで)の「アンテスとカチーナ人形展」をじっくりと見て回る。
カチーナの展示を見るのは伊丹市立美術館についで2回目だ。なつかしさがつのる。お気に入りのカチーナ(左図 ホルスト・アンテス財団蔵 Paatangkatsina スカッシュのカチーナもそのひとつ。思わず笑えるでしょ。カチーナ人形についての日本語の情報はKachina Houseへ)のまわりをうろうろ。美術館ごとに展示のされ方が異なるのでまったく新鮮な気持ちでひとつひとつ見て回ることが出来た。おもしろくて、おかしくて、いやらしくて、かなしくて、美しくて、やさしくて、おだやかで、はげしくて、ふかくて、ぶっとんでて、なぜか別れがたいカチーナたち。これはわたしがホピにたいして特別に深い思い入れがあるからかもしれないし、こころのうちは整理も出来ていないのだが、今回のカチーナたちの日本列島巡業には大きな意味があるような気がしてならない。ただ今日本列島を巡業中の80体のカチーナたちは、来月(7月9日〜8月28日まで)の神奈川県立近代美術館葉山館の展覧会(現代ドイツの巨匠とホピ族の精霊たち アンテスとカチーナ人形)後、家に帰る。家といってもおきまりの聖山サンフランシスコピークス山(アリゾナ)ではなく、ドイツ人芸術家でこれらをふくむ800体ものカチーナ人形のコレクターであるホルスト・アンテスのもとへ。
伊丹市ではいくつかの会場に分けて飾られていたカチーナたちが、さながら古代中国の遺跡から出土した兵馬俑の人たちのごとく整然と並べられていて圧巻。時の経つのも忘れてひとつひとつのぞき込んだ。カチーナ人形が印刷されたしおりをおみやげに購入(伊丹市の展覧会のときに見て欲しかったんだな)。その後いわき市美術館の学芸員の植田さんらと親しくお話ししお弁当をしっかりごちそうになる。講演会「ホピとはいかなる人たちか — ホピ・カチーナの教え」は午後2時から1時間半ほど。30人ほどお集まりいただいただろうか。近郊の町などからわざわざ足を運んでくださったり、たまたま美術館にきて興味を持って話を聞きに来てくださった方など、穏やかな人たちを相手に例によって終わりのない話をぐるぐるぐる。ふと気がつけば1時間と30分が過ぎ去り、いくつかの質疑応答ののち終了。
徳雲さんとマチャミさんとそこで別れ、わざわざ宮城から車で駆けつけたというキンちゃんという青年とともに、今度は翌日のトークを企画してくださった繋ぎの空間『灯庵』の主の中嶋さんの4WD軽ワゴンで西白河郡西郷(にしごう)村に向かう。三人の男の子とミュージシャンの夫の4人のおかあさんをしている中嶋さんの豪快な運転にたまげる。舗装はされているもののときどき対向車とすれ違えないくらいに車幅が狭くなる山道を上がったり下りたり、めまぐるしく変わる天気のなか、虹や夕焼けの赤い雲などをゆっくりと鑑賞するまもなく、道に迷いながらも日も暮れて8時を過ぎたころに古民家を改造した「灯庵」に到着する。
なんと4時間ほどの山中ドライブ、途中休憩なし、中嶋さんの旦那さんやその友人たち男性三人が夕食の用意をして待っていてくれた。玄米とみそ汁とおかずが四、五皿。この夜は遅くまで古代日本の先住民であったアテルイら「蝦夷(えみし)」の話で時を忘れる。気がつけばネイティブ・タイムのなかをうろうろ。始まりもなければ終わりもない世界。夜になって少し雨。キンちゃんというヒゲの青年と小生は、古民家の土間に敷かれた布団にくるまって北枕で寝る。前後左右不覚。
翌朝、6時半頃に起床。熟睡したらしい。おはよ。良い天気。子供たちが登校した後、遠くの山々を望みながら、近くを散策し、阿武隈川の源流の瀞[とろ]でしばし風をひらく。それから「灯庵」に戻り、ふたたび玄米みそ汁干物サラダの朝食。朝のコーヒーをいただいたあと、講演会の始まる午後まで時間があったので、みなで(中嶋さんの旦那と最年少の息子と、岩手芸術村村長とキンちゃんとぼく)近くの温泉に出かける。山深いところにぽつんとある甲子温泉・旅館大黒屋。光と緑に包まれて、静けさのなかにエゾハルゼミたちの合唱が響く。長い階段を下りたところにある川縁の温泉。いかにもみちのく古代陸奥(昔は白河の関からこっちは陸奥の国だったんだぞ)の国の秘湯といった風情。柔らかくてまとわりつくような水質(石膏正苦味泉 48度)の温泉。しばし「ノイローゼに効く」と謳う温泉に浸かったまま我を忘れる。こんなに山奥(もうひとつ山を越えるとそこは会津)だというのに、温泉ブームのせいなのか、結構たくさんの人たちが遠くから入浴に訪れる。日帰り入浴も可。のんびりと浸かって旅の疲れをほぐすには最適だよ。ゴクラクゴクラク。
お風呂に入って、冷たいお茶をご馳走になり、車で山道を走って灯庵へ戻る。玄米ご飯のおにぎりをパクつく。講演会の第1部「自然のレッスン1〜ネイティブアメリカンに学ぶ教育〜」は1時半から2時間ほど。栃木や那須や東京方面からわざわざきてくれたおかあさん、おとうさんら15人ほどと「教育」についての濃い話。無文字社会で学校もないのにいかにして伝統を伝えて数千年にわたって自分たちの暮らしを守りとおしたのか? 彼等の生活のなかから私たちの学べるものは? どうすれば植物や動物たちの話が出来るのか? 相応に充実した時間が流れた。気がついた時には4時を回っている。第1部終了後、ほとんどの人がもとの生活に帰られた。月曜日の午後に、忙しい時間を割いてわざわざ遠くからきてくれたことに感謝しつつ、本にサインなどする。郡山からやってきたご神業中の女性とは共通の知りあいがいて驚愕させられた。ええっ! インディアン・フルート奏者のマークさんのおかあさんのお友達なんですかぁ! たくさんの神さまの名前が音楽のように頭のなかを駆けめぐる。とてつもないことをやらされてしまう運命の人はいるものです。
あわただしくエチオピア・スタイルのカレーを食べる。こんなに食べれないと思えるぐらいの山盛りだったが、不思議にスプーンが動いてきれいに食べてしまった。なにか秘密のスパイスが入っていたに違いない。第2部「自然のレッスン2〜ネイティブアメリカンに学ぶ生活〜」は30分ほど遅れて午後7時頃にはじまった。小生の帰りの新幹線が9時半頃なので、終わりの時間を気にしつつネイティブ・アメリカンからわれわれがなにを学べるのか、また彼等とわれわれの共通点と相違点などについて話す。近隣の街からわざわざ講演を聴きに来てくださったなかに、これまでの講演会などではまずお目にかかれない年長の方々も。アメリカ・インディアンの現実と、彼等がこれまで以下に地球を守ってきたか、その哲学の背景、生き方の問題などにもありがたくもうなづきつつて耳を傾けてくれ、小生の本を数冊購入していただいた。
あっというまに時間が過ぎ、もう一晩やっかいになるというキンちゃんを残してあわただしく灯庵を後にする。みんなと固い握手。キンちゃんが自作のCDをくれた。おいおいミュージシャンだったのかよ! あたりはとっぷりと闇に包まれている。車で20分ほど対向車のまるでない山道を下ると新幹線の新白河駅。がらんとした駅構内。一日の売り上げを数えている売店の娘たち。最終の一本前の新幹線に乗って東京駅に向かう。2日前のことが遠い日のようにも思えた。舞台が音を立てて変わった3日間が終わろうとしていた。古代陸奥の国はまたしても私に優しかった。車中でせつかく持ってきたもののそれまで開くことのなかった「日本の神々——『先代旧事本紀』の復権」(上田正昭+鎌田純一対談 大和書房)を読む。いや実に興奮させられた。これは刺激的な対談である。『ネイティブ・タイム』の参考書にぜひ加えたいな。顔を上げればはや新幹線は上野から東京に向かいつつあった。東京駅から新宿を経由してわが家に帰り着いたのは日が改まった午前0時半。かみさんがドアを開けてくれる。中学生の息子は眠っていた。玄関で猫が鳴いた。ただいま。
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