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Thursday, June 30, 2005

都会にできた縄文時代を彷彿させる癒しの湯なんだそうです

縄文天然温泉 志楽の湯 川崎市幸区(神奈川県)

「天然温泉を露天風呂や岩風呂など5種類の風呂で楽しめる。JR南武線矢向駅近くの工場跡地を活用するため温泉の掘削を行い、湧き出た縄文天然温泉は薄い黄緑色の化石海水。弱アルカリ性で、神経痛や筋肉痛、冷え性などに効能があるという。続きを読む」

なぜ「縄文」かというと「コナラをはじめとする自然木を配し、縄文時代の雑木林を再現」してあるかららしい。縄文がセールすキャッチになりつつあると言うことでしょうか。

わたしは日本列島先住民のことを「縄文」とひとくくりにして使うつもりはありませんけれどね。さしずめアメリカだったら「インディアン温泉」でしょうか。縄文が癒しというところが、今的なんでありましょう。ともあれ「首都高速横羽線大師出口から国道409・1号を経由し、市道を矢向駅方面へ車で約6km」で縄文天然温泉が待っているそうです。

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Tuesday, June 28, 2005

風をひらく2nd. Circleのお知らせです 再掲

風をひらく2nd. Circle

世界を映し出す鏡としての物語 「ジャンピング・マウス」をこころの耳で聴く集いは、申し込みが定員に達したために受付をしめきりました。ありがとうございました。

出版記念+初ストーリーテリング!

北山耕平+古屋和子+のなか かつみ

アメリカ・インディアンの平原の民シャイアン一族に伝わる神聖なメディスンストーリー。本当の自分を知る為に旅に出た一匹の野ねずみの冒険の話で、子どもから大人まで、楽しみながら聞くことができると共に、いかに生きるエネルギーを与えるかを教える深い味わいを持った魂の転生と教えの物語です。太陽の季節にピース・チーフによって語り継がれたこの特別な物語を、初夏の金曜日の夜、喧噪を離れた東京の古民家での2つめの輪の集いの中で、皆さんと分ちあいましょう!

2ndcircle-1  2ndcircle-2

日時: 2005年7月8日(金)
    午後7時30分〜10時
    (開場 午後6時30分)

会場: ゆうど (東京 目白の古民家)

耳代: ¥2500(中高生¥1500)+ お茶、菓子付き

Program ● ストーリーテリング「 ジャンピングマウス」
        ストーリーテリング     古屋和子
        太鼓+インディアンフルート のなか かつみ
     ● メディスントーク+解説   北山耕平
     ● シェアリング サークル(分ち合いの輪)

定員 50名 6月30日に定員に達したので申し込みをしめきりました。

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Monday, June 27, 2005

ネイティブ・ピープルにとってストーリーテリングは単なる娯楽ではない

thhandinhand風をひらく 2nd. Circle」において「ジャンピング・マウス」の物語を、日本におけるストーリーテリングの第一人者である古屋和子さんが語ってくれることになっている。当日にインディアンフルートなどで場を共に作りあげてくれるのは、「虹の戦士」の語りで古屋さんとこの一年近くユニットを組んできたノナカカツミさんだ。今回はよい機会でもあるので、しばらくネイティブ。ピープルのストーリーテリングについて少しずつ書いておこうと思う。

「ジャンピング・マウス」のお話しは、さきごろの富士山への奉納でわかったところでは、時間にして1時間程度のものである。しかしネイティブの人たちにとって神話や伝説は「1時間のエンターテインメント」以上のものなのであることをあらかじめつたえておかなくてはならない。このような教えの物語(ティーチング・ストーリー)を、単なる娯楽と考えていてはならない。ストーリーのなかで描かれる登場人物の冒険やさまざまな試みや言動にはいつでも大切な教えがかくされているのが普通だからである。

つまりネイティブの子供たちが学ぶ最初の公式な「教育」が、こうした物語を聴くことなのである。主人公の冒険の話を何回も何回も聞きながら成長するなかで、子供たちは自分たちを取り囲んでいる具体的な環境についての実際的な情報を獲得していく。部族を部族たらしめている価値や哲学、儀式や信仰、自分と象徴的に繋がっている動物や植物などの無数のいのちのありがたさや大切さを子供たちは語られる物語を聴くことで学ぶ。ネイティブ・アメリカン・ストーリーテリングは、子供たちを「地球に生きる人」として一人前の部族の良き人間になるように力を貸し与えることを最終的な目的にしているのだ。子供たちは自分のとるどのような行為がいかなる結果を生むものなのかを物語によって学んでいく。

物語を生かし続けるために重要なことは「よく聞くこと」「よく見ること」「よく覚えること」「よく分けあうこと」の四つだとしばしばいわれる。なかでもストーリーテリングにおいて重要なのが「よく覚えること」であり、ネイティブの人たちの記憶力の確かさは,ともすれば外部記憶装置としての文字に頼ってしまう、わたしたちの想像を遙かに超えている。以前紹介したインディアンの笑い話「おそるべき記憶力」はそのことをジョークにしたものである。

何千年間ものあいだ、この神聖で伝統的な知識はエルダーたちとメディスン・ピープルよって生きたまま保たれてきた。長老たちが極めて高く尊敬されて認められたのも、彼らの知恵と才能が過去から現在、そして未来へとつないでいくことを可能にしていたからなのである。(エルダーたちの重要な役目のひとつに語られる物語のなかに表現されている一族や氏族の名前だとかテリトリーが寸分間違わないように常に念を入れてチェックし、その正確さを保証するというものがある)

日本列島に生まれたわれわれのように、もはや部族的な価値というものをまったく教えられることなく育つ運命にある「あらかじめルーツを消し去られたモンゴロイド」にとっては、おそらくこのような生き方や価値を伝承する「教えの物語」を耳にする機会はまずないといっていい。文字を読むことによって学ぶのとはまるで異なるトータルな体験は、伝統的な部族社会が子供たちになにを教えてきたのかを耳で学ぶ絶好の機会になることだろう。

もちろんそれは語られる以上、エンターテインメントの部分もないわけではないわけで。次回は物語のなかにある娯楽の部分の持っている価値について考えてみることにしよう。

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Sunday, June 26, 2005

日本列島で今なにが起きているのか考えたことがありますか

「われわれが手を携えれば環境へのホロコーストを終わらせることができる」
アイダ・ガウイ一族(カナダ、ブリティッシュ・コロンビア、
クイーン・シャーロット島)の長老

「ホロコースト」というのは「大量虐殺による絶滅計画」のことである。相手を特定の民族や特定の人間集団とするホロコーストは、人類の歴史を見ればこれまでにいくつも起こってきた。われわれは常にホロコーストの加害者であり被害者であった。ホロコーストは戦争や争いのなかでいつもあたりまえのように起きた。大量虐殺が起こるたびに、われわれはいたたまれなくなって「こんな事は二度と起こしてはならない」と考える。だがホロコーストの対象は人間の集団や組織だけにとどまるものではなかったのである。われわれは地球や環境にたいして人間がなにをしているのかについて、真剣かつまじめに検証しなおすべきときにいたっている。これまでこの惑星では多くの種が絶滅してきた。日本列島においてもしかり。そしてこれからの10年でさらにたくさんの種が滅亡させられてしまうと警告が発せられている。われわれがこれまでやってきた「人間以外のいのち」にたいする念を入れたホロコーストは、なんでこんな事になっているのかを誰にも気がつかせないくらいに、実に手のこんだものだった。時間をとって、どれくらいのいのちが二度と地球に返ってこなくなっているのかに思いを馳せたことがあるだろうか。人間がおこなっているホロコーストのせいで、生物の多様性は失われ、地球はどんどんさみしい惑星になっていっている。すべてが手遅れになってしまわないうちに、なによりも祈りのために時間を割くべきだろう。母なる日本列島の声を聴くために。

arrow2 生物多様性情報システムによる絶滅危惧情報

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Saturday, June 25, 2005

シレトコ先住民族エコツーリズム研究会の最新プレスリリース

Native Heart (Wednesday, April 27, 2005) に「アイヌ民族がエコツアー」という短い情報を掲載した。その際、知床でくだんの先住民族ツーリズムのプロデュースをしている藤崎達也氏からコメントをいただき、以後氏のブログ(T@2)をときどき巡回して読ませていただいている。6月23日には「知床の世界自然遺産登録後の観光振興と自然保護を官民一体で進める知床エコツーリズム推進計画が羅臼町で開かれた知床エコツーリズム推進協議会で了承された」という読売新聞の記事へのリンクが張られているし、これを受けて翌24日の記事には「シレトコ先住民族エコツーリズム研究会」の出した「世界自然遺産知床〜先住民族がエコツーリズムを開始します」というプレスリリースが掲載されているので、全文を転載しておく。具体的になにがはじまっているのかを知るうえでも貴重な資料となると思えるからだ。こうした動きが北海道全域に広まっていくように人びとの心と時代が動くといいな。

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シレトコ先住民族エコツーリズム研究会 プレスリリース

世界自然遺産知床〜先住民族がエコツーリズムを開始します

  記者説明会を開催します

  日時:7月1日 17:00〜  場所:知床グランドホテル

 SIPETRU/シレトコ先住民族エコツーリズム研究会は7月1日、世界自然遺産としての登録が目前となっている知床・斜里町で、アイヌ民族によるエコツーリズムの可能性を探るシンポジウムを開催します。アイヌ民族の伝統的な歌や踊りの紹介をはじめ、ハワイでの先住民族によるエコツーリズムへの取り組みなどをスライドを交え紹介するとともに、北海道大学院の小野有五教授とアイヌアートプロジェクト代表の結城幸司氏によるトークセッションも行います。
 知床半島はIUCNの勧告を受け世界自然遺産に登録される見通しですが、IUCNの評価書の中には管理体制へのアイヌ民族の関与の必要性についても触れられています。SIPETRUでは5月、他のアイヌ民族のグループと共に環境省やIUCNなどに対して、知床世界遺産管理におけるアイヌ民族の関与の重要性を訴える意見書を提出しており、IUCNの評価書はそれらの意見書を反映したかたちとなりました。さらにSIPETRUの調査によると知床には「チャシ」と呼ばれる先住民族の遺跡が多数現存しており、樺太アイヌや北海道アイヌといったいくつかの民族が、それらを聖地のように語り継いでいることも明らかとなってきております。そんな中SIPETRUでは多くのアイヌ民族のグループと協力し合いながら、現代を生きる先住民族文化を、エコツーリズムを通して広く情報発信していきたいと考えています。 この取り組みは去る6月23日、環境省知床エコツーリズム推進協議会においても発表され、知床でのエコツーリズム推進にあたり先住民族の自然観や知恵を参考にしていくことが確認されております。
 なお、翌2日はアイヌ民族で樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者OKIによるライブコンサートが同じくゆめホール知床で開催されます。また、3日には札幌のアイヌ民族によるモデルエコツアーも実施され、世界遺産地域での先住民族の活動の機運を高めます。詳細は下記事務局までお問い合わせください。


1.取り組みに関するお問い合わせ(事務局)

SIPETRU/シレトコ先住民族エコツーリズム研究会
Shiretoko Indigenous People Eco Tourism Research Union
(“シペル”=アイヌ語で「大きい・川・道」)

北海道斜里郡斜里町ウトロ東284 NPO SHINRA内
SIPETRU事務局  藤崎・西原
TEL:01522−2−5522
FAX:01522−2−5524
http://www.shinra.or.jp/sipetru(7月1日公開予定)
sipetru@shinra.or.jp


2.世界遺産記念3日間連続イベント 
「世界遺産と先住民族とスピリット」のご紹介


7月1日(金)
シンポジウム「シレトコのレラ(風)を聴く〜先住民族のエコツーリズム」

〜アイヌ民族自らてがける先住民族エコツーリズムをご紹介します

■場所:知床グランドホテル 大会議室「オホーツク」
■日時:2005年7月1日  20:00〜21:30
■ゲスト:
  小野 有五(北海道大学教授)
  石井ポンペ(社団法人北海道ウタリ協会札幌支部札幌ウポポ保存会副会長)
  結城幸司(アイヌアートプロジェクト代表)
■内容:
  ・トンコリ・ムックリ演奏 (石井ポンペ)
  ・アイヌ民族の伝統的カヌー復元プロジェクト
  〜ハワイでの取り組みのスライドショー
  (アイヌアートプロジェクト結城氏)
  ・知床での先住民族ツーリズムの可能性トークセッション 
  (小野有五・結城氏)
■主催:NPO SHINRA・シレトコ先住民族エコツーリズム研究会(SIPETRU)
■協賛:日本経団連自然保護基金 東オホーツクシーニックバイウェイ連携会議
■後援:北海道開発局網走開発建設部


7月2日(土)
OKI TONKORI TOUR DUB AINU BAND
オキ/ニューアルバム“トンコリ”リリースツアー2005

〜樺太アイヌの伝統的な楽器「トンコリ」の第一人者でアイヌ民族の
OKIによるコンサート

■場所:斜里公民館 ゆめホール知床
■日時:2005年7月2日(土)  会場18:30 開演19:00
■料金:大人    前売り¥2,000/当日¥2,500 
    小中高生  前売り¥1,000/当日¥1,500
■主催:sastro
■企画制作:sastro, ChikarStudio
■共催:Radio Kisar, Tam Tam Lonloke


7月3日(日)
聖地巡礼〜アイヌ民族と歩くモニターツアー

〜先住民族の遺跡「チャシ」を中心にアイヌ民族のガイドと一緒に森歩き

■場所:シレトコの森  (集合場所:ウトロ温泉・酋長の家)
■日時:2005年7月3日(日) 9:00〜15:00
■料金:大  人  ¥2,000(モニター価格※)
    子  供  ¥1,000(モニター価格※)
※先着10名様
※ご参加された皆様にはアンケート等にお答えいただきます
■主催:SIPETRU NPO SHINRA
■協賛:日本経団連自然保護基金

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Friday, June 24, 2005

天の鳥船とはこれのことかな

今回選んだ右サイドバーのトップのピースな写真(Peace)は、亀の島(北米大陸)の北西太平洋沿岸をテリトリーにしていた海のモンゴロイドたちクワキュトル(Kwakiutl)一族のもの。結婚式に船でやってきたゲストたちを撮影した写真だと、撮影したエドワード・E・カーティス(1868-1952)は記している。写真をクリックすると大きな写真が呼び出されるのでぜひ見てほしいが、この北西太平洋沿岸に暮らす海洋の民は、ワタリガラスや鮭への信仰など、おそらく日本列島の先住海洋民たちとも深いつながりのある人たちである(きっと)。船の船首に鳥の形をした人間が立っているのがわかると思う。船の形といい、雰囲気といい、まるで「神武東征とはさながらこのような形の船団でおこなわれたのではないか」と思わせるものがある。これぞ「天の鳥船」ってやつではないのかな。大陸や半島の影響を受けて日本の歴史がはじまる以前の日本列島人の姿を彷彿とさせるものがあるだろう。

この写真のオリジナルは1914年にボストンの出版社である John Andrew & Son が印刷しているから、撮影されたのは20世紀初頭のことである。つまり、そのときまでほとんど「縄文時代」を続けていた人たちがアメリカにはいたということなのである。

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ひとつの水、ひとつの空気、ひとつの地球

「そこはわしらの裏庭・・・いや玄関先の前庭のようなものだ。そこが原子力に汚染されて、あらゆるいのちが天寿を全うできない。われわれはピープルとしてひとつにつながって『もうそんなものはいらない!』と声を発しなくてはならない。われわれはここで、このわしらの惑星を救うために頭を寄せあって考えなくてはならない。われわれにはただひとつの水・・・ただひとつの空気・・・ただひとつの母なる地球しかないのだから」
コービン・ハーネィ、ニューイ(西ショショーニ)精神的指導者

「上関町は財政的に厳しいから。過疎・高齢化は止まらず、税収を増やすのは不可能。これまで進めてきた流れもある。町は中電のために誘致するのではない。これまで町を支えてくれた高齢者に、楽に生活してほしいからだ。例えば、四代地区の住民が病院へ行くには、柳井市までバスを2時間ほど乗り継がねばならない。住民が豊かに暮らせる環境を作るために、原発は必要だ」と山口県上関町長の柏原重海さんは朝日新聞のインタヴュー(2005年6月23日 山口版)でそのようにこたえている。常に7代先の世代のことを考えて行動するというネイティブの人たちとの生き方のあまりの違いに愕然としてめまいを覚えたほどだった。

なによりも彼が必要だといっている原子力というものが「最終的にはあらゆるいのちを殺してしまうもの」であり「人間もその影響を受けざるを得ない」という認識はまるでないのが悲しいところではないか。「住民が豊かに暮らせる環境」を「原子力発電所」が運んでくるのだと町長は政治家として信じているようである。いつだって電力会社は原子力はとても大切なもので、安く電力を供給できる、環境にも優しいと猫なで声で言うが、原子力によって作り出される放射能が死や死に至る病の原因になったり、それがありとあらゆるものを汚染してしまうものであることは絶対につたえることはない。

それが起こったときに被害者になるのは誰なのか? 被爆して苦しむのは誰なのか? 原子力に「平和」利用などというものはあり得ないのだ。日本列島から鳥たちや魚たちや植物たちがいなくなってしまうかもしれないことが想像できない政治家たちに未来のことを語る資格なんてあるのか。六カ所に核燃が作られる時も同じだった。「どうせわたしたちはいつまでも生きるわけではないから」とインタヴューで語った賛成派の年寄りの語る言葉が耳に焼きついている。

すべての原子力の利用に反対するのが「地球に生きる人としての道」であるとわたしはニュウイ(西ショショーニ国)の人たちから学んだ。原子力発電所は、安全というお為ごかしで人間を、すべてのいのちを実験台として扱う施設である。そのことの本質に目を向けてはっきり認識しなくてはならない。この認識がしっかりとしていないと、電力会社から資金提供を受けて書籍や環境映画を作ったりするトホホなはめに陥ったりする。(星川淳@屋久島 innernetblog 心網付録 2005年02月5日 02時00分 続・トホホなガイア ●そして最後に、なんとも情けない話。

政治家も政府も企業も考えるのは金のことばかり。金、金、金。すべての物事を金の観点から考えるのをそろそろここらで止めようではないか。お金では絶対に手にはいらないもののことを考えるとしよう。ほんとうの豊かさとは「金」なのではない。地球に生きる人たちはそれでもお金に支配されていない世界を信じる。そして一人一人が自発的に集まってみんなで手をつなぎ、話しあい、笑いあい、共にすべてのいのちを讃えるためのセレモニーをしようではないか。われわれがこんな時代に日本列島に生まれてきたのはなんのためだろうか? もう一度大地とのつながりを求めて人びとと手をたずさえて、すべてのいのちと共に真に豊かな暮らしをするためではないのか。

arrow2 祝島漁協のホームページ

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Thursday, June 23, 2005

天地創造に際して造化の神よりネイティブ・ピープルに与えられた聖なる申しつけ

SACRED INSTRUCTIONS GIVEN BY THE CREATOR TO NATIVE PEOPLE AT THE TIME OF CREATION

  1. 母なる地球と自分と異なる色をした人びとを大切にしなさい。
  2. この母なる地球と造化の神が創りだされしものを敬いなさい。
  3. すべてのいのちを讃えて、その讃えることの力となりなさい。
  4. すべてのいのちに感謝をしなさい。いのちは生き残りの鍵を握るもの。あらゆるいのちについて造化の神に感謝をしなさい。
  5. 愛して、その愛を表現しなさい。
  6. 謙虚であること。謙遜は智慧と理解の贈り物。
  7. 自分にも他人にも優しくありなさい。
  8. 感情と個人的な関心と関係を、分けあいなさい。
  9. 自分にも他人にも正直でありなさい。以上の神聖な申しつけに責任を持ち、他の国々の人びとと分けあいなさい。

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Wednesday, June 22, 2005

白いバッファローの女の赤ちゃんが誕生していた!

the baby had prophecy written in her genes (遺伝子に書かれた予言)

AP通信や地元の放送局などが6月7日に流した記事によると、アメリカのケンタッキー州のシェルヴィヴィル(SHELBYVILLE, Ky.)にある食事も楽しめる観光牧場(Buffalo Crossing Restaurant & Family Fun Ranch in Shelby County)で白いバッファローの女の子が人工授精で生まれたという。白い女の子のバッファローはラコタの人たちが聖なる象徴とするもの。彼女はケンタッキーの牧場で飼われていたチーフ・ジョセフという名前のいくつもの賞を獲得した名だたるバッファローの孫にあたるらしい。父親となるバッファローは2001年の9月11日に雷に撃たれて2週間後に亡くなったという。アレン観光牧場はこれまで主に食肉のためのバッファローを育ててきて、現在も1000エーカーの牧場で600頭ほどの食用バッファローが飼育されているが、ボブとジュリーのアレン夫妻は、まだ名前のつけられていない白いバッファローの女の子を伝統に敬意を表して「食用とせず」に育てることにしている。ジュリー・アレンによると生まれた女の子のバッファローは「アルビノ」ではないという。「目が二つとも茶色をしていて、赤くはないですから」と。そして「彼女が晩飯の食卓にあがることはけっしてありませんよ」とボブ・アレンさんは笑って付け加えた。

▽白いバッファローの女の子の写真つき記事がここ The Courier-Journal, Louisville, Kentucky (Tuesday, June 7, 2005) にあります。

▽白いバッファローの女の子が生まれた牧場のホームページ
Buffalo Crossing Restaurant & Family Fun Ranch web site

じつはこの5月にもカナダのブリティッシュ・コロンビアで別の白いバッファローの赤ちゃんが生まれていたのだが、こちらはみんなの期待にもかかわらず数日後になくなってしまったのだった。チーフ・ジョセフという偉大なチーフの名前をもらった偉大なバッファローの孫娘の白いバッファローが長生きしてくれることを祈ろう。

*牧場は日曜日を除く月曜から金曜日まで毎日午前11時から午後6時まで一般に公開されている。

arrow2 ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマンの言い伝え(ジョン・ファイアー・レイム・ディアー 1967年)

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やはり富士山はすごい御山だったよ

富士山に行ってきた。昨年のWPPD2004のスタッフだった友人たちと夏至の日を祝うことと、個人的には「ジャンピング・マウス」のお話しを御山に奉納するためだ。夏至の前日の午後にキャンプ地に入ったときには小雨混じりの霧だった。富士山の南側の山麓に広がる小さなレイン・フォーレスト。うっそうとした森に囲まれた野営地。富士山は姿を見せない。大きなログキャビンに30人ほど、一年ぶりの再会。たくさんの笑顔。つきることのない話。深夜、時計の針が1時を回ったころ、ストーリーテラーの古屋和子さんと、インディアン・フルート奏者ののなかかつみさんが、静寂と暗闇のなか、ろうそくとカンテラの明かりの投げかける黒い影とともに、物語を語り、フルートで様々なシーンをつくりだしてくれた。ジャンピング・マウスが日本語で語られるのを聴くのは初めての体験だった。物語の世界に引き込まれる。一時間ぐらいのストーリーだが、富士山の霊気と、暗闇の力もあり、古屋さんとのなかさんの力を借りて、ジャンピング・マウスの物語は無事に初演を終えた。なかにはつかれていびきをかいている人もいたけれど、それはそれで物語を語る側としては成功なわけではあるのだが、むろん小生はひたすらに耳を傾け続けた。驚いたことにストーリーテリングが終わった時、森のなかに空いた空間から見上げる夜空には満月が出ていた。きっとそこに集まっていた友人たちとそれぞれのスピリットたちが、富士山に思いを運んでくれたのだろう。奉納を無事終えた後わたしは眠りについた。夏至の日の朝6時ごろ、人の気配で目を覚ますと、すでに起き出していた人たちの声が外から聞こえた。快晴の空。顔を洗って、自分たちで作る直径10メートルにみたない小振りなメディスン・ホイールの場所に行くと、すでに輪の中心では火をたく準備が進行中だった。北の空の方を見上げると、そこには懐かしき御山の姿がそびえ立っていた。朝の光のなかでわずかに残っている雪が白く輝いていた。北側から見るのとは又雰囲気ががらりと変わる雄々しい表富士の姿。薪となる折れた枝などを集めるかたわら、その輝く頂をしばらく見つめていた。そのまま午前中は、夏至の日のために作られた小さなメディスン・ホィールを友人と囲んで過ごした(儀式と祈りの詳細については公開をひかえる)。それぞれが感謝の言葉を口にした。来年の夏至の日には、WPPD2004のとき台風の中朝霧高原に集まってくれた出来るだけ多くの仲間たちに声をかけて、東富士のどこかでギャザリングをやれないだろうかという声もあがった。時が過ぎてメディスン・ホイールを囲む輪が崩れるころ、下界から又霧が立ちのぼってきて、世界が幻想的な白いベールに包まれた。夜から又雨だという。わたしは友人たちと握手やハグを交わして富士山から下界に車で降り、とてつもなく広大な自衛隊の演習場のなかを突っ切る道を御殿場におりて家に戻った。夏至の日の儀式の間中ずっと美しい富士が姿を見せ続けてくれたことにこころから感謝しながら。やはり日本列島を代表する聖なる山の力は半端ではない。

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Monday, June 20, 2005

ジャンピング・マウスをお読みくだされ 著者広告 再掲

「ほんとうの自分を見ることは、聖なる山を見るぐらい大変なことさ」

ジャンピング・マウスの物語に出てくる印象深い言葉のひとつだ。ほんとうの自分はなかなか見えない。聖なる山も、誰にでも見えるというものではない。聖なる山を見ていても、それが聖なる山であることに気がつかない人はたくさんいる。聖なる山を見るためには、「聖なるものを認識するハート」を持っていなくてはならないからだ。こころで見る。第三の目で見る。そのときはじめて聖なるものが見えてくる。ものを見るときに、こころの目を使わなくなったのは、いつのころからなのだろう? 話を聞くとき、こころの耳を使わなくなったのは、いつのころからなのだろう? 頭についている目で、世界を理解するようになってから、聖なるものがわたしたちのまわりからどんどん消えていった。頭についている耳で、世界を聞くようになってから、聖なるものがわたしたちのまわりからどんどん消えていった。こころをどこかに置き忘れた社会。ほんとうにたいせつなものってなんだろう? ジャンピング・マウスの物語は、ほんとうの自分を探す旅に出た一匹の野ネズミ(きみのことだ!)が聖なる山にたどりついてこころの目で世界を見るようになるまでの旅の話。聖なるものが見えるもうひとつの目、ほんとうの自分を見るためのこころの目、それをわれわれはどうすれば回復できるのかを教えてくれる平原インディアンに長く伝えられてきた不思議な力に満ちた物語。この物語のなかで、メディスンマンのカエルが名もなき小ネズミに語りかける。「どうだね、おまえさんにも、この不思議な力、メディスン・パワーを、すこし分けてしんぜようか?」

jumpingmousesジャンピング・マウス
北山 耕平 (著)

価格: ¥1,554 (税込)
● 単行本(ソフトカバー): 211 p ; サイズ(cm): 20
● 出版社: 太田出版 ; ISBN: 4872339584 ; (2005/05/25)

すべてがシンボルによって構成された「ジャンピング・マウス」の物語は、まるで鏡のようにあなたの内面を写し出すことだろう。偉大なものに自己をあけわたすサンダンス・ストーリーの傑作。ぜひあなたの旅のお供に。

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Sunday, June 19, 2005

わたしたちのスピリットがそこで出会いますように

mtfuji 明日は富士山に行く。夏至の日の朝をそこで過ごすために。太陽が夏の家に入る日、それが夏至である。これまでの六ヶ月間、偉大なる太陽は万物の生育に力を与え続けた。父なる太陽は地球を抱き、母なる地球は太陽に抱かれた。われわれはこの愛の行為の結果を、やがて見ることになるだろう。春にこの惑星に生まれた無数のいのち。大地はめまぐるしく色をかえ、たくさんの花が咲き乱れる。大地を覆いつくされた緑。この惑星のいたるところで、あらゆるいのちが特別な時を過ごす。宇宙に満ちている力を借りて、わたしも生まれかわった自分を確認しに特別な場所にいこう。太陽が夏の家に入られる日。太陽はその家でしばらく過ごされた後、ふたたび天の道を通って冬の家に向かう旅をはじめるのだ。太陽がつかの間の休息にはいるとき、喜びと、生きるエネルギーにあふれた、時を越えた友だちたちに会いに、明日は富士山に行く。わたしたちのスピリットが、そこで出会いますように。

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Saturday, June 18, 2005

なぜネイティブのエルダーたちはみな賢いのだろうか

「いずれにせよ偉大なる精霊グレイトスピリットによって、おまえさんやわしには、自然という宇宙のなかを、森のなかを、川を、山々を、動物たちを学ぶ機会が与えらられている。そしてその動物たちのなかにはわしら人間もふくまれている」
タタンガ・マニ(ウォーキング・バッファロー)
1871-1967 ストーニィ・インディアンの長老

わたしたちがほんとうに学ばなくてはならないこと、それは「いかに与えられたいのちを全うするか」ということである。つまり「なにをして人生を送るか」ということだな。わたしたちがたとえば「均衡(バランス)」や「調和(ハーモニー)」や「自然の法」や「人生いかに生くべきか」を学びたいと考えたとき、本を読んだり、人に聞いたりするのもなるほどよいけれど、一応知識を詰め込んだ後で最後に学びにいかなくてはならないところは、つまり人生のことを教えてくれる大学のような場所は、文字通り自然のなかである。小学校や中学高校ではないことに注意されたし。カナダ、アルバータ地方の西洋社会のなかではジョージ・マクリーンという名前で知られていたストーニー・インディアンの名だたるチーフ、タタンガ・マニ(歩くバッファロー)爺さまも、96歳でこの世界での旅を終える前にそのことを語っていた。「生きている宇宙のなかにはいりこんでそれなりの時間を過ごすまではなにひとつ学んだことにはならないのだぞ」と。そういえば自然を一冊の本に例えた哲学者も存在した。自然という本を読むことで様々なことをわれわれは学べると。自然という本を読む行為と、自然のなかに学びにはいる行為は、同じ事をつたえようとしているのかもしれないが、微妙にその姿勢において違っているような感じも受けないわけではない。まず自然という大学に入っていけば、いのちがなんたるかについての試験や学ぶことがそれこそ山のようにたくさんあることはまちがいない。と同時に、たくさんの癒しも与えてくれることだろう。この自然が与えてくれる癒しは、自然をただ読んでいるだけでは絶対にもたらされないもののひとつなのではあるまいか。ただ読むのではなく、自然の中に入りこむ。自然は人間にたくさんの薬を授けてくださったし、これからも授けてくださるし、知識も癒しも与えてくださる。ネイティブ・ピープルのエルダーたちがみんなとても賢くあるのは、彼らがこの自然という大学のなかで、正しい教育のシステムにもとづいて学んだからに他ならない。

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双頭の蛇が埼玉県寄居市で見つかった

asahi.comが2005年06月18日07時28分の配信でつたえている。「埼玉県寄居町桜沢の大谷進さん方の庭で17日、二つの頭を持つ珍しいヘビが見つかった」と。写真もついている。これはなにかの前兆か?

arrow2 2つの頭持つヘビ見つかる

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Friday, June 17, 2005

メディスン・ピープルの生き方

「自分のことをいえば、メディスンマンの生き方の本質とは、謙虚であることだ。とてつもなくたいへんな忍耐力を持つこと。地球のすぐ近くに居つづけること。可能な限り質素に暮らすこと。そしてけして学ぶことを止めないことだ」

小生が翻訳した『インディアン魂(レイム・ディアー)』(河出文庫)という驚くべき本を残したレイム・ディアーは、ラコタのメディスンマン、聖なる人として7人のメディスンマンを育てたという。その一人が息子のアーチーである。アーチーもまた先年亡くなって、夜空のゴースト・トレイルを辿って南にある幸福な狩り場に移り住んでしまった。これは生前にアーチーが残した言葉のひとつで、メディスンマンやメディスンウーマンといわれる人たちがどのような生き方をしているのかについて明解にこたえているものである。つまるところメディスン・ピープルといわれる人たちは「なにをなすか」よりも「どのようにあるか」にいつでも意識の焦点を当てている人たちなのだ。わたしたちは結局のところ「人間をしている」のではなくて「人間としてここにある」のだからね。メディスン・ピープルはとにかく辛抱に辛抱を重ねる人で、いつでも意識的に謙虚な生き方をしようと心がけている。いうならばその人たちは、自ら奉仕することによって人びとを導く。メディスン・ピープルが意図することはたいていの場合、他のものが求めていることにすすんで奉仕することに他ならない。このすすんで他の人たちのためになにかをなそうとする姿勢があるからこそ、みなも彼や彼女の話すことに耳を貸そうという気持ちにもなるし、その人にぜひ従おうということにもなる。メディスン・ピープルは「すべては師」「誰もが自分の先生である」という決まり文句をたいてい口癖にしている。わたしたちもそうした生き方をできるだけ見習うべきではないかと思う。謙虚につつましく、辛抱強く、母なる地球を敬い、そして自分たちになにかを教えてくれる存在に耳を傾けること。

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Thursday, June 16, 2005

オン・ザ・ロード 講演旅行記

star7いってきます。先週の土曜日の朝、嘘のような晴れ。電車と新幹線を乗り継いで仙台に向かった。11時半頃に仙台駅着、さっそく仙台スピコン事務局のハガさんの車で「ホピの予言2004」映画自主上映会の会場へ。そういえば「ホピの予言」(オリジナル版)の公開時のとき(1986年)にも、16ミリフィルムを持って仙台にきたことがあった。「ホピの予言」と小生と仙台のあいだには不思議な因縁があるらしい。

会場の太白区中央市民センターでは入り口近くで「穫れたて野菜市」がおこなわれていて盛大な人だかり、3Fの大会議室にはすでに椅子が並べられていた。神戸から同じ日の朝に飛行機でやってきたランド・アンド・ライフの辰巳さんと、辰巳さんが協力して『ホピの太陽の下へ——女三人、アリゾナを行く』(野草社刊)を上梓されたばかりのハグさんこと羽倉玖美子さんと近くのコーヒーショップで談笑。じつはこの自主上映会はハグさんが書かれたその本の出版記念会でもある。ハグさんとは実に「ホピの予言」(オリジナル版)の上映会からの知りあい。辰巳さん母娘とハグさんがホピの国に行くまえと帰国後にもお会いしていろいろとホピの国のおかれた現状などのおはなしを聞かせていただいた。

観客のなかには懐かしい顔も。午後1時半ごろから映画会をはじめる。4、50人はいただろうか。小生「ホピの予言2004」を大きな画面で見るのはこれがはじめて。オリジナル版を観た後に2004年に辰巳さんがヴィデオで撮影してきたアップデート情報を追加したものを続けて観た。「2004年版」が実に今日的なテーマとホピとの関係を整理してくれていて、これはもう一度あらためて観る価値があることを再確認してうれしくなった。ホピの人たちの置かれている状況が少しでも世界に伝わって欲しいものである。

映画上映後、ホピの伝統派とはいかなる人たちかということと、地球と少数民族の運命についてのお話しをしばらくし、辰巳さんとも対談をして幕。「ジャンピング・マウス」にサインをしたり、大切に読んでくれていることがわかる「ローリング・サンダー」の昔の本に恥ずかしながらサインをする。それからそのまま有機食材をふんだんに使ったビュッフェスタイルのファミリーレストランのブースに移動して懇親会と打ち上げ。仙台スピコンのハガさんの仲間たちと時間を忘れて話し込む。パワフルな魔女たちに圧倒された数時間。

その夜のうちに福島県のいわき市まで行かなくてはならない強行軍だったので、早々に、三時間後に切り上げて表に出たらこれが恵みの雨。翌日に北海道に上映会のために渡る辰巳さんとハグさんや、仙台の魔女たちともこころ引かれつつもお別れし、同じ福島県からはるばる車で迎えに来てくれた僧籍にある友人徳雲さんの4WD車で、彼の友人で小生とも(石川県鳥越村のトークセッションで)面識があり、金沢からわざわざきてくれた「タノシイコト、ダイスキ」のマチャミさんと三人で、夜のハイウェイを一路南下。車中様々な話題でとどまることを知らないほど盛り上がる。いわゆる One of These Nights ってやつ(特別な夜)。闇のなかを車はひた走り、その夜遅くにいわき市湯本のとある温泉旅館が経営するビジネスホテルにはいる。

硫黄の匂いのする温泉にしばらく浸かった後はおぼろで、気がつけば良く晴れた光まぶしき朝。旅館の朝食後、タクシーでいわき市美術館に向かう。気持ちの良い朝。曹洞宗の僧である友人が法事を終えてくるまでマチャミさんと同美術館で開催中(7月3日まで)の「アンテスとカチーナ人形展」をじっくりと見て回る。

paatangカチーナの展示を見るのは伊丹市立美術館についで2回目だ。なつかしさがつのる。お気に入りのカチーナ(左図 ホルスト・アンテス財団蔵 Paatangkatsina スカッシュのカチーナもそのひとつ。思わず笑えるでしょ。カチーナ人形についての日本語の情報はKachina Houseへ)のまわりをうろうろ。美術館ごとに展示のされ方が異なるのでまったく新鮮な気持ちでひとつひとつ見て回ることが出来た。おもしろくて、おかしくて、いやらしくて、かなしくて、美しくて、やさしくて、おだやかで、はげしくて、ふかくて、ぶっとんでて、なぜか別れがたいカチーナたち。これはわたしがホピにたいして特別に深い思い入れがあるからかもしれないし、こころのうちは整理も出来ていないのだが、今回のカチーナたちの日本列島巡業には大きな意味があるような気がしてならない。ただ今日本列島を巡業中の80体のカチーナたちは、来月(7月9日〜8月28日まで)の神奈川県立近代美術館葉山館の展覧会(現代ドイツの巨匠とホピ族の精霊たち アンテスとカチーナ人形)後、家に帰る。家といってもおきまりの聖山サンフランシスコピークス山(アリゾナ)ではなく、ドイツ人芸術家でこれらをふくむ800体ものカチーナ人形のコレクターであるホルスト・アンテスのもとへ。

伊丹市ではいくつかの会場に分けて飾られていたカチーナたちが、さながら古代中国の遺跡から出土した兵馬俑の人たちのごとく整然と並べられていて圧巻。時の経つのも忘れてひとつひとつのぞき込んだ。カチーナ人形が印刷されたしおりをおみやげに購入(伊丹市の展覧会のときに見て欲しかったんだな)。その後いわき市美術館の学芸員の植田さんらと親しくお話ししお弁当をしっかりごちそうになる。講演会「ホピとはいかなる人たちか — ホピ・カチーナの教え」は午後2時から1時間半ほど。30人ほどお集まりいただいただろうか。近郊の町などからわざわざ足を運んでくださったり、たまたま美術館にきて興味を持って話を聞きに来てくださった方など、穏やかな人たちを相手に例によって終わりのない話をぐるぐるぐる。ふと気がつけば1時間と30分が過ぎ去り、いくつかの質疑応答ののち終了。

徳雲さんとマチャミさんとそこで別れ、わざわざ宮城から車で駆けつけたというキンちゃんという青年とともに、今度は翌日のトークを企画してくださった繋ぎの空間『灯庵』の主の中嶋さんの4WD軽ワゴンで西白河郡西郷(にしごう)村に向かう。三人の男の子とミュージシャンの夫の4人のおかあさんをしている中嶋さんの豪快な運転にたまげる。舗装はされているもののときどき対向車とすれ違えないくらいに車幅が狭くなる山道を上がったり下りたり、めまぐるしく変わる天気のなか、虹や夕焼けの赤い雲などをゆっくりと鑑賞するまもなく、道に迷いながらも日も暮れて8時を過ぎたころに古民家を改造した「灯庵」に到着する。

なんと4時間ほどの山中ドライブ、途中休憩なし、中嶋さんの旦那さんやその友人たち男性三人が夕食の用意をして待っていてくれた。玄米とみそ汁とおかずが四、五皿。この夜は遅くまで古代日本の先住民であったアテルイら「蝦夷(えみし)」の話で時を忘れる。気がつけばネイティブ・タイムのなかをうろうろ。始まりもなければ終わりもない世界。夜になって少し雨。キンちゃんというヒゲの青年と小生は、古民家の土間に敷かれた布団にくるまって北枕で寝る。前後左右不覚。

翌朝、6時半頃に起床。熟睡したらしい。おはよ。良い天気。子供たちが登校した後、遠くの山々を望みながら、近くを散策し、阿武隈川の源流の瀞[とろ]でしばし風をひらく。それから「灯庵」に戻り、ふたたび玄米みそ汁干物サラダの朝食。朝のコーヒーをいただいたあと、講演会の始まる午後まで時間があったので、みなで(中嶋さんの旦那と最年少の息子と、岩手芸術村村長とキンちゃんとぼく)近くの温泉に出かける。山深いところにぽつんとある甲子温泉・旅館大黒屋。光と緑に包まれて、静けさのなかにエゾハルゼミたちの合唱が響く。長い階段を下りたところにある川縁の温泉。いかにもみちのく古代陸奥(昔は白河の関からこっちは陸奥の国だったんだぞ)の国の秘湯といった風情。柔らかくてまとわりつくような水質(石膏正苦味泉 48度)の温泉。しばし「ノイローゼに効く」と謳う温泉に浸かったまま我を忘れる。こんなに山奥(もうひとつ山を越えるとそこは会津)だというのに、温泉ブームのせいなのか、結構たくさんの人たちが遠くから入浴に訪れる。日帰り入浴も可。のんびりと浸かって旅の疲れをほぐすには最適だよ。ゴクラクゴクラク。

お風呂に入って、冷たいお茶をご馳走になり、車で山道を走って灯庵へ戻る。玄米ご飯のおにぎりをパクつく。講演会の第1部「自然のレッスン1〜ネイティブアメリカンに学ぶ教育〜」は1時半から2時間ほど。栃木や那須や東京方面からわざわざきてくれたおかあさん、おとうさんら15人ほどと「教育」についての濃い話。無文字社会で学校もないのにいかにして伝統を伝えて数千年にわたって自分たちの暮らしを守りとおしたのか? 彼等の生活のなかから私たちの学べるものは? どうすれば植物や動物たちの話が出来るのか? 相応に充実した時間が流れた。気がついた時には4時を回っている。第1部終了後、ほとんどの人がもとの生活に帰られた。月曜日の午後に、忙しい時間を割いてわざわざ遠くからきてくれたことに感謝しつつ、本にサインなどする。郡山からやってきたご神業中の女性とは共通の知りあいがいて驚愕させられた。ええっ! インディアン・フルート奏者のマークさんのおかあさんのお友達なんですかぁ! たくさんの神さまの名前が音楽のように頭のなかを駆けめぐる。とてつもないことをやらされてしまう運命の人はいるものです。

あわただしくエチオピア・スタイルのカレーを食べる。こんなに食べれないと思えるぐらいの山盛りだったが、不思議にスプーンが動いてきれいに食べてしまった。なにか秘密のスパイスが入っていたに違いない。第2部「自然のレッスン2〜ネイティブアメリカンに学ぶ生活〜」は30分ほど遅れて午後7時頃にはじまった。小生の帰りの新幹線が9時半頃なので、終わりの時間を気にしつつネイティブ・アメリカンからわれわれがなにを学べるのか、また彼等とわれわれの共通点と相違点などについて話す。近隣の街からわざわざ講演を聴きに来てくださったなかに、これまでの講演会などではまずお目にかかれない年長の方々も。アメリカ・インディアンの現実と、彼等がこれまで以下に地球を守ってきたか、その哲学の背景、生き方の問題などにもありがたくもうなづきつつて耳を傾けてくれ、小生の本を数冊購入していただいた。

あっというまに時間が過ぎ、もう一晩やっかいになるというキンちゃんを残してあわただしく灯庵を後にする。みんなと固い握手。キンちゃんが自作のCDをくれた。おいおいミュージシャンだったのかよ! あたりはとっぷりと闇に包まれている。車で20分ほど対向車のまるでない山道を下ると新幹線の新白河駅。がらんとした駅構内。一日の売り上げを数えている売店の娘たち。最終の一本前の新幹線に乗って東京駅に向かう。2日前のことが遠い日のようにも思えた。舞台が音を立てて変わった3日間が終わろうとしていた。古代陸奥の国はまたしても私に優しかった。車中でせつかく持ってきたもののそれまで開くことのなかった「日本の神々——『先代旧事本紀』の復権」(上田正昭+鎌田純一対談 大和書房)を読む。いや実に興奮させられた。これは刺激的な対談である。『ネイティブ・タイム』の参考書にぜひ加えたいな。顔を上げればはや新幹線は上野から東京に向かいつつあった。東京駅から新宿を経由してわが家に帰り着いたのは日が改まった午前0時半。かみさんがドアを開けてくれる。中学生の息子は眠っていた。玄関で猫が鳴いた。ただいま。

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Thursday, June 09, 2005

わたしたちは祈ることを忘れている

「どうか知恵と理解とをわが一族の指導者たちにお与えください。一族の戦士たちを守護し、無事に帰還させてください。若者たちには愛と生きている満足感とをお与えください。一族の年寄りたちが末永くわれらとともにいられるよう、彼らに健康と長命とをお与えください。もしわたしが敗れても自分がいささかも恥じ入ることがないように、わが敵たちに勇気と力とをお与えください。またこのわたしには、すべての存在にたいして優しくなれるような知恵をお与えください。そして一日を終えて日々眠りにつくとき、自分の祈りが無駄であったと思わなくても良いように、一日一日を生かさせてください。」
チーフ・ビッグ・ロッジ・ポール、ブラックフィートの長老

ネイティブ・アメリカンの人たちとの交流のなかで最も印象深いことのひとつは彼らの祈りである。彼らが祈る現場に居合わせるたびに、われわれは祈りをあらかじめ奪われてしまっていることに気がつかされる。ここで言う祈りとは、マントラを唱えたり、祝詞をあげたり、経文を朗詠したりすることではない。あらかじめ文字に記された祈りを読み上げたり暗唱したりすることで祈りが成就することもあるかもしれないが、それでもそうした祈りはきわめて間接的な祈りであることだけはまちがいない。自分と祈りを聞きとげてくれる対象とのあいだに別のなにかが割り込んできているのである。その別のなにかによって祈りを奪われていると考えることもできなくはないのだが、そのなにかにわれわれは自分を託して願いを届けてもらうことを、普通われわれは「祈り」と呼んでいる。それに反してネイティブの人たちの祈りは、自分と、自分をふくむ世界を創られた存在のあいだだによけいなものがなにもない。われわれは自分の声と言葉によって直接偉大な精霊に語りかける。そしてこの意味でわたしは、「直接祈ることの重要性」をこれまで何度もお伝えしてきた。『聖なる言の葉 ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い』(マーブルブックス)という本は、ネイティブの人たちが自分の声で祈った言葉を集めて、日々の暮らしに役立てられるように編集したものである。それはその祈りの言葉をまるまる暗唱するためにあるのではない。自分の言葉でハートから祈るとはいかなることかをそれぞれが体験し、理解し、自分の声と言葉で祈る時の参考にしてもらいたいと考えて形にしたものである。今日冒頭で紹介したブラックフットのエルダーの祈りの言葉は、たまたまネイティブ系の新聞のある記事のなかで見つけた言葉であり、『聖なる言の葉』のなかにこそ掲載されていないが、自分の敵にも勇気と力を与えてくださいとたのむのとよく似た祈りの言葉は同書にも見つけることはできる。わたしがこころ引かれるのは、こうした偉大なる精霊にむかって直接語りかける声であり、そうした声は、言語の壁を越えて、常に精神と物質とをむすびあわせ、ある種の波動として伝わってくる。あなたは自分の声で、自分の言葉で、祈ったことがおありだろうか?

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Monday, June 06, 2005

ON THE ROAD AGAIN (6月の講演会のお知らせ)再掲

6月11日(土) 仙台 宮城県

ホピの予言〜2004年版〜」自主上映会+講演会
 出演 辰巳玲子(ランド・アンド・ライフ)&北山耕平 

日時:2005年6月11日(土)13:00〜17:30
場所:仙台市太白区中央市民センター3F・大会議室
主催:仙台すぴこん事務局
参加費:3,000円 88名(要予約)
arrow2 http://sendai.spicon.org/hopi.htm
[お申込み・お問い合わせ]メール、FAXもしくは電話でご連絡ください。
電話 070-5620-4133 FAX 022-303-2778 仙台すぴこん事務局・ハガさん

映画『ホピの予言』・・・86年製作のオリジナルは、平和の民と呼ばれるアメリカ先住民ホピに口承で伝わる偉大なる精霊の教えと、大地と生命の調和に立ったホピの生き方を軸とし、ホピの聖地で行われているウラン採掘と放射能汚染、石炭露天掘りと強制移住など厳しい現実を映し出しています。この現代社会の病理の雛形を表しているのと同時に、バランスを失った世界を作り出してしまった人類への警告でもあります。また、ホピと被爆国日本とのつながりを紹介し、私たちにとって大きな平和のメッセージとなりました。87年11月には、アメリカンインディアンフィルムフェスティバルにおいてドキュメンタリー大賞を受賞。
2004年版・・・オリジナルに加え、昨年5月に撮録したマーチン・ゲスリスウマ氏のインタビュー映像(約20分)を上映します。氏は93年、国際先住民年の行事として国連で開かれた「地球の叫びークライ・オブ・ジ・アースー」において、ホピ派遣団の代表としてスピーチを行いました。

会場案内:仙台市太白区文化センター&中央市民センター3階・大会議室


6月12日(日) いわき市 福島県

5月28日からいわき市立美術館にて開催中のアンテスとカチーナ人形展(7月3日まで)において講演を行います。

講演会「ホピとはいかなる人たちか — ホピ・カチーナの教え
講師 北山耕平(翻訳家・作家)
日時 6月12日(日) 14:00〜
会場 いわき市立美術館セミナー室
参加無料、席数50席(先着順)

現代美術の巨匠ホルスト・アンテスの作品と、アメリカ・インディアンの一族「ホピの人々」が、宇宙の万物に宿る精霊として深く信仰する「カチーナ人形」を並列的に展示する展覧会。アンテスは、画家、版画家、そして彫刻家として世界的に活躍する美術家であると同時に、アボリジニの作品や南米の先住民族の羽根かざりなどプリミティブ・アートの一大収集家としてもその名を知られます。とりわけ、約800点に及ぶカチーナ人形のコレクションは世界最大を誇っています。カチーナ人形は、20世紀初頭の欧米の芸術家たち、特にシュルレアリストたちに礼賛され、その高い精神性と芸術性は、今なお人々のこころをひきつける魅力を放っています。今回の展覧会は、アンテスのコレクションの中から厳選した79体のカチーナ人形とアンテスの初期から最新作にいたる62点の作品でアンテスの芸術世界を紹介します。カチーナ人形とアンテス作品、ともに日本では始めての本格的な展覧となる本展は、芸術家とその制作の着想の源、両者のスピリットに触れる貴重な機会となることでしょう。(案内より)

いわき市立美術館 Iwaki City Art Museum
〒970-8026 福島県いわき市平字堂根町4−4
電話 0246-25-1111 FAX 0246-25-1115


6月13日(月) 西郷村 福島県

福島県西郷村のギャラリー『灯庵』で午後にお話し会をひらきます。
テーマ 自然のレッスン〜ネイティブアメリカンに学ぶ教育と生活
話す人 北山耕平

第1部 PM1:30〜3:00
自然のレッスン1〜ネイティブアメリカンに学ぶ教育〜

第2部 PM6:30〜8:00
自然のレッスン2〜ネイティブアメリカンに学ぶ生活〜

それぞれ ¥2000(1ドリンク付き)小学生半額、幼児無料
両方参加される方は、ネイティブアメリカンポストカード差し上げます。

会場 お問い合わせ 繋ぎの空間『灯庵』
〒961-8071 福島県西白河郡西郷村大字真船字芝原307−38
電話 0248-48-0884 090-7661-9970
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Saturday, June 04, 2005

線を引く行為にひそむ危険

「太陽の力添えで地球は形作られたのだから、生まれたままの姿でいつまでものこしておかなくてはならない。国と国とをわけへだてる境界線などというものははじめからなかったわけで、人間がわざわざ線を引くようなものではないのだ」
チーフ・ジョセフ、ネスパースの長老

「国なんてものはないのだ」と想像してごらんと歌ったのはジョンだった。「そのために殺したり死ぬことなんてないのだよ」と。でも、国というのはもともと人間の心のなかにあった。なかったのは「国と国の間に線を引く」ことだ。なにかとのあいだに線を引いて境界線を設けようとするとき、そこに「危険」が必ずひそんでいる。線を引く行為のなかにひそむ危険は、われわれの内側にもあるし外側にもある。あらゆるものとのつながりや相互依存関係が見えなくなってしまうこと、きっとそれがとても危険なことなのだ。いろいろな相関関係を見失い、孤立し、声高に自分のものを主張しはじめる(これは俺のものだぞ! 自分のものを好きにしてなにが悪い!)。すると、かならずもめ事が起きることになる。個人のレベルであれ、国家のレベルであれ、それはかわらない。わたしたちが存在していることがそのまますべてのものと密接に、網の目のようにつながりあっていることが信じられなくなると、自己中心的になり、自分の好き勝手に振る舞いはじめたりする。調和やバランス、全体性を常に考慮に入れなくてはならない。自分という存在、自分の国というものが、なにかとてつもなく偉大なあるものの一部であることをわきまえたうえで、それにしたがって自分を、自国を律しなくてはならないのではないか。

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Friday, June 03, 2005

復元されたアイヌの宝「ペラウシトミカムイ」

『アイヌの宝を平取の萱野さんが復元された』

北海道新聞の2005年5月2日の文化芸能面でつたえたところによれば「日高・平取町の二風谷アイヌ資料館(北海道沙流郡平取町二風谷)館長萱野茂さん(78)が、国内でも珍しいアイヌ民族の宝『鍬形(くわがた)(ペラウシトミカムイ)』を1か月がかりで復元し、資料館で展示を開始した」ということである。

ペラウシトミカムイは、道内のアイヌ資料館ではどこも所蔵していなくて、萱野さん自身も約30年前に東京・国立博物館で目にして以来、過去の記憶と文献を頼りに制作に取り組んできたという。長さは約40センチ、幅約35センチで、カツラの板に銅板をはめ込んで作られている。形状などから、和人の持ち込んだかぶとの正面につける「前立て」がルーツと推測され、アイヌの最も古い宝物の一つと考えられてきた。アイヌ民族は鍬形を土の中に保存したため、現在国内での発見例は二十数件にすぎないと記事にある。もともとは祈祷の道具として使われたものであるらしいとも。鍬形は「鍬先(くわさき)」ともいわれるが、けして鍬の先につけるものではない。写真

また同じことを伝える読売新聞のニュース(記事自体はアーカイブに収められてしまったし、こちらではペラウシトミカムイではなくキラウシトミカムイになっていた)によれば、萱野さんは「体調は良くない」らしい。しかし「実物を見たことのある自分が作らなければと思った。アイヌにこういう宝物があったということを多くの人に知ってもらいたい」と話していた。

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おはなし宝箱 目次 2004.03-2010.01

Storytelling Stone

このブログをはじめてからこれまでに紹介したネイティブ・アメリカンに伝えられてきた「物語」のリストを作った。Native Heart blog のカテゴリーでいうなら「Storytelling Stone」におさめられているものだ。こうしておけば、それぞれの物語にアクセスしやすくなると考えたからだ。これらのお話しには、おりにふれていろいろなメディアで紹介してきたものをあらためて収録したものもあるが、ここではじめて日本語化をしたものもある。これらのお話しは、自分がストーリー・テリングを学ぶあいだにコレクションしたものが主だが、なかにはインターネットの「神話と伝説」のサイトで見つけたものの日本語訳もある。こうした物語は、ネイティブの人たちにとってはそれぞれいうならば学校のようなもので、なかには人生において大切なことを学んだり、進むべき道を指し示したりする目的で語り継がれてきたいわゆる「ティーチング・ストーリー」もあったりする。物語はけして子どもたちのエンターテインメントのためだけにあるのではないということをどうか理解していただきたい。これからもときどきこうしたストーリーを紹介するつもりでいるが、ここに紹介したものの多くが何度も何度も語られてきたものであり、なかには必ず今起こっている問題を解決する鍵が秘められているものもあると信じているので、ときどき思い出したときにはいくつかのお話しをひろって、頭のなかで「お話しを見ながら」、実際に声にしていただけたらと思います。

Revised Friday, January 22, 2010


  おはなし宝箱 目次 2004.03-2010.01

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Wednesday, June 01, 2005

なぜわたしはこのブログを続けているのか

Revised Friday, January 22, 2010
この文章は2005年6月1日に公開したものの改訂版である

fujiboy

もうじき夏至の日が巡ってきます。サンダンスの季節到来です。今年(2005年)は夏至の日と満月が重なるので、きっと大きなターニングポイントになるかもしれません。

じつは最近はっと我に返って気がついたのですが、このブログを、腰をすえてはじめてから一年以上が経ちました。おかげさまで累計アクセス数も一年余で10万になろうとしています(実際は最初の数ヶ月間はアクセス解析をしていなかったので、ほんとうの数はわからないのですが)

 今はおよそ165万4000アクセス。2010年1月22日現在。

もともとこのブログをはじめたきっかけは、ラコタ族の精神的指導者であるチーフ・ア−ボル・ルッキングホースの提唱する「せかいへいわといのりの日(World Peace & Prayer Day 2004 Japan)」のために自分になにができるのかということでした。書くことを仕事にしていたので書くことでそれに参加してゆこうと。そして富士山の朝霧高原であのヴィジョンの雨の中思ったのは、ブログを続けていこうということでした。それで終わりにするのではなく、それをはじまりにしようと。思えばわたしはアメリカ大陸から帰ってきて以来富士山のスピリットと共に今日まできたようです。富士吉田、熱海、伊東、修善寺と富士山の気を感じる場所に長いこと暮らしてきて、富士山がどのような扱われ方をしているのかを見続けてきました。聖なる山とネイティブのスピリットとの関係をわたしはアメリカ先住民の人たちから学びました。「常に山の頂を見続けよ」と彼らはいいます。「すべての山の頂には神が立っている」とも。アメリカの大地とアメリカ・インディアンの精神のことを日本列島で日本人をやっている——祈ることを忘れた(あらかじめ奪われていた?)——若い世代に、できるだけ伝えていきたいというのが、長いこと自分の希望でした。そのための道案内になるような本も、書いたり翻訳したりしてきました。もちろんそれで食べていけるようなわけにはいかないので、昔とったきねづかというか、雑誌編集の技術を生かして毎月仕事をしつつ、それでもブログだけは続けていこうとあの横殴りの雨の中で考えたのです。

「ぼくの人生はサンダンスだ(My Life Is My Sun Dance)」とレオナルド・ペルティエという証拠もないままFBI職員を銃殺したとして、本人は完全に否定しているにもかかわらず、20年以上も牢獄に入れられているひとりのラコタとアニシナベの両方の血を受け継ぐ戦士が獄中記で書いていますが、実際サンダンスとは生きることそのものなのかもしれないと小生も思うことがあります。この一年をかけてようやく形にすることができた「ジャンピング・マウス」という、すべてがシンボルから構成されているシャイアン一族の物語も、まさしくそのことを教えてくれています。サンダンスというのは、平原インディアンの人たちが夏至の日の前後におこなう年に一度の大例祭です。自分を偉大な存在に明け渡すことによって願いを聞き遂げてもらうための過酷で壮絶な儀式である祈りの踊りがその中心にあるのですが、ひとたび踊りはじめた者にとってそれは大例祭の四日間で終わるのではなくて、象徴的には残りの人生のあいだ続くものなのです。そしてそれは World Peace & Prayer Day についても同じことが言えるでしょう。それは数日間の印象的な催しごとではなく、それ以後もずっと続いているのですから。

わたしは読者(あなた)をアメリカ・インディアンに改造しようとしているわけではありませんし、アメリカ・インディアンのように振る舞えといっているわけでもありません。アメリカ・インディアンのところで学んだ儀式をみんなに勧めているわけでもありません。そうしたことに意味があるとも思えません。われわれはアメリカ・インディアンにあこがれる必要もないし、またなる必要もないのです。

わたしたちは自分のなかの「インディアンの部分」を眠らせたまま長いこと日本列島で生きているということに気がつけば、自分のスピリットと日本列島のスピリットとをつなぐはずのものの存在に気がつけば、そこから新しい生き方がはじまり、もう一度日本列島においてネイティブとはいかなることかを学びなおすことも可能になると信じるからです。かつて遠い昔に「大陸伝来の文字」によっていつのまにか牢獄に閉じこめられてしまった「自由な精神」を、もういちど今度は「文字と声」の魔法の力によって解き放つことはできないものだろうかと、わたしは考え続けています。わたしが「書くこと」と同じかそれ以上に「話すこと」を重視しているのもその理由によります。

母なる日本列島から自然がすべて姿を消してしまわないうちに、日本列島の深いところと自分のスピリットとを結びつける新しい世代が登場することを、あの横殴りの、しかし不思議とやさしかった台風の雨、くしくも「雷の母(The Mother of Thunder)」と名づけられた特別な台風の中で、わたしは富士山から教わることが出来ました。そしてその人たちのために、それらの目を覚ましつつあるスピリットたちのために、このブログを続けていこうとあらためて今思っています。

今日はこれを読んでくれてありがとう。

そしてわたしのウェブサイトにようこそ!

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