なにを考えてる?
「神聖なもののことのみを思うようにして、あとはあたまを空にしておけばいい」アーチー・ファイアー・レイム・ディアー
1935ー2001
ラコタのメディスンマン、エルダーの言葉
アーチーはジョン・ファイアー・レイム・ディアーの息子として生まれ、メディスンマンになった。わたしは20年ほど前、彼が一番元気だったころにアリゾナのパウワウで彼と会い、そのティピに招待されたことがある。あのとき彼と会わなければ、『レイム・ディアー(インディアン魂)』という彼の父親についての本を翻訳することはなかったかもしれない。これはその彼の印象深い言葉だ。普通わたしたちがぼーっとしている時はさまざまなことを考えている。頭をそのようにしていろいろな考えにたいして開いたままでいると、きまってくだらないことをあれこれ考えている自分に気がつく。友だちについてよくないことを考えたり、わけもなく怒りの感情にとらえられたり、妙に自分のことを哀れんでみたり。言えることは、わたしたちはなにかを考えているようでいて、じつは「なにかに考えさせられている」のである。考えているのは自分の頭なのだが、考えていることは、頭が意志を持って考えようとしたものではない。その気になればわたしたちは頭に命令を送って自分が考えたいもののことを考えるように仕向けることもできる。考えることを止めてしまうことはできないが、それでもなにを考えるかは選ぶことができるのだ。考えることを向こうからやって来るのにまかせるのでなく、こちらの方から考えたいことにこころを向けていく。エルダーといわれる人たちがしばしば「聖なることのみを思え」とか「先祖のことを考えよ」「大切な文化について思いをいたせ」「大切な価値のことのみを思え」「ひたすらよきことのみを考えよ」という言葉を残している背景には、こころは支配されるまえに自らが支配するものという認識があるようだ。
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