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Tuesday, May 10, 2005

聖なる中心

「聖なる中心がなければ、なにが正しくてなにが正しくないかは誰にもわからない」
トーマス・イエローテイル
1903ー1993
クロー族のメディスンマンでサンダンス・チーフの言葉

世界には世界を四角く見る人と丸く見る人のふたつのタイプがあるらしい。ネイティブ・アメリカンは後者であり、世界を輪(サークル)として観ている。4本の直線で構成される四角は、四つの角を持ち、それぞれの角は「時間」をさししめしている。ひるがえって輪にははじまりもなければ終わりもない。そこには「時間」がない。環、サークルにあるのは「中心」であり、中心にはさまざまな力が宿っている。サークルの中心に宿る力は、人によって呼び方が異なる。ある人はそれを「愛」だという。またそれを「原理」だとする人も、「正義」だとする人も、「聖なる知識」だという人も、「いのち」という人も、「許し」だと考えてる人も、「真実(ほんとうのこと)」という人もいる。それをどう名づけるのかは各人にまかされているが、その中心にある力にアクセスする方法は、瞑想だったり、黙想だったり、自分の内側をのぞき込んだりして、頭と心の揺れを静めてゆくことである。頭が混乱していたり、気持ちが高ぶっていたり、こころに恨みを抱いていたり、怒りがあったり、恐れがあるときには、ではどうすればよいのか? エルダーたちによれば、そういうときにわたしたちにできる最善の策は、グレイトスピリットに向かって祈ることだという。そしてその祈りのなかで、敵意だとか怒りを取り去ってくださるように頼むことだ。そうした障害物を撤去してくれるように祈りのなかで請い願うことで、われわれは自動的に環の真ん中、聖なる中心に場所を移動させられる。なにが正しくて、なにが正しくないのかをわれわれが知る方法は、おそらくそれしかない。

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