世界を写し出す鏡としての物語「ジャンピング・マウス」近日刊行
Jumping Mouse is now on the way!!
『ジャンピング・マウス』日本初公開版を上梓しました。物語と理解するための解説で、解説は小生がつけました。近日(5月下旬に)発売されます。出版社は太田出版で、装幀も『虹の戦士』と同じコンコルド・グラフィックスの相馬章宏くんです。アマゾンではすでに25日発売としてラインナップされています。小生は校正の段階のものしか見ていないのですが、太田出版版『虹の戦士』と同じスタイルの造本で、かなり良い出来なので、気に入っています。
「虹の戦士」が少年少女のためのお話しだったとすれば、「ジャンピング・マウス」は青年青女(故寺山修二氏の造語)のための物語です。これもまた「虹の戦士」と同じように小生がどうしても日本人をやらされている世代に紹介したかった物語のひとつで、これまで大事に自分の内側で発酵させてきたものです。「ジャンピング・マウス」のお話しは日本でもすでに何度か紹介されてきていますが、これは今までのものとは違うロング・バージョンのもので、物語のディテールが省略されることなく語られたオリジナルにかなり近づいたのではないかと思います。
ジャンピング・マウス
ヘェメヨースツ・ストーム他(述・著)
北山 耕平 (再話と解題)
目次
はじめに
第一章 スピリットの呼ぶ声
第二章 世界を変える跳躍
第三章 境界を超える
第四章 誘惑に立ち向かう
第五章 自己を捨てさる
第六章 ほんとうに大切なもの
第七章 光のなかへの飛翔
ジャンピング・マウスの物語(全文)
価格: ¥1,554 (税込)
ただいま予約受付中
●単行本(ソフトカバー): サイズ(cm):
●出版社: 太田出版 ; ISBN: 4872339584 ; (2005/05/25)
この「力のお話し」を日本語化するに至った事情については、以下に紹介もかねて同書のイントロの部分から引用しますのでお読みください。
この物語は、北米先住民、いわゆるネイティブ・アメリカン・ピープルのなかの、大平原の民(プレーンズ・ピープル)とされるシャイアン一族に伝えられた「自分を与えつくすこと」を教えるサンダンス・ストーリーであるとされている。居留地に押し込まれる前のシャイアンは大平原を常に移住して定住することがなかった人たちであり、一族が顔を合わせるのは毎年夏の祭りぐらいしかなかった。サンダンスというのは夏至のころにおこなわれる部族の大例祭で、自己の肉体を偉大なる神秘に捧げて、祈りを聞き届けてもらうための、平原の民が守り続けている伝統ある神聖な祈りの踊りのことで、自分の胸板の筋肉など肉体の一部にクマの爪を用いて穴をうがち、そこに木の短い串を貫通させて、棒の両端を長いロープで祭祀の場の中央の高い御柱に結びつけ、太陽を見ながら胸板の肉が千切れて体が自由になるまで、あるいは本人がへとへとに疲れ果てて意識を失って倒れるまで、飲むものも食べるものもなく、イーグルの骨で作った笛を口にくわえたまま、ひたすら四日四晩にわたって体を激しく前後に揺すりつつ踊りつづけるという強烈な痛みとエクスタシーの伴う過酷な祈りの儀式だ。 これからお読みいただくジャンピングマウスの物語は、シャイアン一族の宗教哲学の中核にあるそのようなサンダンスの本質の部分(祈りを聞き届けてもらうためには自己を捧げ物としてとことん与えつくせという神聖な教え)を世代を超えて伝えるための物語として、古来より一族の間で門外不出とされてきたものである。それまで長いこと口伝で大切に伝えられてきたこのシャイアン族の言葉で語られた物語を、メモをもとに最初に英語に翻訳して公表したのは、ロビン・リジングトン(Robin Ridington)という人類学者で、一九六九年の十一月にニューヨークで開かれたアメリカ人類学協会の年次総会の場においてであった。彼の情報源でありこの物語を教えた教師は、記録によれば平原インディアンのクロー族のヘェメヨースツ(ウルフ)ことチャック・ストーム( Chuck Storm)という人物であった。そのときの講演は後に活字化され年次報告として翌七十年に公開されている。
次にヘェメヨースツ・ストーム(Hyemeyohsts Storm)という名前の−−シャイアン族とクロー族という長年対立するふたつの部族の血を受け継いでリザベーションに生まれたと主張する−−ひとりのネイティブの作家が、彼の最初の自著のなかでこの物語の、先のものとは多少異なるバージョンを発表したのがその二年後の一九七二年のことだった。おりしもその年はスウェーデンのストックホルムで世界の少数民族の精神的指導者などの代表らも参加して国際連合が人間環境会議を開催し、宣言のなかで「地球の危機」がうたわれた年でもある。まだ子供だったヘェメヨースツ(ウルフ)・ストームがこの物語を一族の年寄りから聞かされたのは、合衆国政府によって先住民の宗教儀式の大半が違法とされていた一九四〇年代のことだったという(余談だが、アメリカ南西部のホピ族とナバホ族の土地でウラニウムが最初に発見されたのも、一九四〇年のことだ)。二十余年の孵化期を経て、はじめから流ちょうな英語で書かれたジャンピング・マウスの物語が、彼の最初の著作である『セブン・アローズ』(バランタインブックス ハーパー・アンド・ロー社刊 一九七二年)に収録されることになった。彼が前述のチャック・ストーム本人なのかどうかについては、彼は口をつぐんだままだ。おそらくそうなのだろうと推測される。
ではなぜ彼は「自分はクロウとシャイアンの両方の血を受け継いでいる」と主張したのか? クロウ族に生まれた彼が、長く敵対してきたシャイアンが秘密としてきた物語を公開するためには、自らのある部分をシャイアンになりすます必要があったのかもしれない。アメリカ・インディアンの権利回復と精神復興の動き、一般白人社会の先住民に対する認識の変化と新しい意識の獲得に後からしたがう形で、アメリカにおいて百年以上もの間禁止されていたネイティブ・アメリカンの宗教行為のすべてが合衆国政府によって完全に合法化されるのは、さらにそれから六年後の一九七八年のことであった。ヘェメヨースツ(ウルフ)・ストームの『セブン・アローズ』という小説は、シャイアン一族のなかのナイト・ベアという人物と彼の一族がたどったとされる戦いの道の顛末と、その世界−−平原インディアンのシャイアン族の精神世界−−におけるスピリチュアルなものの探求を小説化したネイティブ・アメリカンの文学の最高峰のひとつと呼べるかもしれないものであり、そのなかで一族に伝えられた重要な自己発見と内的成長の教えの物語として挿入されているのが、このジャンピング・マウスの物語である。
シャイアンの人たちが長く秘密として世に出すことをさけてきたジャンピング・マウスの物語が、こともあろうに伝統的に敵対してきた部族であるクロウの人間によって一般に公開され、また小説のなかに描写されたいくつかの儀式がシャイアンのものとはかけ離れていたために、小説『セブン・アローズ』はその後政治的にふたつの部族間の間で、そして一般の人たちを巻き込んで、かなりの物議をかもしだすこととなる。
二十世紀後半にこの物語が世に出されて以来、アメリカの一般社会においても「ジャンピング・マウスのおはなし」は、その部分だけが印象深い平原インディアンの伝説として取り出されて、いろいろな使われ方をしてきた。だからある意味ではこの物語こそが、アメリカという国において広くアメリカ先住民に対する一般社会の見方を変えるきっかけになったものと言っても、あながち間違いではないかもしれない。
その結果、これだけが絵本になっていたり、ラジオでドラマ化されたり、人間性開発運動のシンボル的な物語にされたりしつつ、物語自体も時代とともにゆっくり変容してきた。あるものでは本来特別な名前など与えられていなかった主人公に、きわめてヨーロッパ的な少年の名前が与えられていたり、前半部分の、一匹の野ネズミが退屈な日常生活のなかで非日常的なものの存在に気がつく部分がまるごとカットされて、いきなりあこがれの遠い土地へ旅に出る野ネズミの話にされていたりと、六十年代末から七十年代初頭にかけて時を前後して同じストームという人物によって英語世界に紹介されたふたつのバージョンのものとも、そしておそらくはシャイアン一族の言い伝えにもっとも近いであろう形の物語とも、かけ離れてきてしまっているものも多い。
現在ではそうやって変形したものがインターネットのうえでしばしば公開される機会も多くなった。また作家でありアイオワ大学で教鞭もとるヘェメヨースツ・ストーム自身も、自らのホームページで自著『セブン・アローズ』のなかからこの物語の部分だけを抜粋し「バランスとスピリットを伝える不思議な力の物語」として公開している。(中略)
日本においてこの物語の部分が日本語で活字化されたのは、一九八〇年に、日本のニューエイジ運動のゴッドファーザーの一人で『空なるものに捧げる愛の歌』(講談社刊)などの著作があるおおえまさのり氏が「アメリカの友人が話してくれた平原インディアンのスー族に伝わるお話」として『じゃんぴんぐまうす』(いちえんそう刊)を自家出版されたのが最初である。あいにく当時わたしは日本で暮らしていなくて、おおえ版『じゃんぴんぐまうす』を手に入れるのは何年かあとになる。東京の西荻窪にある新しい生き方を探している人のための本屋であるブラサード書店で購入したそれは、手描きの絵の版画が挿入された五十ページほどの忘れがたい装丁の−−手漉きの和紙のような長い紙を本の大きさに折り畳んでボール紙の表紙をつけただけの——シンプルな本で、一冊一冊におおえさんの自筆のサインがされていて、ボール紙の箱におさめられ、まるで仏教の経典のような雰囲気がたちこめていた。今手元にある同書を改めて読み直してみると、それはヘェメヨースツ・ストームの小説『セブン・アローズ』のなかのお話を下敷きにされて、メディスン・ホイールという平原の民の世界観を伝えようとしているようにも読める。そしてその十二年後に、ネイティブ・アメリカン研究を専攻にする立教大学助教授の阿部珠理氏(現在は教授)が、大著『セブン・アローズ』を完訳されて、全体が三部作「聖なる輪の教え」「心の目をひらく旅」「よみがえる魂の物語」(それぞれ地湧社刊)となり日本語で読めるようになったのである。
(中略)
ジャンピング・マウスの物語は、現在わかっているだけでも四種類の底本というか異なるバージョンがある。大幅に前半部分がカットされたものをのぞけば、基本的にはどれも同じストーリーの骨組みなのだが、細部の表現の仕方や場面の構成の仕方がそれぞれ微妙に違っている。おそらくはその物語が語られた時代や場所や環境や聞き手やストーリーテラーによって生まれた違いであるのだろう。今回、この本を作る機会を与えられて、世の中に流布されているバージョンの異なる三つのジャンピング・マウスの物語をあらためて自分のなかで統合し、より物語として濃密で完成度の高いものとして紡ぎあげて、読者に提供できることになったのは望外の喜びである。なお二〇世紀後半にヘェメヨースツ・ストームの著した英語単行本版を底本として日本語化されたふたつのジャンピング・マウスの物語は、いずれも今回わたしが本書で紹介するものとは異なり、数カ所の説明部分が省略されている短いバージョンのものであることをおことわりしておかなければならない。今、手にされている物語の長尺版では、骨組み自体は変わらないものの、全体を短く構成し直す必要も要求もないので、物語の肉付けとなる細かなディテールの部分を可能な限り省略しないように心がけた。
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Comments
一瞬胸ピアスの話かと思いました。
>
ひたすら四日四晩にわたって体を激しく前後に揺すりつつ踊りつづけるという強烈な痛みとエクスタシーの伴う過酷な祈りの儀式>
これは、マントラ・ヨーガや浄土宗で見られるへとへとの極限までマントラやナムアミダブツを唱えるとマントラ・シッディがあるという手法と同じですね。
3日でいいとこすだと思いますが、4日4晩は経験的な根拠があるのでしょう。
ジャンピング・マウス楽しみですが、服用する植物などはあるんでしょうか。
Posted by: 湖南 | Monday, May 16, 2005 08:12 PM
>>服用する植物などはあるんでしょうか
ありません。水も飲みません。食べものも食べない。頭にセージでつくつたリース(冠)をつけて、首からお守り袋を提げて、口に鷲の骨で作った笛をくわえるだけです。横たわるダンサーに覆い被さるようにしてメディスンマンが胸板にナイフで切り込みを入れて、鷲のつめもしくはセージブラシの木の枝を貫通させ、ローハイドの紐でその棒の両端をとめ、ローブの反対側は聖なる御柱に結わかれます。ダンサーは儀式以前にからだを清めるためにスウェットなど色々しています。サンダンスの儀式そのものが最初から最後までサイケデリックなトリップのようなものなので、特別に服用する植物は必要ないようです。
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, May 28, 2005 12:42 PM