« April 2005 | Main | June 2005 »

Monday, May 30, 2005

プレアデスの話 補遺

プレアデスの話」(Sunday, May 08, 2005)の補遺を書きとめておこう。ホピの人たちはプレアデスのことを「しがみついている者たち(チューフゥコン)」と呼んでいるし、チェロキーと同様に自分たちはそこからやってきたものたちの直系の子孫だと考えている。ホピの隣で暮らすディネ(ナバホ)の人たちはプレアデスのことを「きらめく太陽(デルヤヘイ)」と名づけていて、そこは「黒い神の家」だそうである。イロコイの人たちはプレアデスに向かって幸福を祈ってきた。また虹の戦士の話を伝えるクリー族は、自分たちはそれらの星たちからスピリットとしてまず地球にやってきて、その後、血肉化したした人たちであると伝えてきた。ダコタにも遠い祖先がプレアデスをわが家と考えていたという話が残されていたらしい。プレアデスとネイティブピーブルをつなぐ話は、おそらくこれだけではないだろうと思われる。星を見つめる人たちのために、とりいそぎ要点のみ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, May 29, 2005

時間ですよ

「今がそのときである。もしあなたがこころの道を歩むつもりでいるのなら、今が、そのときである」
ニッパワノック、アラパホの長老

「今でなければ、いつ? わたしでなければ、誰が?」という公共広告のキャッチコピーを見た覚えがある。アメリカで暮らしていたときのことだ。なんの広告だったのかはすっかり忘れてしまっているのだけれど、言葉だけが鮮明にあたまにプリントされている。英語だと「If not now, when? If not me, who?」となる。こころの道のことを、カルロス・カスタネダはファン・マテウスという呪術師の口を借りて「こころある道」「ハートのある道」と表現させていた。人間は誰でもその道を選んで歩いていくことができるのだが、その道をどこまでも行くぞと決心する人はおそろしく少ない。なぜか? こころの道というのはとてつもなくリアルな世界で、「こころの道のうえを歩いているふり」もできないし、みんなと同じことをしていればすむというようなものでもないから。自分の内側をのぞき込むことをすすんで学ぶ人間、自分であることに全責任を負える人間、祈ることと黙想することを身につけた人間、こころを平和で満たして争いをおさめる戦士のごとき人間、そういう人間にならないと、こころの道を歩いていくことはできない。決心をするなら、今しかないと、ニッパワノックというアラパホの長老はいうのだが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, May 28, 2005

御神木を切る儀式がテレビで中継されることになった

gohei8年後の伊勢神宮式年遷宮に向けて、造営に使う御神木を切る儀式「御杣始祭(みそまはじめさい)」が6月3日に長野県木曽郡上松町の木曾谷国有林でおこなわれる。御神木は樹齢300年ものヒノキだとか。樹齢300年の御神木が、木曽特有の「三紐伐り」(みつひもぎり)という伐採方法で、三方から小さな斧で1時間もかけて切られる。当然だけれど、チェーンソーなんか絶対に使われない。今どき森林を伐採する際に斧を使うことはまずなくて、これは20年に一度だけこの地で儀式として残されている特別なやり方らしい。

御神木の木は切るものではなく、切り倒した木が傷まないよう細心の注意が払われるために、杣人(そまふ=きこり)の間では「寝かせる」と表現されるという。静けさの中にコーン、コーンという斧の音が響き渡り、やがて300年もののヒノキが大地に寝かされていくのだとか。これまでこの御杣始祭は関係者にしか公開されてこなかったが、愛知県神社庁のお知らせページによると、しかし、天下のNHKが3日の昼にその模様を全国中継することがきまったらしい。じっくり時間を取って見せてくれるのならいいけれどさ、きっと例によって昼番組のアナウンサーが耳触りにしゃべりつづけるのだろう。それでもこれは見る価値はありそうではありますが。

◆NHKBSハイビジョン  6月3日 午後12:15〜12:50
◆NHK総合テレビ     6月3日 午後12:20〜12:43

arrow2 伊勢神宮式年遷宮 広報本部 公式ウェブサイト

20年に一度、300歳の木をひとり切っていく計算だと、300年で15人もの「根を持つ人」が寝かされてきたことになるわけだな。木曽山中の現場は、いまは国有林になっているそうだが、戦前は皇室の御料林で、その前の江戸の世には尾張藩の御用林だったところで、伊勢神宮の遷宮や大きな寺社の造営のためかれこれ400年近くにわたり保護されてきた森だとか。

400年だと300歳の聖老人たちが20人か。神宮式年遷宮には1300年の歴史があるらしいから、そうなると聖老人が60人以上という計算になる。その間にどのくらいの根を持つ人たちが300歳まで育つことができたのだろうか? 400歳の聖老人が寝かされることも珍しくないという。(このままではそのためのヒノキがなくなるかもしれないと気がついたのがつい昨日の大正時代の終わりのことで、そのころから伊勢神宮では宮域林で200年後の御用材の確保を目標にヒノキを育成しているとホームページには書いてある)

パワー・ハングリーな倭人がここに国を創る以前には、日本列島にはとてつもない巨木がたくさんはえているうっそうとした森が広がっていたのだが、中世が終わるころまでにはあらかた巨木たちは神社仏閣などの巨大建築物に姿を変えてしまっていたようだし、江戸が終わるころには北海道といくつかの奥地をのぞけば盆栽のような国土ができあがっていた。なにしろごたいそうな箱物建造物が土建国家においてはいつだって力の象徴だったからなぁ。奈良の大仏さまのお住まいになっている東大寺の大仏殿なんて、見る人をひれ伏させるからね。で、この精神構造は今もって続いている。

そうそうご神木で思い出したが、北米大陸の平原の民であるシャイアンの人たちが神聖なサンダンスをする際に切り出すご神木はコットンウッドの樹で、儀式に先だってそのご神木を探すグループが組織され、目的にかなう樹が見つかると、まずリーダーがその樹に「なぜあなたを選んだのか」を、そして「そのことをあなたは自慢に思っていい」と話しかける。つぎに前年に最も勇敢な行為をした若者がひとり選び出されてその樹に登る栄誉が与えられる。それから選び出された4人の乙女が斧を入れ、倒れてきた木の幹を一団の男たちがみんなでそのまま受けとめて、絶対に地面につけないようにしたまま儀式の場に運ばれていき、聖なるサンダンスの輪の中心に建てられることになっている。ご神木は一度も地面に寝かされることはないのだ。それはひたすらに大地に立ち続ける。

ひるがえって伊勢神宮の「御杣始祭」では、女性が、若者がそこに参加する機会はあるのだろうか? ううむ、はたしてなにがブラウン管のうえに写し出されるのか、興味あるところだな。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Friday, May 27, 2005

出土した縄文時代中期の石皿に国内最古の水銀朱精製の跡

奈良新聞が本日(5月27日)に伝えた記事によると、奈良県吉野郡の川上村迫の「宮の平遺跡」で、水銀朱の精製に使った縄文時代中期の石皿が出土していたらしい。同遺跡の発掘をした橿原考古学研究所の橋本裕行さんは「古代の朱は酸化鉄から精製したものが主流で、何のために水銀朱を精製していたのか今の段階では分からない」と話しているとある。

宮の平遺跡では、縄文時代早期(約9000年前から8000年前)の竪穴住居跡や、自然石を半円形に並べた縄文時代中期末から後期初頭ごろ(約4000年前)の環状列石(ストーンサークル)が見つかったというが、そこは現在、大滝ダムの底に沈んでいる丹生川上神社上社の旧境内にあった。丹生川上神社は別名雨師神とも称されて雨を司る神を祭神だった。問題の石皿は、今は川上村迫の「森と水の源流館」にあるらしい。

arrow2 記事の全文と、なにげに赤色に染まっているようにも見える石皿の写真

| | Comments (0) | TrackBack (0)

核戦争を避ける方法

昔読んで記憶に焼きついているメッセージに「核戦争を避ける方法」というものがある。ポール・ウイリアムズ(Paul Williams)というロックとSFの評論家で作家で詩人で「クロウダディ(Crawdaddy!)」というアメリカで最初のロック雑誌(1966年創刊)を17歳の時に自分で創った伝説の編集者が書いたもので、それはつぎのようなものだった。

核戦争を避ける方法

(1)それが起こりうることを認める。

(2)絶対にそれを起こさないと心にきめる。

(3)自分のヴィジョンとエネルギーのありったけを
   (1)のことを忘れるぐらい(2)にそそぎこむ。

なかなかでしょ? 余談だけれど、「クロウダディCRAWDADDY!」は21世紀にはいって「どこにいてもぼくらの生活のなかの音楽と音楽の力とをこころから讃える唯一の雑誌」として復刊している。『アウトローブルース』というロック評論の扉を開いた本、ムロケンこと室矢憲治氏の翻訳で日本語にもなった本を書いた畏友ポール・ウイリアムズが健在なことがうれしい。ムロケンの翻訳したこの本は、昔ぼくが雑誌をやろうというきっかけを作ってくれた本でもある。彼のホームページ「A VISION OF A WORLD THAT WORKS FOR EVERYONE (すべての人の役に立つ世界のヴィジョン)」はここにある。

arrow2 CRAWDADDY!

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, May 26, 2005

ネイティブ・ピープルの国々への旅のおしらせ

今年の夏に計画されているアメリカ東海岸の森林地帯とカナダ西部太平洋沿岸地域のそれぞれに自然環境も伝統文化も異なるネイティブ・コミュニティーへのふたつの旅

かねてよりしばしば小生のところに北米先住民のところに行きたいのだがという手紙やメールが届けられる。その都度自力でなんとか行く方法を個人的にお伝えしてきた。今回は、アメリカやカナダのなかにある先住民の国々を訪ねる旅がこの夏にふたつ計画されているという話を聞き及んだので、案内をしておく。(ただし、団体の旅行になるので、個人的な自由気ままな旅とはことなり、転がる石のようなあてのない旅は当然ながら期待できないものの、どちらもガイドやサポートがしっかりしているようなので、それぞれ忘れ難き深い体験となることは期待できるかも)

beadline2

第1回 イロコイ連邦への文化交流の旅
アメリカン・スピリット平和と叡智の源流を訪ねて
終戦60周年特別企画 2005年8月中旬から10日間を予定

自然との触合い・火おこしなどの原体験とアートを通してアメリカの先住民との交流を行ないます。

seal現地受入:オノンダーガ、タスカローラ、セネカ
Ganondagan State Historic Site
Haudenosaunee Environmental Task Force
Tree of Peace Society
The Tracking Project

共同企画:Lotus International & 浅葉デザイン教室
問合せ先:多田: 080-1165-9982 Email:sunnetwork@nifty.com
    アサバ・ギャラリー 浅葉:045-783-9705 (090-4134-9933)

受付〆切 6月30日

【平和の絆】
アメリカ国内にFBIも踏み込めない独立国が実在する――それがイロコイ連邦だ。この由緒ある先住民の“国”を、イロコイ語では「ホーデノショーニー」(ロングハウスの民)と呼び習わす。ロングハウスとは、その名のとおり長屋形式の集合住居で、かつてはじっさいに住んでいたが、いまでは儀式や会議を行なう集会所として使われる。古来の伝統を守る民の象徴である。▼イロコイの伝統が際立つのは、身分差も男女差別もない徹底した直接民主制にもとづいて、理知と話し合いで問題を解決する平和な母系社会を少なくとも過去千年、おそらくは数千年以上に渡って営んできたことだろう。古来ギリシャの民主制などが特権階級だけの限られたものだったのに対して、世界最古の全員参加型民主主義ともいわれる。▼ここから、イロコイの人びとと私たち日本人との思わぬ絆が生まれた。アメリカ合衆国建国のとき、イロコイ民主制を手本に、先住民側の細かいアドバイスを受けながら国のしくみと憲法を定めた秘史によるものである。合衆国憲法は以後、戦後日本を含めたたくさんの国々の憲法の下敷きになってきた。▼「憲法も民主主義もアメリカからの押し付け」という偏見は、イロコイ人が私たちの祖先と血を分けた遠い親戚であることを忘れている。自由と平等と平和の尊重は、縄文以来の力強い伝統なのだ。[星川淳著『魂の民主主義——北米先住民・アメリカ建国・日本国憲法』(築地書館近刊 )参照]


beadline2

CANADA FIRST NATION 交流プログラム IN YUKON
カナダ先住民の歴史と智恵を学ぶ8日間

カナダ・ユーコン準州の州都ホワイトホースからゴールドラッシュで有名なドーソンまでキャンプをしながら3つの先住民のコミュニティを訪ねる7泊8日のツアー

先住民の村をめぐるキャラバンツアー/キャンプ生活でユーコンの大自然を満喫!/自然と共に生きる叡智を学ぶ/先住民の歴史とは?/先住民の権利とは?

期間:2005年8月28日(日)~9月4日(日)(7泊8日)
参加対象:19歳以上
参加費:¥210,000
主催:Yukon College 定員:12名 最少催行人数:10名

sカナダには100を越える先住民文化(ファーストネーションズ)がありますが、北部では比較的まとまった人数が暮しており圧倒的な現代文明の影響を受けつつも伝統を次の世代に伝えるべく活動すると同時に、連邦政府に対する自治権請求あるいは土地返還請求が活発になっていることも注目されています。カナダの北西部に位置するユーコン準州は、面積 48万3,450km2。南はブリティッシュ・コロンビア州、西は米国アラスカ州、東はノースウエスト準州と境を接しています。ユーコンは、カナダで初めて人が住みついた土地 といわれており、現在は人口約3万700人。その21%が先住民であり、大別して6つのアサパスカ族内のグループ、クッチン、ハン、トゥトチョネ、インランド・トリンギット、カスカ、タギシュといった民族が暮らしています。

訪れる予定のファーストネーションズ・ピープルのコミュニティー案内
Little Salmon/Carmacks
Tr`ondek Hwech`in
Selkirk First Nation

  • 英語研修 Yukon CollegeのESL教師が同行。主に先住民の歴史や文化を
    学ぶのに必要なボキャブラリーなど。
  • 先住民とのディスカッション 土地返還や自治権の協定にまつわる歴史や
    現状、先住民の観点からみた自然環境保全について
  • 移動 プログラム中の陸移動は全て車両移動(バンを使用)
  • 食事 夜はキャンプファイヤーを囲んで、キャンプ料理のほか、先住民の
    伝統的な食事(サーモン・バノックなど)
  • 宿泊 キャンプ地ではテント泊(2・3人で使用)。各参加者に寝袋とマットを貸出
●このプログラムは日本人参加者を対象としていますが、プログラムは全て英語で行われるため、日常英会話程度 の基礎は必要です。しかし、プログラム中英語研修の時間もとり、ディスカッションにはCollegeのESL教師 がつきますので、先住民の独特の言い回し、発音について分かり辛い点があれば、分かりやすく解説します。

問合せ先:コンタクトカナダエデュケーショナルサービス
FN交流プログラム担当:成川実花/菊池雅子
mail tokyo@contactcanada-japan.com
URL www.canadaryugaku.co.jp
TEL: (03) 5380-3601/FAX: (03) 5380-3603
営業 火〜土曜 10:00-18:30(日・月曜定休)
164-0001 東京都中野区中野5-30-6-203

| | Comments (0) | TrackBack (1)

夜の風をひらく

「もしも夜に耳を澄ましてみるなら、暗闇の生き物たちの声が聞こえるだろう。フクロウ、コオロギ、カエル、夜の鳥たち。どれもみな聖なる生き物だ。そればかりでなく、妙なる歌声も聞こえてこよう。そいつはおまえさんが今までに聞いたことがないような歌だ。しみじみと、こころで、聞くがよい。耳を傾けることを絶対にとめてはいかん」
ヘネリー・クイック・ベア、ラコタの長老

夜はいのちにあふれている。歌にあふれ、美しさにもあふれている。夜に自然のなかに行ってそこで耳を傾けたことがあるだろうか? 自然に耳を傾けることをわたしは「風をひらく」と呼んでいる。夜に自然のなかで静寂と平安に包まれて風をひらくのは格別の体験になる。どこが特別かというと、われわれの五感の全部が役割を変化させるからだ。闇のなかで世界が見えなくなると、耳がよりとぎすまされてくるし、鼻は鼻でさまざまなにおいにたいして敏感になる。音とにおいをとおして、われわれは次元の異なる自然の中に入り込むことができる。夜の鳥たちの歌う声や、夜の風。あらためて目を閉じてみれば、世界と自分のつながり方が昼間とはまったく異なることを知覚できるだろう。夜の闇のなかで風をひらくことは、世界を創られた存在と一体化することである。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Tuesday, May 24, 2005

続・女性と月(ムーン)の関係についての補足

Power of the Moon, Power of the Women

wolflftローリング・サンダーをメディスンの師のひとりとするボビー・レイク・トムことメディスン・グリズリー・ベアという現役のメディスンマンがいる。彼が女性のヒーラーについて彼の奥さんと話した記録が手元にあるので、それを紹介していこうと思っている。彼らはカリフォルニアの北西部から太平洋沿岸にかけて暮らしているユーロック、チルラ、トロワといった部族コミュニティのなかで生活する人たちだ。ローリング・サンダーがメディスンマンをしていた西ショショーニ国とはシエラネバダ山脈を境にして隣りあうカリフォルニア・インディアンの共同体だが、景観は高原沙漠から一転して、巨木のレッドウッドが太古から生い茂り、そのなかに干潟や、湖があり、手つかずの川が流れる豊かな大地である。

この地域のネイティブ・ピープルについて最初に学問的に研究したのは文化人類学者の巨星であるアルフレッド・クローバー(A.L. Kroeber)だった。カリフォルニア・インディアンについて書かれた本のなかではずば抜けている『イシ』という本の著者であるシオドーラ・クローバーは彼の奥さんであり、『ゲド戦記』シリーズを著したE・ル=グウィンはふたりの娘である。アルフレッド・クローバー博士は最後の野生のインディアンとなったイシのおそらく最初で最後の白人の友人だった人物で、彼自身は最後までイシの本だけは書くことを拒みつづけた。博士が野心満々にユーロック・インディアンなどの居住地域を調査し、その地域に暮らすいくつもの少数民族の神話や伝統的な知識や治療法や儀式や祭りの式次第を細かく記録しはじめた19世紀から20世紀の初めごろには記録によると、この地域にはおよそ10人ほどの伝統的なメディスンに基づいてひとびとを治療する女性の医者がいたという。博士がインタビューを残している「インディアン・ドクター」のひとりにファニー・フラウンダーという女性シャーマンがいた。そして百年が夢のごとくさった21世紀の今現在では、ユーロックーカルクーフパの3つのネイティブの共同体には女性のシャーマンは一人しかいない。テラ・スターホークは、前述のボビー・レイク・トムの夫人であり、百年ほど前にクローバー博士がインタビューをしているファニー・フラウンダーは彼女の大叔母にあたっていた。

テラ・スターホークによると昔の彼女たちの部族の女性はムーンタイムになると10日間の儀式を行うことが常だったという。彼女の属する部族だけでなく、北西カリフォルニアにいるいくつもの小さな部族でも、少しずつやり方は異なるものの、ムーンタイムのあいだには10日間にわたって続く儀式が執り行われたりする。共通しているのはどれもが「水のスピリット」と「月のスピリット」のふたつのスピリットに関係しているところである。彼女たちはムーンタイム・セレモニーのあいだそのふたつのスピリットに力と、加護と、長生と、豊かさを求めるのだ。あきらかにそれは「女性のためのヴィジョン・クエスト」であった。

ユーロックの人たちの場合を例にとってみよう。ユーロックには生活の基盤となる地勢に応じてライフスタイルも異なる。海岸で暮らすユーロックと、川の流域で暮らすユーロックでは女性のムーンタイムの儀式もかなり異なるようだ。川のユーロックの人たちはあまり複雑な儀式はおこなわない。ムーンタイムは個人的なこととされている。いずれにせよ昔はムーンタイムの娘はそのための特別なムーンハット(月小屋)で暮らすのがつねだった。

毎日彼女はそこからあらかじめきめられた道を歩いて海や川のそばの特別な場所までおもむいて沐浴する。上流階級の娘のためには山の奥に沐浴のための聖なる池がある。いずれにせよきめられた道を歩いて沐浴の場所に行かなくてはならない。彼女は行きも帰りも同じ道を歩きながらその日に自分が小屋で使うだけの薪を集めつつ祈りをあげつづける。そして沐浴を終えたら薪を持って小屋に戻る。

1日目は、山道を一度だけ歩き、沐浴も一度だけ。2日目には、山道を二度往き来し、沐浴を二度する。そうやって日ごとに往復する回数と沐浴する回数が増えていく。10日目には10回山道を往復して10回沐浴することになる。そして最後の10回目の沐浴は夜に行われる。彼女は池の中に立って、水の力と、空の湖である満月の力のふたつの力の中心に自分の身をゆだねる。そしてそこでスカイ・ウーマン(空の女)にむかって祈り、力と加護と長生と特別な贈り物や富を求める。祈りが終わると彼女はそのまま池のなかに潜ってそこにあるはずの幸運の石を捜し求める。石が見つかったらそれを持って小屋ではなくて母屋に戻り、おばあさんたちやメディスンウーマンのもとに行って自分が10日間のあいだに観たヴィジョンや夢やスピリットとの接触について話をする。

10日間のあいだ彼女はムーンハットのなかでひとりぼっちで過ごさなくてはならないとされている。水は極力ひかえ、セックスは厳禁、食べものもきめられていて、他の人たちと会うことも差し控えることを求められる。そのときに辿るための特別な道を歩いて小屋から沐浴の場に行くことだけが唯一許されていることなのである。この間口に入れてよいのはドングリのスープと鮭の乾し肉、ミントと薬草のお茶だけ。彼女はそうした環境に自分を置いて、自分の観るヴィジヨンや夢やそのトレーニングの意味に意識を集中させることで必死にほんとうの自分の魂を探し求めつづける。

とまあここに書いたのは20世紀初頭までの話である。「今そのようなことをしている若い娘はほとんどいないわね」とテラ・スターホークは語っている。「今時の娘たちには部族の人間としてそのときにやらなくてはいけないときめられているようなことはなにもないから、彼女たちはその代わりに『ムーンタイム・セレモニー』と呼んでいるものをおこなっているわ」

テラ・スターホークによるとムーンタイム・セレモニーをすることは部族を超えて広まっているという。「なぜならすべての女性にとって、ムーンタイムは健康の基盤となるものであり、そうやって得た健康を維持するための自然のサイクルでもあるのだから。女性は生理になると自然によって清められつづけるの。それは特別な時間であり、その間彼女は母なる地球のサイクルと、そして宇宙に偏在するコスミックな力と調和を取るようにしていなくてはね。彼女たちはそのためにもあたまとこころとからだをひとりになるところに置いておかなくてはならないわけ」

彼女はまたこうもいう。「それは女性にとって聖なる時。自分の全体性を再生産するために、だから自分自身をかき消すの。沈思黙考と瞑想と祈りと個人的な償いだけに費やして過ごす。女性はムーンタイムをスピリチュアルなものととらえて、月への祈りと共に、うやうやしくそのときを迎えなくてはならないの」(つづくかも)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, May 23, 2005

女性と月(ムーン)の関係についての補足

Power of the Moon, Power of the Women

koko土曜、日曜と二日間のウイークエンド・ワークショップを終えて昨晩10時半頃わが家に帰り着いた。コンサートツアーの途中にわざわざ立ち寄ってくれて早朝に自作の横笛とカリンバで皆の心をなごませてくれた福井幹(ふくいつよき)さんをはじめ関係者のみなさんにありがとうとお疲れさまを! 神戸の六甲山の標高八百メートルぐらいのところにあるキリスト教青年会(YMCA)の研修所とキャンプサイト。深い緑に囲まれて、外界と遮断されて守られており、とても居心地のよい空間だった。その六甲山塊のスピリットと、関西エリアだけでなく、東京、福島、金沢、岐阜、広島、九州などさまざまな土地よりはるばるお集まりいただいた30名を超える数の方々に、感謝とお礼を言いたい。翌日の恵みの雨をありがとう。多くの人たちが昨年の夏至の日の富士山朝霧高原を思い出したとしても不思議はなかった。最後の別れのときにも述べたように、わたしにとってそれは新しい「部族」の誕生を目の当たりにするような思いだった。六甲山でともに「風をひらいた」みんなとの、そして東京の目黒区にある街の片隅の公園で共に「風をひらいた」みんなとの輪が、これからどのように力強く育っていくか楽しみです。

今回のワークショップのテーマはいちおう「サイクル」だった(笑)。巡り巡りて巡ってくるもの。これは来月の「せかいへいわといのりの日(World Peace And Prayer Day 2005)」におこなわれる夏至の日が満月と重なっていることに触発されたテーマである。日曜日の朝にみんなで交わした話のなかで、女性の生理(ムーンタイム)のことが話題にのぼった。おわかりのとおり小生は男であるので、女性と月の関係については「メディスンマンの力は女性のムーンの力に張り合うほど強力なものである」ことぐらいの認識と、ムーンタイムのあいだの10日間ほどを自分のための時間として過ごす風習のある部族の話をするにとどめた。サークルに参加していただいた方の半数以上が女性であったので、自らの身体の持っているサイクルに関心が高いのもうなずけることであるし、今週ははもう一度その女性とムーンサイクルについて(仕事の合間を見ながら)考察してみようと考えた。

ネイティブ・アメリカンのシャーマニズムやメディスンについて書かれた記録の多くが男性の手になるものであったためか、メディスンマンについて書かれた本はたくさんあるのにメディスンウーマンや、伝統的な部族の女性のヒーラーについて書かれた本は驚くほど少ない。これはなにもそうした人がいなかったというわけではない。いないどころか、ネイティブ・ウーマンのヒーラーは伝統と文化にしっかりと組み込まれているのだ。結局のところそうしたものに興味と関心を抱いた人間の多くがこれまでは男性であり、男性の視点から観た世界の半分を書きとめたにすぎないからなのである。(つづく

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Friday, May 20, 2005

ネイティブであることと血の関係

wolfジャンピング・マウス』というシャイアンの人たちが長く門外不出としてきた聖なる物語を、自分を大いなるものに明け渡すことをその哲学の中核においたサンダンス・ストーリーを、日本列島で生まれた人たちのために日本語として理解されやすい形にしていく作業と、その日本語化された物語に解説をつける作業とを昨年の夏至以来長いことやってきた。そして2日前にそれが本となって手元に届けられた。この仕事を進めながら、ストーリーそのものとは関係のない点で、わたしは実にさまざまなことを考えさせられた。それはおそらく今のアメリカ・インディアンの現実と密接に関連しているものでもあるのだろう。今回はそれについて書く。

起源がわからないくらい昔からシャイアン一族のなかだけで伝承されてきた物語を、彼は1960年代の後半にひとりの文化人類学者にささやいた。当然その文化人類学者はその話を自分の「手柄」として翌年の学会で公開する。これが、発端だった。それから数年して今度は彼自身が、「教えはすべからくすべての部族のものである」との信念のもと、それを流ちょうな英語で自分の書き下ろした物語のなかに挿入して出版し、結果としてその本がベストセラーになった。ストームはインタビューでこたえた。「インディアンに伝わる物語を研究してみれば、それらのなかには汎インディアン的ともいえるものが必ずあることがわかるだろう。物語は、その概念は、それ自体繰り返されてきたものだ。そこにあらわれる色や、登場するものが動くのが右かそれとも左かというところまで、繰り返される。そうやって繰り返されながらすべての部族に伝えられていく。いかなる学者や学究の徒にでもわかるぐらいの、白人がやってくる前から、そうした汎インディアン的で部族間を超えた動きがあったことを示すような明白なヒントがある」

もともと一族の秘密とされてきたこの「聖なるお話し」を英語にして公開したチャック・ストームこと、ヘェメヨースツ・ストームという人が、いったいどんな人物だったのかということを語る時、避けて通れないのがリザベーションにおける混血の問題であるだろう。なぜなら彼の写真を見た人はまず彼がネイティブであるとは思わないだろうからだ。銀髪に巨大な体躯、カウボーイハット姿からは、アメリカの西部でしばしば出会う首根っこの赤いカウボーイの姿が思い描かれる。彼が後に語った生い立ちから判断すると、ドイツ系の移民とシャイアンの母親のあいだに生まれた混血で、政府に登録されているインディアンであり、モンタナ州にあるノーザンシャイアンとクローのふたつのリザベーションで育ったとされる。クローはシャイアンの隣にテリトリーが位置する部族で、どちらも大平原の民と呼ばれる人たちだが、このふたつの部族は昔から仲があまりよくなかった。しばしば戦すら起こしてきた犬猿の間柄だ。

ネイティブ・アメリカン・ピープルのなかで、白人がネイティブ・アメリカンのスピリチュアルな儀式などを行うことにたいして不満の声があることをたずねられたとき、ヘェメヨースツ・ストームはつぎのようにこたえた。

「それをなんと呼ぶのか知っていますか? 人種差別主義というのです。あなたはリザベーションそのものが血の割合に応じて区分けされているのを知っていないでしょうね? かりにあなたがアイルランドに暮らしていたとしましょう。母親はアイルランド人で、その母親が、ロンドンからやってきた男性と結ばれたとすると、あなたはハーフ・ブリードの、二分の一アイルランド人として一生を送る。あなたの子供は、アイルランド人の割合はさらに少なくなるし、子供の子供はさらに少なくなる。そうやってずうっといくと、アイルランド人である部分なんて限りなく小さくなっていくのですよ」。彼はさらに「イタリア人でなければカトリックになってはいけないとでもいうのでしょうかね」ともいっていた。

混血のことを英語ではハーフ・ブリードという。リザベーションの仲で混血であるということがいかなるものであるのか、リザベーションのなかが血の濃さに応じて色分けされていることなど、おそらくわれわれには想像もつかない。彼等自身は自分たちのことを「ブリード・ピープル」と呼ぶ。「ジャンピング・マウス」が世に出るきっかけもおそらく彼がかけあわされた混血人だったことと無関係ではないだろうと思う。

普通わたしたちが「インディアン」というと100バーセント・インディアンのフル・ブラッド(純血)の人たちのことを考える傾向にあるが、21世紀になった時点で現実をいうと純血とされるインディアンはほとんどもういない。ネイティブの人たちにとって混血は1492年以来避けられないことだった。ブリード・ピープルにはすでに600年を超える歴史があるのである。2050年までにはアメリカ人のほとんどすべてにインディアンの地が混ざり込むという研究もある。

ブリード・ピープルは、リザベーションで育つとはいえ、インディアンであることにたいする混乱を常に抱えてきたし、今も抱えている。自分は誰か? ここでなにをしているのか? 自分とは異なるみんなはどういう人たちなのか? 自分はどこに生まれたのか? おそらくこの「自分はどこに生まれたのか?」というとても大きな疑問にたいしての最終的な答は、大きくふたつに分かれるだろう。

ひとつは「アメリカ」という自らの所属する「国家」によりどころを求めるもの。もうひとつが「母なる地球」という概念に到達するものである。ルーツが混乱し精神生活が成り立たなくなると人は普通国家に頼って愛国的になっていく。しかしネイティブの社会のように、精神生活がかろうじて保たれている場合は、メディスンマンやメディスンウーマンの働きによって、混乱した精神のよりどころとして母なる地球が与えられることもないわけではない。いのちを与えられて母なる地球に生まれてきたことを感謝し、与えられたいのちを祝福することを学ばされることもあるだろう。自分をヘェメヨースツ(オオカミ)と呼ぶストームという人間は、リザベーションに「ねいてぃぶ・あめりか人」のひとりとして生まれ、それを突き抜ける体験をすることで、生まれていのちを与えられたことそのものを「ひとりの地球人」として感謝するように育つ過程で学ばされたのかもしれない。

じつは混血の問題は、いまここで「日本人」をやっているわたしたちとも無関係ではない。今日本人とされている人たちは、ブリード・ピープルの極地みたいな人たちだからだ。自分たちを「単一民族」だと思いこめるぐらいまで血が混ざり込んだ究極の雑種なのだ。われわれのなかには、簡潔に言うなら「弥生人」と「縄文人」のルーツの異なる血が混ざりあって流れているとされる。くわしくいうと、弥生人だって縄文人だって、とうぜんながらひとつの民族や部族であった可能性はきわめて低いから、もっといくつもの血が混ざり込んでいて当然なわけ。5つも6つもの種類の血が混ざり込んで、それが千年以上もえんえんと続いて、最終的にはルーツは消えて、誰でもなくなって、「地球に生きる人」に戻ることもないまま、「日本」という国家にある意味で「隷属」して「日本人」となり、今日にいたっている。われわれが、国家を超えて「地球に生きる人」になるためには、ネイティブ・ピープルの精神性——混血がはじまって600年しか経ていないで——かろうじてアクセスが可能な汎部族的な生き方とおして、いのちを与えられて今ここにあることを感謝することを学ぶしかないのかもしれない。

シャイアンの人たちに伝えられてきた「一匹の野ネズミにたくして、ほんとうの自分を知るための物語」が、自分が誰かという疑問で混乱している日本列島のネイティブとはなにかの答えを自分のなかに探しはじめた若い世代に読み継がれていくことを期待している。『ジャンピング・マウス』(太田出版刊行)は、来週には発売になる。

そろそろ六甲山のウィークエンド・ワークショップに行く準備をしなくてはならない。天気がよくなりますように。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Thursday, May 19, 2005

World Peace And Prayer Day 2005 続報

poster16日の記事でお伝えした「せかいへいわといのりの日(World Peace And Prayer Day 2005)」のポスターをお見せするのを忘れたので紹介したい。左のポスターをクリックするとさらに大きくなって字も読めると思う。また「世界平和を祈念する馬の行進(Prayer Ride For World Peace)」は、この5月15日モンタナ州の北のはずれにあるウィロー・クリークというところからすでにはじまっている。行進はモンタナ州を一ヶ月ほどかけて縦断してゆっくりと南東に向かい、来月中旬にサウスダコタ州にはいる予定だという。このようなイベントを成功させるためにはたくさんの人たちのエネルギーが集まらなくてはならない。WPPD 2005 では厳しい運営事情と闘うために、ポスターやバンパーステッカー、儀式の時に使える美しい食器セット、マグネット(磁石)などを購入していささかなりとも寄付をしてほしいと言っている。またテントや食料(たくさんの米と豆、野菜、果物)、やかんや鍋が決定的に不足しているとホームページは伝えている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, May 18, 2005

H・D・ソローの12冊のインディアン・ノート

thoreauきたる6月3日から5日まで、コロラド州のアスペンという町で『ソローとアメリカン・マインドの進化——ザ・ネクスト・ステップ(Thoreau and the Evolution of the American Mind: The Next Step.)』というウィークエンド・セミナーが開催される。このセミナーにおいて、ソロー研究の第一人者とされるブラッドレー・P・ディーン博士によって、おそらくはじめて「ヘンリー・ディビッド・ソローの書き残していた《12冊のインディアン・ノート》」が紹介されるらしい。ソローに影響を与えたネイティブ・アメリカンの影響についてスポットがあてられることは、不思議なことにこれまでなかった。ソロー好きがたくさんいる日本でも、そのことに言及したものはほとんどないと思われる。

ソロー本人は1857年の日誌のなかで「いったいぜんたいなぜ、ローマ人や古代ギリシャ人たちのことで大騒ぎをする人たちが、ことインディアンになるとまったく知らぬ顔を決め込むのだろうか?」と書いていた。アメリカ人のみならず、いわゆる「自然派」「環境派」とされる人たちの偶像であり、その「市民的不服従の思想」でアメリカの深い部分の意識に影響を与えつづけているH・D・ソローの思想形成におけるミッシング・リンクが、21世紀になってついにおもてに現れるのだろうか? ディーン博士によると「原稿は4000ページに及んでおり、あきらかに本にするつもりでいたらしいが、生きているあいだには間に合わなかったようだ」ということである。少年時代にすでにアメリカ・インディアンに興味を持っていたこと、そしてそのことがいかに彼の後の哲学に影響に与えたかが書きつづられているという。

「ラルフ・ウォルドー・エマーソンによれば」とディーン博士はつづけた。「ソローの個人的なヒーローは3人いたということです。詩人のウォルト・ホイットマン(草の葉!)、奴隷廃止の急先鋒だったジョン・ブラウン、そしてペノブスコット族のチーフ・ジョー・ポリスです。ジョー・ポリスは1857年の夏にソローがメーン州の森を旅したときのガイドを務めた人物です。彼は植物学者が見せるすべての植物の薬としての薬効を話すことが出来たといいます。またメーンのインディアン島のこざっぱりとした家で生活していながら、豊かな原生林のなかで一族の長としても勤めを立派に果たしている彼が、白人とネイティブ・アメリカンのふたつの文化を自分のなかで見事に合成していることに、ソローはとても魅了されたようです。ソローはネイティブ・ピープルの強さとものを見抜く目を導入することで、生まれつつあったアメリカの文化をより良いものにしようとしました。ソローが彼の生きた時代のなかでも一流の民族学者でもあったことにみなさんは驚かれることでしょう。他のなによりもアルゴンキン・インディアンの研究に、彼は科学的関心を集中させていました」

このセミナーでは、ソローの足跡を辿る映画も公開されることになっているが、そこにも登場するペノブスコット族のエルダーであるエイミー・ネブチューンさんは「ソローは、アメリカ・インディアンのように大地を敬い、その与えてくれるものを経験していました」と語った。

【おすすめのH・D・ソローの本】

森の生活—ウォールデン 宝島社文庫版

ヘンリー・D. ソロー (著), Henry David Thoreau (原著), 真崎 義博 (翻訳)
価格: ¥1,050 (税込)

●文庫: 570 p ; サイズ(cm): 15 x 11
●出版社: 宝島社 ; ISBN: 4796629629 ; 新装版 版 (2002/10)

*いろいろな人が翻訳しているけれど、小生はこの真崎さんの翻訳した宝島社版に思い入れがある。「宝島」という雑誌の編集者としてこの翻訳を世に送り出せたことは幸せだったと思う。その後の雑誌の命運はともかく。

civilbook市民の反抗—他五篇 岩波文庫

H.D.ソロー (著), 飯田 実(翻訳)
価格: ¥693 (税込)

●文庫: 384 p ; サイズ(cm): 15
●出版社: 岩波書店 ; ISBN: 4003230736 ; (1997/11)

*ソローの思想の核心に触れたければ避けては通れない一冊。「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢獄である」という言葉がつきささってくる。彼がただの田園散策のナチュラリストだったと考えているのならそれは大きな間違いだぞ。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Tuesday, May 17, 2005

われわれを創られた存在がわれわれとなられた

star4「言葉は生き物です。われわれはそれ使って他の国、たとえばコヨーテの国、鷲や熊の国と意思の疎通を図るのです」と『ビスマルク・トリビューン(Bismarck Tribune)』という新聞のなかで語っているのはアルバート“ホワイト・ハット”サーというラコタ出身のラコタ語の大学の先生だ。サウスダコタ州のミッション市にあるシンテ・グレスカ大学で言語学を指導し、『ラコタ語の読み書き "Writing and Reading the Lakota Language" 』(1999年 ユタ大学刊行)という著書もある。学者であり、教師であり、精神的指導者として、彼はこれまで25年間ラコタ語を教えてきた。この4月、そのホワイト・ハット先生がノースダコタ州のビスマルクにある部族連合単科技術大学(United Tribes Technical College UTTC)で学生たちや職員を前にして講演をしたときのことが記事になっている。「ラコタの言葉にはそれぞれスピリチュアルな意味がある」と題された記事のなかから興味深い言葉を拾い集めてみた。

ローズバッド居留地のスプリング・クリークで育ったホワイト・ハット先生は、50年代のはじめまではラコタ語だけで朝から晩まで来る日も来る日も生活して過ごしたそうだ。「いまでも当時のことを懐かしく思い出します。あの日々がわたしの基礎をつくってくれたのです」と先生は語っている。

夜になると子供たちは自分のお気に入りのストーリーテラーを選んで話を聞いた。共同体のなかには普通でも5人ぐらいのストーリーテラーがいた。みんな子供たちが大好きな幽霊話を話して聞かせてくれるのだ。

「話を聞きたい一心で、子供たちはストーリーテラーのために薪割りをしたり、水くみをしたり、巻きたばこをまいてそれに火をつけて差し出したりしたものです」

ほかにも子供たちは、戦争の話や、恐怖の話や、悲劇の話や、メディスン(魔法の力)の話などをそういう場で聞かされた。「そのような話からわたしたちは自分が誰であるのかを学びました」

ウーンデッドニーの話(1880年、合衆国陸軍がインディアン掃討戦の末期に起こした凄惨な大虐殺事件で、ラコタの女性、子供など数百人の非戦闘員が殺された)などはそれこそ数えきれないくらい聞かされたという。「その話をするたびに、このようなことが誰の身にも二度と起こってはならないと話して、みんなで祈ったのです」

16歳になってはじめて聖フランシス寄宿学校へ送られてひどいショックを受けたとホワイト・ハット先生は語る。「他のインディアンの子供たちから、『お前たちはインディアンだ』といわれて馬鹿にされたり、ラコタ語を話しているとからかわれたのです。そこにいた子供たちの大半は、みんな5歳ぐらいから寄宿学校に送られてすっかり馴らされていたのです」

寄宿学校での教育は「労働と服従と権威への依存」を目的としていたと先生は語る。「夕日を表す言葉を教えられることもなければ、遊び方も習わずに、ひたすら誰かや権威に反応してすごすだけの日々を送っているだけでした」

言葉の勉強と称して、ラコタの精神性を死ぬほど恐れていたカトリック協会派と監督教会派のふたつの文化の両方を、同じように同じだけたたき込まれた。インディアンの言語教育を目的として、先住民の言語表記にアルファベットを用いることを教会がはじめたのは1841年のことで、このときラコタ語のさまざまな言葉も、通訳を介してキリスト教の宗教概念にみな置き換えられてしまったとホワイト・ハット先生は話した。

「たとえばラコタ語のワカンという言葉があります」と先生はつづけた。「キリスト教的な翻訳ではそれは『聖なる、神聖な、謎』といったことを意味しますが、実際のところはまったく異なります。ラコタ語の『カン』は『いのち』とか『動かす力(エネルギー)』のことで、これに『ワ』がついた『ワカン』は、その『カンとともにあること』を意味するのです」

ホワイト・ハット先生は一息おいてさらにつづけた。「つまり、あなたたちひとりひとりが、ひとりの例外もなくワカンななのです。われわれ全員に、いのちを与える力も、いのちを奪う力も、作りあげる力も、壊す力も等しく与えられているのですから」

ホワイト・ハット先生はラコタ語の中に入り込んだ他のキリスト教的概念についても説明した。彼は言った。「わたしたちには宗教というものはありません。わたしたちにはスピリチュアリティー(霊性)があるのです」

先生によれば、スピリチュアリティーというのは、勇気、寛大、忍耐、知恵といった特定の徳の実践を通してあきらかにされるものだ。スピリチュアリティーはまた、ラコタ語の「ミタクエ・オヤシン"mitakuye oyasin"」という言葉のなかでもあきらかにされている。「ミタクエ・オヤシン」とは「われわれを創られた存在がわれわれとなられた」というのが本来の意味だが「このほんとうの意味は」と先生はつづけた。

「わたしは天地創造で生まれたすべてのものと親族関係にある」「わたしは一本の木に親戚として話しかける」「わたしはひとりの親戚として風に、太陽に、月に話しかける」「われわれは礼拝することもないし、頭を下げることも、ひざまづくこともしない」けれども「わたしはひとりの親戚として木と踊る」「わたしはひとりの親戚として木と働く」「必要になれば、われわれは西に向かい、西の方にいるすべての親族関係にあるものたちにまず呼びかける。つぎに東に向かい、東の方にいるすべての親族関係あるものたちに呼びかけ、それから北の方、そして南の方のつながりあるものたちに呼びかける」「祈りはタバコの煙にのってふわふわと漂ってゆく。他のものたちはそれを受け取る」「われわれはそのようにして天地創造で生まれたすべてのものと交わる」ということである。

「癒す力を持った植物を集めるときには捧げ物を欠かすことはありません」そしてこう付け加えた。「われわれはその植物に話しかけます。『わたしたちのためにいのちを差し出してくれたことに感謝します。これはささやかながらわたしからあなたの国への捧げ物です』と」「もらうときには必ずなにかをあげる。あげたらもらう。もらうならあげる。無料のものなど存在しないのです」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

関西ワークショップのお知らせ(再掲)

rokkomount六甲山の自然のなかでのワークショップです。
土があり、木があり、風がふく
ゆったりとした気持ちで
世界と大地と人と自分をつなぐ
豊かな時を共有しましょう。



地球の上に生きる

第1回 風をひらく in 六甲
世界を深く理解するための伝統的な瞑想の技法とネイティブの知恵を学ぶ集い

講師 北山耕平
客人 福井 幹氏(演奏家 / 音楽によるヒーリング)

呼びかけ人 辰巳玲子
      梅井尚子
      切東璃音

2005年5月21日(土)—22日(日)

会場 六甲山YMCA
参加費 一泊、夕、朝食付 12000円

*要予約 (中学生以上の方 集中してワークショップを行うために今回は小学生以下のお子様の参加をご遠慮願っています)

オプション 六甲山中岩磐(いわくら・聖なる岩)見学

お問い合わせ・お申し込みはランド・アンド・ライフ(辰巳)まで
メール landandlife@r6.dion.ne.jp
http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/index.html

ランド・アンド・ライフ
〒657−0817
神戸市灘区上野通1−2−35−312
T/F 078・881・8163

Beadline.jpg

北山耕平より

かねてより自然の息吹が感じられる空間で、時間を気にすることなく、関心のある人たちと輪になって坐って、自分がこれまで学んできたことを共有できる場所を持ちたいと考えてきました。こうしたワークショップが今年はいくつか実現できそうです。すでに東京ではWPPD2005のストーリーテリング部会が発展した形でアース○サークルが結成され、その主催で「風をひらく」の第一の輪(入門編)がおこなわれました。たくさんの方にお集まりいただきありがとうございます。今回は第一段階としてアクセスに便利な街のなかでおこないましたが、今後はより自然に近づけるセッティングで輪を広げる計画が進行中です。「風をひらく」というのは、ネイティブの人たちに伝わる耳の通りをよくして、自然の囁きなどを聞くたもので、どこでも簡単にできるこころと耳のチューニングであり、一種の瞑想法です。これは本来、自然や人の話を聞くための準備となるものです。ほんとうに大切なことを、自然はささやくように語ります。わたしたちの多くは普通「自分の聞きたいこと」「声の大きな話」だけしか耳に入らないようにこころの設定がなされてしまっています。だからときどき意識して自然のささやくような声に耳をそばだてるトレーニングをしておかなくてはなりません。そうしておかないと自然が警告を発した時に耳に入らないこともあるからです。「風をひらく」ことは、人として地球に生きるために最初に学ばなくてはならない基本のなかの基本です。そこで今年の2月に神戸に呼ばれて講演をさせてもらったことがきっかけになって、関西の方々を対象にして「風をひらく」と「ネイティブについての話」をセットにしたワークショップが、ランド・アンド・ライフが企画する「地球の上に生きる」のなかで実現することになりました。六甲山の力を借り受けて、魔法のような時間を共有できればと思います。帰りの時間を気にすることなく、話のなかに浸かってください。ネイティブの世界、さまざまなストーリーによって紡ぎ出される彼等のスピリチュアルな世界、すべてのいのちがつながっている宇宙と自分のルーツにに関心のあるみなさんの参加を期待しています。(いよいよ今週末に迫ってきましたね。オプショナルの、古代遺跡である六甲山にあるいわくら〔磐座〕の三国岩の岩門に対面するのも楽しみです。5月17日追記)

Continue reading "関西ワークショップのお知らせ(再掲)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, May 16, 2005

せかいへいわといのりの日(WPPD 2005)のお知らせ

wppdbanner2005

今年の「せかいへいわといのりの日(World Peace And Prayer Day 2005)」はラコタの人たちがパハ・サパ(Paha Sapa)と呼ぶ聖地、西半球で最も古くに形作られた大地であるブラック・ヒルズで来月の夏至の日(6月21日)に開催される。ブラック・ヒルズは、いわゆる草の海の大平原の基層部分であり、大平原を潤す水の源となっている。ラコタの人たちにとって最も聖なる土地で、彼等はこの聖なる大地と未来の世代を守るためにかれこれ百年以上も闘ってきた。「この土地はわれわれに属しているのではない。われわれの方がこの大地に属しているのだ("it is not the land that belongs to the people, it is the people who belong to the land.")」とネイティブの人たちはいう。そこでWPPDが今年開かれるのである。伝説となった昨年のマウント・フジからもう一年が経つのですね。WPPDがはじまって記念すべき区切りの10年目、アメリカはサウスダコタにあるラコタの人たちの聖なる土地で開催されるこの「祈りの日」の案内がネット上に公開されました。入り口のページにはシティング・ブルの有名な言葉が掲げられています。


「頭を寄せあい
子供たちのために
どのような生き方がのこせるのか
ひとつ考えてみようではないか」


毎年6月21日を「聖なる場所を讃える日」にすべく国連への働きかけを強めてきたアーボル・ルッキング・ホースにとっても節目の年です。

ブラック・ヒルズのWPPD2005はサウスダコタ州ピエドモントのエルク・クリーク・リゾート(キャンプサイト)で、6月18日から21日まで。

Black Hills WPPD
June 18th - 21st

Meeting Location: Elk Creek Resort, Piedmont, South Dakota


詳しいことはWorld Peace And Prayer Day 2005のホームページを見てください。

arrow2 http://www.worldpeaceandprayerday.net/

「2005年のWPPDはブラッックヒルズで行われます。同時に、世界各地の聖地で、6月21日という聖なる日に集い祈ることを強く希望します。世界平和と地球の癒しのために祈ってください。この祈りは子供たちからお年寄りまであらゆる人に影響してきます。これはまた、平和とつながりのための祈りです。」
フジヤマにおけるWPPD2004のあと
アーボル・ルッキングホースから届けられたメッセージの一部。
WPPD 2004 JAPANのホームページより

| | Comments (3) | TrackBack (0)

世界を写し出す鏡としての物語「ジャンピング・マウス」近日刊行

Jumping Mouse is now on the way!!

jumpingmousel
ジャンピング・マウス』日本初公開版を上梓しました。物語と理解するための解説で、解説は小生がつけました。近日(5月下旬に)発売されます。出版社は太田出版で、装幀も『虹の戦士』と同じコンコルド・グラフィックスの相馬章宏くんです。アマゾンではすでに25日発売としてラインナップされています。小生は校正の段階のものしか見ていないのですが、太田出版版『虹の戦士』と同じスタイルの造本で、かなり良い出来なので、気に入っています。

「虹の戦士」が少年少女のためのお話しだったとすれば、「ジャンピング・マウス」は青年青女(故寺山修二氏の造語)のための物語です。これもまた「虹の戦士」と同じように小生がどうしても日本人をやらされている世代に紹介したかった物語のひとつで、これまで大事に自分の内側で発酵させてきたものです。「ジャンピング・マウス」のお話しは日本でもすでに何度か紹介されてきていますが、これは今までのものとは違うロング・バージョンのもので、物語のディテールが省略されることなく語られたオリジナルにかなり近づいたのではないかと思います。

Continue reading "世界を写し出す鏡としての物語「ジャンピング・マウス」近日刊行"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

Friday, May 13, 2005

上川アイヌ・コタン写真展がはじまった

旭川市近文のアイヌ・コタンの生活を、大正末期から第二次大戦後まで記録した写真展「松実政勝 上川アイヌ・コタン写真展」が今日から札幌市手稲区新発寒三の四の絵本専門店「ひだまり」ではじまった。展示されている写真は、原版が旭川市博物館に保管されているものだが、被写体の人物や撮影日が特定できないことなどからこれまで展示されないままになっていたものだとか。子グマを飼育してあの世に送るクマ祭りや、チセ(家)づくりの様子など、アイヌ民族の儀式や生活様式が記録されているモノクロ写真37枚が公開されているらしい。松実政勝という人物は太平洋戦争の前まで、旭川市大町で旧第七師団専門の写真館を営んでいた人物。キャビネ判のガラス原板約200枚は、松実さん自身が1983年に旭川市博物館に寄贈したものだが、撮影年が確定できないという理由で、公的な博物館に展示しにくいことや、同博物館の写真展示が明治期までと決められていたことから、今日まで日の目を見ずにきたと5月13日付北海道新聞は「クマ祭りのために飼育している子グマをかわいがる女性」の写真と共にウェブサイト上で伝えている。写真展は6月13日まで。もっとたくさん見てみたいなあ。せつかくだからウェブでも公開してくれないかしらん。

arrow2 北海道新聞「アイヌ・コタン、戦前の生活見て きょうから、記録写真を初公開 札幌

| | Comments (1) | TrackBack (0)

われわれの「家族」にいったいなにがおきているのか

「われわれは承知しています、あなたがお創りになられたすべてのいのちのなかで、ひとり人間家族だけが、聖なる道を踏み外してていることを」
オジブウェイ一族の祈りの言葉

聖なる言の葉』(マーブルトロン発行・中央公論新社発売)のなかに収められている祈りの言葉の一節をとりあげてみた。まったくもって人間はどうしてこれほどまでに道を踏み外してしまったのだろうか? あらためてそう思うような事件や事故が急増している。われわれの「家族」にいったいなにが起こったのか? つい昨日まで、この家族なら大丈夫だと思っていたのに、なんでかくも短期間のうちにこんなことになってしまったのだろうか? おそらく、すべての人たちが、そうした質問をおのれにたいして問いかけてみなくてはならない時が来ているのだ。わたしたちがもう一度聖なる道のうえで生きることをやり直すためには、なにをする必要があるのか? 自分の内側を祈りで満たすこと。それも、手あかのついたできあいの祈りの言葉ではなく、自分のハートから流れ出る祈りの言葉で。ひとつひとつの行為を祈りと共におこなう暮らしをはじめよう。「一日二十四時間が宗教なのだ」とエルダーたちがいっている。すべてのいのちあるものを創り出された存在にたいし、ネイティブ・ピープルをひとり残らず偉大なる癒しに導かれんことをと、祈ることにしよう。われわれがアルコールなどのドラッグから解き放たれるようにと祈ろう。こころを大切にして、みんなが美しくひとつにつながっているはじまりの生き方に、もう一度還れますようにと祈ろう。

| | Comments (3) | TrackBack (0)

Thursday, May 12, 2005

自然の尊厳と地球の聖なる道のために

「東洋の宗教では霊性を内側を観ることであるとする。西洋の宗教にとって霊性とは外側に向かう傾向にある。われわれにとっての霊性とはその真ん中に位置する。われわれは自然の尊厳のために、地球の聖なる道のために立ちあがる。であるがために、自然が神聖なものであり、グレイトスピリットに満ちていることをみんなに思い起こさせることによって、われわれは東洋と西洋の橋渡し役を担いうるのだ」
ウォーレス“マッド・ベア”アンダーソン
生年不明。1985年にあの世に旅立つ。
イロコイ六カ国連合、タスカローラ一族のメディスンマンで、
60年代のアルカトラツ島占拠にも立ちあった。
北米・中米・南米の先住民をつなぐ
American Indian Unity Movement の創設者

わたしがネイティブの人たちの信仰形態を学ぶことにしたのもまさしく同じ理由による。東洋の宗教でも西洋の宗教でもないものが、ネイティブ・ピープルの生き方のなかでは息づいている。歴史を観ると、西であれ東であれ、組織宗教は「自然の支配」の道具として使われる傾向にあった。巨大な組織宗教によってマインドをコントロールされてしまうと、なぜかひとびとは知らず知らずのうちに耳をふさぎ、自然の声を聞くのを止めてしまう。誤解を恐れずにいえば、わたしは「インディアンであるとはどういうことか」を学んできたが、これは断じて「インディアンになろうとしてのことではない」のだ。われわれはもともと本来インディアンであったが、こころを支配され混血して日本人化する過程でそのことをきれいに忘れ去っているのであり、自然について学び、自然とひとつになって生きてきた人たちの世界の見方を学んで、自然の声を聞くトレーニングを積んでスピリットの根っこを大地とつなぐことができて、逆さまの視点から歴史を、自分たちの道を奥の奥まで辿ることで「日本列島のネイティブであったほんとうの自分」にアクセスできると信ずるからである。ニューエイジのインディアンのようになろうとすれば、そのことによってまたマインドも支配されるだろう。われわれはインディアンになるのではなく、自分のなかの深いところで眠らされたままになっている地球に生きる人の部分の目を覚まさせればよいのである。もう一度地球に生きる人となるための勉強は、世界のいたるところではじまっている。これはわれわれも、北米先住民の世界も、また例外ではない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

縄文愛伝説という講座

おもしろそうな講座が長野県で開かれます。以下は「考古学通信/速報」からの転載。

□平成17年度長野県立歴史館考古学講座 第1回<要予約>
ヤマトタケル、坂上田村麻呂そして義経伝説。1000年の時を越えて生き生
きと伝えられる伝説には、旅する英雄が数多く登場します。『古事記』や『日
本書紀』、世界に残る民族例には縄文の記憶の声がかすかに聞こえてきます。
交易に旅立つ男性、そしてもたらされた土器を受け入れる女性を軸にした東日
本縄文時代中期の人間模様、題して「縄文愛伝説」。夏季企画展のプレゼンテ
ーションとして、担当者が熱く語ります。
日 時:5月28日(土)13:30〜15:00
テーマ:「東日本の中期縄文『愛伝説』」
講 師:水澤教子・保存分析班長
場 所:長野県立歴史館第一研修室(長野県千曲市屋代清水260-6) 
資料代:200円
問い合わせ:長野県立歴史館考古資料課
(電話:026-274-2000 FAX:026-274-3996 e-mail:mail@npmh.net)
※当日受付も行うが、事前にメール、電話、ファックスでの予約が望ましい。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

九州のバスケット・メーカーたち

「西日本最大級の縄文早期貝塚 佐賀市・東名遺跡」という記事をアサヒコムで見つけた(2005年05月03日03時19分)。佐賀市金立町千布(きんりゅうまちちふ)の「東名(ひがしみょう)遺跡」から縄文時代早期(約7000年前)の、西日本最大級の貝塚が発見されたというもの。わたしの興味を引いたのは、西日本で大きな——九州島最古の——貝塚が見つかったこともあるけれど、それよりも国内最古とみられる木編みのカゴが40個以上も出土したところ。大陸や半島から「後に日本人になっていく人たち」が押し寄せてくる前の九州島の先住民はバスケット・メーカーでもあったのね。記事には写真も掲載されていて、編み方もなんとなくわかるようになっている。カゴはムクノキの薄い板製で、縦横に編んだものなど4種類の編み方が確認されたという。編み目の間にはドングリやクルミなどがはさまっていて、「貯蔵用に使われたとみられるが、用途に応じて編み方を変えた可能性がある」と記事は書いている。最終的には出土するカゴは100個を超えるらしい。また、シカの角に直径1ミリ程度の多数の小さなくぼみを規則的につけて文様を施した道具がいくつも見つかっている。「装身具とみられるが、シカの皮などを縫って衣類にするため、針を刺しておく道具という見方も」と記事。同遺跡群調査指導委員会長の甲元真之・熊本大教授は「縄文人が狩猟生活から海産資源の開発に乗り出した時期の典型例。そばには集落や墓の跡も見つかっており、当時の生活の様子を総合的に研究することができる」と話しているとか。

バスケットは土器が作られるようになる前から使われていたはずだ。北米大陸の先住民が最初のバスケットを作ったのが約9000年前だった。さまざまな植物の素材を用いて編みあげたもので、バスケットには大きく分けて3つの基本的な作り方がある。それは、組編み方式、巻き付け方式、らせん巻き方式だ。これは地球各地で共通のものだろう。佐賀で発掘された木編みのカゴは、組編み方式の最もシンプルなもので、亀の島の東部森林地帯に暮らすイロコイやチェロキーなどの狩猟採集民のものと作られ方がよく似ているようにも見える。この組編み方式は竹カゴなどを作るときのやり方で今に伝えられている。ライフスタイルによって作られ方も異なるはずなので、今後どのようなバスケットが出土するか楽しみである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

アイヌ語地名研究と言語学

アイヌ語地名研究と言語学に関する催し物が開催されることが アイヌ・アート・プロジェクト&フレンズというページに掲載されていましたので転載します。


アイヌ語地名の正しい解釈のために
   
 「アイヌ語地名研究と言語学」

講師 佐藤知己氏(北海道大学大学院文学研究科助教授)

平成17年6月19日(日)
  10:00〜12:20(開場9:40)
「かでる2・7」710会議室
  札幌市中央区北2条西7丁目
入場無料(申し込み不要・定員90名)

主催 アイヌ語地名研究会
協賛 松浦武四郎研究会
後援 北海道、北海道教育委員会、札幌市、
   財団法人 アイヌ文化振興研究推進機構
   株式会社 北海道新聞社

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, May 11, 2005

正しい時と正しい場所

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, May 10, 2005

聖なる中心

「聖なる中心がなければ、なにが正しくてなにが正しくないかは誰にもわからない」
トーマス・イエローテイル
1903ー1993
クロー族のメディスンマンでサンダンス・チーフの言葉

世界には世界を四角く見る人と丸く見る人のふたつのタイプがあるらしい。ネイティブ・アメリカンは後者であり、世界を輪(サークル)として観ている。4本の直線で構成される四角は、四つの角を持ち、それぞれの角は「時間」をさししめしている。ひるがえって輪にははじまりもなければ終わりもない。そこには「時間」がない。環、サークルにあるのは「中心」であり、中心にはさまざまな力が宿っている。サークルの中心に宿る力は、人によって呼び方が異なる。ある人はそれを「愛」だという。またそれを「原理」だとする人も、「正義」だとする人も、「聖なる知識」だという人も、「いのち」という人も、「許し」だと考えてる人も、「真実(ほんとうのこと)」という人もいる。それをどう名づけるのかは各人にまかされているが、その中心にある力にアクセスする方法は、瞑想だったり、黙想だったり、自分の内側をのぞき込んだりして、頭と心の揺れを静めてゆくことである。頭が混乱していたり、気持ちが高ぶっていたり、こころに恨みを抱いていたり、怒りがあったり、恐れがあるときには、ではどうすればよいのか? エルダーたちによれば、そういうときにわたしたちにできる最善の策は、グレイトスピリットに向かって祈ることだという。そしてその祈りのなかで、敵意だとか怒りを取り去ってくださるように頼むことだ。そうした障害物を撤去してくれるように祈りのなかで請い願うことで、われわれは自動的に環の真ん中、聖なる中心に場所を移動させられる。なにが正しくて、なにが正しくないのかをわれわれが知る方法は、おそらくそれしかない。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, May 08, 2005

プレアデスの話

プレアデスは星たちの小さなかたまり(星団)のことで、和名は「すばる」といいますが、ネイティブの神話の世界では最も重要な星座のひとつとされています。世界各地のほとんどの民族や文化がこのプレアデスについての神話を持っています。古代ギリシャ神話では巨人アトラスとニンフのプレイオネの間に生まれた7人姉妹をさしています。ある日狩人のオリオンが森の中で7人姉妹を見つけて7人の娘たちを追いかけ、娘たちは天帝ゼウスの守護を求めながら逃げまどいます。ゼウスは娘たちを哀れんで7人を鳩に変身させて空に逃がしました。7人の姉妹たちはオリオンの手を逃れてそのまま星のかたまりとなって冬の空にいまも姿を見せているのです。オリオンはよほど残念に思ったのか、自分の犬を天に放って娘たちの後を追わせたと言います。その犬の名前がシリウスで、とりわけ明るく輝く星です。

プレアデス星団は北米インディアンたちにとっても極めで重要な星のかたまりでした。季節をはっきりと指し示すために暦の基本となる星のかたまりでもあったのです。この星団を見続け、冬の終わりから春の初めのころ、夕暮れの空からプレアデス星団が姿を消すのを合図に農作業に入る部族もありました。6月の中頃になって、朝早く、夜明け直前の空にプレアデスはふたたび姿をあらわします。この夜明け直前の空にプレアデスが帰ってくるまでに、その年に植えるべき作物の種をあらかた植え終えていないといけないことを、ネイティブ・アメリカンのファーマーたちは知っていました。このときまでに種植が終わっていないと、秋になって最初の霜が大地を覆うまでに収穫を終えることが出来ないからです。だからプレアデス星団は、その年の実りを象徴する星でした。その星団を小さな種が集まっているものと認識している部族もありました。ニューメキシコのズニの人たちはプレアデス星団をずばり「種(The Seeds)」と名づけています。

プレアデスは農業の星としてだけ重要なわけではありません。ストーリーテラーやメディスンマン、メディスンウーマンたちもこの星団を見続けました。もちろんこの星団が他のものに比べて見つけやすかったことも大きな理由のひとつでしょう。なにしろ冬の間は常に空にある星なのです。冬はネイティブの人たちにとっては火を囲んで物語を聞く季節なのです。そのとき常に空にあるプレアデスのことをいとおしく思わないわけがありません。大平原に生きるパウニー一族はひとかたまりになって輝いているプレアデスを、一族の団結のしるしとしてみていました。彼等の祈りの歌につぎのようなものがあります。


見たまえ

空と陸の出会う線のむこうで

ゆっくりと、ゆっくりと、起きあがる

プレアデスを!



ご覧あれ!

昇りきて彼らは、われらに道を示す

万全の導きで、われらをひとつにまとめる

プレアデスよ!



汝らのごとく

われらがひとつにつながる道を

なにとぞ指し示したまえ


パウニー一族のプレアデスへの祈り
 『聖なる言の葉』所収 北山耕平訳



日本では「すばる」のことを「六連星(むつらぼし)」や「羽子板星」と呼んだそうです。清少納言は『枕草子』で「星はすばる」と星の第1番目にあげています。このM45プレアデス星団は、今でこそ双眼鏡などで見ると数十個の星のかたまりであることがわかりますが、肉眼だと6つから7つぐらいを数えることができます。チェロキーの人たちは「7人の踊りを踊る星たち」と認識していました。7つの星から構成されていると言うことが、ある集団にはきわめて大切だったのです。

sevenpointedstar
「7」を「聖なる数」と認識する人たちは、ネイティブ・アメリカンの場合、亀の島(北米大陸)の東側に多くいました。代表的な集団がチェロキーであり、もともと東海岸にいて半農半猟の生活をしていて、後に大平原に移住して狩猟民と変身したラコタ(スー)のひとたちです。「7」は「全方位」を表す数とされました。つまり、東、西、南、北、上、下、中心の7つです。チェロキー出身のメディスンマンだったローリング・サンダーはつねに「七芒星」の、つまり七方に向かって輝く星の形をしたお守りをかぶり物につけていましたが、これもプレアデスを象徴するものでした。彼は「チェロキーのなかには自分たちがプレアデスから来たと信じているものたちもいる」と語りました。彼もそのことを信じていたひとりだと思います。

亀の島の西側、現在のカリフォルニア、オレゴン、ワシントンなどの州にはプレアデスを6つの星からなるものと見ている集団が多くいました。平安時代の日本でも6つの星を見ていましたよね。カリフォルニアの中部にヨクート・インディアンと呼ばれた人たちが長く暮らしています。19世紀中頃にカリフォルニアがアメリカ合衆国に併合されて文化が崩壊してしまった人たちですが、現在では、少ないながらもその子孫の人たちがリザベーションで生活しています。このヨクートのなかの「タチ・ヨクート」と呼ばれる狩猟採集の民に伝えられていたという「5人の妻をめとったある若者」の物語があります。プレアデスのことを伝えるおはなしのなかでは珍しくユーモラスなものであるので、これを物語として紹介しておきます。

Beadline.jpg

ノミのバアキルと彼の5人の妻


昔、なかのよい5人の娘たちがいました。日がな一日、5人の娘たちは歌ったり踊ったりしてなかよく遊んでばかりいました。いつも5人が一緒だったので、ほとんどの若い男たちはなかなか言い寄ることが出来ません。ただひとりバアキルという同じ歳の若者だけが、なぜか5人の娘たちのなかにはいっていつも遊んでいました。

バアキル以外の男たちのなかにも5人の娘たちを気に入って求愛をするものがいなかったわけではないのですが、そのたびに5人の娘たちは逃げていってしまいます。娘たちが気に入っていた男はバアキルただ1人でした。しかしバアキルはノミの化身でした。そうぴょんぴょん跳ねる小さなあのノミです。

バアキルはいつでも5人の娘たちを分け隔てなく同じぐらいいっしょうけんめい遊びました。バアキルが5人と等しく遊んでいた理由は、単純にひとりだけの娘を選ぶことができなかったからです。だから彼はいつも5人と一緒にいました。バアキルが5人の娘を一度に嫁さんにしたときにも、一族の人間には別に驚くものはいませんでした。あんなになかがよかったのだからそういうこともあるだろうと、みなは納得したのです。

とある夏のある日、バアキルは病気になり、もとのノミに姿が戻ってしまいました。一匹のノミとなったバアキルは、次々と5人にとりついては、ひっかいたりかみついたりしてかゆがらせます。女たちはほとほとバアキルに愛想をつかしました。ノミだとわかったからには、5人はもう彼のことを好きでもなんでもなくなっていました。

「さっさと逃げ出しましょうよ」と娘のひとりが切り出しました。
「逃げるっていっても、でもどこへ?」もうひとりが尋ねます。
「思いっきり東の方まで逃げたら、見つけられないんじゃないの?」一番気の小さな娘がいいました。
「きまり。ではいつ旅に出るの?」と4番目の娘。
5番目の最も年上のしっかり者の娘が口を開きました。
「バアキルが昼寝をしたらすぐに出発しましょう」
そして全員が顔を見合わせてうなづきあいました。

やがてバアキルの昼寝の時間になりました。彼がうとうととしはじめるやいなや、娘たちは手にてを取って逃げ出したのです。バアキルが目を覚ますまでに出来るだけ遠くまで逃げていなくてはなりません。逃げろや逃げろ。5人の娘たちはとにかく全力で走り続けました。

太陽が西のはずれに沈んで、気温が下がりはじめるまで、5人はひたすら走り続けて、すでにかなりの距離を稼いでいました。風が冷たくなつて、気温が下がれば、ノミのバアキルも目を覚ますに違いありません。

目を覚ましてのっそりと身体を起こすと、その場に座ったままバアキルは自分にこう聞きました。「妻たちはどこにいるのだろう?」

しばらくして彼は、妻たちが逃げ出したことに、はたと気がつきました。そしてそしてぴょんぴょんと跳ねるようにしてものすごい勢いで妻たちの後を追いかけはじめたのです。

「なあに足の速さならまけるものか!」バアキルは鼻の先で笑いながら跳ぶように走ります。「じきに追いついてみせるぞ」

それからしばらくすると、遠くの前方を走っている5人の娘たちの姿が、バアキルにも見えてきました。

5人の娘のうちのひとりが走りながら後ろを振り返りました。もうもうとあがる土ぼこりがぐんぐん迫ってくるのが見えました。

「バアキルが、きたーっ!」彼女は息をのみました。「もうすぐ追いつかれちゃう」

「ああ、どうしよう?」気の弱い娘が心配そうな声をあげました。

一番年上の娘がこたえました。「このまま空にのぼりましょう。あそこだったら、バアキルもついてこれないから」

そのまま5人の娘たちは空にのぼっていきました。ところがノミのやつもくっついて後を追いかけて空をのぼりだしたのです。

そうやって5人の娘とノミのバアキルはプレアデスとして私たちが知っている星座になりました。5つ固まって輝いている星たちがそのときの娘たちで、そこから少し離れたところにぽつんとある星がノミのバアキルなのです。

| | Comments (1) | TrackBack (2)

Saturday, May 07, 2005

目に見えない世界への入り口

「ひとりひとりの祈りでみんなを助けることができる」
トーマス・イエローテイル
1903ー1993
クロー族のメディスンマンでサンダンス・チーフの言葉

目に見えない世界への入り口があるとするなら、それはわたしたちひとりひとりの「祈り」以外には考えられない。ネイティブの人たちはグレイトスピリットの力を呼び寄せたり、その「法」を顕現させたりするものは「祈り」だという。スピリットの世界は、物質世界とは異なる力や法則が支配している。よく「癒し」という言葉が使われるが、これは物質世界のものなのではない。癒しが起こるためにはスピリットの世界の法則にのっとらなくてはならないのだ。奇跡と呼ばれるようなことが起こるのも同じ理由による。憎しみを消し去るのも同じ力の作用であるだろう。その力は、壊れた関係も修復してくれるし、一日二十四時間片時も離れることなく、わたしたちを導いてくださる。どんなにつらいときにだってわたしたちが愛し合えるのもきっとそのおかげなのだ。祈ることでわたしたちはスピリットの世界にはいることが許されるのである。「一日二十四時間が宗教なのだ」といえるのも「内側が祈りで満ちているから」に違いない。この場合の祈りとは、仏典のお経やキリスト教の聖書の一部とか神道の祝詞などを意味しない。それはもっと直接的にグレイトスピリットに向かって語りかけるものなのだ。どういう祈りを意味しているのか知りたい向きは、小生が翻訳した『聖なる言の葉—ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い』を参照されたし。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, May 06, 2005

なにを考えてる?

「神聖なもののことのみを思うようにして、あとはあたまを空にしておけばいい」
アーチー・ファイアー・レイム・ディアー
1935ー2001
ラコタのメディスンマン、エルダーの言葉

アーチーはジョン・ファイアー・レイム・ディアーの息子として生まれ、メディスンマンになった。わたしは20年ほど前、彼が一番元気だったころにアリゾナのパウワウで彼と会い、そのティピに招待されたことがある。あのとき彼と会わなければ、『レイム・ディアー(インディアン魂)』という彼の父親についての本を翻訳することはなかったかもしれない。これはその彼の印象深い言葉だ。普通わたしたちがぼーっとしている時はさまざまなことを考えている。頭をそのようにしていろいろな考えにたいして開いたままでいると、きまってくだらないことをあれこれ考えている自分に気がつく。友だちについてよくないことを考えたり、わけもなく怒りの感情にとらえられたり、妙に自分のことを哀れんでみたり。言えることは、わたしたちはなにかを考えているようでいて、じつは「なにかに考えさせられている」のである。考えているのは自分の頭なのだが、考えていることは、頭が意志を持って考えようとしたものではない。その気になればわたしたちは頭に命令を送って自分が考えたいもののことを考えるように仕向けることもできる。考えることを止めてしまうことはできないが、それでもなにを考えるかは選ぶことができるのだ。考えることを向こうからやって来るのにまかせるのでなく、こちらの方から考えたいことにこころを向けていく。エルダーといわれる人たちがしばしば「聖なることのみを思え」とか「先祖のことを考えよ」「大切な文化について思いをいたせ」「大切な価値のことのみを思え」「ひたすらよきことのみを考えよ」という言葉を残している背景には、こころは支配されるまえに自らが支配するものという認識があるようだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, May 05, 2005

オムサロ遺跡公園に行きたいな

5月4日の北海民友新聞が「オムサロ遺跡公園オープン」というニュースを伝えています。今月1日から北海道紋別(モウペット「静かな川」というアイヌ語)市の市街地から20分ほどの海岸わきを走る国道238号線(流氷ライン)沿いの丘陵地(紋別市渚滑町川向、興部町字富丘)にあり、史跡として「オサムロ台地竪穴群」と呼ばれていた遺跡が公園として一般に公開されたそうです。記事によれば「縄文早期から続縄文時代、オホーツク文化時代、擦紋文化時代、アイヌ時代と、1万年にわたって途切れることなく人々が住み着いた」場所で、先住民族の竪穴式住居跡が208軒も残されていて、「古代の伊吹を肌で感じ取ることが出来る」と書かれています。またここには「アイヌ民族食(薬)植物園」があって、アイヌの人たちが食べていたり薬にしていた植物の畑が作られているとか。興味津々ですねえ。おいしいものも食べられそうだし。

arrow2 紋別市役所 観光ポイント オムサロ遺跡公園

arrow2 オホーツク紋別フィルムコミッション オムサロ遺跡公園

| | Comments (0) | TrackBack (1)

マヌケはどっち?

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, May 04, 2005

悪魔の囁きへの対処法

「もし聞くに耐えない言葉が自分のところにやってきたら、片方の耳から入れて、そのままもう片方の耳から出してしまえばいい。けしてその言葉を自分の口からはき出すようなことはしてはならなない。そんなことをすれば、その言葉は別のところに行って誰かを傷つけてしまうだろうし、そうなると倍の強さで自分のところに悪いものが跳ね返ってくる」
ウォーレス・ブラックエルク
1921ー2004
伝統派ラコタのスピリットの世界解説者としてのエルダーの言葉

悪い言葉は、たいてい悪魔の囁きとしてやって来る。罪作りな誘惑として。そんなときに、あなたならいったいどうするだろうか? またさまざまなうわさ話が聞こえてきたときには、どうする? よからぬ話を耳にはさんだとして、さあどうする? もしもそうした話を聞いて、今度はその聞いた話をあなたがまた別の人に話したとするなら、あなたは自分を傷つけるだけでなく、他人も傷つけることになるだろう。われわれは他人を傷つけないように細心の注意を払わねばならない。いずれにしたところでまいた種は自分で刈らねばならないのだから。われわれは自分の行動に責任を負っているのだ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, May 03, 2005

すべてが逆さまの時代

「現代文明というやつは聖なるものがなんたるかをまるで理解していない。すべてがひっくりかえってしまっている」
トーマス・イエローテイル
1903ー1993
クロー族のメディスンマンでサンダンス・チーフの言葉

祈ることとはまったく正反対な方向に向かっているのが今の文明だとイエローテイル爺さまはいうのである。ひとびとは、日常において、ほとんど祈ることを止めてしまったかに見えるではないか。祈るのは、日曜日や特別な時に教会や神社や寺院や霊園などに出かけた時だけ。信仰を持つ人も、自分と同じ信仰を持たない人間がどうなろうと知ったことではないと考えていたりする。もはやそこにはまともなことなどなにひとつない。祈りを忘れて、常軌を逸していることがあたりまえの世の中。ひとびとはいかに他人をだまし、傷つけるかに熱中する。テレビや新聞が好んで取りあげるのはそうしたまともではない人たちばかり。メディアはバッド・ニュースを商売にして売りつける。グッド・ニュースを聞きたい人は誰もいないかのようだ。子供たちが子供たちを殺している。自分を守るすべのない被害者。暴力がはびこり、日常化している。指導者といわれる人はしたがう人たちをあざけりだましてなにくわぬ顔。なにからなにまでがまともでなく、ひっくりかえってしまっている。スピリットが失われた時代。こうした時代だからこそ一日24時間が祈りだとするネイティブの生き方に学ぶべきことはたくさんあるのだろう。祈りによるスピリチュアルな力の介入が必要になってきているのかもしれない。家族や、共同体や、社会や、自分自身の再構築のために、あらためてすべてを作られた存在からの導きを求める必要があるだろう。もういちどわれわれは聖なるものを取り戻すことが出来るのか?

参考文献 Yellowtail, Crow Medicine Man and Sun Dance Chief: An Autobiography,
edited by Michael Fitzgerald, published by the University of Oklahoma Press (1991)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, May 02, 2005

暗闇のなかの暮らし

「インディアンたちは自然の近くで暮らしており、自然をしたがへるものは暗闇のなかで生きることはない」
タタンガ・マニ(ウォーキング・バッファロー)
1871ー1967
ストーニー・インディアンの長老の言葉

今なお自然に近いところで生活しているインディアンたちはたくさんいる。自然の移ろいにしたがい、儀式にしたがい、伝統文化にしたがって生きている人たちだ。こういうひとたちはなるほど物質的には豊かではないかもしれない。傾きかけたような家、白黒テレビ、やっと動いている車。財産と呼べるようなものはほとんどないかもしれない。しかしそれは、この人たちが「よい人生を送っていない」ということを意味するものではない。いったい「よい生活」というのは「もの」をどのくらいもっているかで計れるものなのだろうか? つまるところわれわれがこの人生で追い求めているのは、いったいなになのだろうか? 長老と呼ばれた人たちはみな口々にこう言っている。「人間というのは、例外なく誰もが幸せになりたがっているし、こころの平安を求めている」と。「もの」をいくら持ったところで、そのたくさんのものが幸せやこころの安らぎを運んでくることはない。幸せをもたらしてくれるのは、スピリチュアルなものだけだ。わたしたちがスピリチュアルな人生を生きるとき、暗闇は取り払われる。そして暗闇のかわりに、幸せに包まれることになる。

87歳のときにはじめてイギリスのロンドンを訪問して、タタンガ・マニことウォーキング・バッファロー翁が残した言葉はきわめて印象深い。彼はこう言っていた。「子供たちをあまりに自然から遠く離れたところで育てるのは正しいことではない。あなた方の国の子供たちは、少女も少年も、ネコヤナギも見たことがなければ、ひばりが巣を作るところも、一面が草に覆われた山を見たこともない。この舗装は自動車にとっては素敵なものかもしれないが、子供たちにとってはあまりにもつらすぎる」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, May 01, 2005

ヤマト国の歴史はじまって以来空前絶後の先住民たちの大規模な蜂起

bow780年という年は、学校の歴史でどのように教えているかどうかはともかく、ネイティブ・ジャバニーズの視点から眺めなおすと、とても重要な年であったことは間違いない。「8世紀の日本列島でいったいなにが起きたのか?」の参考までに、小生が作った『ネイティブ・タイム』の該当ページを以下に引用してみる。この前後にも重大なことはおこっているのだが、その部分は本で読んでください。『ネイティブ・タイム』は日本列島でおこったことをネイティブ・ジャパニーズの視点から読み直した希有な本です。


▼ What Really Happened in the Year Seven Eighty?
(780年にいったいなにが起きていたのだろうか)

Continue reading "ヤマト国の歴史はじまって以来空前絶後の先住民たちの大規模な蜂起"

| | Comments (1) | TrackBack (1)

8世紀の日本列島でいったいなにが起きたのか?

「16世紀、スペイン人にインカやアステカ文明が滅ぼされたのと同じことが1200年前の東北で起きた。アテルイたちの戦いは先住者のレジスタンスだった」
水沢市埋蔵文化財調査センター副所長伊藤博幸氏(56)の言葉

読売新聞関西版(2005年03月28日掲載)歴史のかたち「悪路王の首像をみる」のなかでみつけた言葉。記事を書かれた小林健記者は、ここ数年、アテルイを主人公とした小説やミュージカルが誕生し、東北復権のシンボル的な存在になりつつあると記した後、記事をつぎのように締めくくる。「易々(やすやす)と屈服はしない。〈まつろわぬ〉という言葉が新たな輝きを放ち始めている」と。まつろをぬという言葉が新たな輝きをはなちはじめているその光の先に、いったいなにがあるというのだろうか? ネイティブ・タイムをさかのぼる旅を続けるしかないのかしらん。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

« April 2005 | Main | June 2005 »