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Wednesday, April 27, 2005

ナバホ・ネーションがウラニウムの採掘を法律で禁止する

Navajo Nation Outlaws Uranium Mining

アリゾナ州ウインドウ・ロック発(Friday April 22, 2005 4:31 AM)のAP電が伝えたところでは、ナバホ国が自分たちのリザベーション内におけるウラニウムの採掘と処理を非合法化することになった。ナバホのリザベーションはとてつもなく広く、アリゾナ、ニューメキシコ、ユタの3つの州にまたがつていて、その大地の下には世界最大の埋蔵量であるウラニウムが眠っている。最終的にはナバホの部族会議議長であるジョー・シャーリーJr.氏がこの法案に許可を与える手続きが残されてはいるものの、氏のスポークスマンによれば「シャーリー氏は強くこの法律を支持している」ということである。

アメリカ合衆国政府の意向を受けてウラニウムの採掘会社がナバホの土地でウラン鉱石の採掘をはじめたのは1940年代のことで、以後40年近く爆破による採掘を続けてきた。80年代になってアメリカのウランの需要が減少して現在まで操業は停止されてきたが、近年連邦原子力規制委員会の差し金でハイドロ・リソース社が、ナバホの土地であるクローポイントやチャーチロック地域での採掘と同時に処理作業も行う新しい方式での採掘を画策していた。このふたつの地域だけでおよそ4千500万キロものウラニウムが埋蔵されている。

40年代にウラニウムの採掘がはじまって以来、映画「ホピの予言」にも描かれていたように、ナバホやホピの人たちのなかには、ウラン鉱の鉱さいや放射能に汚染されたまま放置される残土によって長きにわたり被爆してきた人たちがいる。このたびナバホの部族会議を通過するであろう法律では、ハイドロ・リソース社が過去のやり方に比べてはるかに安全だと主張する「採掘と同時に処理作業も行う新しい採掘方式」も認めていない。

長くウラニウムの採掘に反対してきたナバホのひとたちのグループの代表であるノーマン・ブラウン氏は「この法律によってウラニウムという怪物の足を切り落とすことが出来る」と語っている。

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アイヌ民族がエコツアー

なぜか四国の香川県で刊行されている四国新聞(四国新聞社刊)の一昨日の記事で見つけたものなんだけれど、詳しいことが知りたいと思いませんか?

アイヌ民族がエコツアー/北海道・知床で7月以降

 かつて自然と共生していたアイヌ民族の有志らが25日、世界自然遺産候補地の北海道・知床でエコツーリズムを実践しようと団体を設立した。7月以降、知床の山を散策するなどのエコツアーを開催する予定。

 ツアーでは、観光客に知床の自然を満喫してもらうと同時に、アイヌ民族が食べていた植物やアイヌ語地名、儀式に用いた草木を説明、昔の民族の生活を紹介する。

 また、観光客の宿泊先のホテルに、民族の自然へのかかわり方や現代の民族の生活、文化を紹介するコーナーを設置。昔の生活を知るアイヌの古老から聞き取り調査をしたり、若手ガイドの育成も行う。

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スピリチュアルな生き方と最大の敵

「われわれにはひとつの大きな敵がある。おそろしく重要な敵だ。われわれ人間は、共に手をとりあって、その敵に立ち向かわなければならない。そのとてつもなく大きな敵、それは核エネルギー開発である。世界中の原子力発電所、世界中の核実験場がわれわれを全滅させてしまうかもしれない。ひとたびそれがわしらの母なる地球を汚染したら、母なる地球はもはや、わしらのためにも、他のすべての地球で生きているものたちのためにも、食べものをつくりだしてはくださらなくなるだろう」
コービン・ハーネィ(Corbin Harney)西部ショショーニ国
メディスンマン、精神的指導者、ストーリーテラー

Tuesday, April 19, 2005のアーティクル「最大の敵と戦おう」で紹介できなかったコービン・ハーネイの言葉である。スピリチュアルな生き方とはなにかと尋ねられて、かつてコービンはこう答えた。「それはあらかじめわれわれに与えられているものの世話をしっかりとすることである」と。あらかじめ与えられているものを傷つけたり汚したりすることなく世話をちゃんとしていれば、わたしたちの生活も汚れることはなく、生き続けることが出来る。彼の教えの中心にあるものは実にシンプルきわまりない。「生き続けるためには今あるものを大切に守ること」ということである。そして生き続けるための最大の敵となるものが「核エネルギー開発」なのである。放射能は水を汚し、空気を汚し、母なる地球を汚してしまう。核エネルギーに「平和利用」も「戦争利用」もないのである。この立場に立たなければ、「核廃絶」なんてなんの意味もない。片方で「平和利用」を推進している国が「核廃絶」を世界に求めることの愚かさを、地球のネイティブの人たちは常に指摘しつづける。いかなる形であれ核エネルギーの開発に終止符を打つことが、地球で生きるすべてのいのちのためになるのだという彼の教えは、わたしたちは共有できるだろうか? わたしたちに必要なのは「祈り」かもしれない。すでに与えられているもののために祈ること。太陽に祈ること、母なる地球に祈ること、水に祈ること、空気に祈ること。

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Tuesday, April 26, 2005

Still we must go on

imagine

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ふたつの世界

「ある種の神秘的かつ素晴らしい成りゆきから、お前さんはあらゆるものの一部となっている。そして同じように神秘的かつ素晴らしい成りゆきからあらゆるものがお前さんの一部なのだ」
ニパワノック(Nippawanock)アラパホのエルダー

またしても「部分」と「全体」の話だ。わたしたちは、目に見えるか見えないかはともかく、あらゆるものがその一部であるところの「なにか」の一部である。そしてその「なにか」は、同時にわたしたちの一部でもあるのだと、アラパホのエルダーであるニパワノック氏はいっているのである。おそらくこれをからだで理解するためには、なによりもまず、いかにわたしたちの五感というものに限界があるかを知らなくてはならないだろう。目で見る、耳で聞く、感じる、匂いをかぐ、味わう。こうした感覚が役に立つのは、目に見えている世界のなかだけのことである。わたしたちが目で見たものは、頭によって解釈されて、逐一信念体系のなかに組み込まれていく。同じことが他の感覚器官にも当てはまる。そうやって集められた情報によって、いわゆるリアリティというものが形作られている。ところが、目に見える世界とは別に、目に見えない世界も存在している。その目には見えない世界とわれわれのあいだは、目には見えないなにかによってつなげられている。このつながりによって、わたしたちはさまざまな不思議や、もうひとつのまったく異なる世界の見え方を体験する。目に見えている世界と、目に見えていない世界、このふたつの世界の両方にたいしてきちんと注意を払うことが出来れば、わたしたちのなかの信念体系が頭に向かってこれまでになかったほど素晴らしいリアリティを送り込んでくることだろう。そのときはじめて、自分がすべてのものの一部であり、すべてが自分の一部であるということも理解できるのである。

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Monday, April 25, 2005

悲しい知らせ

「母なる地球が、あなたにとっての大地がなくなるとき、あなたもまたゆっくりと精神的な死に向かって歩いている」
メアリー・ダン(Mary Dann)
ウエスタン・ショショーニのグランドマザー

わたしにとってはかなしいニュースですが、ウエスタン・ショショーニのグランドマザーであり、妹のキヤリーさんとともに、1863年のルビー・バレーにおける条約に基づいて現在ネバダ州とされている土地の大半がショショーニのものであるとして、アメリカ合衆国政府と十年以上も戦争をつづけていたダン姉妹のメアリー・ダンおばあさんが、先週の金曜日(April 22, 2005)に彼女たちの牧場で作業着のままの姿でスピリットの世界に旅立たれました。彼女は先住民の人権と先住民に当然与えられるべき環境を守る権利や創造主にたいするネイティブの信仰を守ること、そしてかけがえのない美しい母なる地球のために毅然として闘うことにおいて、なにものにも代え難い貢献を成し遂げた人でした。

日本においても数年前に彼女たちの土地を守る戦いのドキュメンタリーが放映されたのでご存知の方がいるかもしれません。核実験場の返還と、核廃棄場の建設阻止と、核の鎖を断つ運動の先頭に立ち続け、ウエスタン・ショショーニのみならず地球の先住民の人権と環境の権利を守る戦いを大いなるユーモアと共に勇ましく闘いながら、共に立つ人たちを勇気づけてくれた偉大な女性として、長くひとびとの記憶に留められることでしょう。彼女は亡くなるまで自分の年齢をおおやけにしたことはありませんが、八十代後半だったと推測されます。

In pease,
Kitayama Kohei

arrow2 彼女の死亡を伝える Infoshop News(ふたりの写真も)

arrow2 Amnesty International USA のダン姉妹の記事

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Sunday, April 24, 2005

ピース・オブ・マインド

「生存の鍵を握っているのは和解である。その最終到達目標は平和である」
カナダ、ブリティッシュ・コロンビア北部沿岸の
クィーン・シャーロット島先住民である
ハイダ・ガワイ(Haida Gwaii)一族の長老の言葉

なにかと対立したり、ぶつかりあって決断をしなくてはならないときには、問題にこだわるのではなくて、より大きな全体を見るようにしなくてはならない。われわれが最終的に求めているものはこころの平安であるはずではないか。平和とは、ただ単に戦争がない状態ではなく、ピース・オブ・マインド(こころの平安)のことである。このほんとうの目的をしっかりとこころと頭で理解して、しかと守りつづけるならば、最終的には平和で満ち足りた人生を送ることも可能になる。この世界にあるものはことごとくが絶えざる変化のただ中にあるわけだから、変化そのものに逆らうべきではない。自分自身にこう問いかけてみるのがよいかもしれない。「正しいことと、平和であることの、どちらが望みなのか?」と。もし平和が望みなら、ささいなことにこだわらないまますすむこともできる。もし正しいことが望みならば、いずれ勝ち負けをはっきりさせなくてはならないときがくるだろう。

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双頭の蛇

時として自然はメッセージを運んでくる。中国河南省Zhenyangに住むヤンさんが庭に捨てられていたカバンのなかから発見したという双頭の蛇は、なにを伝えようとしているのだろうか? この蛇たち(?)は食欲も旺盛でネズミを食べているという。

百聞は一見にしかずの写真 arrow2 Man finds two-headed snake in garden

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Friday, April 22, 2005

天地創造

「天地初発に際して、偉大なる創造主がはじめてこの世界を創られしとき、彼はあらゆるスピリットたちをひとつところに呼び寄せ、それぞれに尋ねられた。おまえたちはいかなるものになりたいのかと。あるスピリットは、宇宙を司る四つの力になりたいと申し出た。稲妻と雷になりたいものもいた。風、雨、雪、地震などを希望するものもいた。スピリットのなかには海になりたいものもいたし、山になりたいものも、大河を望むものも、小川になりたいものもいた。また自分は根を持つ人(植物)になりたいと申し出るスピリットもあれば、根を深くおろした樹の人になりたがるもの、四本足の人(動物)、羽根を持つ人(鳥)、水の中を泳ぐ人(魚)、地を這って進む人(蛇)、虫の人(昆虫)、岩の人(鉱物)などになりたがるものもいた。そして人間を希望するものもいた。そのようにして創られたものは、どれもが、歩くものを、這うものを、飛ぶものを、泳ぐものを、見えるものを、見えないものを体現している。そうしたものたちすべてがひとつになって、天地は創造されたのである」
ネイティブのエルダーが教えてくれた代表的な創世神話

この世界に存在するありとあらゆるものには、目に見えている面と目には見えていない面のふたつがあらかじめ備わっているということをこのお話は教えている。動物も、植物も、樹木も、昆虫も、は虫類も、鳥類も、魚類も、鉱物も、人間と同じようにその他のすべてのいのちあるものに奉仕するための「こころ」「スピリット」を持っているということである。同時に、天地創造のなかにうまれたものは、正しく機能して世界が生き残るためには互いにそれぞれが相互に依存し密接につながりあうことが求められていることも意味するのかもしれない。伝統的なインディアンの道では、世界を部分として見ることをきびしく戒める。その部分が全体といかなる関係を形作っているのかをいついかなるときにも理解するように求められるのだ。それぞれの部分が全体として最初に創造主の創られた世界とつながっているのかを考えること。天地創造は今も続いている。

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Thursday, April 21, 2005

ネイティブ・アメリカン・ナチスでいるのは、大変だ

「文化の圧倒的支配と人種混血のせいで、純血なネイティブ(先住民)はもうほとんど残っていない。ぼくが住む居留地では、自分の(部族の)言葉を話せる者は1%以下しかいない。若者はやたらと黒人になりたがっている (中略) だからぼくは、ナチスを支持する。でも、ネイティブ・アメリカン・ナチスでいるのは、大変だ。みんなあまりに無知で愚かで思考が閉鎖的で、その中で生きているのは地獄みたいだ」


CNN Japanの「犯人はナチス支持サイトに書き込み? ミネソタ高校乱射」という記事中に出てくるレッドレイクの『インディアン居留地』在住、ジェフ・ウィースという高校生の掲示板への印象深い書込の一節。アドルフ・ヒトラーに心酔するオジブワ(チペア)族の15歳の少年が、元警官の祖父と恋人を自宅で射殺した後、高校に乗り込んでライフルを乱射し警備員と教師、生徒5人を射殺し、本人も自殺した事件は、ほぼ一ヶ月前に起きた。事件がネイティブ・アメリカンのコミュニティに与えた影響は計り知れない。レッド・レイクはアラスカをのぞくとアメリカ合衆国の最北の地で、カナダとの国境線の北のカナダの国のなかにある飛び地。

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暗闇のウェーブ

certificateアインシュタインの没後50周年、三大論文の発表から100年を記念した「暗闇のウエーブ」に参加したので参加証をもらいました。アインシュタイン終焉の地プリンストンを起点に、順次灯りを2分間だけ消す事で、全世界、全ての国に「暗闇のウェーブ」を巡らせ、彼の業績を偲ぼうと言う催しです。電気を消すというのが気に入りました。夜に意識的に電気を消すことが、これからも増えるような気がします。息子と過ごした2分間は貴重なものになりました。空で見ていた彼も喜ばれたでしょう。

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木と葉の関係

「わしらはみなひとつの同じ根っこから生まれているが、葉は一枚一枚全部違っている」
ジョン・ファイアー・レイム・ディアー
(John Fire Lame Deer)
ラコタ、ミネコンジュー、メディスンマン(聖なる人)

われわれは誰もがただひとつのグレイトスピリットにその源を発しているが、一人一人はみんなどこかが違っていて、必ずその人らしさというものが備わるようになっている。双子や三つ子として生まれてきた子供たちですら、よく見るとみんな少しずつ異なる。自然界にあるものには、まったく同じものはひとつもない。同じように見える葉っぱですら一枚一枚全部違っている。同じことは人間にも当然ながら当てはまる。人間というのは誰であれみんな一人一人がとても特別でユニークな存在なのである。その一人一人にはその人だけの目的や、その人がなぜ地球に生まれたのかについてのきちんとした理由がある。木についている葉っぱの一枚一枚がどれもみな違っていながら、全体でひとつの木に見られるようになっているのとよく似ている。どの葉っぱが優れているとか、どの葉っぱが他に比べて劣っているとか、どの葉っぱが高貴だとか、どの葉っぱが卑しいとか、そういうことは全くなく、葉っぱはことごとくどれもが等しく、一本の木に属している。人間も同じことなのだな。われわれがここで生かされてやっていることは、われわれがその一部であるひとつの大きなものに影響を与えている。われわれがその一部であるものがよりよくなるためになにが出来るかを考えることにしよう。

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Tuesday, April 19, 2005

最大の敵と戦おう

設計者からの諌言「浜岡原発は制御不能になる」』(JANJAN 2005/04/15)をまだ読まれていない方はぜひ読みましょう。中部電力の浜岡原発でなにが起こっているのかを、これほど説得力を持って伝えてくれる文書はとても貴重です。ほとんどのマスコミがこれを伝えようとしていないのは、あきらかにある種の意図を持っていると考えてもいいでしょう。

わたしは「われわれの最大の敵は核である」ということをアメリカの先住民であるウエスタン・ショショーニの人たちから学びました。彼等の国には、これまでに九百回以上も核爆発を被った核実験場があります。西部ショショーニ国のチーフであるレイモンド・ヨーウェル氏は「われわれの土地で九百回を超える核爆発が起こされた。これほどの数の核爆弾を落とされた国はこの地球でショショーニだけだ」と言っています。ウラニウムは、本来地球の内蔵であり、掘り出すべきものではありません。一度掘り出してしまうと、それは二度と地球のなかに戻すことが出来なくなってしまうのです。いかなる形であれ核を使うと言うことは、戻すことも、消すことも、なくすこともできないモンスターをつくりだすことなのだと、彼等は言います。人間はさまざまな理由をつけてこのモンスターを作り続けています。わたしは日本国の政府が遂行しようとしている「核の平和利用」というものを信じません。「核エネルギー開発」は、地球に生きるすべての人たちにとっての大きな敵、母なる地球にたいする裏切り行為であることを、あらためて知って欲しいと思います。

設計者からの諌言「浜岡原発は制御不能になる』という告発文を読み終えて、わたしはウエスタン・ショショーニの精神的指導者でありメディスンマンであるコービン・ハーネイの言葉を思い出しました。

「わしのまわりにあるものをよく見てくれ。木々は死につつある。わしらの水は汚染されている。空気だって吸い込まない方がよい。これが理由なのだ。わしらはこれが理由で、なんとかして数千年前の昔の生き方に戻れないものかと努力しているのだ」

「われわれはネイティブの生き方に戻らねばならない。ネイティブの道とは、すべてのもののために祈ることである。われわれの母なる地球はおそろしく貴重なものなのだ。使い方を誤つようなまねは許されないし、彼女がいつまでも生き続けられるようにしなくてはならない」

「われわれは、地球に生きるものとして、われわれの頭を寄せ合って、ここにあるわれわれの星を救うためになにかをしなくてはならない。われわれには、ひとつの水と、ひとつの空気と、ひとりの母なる地球しかおらんのだから」

arrow2  Shundahai Network (ウエスタン・ショショーニの人たちが立ちあげた「核の鎖を断つことを目的としたグループ。シュンダハイとは彼等の言葉で「すべての生き物との間の平和と調和」を意味する)

arrow2 HEAL OUR MOTHER 『原発震災』を防ぐ全国署名に協力を!

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風をひらく 第一の輪の集いのお知らせ


風をひらく 1st. CIRCLE


第3の耳 と ストーリーテリングの世界

日時:2005年4月29日(金) みどりの日(祝日)
   3:00〜Open   3:30〜8:30pm

会場:bears well 学芸大学

講師:北山耕平 + ストーリーテラー 古屋和子
特別ゲスト インディアンフルート のなか かつみ


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Monday, April 18, 2005

チーフ・アインシュタインのために

Hopi



つぎのようなメールが転載されてきました。ここに掲載した写真は小生のコレクションのなかから選んだものです。よく見るとインディアンをしているのがアインシュタインさんであることがわかります。これは彼がグランド・キャニオンにホピの人たちを訪ねた際の記念写真の一枚です。こういう機会でもないと掲載できそうもなかったのですが。

(北山耕平)


諸兄姉;

今年はアインシュタインが三大論文(「特殊相対性理論」、「光電効果」および「ブラウン運動」)を発表した1905年からちょうど100年目です。ユネスコではこれを記念して今年を『世界物理年2005』として世界各地でイベントが開催されます。その一つとしてこの4/19(火)に『光のリレー』が地球規模で企画されています。

アインシュタインは上記の三大論文を発表してから50年の後、1955年(昭和30年)4月18日の深夜、合衆国はニュウジャージー州のプリンストンの病院で76歳の生涯を終えました。つまり、今年2005年は、三大論文の発表の100周年記念の年であると共に、彼の没後50周年。日本流に云えば、いよいよ完全に遷し世との縁を断ち仏の世界に安住する霊を送るために施餓鬼供養を行う年ですね。

具体的には、4月18日(米国東部標準時間)の深夜に、アインシュタイン終焉の地プリンストンを起点に、順次灯りを2分間だけ消す事で、全世界、全ての国に「暗闇のウェーブ」を巡らせ、彼の業績を偲ぼうと言う催しなのです。

4月19日(火曜日)の20:00以降、このウェーブは日本を東から西へ通過していきます。東京都千代田区では20:17〜19の間に闇のウェーブが通過する事になります。

下記のHPをご覧下さい。

此処から、参加の登録をし、自分が当夜居る場所を登録すると、灯りを消す時間帯を連絡してくれます。

春の宵、ちょっと地球規模のイベントに参加してみましょう。

http://www.ils.uec.ac.jp/WP2005/wplight.htm

とり急ぎお知らせとお誘いまで。

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Saturday, April 16, 2005

スピリチュアル

「スピリチュアルなことというのは、説明するのがむずかしい。なぜなら、なにかを完全に理解するためには、なんであれそのなにかと共に生きなくてはならないからだ」
トーマス・イエローテイル
( Thomas Yellowtail )
クロー族のエルダー

なにかを知るためには、その対象とひとつにならなければならない。英語の諺にも「知ることは愛すること」というのがあった(と思う)。たとえばペヨーテの苦さについても実際に食べてみるまではほんとうのことはわからないように、花のにおいについていくら説明を聞かされても、実際にその花のそばに鼻を近づけて匂いをかぐまではほんとうのことはわからない。そういうときには、目を閉じて花の匂いとひとつになってみれば、どういう匂いかの説明が不要となった自分をそこに発見することになる。ネイティブのエルダーがよく「世界はふたつある」という。これは「目に見える世界」と「目には見えない世界」のことだ。目に見える世界を体験するためには、物理的に相手を手にとって匂いをかいだり食べれそうなら食べてみればよい。目には見えない世界を体験するためには、原理、公理、あるいは法則、ほんとうの価値といったものを知る必要がある。頭がなにごとかを囁き、からだがどのように反応しようとも、われわれはそうした原理にのっとって決定し、行動を起こさなければならない。たとえば、誰かに嫌がらせをされたり、一方的に攻撃されたり、いじめられたり、なにかよくないことをされたとき、スピリチュアルな世界の原理では、われわれはその相手の人間のために祈らなくてはならないとされている。相手の人間の人生に、素晴らしいことが、ハッピーになるようなことが、喜びに満たされるようなことがおこりますようにと祈らなくてはならないのである。いかなるかたちであれ、復讐や仕返しを考えてはかえってマイナスだと、先人たちは教えている。それができてはじめて、わたしたちもスピリチュアルなことがなんであるか理解できるのだ。

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Thursday, April 14, 2005

リスペクト

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Wednesday, April 13, 2005

東北人の起源

2005年04月11日月曜日の仙台で刊行されている日刊新聞「河北新報」の記事に「東北大グループ 東北人の起源 人骨から探る」というものがあった。かいつまんで紹介すると、東北人のルーツがほんとうに縄文人に近いかどうかを骨の形状と遺伝子から調べようというプロジェクトが動き出したというもの。東北大医学部の百々幸雄教授(形質人類学)らのグループが今年夏に、東北の遺跡から出土した古墳時代—江戸時代の人骨300体の調査を開始するのだとか。河北新報は「縄文人直系の子孫とみられるアイヌ民族との共通点を探ることで、東北人の起源に光を当てる狙いだ」と書いている。

東北は他地域と比べ、おもしろいことに「弥生以降の出土人骨が少ない」という。同紙の記事によれば「東北大が過去に北海道で行った調査では、江戸時代のアイヌ民族の骨や遺伝子から、縄文人と共通する要素が多く見つかった」という。百々教授は「アイヌ民族は縄文人の直系の子孫と言ってほぼ間違いない。東北人とアイヌの関連を探ることで、東北人がどの程度縄文人に近い要素を持っていたかを確かめたい」と話している。

雑種の日本人のなかでも、東北人は、アイヌ民族についで縄文人に近いのかしらね。蝦夷(えみし)と呼ばれていた人たちの子孫が東北人を形作っているとしたら、エミシとアイヌと縄文人の関係も少しははっきり見えてくるのかな。いずれにしても刮目して結果を待ちたい。

arrow2 河北新報の元記事「東北大グループ 東北人の起源 人骨から探る」(読むには登録が必要)

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いのちは平等

「すべてのものはほんとうに平等なのよ。創造主から見れば、このわたしも、あの林の一本一本の木たちも、どちらが良いとか悪いとか言うのではなく、なにもかわらない。わたしたちはまったくみんな同じなわけ」
ジャニース・サンダウン・ハテット
(Janice Sundown Hattet)
セネカ(ホーデノショーネ)のエルダー(女性)

そうなのだろうなと思う。創造主の目から世界をながめることは簡単にできることではない。人間というのはえてして自分は宇宙の中心にいるのだと思いこむ傾向にあるからだ。われわれは、自分のことを、あるいは自分たちのことを、他の人たちや他のものよりも上位にいるとか、優れていると、しばしば考えたりする。ここでいう「創造主」とは、「すべてのものを創られた存在」のことであり、ネイティブ・ピープルがよく口にする「グレイトスピリット」「偉大なる精霊」「大霊」「偉大な謎」であり、日本人をやっているわれわれが「神」と呼ぶもののことである。ネイティブの人たちに言わせると、グレイトスピリットは「すべてのものがそれに従って生きるための基本的な方や原則」を創られたとされている。そこからすると、わたしたちも木も同じ原子から形作られているわけで、かわるところはなにもない。それぞれの原子の真ん中にある「いのちの力」は、そのまま偉大なる謎のなかにあるいのちの力であるのだろう。われわれは、つまり「いのちあるあらゆるもの」は、創造主の目のなかではすべてが分け隔てなく同じように見えている。

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Saturday, April 09, 2005

ふたりの偉大なホピの語る声

ctgthr.gif北米大陸のあらゆるネイティブ・ピープルの精神的なものの渦の中心に「ホピの国」があることはまちがいない。そのことを指し示すような記事が「インディアン・カントリー・トゥディIndian Country Today )」紙に掲載されていた。「世界に警告するホピ Hopi warnings to the world (March 29, 2005)」というタイトルでブレンダ・ノレル記者が書いたものだ。二枚の写真がつけられていて、一枚にはホピのメッセンジャーで精神的指導者であった故トーマス・バンヤッカ Thomas Banyacya が、もう一枚が伝統派長老で、蛇氏族の司祭だった故ダン・エベヘマ Dan Evehema が写されている。くしくも20世紀が終わる1999年に時を前後して黄泉の国へ旅立たれたふたりの伝統派ホピを回想する記事の中身をかいつまんで読んでみた。彼等が鳥たちや動物たちもその中に含まれる「声なきものたちの声」を代弁するものとして、いかに大きな存在だったかをうかがわせる記事である。

このふたりに共通していることは、死を迎えるそのときまで「黙示録的世界の到来を警告し、良き心を持つ世界中の人たちが自分たちの仲間に加わるように」訴えつづけたことである。トーマスの警告は、具体的には「物質的なものにたいする強欲とスピリチュアルな真実に向かいあおうとしないことが結果的には異常気象を引き起こし、最後には世界の破滅につながる」というものだった。ダン・エベヘマは「現代世界は強欲という病に冒されており、この国の先住民族を決定的に痛めつけ、おとしめているのは儀式を行う場所が失われたことである」と主張した。

エベヘマ翁は生前、105歳のとき、すべての人たちにむけた声明をあらわしている。記事ではこの「全人類に向けたメッセージ」をダイジェストで紹介している部分が続くのだが、幸いダン・エベヘマのこのきわめて重要なメッセージは「長老ダン・エベヘマから全人類へのメッセージ」として永峰秀司氏が「ホピの道」と題されたサイトで日本語になったものを公開されているので、ここはひとつそちらをぜひ腰を据えてじっくりとお読みいただきたい。

arrow2 長老ダン・エベヘマから全人類へのメッセージ

ついでもうひとりのホピ伝統派のトーマス・バンヤッカについて記事は書いている。彼はホピのなかでも「モティー・シノム」の一員だった。この「モティー・シノム」とはホピの言葉で「最初のひとびと」を意味する。バンヤッカ氏は1992年にホピ国の代表として国連で演説をした際「伝統派ホピは偉大なる精霊(マーサウ)から与えられたスピリチュアルな生き方に従っています」と語っていた。

「われわれはいかなるときにも彼のたてたライフ・プランに従うという聖なる誓約を彼との間で交わしたのです。この誓約には、彼の目的のために、この大地といのちの世話をする責任も含まれています。それに基づいて、わたしたちはこれまで、アメリカ合衆国を含むいかなる国とも条約を交わしたことはありませんし、これまで何世紀にもわたってその誓約を交わしていることをとても名誉あることだと思ってきました。わたしたちは最終的に政治的な支配も、貨幣による富も、軍事的な権力も、目的とはしていません。わたしたちが望んでいるのは祈ることであり、すべての生きてあるものたちの幸福を推進させることであり、世界を自然の道にのっとって保存することなのです」

伝統派ホピの指導者たちがバンヤッカ氏をふくむ4人を「ホピのメッセージを広める者」として選びだしたのは1948年のことだった。智慧の言葉を繰り返すなかでバンヤッカ氏は「創造主は最初の世界を完ぺきなバランスのうえにつくられのだが、人間が人間が道徳的かつ精神的な原則に背いたためにほんの一握りのものたちしか地震で生き残ったものはいなかったのです」と言っている。そのときと同じ過ちが2番目の世界においても繰り返され、ものみな氷る氷河の時代がひとびとを滅ぼしたのだと。3番目の世界、わたしたちの今の世界のひとつ前の世界は、比較的長いこと続いたという。それ以前の世界と同じようにひとびとはひとつの言葉を話していた。現代の世界の人間には未だ想像すら出来ないテクノロジーを、3番目の世界の人たちはいくつも発明していたが、その結果として自然の法則に背き、物質的な物だけにこだわるようになっていったらしい。

「気がつくとひとびとは自然の法則に背を向けるようになっていました。物質的なものだけをひたすら追いかけ、しまいには精神的な法則を鼻の先であざけりながら、一か八かの賭に出るまでになったのです。もう誰もそれをとめることなど出来なくなっていました。そして世界はとてつもない洪水に襲われて滅んだのです。今でも多くの国が古代の歴史や宗教的な教えのなかで、このときの洪水を伝えています。長老たちによれば、このときにもまたわずかな数の人間のグループだけが危うく難を逃れて、わたしたちが現在暮らしているこの4番目の世界に移り住んだのだそうです。グレイトスピリットはわたしたちにそれぞれ異なる言葉をお与えになり、世界の四つの隅にまでそれぞれが広がって、改めて地球の世話をするようにとおっしゃられたのですが、わたしたちの今の世界はひどい有様に陥っています」
トーマス・バンヤッカ氏によれば、人類は「予言の最後の日」にいるのだという。彼は国連の演説のなかでこう問いかけた。
「個人として、あるいはひとつの国として、世界の総体として、あなたはこの地球の世話をするためになにをこれまでやってきたでしょうか? 今日の地球において、人間は公害と称して自分たちの食べものや水や空気の中に毒を入れています。子供たちを含むわたしたちの多くが、飢えたまま放り出されています。たくさんの戦争がいまだにつづけられています。強欲と物質的なものに対する関心は人類に共通の病気なのです」

バンヤッカ氏は「灰の詰まったヒョウタン」(原子爆弾)がヒロシマとナガサキにおいて何万人もの人たちを焼き尽くすことをホピは「あらかじめ知っていた」と国連で告げた。またペルシャ湾で最悪の武器がが使われるのをとめられなければ第三次世界大戦になるとも。

「選択は、わたしたちにまかされています。もしもあなたがたが、地球の国々が、つぎに世界を巻き込む大きな戦争を作り出したら、人間は自分たちを灰になるまで焼き尽くすだろうことが、ホピにはわかっているのです。自然はそれ自体では私たちの耳に届くような声を発することはありません。わたしたちがじきに絶滅させようかというところまで追い込んでいる鳥たちも動物たちも、同じことです。いったいこの世界においては誰が、自然のために、そしてすべてのいのちをつくりあげて、それらのなかを貫いて流れているスピリチュアルなエネルギーのために、声をあげられるというのでしょうか?」

人間がそうした声なきもののために声をあげるには、自然や土地から自分自身を切り離さないようにすることが必要なのだと、バンヤッカ氏は発言をつづけた。そして最後に、最初の人たち、そして祖先のスピリットたちは、今声を大きくして警告を発していると語ったのだ。彼はこれからは洪水やハリケーン、嵐のごとく雹が打ちつけたりするなど天候異変となり、地震が来るだろうと指摘した。

「動物たちや鳥たちですらが、まつたく奇異な振る舞いをとおして、わたしたちに警告しています。鯨たちが砂浜にのりあげたりするのはなぜでしょう? 動物たちはみな地球の問題がわかったうえであのような行動に出ているのに、人間たちのほとんどがなにも知らないかのように行動しているのはどうしたことでしょうか? こうした警告を受けて、わたしたち人類が目を覚まさなければ、今の世界を破壊するための偉大な浄化が訪れます。前の世界は同じ理由で破壊されたのです」

ダン・エベヘマ翁は1999年1月15日に108歳で、1910年生まれのトーマス・バンヤッカ氏は同じ1999年2月6日に88歳で、相次いでこの世界を旅立たれた。

世界に警告するホピ Hopi warnings to the world (March 29, 2005)」という記事のしめの文句としてブレンダ・ノレル記者が選んだのはつぎの一文だった。

Their voices live on.(その声は生き続けている)」

ふたりの存在の偉大さをあらためて教えられるような記事ではありませんか。

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Friday, April 08, 2005

パワー・オブ・ザ・ウーマン

「女よ、女。女にはね、世代を超えるパワーがあるの。子供を作るパワーもあるし、子供を作らないというパワーもあるわけ」
セシリア・ミッチェル
(Cecilia Mitchell)
モホークのエルダー(女性)

女性はいのちの鍵を握っているだけではなくて、未来の世代の鍵も握っている。そういえばネイティブの長老のじいさまが「女性がほんとうに男を必要とするのは一晩だけだけだからなあ」なんて冗談を言うのを聞いたことがある。うーん、深い言葉だとは思いませんか? われわれは女性にそなわっているパワーをじっくりと見極めて、それを敬わなくてはなりません。女性というのはとにもかくにも特別であり、特別なものとしてつきあう必要があるのです。

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Thursday, April 07, 2005

ひとつの輪

「みんなが一緒に祈らなくてはだめだ。みんなで励ましあい、応援しあうのだ。そうすることで輪がひとつになる。すべては、ひとつ」
ウォーレス・ブラック・エルク
(Wallace Black Elk)
ラコタのエルダー、パイプ・ホルダー、精神的指導者

地球での暮らしは容易ではない。時には物事がおそろしく複雑に絡みあっていたりもする。時にはひとりで問題を抱え込んで自分はひとりなんだと思いこんだりもする。時には閉じこもることだってあるかもしれない。しかしそうやって内にこもると、問題というのはよけいにややこしくなる。人間というのは互いに注意を払いあい、気を配りあい、一緒に祈ったり、互いに励ましあったりする必要があるものなのだな。みんながそのように振る舞ってこそ、輪もひとつになるというもの。

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Wednesday, April 06, 2005

地球の未来を傷つけるべからず

やはり近頃の異常気象は相当に深刻らしい。「インディアン・カントリー・トゥディ(Indian Country Today)」というネイティブのための新聞が「母なる地球に耳を傾けよ(March 28, 2005)」というタイトルのコラム記事を掲載している。書いたのは同紙の人気コラムニストであり詩人でもある、シャイアンとマスコーギーの血を受け継ぐスーザン・ショーン・ハルホ(Suzan Shown Harjo)だ。彼女は書いている。

fisticon「誰もが天気の話をしている。水辺のスイレンもガマの穂も今年は成長が芳しくない。これはわれわれのメディスンが例年ほどは手に入らないということを意味する。カバの木の皮もいつになくもろい。籠づくりからカヌーづくりまで、カバの木の樹皮の堅牢さだけが頼りなのだ。北西部太平洋沿岸の雨林においても、杉の皮をはいだものの湿り気が例年に比べて少なく、しなやかさもたりない。これでは彼らの帽子も籠も、もはやしっかりしたものは作ることが望めない。数年前の大火の後再び毎年顔を出すようになっていたベア・ビュット(山)の薬草も、再び姿を消してしまった。天然物のトウモロコシは小さくなるばかり。ひきかえ遺伝子組み換えのトウモロコシだけが成長を続けて勢いを増し、ゾッとすることにいったいどれほど大きくなるのか誰にもわかっていない。海から川に帰ってこなくなって、姿を消してしまった魚の話を誰もがしている。カエルたちも、鮭たちも、頬のなかに毒を持つ複眼の虫たちも。コウモリたちが減り、西ナイルウィルスを運ぶ蚊の数がさらに増えた。西ナイルというのはエジプトではないか。そこのウィルスがアメリカ合衆国の人たちのところに運ばれているのだ。ここ20年も50年もとんとお目にかかったことのない干上がった川の川底を、ひとびとは目撃している。何千年も昔の埋葬の跡がむき出しになっていたりする。無数の美しい花々を一面に咲かせた平原がそこかしこに増えている。ひとびとはその光景を見て気持ちが良くなり生きている実感を味わうが、それらの花という花はどれも、大地がいちど全部野火でことごとく焼き尽くされた後に生えてきたものなのである。地球はからからに干からびいちど死んだ場所ではじめからやり直そうとしている。北極のイヌイットの人たちが伝えてきた。地球の温暖化で自分たちの家が、食料が、生き方が、貴重な生命すらが、危機的な状態にあると。北極の温暖化は、この惑星の他のどの地域よりも二倍も早く進行中だと、2004年に300人の科学者たちが語っている。極地の天候がもたらす影響を4年間にわたって調査研究した後で、氷河及び凍土がとけだしていて海面が上昇しているのだと。科学者たちもイヌイットの人たちも、ホッキョクグマはこのままでは絶滅しかねないと警告した。ブッシュ政権はこうしたすべての証拠を、すべての声を、すべての兆しを、ことごとく無視した。そればかりか、自分たちの国の2002年の[気象白書]が『人間の活動の結果としての温室効果ガスが地球の大気に蓄積されつづけていて、これがために地球規模の大気の気温上昇と海面温度の上昇を引き起こしている』と指摘したことすら、無視している。地球規模の温暖化については、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の議長によって、今年また別の警告が発せられた。議長のラジェンドラ・パチャウリ博士は国際会議の席上、のべ百カ国を超す国々の代表を前にして、世界の『大気に含まれる二酸化炭素の濃度が危険なレベルに達しているかも知れない』と語ったのだ。彼は『人間の生存能力に危険を与えかねない』として世界に対して汚染のレベルを大幅に減らすよう呼びかけた」

これにたいしてブッシュ政権はなにひとつ手を打つことはせずに、代わりにやったことは過去30年間に積み上げられてきた環境保護の基盤にくさびを打ち込もうとする試みだったとスーザン・ショーン・ハルホさんは手厳しく批判している。なんでもブッシュとその仲間たちは、森林伐採業界の意向を受けて、アメリカ森林保護法という法律のもと守られてきた動物や鳥や木々や植物や水質水源の保護をゆるめつつあるらしい。彼等が現在おこなっている地球を危機的状況に追い込む可能性のある愚行についていちいちあげていくときりがないのでわざわざ翻訳するのはとめておくが、そこに暮らしているすべてのいのち(全生活をその環境に依存しているネイティブ・ピープルの生存そのもの)を脅かすものであること十二分に知りつつなおガソリンのために強行されるアラスカ北極圏国立自然保護区における原油の掘削もそのひとつであることを伝えておきたい。こうした現行政治権力の愚かな権力の行使について200語ほどを費やした後、彼女はこう書く。

fisticon「これまでの数年間に、われわれは過去50年間にはなかったような最悪の嵐をアフリカでいくつも目撃した。壊滅的な地震と津波に襲われた南アジア。記録を塗り替える数の多さだった8月の竜巻に、春の大雪。今年初めから日を違えてほぼ同時に噴火し始めた3つの火山であるワシントン州の霊峰マウント・セント・ヘレンズ、シシリー島のエトナ火山、そしてメキシコのコリマ火山。コリマ火山の噴煙は航空機の運航に支障を与え、ヘレンズ山から上る蒸気は6マイルの高さに到達、息をのむようなエトナ火山の溶岩とマグマの流出。いま活動をしている火山はこのほかにもアラスカ、ハワイ、オーストラリア、コスタリカ、日本、フィリピンなど世界各地にある。後3つの火山が同時に噴火したらとてつもないことがおきるだろう。こうした火山の噴火活動が、地球の温暖化とか、地球に深い穴を掘ってそこからオイル取り出したことと、関係があるのかどうか、わたしにはわからないし、他のどんな人間の活動が火山活動と関係しているのかもわからない。ただ少なくともわたしに言えるのは、母なる地球がわれわれに、なにごとかを話しかけてきているということである。母なる地球が話そうとしていることがなにであれ、なるべくなら出来うる限り早い時期にそれを発見し、問題解決のために手を打たなくてはならない。現状を見る限り、アメリカの政治的な指導力は、それとは反対の方に向かって発揮されており、行動において思慮深さに欠け、先のことなどなにも考えてはいない。もしわれわれがこのまま政治の流れを変えることができないのであれば、われわれはわれわれがベストだと思えるやり方で自分たちの庭を守るための行動を起こす必要があるだろう。そのためのはじめの一歩は、母なる地球の声に耳を傾けることだ。そして彼女の傷を癒すために、できることはすることだ。それができないなら、少なくとも彼女の未来に傷を与えるような真似だけは絶対につつしむことだ」

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いのちの歌に耳を傾けよう

「この先、他に抜きんでた帝国とか民族を作りあげることに突き進むつもりならば、われわれはいちど立ち止まって、女性たちのいのちの歌(song of life)に耳を貸すべきではなかろうか。なぜなら、女性がいなければいのちもないのだから」
オレン・R・ライオンズ
(Oren R. Lyons)
イロコイ族スポークスマン(オノンダガ国・亀氏族)

ネイティブ・ピープルの世界をマッチョな男性優位社会と思いこんでいる人たちは意外なほど多い。女性は男性や家族のために働かされていて、解放されていないと主張する人たちもいた。ローリング・サンダーはよく「インディアンの女性ほど解放されている女性はいないのにな」といって笑っていた。女性に出来て男性に出来ないことは、いのちを産み出すことだと、ネイティブの人たちはよくいう。「女性というのは母なる地球と特別な絆で結ばれている」とも。母なる地球と女性に共通しているものは、いずれもがいのちの源であることで、だから母なる地球は、女性たちが口ずさむようにと、いくつもの歌を与えているのだという。母なる地球が女性のために与えている歌とは、いのちについての歌だっむたり、美しさについての歌だったり、子供たちについての歌だったり、愛についての歌だったり、家族についての歌だったり、強さについての歌だったり、思いやりについての歌だったり、子供を育てることについての歌だったり、許すことについての歌だったり、神についての歌だったりする。世界はもう少し気を配って、彼女の歌に耳を傾ける必要があるのではないだろうか。きっと彼女もそう思っているに違いない。

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Tuesday, April 05, 2005

一番良い祈り

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、タイトルを「祈り」と変更した加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Monday, April 04, 2005

「第7番目の火」今年の初演日程きまる

先月 Thursday, March 03, 2005 の記事でお伝えした「ザ・スピリット——第7番目の火(The Spirit - The Seventh Fire)」の今年のツアーが5月20日にフィラデルフィアのフェアモント公園(Fairmount Park)からスタートすることがきまった。フィラデルフィアにはひびが入って鳴らされることがなくなった自由の鐘があるし「United American Indians of the Delaware Valley」という博物館もある。チェロキー・ネーションにもほど近くて、いうならば東部のインディアン・カントリーであります。詳細は SPIRIT 7 NATION へ。

arrow2 Spirit7thFire.com Home

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セブンス・ジェネレーション

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Sunday, April 03, 2005

太陽はどうして月を追いかけるのか?

sunmoonカリフォルニアの中央部の平野にサクラメント川という川が流れていて、その川の両岸をテリトリーにしていた一族がマイドゥ一族でした。水も漏らさないとても緻密なバスケットを編むことで辺り一帯に名を馳せていた人たちです。彼らの暮らす土地の南のはずれには、ペインズ・ピークという火山がそびえています。ごつごつした大きな火山岩がごろごろしている山で、マイドゥの人たちは「岩屋(ロック・ハウス)」と呼んでいます。

父なるお天道様と母なるお月様は、大昔はそのペインズ・ピーク山にある巨大な岩屋のなかで、一緒に暮らしていたのです。ふたりの放つ光は岩屋の外へは一切漏れてきません。だから空には光るものがありませんでした。人間も動物たちも、みんな暗闇のなかで生活していたのです。

あるときのこと、いたずらもののコヨーテが考えました。お天道様とお月様の体に一握りのノミの群れでも放ったら、こいつはちょっとした見物じゃないかな。そこでコヨーテはノミをせっせと集めては袋のなかにつめました。そうやってノミのいっぱい入った袋を手に意気揚々とペインズ・ピーク山に向かう途中で、コヨーテはウサギと出くわしました。コヨーテが自慢そうに「この袋のなかにはノミがいっぱいはいっているんだぞ」といくらいっても、そんな話をウサギははなから信用しません。しまいにはお互いに激しく罵りあう始末。いきなりウサギが手を伸ばしてその袋をつかんで自分の方にぐいと引き寄せました。コヨーテも必死にその袋をとられまいと引き戻します。その瞬間いきなり袋の口が開いて、せっかくのノミたちが盛大に地面に飛び散りました。まずこの日を境に、コヨーテもウサギも、いつだってノミを探して体をぼりぼりとかくようになったのです。

ロック・ハウスにノミ放つというコヨーテのたくらみの話を聞くと、ウサギもおもしろそうだと考えました。だからふたりは一緒にノミの入った袋を持ってペインズ・ピーク山の登山道をぜーぜーいいながら登りました。だんだん重たくなる足を一歩踏み出すたびに、岩屋についたらこうやろうああやろうと、ノミをどう放つかについて、それぞれに思案しながら。

登っていくと途中で、ジリスが地面に掘った穴がありました。そうだ、ジリスのやつも仲間に加えようと、ふたりは考えました。ジリスだったらきっと岩屋の天井にばれないように穴をあけられるはずです。頂上にようやくたどり着くと、さっそくジリスが地面に穴を掘りはじめました。父なるお天道様と母なるお月様にいらぬ警戒心を起こさせぬように音を立てずにそおっと、そおっと。そしてジリスが穴からはい出してくるのを待ちきれないように、ウサギとコヨーテは袋の口を開けてその穴のなかにいっせいにノミたちをいっせいに放ちました。それから石で穴にふたをすると、今度は笑いを押し殺した様子で、みんなは転げるように山を駆けおりたのです。

それからまもなく、父なるお天道様と母なるお月様の全身にノミたちがとりつきました。じきに母なるお月様は我慢しきれなくなり、いきなり岩屋から飛び出すと、そのまま地球の周りを回りはじめました。父なるお天道様もその後に続いて岩屋を飛び出します。ふたりは競うように地球の周りを回りながら、全身にとりついたノミたちを互いに取りあおうとしているのです。

まずそういうわけで、空の上では今日も太陽が月の後を追いかけているわけです。

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Saturday, April 02, 2005

イギリスに先住民族の権利を認めさせよう

サバイバル・インターナショナルから「緊急行動のお願い」の転載:

Date: 2005/04/01 0:48:23

イギリス:歴史的な国連宣言を政府が妨害している。(2005年2月)

「イギリスの先住民族に関する人権政策は唾棄すべき、お粗末なものだ。」

ダレー・サンボ・ドロウ(イヌイットのスポークスマン)

「人権が個人的権利だけでないことを認識すべきである。集団的権利もあるのだ。」

国連事務総長、1993年



イギリス政府は、国連で先住民族の権利承認を妨害しています。世界の先住民族10年は、10年の基本目標であった先住民族の権利に関する国連宣言の草稿承認に達することなく、2004年12月に終了してしまいました。

この失敗の主な原因は、いくつかの政府、特にイギリス、フランス、アメリカが、先住民族の集団的権利を宣言にもりこむことを拒否したためです。先住民族のためにさらにもう10年間が公表されましたが、宣言に関する討議は止まったままで、45条の宣言草稿のうち、今までにわずか2条が承認されただけです。

世界の先住民族にとって、集団的権利はとても重要です。「集団的権利は、我々のような隔絶された国家や共同体の全体性、生存、福祉にとって、基本的なものである。それらは我々の文化、精神性、世界観と切り離し難いほど関連している。先住民族の個人的権利を行使し、享受するためにも欠かせないものである。」(先住民族40団体からトニー・ブレアに宛てた手紙、2004年9月)

先住民族は、国連の多数の機関によって「国民」として認められています。しかしイギリスは、彼らの権利を制限させるため、宣言草稿の中でこの単語の使用を公式に反対しています。これは、数百年続いているイギリスの政策と全く矛盾しています。というのは、イギリス国家と北アメリカの先住民族との間で交わされた条約が、国家間の条約として認められているからです。

先住民族は自己決定権を保持していますが、それは集団でのみ行使できるものなのです。奇妙なことにイギリス政府は、先住民族のために新しい権利を「創造」すると述べています。しかし、これは他の人権よりも法的に劣ってしまうはずです。先住民族たちは、そのような差別的なダブル・スタンダードに強く反対しています。

土地と資源に対する完全な集団的権利は、先住民族の生存にとって基本です。例えば、アマゾンのヤノマミは、ヤノスと呼ばれる大きな共同家屋に住んでいます。そのような建物についての「個人的所有権」という概念は、全く無意味です。また、その土地で採鉱会社に操業を許可するかどうかを決める先住民族の権利も、集団的権利としてのみ意味があるのです。しかしながら、このようなきわめて重大な集団的権利は、「集団的に行使される」個人的権利だと、イギリス政府は主張しています。アメリカでは、1887年の悪名高いドーズ法で、この概念の危険性が明らかとなりました。その法律によって、共同体所有のインディアンの土地が個人的な土地区画に分割されました。9000万エーカーのインディアンの土地が一瞬にしてなくなり、居留地が崩壊したのです。

イギリス政府の見解は、集団的人権を敵対視する挑戦的なものです。北アメリカ先住民族の代表がイギリス政府を訪問し、さらにサバイバル支援者から数百の手紙が届いたので、2004年11月にイギリス政府は急遽態度を変えました。現在彼らは、集団的権利の存在を認めていますが、そのような権利は真の人権でないという誤認を改めようとせず、国連宣言の妨害に固執しています。この問題に関する重要な国際法、1989年のILO先住民族協定にも違反するイギリス政府の姿勢を変えるように、先住民族の40団体はトニー・ブレアに請願しました。

カナダのクレー大会議の大議長テド・モーセスは、「ブレア政府は、数千年もの間、先住民族の文化に存在している集団的人権を否定し続けている。個人的所有権の考え方を受け入れるのが先住民族にとって最良だと、イギリス政府はきわめて傲慢に主張している。」と記しています。

先住の権利に関する国連宣言は、先住民族にとってこの50年間で最も重要な前進となるはずです。それを拒否しているイギリスの行動が不当であり、強く非難されるべきだと、サバイバル・インターナショナルは信じています。

[森本和男訳]

元記事 arrow2 http://www.asahi-net.or.jp/~vi6k-mrmt/u05-uk0a.htm


サバイバル・インタ−ナショナルは先住民族を支援する世界的組織です。
連絡先  真実一美:kmazane@e.okayama-u.ac.jp
     森本和男:vi6k-mrmt@asahi-net.or.jp
  http://www.asahi-net.or.jp/~vi6k-mrmt/survival.htm(日本語)
  http://www.survival-international.org(英語)

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Friday, April 01, 2005

ホピの国では4月になると

hopiraincloud4月のことをホピのひとは「キウィヤムヤ」と呼びます。ときおり沙漠を強い風が吹く月のことです。キウィヤムヤになるとホピの国でも本格的に農作業がはじまり、トウモロコシを主に、スイカ、豆、スカッシュなど植える畑を耕し、祝福と共に種を蒔きます。農作業はホピの人たちにとっては「大地との交わり」です。広場には「競走者」と呼ばれるカチーナが姿をあらわして、村の男性や子供たちに駆け比べを挑みます。強くて健康な身体を祝福するためです。アメリカ南西部の乾燥地帯には、時折降る雨で浸食されたものの、普段は枯れ川になっている小規模の険しい峡谷があちこちにあり、これを「アロヨ」と呼びますが、ホピの人たちは「男たちが駆け比べをするようになるとアロヨに水が流れてくる」といいます。競走者を先導するカチーナは「泥頭(マッドヘッド)」で、彼は毛布に褒美を包んだものを持っています。キウィヤムヤの駆け比べの間、豊かな実りをあらわす女性のカチーナムもふたり登場して、人体と地球は同じ構造になっているという生命観に基づいて、みんなのまえで「いのちの誕生」を象徴する「まぐわい」のいやらしい仕草をして、男たちや少年たちを駆け比べになんとか参加させようとします。ホピの「走る人」については過去記事の「偉大な走る人たち」(Monday, March 14, 2005)を参照のこと。

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