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Friday, March 11, 2005

ホピの国の歩き方

Revised Monday, March 14, 2005

セカンド・メサのはずれにあるワルピ村
hopiwalpi_1
ホピの国はアメリカの道路地図の北アリゾナのところに「ホピ・インディアン居留地(Hopi Indian Reservation)」と記されている。ネイティブ・アメリカン・ピープルに対する関心の高まりも後押しする形で、最近ではホピの国を訪れる人たちも増えているようだから、「ホピの国の歩き方」について「ホピ文化保護局(Hopi Cultural Preservation Office)」で得られる情報を下敷きにして、すこし書いておこう。

ホピの国はよく沙漠という水のない海のなかに浮かぶ島にたとえられる。もちろん飛行場なんてものはない。昔さながらに、徒歩とか馬とか馬車なども考えられなくはないが、一番現実的な行き方は自動車だろう。一番近くにある飛行場はアリゾナのフラッグスタッフ(FLAGSTAFF)である。およそ半日のドライブ。ニューメキシコのサンタフェ(SANTA FE)からだとまるまる一日はかかるかもしれない。途中でをいろいろ見て回るのなら、ホピの国まで2日はみておいた方がいい。

ホピの国は、3つのメサと呼ばれるテープル状台地によって分けられている(地図)。それぞれの呼び名は「ファースト・メサ」「セカンド・メサ」「サード・メサ」だ。それぞれのメサの麓をつないでいるのがアリゾナ州の州道(ステイト・ハイウエイ)264号線である。最も東に位置するのがファースト・メサでサード・メサが西側に当たる。それぞれは「メサ」の呼び名であるが、地名としてはその切り立った崖の麓のエリアをもふくんでいる。

ファースト・メサ
メサのうえには3つの村がある。ハノキ、シツォモビ、そしてワルピ。ハノキに最初に住み着いたのはニューメキシコから移住してきたリオグランデ・タノア語を話すプエブロの人たちで、それは1680年のプエプロ大蜂起の直後のことだった。すぐ近くのシツォモビはホピの人たちの村で1750年に創設された。すこし離れたところにあるワルピは1690年につくられた。ファースト・メサの3つの村は棒状の粘土を手でまいて作る焼き物を生み出すことで世界的に有名である。

セカンド・メサ
セカンド・メサは3つのホピの村の複合体である。ムスンヌビ、スパウロビ、ソンゴパビの3つの村だ。「ミションナビ」とも発音されるムスンヌビと、「シパウラビ」とも発音されるスパウロビのふたつの村が、メサのうえを東と西に分けている。セカンド・メサから降りたところにセカンド・メサ・ストアストアという雑貨屋があり、そこからさらに数マイル西に離れたところに「ションゴポビ」とも発音されるソンゴパビの村がある。もともとソンゴパビはメサのすぐ麓のところにあったホピの人たちの村なのだが、1680年のプエプロ大蜂起の後に現在のところに移動した。この村は銀細工の巧みさで有名である。

サード・メサ
北アメリカ大陸で最も長きにわたって人が住み続けている村のオライビはサード・メサにある。キコツモビ、ホテビラ、バカビも同じサード・メサに位置する。このサード・メサから40マイルほど北西のチューバシティのそばにあるモエンコビという名の、ホピの人たちの村のなかでも一番西に位置する村も、現在の場所に移動してくる以前はサード・メサのなかの村のひとつで、オライビ村の飛び地のようなものと考えられている。キコツモビにはホピ部族の政治の中心である部族政府が置かれている。

一応政治的な中心が部族会議にあるというものの、ホピの村々は村ごとにはっきりと分かれていて、それぞれが集団として自治を行っている。どの村も車の駐車場がはっきりと限定されているので注意が必要だ。どこに車を駐車すればよいのかがわからない時には誰かに尋ねること。どの村にも村にはいるからには守らなくてはならない規則があって、場合によっては村の中でおこなわれる宗教的な儀式に観光客の立ち入りを認めていないところもある。もしそのような規則が事前に伝えられていたら、ホピの人たちの願いを聞き入れて、彼らのプライバシーを守り、無理矢理村の中に入っていかないこと。

ホピの村を訪れる時には礼儀をわきまえよ

相手が観光客であれなんであれ、窓越しに家の中をのぞき込んだり、かってに家の中にずかずかと入っていくことは、きわめて無礼なこととホピの人たちは考えている。ホピの村は「生きている博物館」ではないのである。そこはあくまでも個人の土地であり、ホピの土地を訪れているあなたは個人の家の「客人」にすぎない。過去に訪問者が勝手気ままに振る舞ったことが、村への立ち入りを規制することにつながったことがあることを忘れないようにしよう。

ホピの人たちの共同体に迎え入れられること、それも彼らの宗教儀式の場に立ち会えることは、彼らの特別な計らいによるものである。それは観光客の権利などではない。せっかく与えられた機会を台無しにしてしまわないように、訪問客はやってはいけないことにたいして心の底から配慮しなくてはならない。彼らにたいする敬意が十二分に払われてさへいれば、あなたはホピの人たちの暮らす世界で学ぶこともたくさんあるだろう。やってはいけないことというのは、人の道に反するようなことは当然のこととして、改めて注意を喚起しておきたいのは以下の点である。

なんであれ記録は一切とるべからず

個人の家の中は当然のこと、ホピの村の中でも、村の外でも、ホピの国に入ったらどこでもいかなるかたちであれ記録することは原則として禁じられている。記録のなかには、写真撮影、ビデオ撮影、録音、スケッチ、ノートを取り出してメモをとることなどが含まれている。とくに儀式が行われている場においては、そのような行為は厳禁である。

ホピの人たちのところに訪れる機会を得たら、ふたつの目とふたつの耳を使ってよく見て、よく聞いて、頭と心にそれらの情報を焼きつけるようにすること。ホピの村で見たり聞いたり、そしてあるときには特別な許可を得て記録したものを、ホピ文化保護局(Hopi Cultural Preservation Office)に事前に相談することなく、あるいはエルダーから直接の許可を得ることなく本などにして公開することは搾取と考えられている。まだホピ文化保護局など存在しなかった時代に『ホピの書』を著したフランク・ウォーターズも、伝統派の長老たちから非難され続けた。

arrow4Hopi Cultural Preservation Office Home Page


techqua_wheel儀式の場に立ち会うのは権利ではなくて光栄なこと

情報が時代をリードするようになって「知的財産」という言葉もしばしば耳にするようになったと思う。「著作権」という法律用語もある。はっきりいえることはここ何十年にもわたってホピの人たちの「知的財産」は、ホピではない人たちによってまるっきり守られてこなかったということである。観光客や学者やジャーナリストが隠し撮りしたホピの儀式のビデオのコピーや、録音された儀式のダンスの音楽が勝手に売り出されたこともある。ダンスの衣服がなにひとつ相談されることなく写真に撮影されて同じようなものが市場で売り出されていたこともある。彼らのものをホピの土地の外で公開するには彼らの許可が絶対に必要である。一例をあげるなら、かつてランド・アンド・ライフが刊行した「ホピ物語——生命の始まりから浄化の日まで」という小冊子は、ホピのエルダーが「ホピの教えを売ることは自分の母親を売ることに等しい」と言われたとおり、はじめから値段がつけられていない。今ではコンピュータでもダウンロードして読めるかもしれない。しかしそれはただではないのである。それを読んだ人は、彼らの知的財産に敬意を払う意味でも、自分にできる範囲で応分な寄付をホピの人たちに送らなければならない。ホピの儀式の写真を書物のなかで公開する時には文書による許可が必用である。ホピの窯元の匠たちが作り出したデザインの多くがホピでない人たちによってコピーされて商品化されてきた。彼らが神聖なものとしているカチーナの人形は今も希少価値から高額で売り買いされているが、そうやって売買されるカチーナ人形のなかにも、ホピでない人たちがホピの儀式を見て自分勝手に作ったものが混ざっていたりする。

ホピの行う儀式というのは、常に万人の利益になることを願ってのものなのではあるけれど、そこでいう利益は、伝統的な儀式そのものが適正に守られて行われることが前提になっている。ホピでない人が、ホピの人の許可を得ることなく、ホピのものを用いて個人的な利益を求めることは、ホピの人たちの知的財産を侵害する行為とされてもおかしくない。ホピの世界に触れる時にはいつでもこの問題がついて回ることを念頭に置いておいていただきたい。

(「ホピの国の歩き方」の最初に掲げられているセカンド・メサにあるワルピ村の写真は、エドワード・カーティスが撮影した。メサのうえに家が並んでいるのだが、遠くからだと見分けがつかないくらい風景にとけこんでいる。20世紀の初頭に撮影されたものだが、遠景は今もほとんどかわっていない。Northwestern University Library, Edward S. Curtis's 'The North American Indian': the Photographic Images, 2001. )


着ていくもののこと

もしもホピの儀式に参列する栄誉が与えられた場合、友人の結婚式や家族で行う儀式同様に、着ていくものには考慮を要する。いくらホピの土地がアメリカ南西部の沙漠の中にあって昼間は気温が30度を超すことがあるからといって、やはりショートパンツやミニのスカートは避けるべきだろう。せめてロング・パンツやロング・スカートぐらいは身につけていきたい。それに南西部の沙漠は昼と夜の気温の差が大きいので、重ね着の出来る長袖のシャツや、ロング・パンツやロング・スカートは必ず持って行った方がいい。冬には当然ながら暖かいコートも必用になる。それから歩いて村のなかを回ることになるわけだから、日焼け止めは欠かせない。

儀式をさえぎってはならない

まずあらかじめ書きとめておかなくてはならないのだが、ホピの人たちが月の満ち欠けにあわせて行うすべての儀式が一般に公開されているわけではない。これだけはよく頭に入れておいていただきたい。儀式の場にいくと、なかにはいることを許されている人たちが書き出されて、張りだされていることがしばしばある。そうしたサインが出されていない場合でも、村の雑貨屋などで尋ねるか、それぞれの自治会に確認をとるべきである。一般に公開されている儀式の場においては、その場に居合わせた人たちが守らなければならない規則は当然ながら守らなくてはならない。

相手がめでたい結婚式をしているのに、彼らの祭壇に不用意に近づいてあれこれ質問をしてひんしゅくを買っていても、そのことに自分ではまったく気がつかない人たちもいる。ホピの人たちの儀式が行われている時には、それがいかなるものであれ、身勝手に儀式に割って入ったり、中断させたりするような真似をしてはならない。

いろいろタブーがあってややこしいのだが、おぼえやすくて簡単な決まり事としては、たとえ招待してくれる人があった場合でも、最も神聖な儀式が執り行われているキバ(地下の神聖空間)のなかにわざわざはいることは、遠慮すべきである。キバの入り口の周りに踊りを踊る人たちや行進をする人たちがいたりするから、その人たちのところにとどまっているのがよいだろう。自分がいっかいの見学者であることをくれぐれもよくわきまえること。それ以上の存在でもそれ以下でもないのだ。その場に偶然居合わせたことだけでありがたく思い、ひとりで目立つようなことがあってはならない。

触るなということ

それがなんだか自分には理解できないものが目の前にあったなら、絶対に手で触らないこと。それがなんであれ。アメリカ南西部の沙漠には、ホピに限らず、いくつもの、ヒスパニック系や、ネイティブ・アメリカン系や、アメリカ南西部で生活をしているさまざまに文化的な背景のある「聖なるもの」があったりする。ハイウエイの路肩に置いてある、事故で死んだ愛する人をしのぶ記念品などにも、触ってはいけない。聖なるもののすべてが、誰にでも見分けがつくとは限らないのであるから。

ホピの人たちの精神性、スピリチュアリティーは、彼らの日常的な暮らしと密接に結びついている。あなたにとっては見慣れたなにかであろうと、それを祈りと共にそこに置いた人にとってはとてつもなく意味のあるものかもしれないのである。神聖なものにあたえられている神聖さを打ち壊すような真似は、これをしてはならない。沙漠の中などに、ホピの人たちが持ち寄ってさまざまに置いてあるようなものを万一見つけたときも、いきなりそれを手に取りあげたりするのではなく、それを捧げ物としてそこに置いた人の気持ちにたいして尊敬を払い、視線を他に移すこと。

ホピの国を訪れるときになにを持って行くか
たとえばあなたが今年の夏にホピの土地へ訪れる計画を立てているとしよう。その場合にはあらかじめいくつか知っていなくてはならないことがある。ひとつ、飲み水をたくさん持って行くのを忘れないこと。ふたつ、日焼け止め。強烈な太陽だけでなく、空気が信じられないぐらい乾燥しているから。みっつ、長時間歩くのにふさわしくて快適な履き物。ホピの村のなかはどこも乗り物で移動することが禁止されている。

冬にホピの土地へ訪れる場合には、暖かな服を忘れないこと。とくに夜は思いの外冷える。メサのうえは風が強くて身を切るような寒さだ。使わない時には車のなかに置いておけばよいのだから、上から着れるダウンのコートなどがあった方がいい。

ホピの国で泊まれるところ
ホピ・インディァン・リザベーションのなかには宿泊施設が2カ所しかない。一件は東側のはずれにちかいキームス・キャニオンにあるホテル&モーテル(The Keams Canyon Hotels & Motels)で、もうひとつはセカンド・メサにあるホピ・カルチュラル・センターに付随するテックスメックスというかプエブロ風のイン(The Hopi Cultural Center Inn)である。

キームス・キャニオン・モーテルは部屋数が24、カフェとギフトショップがある。どちらかというとアメリカ中を旅して回るトラベリング・セールスマンたちの定宿といったおもむき。ホピ・カルチュラル・センター・インは部屋数が33、レストランと博物館、キャンプ場もある。こちらはエキゾチックで、いかにもホピの国の真ん中という感じがたまらない雰囲気をかもしだしている。ホピの土地のまんなかでキャンピングカーを駐車して宿泊できるのはここだけ。

どちらのモーテルも、夏場はかなりの混みようだ。ホピの国を訪れる1ヶ月前までには予約を入れておくことを強くおすすめする。

pueblo"The Hopi Cultural Center Inn" Home Page
"The Keams Canyon Hotels & Motels" Home Page

その2カ所以外に宿泊施設があるのは近郊のチューバシティ、ウインズロー、フラッグスタッフといった北アリゾナの町であり、いずれの町からも、半日から丸一日のドライブを覚悟しなくてはならない。

ホピの国ではどこで食事ができるのか
食事のとれる施設がリザベーションのなかにはいくつかある。キームス・キャニオン・ショッピングセンターにはカフェがある。セカンド・メサにあるカルチャー・センターのショップのなかには小さなレストランが、カルチュラル・センターのなかには大きなレストランがあり、大きなレストランでは、いわゆるアメリカン・スタイルの食事以外に、ブルー・コーンでつくられた紙のようなパンであるピキ・ブレッドなどの伝統的なホピの人たちの食事も味わうことが出来る。

またそれぞれの村には、観光客に有料で伝統的な食事を出してくれる家もあったりするし、軽食であれば、各村の村営ショップや個人経営のコンビニで購入も可能であるが、そうしたショップをはじめての観光客が見つけられるとは限らない。

ホピの国のその他の施設

リザベーションのなかにガソリンスタンドは5カ所。南からのぼる場合、最初のスタンドはキームス・キャニオンになる。マギーの店とカフェに隣接している。2つ目のスタンドはポラッカのサークルMというコンビニにある。3つ目はハイウエイ264とハイウエイ87の交差点から4分の1マイルほどのところで、ここには修理工場もある。4つ目のスタンドはキコツモビ村のなかに、5つ目はホテビラの生協(コープ)にある。ホテビラから50マイルほどのチューバシティにもいくつかスタンドがある。

ギフト・ショップ
リザベーションのなかのハイウエイ264に沿っていくつかギフト・ショップがあり、ホピの工芸品を購入できるが、壺だとか銀細工などは村人の家で直接購入することもできる。そういう工芸家が個人ギャラリーを構えている家には、「土器売ります("Pottery sold here")」とか「カチーナ人形販売の店("Katchina dolls sold here")などと描かれた看板が出されているので、訪れてみる価値がある。

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Comments

知的財産権のこと、読みました。
書いてくださってありがとうって言いたいです。
まだ勉強中ですが、耕平さんと同じ考えで自分なりに
がんばっているつもりです。

ホピに限らず多くの貧しい手工芸や伝承技術を生業にしている民族に対し、先進国が侵略ではなく
保護をすること・・・に変化していったら、何か
違う素晴らしさがうまれるのでは?と自分でものを
作りながら思うんです。

今のままでは、彼らの技術や儀式、お話しは
略奪のようにコピーされ、知識のない
ものは貧しいままになっていくような気がします。

私達日本人は、白人に良く似た商売の上手な
インデイアンなので、新しい道を上手に使えるの
では?と思います。

北山さん、これからもがんばってくださいね。

Posted by: 信珠 | Saturday, March 12, 2005 at 08:53 AM

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