ネイティブ・アメリカン・ホロコースト・モニュメント計画
「これだけはなんとしても後世に伝えたい」と語っているのはブライアン・ウイリアムズさん。サウスダコタのベブレンという町に暮らすサンテ・スーの人間だ。彼が父親のラルスと、仲間のミルトン・クインさん(同じくスーのなかのシセトン一族)の三人で計画しているものは、しかし単に一族の歴史だけでなくて、ネイティブ・アメリカンの大虐殺を未来永劫まで伝えるための--ピラミッドのような--モニュメントである。その名をネイティブ・アメリカン・ホロコースト・モニュメント(Native American Holocaust Monument)という。
「ホロコースト」というのは第二次世界大戦において推定で600万人のユダヤ人が殺されたことを指すのだが、ブライアンさんは「アメリカの先住民も同様の運命をたどったのである」と声明文に書いている。「われわれもまたこの大陸においてホロコーストを経験した。一族のものはこの事実をけして忘れてはならないし、それは永遠に歴史にとどめておくべきものだ」と。
アメリカ先住民の大虐殺を後世に伝えるための記念碑はレイグ・トラバース居留地(サウスダコタ)に建設される予定だが、同じ州のフランドルー(Flandreau)、もしくはヒューロン(Huron)のふたつの町も候補地にあげられている。記念碑は計画段階にあって完成に向けての計画も予算もまだなにもきまってはいない。
ブライアンさんの父親のラルスによれば、このメモリアルのことは「12年ぐらい前からああだのこうだのと考え続けてきたこと」だそうだ。彼のヴィジョンでは、記念碑の中心は建物にすると20階建てほどの大きな女性の立像になる予定で、彼女は両腕に赤子を抱えている。この女性が抱えている赤ん坊は、クリストファー・コロンブスが訪れて以来命を落とした何千何万という子供たちを象徴しているのだという。
その女性を中心に四方を囲むように、四つの方角にそれぞれひとつづつ建物が建てられる。これら四棟の建物にはネイティブ・アメリカンを代表する四人の偉大なチーフの肖像が掲げられることになっている。
ミルトン・クインさんによると、ひとびとがそこでモニュメントと自分の人生をゆっくりと考えられるように、「癒しの庭(ヒーリング・ガーデン)」の建設も予定されている。ラルスさんははさらに38の首つり縄を金属で作って展示することも考えているそうだ。それらは「1862年にミネソタ州のマンカトという町で見せしめのために一度に公開で首つり処刑された38人のインディアンを象徴しているのだ」と息子のブライアンさんが説明した。
彼はこのモニュメントをゆくゆくは先住民の文化と彼らの抱えている問題について学んだり出来るようにしたいと考えている。計画にはすべての北米先住民の部族から提案や意見を受け付けているし、インディアンのアーティストや建築家の参加も歓迎しているという。現在三人は資金集めのための寄付金募集に奔走している。
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