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Wednesday, March 16, 2005

ネイティブ・ピープルの道

3pueblosbeforeafter
写真解説 カーライル・インディアン工業学校 (Carlisle Indian Industrial School,1879 - 1918) という、捕虜にしたインディアンの子供たちに強制的なアメリカ人化教育を施すための寄宿学校で、20世紀初頭に撮影された写真。左と右の写真に写されている3人はまったく同じプエブロの少年たちである。ビフオア・アンド・アフター。この「文明人教育」を行う学校はペンシルバニア州にあった。


つてわたしは自分が書いた最初の本である『ネイティブ・マインド』(地湧社刊 1988)のなかで「日本列島で日本人をやっているわれわれがルーツを失ったインディアンである可能性」について言及した。これは、今のアメリカという国で同じようにルーツを失ってインディアンをやっている遙かなる兄弟姉妹たちを長く見続けてきてのひとつの結論だった。おそらく今から一世紀ほど経つと、北米大陸のほとんどの先住民たちがすっかりアメリカ人やカナダ人となって、それぞれのルーツをあらかた喪失してしまっているかもしれない。無論そうならないことを祈りたい気持ちは山々だが、現実はその方向に向かっている。しかし、とはいえ国家による徹底したアメリカ人化教育が政策として推し進められるなかでも、「インディアンであるとはどういうことかを学びなおそうとすする動き」がまったくないわけではない。近年ではそれが西洋文明の良質な部分を巻き込んでひとつの文化的な潮流にすらなっている。この「ネイティブであることを学びなおす作業」は、およそ千年ほども前に差別を巧みに操る日本人化教育がはじめられたために「すっかり自分が誰か」をわすれてしまっているわれわれにも必ず役に立つものであるだろう。それはまた、一切の聖なるものが失われかけて、世界で最も大地を汚し続けている自分のなかのインディアンの部分(われわれがこれまで目をそらし続け、なんとか忘れようとしてきたもの)と出会うことにもなり、いずれそのことがこの列島に、再び自然を呼び戻す引き金となるかも知れないと考えたからだ。

ネイティブであることを学ぼう

  • わたしの考えるネイティブ・ピープルの道とは、地球に生きるひとびとのはるかなる遠い祖先がそうしていたように、自分が何者であるのかを自分で見つけ、自分が誰であるかを知っていく道である。文化的、社会的、人種的な背景がいかなるものであれ、人は誰もがほんとうの自分を、自分が誰であり、なにであったかを誇りにすることを学ばねばならない。と同時に、われわれは他の文化や、ネイティブの人たちを理解し敬う必用もあるだろう。

  • ネイティブの道のうえで自分を見つけることは、これまでとは異なる文化的な視点から人生をながめる機会を与えられることである。ネイティブの視点から物事の優先度をきめはじめてみよう。ほんとうに大切なものはいったいなんだったのだろう? われわれは大切なものを失いかけてはいないだろうか?

  • ルーツを失った根無し草の個人という観点からではなく、ひとつのスピリットによってつながっている集団、もしくは拡大家族のひとりとして自分を見つめなおしてみること。

  • われわれはなぜここにいるのか? 自分がほんとうはどこの土地に根を生やしているのかの探求をはじめよう。これまで教えられてきた自然よりも国家を愛するように仕向けるための歴史を、ネイティブの視点から、自然であることにたどり着くための歴史として、自分のスピリットがつながっている大地のことを知るための歴史として、もういちどていねいに見直す作業が必用となる。どこかに置き去りにしてきているものはないか?

  • われわれがもともと持っていた文化の多様性を理解することは、ネイティブとしての自分を知るための道である。われわれはみな同じなのではない。われわれはそれぞれみなちがっていて、それがわれわれを特別なものとし、ある種の美しさをも与えていたのだ。

  • われわれとは誰か? どのような人間なのか? ネイティブ・ピープルの哲学や信仰や政治的な信念を、それぞれが学ぼう。そうしたことを通してわれわれは自分と自分の可能性についてさらに深く理解できるようになるから。そして同じ道のうえをわれわれよりも以前に進んでいった人たちにたいして頭と心がひらくようになるから。

  • 自分の身体のなかを流れている血をさげすんではならない。その赤い血は、最初に風が吹いていたところがどこだったのかをわれわれに教えてくれている。一切の名前が奪われるくらいに遠い昔のことかもしれないが、手を太陽にかざしてみればそこに風の道、ネイティブの道が見えるだろう。その道のうえを伝って今に残っている個人的な容姿や性格を卑しんではならない。

  • 自分たちのものとされている創世神話を学ぼう。それはほんとうに自分たちのものなのか? いつの間にか別の神話にすり替えられていたりはしないのか? 世界各地のネイティブ・ピープルに残されている神話や伝説について学ぼう。その中に違いや共通するものを見つけよう。あらかじめ物語を失われていたわれわれには、新たな物語を作り出す必要があるのかも知れないから。

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