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Tuesday, March 29, 2005

力の集まる場所と Mount Fuji

sacredmt日はネイティブ・アメリカン・メディスンの中核にある「力の集まるところ」と「聖なる場所」についてすこし考えてみたい。ネイティブのエルダーたちは、偉大な創造主がそのような場所をつくられたのには当然ながら理由も意味もあるのだといっていた。太古より伝わる神話や物語によれば、そうした「力の集まるところ」は、スピリットたちや「神々」とされる存在がもともと住んでおられる場所であるとされてきた。さらに時代が新しくなると、それだけではなくて、人が「すべての生命を貫いて流れている偉大な霊」と——相手が実際に目で見える見えないにかかわらず——直接にコンタクトをとるためにおもむく場所のことも、そうした場所にふくまれるようになってくる。いずれにせよそれらの場所は神聖とされ、「聖地」と呼ばれる。そうした場所は、であるからこそ、じゅうぶんに敬われ、守護され、保護され、正しい取り扱い方をされなくてはならないのである。

聖なる惑星 地球

そうした「聖地」「力の集まるところ」にはどういうところがあるだろうか? ふむふむ、エジプトのピラミッド、ストーンヘンジ、シナイ山、天空都市マチュピチュ、マヤの神殿、ラコタの人たちのブラック・ヒルズ、キリマンジャロ、ヒマラヤ、アルタイ山脈などなど、地球上には実に沢山の聖地が存在する。小さいのも大なのも、高地にあるものも低地にあるものも、与えられる力がポジティブなものもネガティブなものも、ニュートラルなものも、その両方を備えたものまで、聖地はさまざまである。それらはとてもじゃないがここに書ききれないぐらいあるはずだ。地球という星のそれぞれの地域環境には、それぞれの自然と適応したシャーマンやメディスンマンがいて、それぞれに独自の力の集まる場所から力をもらい受けてきた。これこそ地球が「聖なる惑星」といわれるゆえんでもある。

では北米大陸(亀の島)に目を移してみよう。アメリカ・インディアンの人たちが聖地だと考えている場所として、わたしが知り得たところをいくつかあげてみる。ことわっておくが、これはそうした場所のすべてをリストアップするための場所ではない。あくまでも小生が自分の人生において知り得たいくつかの場所を書き記すにすぎない。したがつて××××がないからといって、お怒りのメールをいただいても困りますからね。では以下がそのリストだ。

ここでもうひとついっておかなくてはならないことは、こうした聖地、あるいは力の集まる場所は、単にそこへ行けば力がもらえるといった単純でない場所も存在するということである。例えをあげると、シャスタ山やセント・ヘレンズといった山、それもえてして特別に偉大な山は、地域のネイティブ・ピープルはこれまでけしてそこに登ってヴィジョン・クエストの儀式などをしてはこなかったということがあげられる。それはなにも先住民たちの登山技術が現代のそれよりも劣っていたという理由ではなく、彼らにはその頂の場所が持っている力がいかなるものなのかを「理解」されていたからに他ならない。彼らがその場所で力やヴィジョンを求めなかった理由もまさしくそこにある。

ネイティブ・ピープルがすべての偉大なる山をスピリットたちや神々の住まうところと認識しているわけではなく、山によってはそこを大地のスピリットそのもの、最高霊の顕現と見ている場合も多々あるからである。やさしくいうなら、そここそが創造主がときどき住まわれるきわめて特別な場所であり、あまりにもパワフルであるがために人間はそこに立ち入ってその存在の邪魔をしてはならないとされてきたわけ。人間はそこに分け入ることが許されるくらいに純粋な存在ではないということが、少なくても彼らにはわかっていて、畏れを知っていたのだな。

本州最大の聖地

それではわたしたちの国土に目を移してみる。世界中の圧倒的多数が日本の聖地として認識しているのは「富士山」である。これ以外にはない。「伊勢」「熊野」などを知っている西洋人と日本以外で出会ったことは残念ながらまだない。いわんや他の山々をや。きっとわれわれの多くが暮らしている本州島最大の聖地が富士山であることは、間違いがない事実なのだ。WPPD2004(せかいへいわといのりの日)が昨年に富士山でおこなわれた最大の理由もまさしくここにある。

日本列島の本州に暮らす人間にとって「聖地のなかの聖地」と呼べる場所があるとすればそれは富士山であり、富士山の今の有様を見る人が見れば、そこに暮らしている人たちの心の状態も生き方も手に取るようにわかってしまうのである。昨年世界各地からネイティブの人たちが富士山にやってきたとき、これまでのわれわれの聖地の敬い方、守護のしかたが改めて問われたのである。われわれはこれまで富士山と正しいつきあい方をしてきたのだろうか? あのとき、巨大な石のメディスン・ホィールが出現したそこに日本列島各地から集まった3000人近くの人たちは、聖なる土地、力の集まる場所のもうひとつのリアリティを体験することが出来たと、今のわたしは信じている。

こう書くとおかしいかも知れないが、富士山が「日本人によって富士山と呼ばれる以前」から特別な御山だったことはおそらく誰もが認めるところだろう。おそらくはそこは人間が登るべき山ではないと日本列島の先住民たちは考えていたに違いない。マウント・フジは、母なる地球のスピリットそのもののあらわれであり、御山が誕生して以来長い間そこには登ることが神に許されなかったと想像される。

聖なる山とのつきあい方

日本人と富士山の関係はごく最近に、ほんの1000年ほど前にはじまったにすぎない。なにしろ富士山らしい山が日本国の記録にはじめて書きとめられるのは781年のことである。それはまさに東の国にアテルイという蝦夷のチーフが4千人もの戦士を引き連れてがんばっていた時代であった。公式文書で実際に「富士山」という名前が使われるようになったのはそれから20年がすぎたころの本格的な大きな噴火からでしかない。つまり日本国は、おおやけには8世紀になるまで富士山の存在を知らなかったか、富士山が自分たちの国のなかにある山だとは考えていなかった可能性が高い。富士山山頂まで、いろんな理由をつけて人が登りはじめたのもそのくらいのころからだったろうと想像される。

それ以前、富士山がどんな山の名前で呼ばれていたのか、いかなる集団の人たちがそれを敬い守護し保護してきたのか、われわれは知り得ない。そこにいかなる神々が住まわれていたかを伝える物語も、われわれにはない。8世紀以後につくられたもっともらしい話がいくつか残っているだけである。富士山が昔から日本人の心のシンボルだったなんて偏狭な国粋主義者の世迷い言にすぎないのではなかろうか。もし百歩譲ってその言葉を認めるのなら、演習と称して平気で富士山に向かって日々、大砲の弾丸を幾発も発射し続けている軍隊を持つ国は、自らの心に向けて大砲を撃っていることに他ならないではないか。そんな聖なる山ってありなのか?

富士山と呼ばれている山は、もともとは地球に生きる人たちにとってこそ「神の住まう山」だった。日本列島の母なるスピリットと自分を結びつけるためには、その地平からもういちど富士山の今を見直さなくてはならないときがきているのかもしれない。はたしてわたしたちのマウント・フジの扱い方に敬意はあるのだろうか? おそらくそれがわれわれと富士山の新しい関係を築くための出発点となるだろう。昨年の5月21日、夏至の日の富士山朝霧高原で、そこに集まった人たちは、嘘のように優しくも強力な台風(神風)の嵐の中、富士山が地球的なスケールにおける聖地であることをはっきりと確認したとわたしは信じている。あらためてあれはものすごい体験だったと、今日は書いておくにとどめよう。いくつもの偶然が重なって、あの日あの場所にいれたことを、御山のスビリットにわたしは感謝している。

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