1988
この年、1988年は、ホピの平和宣言を起草したトーマス・バニヤッカ氏がはじめてホピ国のパスポートで日本に入国を果たした年であり、小生が最初の本『ネイティブ・マインド−−アメリカ・インディアンの目で世界を見る』を上梓した年でもあり、8月8日に八ヶ岳で——888の8の年 Yeah!——いのちの祭りが行われた年であり、またアメリカ合衆国議会が先住民の文化を守ることを謳った「国際文化生存法」を通過させた年でもある。ではその「国際文化生存法」の一部をお読みいただこう。とても素晴らしいことをいっているのだけれどねえ。
「先住民族は、自然や人間、そして両者のバランスのとれた関係について豊富な知識を持つ。スピリチュアルな世界についての彼らの考え方から、熱帯雨林、治癒、農業などについての伝統的知識にいたるまで、彼らの社会は、世界やわれわれ自身に関する新しい解釈のための機会を提供する。しかし、こうした先住民族の多くが、現在、深刻な差別、人権の否定、文化的・宗教的自由の喪失、そして最悪の場合、文化的・物理的な破滅にも見舞われている。世界中の数多くの場所で、こうした傾向が続けば、人類の文化的・社会的・言語的な多様性が急速に失われて、取り返しのつかないことになるだろう。文化的・社会的・宗教的・芸術的な表現の測り知れぬほどの豊かさはいうをおよばず、文書化されていない生態学的・生物学的・薬理学的な知識の膨大な宝庫さえも、失われることだろう」−−アメリカ合衆国議会 「国際文化生存法」その一節
また1988年は、スイスのコンピュータ・サイエンティストがワールドワイドウェブを考案する前年にあたっていた。余談だがわたしが知っている限り、アメリカ・インディアンの人が最初にホームページを立ちあげたのは翌年の1989年のことだ。確か「APACHEPASS(アパッチの抜け道)」という名前だった。現在ではネイティブ・アメリカンの人が運営するサイトも無数にある。生き残っているすべての部族がホームページを持っているといってもいいだろう。網の目とはよくいったもので、インターネットの世界ではネイティブ・ピープルはことのほか元気である。蜘蛛の網の目のごとく地球を覆い尽くしているインターネットこそは自分たちの声を世界に伝えるために彼らが手にした最初のメディアだったと言えるのかもしれないう。
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私は「虹の戦士」プロジェクトというボランティア団体を発足したものです。このプロジェクトのコンセプトは、大好きなこの町を、この国を、この地球をもう一度取り戻す為に僕達に出来る事を何でもやってみようと、試みるものです。私は去年のWPPDのイベントに感動し、虹の戦士という本に心を打たれ、虹の戦士たちという本を読みながら仲間達と「虹の戦士」プロジェクトを遂行しています。3月には新潟へ行き、救済活動を行いたいと思っています。ここまで、これたのも北山さんの影響があり大変、感謝しています。是非、一度聞いていただきたい事がありここに投稿しました。北山さんと連絡を取ることを強く願っています。090-5283-3380
Posted by: 大盛 良一 | Thursday, February 24, 2005 07:07 AM