縄文時代のコメ栽培
読売新聞 (2月18日)が「縄文前期地層から稲の細胞化石、新たな起源論争も」という記事を配信している。稲作の起源が縄文時代前期にまでさかのぼるというものだ。おそらく陸稲とされるものなのだろう。それも焼き畑農耕によるものかな。焼き畑農耕は「火」→「穀」→「森」の循環からして、すべてが輪によって構成されているネイティブの人たちのライフスタイルにかなっていたようだから。ちなみに今なお焼き畑による陸稲づくりにこだわる中国雲南省の先住民で人口17000人ほどの基諾(ジノー)族の農耕について報告している河北新報の「焼き畑(下)——伝統を生かす道探る」という記事(1998年の特集「オリザの環」の一部)はおもしろい。水田稲作によらないコメ作りが形作っていた生活様式に興味津々です。問題の読売新聞配信の記事は以下のようなもの。
岡山県灘崎町の彦崎貝塚で、約6000年前(縄文時代前期)の地層から、稲のプラント・オパール(細胞化石)が出土したと、同町教委が18日、発表した。同時期のものとしては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石の量が大量で、小麦などのプラント・オパールも見つかったことから、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が初めて裏付けられる資料」としている。しかし、縄文時代晩期に大陸から伝わったとされるわが国稲作の起源の定説を約3000年以上もさかのぼることになり、新たな起源論争が起こりそうだ。
史跡整備に伴って発掘した際に採取した土を分析したところ、地下2・5メートルの土壌から、土1グラム当たり約2—3000個に達する稲のプラント・オパールが見つかった。これは朝寝鼻貝塚の数千倍の量に当たる。
主にジャポニカ米系統とみられ、イチョウの葉状の形で、大きさは約30—60マイクロ・メートル(1マイクロ・メートルは1000分の1ミリ)。小麦、キビ、ヒエ、アフリカ原産のシコクビエやコウリャンなども少量見つかった。
これに対し、西本豊弘・国立歴史民俗博物館教授(環境考古学)は「プラント・オパールは非常に小さく、古い時代の地層に移動するのは普通」として、年代測定などとのクロスチェックの必要性を強調している。
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