50歳をすぎて大人になる
せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。北山耕平 拝
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Comments
30歳はなんていうんですかね。論語もチェロキーの人も。今度教えください。
Posted by: janleno | Saturday, January 29, 2005 12:26 AM
30歳は「而立」といいます。「じりつ」出典は論語で「三十にして立つ」から。自分の立場ができあがるという意味だとか。チェロキーにとっては51以前はみな子供なんじゃないだろうか。ラコタの人なんかは、青春期を「オユムニ」という。これは「放浪の時」を意味する言葉で、実際に世界を広く見て回る。いつ終わると言うことはなくて、終わるときがくれば終わるわけ。彼らにとってはこの時期いろいろな経験をしながら放浪するのが学校みたいなものだったんだね。ちなみに小生の放浪の時は、26歳から37歳ぐらいまで続いた。
Posted by: Kitayama "Smiling Cloud" Kohei | Saturday, January 29, 2005 12:45 AM