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Sunday, January 30, 2005

ローリング・サンダーへ

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Saturday, January 29, 2005

はんぶんの毛布(再話)

THE OTHER HALF OF THE BLANKET

モホーク族に伝えられたおはなし

モホーク族●ナイアガラの滝をくだってニューヨークまで流れてくるハドソン川の流域の森で暮らす人たちです。アメリカとカナダの国境にまたがるように独立した自分たちの国を持っています。


かし あるところに とてもとしをとったちちおやと くらしている おとこが いました。おくさんと こどもがひとりいて、ちいさな こやで よにんで くらしていました。

でも じぶんの ちちおやとはいえ としおいていく じいさまの せわをすることに おとこは だんだん つかれてきました。

じいさまは としを とりすぎていて からだも よわくなり はたらくことも できません。おとこは かんがえました。

「こんな やくたたずが そばに いても あしでまといに なるだけじゃないか」

そこで あるひのこと おとこは としをとりすぎた じぶんの ちちおやを どこかに すててしまう ことにきめたのです。

おとこは うまれてから まだ はちかいしか ふゆを しらない おさない むすこを よびつけると じいさまを すててくる しごとを いいつけました。

「いいか、じいさまを どこかもりのおくの とおいところまで つれていって そこに おきざりに してこい」

おとこは それから いちまいの もうふを てに とると それを しょうねんに てわたして、

「もりのなかで じいさまと わかれるとき この もうふを じいさまの かたに かけてやれ」

wearing_blanketしょうねんは なにも いわずに もうふを つかむと じいさまの てをとり もりのなかへ ふたりで はいっていきました。



りの おくで、しょうねんは じいさまを あめやかぜの あたらないところに すわらせると、そこで もってきた もうふを はんぶんに きりさきました。

きりさいたもうふの はんぶんで じいさまのかたを つつむと、しょうねんは もうはんぶんの もうふを もって いえに かえりました。

むすこが もうふの はんぶんを てにして こやにはいってきたのをみて おとこが いいました。

「なんで もうふの はんぶん なんか もって かえってきたのだ?」

しょうねんは こたえました。

「とうさんが としを とって ぼくが もりの おくに つれていったときに これを かたに かけてあげようと おもって」

おとこには ことばもありませんでした。しばらく かんがえてから こういったそうです。

「たしかに そうだったな、むすこよ。わたしが わるかった。もういちど もりのおくへいって じいさまを いえにつれて かえってこい」

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Thursday, January 27, 2005

アメリカ・インディアンとエコロジー

メリカ・インディアンの世界観の基礎のところに常にエコロジーがあるらしいと文明社会が気がつきはじめたのは1960年代以降である。70年代になって「虹の戦士の予言」にインスパイアされる形で行動的環境保護グループのグリーンピースが創設されて以来、あたかもネイティブの人たちを「エコロジーの戦士」のように見る人たちも登場する。反面インディアンの文化に関心のある人のなかには、ネイティブの人たちがエコ戦士として扱われるのを苦々しく思っている人たちも多い。「俺がインディアンを好きなのはそんなことのためじゃないよ」と彼らはいう。「で、あんたはいったいどう考えてるの?」

環境に対する意識の高まりとともに西洋文明社会がネイティブの人たちの世界観のなかのエコロジーの部分に敏感に反応したのはある意味ではもっともなことではあるだろうが、しかしそのふたつには大きな、そして決定的な違いがあると、わたしは考えている。エコロジー(生態学)から自然保護の運動に入った科学的な思考の持ち主たちは大多数が地球を「無機的な物体」としてしか見ていないけれど、インディアンの人たちにとってはそれは「物体」などではないからである。

kokoホピの長老が平和宣言のなかで「聖なる知識」として伝えているように「地球は生きている女性」「いのちを持った存在」である。これはけして例え話なのではない。パワー・トリップをする西洋文明にずっぽりと浸かっているホワイト・マインドな(白人的思考の)人にとっては「母なる地球」という言葉は、もしかしたら「よくできたほんの少し感傷的な広告のコピー」程度のものなのかもしれないが、インディアンにとってはそれがそのまま受け入れられている考え方、世界の見え方なのである。地球というのは、その上に存在するすべての生命を生みたもうた母親なのだ。わたしがローリング・サンダーというひとりのメディスンマンから受けた教えのなかで最も大切なものも、それであった。「地球は物ではない。それは生きていて、わたしたちと同じように、いろいろ考え、感じ、喜び、悲しみ、そして時には病気にもなる。そして地球は自然を通してわれわれに話しかけている」ということである。こうした認識を生まれて以来持ち続けて育つネイティブ・ピープルにとっては、自然にあるものもまたことごとくすべていのちあるものなのである。石だって生きているし、山も生きて呼吸しているし、木も、草も、鳥も、動物も、虫も、人間と同じように生きているのである。そうしたいのちあるすべてのものが全体としてひとつの円環の中の自分の場所に収まって調和しているのが、彼らにとっての地球の実相なのである。だから、その大きな輪のなかで、それぞれに場所を得てそこに存在するひとつのいのちに起こることは、当然他のすべてのいのちに影響することになる。全体を形作っていた部分のほんの少しが変化しただけでも、それが引き金となってすべてが影響を受けざるをえないのである。わたしたちがもう一度地球の声を聴けるようになるためにはなにを学べばよいのだろうか?

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Wednesday, January 26, 2005

50歳をすぎて大人になる

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Tuesday, January 25, 2005

アメリカでインディアンと出会う

在アメリカ合衆国のなかには600を超える部族が、カナダでは数百をくだらない数のネイティブの部族が生き残っています。これらのなかにはカリフォルニアのいくつかの部族のように構成人員が10名に満たなくて、ほとんど絶滅しかかっている「国」もないわけではありませんが、部族によっては人口数千を数えるものもかなりの数にのぼります。これはアメリカ合衆国だけなのですが、より詳しい部族の人数が知りたい方は西暦2000年の部族ごとの国勢調査の結果がPDFファイルとしてここに公表されていますのでそちらをごらんください。

今ではアメリカではそれぞれの部族の人たちが暮らしている土地は「リザベーション(Reservation)」と呼ばれています。カナダでは「リザーブ(Reserve)」といいます。インディアンの若者たちはそれを簡略化して「Res(レズ)」という傾向があります。日本語では「居留地」でしょうか。ほとんどの部族が、ひとつないし複数の居留地を持っているのが普通ですが、なかにはアメリカのワイオミング州にあるウインド・リバー・リザベーションがショショーニとアラパホが共有しているように、ひとつの居留地を複数の部族でわけあっているところもあります。また部族によっては、すでにリザベーションの土地を全部失ってしまって、自分たちの土地を持たない人たちもいるほか、自分たちの暮らしていた土地の真ん中にアメリカとカナダの国境線が引かれてしまったために、リザベーションとリザーブの両方を持っている部族もあったりします。リサべーションのなかにはゆっくり歩いても数分で通り抜けられる程度の面積しかないところから、とてつもなく広大で日本列島が全部はいるぐらいの土地を有するところまでいろいろです。なかには自分たちのリザベーションを「国」と呼ぶ部族もかなりの数にのぼります。それは文字通りアメリカ合衆国のなかに存在する別の第三世界の国と認識した方がよいかもしれません。現在アメリカ合衆国でネイティブの人たちが多く暮らしているのは「インディアン・カントリー」と呼ばれている西部および南西部諸州とアラスカだと思います。

アメリカ合衆国にあるほとんどのリザベーションは観光客に対して門戸を開いています。しかし19世紀的な衣装で観光客を出迎えてくれるようなところはまずないでしょう。アメリカ合衆国に暮らしている普通の白人の人たちが西部開拓の時代の服装をしていないのと同じことです。日本だってサムライの格好をしている人がいないでしょう? 現代のインディアンのひとたちは現代的な家に暮らし、わたしたちの何ら変わらない服装をしているのが普通です。もちろん時と場所によっては、たとえば聖なる儀式が執り行われているようなところや、パウワウのような一族の人たちが寄り集まって祝い事をする社会的な行事の場では、レガリア(regalia)と呼ばれる伝統的正装を身にまとうこともあります。日本でも結婚式などのときに和服を着る人たちがいるのと同じことです。ディネ(ナバホ)の人たちのなかには今なおホーガンと呼ばれる伝統的な住居に暮らしている人たちもいますし、プエブロの人たちにも伝統的なれんが造りの集合住宅の中で暮らしている人たちがいますが、平原の民の簡易住居であるティピで日々の生活を送っている人となると、まずほとんどいません。もちろんティピはさまざまなところに建てられてはいるのですけれど。現在では「インディアン」とされる人たちのほぼ半数がリザベーションを離れ、職や自分のライフスタイルを求めて近郊の町や、遠くの大都会で暮らしています。

powwow

く小生のところに「どこへ行けばインディアンの人たちに会えますか?」というメールや手紙がきます。直接たずねられることもあります。わたしはすべてのインディアンの部族のことに詳しいわけではありません。彼らの秘密の情報を入手できる立場にあるわけでもない。わたしはそういうときには、アメリカに行く機会があるのなら、パウワウ(Pow Wow)と呼ばれているネイティブの人たちの祭りを見に行くとよいと応える場合が多いです。パウワウはいろいろな機会にアメリカの各地で開かれています。その会場に行けば、伝統的なレガリアを身にまとったネイティブの人たちがたくさんいますし、伝統的な食べもの(フライブレッドにハーブティー)も食べられますし、さまざまな文化に触れることができるし、他では手に入らないインディアングッズもたくさん売られていたりしますし、運がよければネイティブの友達をつくることも可能だからです。

代表的なパウワウを紹介しましょう。毎年4月の最終週の週末にニューメキシコ州のアルバカーキ(Alburquerque, New Mexico)で「インディアンの国々大集合だよパウワウ(Gathering of Nations Pow Wow)」(今年は4月28日から30日までの3日間)が開催されることになっています。さらに毎年8月の中頃になると「クロウ族の祭り(Crow Fair)」(今年は8月18日から21日までの4日間)が空の大きなモンタナ州で開催されます。大平原の民の集会としてはきわめて大規模なイベントで、野営地に1000を超える数のティピが立ち並ぶ光景は一見の価値があります。パウワウの間は毎朝野営地のなかで伝統的なパレードが行われ、インディアンの人たちのロディオや、さまざまなプレゼントを配りあうギブアウェイの儀式など、たくさんの行事が行われます。こうした盛大なパウワウでなくても、6月から9月かけての北米大陸のあちこちで、ほぼ毎週末ごとにパウワウが開かれていますし、大半のパウワウが観光客の参加を認めています。プエブロの人たちのパウワウをのぞけば、ほとんどの場所でパウワウはカメラの持ち込みは基本的には認められていますが、ネイティブの人たちは許可なく写真を撮影したり、許可を求めることなくいきなり伝統的な衣装に触ることを「無礼なこと」としていますので、くれぐれもご注意ください。

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Monday, January 24, 2005

In the Blue Moonlight

bmoon15北米インディアンが最初に使った暦は亀の甲羅だったといわれています。わたしが知っているカレンダーは「ムーン・カウンティング・スティック」といわれるもので、木の棒に毎日ひとつずつ刻み目を入れていき28日ごとに大きな区切りを入れるやつ。一年が364の刻み目になってます。これはネイティブの人たちの日めくりのようなもの。月のサイクルで一月の長さを測る彼らにとっては、当然ながら一年は13回の月のサイクルからなります。そういえば日本の神話にも「月読命」という存在が出てきます。彼は毎日月を見るのがつとめだったのかもしれません。今夜は満月です。冬の盛り。グランドマザー・ムーンの明かりの中で遠くに山が見えます。わたしの住んでいるところでは月光浴にはうってつけの夜。I wish you peace when times are hard. A light to guide you through the dark...And when storms are high and your dreams are low...Wish you the strength to let love grow...

Monday, 10:00 PM, January 24, 2005 記

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世界はいつ終わるか

1967年にサウスダコタにあるホワイトリバー/ローズバッド居留地において
ジェニー・リーディング・クラウドによって語られた「世界の終わり」についての話


badlandッドランドというのはラコタの人が「マコ・シカ」と呼ぶとてつもなく荒涼とした美しい大地だ。「マコ・シカ」というラコタの言葉は、そのまま「悪い大地」という意味をなす。そこは間違いなく地球の聖地のひとつであり、秘められているエネルギーは計り知れない。このバッドランドと大平原が接するところに、まだ誰にも知られていない秘密の洞窟があるのだと長く言い伝えられてきた。すぐ近くを州間ハイウエイ90が通り、車に乗った観光客が大挙してやってくるようになった今でも、その洞窟の場所はあきらかにされてはいない。

洞窟には老婆がひとりで暮らしているという。年齢は誰にもわからない。かたいクルミの表面のような深いしわが彼女の顔には刻まれている。白人がやってくる以前のラコタの人たちが着ていたような革のドレスをまとっていて、千年かあるいはそれ以上の長きにわたって、彼女はそこにじっと座り続けたまま、自分のバッファローのローブにつける細長い板布のような刺繍をこしらえているのだ。

白人の交易商人たちが亀の大陸にビーズなるものを持ち込む以前のご先祖さまたちがそうしていたように、色をつけたヤマアラシの棘を織りこみつつ細長い板状のものを作る。かたわらにはつねにシュンカ・サパが、大きな黒い犬が一匹ひかえていて、自分の手をなめたりしながら、じっと老婆を、ヤマアラシの棘をあまりにもたくさん噛みしめてきたためにすり減って歯がほとんどなくなりかけているその顔を、見つめている。その黒くて大きな犬は、けして視線を老婆からはなすことはない。

老婆が腰をおろしてキルトを作る針作業をする場所から数歩ほど離れたところでは、大きな火が燃え続けていた。千年かあるいはもっと以前に、彼女がその火をおこしたのだ。火はそれ以来一度も消されたことはなかった。燃えさかる炎のうえには、白人が鉄の鍋ややかんを持ち込む以前にインディアンたちが使っていたような大きな土鍋がひとつかけられている。土鍋の中では、赤くて、甘くて、おいしいイチゴのスープのウォジャピが、しきりにぐつぐつと音を立てて煮えていた。長い長い時間、さよう、最初にその火がおこされて以来ずっと、そのスープは土鍋の中で煮込まれ続けてきた。

老婆はときおり腰をあげて大きな土鍋の中で煮えているウォジャピをかきまぜた。寄る年波で体力もかなり衰えているから、腰をあげてよぼよぼと火のところまで歩くのも一仕事だった。そして老婆がスープをかき混ぜようと黒くて大きな犬に背中を向けるやいなや、その巨大な黒犬はいきなり彼女の目を盗むように老婆がせっかく作った板布からヤマアラシの棘を引き抜きはじめるのだ。そのために老婆の手作業はとんとはかどらず、いつまでたっても終わることがない。

ラコタの人たちはよくこんなことを言う。その老婆が板布を全部作り終えたそのときに、最後のヤマアラシの棘に糸が通されて布のパターンが全部完成したときに、この世界にも終わりが訪れるのだと。

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Sunday, January 23, 2005

地球のスピリットに好かれる?

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Saturday, January 22, 2005

おもしろそうな講座とフォーラムの案内

☆三内丸山遺跡 縄文フォーラム2005
それからの三内丸山 〜新たなる縄文世界へ〜
日 時: 1月28日(金)18:00〜21:00
会 場: ホテル青森・孔雀の間 (青森市堤町1-1-23)
定 員:700人(入場無料、要入場整理券)
※先着順で、定員になり次第締め切ります。
問い合わせ・申込み先:東奥日報社事業部「縄文フォーラム」事務局
(FAX:017-729-2352)

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☆かたりべが語る「青い森の物語 市川金丸「縄文の世界」
開催日:1月30日(日)
場 所:青森市歴史民俗展示館「稽古館」
   (青森市浜田字玉川207-1)
問い合わせ:稽古館(電話:017-739-6422)

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☆考古学ゼミナール「縄文時代を学ぶ」第4回
日 時:1月25日(火)14:00〜15:45
テーマ:「縄文原体と施文法を学ぶ」  
講 師:鈴木保彦(日本大学教授) 
定 員:80名(要事前申込み)
問い合わせ:財団法人かながわ考古学財団 資料活用課
(神奈川県横浜市南区中村町3-191-1  電話:045-252-8661)

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☆考古学ゼミナール「縄文時代を学ぶ」第5回
日 時:1月28日(金)14:00〜15:45
テーマ:「貝塚に学ぶ・閉講式」  
講 師:中村若枝(日本考古学協会) 
定 員:80名(要事前申込み)
問い合わせ:財団法人かながわ考古学財団 資料活用課
(神奈川県横浜市南区中村町3-191-1  電話:045-252-8661)

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Friday, January 21, 2005

ネイティブ・アメリカン音楽大賞

7th Annual Native American Music Awards (NAMMY)

恒例となった「ネイティブ・アメリカン音楽大賞」の第7回授賞式が2月10日にフロリダのハリウッドというところにある「セミノール・ハードロック・ホテル・アンド・カシノ Seminole Hard Rock Hotel & Casino, Hollywood, Florida」で開催される。これはいうならばネイティブ・アメリカンの世界における「グラミー賞」や「アメリカ音楽大賞」「MTV音楽大賞」のようなものなのだ。華々しく全世界にニュースが流されることもないけれど。

アメリカ・インディアンに対する関心の入り口はさまざまにある。ある人には本だったり、写真集だったり、また別の人には映画だったり。ぼくの場合はあきらかに彼らの音楽がその入り口のひとつだった。アメリカ・インディアンの音楽というと、インディアン・ラブ・フルートが代表的で、最近では、真砂秀朗さんや、マーク アキクサさんや、ツイン・フルートを演奏する信州のノナカ カツミさん、北海道でインディアン・フルートの製作と演奏をしている小野昭一さん(ブルーレイバンクリエーション)などのように各地で演奏する日本人演奏家も増えている。日本列島に生まれ、生まれ落ちたときにはあらかじめすべてを奪われてしまっていたわれわれに、日本列島がまだ日本と呼ばれるようになる以前の、草や木や石が話をしていた時代の光景を想像させてくれる力を持つインディアン・フルートの音色は、実際多くの人たちの心をとらえているようだ。それが「マザー・アース・ミュージック(こんな言葉があるかどうかわからないが)」であることは間違いないだろう。

もちろんインディアン・フルートの演奏が、ネイティブ・アメリカンの音楽シーンの中心にあることは誰もが認める事実であり、この「ネイティブ・アメリカン音楽大賞」にも「ベスト・フルーティスト」という賞が別枠で設けられているぐらいなのだが、現代の日本の音楽シーンがけして津軽三味線や尺八演奏一色ではないように、ネイティブ・アメリカンのコンテンポラリー音楽も実に多岐にわたっている。ロック、ポップ、ジャズ、ブルース、フォーク、カントリー、ゴスペル、ニューエイジ、ラツプ、ヒップホップ、ストーリーテリングとなんでもありの世界なのだ。そういえばインディアン・フルートの演奏家の代表であるカルロス・ナカイが20年以上前、アメリカの音楽シーンに儀式用のレガリアを身にまとって颯爽と現れたたとき、そのサウンドは「フリー・ジャズ」に分類されていたっけ。日本でも彼のことを山下洋輔らと競演した風変わりなジャズ・ミュージシャンとして知っている人もいることだろう。ネイティブ・アメリカンの作家に比べて、ミュージシャン・アーティストの層が厚く多いことは、口から耳へのオーラルな伝統文化の影響なのだろうか。

SeminoleHardRock「ネイティブ・アメリカン音楽大賞」が脚光を浴びるようになったのはここ数年のことで、とくに昨年の第6回のニューメキシコ大会からは、ネイティブ・アメリカンのミュージックシーンがアメリカの音楽産業と融合しはじめて、資本も流れ込みはじめだいぶ大がかりのものとなってきたのである。彼らの音楽のすべてに共通している特徴は「スピリット」と呼ぶべきものの力であるのかもしれない。もともとインディアンの人たちは音楽に対してきわめて敏感だった。大地を揺るがすドラムビートはあらゆる儀式の基礎を作りあげる働きをしてきたし、儀式の際に歌われる歌は魔法のように別の世界を作りあげてきた。こうした伝統のうえに、エレクトリックがミックスされることで、若い音楽家が多く参加するようになり、彼らのミュージック・シーンが大きく花開こうとしているのである。

とまあ、ここまで書いてきて、いったいこいつはなんでこんなことを興奮気味に話をしているのかと首をかしげるあなたがいるかもしれない。そこで、ここはどうしてもできるだけ多くの人たちに、ネイティブ・アメリカン・ミュージックを体験していただきたいと、わたしとしては思うのだな。実はそのためにうってつけのインターネツト・ストリーミングによるラジオ放送局がある。以前にも紹介したことのある「ネイティブ・ラジオ(NativeRadio.com)」が、その「ストリーム3、4、5」の3つのチャンネルで、過去の受賞作品を24時間オンエアし続けていて、われわれも幸運なことに高音質で聞くことができる。仕事をしながら流しておくのにはうってつけのラジオ局だと思うぞ。(Srream 3 はWindowsのWindows media Playerに対応、Stream 4.5 はMP3でアップルiTunesにも対応)

さて今回のフロリダで開催される第7回「ネイティブ・アメリカン音楽大賞」はその土地のネイティブであるセミノール、サギノー・チペアのふたつの部族、そしてネイティブ・ラジオ局等がスポンサーを務めている。この大会の入場料はひとり100ドルで、今月の14日から会場の「セミノール・ハードロック・ホテル・アンド・カシノ」のボックスオフィスで前売りがはじまっている。もし来月フロリダに行く機会がある人は、頭に入れておいてください。


▼今回のノミネート作品のリストを参考までに以下に掲げておきます。

Continue reading "ネイティブ・アメリカン音楽大賞"

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なにもしないことを楽しむ


「なにもしないことを心から楽しめるかどうかで創造力のあるなしがわかる」と、ハワイで昔会ったマオリの人に言われたことがある。ポリネシア全域の部族社会でアメリカインディアンのメディスンマンやメディスンウーマンに匹敵する職能である「カフナ」「タフナ」についていろいろと調べていた10年ほど前のことだ。なるほどなとぼくは感心した。ただ「なにもしない」のではなく、そのことを「心ゆくまま堪能する」のか! ただひとり、どこかに腰をおろして、世界を見ながら、なにも考えたりしないことを考えている。なにも考えないでそのなにもしない時間の中に没入して我を忘れているなんて、まるでストーンした感覚そのもので、こいつはすごいやと思ったのだ。

shaman沙漠の中でひとりで過ごしていたときのことがありありと思い出された。ただならない静けさ、自分の意識が空間いっぱいにまで広がっていく感覚。さらにまた別の時間と空間のことが頭に浮かぶ。秋深い津軽の八甲田山の山奥にあった訪ねる人もない温泉、温泉が川の流れの中にある不思議な場所で、頭の中が川の流れる音でいっぱいになったまま、一人で湯水の中で浮いて漂って空を見ていたとき、こういうときにそういえばいろんな発想がどこからともなくやってきたっけな。クリエイティブな能力が求められる人は、なにもしないことを心から楽しむことができるようにならなくてはならない。なにもしなくていい時間が与えられたときは、なにもしないことを楽しんでいますか? なにもしなくていいことを楽しむことができれば、世界を変えるための発想だってもたらされるかもしれません。

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Wednesday, January 19, 2005

アイスマンの伝説

風の中にいる雪のスピリット

部族名不明


かしむかし、秋も押し詰まったある日、あるところでたき火をしていたら、燃えさかる火がそばのポプラの林に燃え移ってしまったそうだ。

村人が総出で、いくら消そうとしても一度燃えあがった火はなかなか消えてくれない。いつまでも激しく音を立てて燃え続けて、やがては地面からでている部分だけでなく、地面の下に隠れていた根っこのところまでもがくすぶったうえに燃えていき、地面には大きな焼けこげた穴ができていた。

しかしそれでも燃えさかる炎の勢いは衰えず、地面の黒こげの穴は以後もどんどんと広がり続けた。手をこまねいて見守るだけだった人びともやがて不安な気持ちに襲われるようになった。このままでは世界が全部燃えてしまうのではないだろうか? 

montanafireなんとか力をあわせて火を消し止めようとはしたのだが、そのときにはすでに火は地面にできた穴の奥深くまでたっしていて、どうにも手がつけられなくなっていた。

「そういえば」と誰かが口を開いた。「北の方へずっと行ったところの氷の家に住む男ならこの火が消せるかもしれないな」

そこでさっそく使者が送られた。

使者は長い距離を歩いて、ようやく氷の家を見つけ出した。その家には氷男のアイスマンが暮らしていた。思いのほか小柄な男で、地面まで届きそうな長い髪をふたつに分けて編みあげにしている。

使者がたっての願いを伝えると、アイスマンはその場で承諾した。

「よっしゃ、ひとつ力になってやるとするか」

と言いざま、男は編みあげていた自分の長髪をほぐしだした。バラバラになった髪の一部を片手でつかみ、それで残りの髪の毛の束を打ちあわせるような仕草をしたとたん、使者は頬にどこからか風が吹きつけてくるのを感じた。

さらにもう一度アイスマンがつかんだ髪の毛をもう片方の手に打ちつけると、こんどはぱらぱらと小雨が降り出したではないか。さらに三度目、アイスマンが同じようにつかんだ髪の毛であいている手を打ちつけたところ、こんどは空から落ちてくる雨粒にみぞれが混じりはじめたのだ。そして次の四度目、アイスマンが髪の毛であいた手を打ちつけると、なんとそのみぞれが大粒のひょうとなって、バラバラバラっと地面を叩きだした。

使者は目を丸くした。まるで雨やみぞれやひょうが、アイスマンの髪の毛の毛先から飛び出してくるようなのだ。

「これでいい。もう帰りなされ」アイスマンが使者に伝えた。「明日になったらわしはお前たちのところに行くだろう」

さっそく使者は一族の人たちのもとへととって返した。

村へたどり着いてみると、あいかわらずひとびとは燃え盛る巨大な穴の脇でなすすべもなく呆然としていた。

翌日、村人がみなで火の様子をうかがっていると、いきなりビューっと北風が吹いてきた。ひとびとは恐ろしさのあまり震えあがった。その風がアイスマンから送られてきたものであることがわかったからだ。しかしその北からの風を受けると、かえって穴の中の火はいっそう大きく燃えあがり、大きな炎が吹き出してきた。

すると次には空から小雨が降りはじめた。しかしそのぐらいの雨粒では炎の力はまったく静まる様子も見せなかった。やがて小雨は大粒の雨と変わり、それが次第にざーざーと流れるような本降りとなって、そのなかにみぞれやひょうが混ざるようになったころ、次第に火の勢いが衰えはじめる様子を見せ、やがて火も消え、穴の底で炭火がくすぶるだけとなり、蒸気と煙の混ざった雲のようなものが赤く燃える炭火から立ちのぼるようになった。

人ごとは雨や風やみぞれやひょうをさけるためにそれぞれの家に逃げ込んだ。つむじ風にあおられた激しい雨やあられや大粒のひょうが、さながら嵐のように、燃えてできた地面の割れ目という割れ目の中に入り込み、そこでくすぶっていた残り火に襲いかかった。やがて火という火もすっかり消えさり、煙すら立ちのぼらなくなった。

天に穴が開いたかのように思えた雨もやがてやんで、人びとがおそるおそる家から表に出て、例の大きな穴のところまで行ってみると、そこには大きな湖ができていた。そして耳を澄ますと、湖の水の底ではまだあの火の残り火がぱちぱちとくすぶるような音が聞こえていたという。

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Tuesday, January 18, 2005

なぜ人びとの言葉は違ってしまったのか?

※このお話は2004年の6月から7月にかけて「そしてひとびとは違う言葉を話すようになった」というタイトルのもとに10回に分けて連載したものをまとめたものである。今回全体をひとつにするに当たって再度手を加えたほか、過去に分載した記事を当ログより削除したことをお断りしておく。

これからお聞かせするのはイロコイ六か国連合を構成するセネカ(SENECA)のと呼ばれる国の人たちに伝えられた「ゴダショーの伝説」の一部である。「ゴダショー」とは「有名な女性のチーフ」の名前で、この物語を最初に文字に書きとどめたのはJ・N・B・ヒューウィット(J.N.B.Hewitt)という同じイロコイ六か国連合のなかのタスカローラ出身の人類学者で、1896年に出版された『セネカの物語と神話と伝説』(ジェレマイアー・カーティンとJ・N・B・ヒューウィットの共編著)という本のなかにこのティーチング・ストーリー(教えの物語)も収録されている。その後もこの話はセネカの人たちのあいだでは口頭伝承によって語り継がれて、細部においては最初に書きとめられたものとはだいぶ変わってきているようだ。今回のほん訳においては、ほんとうに伝えたかった物語のコアの部分以外は、わかりやすくするためにすこし手を加えた。

※セネカは五大湖のひとつであるエリー湖から流れ出す川に沿ってかつては定住していた。「セネカ」とは「石のひとびと」「石のある土地のひとびと」を意味するのだといわれている。

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るかなる昔、地球がまだ若かったころ、ひとびとはみなただひとつの言語を用いて話をしていた。その当時のひとびとの暮らしは平和そのものであり、調和も保たれていた。ひとびとは持っているものをなにからなにまでみなで分けあっていたし、必要なものは必ず誰かが持っていた。ひとびとはみなの畑でトウモロコシと豆とスカッシュを育てていた。森に分け入ってはみなのために獲物を狩猟した。ひとびとは母なる地球に、食物を与えてくれる植物たちや動物たちに、そして自分たちをふくむそうしたものたち一切をお創りになり、しかも豊かな恵みを与えてくださる偉大な存在にたいして、常に感謝を忘れることもなかった。

そんなある日のこと、川幅の広い川の川辺にあったとある大きな村での話だ。その村のチーフはひとりの女性だった。賢く、寛大な心の持ち主で、彼女は自分の一族の者たちが、平和で調和のとれた暮らしを営むために必要なことはいやがらずになんでもやってきた。彼女に従うひとびとの数はいや増しに増してゆき、やがて村も幅の広い大きな川の両岸にまたがるぐらい大きくなっていた。しかしその当時は、ひとびとはまだ舟というものの存在も使い方も知らなかった。だから人の往来にはみなで作った丈夫な橋を使っていた。木々や、木の枝などを大量に集めてきてはそれらを組みあわせ、織りあわせたりしたもので作りあげたつり橋で、ひとびとはそのうえを歩いて東岸から西岸の村へ、また西の岸から東岸の村へと自由に行き来をしていた。

もともとは大きな川の東岸にできた村だったが、人口が増えて西岸にもひとびとが暮らすようになり、とくにその西岸の村で毎晩のようにダンスがおこなわれるようになってからは、橋を使って行き来するひとびとの数も増えた。ダンスがおこなわれてひとびとが集まるようになると、当然市もたつようになる。その頃はまだ物々交換で、森から収穫した毛皮やさまざまな薬草などを持ちよるものもあれば、畑でとれたトウモロコシを乾燥させたものや集めた野いちごを持ちよるものもいた。

ひとびとは誰かにあげたり交換したいと思うものを思い思いに持ちよった。しかしみながみな交換できるようななにかを持ちよれるとは限らなかったのである。たまたま市のなかで自分の欲しいものを見つけたのに、交換できるようなものを何一つ持っていない時には、ひとびとはただひとこと

「兄弟、わたしにはそいつが必要なのだ」

とか

「姉さん、それをすこしわたしに分けてくれませんか」

と言いさへすればよかった。そうすれば欲しいものはなんであれ自分のものにすることができたのだった。


る日のこと----そうまたある日のことである----なにかが、起きたのだ。(なにかが起きるのは、ずうっと昔からある日のことときまっている)その当時、ひとびとは犬をたくさん飼っていた。女チーフのゴダショーも、家に白い小柄な犬を飼っていた。チーフの家は大きな川の西岸にあり、その白くて小さな犬はお母さんとして仔犬を生んだばかりだった。飼犬に子供たちが産まれると、その仔犬たちも当然ながら母犬の属する家族の一員として扱われる。もし家族以外のものがそうした生まれたばかりの仔犬たちのあどけない姿を見て、ひと目で気に入り、譲り受けたくなったときには、普通はそのように申し出ればよいことになっていた。

だがしかし、このときにはなにかが違っていたのだ。枯れ草や葉っぱを敷き詰めた仔犬たち用の寝箱をのぞきこむと、仔犬たちが全部で四匹。すべてが雄で、みな母さん犬のようにまっ白な毛をしていたのだが、なかの一匹が他の兄弟たちとは際だって様子が違っていた。その一匹だけ、なぜか両方の目のうえに黒い斑点がひとつずつあった。右左の目のうえに、まるでもうひとつずつ黒い目があるかのように見えた。

四つの眼を持つ犬は古来から賢くて、できが良いと昔から言い伝えられていた。普通の目のうえにあるもう一対の黒い斑点が目となって世界をはっきりと見てとれるので、そういう犬は優れた猟犬となり、生まれついて犬たちのリーダーになる運命にあると信じられていた。その四つの眼を持つ仔犬があまりに特別な存在だったので、女チーフのゴダショーも、その犬だけば自分で飼う腹づもりでいた。そしてそのことがトラブルを運んできた。

大きな川の西岸に住む人たちが、自分たちのチーフが家で飼っているその特別な犬について、あることないこと自慢そうに声高に話すようになったのは、それから間もなくのことだった。

「あれだけの犬はどこにもいないよな」

みなは口々に言いあった。

「そうよ、東岸の家になんか、われわれのチーフの家にいるような特別な犬を飼っている人間など、いるわけがない」

人々は鼻高々で自慢した。

川をまたいで両岸に生まれつつあったその大きな村落で、そうした自慢話が広まるのはそれがはじめてのことだった。じきにその大きな村落の人々のなかに、別のあるものが見られるようになった。そのあるものとは「ねたみ」「嫉妬」「羨望(せんぼう)」であった。川の東岸に暮らす人々のあいだに、その特別な犬と暮らせる川向こうの姉妹たちや兄弟たちをねたむ気持ちがじょじょにだが広まりはじめていた。


チーフのゴダショーはなるほどとても賢い人物ではあったのだけれど、はじめのうちはいったいなにが起きているのか見当もつかなかった。しかしある日のこと、同じ西岸に暮らす何人かの人たちがまとまって彼女のもとを訪れてこういった。

「実はたいへんに気がかりなことがありまして。川向こうの悪い連中がわたしたちの四つ目犬のことでよからぬ話をしているのです。むこうへさらっていく計画があるとかないとか。わたしたちの犬を守るためには、戦いの準備をしなくてはなりません!」

ゴダショーはショックを受けた。自分の一族の者たちがふたてに別れて戦いをするだなんて、いったいなんでそんなとんでもないことが起きてしまったのか。だが女チーフがそう考えたときには、すべてはもう手遅れだった。

すでにひとびとのあいだには、関係の修復ができないぐらい決定的な溝がうまれていた。彼女は東岸の人たちに四つ目犬を連れていくようにと差し出すことすらも考えたほどだった。だがそうすると今度は、西岸の人たちのあいだで嫉妬やねたみが沸騰することになるだろう。どう考えても、それは間違いのないことだった。

大きな川の両岸の村では、互いに相手の動きをにらみながら武器の製作がはじまっていた。女チーフは決断の時がきていることを知っていた。動かねばならない。彼女は西岸に暮らす人たちを一堂に集めた。

ひとびとの顔を眺め回してから女チーフがおもむろに口を開いた。

「橋を壊しなさい」

ひとびとは彼女にいわれるまま火を放って橋を焼きおとした。目の前の橋がなくなることで、ひとびとははっきりと西と東の二手に分断されてしまうことになった。だがゴダショーには、いずれまた別の橋がつくられて、争いが再発するだろうことがわかっていた。

「われわれはこの土地を離れなくてはなりません」

樹や枝が燃えながら大きな川に落ちて水面を流れ去ってゆくのを見つめていた女チーフが、なにかを思いついたのか、顔を起こしてそう言い放った。彼女はひとびとに樺の木から大きめの樹皮をたくさん集めてくるように伝えた。一族の者たちはそれまでも樺の木の樹皮を縫い合わせて籠(バスケット)を作ったり、料理にもちいる鍋を作ったりしてきた。

canoe樹皮が集められると、それらをバスケットや鍋と同じように縫い合わせるように命じられた。さらに、水がはいらないように、念を入れて縫い目には樹脂が塗りこめられた。そしてそうやって最初のカヌーができあがった。ひとびとはいくつもの小さなカヌーを作りあげたばかりか、さらには特別に大きなカヌーも二艇完成させた。西岸に暮らす人たち全員がひとり残らず乗り込めるだけのカヌーがかくしてそろえられた。

準備はちゃくちゃくと進められた。平和と調和を求めて新しい土地を探す川の旅がはじまろうとしていた。だがひとびとがカヌーに乗りはじめるとすぐ、また別の問題が降りかかってきた。自分たちのチーフと四つ目のお犬さまに乗っていただくお召しカヌーをどれにしたらよいかで、ひとびとのあいだでけんけんごうごうの口論がわきあがったのである!

いさかいはいつ果てるともなく続いた。

やれやれ、このような言い争いはいつまでたっても終るわけがない。コダショーはうんざりした。いいかげんにしてくれという思いだった。疲れがおそってきたばかりか、悲しさまでも込みあげてきた。だが、彼女はそこであることを思いついた。

「横に並べた二艇の大きなカヌーのあいだに長い苗木を幾本も渡して縛りあげなさい。そうしたら、カヌーとカヌーのあいだにわたしと犬が乗れるだけの台ができます。それならばわたしたちはどのカヌーに乗ることにもならないのですから、誰も焼き餅をやくこともなくなるでしょう」


いうわけでカヌーの船団は出発にこぎつけた。平和と調和を求めて。だが、なんとかうまくことが運んだのは、しばらくのあいだだけだった。平和と調和も、川の流れの行く手がふたつに別れている地点までしか続かなかった。流れが二手に別れる分岐点で、再び、ひどびとがけんけんがくがくの口論をはじめた。左右に並んでつなぎあわされた二艇のカヌーのうち、右側のカヌーに乗る人たちは東にむかう流れを進みたがった。ところが左側のカヌーに乗っていた人たちは、もう片方の西側に向かう水路をとることをかたくなに主張してゆずらなかった。

ゴダショーはカヌーどうしのいさかいを止めようとしたが、どちらのカヌーの人たちもまったく耳を貸そうとはしなかった。それぞれのカヌーの人たちはめいめいが勝手に自分たちの行きたい水路に舳先(へさき)をむけて漕ぎはじめた。女チーフとその犬の乗る台を間にのせた二艇のカヌーは、それぞれ先頭の漕ぎ手が他の漕ぎ手に大きな声をかけながら、一艘は東に、もう一艘は西にむかって懸命に進みはじめた。二艇のカヌーが押しあいへしあいしつつ競いあって、一方が他方をしたがわせようと必死になっているうちに、やがてゴダショーと犬を乗せた台がきしみはじめた。やがてバリバリバリバリッと音をたてて、二艇の大型カヌーをつないでいた木々がはずれ、あれよあれよというまにゴダショーと犬はそのまま川の流れに落ちた。

ひとびとはそれぞれのカヌーから身をのりだして川の中を探し求めた。だがいくら川のなかをのぞき込んでも、自分たちのチーフとあの犬の姿はどこにも見つけることができなかった。チーフと犬がいるはずのところには大きなチョウザメが一匹と、小さな白い魚が一匹いるだけだった。ひとびとが驚いたように息をのんで見守るなか、チョウザメと白い小魚は体をひるがえして、いずこへかと泳ぎさってしまった。

やがてひとびとがわれをとりもどし、口々になにがおこったのかを話しはじめた。

だがそのときにはもう、それぞれがなにを話しているのか、互いを理解できなくなっていたのだ。右のカヌーの人たちは、左のカヌーの人たちの話す言葉を理解できず、左のカヌーの人たちは右のカヌーの人たちが話している言葉ができなかった。ねたみと口論がひとびとのあいだを切り裂いてしまっていた。同じカヌーに乗っているもののあいだではかろうじて話しは通じるものの、別のカヌーのものたちとは言葉がまったく違ってしまっていた。

さよう、ひとびとはまさにあそこではなればなれとなり、それぞれがそれぞれのカヌーに乗って旅を続けるようになった。以後、川の行く手がふたつに別れているところまで来るたびに、ひとびとは分裂を繰り返し、そのたびにこの世界には新しい言葉が増えていった。そしてその川の旅は今もなお続いている。

 (おわり) 

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※追記○セネカは伝統的にストーリーテリングの豊かさで知られている部族で、彼らの物語には印象に残るものがいくつもあります。インターネットで探してもたくさん見つかるはずです。もともと口から耳へと伝えられたそうした物語は、語るたびに少しずつ新しい要素が加えられたりして、いくつものおなじような物語が広まっていきます。今回紹介したゴダショーと四つ目犬のお話も、この話の別のバージョンが以下の「ネイティブ・アメリカンの神話」というサイトに、出典不明として「女チーフのゴダショー(Godasiyo the Woman Chief)」というタイトルで掲載されていました。やさしい英文で、状況の説明がもう少しこまごまとくわしいので、興味ある人はあわせて比較してお読みください。こちらの方では、北米インディアンがいくつもの部族に別れて、それぞれがみんなことなる言葉を話すようになった理由として、この話がしめくくられているのですが、わたしは、これはそのまま「地球に生きる人たちの物語」だと理解しています。今もなおひとびとは平和と調和を求めながら分裂をくり返しているのですから。

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Monday, January 17, 2005

虹の戦士のつとめ

クリーという部族の国がカナダにあるというところから、話をはじめよう。クリーはカナダでは最大のネイティブ・グループである。北は北極圏、西はカナディアン・ロッキーから、東は大西洋岸に至るまでの広大な土地、おもに大草原をテリトリーにしてきた。現在は大部分がカナダに、一部がアメリカのモンタナ州に分かれて住んでいる。アルゴンキン語族に属し、大きく五つの方言に分かれている。


このクリーの国に、かつて「火の瞳(アイズ・オブ・ファイアー)」と呼ばれるひとりの女性が暮らしていた。彼女は年老いたときにある予言を残したことで、現代にその名をとどめることとなった。その予言とは「いつの日にか、白人の欲(クリーの言葉で『ヨ・ネ・ギ』)が原因で、川の流れの中で魚たちが死に、鳥たちが空から落ち、水という水が黒ずみ、木がもはや生えなくなるときがくる」というものだ。しかも人類の生存そのものが危うくなったとき、われわれがもう一度失われた健康を回復するために、昔から伝わる伝説や物語やさまざまな儀式や神話といった古代から部族に伝えられた習慣を守護する者たちが必要とされるときがくるだろうというのである。そして人類生存の鍵を握るその人たちはやがて「虹の戦士たち」として知られるようになると。

WORB虹の戦士のスピリットが帰ってきたときのことを、アイズ・オブ・ファイアーという名前の老婆と、町で生まれて育つ彼女の孫の少年を主人公にして物語風にしたものが、小生が翻案した『虹の戦士』(太田出版刊 1999/河出書房新社刊 1991)である。それは60年代末に公開され、70年代、80年代のアメリカに大きな影響を与えた物語である。いや、今なおアメリカはこの物語の影響下にあると言っていい。この物語は「虹の戦士」という言葉とともに心ある人たちの意識の中に定着しつつある。

「スピリットの帰還」ともともともとは題されたこの予言的な物語がどのように広まったのかについては同書の後書きに書いたのでそちらをお読みいただきたいし、物語そのものもぜひ頭の中に入れておいてほしいとわたしは願う。「虹の戦士」の物語は、次の次代を担う子供たちに虹の戦士としての役割を与えて、太古より伝わる文化遺産、祖先伝来の知恵を守護することの大切さを伝えるためのものでもあるのだから。

同じような予言が北米大陸のホピやマヤなどのさまざまなネイティブの部族に残されているので、今回は一人歩きしはじめている「虹の戦士」という言葉の意味するものと、彼らのこの惑星における勤めを、レラニー・フラー・ストーン(Lelanie Fuller Stone)という名前のひとりのチェロキー出身の薬草学者・作家の女性が、幼かったときに祖母から聞かされた話として書き記したものが手元にあるので、それを紹介することで改めて整理しておこうと考えた。話は、かつてわたしが日本語にした虹の戦士のお話のもうひとつのバージョンのようなものである。

予言は「目覚めの時の到来」「偉大な覚醒の時の到来」をどれもが伝えている。あらゆる部族のすべての人たちが、正義と、平和と、自由と、そしてこれが重要なのだが「偉大なる精霊の存在認識」とに基づく新しい秩序を形作るだろうと。

・ここで「偉大なる精霊」としているものは、英語で言うところの「the Great Spirit」のことである。このグレイト・スピリットがなにであるのかについては、今年を通してこのブログの中で幾度となく取りあげていくことになるだろうから、今のところは「この宇宙のいっさいすべてを創られた存在」ととりあえずお考え願いたい。それに対してどのような名前を与えるのも人間の勝手ではあるけれど、自分のつけた名前だけが唯一絶対のものとするような真似だけは厳にお慎み願いたい。それはまったくもってラコタの人たちが言うように「偉大なる神秘」もしくは「大いなる謎」そのものなのであり、それ以外に名のつけようのないものなのである。

   レラニー・フラー・ストーンが幼いころに祖母から聞かされた話の要約

の戦士たちは太古から残されたさまざまなメッセージを広め、すべての地球の人たちに「グレイト・スピリットの道の上での生き方」を教えることになる。今の世界がどのくらいグレイト・スピリットの道から背いてしまっているかを諭し、そのことによって「地球が病んでしまっている理由」を伝えてゆくだろう。

虹の戦士はまた、この時代を超えて存在し続けているもの(これもまたグレイト・スピリットと呼ぶべきもの)がいかに「愛」と「理解」にあふれているかを見せて、どうすれば母なる地球をもう一度美しくできるかを教えてまわるだろう。虹の戦士は人びとにこの世界を正しく歩んでゆくための「法」もしくは「原則」を与えることになる。そしてそれらの「法」も「原則」も太古の部族から伝えられてきたものであるだろう。虹の戦士は人びとに、太古から伝えられた「みなをつなげる」「愛しあう」「理解しあう」ための技を広め、地球のあらゆる地域の人たちに分け隔てなく調和を広めてゆくだろう。

太古の部族の人たちがそうであったように、虹の戦士は人びとに山の清流のような、そしていくつもの流れを集めて生命の大きな海に注ぐ大河のような、つきることのない愛とともにグレイト・スピリットにむかっての祈り方を教えてゆく。虹の戦士はたとえひとりでいても、大勢が参加する会議の中にいても、等しく喜びを感じることができるだろう。狭量な嫉妬から心は解き放たれていて、肌の色や人種や宗教を問わずすべてのヒトを愛するだろう。虹の戦士は自らのハートに幸福が入り込むのを感じるとき、すべてのいのちとひとつになることができる。その心はどこまでも清らかで、ヒトと自然とグレイト・スピリットに対する暖かさと理解と尊敬とを放射しているだろう。虹の戦士は自分の頭とハートと魂と行為とを汚れのない思考で満たしている。彼らは命を支配するもの、グレイト・スピリットそのものの美しさを探し求め、祈りとひとりであることの中に、力と美とを見つけることになるだろう。

虹の戦士の子供たちはもう一度、自然と母なる地球の宝を堪能しながら、自由に走りまわることができるようになるだろう。欲やそれに突き動かされた行為によって、肉体を汚されたり、命を失うような恐れからも解放されるだろう。川の水も再び清らかに流れゆくようになり、森は豊かで美しいものに姿を変えて、たくさんの魚や動物や鳥たちが帰ってくることだろう。植物や動物たちが持っている力が再び敬われるようになり、すべての美しきものたちの保全こそが、人間の生きるべき道となるだろう。

貧しい者や、病んでいる者、生活に困っている者には、地球に生きる兄弟姉妹たちが庇護を与えることになるだろう。そうした行いは虹の戦士たちの日々の暮らしの一部になることだろう。

ひとびとは自分たちの指導者を、政党や、偉そうだからとか、声が大きいからとか、大きなほらを吹くからとか、何度も連呼をしているからとか、罵りあうからという理由ではなく、その人間がいかなる行いをしているかを判断する太古からのやり方で選ぶようになるだろう。愛と知恵と勇気を行いで示して見せた者、すべての良き人たちのためになるつとめをなしてきて、これからもそれができるだろう人物が、指導者やチーフとして選ばれることになるだろう。その人たちは「人間の質」によって選ばれるのであり、彼らが稼いだ金の総量によって選ばれることはなくなるだろう。思慮深く献身的だった遠い昔のチーフたちのように、彼らは愛によって人びとを理解し、子供たちが周囲の者たちの愛と知恵によって教育されているかどうか見るだろう。彼らはいくつもの奇跡によってこの世界の病が癒され、健康と美が回復されることをひとびとに見せることになる。

「虹の戦士」のやらなくてはならないことはかくも多くすべてが偉大なものである。越えていかなくてはならない無知の山はとてつもなく高くそびえ、偏見と憎しみとを見つけることになるかもしれない。虹の戦士はハートを強く持ち、一途に道を進み、くじけてはならない。もう一度母なる地球に美しさと豊かさを回復させるための道の上で、彼らは同じように強い意志を持った心と頭の持ち主たちを見つけることになるだろう。

その日は近い将来必ず訪れる。そのとき、まさしく虹の戦士たちが存在してくれたおかげで、すべての部族の人たちが自分たちの文化的な遺産を保ち続けられたことが明らかになるだろう。儀式や、物語や、伝説や、神話を生かし続けている者たちの声に耳を傾けよ。その声の中に、まさにそこにこそ、彼らが守護してきた「知」が存在する。それによってわれわれはもう一度、自然と、母なる地球と、人類とが調和するところへ帰還することができるだろう。まさしく「わたしたちの生存の鍵」は、その「知」の中に見つけることができる。

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Sunday, January 16, 2005

クマに話しかける

日ロイターがインターファクス通信のニュースとして「ロシアのサンクト・ペテルブルクにある動物園のツキノワグマが暖かさのために冬眠から覚め、ヒグマときたらはなから冬眠するつもりもない」と伝えていた。クマは自然の変動に大変敏感な人たちだ。わたしはクマたちのニュースに目がない。というよりクマに対する思い入れが人一倍強い。さらにいうならわたしには彼らを動物だと考えていない節がある。理由は、これまでさんざんクマについての話をネイティブの人たちから聞かされてきたからだし、クマが自分にとってとても大切なメッセージを運んでくる存在だと信じているからである。昨年の秋にたくさんのクマたちが本州の各地で市街地に出没しているときにも、クマたちを弁護する記事をここで書いた。参照「クマたちに声を与えよう」(Saturday, October 23, 2004)。せっかく話がクマのことになったので、クマについての話の中で印象に残っているものをひとつ書いておく。ウエスタン・ショショーニの精神的指導者にしてメディスンマン・ヒーラーであり、地球の声を語るものとして、今もなお地球に作られた核の連鎖を断ち切るべく反核運動の先端に立ち続けて、小生も深く敬愛するコービン・ハーネィ(Corbin Harney)が、あるときクマについてこんなことを語っていた。今年たしか84歳になる彼は、ストーリー・テラーとしても一流であり、以下の話しぶりの一端から単に伝承民話を語るだけがストーリーテリングではないということがわかっていただけるとうれしい。わたしはこうした話を「メディスン・トーク」と呼んでいる。

bearクマというのは大変にありがたい生き物で、わしらはここでずっと一緒に暮らしてきた。「クマに出会ったら、歌を聞かせたり、話しかけたりすると、クマも腰をおろして耳を傾けてくれる」とわしら一族のものはきまってそう言う。わしもクマがそうするのを見たことがある。わしが出会ったときのクマは、ここと、すぐそこにある車ぐらいの距離しか離れてはいなかった。やっこさんは道をこっちに向かって歩いてきたんだ、わしのほうに。いきなりわしらははちあわせしてしまった。こっちもどうしていいかわからない。走って逃げ出そうかどうしようか考えた。で、わしは思った。ここはひとつ大きな声でやつに歌でも聞かせてやったほうがよかろうと。そのときクマのやつが仁王立ちに立ちあがった。とにかく大きなクマだった。いきなり立ちあがったもので、ああもうだめだと、わしは思った。やられると。だがわしはお構いなしに大声でやつに話しかけた。歌もうたって聞かせた。するとやっこさんが地面に腰を下ろしたではないか。だからわしも道の上に腰を下ろした。そうやって腰を下ろしてみると、やっこさんがこっちが必死に話している話を聞いていることがわかった。そしてしばらくすると、クマはまた腰をあげて、そのまま来た道を帰っていった。わしは5分ほどその場に突っ立ってクマを見ていた。そのまま後ろを向いてもと来た山道を駆け上るべきかどうかきめかねてな。で、わしは意を決してクマの後ろについてしばらく歩いてみることにした。やがてクマはそのまま大きな岩の向こう側に姿を消してしまった。まあ、動物というのはそういうものだ。連中もこっちが怖いのだな。だからこちらから話しかけたり、歌を聞かせてやったりすることで、あの人たちとも友だちになれる。そこに立っている木だって同じことだ。歌を聞かせてやればやるほど、どんどん大きく育つ。
コービン・ハーネィ(ウエスタン・ショショーニ)

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Friday, January 14, 2005

SHOES OFF PLEASE

tropicalつてハワイに二ヶ月近く滞在していたことがある。なに、古代ポリネシアの人たちの精神生活にひどく惹かれるものを感じたからなのだ。ハワイ島、オアフ島、マウイ島、カウアイ島と友人の家に転がりこみ、あるときは野宿をしながら、またあるときはコーヒー豆の収穫をする季節労働者のための仮小屋に寝泊まりしつつ、聖地巡りなどして不思議な魔法のような時を過ごした。祝福の雨にも濡れたし、たくさんの虹が空に架かるのも見た。ハワイというのは気候がよいので野宿をするのも毛布が一枚あれば事足りた。別におおげさな寝袋が必要なわけではない。海岸のキャンプ場の近くの森の中で眠り、朝起きたら海水浴客のためのシャワーを浴びることもできた。道ばたでたわわになっているフルーツもたくさん食べた。三千メートルを超す山にも登ったし、天然の温泉プールにも入った。キラウエアも噴火した。そこでハワイで最も印象に残っていることを今回は書いておく。

それはアメリカ本国と違ってハワイではほとんどのロコの家がたずねていくと、家の中に入る前に玄関のところで必ず「履き物を脱ぐようになっている」ことである。ジューズ・オフなの。別に日本のように土間付で段差のある玄関があるわけじゃない。家の造りはいわゆる西洋スタイルになっていて、靴を履いたまま中に入れるようにはなっているのだけれど、みんな入り口のところで、あたりまえのようにまず履き物(スニーカーやサンダル)を脱いで家の中にはいる。ていねいに「靴は脱いでください」と書いてあるところもある。だからたくさんの友だちが集まる家では家の外にまで脱いだ履き物が並べられたりしているのも珍しくない。この風習は、日系のハワイ人たちがはじめたものなのか、ポリネシアの人たちが起源なのかよく分からない。日本国で生まれて育つと入り口で履き物を脱ぐことは当然のことで疑問も感じないのだが、メインランドで長く生活して家の中まで靴を履いてはいることにずっぽりなれている人たちには、それがおそろしく奇妙な風習に思えるらしい。

その昔LAでアパートを借りて暮らしていたとき、ぼくは入り口のところで必ず靴を脱ぐようにしていた。ドアを開けるといきなりカーペットになっていてそこに土間があるわけでもないのに脱いだ靴をそこに並べておく。ときおり管理人のホブなどが訪ねてくるとそのままごっついワークブーツでずかずかと入り込んできた。ヨーロッパからの渡来系アメリカ人の子孫たちの風習には、家にはいるとき靴を脱ぐということがもともとないから、たいてい入り口の前にウェルカムマットが敷かれていて、靴裏の土を落としてから家の中に入るようになっている。めりけんじやっぷ(アメリカに暮らしている日本人)でも家族持ちはたいてい家の入り口のところで履き物を脱ぐようになっていたが、独身男性にはアメリカンスタイルのものもかなりいた。まあ風習の違いといってはそれまでのことなのだが、ハワイにいてなにが心地よいといって、家の中で靴を履いている人をほとんど見ないことほど、こころなごむことはない。気候が気候だから、靴を履いているより家の中では裸足がよいのに決まっている。

こうした家の入り口で靴を脱ぐ風習が、21世紀になってメインランドでどのくらい広まっているのか興味あるところだ。(ニューヨークで誰もが知っている超有名な人を高級アパートに訪ねたことがあるけれど、彼女の家は入り口で靴を脱ぐようになっていたぞ。なにしろふかふかの絨毯が家中に敷き詰められていたっけ)いずれにせよ、ハワイを訪れるときには脱ぎやすい履き物を履いていくこと。

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Thursday, January 13, 2005

良い朝!

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Wednesday, January 12, 2005

神聖な色

多くのネイティブ・ピープルの部族が、自分たちにとって神聖な色を持っています。そしてその色には特別な意味があるとされているのです。例をあげると、チェロキーの人たちが大切なものとしている色は「赤」と「黒」です。彼らはさまざまな儀式や踊りのときにこの色の衣服を身につけます。「赤」は「太陽の昇ってくる東」を意味し、「黒」は「太陽の沈む西」をあらわしています。彼らにとって「白」は「南」を、そして「青」が「北」を象徴する色とされるのです。一方、南のマヤの人たちは「東」を「赤」、「西」を「黒」とするところまでは同じですが、「南」は「黄色」で、「北」が「白」となっています。「南」の「黄色」は「聖なるトウモロコシ」を象徴するのです。

ところで古代中国の影響が色濃い「日本国」では、大相撲の土俵の房の色や、キトラ古墳の四方の壁の色から判断して「東」が「青」で、「南」は「赤」、「西」が「白」、「北」が「黒」となっています。

中国の影響下に入る以前のわたしたちの聖なる色はなにだったのでしょうね?

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Monday, January 10, 2005

アメリカへのスピリチュアル・メッセージ

Spiritual Message To America From Our Nations Native Elders


われらがネイティブの国々のエルダーたちから
アメリカにむけてのスピリチュアル・メッセージ

redturtle今から5年前の8月下旬のこと、この年西洋文明にとっては大きな区切りの年を迎えたアメリカのミネソタ州のダルースという町(Duluth, Minnesota)で「全米インディアン高齢者会議( NICOA:National Indian Council on Aging )」の2000年総会が開催された。アラスカをふくむアメリカ各地ののべ108のネイティブの部族から1200人以上のエルダー(長老)たちが会議に参加し、全員参加のもと、アメリカという国に向けてひとつの声明を作りあげたのだ。今回紹介するのは、そのときに提出されたメッセージである。今でも公開されているこの声明はシンプルに「スピリチュアル・メッセージ」と題されている。これを読まれるに際しては、想像力の翼を思いきり広げて、自分が、どこのでもよいけれどひとつの部族に属する人間であると想像していただきたい。そして同じ一族の長老のひとりの姿を思い描きながら読みすすめてほしい。

その日、全米各地からエルダーたちがすすんで集まってきて、彼らはあなたとあなたの子供たちのために、部族的な違いや、政治的心情の違いはひとまず棚に上げて、あなたがたの生活を少しでもよくできればと、知恵の言葉を出しあったのである。ここに記録されたメッセージは、ネイティブのためのものであるだけでなく、当然等しく非ネイティブのひとたちのためのものでもある。そしてタイトルの指し示す「アメリカ」とは、もともと「アメリカ」などという国が北米大陸に存在しなかったことからすれば、「すべてのアメリカ的なライフスタイルを基盤としている国」を指し示していると考えていい。メッセージそれ自体はネイティブのエルダーたちのものではあるが、そこに表現されているものの価値は人類のすべてが賞賛しうるものであるだろう。したがってこれを読んだ者には当然ながら責任が生じる。これらの言葉は、あなたが日々作りつつある世界に対して発せられたエルダーたちの希望であり夢でもあるのだから。なおこの声明はパブリック・ドメインとされている。

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スピリチュアル・メッセージ


しき千年紀のはじまりを前にして、われわれはアメリカが生き残ることを祈り、われわれが生き残ることを祈る。

われわれはわれわれ互いが、われわれの愛と尊敬と哀れみとを分けあうために、われわれの先祖が歩んだのと同じ道をすすんでいけるだけの力が、創造主より授けられることを祈る。すべての人間の中に善なるものがあるのは、あらかじめわれわれの創造主が、御自らの一部をわれわれひとりひとりの中にお入れになったからである。

われわれは互いに与えあった苦痛と苦しみにたいして許しを求めて祈る。

われわれはわれわれの子供たちが同じあやまちを繰り返さないことを祈る。

命はひとつ残らず神聖なものであり、われわれは、われわれにアメリカの多様性を尊ぶ能力のあることを祈る。子供たちは誰であれひとり残らず、われわれの創造主から与えられた大切このうえない贈り物として生まれてくる。われわれはみなひとつの同じ家族の一員なのであるから、どこで暮らし、なにをしていようが、子供たちを抱きしめることは聖なるつとめである。

われわれは子供たちが一族の長老たちを、すなわち智慧の源であるエルダーたちを、尊び敬うことを祈る。忘れ去られた年寄りたちがいるようではけして敬っていることになどならない。われわれはみな平等であり、すべての者にそれぞれなにか貢献できる特別な才能が授けられている。それらの価値があることで、われわれの社会では若者が指導者になることも働く者になることも許される。子供たちよ、あなたがたはわれわれの未来であり、人びとに与えられた希望である。しかと二本の足で立ち、勇敢であれ。

われわれは、個人的な成功の達成のためと、他の人たちの成功に貢献するために、われわれにもたらされた智慧を学んで、かつ用いることを祈る。若者たちが、万物を敬うことを学んだときにだけ、われわれの若者たちは進化できるのだ。


地球

われわれは母なる地球を敬い愛することを祈る。なぜなら、人類の存続はひとえに彼女を基盤にしており、われわれはわれわれの後ろを旅する者たちのために、母なる地球を無公害のまま維持していかなくてはならない。母なる地球の水と空気と土と木々と森と植物や動物たちを守護せよ。

資源をいたずらに浪費するなかれ。資源の節約を優先せよ。

大地が創造主からわれわれに授けられたのは、所有するためにではなく、世話をするためである。われわれが大地の世話をするならば、大地もわれわれの面倒を見てくれれよう。


ユニティー

われわれは互いにもっとずっと尊敬しあうべきだった。われわれは、助けを必要としている人たちを助け、彼らに援助と友情を与えるために、全力を注ぐこととと責任ある行動を求めて祈る。人生においては他の人たちが後に従うような手本であれ。自らの一族と共同体と国のために奉仕せよ。

われわれは誰もが指導者や貢献者となるべく努力すべきである。ひとり椅子にふんぞり返って頭も使わずに、いっさいを他人任せにすることがあってはならない。

われわれはひとつにつながろうではないか。そうすれば、われわれも自分たちの未来を守るぐらいの力は持てるかもしれぬ。その力は幾多の困難を通じてもたらされる。


健康

スピリチュアルな健康こそ、ホリスティックな健康の鍵である。

われわれは、われわれの子供たちがたどれるような健康的な鍛錬の例えが示されることを祈る。

この宇宙において万人と万物とを敬うことはまず自らを敬うことにはじまる。

おのれの肉体とスピリットの声に耳を傾ける時間を持ち、その世話をせよ。


家族と若者

家族は大切であり貴重なものである。常に家族には自分たちが愛されていることをわからせておきなさい。

子供たちや孫たちには彼らがいついかなるときにもあなたがいつでもそこにいて愛し支援していること、彼らがなにをしなにを言おうとも、あなたにとっては彼らが世界を意味しているのだと言うことを知らせておきなさい。子供たちというのは無限の価値がある存在なのだ。

あなたは、あなたが教えるままに生きなくてはならない。スピリチュアルなものへの価値、正直さ、高潔さは、どれも家庭よりはじまる。

われわれは若者のために祈る。若者たちに、ともに働くことと、われわれの母なる地球に生きるすべてのものたちを敬うこととを、われわれは教えなくてはならない。

われわれはわれわれの若い世代に、われわれの一族が生き残れるかどうかは精神性(スピリチュアリティー)によることを伝える必要がある。


平和

われわれは、それぞれの違いが違いのまま、平和裏に解決されることを祈る。

他の人たちの考えていることを敬うことを教えなさい。子供でも、親でも、共同体でも、政府においても、いかなるレベルにおいて正直さを尊重せよ。みなが力を合わせて平和を作りあげたとき、われわれは幸福になれるだろう。

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七世代後へ

  • 生き残るべし
  • 希望と夢を持ち続けよ
  • 自分の健康は自分で守れ
  • おのれのスピリットを忘れるな
  • 誰かといるときは相手を思いやれ
  • 勇気を敬え
  • 知識は分けあえ
  • 常に学び続けよ
  • おのれの真の価値を忘れるな


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Sunday, January 09, 2005

聖なる言の葉のなかから

以下に『聖なる言の葉—ネイティブ・アメリカンに伝えられた祈りと願い』(スタン パディラ 編  北山 耕平 訳 マーブルブックス/中央公論新社刊 2004年)のなかから「祈り」そのものを取りあげてみた。これまで本ブログでは「一日二十四時間を祈りに」(Tuesday, March 30, 2004)として同書を刊行する理由を、また「忘れていた祈りの歌」(Friday, April 16, 2004)としてその後書きを掲載してきた。もしまだお読みになられていないなら、どうかそちらも目を通していただきたい。今回は、その中から『祈り」の詩を3篇選んで紹介する。こうした祈りに対する必要性がここへきていっそう高まっていると感じたからだ。あなたのハートにこれらの言の葉が届くことを願わずにはいられない。

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プレアデス


見たまえ
空と陸の出会う線のむこうで
ゆっくりと、ゆっくりと、起きあがる
プレアデスを!

ご覧あれ!
昇りきて彼らは、われらに道を示す
万全の導きで、われらをひとつにまとめる
プレアデスよ!

汝らのごとく
われらがひとつにつながる道を
なにとぞ指し示したまえ

パウニー
Pawnee tribe





母なる地球への祈り


ここに横たわりしわれらが母なる地球よ
豊かな恵みをもたらす母よ
われらに力をお与えくださりし母よ
ここに横たわりし母なる地球に、
いざ感謝を捧げん。

ものみな生育する大地、母なる地球を見よ
豊かな恵みの約束された大地を見よ
母がわれらにお与えくださった御力
ここに横たわりし母なる地球に、
いざ感謝を捧げん。

一面に広がる木々の森、母なる地球を見よ
豊かな恵みの約束された大地を見よ
母がわれらにお与えくださった御力
ここに横たわりし母なる地球に、
いざ感謝を捧げん。


パウニー
Pawnee tribe





ナバホの祈りの歌


わたしは地球を見る。
彼女をのぞき込み、
笑いかける。
なぜなら、彼女は、わたしを
幸せな気持ちにしてくれるから。
地球も
わたしを見返して
笑いかけてくれる。
願わくは、彼女のうえを行く、
わたしの歩みが
晴れやかで、軽やかで
ありますように。


ナバホの祈りの歌
Navajo prayer song



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Saturday, January 08, 2005

心に浮かぶ言葉

の土曜日の朝、家の中ではストーブが音を立てて燃えている。晴れてはいるが外の風は冷たくて、林の木々も静まりかえっている。時折雲間から日が差して、一瞬世界が明るくなるものの、じきにまた雲の中に太陽が隠れて、いつもの寒い冬がかえってくる。熱いコーヒーをすすりながら、CNNテレビで今し方まで「ラリー・キング・ライブ」を見ていた。テーマは「GOD AND TSUNAMI(神とツナミ)」。アメリカの各地から、キリスト教、ユダヤ教、仏教、ニューエイジのスピリチュアル・リーダーらが揺るぎのない信仰と今回の大災害について語り合っていた。この番組が、即何かの役に立つとは思わないけれど、地球規模の出来事に対して悲劇をのぞき見るニュース程度の関心しか払わず、目と耳とを覆いたくなるぐらいにくだらないものばかりを垂れ流している日本のテレビ各局の番組を見ているよりは、はるかに気持ち的にも納得できるものだった。いったいこの国のメディアの人たちは、今地球で起きていることに対して、なにを考えているのだろう? なにも考えてはいないのか? 地球規模で悲しみを分け合わなくてはならないこのときに、テレビの中でグルメの旅をしたり、うまいものをにこやかに食べて見せたり、程度の低い笑いに逃避したりすることに、彼らはほんとうに意味を見いだしているのだろうか? 落差の激しいうわついた言葉だけが流されている。いったいこれはなにを意味しているのだろうか? この国に生きている精神的な人たちの声がなにひとつ伝わってこないのはなぜなのか? 仏教者や、宗教学者や、偉そうなことを説く小説家の声は、どこに響いているのか? われわれはなにかとてつもなく大切なものから目をそらしているのではないのか? この国のシステムは常にその中に暮らす人たちが本質から目をそらしたままでいるように仕向けることに勢力をつぎこんできた。ほんとうに大切なもののことなんか考えてもらっては困るとでも言うかのように。わたしはかつてそうした生き方を「楽しい奴隷暮らし」と呼んだことがある。その言葉にわたしはコピーライトを主張するものである。誰であれその言葉を使うものはわたしに許可を求めてほしい。「楽しい奴隷暮らし」とは、「奴隷暮らしが楽しすぎて誰も奴隷をやめようとなんて思わない」状態を意味する。奴隷暮らしを楽しんでいる人たちは自分が奴隷だなんて考えてみたこともない。世界に対して門を閉じていたか、世界などというものが存在しない時代ならいざ知らず、網の目のようにネットワークが地球を覆い尽くしている今も、「奴隷暮らしの楽しさ」にしがみついたままでいるのはなぜなのか? 進んで牢屋の中に入ってその中で自分は自由だと思いこんでいる悲しさと滑稽さ。地球の声に対して、いったいわれわれはなぜこれほどまでに鈍感になってしまったのだろうか? 林の中で鳥たちが鳴いている。空が明るくなることはあっても、心にまでは太陽の光は差し込まない。偉大なる覚醒の時を前にして、今は癒されることのない悲しみを分かち合う時。 

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Thursday, January 06, 2005

ホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン

WHITE BUFFALO CALF WOMAN STORY
As told by John (Fire) Lame Deer


ラコタの聖なる人であり、メディスンマンであり、おそらくは「ヘヨカ(へそまがり道化)」でもあった故ジョン・ファイアー・レイム・ディアーが、1967年に語ったホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン(白いバッファローの仔牛の女)についての話


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    John (Fire) Lame Deer , 1903-1976

ジョン・ファイアー・レイム・ディアーは、ラコタの聖者であり、そしておそらくは「ヘヨカ(世界を逆さまにする人)」であった人物である。サウスダコタにあるローズバッド居留地(リザベーション)に生まれた彼は1972年に写真家で作家のリチャード・アードスの力を借りて『The Seeker of Visions』邦題『ヴィジョンを求める者(インディアン魂)』(河出書房新社刊行)を著わし、それから4年後にローズバッドの居留地で亡くなっている。彼の精神的な面を引き継いで教えを守っていた息子のアーチー・レイム・ディアー(Archie Lame Deer)もまた先ごろ亡くなった。今回掲載する白いバッファローの仔牛の女の物語は、1967年にジョン・ファイアー・レイム・ディアーが自らが語った貴重な記録を底本にしている。翻訳はもともと2004年の夏至の日にむけてこの「Native Heart」の誌面において少しずつ掲載してきたものだが、読者の便宜を考えて今回一括掲載することにして、細部に少々手を入れた(これにともなって以前の細切れバージョンはすべて削除した)。それからレイム・ディアー翁は、いわゆる「メディスンマン・イングリッシュ」とか「ハイ・イングリッシュ」といわれる独得のストーンした英語を操るのに長けた最初で最後の世代の一員であり、彼のシンプルで力強くぶっとんだ英語も、おそらくは英語の勉強に役に立つことがあるかもしれないので、これもあわせて末尾に掲載した。どうかお役に立てていただきたい。(北山耕平)

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士の部族であるスーに伝わる格言のひとつに「女は男の前を歩くべからず」というものがある。にもかかわらず「白いバッファローの女」は、一族に残されているきわめて大切な伝説のなかで、もっとも力を持つ存在とされるものである。

メディスンマンのクロー・ドッグはこう説明する。

この聖なる女性がスーに聖なるバッファローのパイプをもたらした。それがなければインディアンなどひとりも残ってなどいなかったかもしれん。彼女が訪れるまでは、ひとびとはいかに生きればよいかを知ることもなかった。なにひとつ知らなかったのだ。バッファローの女が、ひとびとの頭のなかに彼女が持っていた聖なるものについての考え方をそそぎこんだ。だからサンダンスの儀式においては、普通は大人の、誰からも尊敬されている一族の女性のひとりに、そのバッファローの女の役が誉れとして与えられることになっている。

彼女はスーのところに人間の姿形で最初にあらわれたわけであるが、同時にまた白いバッファローの女は、インディアンたちの兄弟である一頭のバッファローでもあって、ひとびとがこれからも生きていけるようにとその身を差し出してもくれたのだ。白い仔として生まれてきたバッファローは、全平原インディアンたちがこれを神聖なものとし、白いバッファローの毛皮は不思議な力を秘めた聖なるお守りとされて、およそ値段などつけられないほど大切なものとして扱われた。


いぶんと昔、だれもにもどれくらい昔のことだったかわからないぐらい遠い昔の、ある夏のこと「オチェティ・シャコウィン」つまり「ラコタ・オヤテの国の七つの聖なる会議の火」が招集された。野営地では太陽がずっと照りつづけ、おかげで狩猟もままならず、一族のものたちは腹をすかせていた。毎日毎日、獲物を探すためのスカウトが送り出されたが、誰もなにひとつ獲物らしい獲物を見つけることができなかった。

集まっていたバンドのなかにイタジプチョ(「弓なし」)組もあり、彼らはチーフであるスタンディング・ホロウ・ホーン(直立した中空の角)のもと、野営地のなかに自分たちの陣を張っていた。ある朝早く、チーフは配下のふたりの若者を、獲物を探すスカウト(斥候)として送りだした。ふたりは徒歩で出発した。当時はまだスーのところには馬などなかったからだ。スカウトたちは国のなかをくまなく探したが、なにひとつ獲物を見つけることができなかった。小高い山が目に入ったので、国中を見渡すために、ふたりはその頂にのぼることにした。山を半分ほど登ったところで、遠くの方からなにやら近づいてくるものがあることに、ふたりは気がついた。それは歩くというよりはふわふわと空中を漂って近づいてくるように見えたので、近づいてきつつある人物らしきものがワカンなものであること、神聖な存在であることがすぐにわかった。

はじめは小さな動く点のようにしか見えなくて、かろうじてそれが人間の形をしているらしいとわかるためには、ふたりは目を細めて見なくてはならないほどだった。だがこちらに近づいてくるにつれ、それがひとりの見目麗しき若い女性であることがわかってきた。これほどまでに美しい女性にはふたりともお目にかかったこともなかった。両の頬には赤い丸がペイントされていた。太陽光に長くさらすことで輝きを増した白いバックスキンの見事な衣装。ヤマアラシの棘で見事な模様の描かれた刺繍は鮮やかな色に輝いて、およそ誰にでもつくれるような代物ではなかった。このワカンである見も知らぬ人物こそ、プテサン・ウィ、つまり白いバッファローの女その人なのであった。両方の手のなかに大きな包みとセージの葉でつくった扇を抱え、青みがかった黒髪は顔の左側の一房だけをバッファローの毛皮でひとつに束ねていた。ふたつの黒い瞳はまばゆいばかりに輝き、ただならない力を宿していた。

ふたりの若者はその女性に目を奪われたまま口をあんぐりとあけていた。ひとりはただならぬ雰囲気に威圧されて手も足も出なかったが、もうひとりは彼女の見事な肉体にムラムラっときて、手を伸ばして彼女にさわろうとした。その女性はリラ・ワカンな存在、極めて神聖な存在だったから、そのような礼を欠いた行為が許される訳もない。いきなり雷がその手を伸ばした無作法な男を直撃して、男は一瞬で焼き殺され、黒こげになったわずかな骨だけが残された。またある者によれば、その男はいきなり雲の塊に包まれて、その雲のなかで彼は蛇たちに食べられて、残ったものは骸骨だけだったとも言われている。いうならば情欲が男の身を滅ぼしかねないという話だ。

もうひとりの、ただしいふるまいをした斥候の若者にむかって、ホワイト・バッファロー・ウーマン(白いバッファローの女)が口を開いた。「わたしはもろもろの良きものをもってきています。それはあなたがたの国に授ける神聖なものです。バッファローの国からあなたがた一族へのメッセージを、わたしはここにたずさえてきました。野営地に帰って、わたしの到着にそなえるための準備をするよう、みんなに伝えなさい。あなたがたのチーフには、24本の柱を使って、メディスン・ロッジを建てるように伝えなさい。わたしが到着するまでには建物を神聖なものとなしておくように」と。

メディスン・ロッジ 清められて不思議な力の入る準備のできた堂のことで、この場合は24本のポールでつくられるひときわ大きなティピのこと。


の若者は野営地にとって返し、聖なる女性から伝えられた指図をチーフとそのまわりの者たちに伝えた。ついでチーフが「イヤパハ」に、つまり伝令にこれを告げ、伝令は野営地のなかを大声で

「聖なる人がやってくるぞ。神聖な女性のおつかいが近づきつつある。全員でお迎えの準備を整えよう」

と叫んでまわった。そこでひとびとは不思議な力の入るための大きなティピを建てて待ち構えた。

そしてそれから四日後、ホワイト・バッファロー・ウーマンの近づいて来る姿が見えた。白いバッファローの女は胸のところで包みをしっかりと抱えていた。彼女の身にまとった見事な白いバックスキンのドレスが遠目にも輝いていた。チーフのスタンディング・ホロー・ホーン(直立する中空の角)はその女性をメディスン・ロッジに招き入れた。彼女は大きなティピのなかに入り、そのまま中を太陽と同じ巡り方で一周した。チーフがかしこまって彼女に声をかけた。

「妹よ、われわれにご教授たまわるとのこと、喜びにたえません」

聖女はチーフに自らの望みを伝えた。かくしてティピのまんなかにオワンカ・ワカンが、聖なる祭壇が設けられた。祭壇は大地の赤い土とバッファローの頭蓋骨と、彼女がたずさえてきた神器を載せるための三本の棒を組み合わせてつくられる台とで構成されていた。ひとびとが彼女の指示にしたがって祭壇を作りおえると、平に滑かにされた土の祭壇のうえを、聖女は確かめるように指でなぞっていった。彼女はそうしたことのすべてをひとびとの前で行ってみせ、それからまた広間のなかを太陽と同じように一巡した。そしてチーフの前で立ち止まって、おもむろにあの包みを広げた。その包みのなかに収められていた神器こそ、チャヌンパだった。聖なるパイプである。彼女はそれをひとびとによく見せるために高く掲げた。右の手でパイプの柄をつかみ、左の手はボウルに添えられていた。そしてこのとき以来、パイプを捧げ持つときにはそのように持つようになっている。

再びチーフが口を開いた。

「妹よ、なんとありがたきことかな。われわれはここしばらく肉を口にすることができないでいます。私たちがあなたにさしあげられるものは水だけなのです」

それからひとびとはいくばくかのワカンガを---スイート・グラス---を、革袋のなかの水に軽く浸してから、それを聖女に与えた。このときから今日にいたるまで、清められることになる人にむかっては、スイート・グラスや鷲の羽根を水のなかにひたして、それで水をふりかけることになっているのだ。

ホワイト・バッファロー・ウーマンはパイプの扱い方をひとびとに示してみせた。赤柳の皮からつくられた「チャン・シャシャ」と呼ばれる煙草をパイプにつめ、ロッジのなかを、アンペトゥ・ウィとおなじように、偉大なる太陽の巡りとおなじように、歩いて四周した。

そうやってロッジのなかを周回することは、終りのない円を、聖なる輪を、生命の道を、あらわしていた。ホワイト・バッファロー・ウーマンは乾いたバッファローの肉のかけらをひとつ火のうえにのせて火を移し、それでパイプの煙草に火をつけた。それがペタ・オウィハンケシニ、終ることのない火、世代を越えて伝えられるべき炎だった。そして彼女はひとびとにむかってこういった。パイプのボウルからたちのぼる煙は、トゥンカシラの息なのだと。偉大な曽祖父である神秘なるものの、生きている呼吸なのであると。


ワイト・バッファロー・ウーマンは祈りの正しいあげ方と、正しい祈りのための言葉と、祈りのための正しい身のこなしかたとを、ひとびとにわかるようにみんなの前でやってみせた。それからひとびとにパイプをつめるときに口にする祈りの歌の唄い方を教え、パイプを空に---偉大な曽祖父に---むかって捧げるときと、パイプを大地に---偉大な曽祖母である地球、ウンシに---むかって捧げるとき、そして宇宙の四つの方角にむかって捧げるときのやり方を、自らお教えになられた。

「このパイプを持っていれば」彼女が言った。「あなたがたは生きている祈りのごとく歩いていけるでしょう。大地に両足を踏みしめて立ち、パイプの柄を大空に届かせれば、あなたがたの体は足のしたにある聖なるものと、頭のうえにある聖なるものとをつなぐ、生きた掛け橋を形作るでのです。ワカン・タンカが微笑みをわたしたちに授けてくださるでしょう。大地も、大空も、すべての生きてあるものたち、二本脚のものたちも、四本脚のものたちも、翼を持つものたちも、木々も、草ぐさもなにもかもが、そのときにはひとつになっているのですから。ひとびととともにそうしたものがことごとくみなひとつにつながりあい、そのすべてでひとつの大きな家族を構成しています。このパイプがそれらをひとつに繋ぎとめているのです」

「このパイプのボウルを見なさい」ホワイト・バッファロー・ウーマンは続けた。「ボウルの石はバッファローをあらわしていますが、それはまたレッドマン(インディアン)の肉と血もあらわしているのです。バッファローは、四本の足でしっかりと立っていることから、そのまま宇宙とその四つの方角をあらわすと同時に、人類の四つの時代をあらわしてもいるのです。バッファローはワカン・タンカ自らがこの世界をお創りになられしとき、水があふれ出さないようにと、西の方角にわざわざ置かれたものです。バッファローは毎年一本ずつその毛を失うだけでなく、ひとつの時代ごとにその足を一本ずつ失っていきます。偉大なるバッファローの毛がすべてなくなり、その四本の足がすべてなくなったとき、聖なる輪は終りを迎え、地球のうえを再び水が覆いつくすことでしょう」

「このチャヌンパの木でつくられた柄は地球のうえに生えるすべてのものをあらわしています。その柄がパイプのボウルにつながっているところ、いうならばパイプの背骨が頭蓋骨とつながっている部分から、12枚の羽根がさげられているでしょう。これらの羽根は、ワンブリ・ガレシカからの、斑の鷲からのいただきものです。斑の鷲は、たいへんに神聖なものであり、グレイト・スピリットの使いであって、トゥンカシラに向かって声をあげるもののなかでは最も賢いものです。このボウルの部分をよくご覧なさい。大小さまざまな7つの円が彫り込まれているのがわかるでしょう。この7つの円は、あなたがたがこのパイプとともにおこなうことになる7つの儀式をあらわしているとともに、オチェティ・シャコウィン、わたしたちのラコタの国を形作っている7つの聖なる野営地の焚き火もあらわしているのです」

ホワイト・バッファロー・ウーマンはそれから一族の女たちにこう話しかけた。一族のみなを生かしつづけるものは、あなたがたの手の御働きであり、あなたがたの肉体の御恵みであると。

「あなたがたこそ母なる地球より生まれた人たち。あなたがたのしていることは、戦士たちのしていることとかわらぬほど偉大なことなのです」

そしてそのゆえに、聖なるパイプは男女を愛の輪のなかでひとつに結び合わせる働きをするものでもあるのだ。それは、男と女がともに等しく触れながらつくりあげていくただひとつの神器である。男はボウルを彫り、柄を作る。女は色鮮やかなヤマアラシの針でつくる帯を巻きつけてそれを飾りたてる。男が妻をめとるとき、ふたりは一緒にそのパイプを捧げ持つことになるのだが、そのときふたりの手は、赤い布で怪我をした時のようにぐるぐるまきに巻かれていて、それによって死ぬまでふたりは結びあわされることになっている。


ワイト・バッファロー・ウーマンがもっていた聖なる子宝袋(子宮)のなかには、ラコタの妹たちのためのものがたくさん収められていた。たとえば、トウモロコシ、ワスナ(ペミカン)、野生の蕪(かぶ)など。彼女は囲炉裏の火の起し方も教えた。そして水を入れたバッファローの胃袋のなかに赤く焼けた石をひとつ落とし入れ、みなにむかってこう言われた。

「トウモロコシや肉はこのようにして調理するように」

ホワイト・バッファロー・ウーマンはさらに子供たちにむかっても話をされた。子供たちが年齢を越えた理解力を持っていたからである。あなたがたの父親たちや母親たちのしていることはあなたがたのためになるのだと、彼女は子供たちに諭された。両親たちも自分たちが小さかったころのことを忘れてはいないし、あなたがた子供たちだって大きくなれば自分の子どもを持つことになるだろうからと。彼女は子供たちにこう話された。

「あなたがたは来るべき次ぎの世代なのです。あなたがたがもっとも大切で貴重な存在であるのもそのためです。いつか時がくれば、あなたがたもこのパイプを手に取ってそこから煙を吸いこむことがあるでしょう。いつか時がくれば、あなたがたもパイプとともに祈りをあげることになるでしょう」

彼女は再度全員にむかってこう語りかけた。

「このパイプは生きています。赤い色をしたいのちそのものであり、それはあなたがたに赤い生き方を、赤い道を、指し示しています。今回はあなたがたがパイプを使うことになる最初の儀式となるでしょう。パイプはワカン・タンカにむかって、偉大なる謎にむかって、使うことになります。人が死んだ日は、いつでも必ず聖なる日となしなさい。その魂がグレイト・スピリットにむかって解放された日も、また別の聖なる日となしなさい。そうした聖なる日には、四人の女性が聖女となることでしょう。そしてこの四人が、キャン・ワカンのための、サンダンスのための聖なる樹を切り倒すつとめも、果たすことになるのです」

彼女はラコタの者たちにあなたがたこそが全部族のなかで最も純粋な一族であると告げた。そしてそうであるからこそトゥンカシラもあなたがたに神聖なチャヌンパ(パイプ)をたまわったのだと。ラコタの者たちは、この亀の大陸に生きる全インディアンたちのために、パイプの世話をするために選ばれたのである。

亀の大陸。亀の島とも呼ばれる。北米大陸のこと。そこに暮らすネイティブ・ピープルたちは、長いこと自分たちをささえてくれている大地を亀の背中にのっている大地であると認識していた。世界ができたときには海しかなく、海の底から大地を引きあげたのが亀だった。



う一度最後に彼女は、チーフであるスタンディング・ホロウ・ホーン(直立した中空の角)にむかって、こう語りかけた。

「くれぐれも忘れないようにしなさい。このパイプはたいへんに神聖なものです。敬意を持って扱いなさい。そうすればパイプがあなたがたを道の最後まで連れていってくれるでしょう。天地創造の四つの時代はわたしのなかにあります。わたしが、四つの時代なのです。世代がかわるごとに、私はあなたがたに会いにくるでしょう。あなたたちのところに戻ってきます」

そう言葉を残すと、神女は一族の者たちに別れを告げた。

「トクシャ・アケ・ワシンヤンクティン・クテロ−−−−いずれまた会うこともあるでしょう」

やってきたときと同じ方角にむかって彼女が歩き去るのを、ひとびとは見つめた。沈みゆく日輪の赤い火の玉のなかに彼女の黒い影が浮かびあがっていた。遠ざかる途中で彼女は立ち止まり、地面のうえでその体を四度、回転させた。最初に体を回転させると、その姿は黒いバッファローに変身していた。二度目には茶色に、三度目には赤く、そして最後の四回目に体を転がすと、彼女は白い雌のバッファローの仔になっていたのだ。白いバッファローはひとびとが遭遇するなかでもっとも神聖な生き物なのである。


ワイト・バッファロー・ウーマンは地平線のかなたに姿を消した。いずれ彼女が帰ってくることがないともかぎらない。その姿が見えなくなるとすぐに、とてつもない数のバッファローたちの群れがいずこからともなくあらわれて、一族の者たちが生き残っていけるようにとその生命を差し出してくれた。そしてその日以来、われわれとバッファローの関係はあらゆるところで切っても切れないものとなり、食料としての肉、衣服や住居となる皮革、さまざまな道具となる骨などいう具合に、バッファローが必要なものはすべて提供してくれるようになっている。

現在サウスダコタのイーグル・ビュットで暮らしているルッキング・ホース家*が、部族に伝わる古いふたつのパイプを守護しつづけている。そのうちのひとつが、ホワイト・バッファロー・ウーマンからわれわれの一族の者たちにもたらされた聖なるパイプなのである。

(完)

*ルッキング・ホース家 現在はサウスダコタのイーグル・ビュットに居を構える第19代目のアーボル・ルッキング・ホースがそのパイプの守り人となっており、このときひとびとのために与えられた「聖なるパイプ」が、アーボル・ルッキング・ホースによって運ばれてきて、2004年の6月21日の夏至の日に、日本列島最大の−−−−そしておそらく日本列島で最も傷ついている−−−−聖なる山とされる富士山における「世界平和のための祈りの日」の儀式に使われることになっていたが、折からの(パイプが招き寄せた)台風の豪雨のために、最後まで袋から取り出されることはなかった。

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▼Original English Text

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Wednesday, January 05, 2005

でも、なぜ?

年の秋に「日本国の米どころ」で大地震が起き、年末には南アジアで巨大地震とそれに伴う大津波が発生して以来、今年になってもなお、いったいなにがこの惑星地球で起きているのかを考え続けている。それは「自然災害」、あるいは「天災」としかいいようがないものなのだが、なにがやりきれないといって、たくさんの罪もない人たちが、それも特に子供たちが、命や全生活を失ってしまうのをあからさまに、ショッキングな映像として見せられることに、悲しみ以上のものを覚えるのは、自分だけではないだろう。そのうえ、生きていく力を失ったそうした人たちのわずかな財産を狙う泥棒があとを絶たず、さらには孤児となった子供たちを異国に売り飛ばそうとする輩が跋扈(ばっこ)しはじめていることには、あきれるというか、怒りすらこみあげてくる。

われわれの暮らすこの世界が混乱の極みにあることは間違いない。あらゆる価値が崩壊していっているようだ。この地球でとてつもない自然災害が起きて無数の人命がほんの一瞬のうちに失われてしまったのは、いったいなぜなんだろう? その災害が起きた南アジアの近くの中東では戦争が今も続いていて、毎日千人ほどの人たちが、敵や味方の爆弾や地雷や処刑の名のもとに命を落としていっているのは、いったいなぜなんだろうか?

政治家や科学者やジャーナリストたちなら、集めることができるさまざまな事実関係のデータや証拠を使って、今起こっていることについてのそれなりの理由を述べてくれるかもしれない。事実そうした「解説」をしてくれる人たちがテレビの中にはあふれている。しかしいくらそうした人たちの話に耳を傾けても、最後には必ず「でも、なぜ?」と自分に向かって問いかけているおのれの姿を僕は発見する。いったいぜんたい、なぜなんだろう?

●文化的・精神的な観点から

このような種類の災いが起こることについては、政治的・科学的な視点以外にも、文化的な、そしてスピリチュアルな観点から説明することも可能である。アメリカ・インディアンの文化に詳しい人なら、まっさきに「浄化の時」という言葉を思い浮かべるだろう。「地球に生きる人」とわたしが呼ぶ、先住民的な世界観を保ち続けてきたネイティブ・ピープルは、人間は自然と、そして人間同士で、いかなるときも調和を保ちつつ生きなくてはならないという先祖伝来の教えを大切にしてきている人たちである。彼らは「地球とそこに暮らすいっさいの命あるものたちを敬わなくてはならない」と言い続けてきた。

そしてこうした教えや警告をないがしろにするようになったとき、われわれの目を覚まさせ、われわれが正しい祈りをあげていなかったことや、正しい生き方をしていないこと、生き残るために欠かせない大地と水と空気に対しするいい加減な扱いや、地球を尊ばなくなっていることを気がつかせるために、「おそろしいことが起こる」とされてきた。ネイティブ・アメリカンの長老たちが長いこと言い続けてきたこと、わたしに道を指し示してくれた今は亡きローリング・サンダーが世界に必死に伝えようとしていたことは、まさしくそのことであった。そうした教えの数々は、いまだに耳を傾ける価値を持っている。おそらくそれは「真実」なのかもしれない。

これはなにも今回の巨大地震とそれによって発生した大ツナミの被害を受けたところにだけ当てはまるのではない。日本列島において地震や洪水の被害を受けた土地の人たちだけに当てはまるもののでもない。「警告」はすでにさまざまに形を変えて地球の各地に示されてきている。干ばつに襲われるかもしれない。原因不明の病で人びとが倒れはじめるかもしれない。さまざまな動物たちが姿を消しはじめるかもしれない。大地が、母なる地球が病んでいるのである。彼女は息も絶え絶えになにかを伝えようとしている。

おそらく今という時は、われわれがもう一度「地球に生きる人たちの伝統的な生き方」や「祈りの仕方」「祈りの歌」を思い出し、学びなおす時なのだろう。そのときがきているのだ。ネイティブ・ピープルとされる人たちがそうしたものを今日までしっかりと守り続けてきたのには当然ながら理由がある。ラコタの希有なメディスンマンだったレイム・ディアー翁は「そのときこそアメリカ・インディアンの出番である」と語っていた。わたしたちは彼らが守り続けてきたものを学び、その力を取り入れることで、自分の中で長く眠りこけている「地球に生きる人」を覚醒させなくてはならない。

●今はなにをするべきなのか?

大きな地震や台風や竜巻、洪水、津波などの自然災害が起きるたびに、地球に生きる人たちはいつでも自分に「なぜ?」と問いかけてきた。彼らはすべての天変地異に「理由」があることを何となく知っている人たちなのである。彼らの世界認識においては、理由なく起こることなんて、実際なにひとつないのだ。もちろん彼らがそうしたことが人びとを襲った理由を事細かにすべて説明できるとは思わない。しかしそうした時に人びとがいかに考えてなにを行動に移せばよいのかについてのある部分は、耳を傾けるに値すると思われる。

自分がコントロールできないようなことを心配するのには意味がないことぐらいわかってはいるつもりなのだが、それでもなお自分の子供や、まだ見ぬ孫たちが、未来の世代たちが、いったいどんな世界で生きていくことになるのかについては心配せずにはいられない。心ある人たちが考え得る「完璧な世界」においては、戦争や災害などどこにもなく、ひとびとは互いに助け合って生きていて、あらゆる病気や怪我には相応の治療法があるのだろうが、しかしそれはそれでひとつの大きな夢である。

それでもなお、わたしは、次の世代が今よりも暴力の少ない世界で生き、それぞれの個人が人間として尊ばれ、見下げる存在も、見上げる存在もなくなり、安全に、安心して生きていけるような世の中になることを願わずにはいられない。そうした世の中が好ましいと考える人はたくさんいるかもしれない。でもそのためには、今のこの混乱した世界の中でもそちらに向かって歩きはじめなくてはならない。母なる地球とすべてのいのちを敬うために、いっしょうけんめいに正しく生き、祈り、祈りの唄をうたいつづけることが、ただひとつの道なのだろう。今は世界のすべての人たちが、まずは自分で直接大地に触れて、そこで生きるとはいかなることなのかを深く考える時なのだ。

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Tuesday, January 04, 2005

ワニの歯

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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ネイティブ・アメリカンの10の戒め



  1. 大地はわれわれの母親。母親をいたわれ。

  2. おのれにつながるすべてのものを尊べ。

  3. 心と魂を偉大なる精霊に開け。

  4. 命はすべて聖なるもの。命あるものはすべて敬って扱え。

  5. 大地から収穫するときは、必要なものを必要なだけ。

  6. なにかをするのならすべてのものためになることを。

  7. 日々絶えざる感謝を偉大なる精霊に捧げよ。

  8. 真実を口にせよ。ただし、他のものにとって良きことのみを語れ。

  9. 自然のリズムに従え。太陽とともに起き、太陽とともに寝につけ。

  10. 人生という旅を楽しめ。だがなにひとつ跡は残すな。


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Saturday, January 01, 2005

I Send a Voice


母なる国がほろびる前に
お前の兄弟姉妹たちが滅亡する前に
しなければならないことがたくさんある。
これは全世界のあらゆる国に共通のことだ。


      ローリング・サンダー(1980)
      小生が生前のローリング・サンダーからもらった言葉。
      『ネイティブ・マインド』(地湧社刊 1988)から再録。


 あなたの信ずるものや、その中を生きている文化がいかなるものであれ、
 地球とそこに生きるすべてのいのちが「美」と「平和」のうちに祝福され、
 すべての癒しが成就されて、痛みと苦しみがことごとく流され、
 セージとスウィートグラスから立ちのぼる煙があなたのハート清め、
 あなたがどこまでも美のなかを歩まれ、
 季節の気の流れに調和した暮らしを送られんことを。

               北山「スマイリング・クラウド」耕平
                  2005年1月1日午前0時15分


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