WHITE BUFFALO CALF WOMAN STORY
As told by John (Fire) Lame Deer
ラコタの聖なる人であり、メディスンマンであり、おそらくは「ヘヨカ(へそまがり道化)」でもあった故ジョン・ファイアー・レイム・ディアーが、1967年に語ったホワイト・バッファロー・カーフ・ウーマン(白いバッファローの仔牛の女)についての話
John (Fire) Lame Deer , 1903-1976
ジョン・ファイアー・レイム・ディアーは、ラコタの聖者であり、そしておそらくは「ヘヨカ(世界を逆さまにする人)」であった人物である。サウスダコタにあるローズバッド居留地(リザベーション)に生まれた彼は1972年に写真家で作家のリチャード・アードスの力を借りて『The Seeker of Visions』邦題『ヴィジョンを求める者(インディアン魂)』(河出書房新社刊行)を著わし、それから4年後にローズバッドの居留地で亡くなっている。彼の精神的な面を引き継いで教えを守っていた息子のアーチー・レイム・ディアー(Archie Lame Deer)もまた先ごろ亡くなった。今回掲載する白いバッファローの仔牛の女の物語は、1967年にジョン・ファイアー・レイム・ディアーが自らが語った貴重な記録を底本にしている。翻訳はもともと2004年の夏至の日にむけてこの「Native Heart」の誌面において少しずつ掲載してきたものだが、読者の便宜を考えて今回一括掲載することにして、細部に少々手を入れた(これにともなって以前の細切れバージョンはすべて削除した)。それからレイム・ディアー翁は、いわゆる「メディスンマン・イングリッシュ」とか「ハイ・イングリッシュ」といわれる独得のストーンした英語を操るのに長けた最初で最後の世代の一員であり、彼のシンプルで力強くぶっとんだ英語も、おそらくは英語の勉強に役に立つことがあるかもしれないので、これもあわせて末尾に掲載した。どうかお役に立てていただきたい。(北山耕平)
戦士の部族であるスーに伝わる格言のひとつに「女は男の前を歩くべからず」というものがある。にもかかわらず「白いバッファローの女」は、一族に残されているきわめて大切な伝説のなかで、もっとも力を持つ存在とされるものである。
メディスンマンのクロー・ドッグはこう説明する。
この聖なる女性がスーに聖なるバッファローのパイプをもたらした。それがなければインディアンなどひとりも残ってなどいなかったかもしれん。彼女が訪れるまでは、ひとびとはいかに生きればよいかを知ることもなかった。なにひとつ知らなかったのだ。バッファローの女が、ひとびとの頭のなかに彼女が持っていた聖なるものについての考え方をそそぎこんだ。だからサンダンスの儀式においては、普通は大人の、誰からも尊敬されている一族の女性のひとりに、そのバッファローの女の役が誉れとして与えられることになっている。
彼女はスーのところに人間の姿形で最初にあらわれたわけであるが、同時にまた白いバッファローの女は、インディアンたちの兄弟である一頭のバッファローでもあって、ひとびとがこれからも生きていけるようにとその身を差し出してもくれたのだ。白い仔として生まれてきたバッファローは、全平原インディアンたちがこれを神聖なものとし、白いバッファローの毛皮は不思議な力を秘めた聖なるお守りとされて、およそ値段などつけられないほど大切なものとして扱われた。
ずいぶんと昔、だれもにもどれくらい昔のことだったかわからないぐらい遠い昔の、ある夏のこと「オチェティ・シャコウィン」つまり「ラコタ・オヤテの国の七つの聖なる会議の火」が招集された。野営地では太陽がずっと照りつづけ、おかげで狩猟もままならず、一族のものたちは腹をすかせていた。毎日毎日、獲物を探すためのスカウトが送り出されたが、誰もなにひとつ獲物らしい獲物を見つけることができなかった。
集まっていたバンドのなかにイタジプチョ(「弓なし」)組もあり、彼らはチーフであるスタンディング・ホロウ・ホーン(直立した中空の角)のもと、野営地のなかに自分たちの陣を張っていた。ある朝早く、チーフは配下のふたりの若者を、獲物を探すスカウト(斥候)として送りだした。ふたりは徒歩で出発した。当時はまだスーのところには馬などなかったからだ。スカウトたちは国のなかをくまなく探したが、なにひとつ獲物を見つけることができなかった。小高い山が目に入ったので、国中を見渡すために、ふたりはその頂にのぼることにした。山を半分ほど登ったところで、遠くの方からなにやら近づいてくるものがあることに、ふたりは気がついた。それは歩くというよりはふわふわと空中を漂って近づいてくるように見えたので、近づいてきつつある人物らしきものがワカンなものであること、神聖な存在であることがすぐにわかった。
はじめは小さな動く点のようにしか見えなくて、かろうじてそれが人間の形をしているらしいとわかるためには、ふたりは目を細めて見なくてはならないほどだった。だがこちらに近づいてくるにつれ、それがひとりの見目麗しき若い女性であることがわかってきた。これほどまでに美しい女性にはふたりともお目にかかったこともなかった。両の頬には赤い丸がペイントされていた。太陽光に長くさらすことで輝きを増した白いバックスキンの見事な衣装。ヤマアラシの棘で見事な模様の描かれた刺繍は鮮やかな色に輝いて、およそ誰にでもつくれるような代物ではなかった。このワカンである見も知らぬ人物こそ、プテサン・ウィ、つまり白いバッファローの女その人なのであった。両方の手のなかに大きな包みとセージの葉でつくった扇を抱え、青みがかった黒髪は顔の左側の一房だけをバッファローの毛皮でひとつに束ねていた。ふたつの黒い瞳はまばゆいばかりに輝き、ただならない力を宿していた。
ふたりの若者はその女性に目を奪われたまま口をあんぐりとあけていた。ひとりはただならぬ雰囲気に威圧されて手も足も出なかったが、もうひとりは彼女の見事な肉体にムラムラっときて、手を伸ばして彼女にさわろうとした。その女性はリラ・ワカンな存在、極めて神聖な存在だったから、そのような礼を欠いた行為が許される訳もない。いきなり雷がその手を伸ばした無作法な男を直撃して、男は一瞬で焼き殺され、黒こげになったわずかな骨だけが残された。またある者によれば、その男はいきなり雲の塊に包まれて、その雲のなかで彼は蛇たちに食べられて、残ったものは骸骨だけだったとも言われている。いうならば情欲が男の身を滅ぼしかねないという話だ。
もうひとりの、ただしいふるまいをした斥候の若者にむかって、ホワイト・バッファロー・ウーマン(白いバッファローの女)が口を開いた。「わたしはもろもろの良きものをもってきています。それはあなたがたの国に授ける神聖なものです。バッファローの国からあなたがた一族へのメッセージを、わたしはここにたずさえてきました。野営地に帰って、わたしの到着にそなえるための準備をするよう、みんなに伝えなさい。あなたがたのチーフには、24本の柱を使って、メディスン・ロッジ*を建てるように伝えなさい。わたしが到着するまでには建物を神聖なものとなしておくように」と。
*メディスン・ロッジ 清められて不思議な力の入る準備のできた堂のことで、この場合は24本のポールでつくられるひときわ大きなティピのこと。
その若者は野営地にとって返し、聖なる女性から伝えられた指図をチーフとそのまわりの者たちに伝えた。ついでチーフが「イヤパハ」に、つまり伝令にこれを告げ、伝令は野営地のなかを大声で
「聖なる人がやってくるぞ。神聖な女性のおつかいが近づきつつある。全員でお迎えの準備を整えよう」
と叫んでまわった。そこでひとびとは不思議な力の入るための大きなティピを建てて待ち構えた。
そしてそれから四日後、ホワイト・バッファロー・ウーマンの近づいて来る姿が見えた。白いバッファローの女は胸のところで包みをしっかりと抱えていた。彼女の身にまとった見事な白いバックスキンのドレスが遠目にも輝いていた。チーフのスタンディング・ホロー・ホーン(直立する中空の角)はその女性をメディスン・ロッジに招き入れた。彼女は大きなティピのなかに入り、そのまま中を太陽と同じ巡り方で一周した。チーフがかしこまって彼女に声をかけた。
「妹よ、われわれにご教授たまわるとのこと、喜びにたえません」
聖女はチーフに自らの望みを伝えた。かくしてティピのまんなかにオワンカ・ワカンが、聖なる祭壇が設けられた。祭壇は大地の赤い土とバッファローの頭蓋骨と、彼女がたずさえてきた神器を載せるための三本の棒を組み合わせてつくられる台とで構成されていた。ひとびとが彼女の指示にしたがって祭壇を作りおえると、平に滑かにされた土の祭壇のうえを、聖女は確かめるように指でなぞっていった。彼女はそうしたことのすべてをひとびとの前で行ってみせ、それからまた広間のなかを太陽と同じように一巡した。そしてチーフの前で立ち止まって、おもむろにあの包みを広げた。その包みのなかに収められていた神器こそ、チャヌンパだった。聖なるパイプである。彼女はそれをひとびとによく見せるために高く掲げた。右の手でパイプの柄をつかみ、左の手はボウルに添えられていた。そしてこのとき以来、パイプを捧げ持つときにはそのように持つようになっている。
再びチーフが口を開いた。
「妹よ、なんとありがたきことかな。われわれはここしばらく肉を口にすることができないでいます。私たちがあなたにさしあげられるものは水だけなのです」
それからひとびとはいくばくかのワカンガを---スイート・グラス---を、革袋のなかの水に軽く浸してから、それを聖女に与えた。このときから今日にいたるまで、清められることになる人にむかっては、スイート・グラスや鷲の羽根を水のなかにひたして、それで水をふりかけることになっているのだ。
ホワイト・バッファロー・ウーマンはパイプの扱い方をひとびとに示してみせた。赤柳の皮からつくられた「チャン・シャシャ」と呼ばれる煙草をパイプにつめ、ロッジのなかを、アンペトゥ・ウィとおなじように、偉大なる太陽の巡りとおなじように、歩いて四周した。
そうやってロッジのなかを周回することは、終りのない円を、聖なる輪を、生命の道を、あらわしていた。ホワイト・バッファロー・ウーマンは乾いたバッファローの肉のかけらをひとつ火のうえにのせて火を移し、それでパイプの煙草に火をつけた。それがペタ・オウィハンケシニ、終ることのない火、世代を越えて伝えられるべき炎だった。そして彼女はひとびとにむかってこういった。パイプのボウルからたちのぼる煙は、トゥンカシラの息なのだと。偉大な曽祖父である神秘なるものの、生きている呼吸なのであると。
ホワイト・バッファロー・ウーマンは祈りの正しいあげ方と、正しい祈りのための言葉と、祈りのための正しい身のこなしかたとを、ひとびとにわかるようにみんなの前でやってみせた。それからひとびとにパイプをつめるときに口にする祈りの歌の唄い方を教え、パイプを空に---偉大な曽祖父に---むかって捧げるときと、パイプを大地に---偉大な曽祖母である地球、ウンシに---むかって捧げるとき、そして宇宙の四つの方角にむかって捧げるときのやり方を、自らお教えになられた。
「このパイプを持っていれば」彼女が言った。「あなたがたは生きている祈りのごとく歩いていけるでしょう。大地に両足を踏みしめて立ち、パイプの柄を大空に届かせれば、あなたがたの体は足のしたにある聖なるものと、頭のうえにある聖なるものとをつなぐ、生きた掛け橋を形作るでのです。ワカン・タンカが微笑みをわたしたちに授けてくださるでしょう。大地も、大空も、すべての生きてあるものたち、二本脚のものたちも、四本脚のものたちも、翼を持つものたちも、木々も、草ぐさもなにもかもが、そのときにはひとつになっているのですから。ひとびととともにそうしたものがことごとくみなひとつにつながりあい、そのすべてでひとつの大きな家族を構成しています。このパイプがそれらをひとつに繋ぎとめているのです」
「このパイプのボウルを見なさい」ホワイト・バッファロー・ウーマンは続けた。「ボウルの石はバッファローをあらわしていますが、それはまたレッドマン(インディアン)の肉と血もあらわしているのです。バッファローは、四本の足でしっかりと立っていることから、そのまま宇宙とその四つの方角をあらわすと同時に、人類の四つの時代をあらわしてもいるのです。バッファローはワカン・タンカ自らがこの世界をお創りになられしとき、水があふれ出さないようにと、西の方角にわざわざ置かれたものです。バッファローは毎年一本ずつその毛を失うだけでなく、ひとつの時代ごとにその足を一本ずつ失っていきます。偉大なるバッファローの毛がすべてなくなり、その四本の足がすべてなくなったとき、聖なる輪は終りを迎え、地球のうえを再び水が覆いつくすことでしょう」
「このチャヌンパの木でつくられた柄は地球のうえに生えるすべてのものをあらわしています。その柄がパイプのボウルにつながっているところ、いうならばパイプの背骨が頭蓋骨とつながっている部分から、12枚の羽根がさげられているでしょう。これらの羽根は、ワンブリ・ガレシカからの、斑の鷲からのいただきものです。斑の鷲は、たいへんに神聖なものであり、グレイト・スピリットの使いであって、トゥンカシラに向かって声をあげるもののなかでは最も賢いものです。このボウルの部分をよくご覧なさい。大小さまざまな7つの円が彫り込まれているのがわかるでしょう。この7つの円は、あなたがたがこのパイプとともにおこなうことになる7つの儀式をあらわしているとともに、オチェティ・シャコウィン、わたしたちのラコタの国を形作っている7つの聖なる野営地の焚き火もあらわしているのです」
ホワイト・バッファロー・ウーマンはそれから一族の女たちにこう話しかけた。一族のみなを生かしつづけるものは、あなたがたの手の御働きであり、あなたがたの肉体の御恵みであると。
「あなたがたこそ母なる地球より生まれた人たち。あなたがたのしていることは、戦士たちのしていることとかわらぬほど偉大なことなのです」
そしてそのゆえに、聖なるパイプは男女を愛の輪のなかでひとつに結び合わせる働きをするものでもあるのだ。それは、男と女がともに等しく触れながらつくりあげていくただひとつの神器である。男はボウルを彫り、柄を作る。女は色鮮やかなヤマアラシの針でつくる帯を巻きつけてそれを飾りたてる。男が妻をめとるとき、ふたりは一緒にそのパイプを捧げ持つことになるのだが、そのときふたりの手は、赤い布で怪我をした時のようにぐるぐるまきに巻かれていて、それによって死ぬまでふたりは結びあわされることになっている。
ホワイト・バッファロー・ウーマンがもっていた聖なる子宝袋(子宮)のなかには、ラコタの妹たちのためのものがたくさん収められていた。たとえば、トウモロコシ、ワスナ(ペミカン)、野生の蕪(かぶ)など。彼女は囲炉裏の火の起し方も教えた。そして水を入れたバッファローの胃袋のなかに赤く焼けた石をひとつ落とし入れ、みなにむかってこう言われた。
「トウモロコシや肉はこのようにして調理するように」
ホワイト・バッファロー・ウーマンはさらに子供たちにむかっても話をされた。子供たちが年齢を越えた理解力を持っていたからである。あなたがたの父親たちや母親たちのしていることはあなたがたのためになるのだと、彼女は子供たちに諭された。両親たちも自分たちが小さかったころのことを忘れてはいないし、あなたがた子供たちだって大きくなれば自分の子どもを持つことになるだろうからと。彼女は子供たちにこう話された。
「あなたがたは来るべき次ぎの世代なのです。あなたがたがもっとも大切で貴重な存在であるのもそのためです。いつか時がくれば、あなたがたもこのパイプを手に取ってそこから煙を吸いこむことがあるでしょう。いつか時がくれば、あなたがたもパイプとともに祈りをあげることになるでしょう」
彼女は再度全員にむかってこう語りかけた。
「このパイプは生きています。赤い色をしたいのちそのものであり、それはあなたがたに赤い生き方を、赤い道を、指し示しています。今回はあなたがたがパイプを使うことになる最初の儀式となるでしょう。パイプはワカン・タンカにむかって、偉大なる謎にむかって、使うことになります。人が死んだ日は、いつでも必ず聖なる日となしなさい。その魂がグレイト・スピリットにむかって解放された日も、また別の聖なる日となしなさい。そうした聖なる日には、四人の女性が聖女となることでしょう。そしてこの四人が、キャン・ワカンのための、サンダンスのための聖なる樹を切り倒すつとめも、果たすことになるのです」
彼女はラコタの者たちにあなたがたこそが全部族のなかで最も純粋な一族であると告げた。そしてそうであるからこそトゥンカシラもあなたがたに神聖なチャヌンパ(パイプ)をたまわったのだと。ラコタの者たちは、この亀の大陸*に生きる全インディアンたちのために、パイプの世話をするために選ばれたのである。
*亀の大陸。亀の島とも呼ばれる。北米大陸のこと。そこに暮らすネイティブ・ピープルたちは、長いこと自分たちをささえてくれている大地を亀の背中にのっている大地であると認識していた。世界ができたときには海しかなく、海の底から大地を引きあげたのが亀だった。
もう一度最後に彼女は、チーフであるスタンディング・ホロウ・ホーン(直立した中空の角)にむかって、こう語りかけた。
「くれぐれも忘れないようにしなさい。このパイプはたいへんに神聖なものです。敬意を持って扱いなさい。そうすればパイプがあなたがたを道の最後まで連れていってくれるでしょう。天地創造の四つの時代はわたしのなかにあります。わたしが、四つの時代なのです。世代がかわるごとに、私はあなたがたに会いにくるでしょう。あなたたちのところに戻ってきます」
そう言葉を残すと、神女は一族の者たちに別れを告げた。
「トクシャ・アケ・ワシンヤンクティン・クテロ−−−−いずれまた会うこともあるでしょう」
やってきたときと同じ方角にむかって彼女が歩き去るのを、ひとびとは見つめた。沈みゆく日輪の赤い火の玉のなかに彼女の黒い影が浮かびあがっていた。遠ざかる途中で彼女は立ち止まり、地面のうえでその体を四度、回転させた。最初に体を回転させると、その姿は黒いバッファローに変身していた。二度目には茶色に、三度目には赤く、そして最後の四回目に体を転がすと、彼女は白い雌のバッファローの仔になっていたのだ。白いバッファローはひとびとが遭遇するなかでもっとも神聖な生き物なのである。
ホワイト・バッファロー・ウーマンは地平線のかなたに姿を消した。いずれ彼女が帰ってくることがないともかぎらない。その姿が見えなくなるとすぐに、とてつもない数のバッファローたちの群れがいずこからともなくあらわれて、一族の者たちが生き残っていけるようにとその生命を差し出してくれた。そしてその日以来、われわれとバッファローの関係はあらゆるところで切っても切れないものとなり、食料としての肉、衣服や住居となる皮革、さまざまな道具となる骨などいう具合に、バッファローが必要なものはすべて提供してくれるようになっている。
現在サウスダコタのイーグル・ビュットで暮らしているルッキング・ホース家*が、部族に伝わる古いふたつのパイプを守護しつづけている。そのうちのひとつが、ホワイト・バッファロー・ウーマンからわれわれの一族の者たちにもたらされた聖なるパイプなのである。
(完)
*ルッキング・ホース家 現在はサウスダコタのイーグル・ビュットに居を構える第19代目のアーボル・ルッキング・ホースがそのパイプの守り人となっており、このときひとびとのために与えられた「聖なるパイプ」が、アーボル・ルッキング・ホースによって運ばれてきて、2004年の6月21日の夏至の日に、日本列島最大の−−−−そしておそらく日本列島で最も傷ついている−−−−聖なる山とされる富士山における「世界平和のための祈りの日」の儀式に使われることになっていたが、折からの(パイプが招き寄せた)台風の豪雨のために、最後まで袋から取り出されることはなかった。
▼Original English Text
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