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Tuesday, December 28, 2004

明日の天気を読む

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Sunday, December 26, 2004

ON THE ROAD 回想 北陸編

12月22日 2 p.m.

早朝出立。新幹線米原経由でほぼ6時間後に金沢駅着。モダーンな駅前の景観。感傷に浸るまもなく、そのままコオディネートしてくれたワンネスの森さんの車で近江町市場内の「メロメロポッチ」という地下にあるジャズのライブハウスへ。オーナーの熊野さんに紹介されてうまいランチをいただく。会場の設営後、午後2時には30人ほどの人たちが集まってくれた。もっといたのかな? セージを焚いていただいてから2時間ほどトーク。大変な熱気を感じた。WPPD2004(富士山)に参加した人も。背後に若きラスタファリたちの視線を痛いほど感じる。話は午後4時半ごろまで。そのあと30分ほど雑談や買っていただいた本に署名などし、あわてて階段を上がって暮れの買い物客でにぎわう市場に出たときにはみぞれのようなそぼふる雨。そのまま再びワンネスの森さんの車に飛び乗って、クリスマスのネオンが輝く金沢香林坊を通り抜け、一路白山山麓の鳥越村に向かう。約1時間少しのドライブ。

12月22日 7 p.m.

石川県鳥越村についたときはほとんど夜の7時をまわっていた。闇の中にシルエットで浮かぶワンネス・スクールはかつては保育園だった建物。広い室内体育館の半分ほどに畳が敷いてある。だるまストーブがひとつに、灯油のストーブがいくつか。薬草のお茶をいただいて、すぐにトークにはいることになった。ここにもまた30人から40人の人たちが聞きに来てくれていた。アリゾナのセドナから戻ったばかりの女性が、本格的にアワビの殻にシダーを敷いたものの上でセージを焚いてくれた。(Thanx machami sama!)広い空間にセージの香りが広がっていく。話はかなり密度の濃いものになった。聞いてくれている人の関心がかなり高いことが感じられそれに連れて思わぬ話に展開していく。話に熱が入り全体がひとつにまとまったころ、外ではみぞれが初雪に変わったらしく、冷え込みがきつくなってきて、何枚もの毛布が聞いている人たちに回されて、みんなそれにくるまるようにして、でも熱心に話しにつきあってくれた。話が終わり、いくつかの質問を受けてそれに答え終わったのは深夜12時をまわったころ。それからみんなで熱いうどんを軽くいただいた。そのあと積もりはじめた雪の中、鳥越村の村営宿舎に案内され、そのまま布団にもぐりこんだ。白山の気に抱かれて眠る。

12月23日 12 - 3 p.m.

朝6時過ぎに起き出して障子を開けると一面の雪景色だ。弘法の湯という温泉につかってから朝食。朝食後にワンネスの森さんが車で迎えにきてくれた。そのまま車で北に向かって富山県砺波市頼成の「まみあな」にむかう。白山の御山を見ることはできなかったが、初雪というメッセージをもらうことができた。「まみあな」とは「狸穴」のことで「狸の穴」を意味する。途中曇り晴れ雪とめまぐるしく天気が変わる。11時過ぎにその「狸穴」に到着。そこは歴史のありそうな古民家なり。いろりのある部屋に陣取る。ここでみなさんが持ち寄ってくれたりした盛大な手作り料理各種をいただく。いろり端の部屋にサブトンを敷き詰め30人ほどの人が集まったころ、ここでもWPPDで富士山に行ったという人がセージをいろりの火でたきあげて場を清めてくれた。子供たちも多くいたのだが、そのスピリットたちに向かって話をさせていただいた。基本的に自分は話をするときに、場というものを形作っているひとつの大きな集合的な無意識のハートに向かって話しかける。話していて気持ちよいときもあれば、いたたまれないほどの悲しみを感じることもあるし、吸い込まれるように我を忘れる場合もある。その日は自分がどんどんと消えていくような感覚だった。はっと気が付くと、ワンネスの森さんが電車の時間のことがあるからと気を使ってくれた。4時をすぎている。つもる話はまだたくさんあったが、あわただしく本に署名などし、インディアン・ドラムと祈りの歌に送られて、猛スピードで高岡駅に向かう。ほとんど乗り遅れると考えていたが、あにはからんや北陸本線は2分間の遅れで、うまいぐわいに金沢行きに乗り込むことができた。偶然が自分の望む方向に向かって次々と重なり、すべての乗り継ぎがうまくいって、新横浜駅に帰り着いたのは午後10時過ぎ。どうにかこの日のうちにわが家に帰り着くことができた。不思議なエネルギーに導かれた二日間だった。みんなに会えてとても良かったと、改めてここで伝えておきたい。

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Friday, December 17, 2004

K.K. On The Road Again(再掲)

SMILING CLOUD LIVE TALK

北山耕平 北陸ライブ・トークのお知らせ


"Winter Solstice Celebration"


太陽がメディスン・ホィールの中心に位置する冬至は
物語を語るための季節の到来を告げています!

*詳細はそれぞれの問い合わせ先までお願いします。

2004

12月22日 2 p.m.
石川県金沢近江町市場内
■メロメロポッチ
問い合わせ先 076-234-5556(熊野)
参加費1000円(予約)当日1200円 ドリンク付

12月22日 7 p.m.
石川県鳥越村
ワンネススクール
問い合わせ先 0761-94-2642(森)
       0761-94-2778(山田)
参加費1000円(予約)当日1200円 ドリンク付
*22日夜はワンネススクールで宿泊可 朝食付1000円程度のカンパ 要事前予約

12月23日 12 - 3 p.m.
富山県砺波市頼成224
■まみあな
問い合わせ先 090-6273-2010(森)
       090-2830-7159(おくの)
参加費1000円(予約)当日1200円 ドリンク付

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ネイティブ・アメリカンのクリスマス

xmasイティブ・アメリカンの間にヨーロッパスタイルのクリスマスが広まったのは、当然ですがヨーロッパ人がアメリカに大挙移住するようになってからのことです。ヨーロッパからの渡来人たちは先住民であるインディアンたちにキリストの教え、贈り物をする風習、それから聖ニコラスのことなどを伝えました。今ではインディアンの人たちは、宗教を巡って大きくふたつのタイプにわかれています。ひとつがいわゆる「伝統派」で、多くの場合はリザベーションで生まれて育った純血の、俗語でFBI(フル・ブラッド・インディアン)と呼ばれる人たち。もうひとつのタイプが「現代派(コンテンポラリー)」とよばれる都市部で育ったインディアンで、多くが混血であって、ずぶずぶのキリスト教環境の中に生まれて成長した人たちです。

あらゆる宗教を敬う立場を崩さない(相手にも自分たちの宗教を敬うことを当然のように求める)伝統派のインディアンの家に生まれた子供たちは、キリスト教のスーパースターであり、彼らの認識では「最初のインディアンの精神的指導者」である人物を尊敬するようにしつけられて育ちます。彼らにとっては「ジーザス・クライスト」は遠くのへブライという部族の「赤い人・インディアン」として認識されていました。イエスは「星の人」であり、偉大なる精霊の化身だったのです。インディアンのジーザスは荒野でヴィジョンを探求し教えを獲得します。バプティストのヨハネ(ジョン)、モーゼ、そしてジーザスの前に現れて彼を全人教育の中で教え導いた偉大な師とされる人たち。キリストを「インディアン」のスピリチュアルリーダーと同一視する見方は、小生が翻訳した『インディアン魂 レイム・ディアー』(河出文庫 1998)という破天荒なラコタの聖者の生涯を書き綴った本の中にもおもしろおかしく書かれています。フルブラッドのメディスンマンだったレイム・ディアーによれば、「キリストさんは立派なメディスンマンだったかもしれない」そうです。また彼はこんなことも言っています。「ユダヤ人のキリストは絶対に黒い髪の毛をしていた。黒い髪の毛に浅黒い肌だ。ちょうどわしらインディアンのように」「白人はいつの間にかジーザスを金髪の男にしてしまって平気な顔でいる」(『インディアン魂 レイム・ディアー』)とも。

キリストをインディアンだと見た人たちにとっては、クリスマスはなにも特別なものではありませんでした。もともと毎日がクリスマスのようなものだったからです。すべての食事が聖なる食事(聖餐)でした。彼らは食事のたびにその一部をスピリットの世界に捧げてきました。4本の足を持つ人たちのために、翼を持つ人たちのために、足の2本ある人たちのために。祈りのあげ方は、いわゆるキリスト教信者の人たちのそれとはだいぶ異なってはいましたが、それでも偉大なる父親たちやスピリットや守護天使たちに感謝を伝えることは欠かしませんでした。伝統的なインディアンの暮らしは、さながら天使たちが地上で生活しているようだったという人たちも少なくありません。天使の道はそのままインディアンの道、インディアンの生き方でした。彼らはいつでも手を差し出して病んでいるものや弱いものを助け、助けを必要とする人たちに力を与えてきました。貧しい人たちには食事や着るものを与え、もらう心のなかにではなく、与える心の中に神がすんでいることを信じて生きていました。

伝統的な生き方をしてきた家の子供たちは「もともと自分たちにはたくさんのものが与えられている」と生まれ落ちたときから教え込まれて育ちます。創造主はわたしたちにすべてのものをくださったのだと。水も、呼吸する空気も、母の体としての大地も、エネルギーとなるさまざまな力も、そしてなによりもハートも。そのすべてが創造主から彼らに与えられたものでした。だから当然日々の暮らしは感謝に満ちています。毎日が感謝の連続なのです。

朝、日の出の前には起き出して彼らは朝の星に向かって祈りました。夕暮れ時には夕空に輝く宵の星に向かって祈りました。この宇宙に存在するすべてのいのちでつながっているものたちのために祈りました。そしてまったく同じように、偉大なる精霊の息子とされる人のためにも、彼らは「もう一度彼に命が与えられますように」と、祈りを捧げてきたわけです。

インディアンの人たちにとっては毎日がクリスマスの連続です。なにも言わずになにかを自分のものにするなどということは考えたこともありません。薬草を集めるときでも、収穫する前に必ず根を持つ人たちに向かって祈りをあげ、彼らに必要なだけを刈り取る許可を直接もらいます。そして感謝のあらわれとしてタバコを捧げます。薬草を採取するときには、絶対に根っこごと地面から引き抜くようなまねはしません。地面から出ている部分を切り取るだけです。そうすればまた根のある地面の中から新しい世代が生まれてきて育つのですから。

こうした伝統的な生き方が失われることは大変な損失だと思われます。一年に一度クリスマスを祝うだけでなく、毎日クリスマスが連続して続いていくような伝統的な生き方。かろうじて残されている伝統派とされるネイティブの人たちは、今日もなお、エルダーたちや弱い人たちに食事や着るものを与え続けていますし、ものを与えることを喜びとした聖ニコラスを讃え続けています。伝統派のネイティブの家庭ではプレゼントについてこう教えるそうです。「贈り物をもらうのは喜びをもらうこと。だから喜びがなくなったときにはそれを他の子供たちに回してあげなさい」と。ひとつのお人形さんが、さまざまに修理の手を加えられながら、一年に8人の子供たちをつぎつぎと喜ばせることもリザベーションでは珍しいことではありません。

インディアンの国では、毎日がクリスマス。日々の暮らしのその真ん中に、「与えることの精神」がしっかりと根をおろしています。そしてそれがインディアンの道、赤い道を歩いていくことだとされるのです。インディアンの道というのは「自分のする行為をなんであれスピリチュアルものとしておこなうこと」を意味します。もしあなたが持っているもので使っていないものがあって、近所にそれを必要としている人がいたときには、与える精神の名のもとに分け与えてしまえばよいのです。たとえその日がクリスマスであろうとなかろうとも。ひたすらに持っているものをみんなで分ける。そうやって分ければ分けるほど、わたしたちはスピリチュアルな存在になれるのだと、伝統派の聖なる人は語っています。

キリスト教の信者であろうとなかろうと、それはまさしくジーザスの意識で生きるということを意味しています。クリスマス・プレゼントの一番深いところにある教え、それこそが与える精神のすばらしさです。年に一度のクリスマスを楽しく過ごすときにも、インディアンの国では毎日がクリスマスだったということを、忘れないようにしたいものですね。

Wish You Have A Very Native Christmas!

(↑クリックするとチェロキー語の「アメージング・グレイス」が流れるサイトに飛びます。Enjoy!)

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Wednesday, December 15, 2004

学ぶということ

回の「インディアンはニート」の論考において「職業訓練と教育と生き方はみっつでひとつ」と書いた。失われつつある前の世界においてネイティブ・アメリカンとして生まれた子供がどのように育ったのかについては『アメリカ・インディアンに学ぶ子育ての原点』(エベリン・ウォルフソン著 北山耕平訳 アスペクト刊 2003年)にわかりやすく詳しく書かれているので参考にしてほしい。わたしは前の論考を書き進めながら、「学ぶこと」とは何かについて考えざるを得なかった。

自分が20年ほど前に今は亡きローリング・サンダーになにを学んだのかというと、ある意味でそれはとても簡単なことではなかったかと思う。簡単な教えというのは、「楽にできる」という意味ではなく、「シンプル」という意味である。シンプルであるがゆえに難しいことだって世界にはたくさんあるのだから。たとえば「真実を知ること」と「真実の意味を知ること」との違いのようなもの。このふたつは本来同じことでなくてはならない。真実の意味することが真実なのだ。

学びについて思い出すエピソードはこんなものだ。あるとき何人かと一緒に野営地で食事を終えて、彼が火のそばでこう言ったことがある。手にはわれわれが集めてきた薪の中のひとつを持っていた。「これは、なんだと思う?」と彼が聞いてきた。「薪です」とこたえると、彼はことさらに悲しそうな顔をして、がっくりと肩を落として黙り込んだ。そのまま薪を手にして火をのぞき込んでいる。こっちももう少し考えてみて「木の枝です。木の一部」とつけくわえた。彼は少し顔を明るくした。「だいぶいい答えになった。ではいったいなんの木だ?」と重ねて聞いてきた。自分にはそのときにはそれが何の木なのか名前を知らなかったので黙っているしかなかった。その晩遅く、彼はみんなを前にしてこのような話をした。

「自然のなかには同じものはひとつとして存在しない。同じように見えるかもしれないが、同じ葉は二枚として存在しない。それぞれの葉が違うものとして認識できるようになったとき、人は木そのものを見ることができる。そして木そのものの本来の姿が見えるようになったとき、その人間の目には木のスピリットが見えるようになる。さらに木のスピリットが見えるようになれば、その人間は見えているスピリットに向かって話しかけられるようにもなり、そしておそらくその時になってはじめて、彼はなにごとかかを学びはじめるのだ。今夜はよく寝るように」

当然のことながらわたしはまんじりともしないで寝袋の中で満天の星空を見つめて夜を過ごした。

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Monday, December 13, 2004

インディアンはニート

たしの古い友人が「すとーんどタイムス(Stoned Times)」という個人新聞をWEBで公開している。ほぼ日刊と謳っているが、ここのところ更新がなかった。なにをしているのか気になっていたところ、ここへきて「ニート・イズ・ビューティフル」という連載記事がはじまった。最初のうちはどうなるのかと興味津々で読んでいたが、2回目になって焦点がはっきりしてきて、読み応えもあるし、吹っ切れたものを感じたので紹介したい。

ニートというのは、最近話題のあの「ニート」のことである。Not in Education, Employment or Training = NEET。「勉強しているわけでもなく、職に就いているわけでもなく、また職業訓練を受けているわけでもない人たち」をさす最近の英国製の流行語だ。近頃ではこれを引きこもりの代名詞のように使う人たちもいる。ニートについて書かれる記事の基本的な論調が、ことごとく「ニートはけしからん」というスタイルで統一されているのに対して、「すとーんどタイムス(Stoned Times)」は果敢にもそれに真っ向から反対する。

主幹であるわが良き友は「ニートは革命的」「ニートはどこもわるくない」「ニートは希望である」「ニートは美しい」と主張する。彼は、国家がことさらにニートを問題視するのは「彼らが税金を払わないからである」と喝破した。国家にとって「税金を払わない人間はほとんど犯罪者に等しい」という考え方が文明世界では通説としてまかり通りはじめている。「三年寝太郎」とか「ものぐさ太郎」といった怠け者の英雄伝説が残るわが国においても、すでにニートを「肩身の狭い存在」にしてしまおうという風潮があちこちに見られる。困ったことではありませんか。

その昔、アメリカのインディアンがアメリカ人になる前の話だが、ヨーロッパからの渡来系の人たちは、インディアンのことを「生来の怠け者」ときめつけて長く長期にわたって批判し続けた。その批判はいまだに続いている。あのインディアンに最大限の理解を示したシートンですら「インディアンは怠け者だ」と書いた。「10マイル行くのに、食事を七回もする」と。狩猟と採集の民であるインディアンには、昔から決められた時間に食事をする風習がなかったので、食べるものがそばにあるなら一度にたくさん食べるのではなく、少しずつ少しずつずーっと連続して食べていると見られても仕方のない日常を送る。また同じように狩猟採集の人たちは、動物や魚を取ったり、木を切り倒したり、草を採集したりするとき以外は、原則としてなにもしない。いや「なにもしないことをする」のである。「DO NOTHING」というのは「なにもしない」のではなく、「NOTHINGを、する」のである。これをタオでは「無為」という。

だがこの人たちだって川で魚をつかまえたり、渚で潮干狩りをしたり、バッファローを狩猟したり、他所の部族の馬を盗みに行ったり、戦をするときには普通の人が想像できないくらいよく体を動かす。ただ、基本的に生活が満ち足りているときには、働いたりしないで家のまわりでごろごろしているから、怠け者と見られることが圧倒的に多いのである。家事や農作業は、基本的には家や財産の所有者である女性たちがするから、よけいにその怠け者ぶりが目立ってしまう。もっとも世界中の少数民族の男性はたいていの場合、どこからかあらわれる文明人によって「怠け者」のレッテルを貼られている。

インディアンと「ニート」の共通点は、ともすると「怠け者」と見られがちなところにあると思う。インディアンは学校における教育をまったく信用していなかった。学校というのは自由を奪うものであり、「国家の奴隷」を作り出すものと見ていた。文字の羅列である知識よりも伝承される知恵にはるかに力点を置く彼らにとっての教育というものがあるとすれば、それは部族の大人たちがどうやって生き残るのかを見てその道を身につけることだった。職業訓練と教育と生き方はみっつでひとつであった。税金を払うために仕事に就くという考え方そのものが、本来怠け者にはふさわしくないのである。国家の網の目から自発的に落ちたものたちが、新しい時代を切り拓くカギを握るとき、時代は変わる。いやすでに時代は変わりつつあるのにまだそれに気が付かない人たち、気が付きたくない人たちが、力を握ってからまわりしているだけなのかもしれないですよね、ミスター・ジョーンズ。

あなたがニートであるなしにかかわらず、「すとーんどタイムス(Stoned Times)」に連載されはじめた「ニート・イズ・ビューティフル」を読んでおこう。大学の卒業を控えて就職のことで悩んでいたりするのならなおさらのことだ。そして生き延びるための道を模索しはじめよう。ニートたちが日本列島のインディアンとしてその汚れなき精神を大地につなぐことができなければ、早晩わたしたちの母なる国は滅ぶしかないのだから。

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Saturday, December 11, 2004

太陽の子供たちへ

katsina_logo至が近づいています。今年は21日、火曜日の、夜の10時(日本標準時)。冬至というのは、おそらく一年で最も重要なときでないかなと、わたしは思っている。ほんとうは新しい一年がこの日にはじまるのではないかと思えるぐらいに大切な日。これまでじょじょに太陽の光が衰えてきており、やがて一年で最も昼が短い日がやってくる。裏を返せばそれは一年で最も夜の長い一日で、気候的にいえば、まさしくその日が本格的な冬のはじまる日となる。

アリゾナの高原沙漠に暮らすホピ・インディアンによれば、毎年12月の冬至の日に、太陽は休む間もなく(おそらくは、だからこそのろのろと)彼の冬の家を離れ、夏の家に向かう旅をはじめることになっている。彼が夏の家にたどり着くのは6月の夏至の日だ。だからホピの人たちは冬至の日に盛大な祭りをする。12月が1年を通して最も聖なる月とされるのは、太陽だけでなく彼らの信仰する神々もまたこの月になると村に帰る道をたどりはじめるとされているからだ。12月はさまざまな物語が語られ、神話と伝説で一族の「はじまりもなければ終わりもない」円環を描く人の道を確認しあう。さまざまな儀式や祈りが9日間にわたって続けられ、瞑想と断食の時間がもたれる。このときの儀式や祈りの力が、太陽の進む道を変更させ、やがて春をもたらし、あらゆる命を成長させるのだとホピの人たちは信じてきた。

これまで何千年間も、ホピだけでなく、おそらく地球に生きる「ネイティブ・ピープル」とされる人たちの多くが、太陽がいつまでも冬の家にとどまっていたりして春の訪れがなくなったりしないように、すみやかに夏の家に向かう旅に出発できるようにと、その日持てる力を太陽に貸し与えようとしてきた。太陽に力を貸すというのは、考えてみれば変な物言いではあるけれど。試しに"winter solstice ceremony"で検索をしてみると、さまざまなグループがこの日に世界各地で祈りの時間を持つことを計画していることがわかるだろう。いずれにせよ冬の冬至の日は再生と復活に象徴される「力の時」であり、地球に生きるすべての心ある精神的な人たちが、太陽の子供たちが、この日から何日間か、瞑想と祈りで、太陽とそのスピリットたちに力を与えてくれることを、太陽の子供たちのひとりとして、わたしも願っている。

 冬至の夜の月が平和と喜びであなたを祝福しますように。
 新しい太陽のサイクルが心正しき人たちに力を与えますように。

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Wednesday, December 08, 2004

「輝く星」のなかの言葉から

昨日の記事の中で紹介した小説『輝く星』(ジョアン・プライス著 北山耕平訳 地湧社刊)のなかから印象に残った言葉をいくつか紹介しましょう。最初の言葉は主人公のホピの少年が自分たちの暮らしぶりを紹介する言葉で、残りは少年を助けるタオス・プエブロのメディスンマンの言葉とされるものです。もちろん小説の中の言葉ですが、それらに共通している響きはメディスンマンとされる人たちの言葉の中にしばしば聞こえるもので、おそらくは誰のものでもない、人類共通の知恵のようなものかもしれません。だからこそ「真理は輝く星」なわけで、それは誰のものでもなく、みんなに与えられているのです。(北山耕平 記)

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「冬になるとね、寒くなって、植物が成長しなくなるだろ。お母さん地球も一休みするわけさ。でもそうなると、ぼくたちの一族は忙しくなるんだな。天地創造の物語を語る神聖な儀式が執りおこなわれるからね。祈りと瞑想のほかにもやることが目白押しさ。なにしろ心を清らかにしておかないといけないんだ。さもないと悪い力がぼくたちの村や大地に入りこんでしまうから」

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「わしらがいのちを授かったのは、この母なる地球で学ぶことがあるからだ。人によっては学ぶことが他の者よりたくさんある者もいるだろう。だがな、学びの旅というやつは、いのちの旅と同じぐらい長く続く」

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「すべてのいのちをつらぬいて、ひとつの偉大なる真実が流れている。それぞれ個々のいのちの流れは、次々に合流し、やがてひとつの大いなるいのちの川となる。われわれが、ひとつの偉大なる真実に向かう道に従うかぎり、われわれひとりひとりが、自分自身と、他のものたちにたいする義務を負っている。そしてわれわれの義務がどこにあるのかを知ることは、容易ならざる作業なのだ」

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「賢い人間というのは、馬を操る手綱にそえた手のごとく、心を操るものだ。人間は、舌を動かす前に、おのれの心にまず耳を傾けなくてはならぬ」

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「狂暴になればなるほど、人間はより多く恐れるようになる。それは多分、彼らがいのちのなんたるかを理解していないからではなかろうか。だからこそ死をそれほどまでに恐れる」

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「新しいいのちなくして死になんの価値やあらん?」

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「太陽が昇ってくるのは、この世に新しく子どもがひとり生まれるようなものなのだな。子どもというのは生まれおちたとき、この世で最初の息を吸いこむ。それがいのちの息吹だ。だから生まれてしばらくは子供の身体も赤い色をしている。が、やがてその赤い色がだんだんと薄れていき、肌の自然な色があらわになってくる。そして子どもが大人になると、今度は自らの子どもをもうけることで、別の子どもたちにいのちを与えることになるのだ。彼は、太陽や地球と調和を保ちながら働いて、食べるものを育て、自然の恵みを良きことのために使うことを学んでゆく」 「ということは、人々が輝いて生きているというのは、太陽が空で輝いているということと、同じことなのですか?」  老人はうなずいた。「そうだ。空にあるあいだ、太陽がそのつとめをはたすように、人間はこの地球でやるべきことをやる。彼が別の世界に滑りこむのはしばしの休養をとるためだ。もしその人間が善を生きたなら、大地や大空にまで届くほどの天晴れな思いを残すことだろう。そうした思いは、その人間が残した日没のようなもので、沈みゆく太陽が人々に天地創造のありさまや自然と調和を保つこととを思い出させてくれる」

   

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Tuesday, December 07, 2004

『輝く星』訳者後書き・再録

実際の事件に基づいた小説・あるホピの少年の冒険と成長の物語

▼今年の初夏に小生が翻訳して刊行した『輝く星』という小説本の後書きを再録します。ジョアン・プライスというアリゾナの大学で宗教と哲学の教授をしている女性が著したこの小説は、原題を「真理は輝く星」といいます。19世紀の初頭にスペイン軍に攻撃されたホピの村から拉致されて奴隷として売られた少年が、ふるさとのホピの村まで帰ってくるまでの冒険譚です。この本は何年も前にLAのボディトゥリーという書店で見つけました。その書店はサンタモニカとフェアファックスの交差点にほど近いところにあるシャーリー・マックレーンの本などにしばしば登場する精神世界専門の書店で、わたしとは1976年からのつきあいがあります。初めのうちは小さな街の書店だったものが、10年ほどの間に大きな書店へと変身するのを見守ってきたわけ。アメリカ南西部に暮らすプエブロ・インディアンやホピの人たちを題材にしたスピリチュアルな小説『輝く星』は、SFをのぞくとこのボディ・トゥリー書店で扱っていた数少ない小説の一冊でした。一読したときから、私はこの小説に惹かれました。この本には大切なことを次の世代に伝えようとする意志が感じられたからです。自分の子供が読めるぐらいの年齢になって、翻訳が出版されていなかったら、これを日本語にする作業を自分の手で行おうと心に決めていました。そしてこの本を昨年の後半に翻訳することにしたのです。それは私事ながら老いた父親が別の世界へと旅立つまでの本当に貴重な時間でした。翻訳をしながら私は父親のことをしばしば考えたものです。少年とメディスンマンとの会話はさながら自分と父親の会話のようにも思えました。この本には人が生きることとはなにか、また人が死ぬとはどういうことか、死に与えられた尊厳とはなにかを考えさせるヒントがちりばめられています。ひとりのホピの少年が試練の中で成長する物語なのですが、作者はアリゾナの大学で宗教哲学を教えホピやプエブロの精神世界にも造詣が深い女性であり、ホピの人たちの精神世界を美しくかつ克明に描くだけでなく、プエブロのメディスンマンと少年の交流や白人世界との折り合いの付け方などもわかりやすく表現されています。この本は、だからホピをはじめとする美しい沙漠に暮らす人たちの世界への入門書としてもとても役に立つし、読み終えたあとはさわやかな沙漠の風に吹かれたような気がすることでしょう。ほんとうのことを探し始めた無垢な精神にこの本を捧げます。


「自分の理解できないものを好きな人間などどこにもおらん」

 ジョアン・プライスの書いた『輝く星』という小説には、深く印象に残る言葉が、夜空の星のようにいくつも散りばめられている。とりわけわたしにとって忘れられない言葉は、ここに引用したメディスンマンの老人の言葉である。世界が憎しみと暴力にあふれているとき、いちばんたりないものが「理解」であるからだ。相手の存在にたいする理解、文化にたいする理解、生き方にたいする理解。そうしたものの欠如がひとびとを導く先は、想像するにおぞましい世界である。

 小説『輝く星』は、プエブロと呼ばれる北米大陸南西部の沙漠に暮らす農耕の民の世界と物理的精神的に深くかかわりを持つひとりのアメリカ人女性によって書かれた。彼女はアリゾナに生まれ、その赤い大地を愛して育ち、その土地で生きる人たちの精神を理解している。われわれはこの本をつうじて、次ぎの世代に、暴力に頼ることなく、世界を愛し、受けいれるための伝統的な知恵を学ぶことができるだろう。
 極端に水の少ない土地であるために「砂漠」ではなく「沙漠」と記されるコロラド高原はいまでも「インディアン・カントリー」と呼ばれている美しい土地である。一度でもその中を旅した者は、生涯その風景を忘れることはない。この小説の主人公であるロマは、そうした風景のなかで育つホピの少年である。ホピの暮らすホピの国は、コロラド高原の奥地、近くのどの都市からも等しく遠く離れたところにある。あるひとはそこを「地の果て」と呼んだ。ホピの人たちが極めて高度な精神性を数千年間維持してきている最大の理由も、おそらくはどこからも遠く離れた美しい大地にあるに違いない。ホピの人たちはそこを「宇宙の中心」と認識している。

 ホピという名は、もともと「平和の人」を意味する。極端に過酷な自然条件のなかで、トウモロコシを毎年育て、わずかな数の羊を飼い、祈りと感謝によって自然と向かい合い、祝福の雨の恵みを最大限に利用する高度な知恵と文化を、歴史のはじまりから今日まで語り継いできた。その純粋性と精神的な生き方で、欲望におどらされることもなく、徹底した非暴力を貫き、またそうした生き方を親から子へと、そして孫へと世代を越えて伝えてきた。ホピがホピでありつづけるためには、強靭な精神力にその存在を全面的に依存している。だがどのような風土や環境であれ、人間は安易で便利なもののあふれた暮らしに走りやすく、そのためにホピは、伝統的な生き方にあくまでもこだわるホピと、時代に適応した生き方を選ぶ進歩的なホピと、どっちつかずで塀のうえにいるホピの三つのホピに常に分裂してきた。とりわけ今や伝統的な生き方を是として、電気や水道に頼らない伝統派のホピは風前の灯である。地球を守るために最低必要な知恵----造物主から直接に伝えられた質素で精神的な暮らし方----を守りつづけてきたこの人たちの存続は、おそらく地球の未来、つまり私たちの未来とも、密接に関係しあっているのだろう。伝統的なホピが消えることは、ホピと彼らが守っている地球にとっては大きな曲がり角である。先ごろのアメリカの戦争で、最初に亡くなった女性兵士がホピの女性だったことは、極めて象徴的である。

 もし本書をお読みになられて、ホピの人たちとその生き方とに興味を抱かれたら、どうか専門の書物をひもとき、機会があれば彼らが「宇宙の中心」とよぶ土地を訪れてみていただきたい。


4885031788.09.MZZZZZZZ.jpg輝く星 -ホピ・インディアンの少年の物語
ジョアン・プライス (著), 北山 耕平 (翻訳)

価格: ¥1,680 (税込)

書籍データ
• 単行本: 283 p ; サイズ(cm): 19 x 13
• 出版社: 地湧社 ; ISBN: 4885031788 ; (2004/06/10)

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Monday, December 06, 2004

セールス・トーク

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Sunday, December 05, 2004

On the Road

し日記風なことを書きます。12月も第一週が終わりました。11月の下旬からいくつかお話をして回りましたのでその報告を。

11月28日(日曜日)兵庫県の伊丹市立美術館でカチーナ展を見たのちに1時間半ほど話をしました。ホルスト・アンテスというドイツの現代アーティストが集めたカチーナたちは、想像を超えてすてきなものでした。それぞれを見ているだけでどこかにそのまま連れて行かれそうな不思議な力をどれもが秘めています。何度でも見たくなるようなカチーナでした。個を超えた精神の存在を感じるとともに、近代芸術といわれるものの限界みたいなものを垣間見た気がします。ぜひ時間をつくってカチーナたちにはまたどこかに会いに行きたいと考えています(日本にいる間に)。それだけの価値がある精霊たちです。講演には50人を超える人たちが来てくださってホピと呼ばれる人たちの仮面の裏側の世界について話しました。伊丹という街は落ち着いたたたずまいで、大阪とも神戸とも違う、独自の顔を持った美しい街でした。博物館ではなく、美術館でカチーナを拝めるのは幸せな体験ですね。

同日青い夜が落ちてきた夕刻より、兵庫県神戸市中央区トーア・ロードの近くのモダナークという70年代スタイルのおしゃれなカフェでお話会。当初予定されていたラコタのメディスンマンであるリチャード・ムーブス・キャンプ氏が予定外の事故で来日できなくなったために急きょひとりでのトークとなった。『MITKUYE・OYASIN(ミタクエ・オヤシン)〜私とつながる全てのもののために〜』というタイトル。せっかく彼との話を楽しみにしていたのに少し残念。しかしここにも大勢の人たちが集まってくれて、アメリカ・インディアンの世界を通して見えてきた「わたしたちはいったい誰なのか」についての熱気ある話をしました。集まってくれたのは意識の高い人たちばかりで、話も深まることができました。映画『ホピの予言』の上映会をしているランド・アンド・ライフ事務局をひとりで切り盛りする辰巳玲子さんが司会。監督をした宮田雪氏も車いすで参加してくれ、焚かれたセージの香りのするなか和やかな雰囲気で心地よい疲れとともにあわただしく新幹線ののぼり最終に駆け込む。「モダーナーク」とは「モダン・アーク」つまり「現代の箱船」という意味であるらしく、そこは名前の通り不思議なエネルギーにあふれた空間で、力の場として機能していることがよく分かりました。正しい食べ物と正しい飲み物に満喫。たくさんの人たちと握手をし、本にサインをしました。

12月1日(水曜日)埼玉県飯能市にある自由の森学園で中学高校生とその父兄たち50人ほどを前に2時間ほどトーク・セッション。父兄の中にセージを焚いてくれた人がいたことに感謝。ネイティブ・アメリカンについての話しをメインに大人になるとはどういうことかのさわりも。生徒たちの中にイヌイットやカナダなどで先住民的な世界に触れている人たちもいた。自由の森学園は、生徒を成績で評価しないで中高一貫教育をする日本では珍しい学校。生徒たちの雰囲気はそれぞれが私服のせいか高校生にしてすでに大学生のような感じで、自由に思ったことを自分の言葉で話せる雰囲気が貴重に思えた。父兄も熱心で、終了後はラコタの現実と向き合っている女性から、今のさらに厳しさを増している現実についても話すべきだと指摘された。改めてローリング・サンダーらがかくしゃくとしていた時代までかろうじて残されていたものの偉大さを再確認した。『輝く星』(地湧社刊)を一冊図書館に寄贈した。

12月4日(土曜日)雑穀料理家・研究家の大谷ゆみこさんが主宰する「つぶつぶ食塾」で講義。新宿区牛込柳町のつぶつふ(雑穀)レストラン「風の舞う広場」で。地下鉄大江戸線牛込柳町駅の改札口前の地図にこの「風の舞う広場」が印されていて感激した。私はいかにしてアメリカ・インディアンの世界に足を踏み入れたか、日本以前の日本列島の話、われわれがまだインディアンであったころのことなどを、基本的には食の話題を中心にしつつ語り合う。大谷さんの関心が強かったネイティブの部族の中における女性の役割について話が盛り上がりを見た。クラン・マザーとその役割について。集まっていたのは30名ほどか。話に集中するといつもそうなのだがあっという間に時間がたつ。お話を終えたあと、タンポポ・コーヒーとサモサをいただき、その後またしばらく質問に答える形で話をする。小生ドラゴン・レディの大谷さんと顔を合わせると決まって雨、それもただならない雨になる。この夜、関東地方をまた嵐が襲った。げにメディスン・パワー、おそるべし!

なお今月は22日、23日と白山のおひざもと北陸地方でトーク・セッションが予定されています。詳細はまた。

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Saturday, December 04, 2004

ネイティブの戦士たちよ

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エスタン・ショショーニ・ディフェンス・プロジェクト(ウエスタン・ショショーニの失地および権利の回復を目的とする非営利団体 Western Shoshone Defense Project)の女性代表のキャリー・ダンさん(推定70歳代)が、11月29日、アリゾナ州フェニックス市で「イラクでおこなわれている女性や子供たちの虐殺にアメリカ・インディアンは加わってはならない」という声明を出した。グランマのキャリー・ダンさんは「ブッシュ政権のようなアメリカやイラクを、企業利益のために強引におのがものにしようとする勢力に力を貸すのではなく、ネイティブの若者たちはネイティブの国々を守るために立ち上がるべきだ」と言う。三十年以上も前から姉のメアリー・ダンとふたりで、ネバダにある伝統的に部族のものとされる26万エーカーもの広大な土地(合衆国政府が所有権を主張)で牧場をやりながらショショーニの土地と権利を守るための戦いを続けてきたグランマザーのキャリー・ダンさんはフェニックス市にあるナフアカリ(NAHUACALLI 先住民のための大使館)において「合衆国政府はこれまで先住民族を敵として扱ってきたにもかかわらず、このたびの戦争はそのものたちのために戦うものでもあるなどとほざいている」と語気荒く語った。

「アメリカはインディアンの国々を相手に約束した民主主義を守ったことなどこれまでただの一度もなく、条約を尊重しようとしたことすらない」と語るダンおばあさんの主張をここでまとめておこう。「ことアメリカ・インディアンに関する限り、アメリカの民主主義が機能したことなど全くない」と彼女は怒りをあらわにする。1863年にショショーニの国と合衆国政府が最後に交わした条約(ルビー・バレーでウエスタン・ショショーニと合衆国政府の間で締結された平和と友好を目的とする条約)がまったく無視される形で今年ブッシュ大統領がウエスタン・ショショーニの土地への不適切な権力行使にたいする賠償金を一方的に支払うことを決めたが、おばさんに言わせれば「ウエスタン・ショショーニの土地は断じて売り物ではない」「問題は金ではないのだ」ということになる。ダンさんに言わせれば、アメリカ・インディアンの土地と鉱物資源を部族会議からことごとくとりあげたのと同じ目的で、今また、石油関連企業を設けさせることを目的として組織的にイラクの人々を腕力でねじ伏せようとしているという。「アメリカ・インディアンを支配するためにBIA(内務省インディアン局)を作ったように、BIA(内務省イラク局)でも作って、われわれにしたのと同じようにイラクの人たちを扱おうとしているのではないかな」と。

インディアンの若者たちが教育を受けることとひき換えにアメリカ合衆国の戦争に兵士として参加するようになったのは第二次世界大戦からで、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争とその出征兵士の数を増やしてきている。リザベーションにいたところで仕事らしい仕事もないところにつけこんで、兵役をすれば高等教育が受けられると耳元でささやかれて、インディアンの若者たちの多くがアメリカ軍の一員として戦場に赴いてきた。このたびのイラク戦争で最初に戦死したアメリカ陸軍兵士が、平和を守る人たちとして広く知られたホピ族の女性だったことは記憶に新しい。だがそれは間違っているとグランマ・キャリーは切り捨てる。「アメリカが石油資本にコントロールされているのは明らか。ブッシュがイラクでやっている戦争は、ネイティブの戦士たちが加わってともに闘うような戦(いくさ)ではないのよ」と。

「歓迎してあげた人たちによってわたしたちは抑圧され続けているの」北米大陸の植民地化について、彼女の語るところによれば、当初インディアンの人たちはみな新参者を歓迎したが、のちにその人たちによって虐殺されることになったということなのである。「女性や子供たちを傷つけることは先住民の信仰にはないもので、先住民の兵士たちがイラクで女性や子供たちの命を奪う勤めにつくことは間違っている。わたしたちにはそんなことをする権利なんてあるわけもない」

ブッシュ大統領やマスコミが「イラクを征服するのではなく民主化するのが目的」と戦争を正当化することに対しても、グランマはきっぱりと「ではインディアンの国々のどこに自由と民主主義があるというの?」とてきびしい。彼女はアメリカ合衆国政府による先住民族への人権や財産権の侵害は、そのまま心の中の最も大切なものへの侵害につながっていると主張する。

「わたしたちはこの大地としっかりと結びつけられているの。教養ある若者たちは何よりも自分たちの国を守るためにここで立ちあがるべきじゃないかな。未来の世代のために、土地と水と、先住民をつないでいる精神的文化的な生き方のためにわたしは闘うわ。わたしたち先住民の土地は聖なるものであり売り物などではないのだから」

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Friday, December 03, 2004

野生馬たちの最後の戦い

米大陸に馬を持ち込んだのはスペインの探検隊で15世紀のことでした。

アメリカ・インディアンはそれまで馬を見たことがなく、したがつてそれを「魔法によって大きくされた犬」と理解し「メディスンドッグ」と名づけたほどです。スペイン人が連れてきた馬たちは、小柄ではありましたが頑丈な体を持つていて、耐久性と知性で、征服者にも被征服者にも賞賛され、乗馬馬として高い評価を受けるようになります。

現在平原インディアンとされている人たちのライフスタイルは、馬の到来によって行動範囲も拡大し劇的に変化しました。ネイティブ・ピープルにとって馬は最大の財産となっていきます。

馬たちの中には人間よりもはるかに賢いものたちもいて、逃げ出して野生化していったものもかなりの数に上ります。野生の馬は「ムスタング」と呼ばれて、敵対するインディアンやバッファローが姿を消した今、北米大陸のフロンティアの最後のシンボル、生きている伝説となっています。ムスタングたちは人間と同じように部族で生きていて、リーダーとなるチーフの下に集まっています。

19世紀にはメキシコから北米西部平原、そしてカナダ西部までを股にかけて500万頭ものムスタングが群れをなして北米大陸を駆け回っていました。アメリカの大牧場主やその利権を代表する政府は、放牧の邪魔であるとしてこれまでも野生馬を何とか絶滅させようとさまざまな手段を講じてきました。彼らの水飲み場となっている泉の中に毒を流し込んだり、群れのチーフである馬たちの目を銃で撃つことで群れを一網打尽にして皆殺しにしたり、断崖絶壁に群れを追い込んで全員を墜落死させたりして、ペットフードなどに加工してきました。それでも今なおアリゾナ、カリフォルニア、コロラド、アイダホ、モンタナ、ネバダ、ニューメキシコ、オレゴン、ユタおよびワイオミングの西部諸州には4万2000頭もの野生馬がかろうじて生き延びています。

さてそこで、ウエスタン・ショショーニのメディスンマンでネバダの地下核実験場における核実験の全面停止と核実験場の返還を求めるコービン・ハーネィさんの「核の鎖を断つことを目的とするシュンダハイ・ネットワーク(Shundahai Network)」から届いたメールを紹介します。

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来週の月曜日(12月6日)にある法律の付帯条項がアメリカの議会を通過しようとしています。その条項ではBLM(合衆国土地管理局)に西部諸州の公用地にいる2万3000頭の野生の馬たちの畜殺をはじめることを認めるものだそうです。10歳以上の馬はその場で殺され、10歳以下の馬は捕らえられて競売にかけられ、三回の競売で買い手がつかない場合は畜殺するというものです。

野生の馬たちは、バッファローやプレイリードッグや絶滅危惧種に指定された白イタチと並んで、すでに西部の大地のエコシステムを構築するためになくてはならないものの一部となっています。そしてそれはまたこの大地に根を生やして生きてきたネイティブ・ピープルの精神的文化的な生存にとっても欠かせないものなのです。

政府は野生馬を殺戮する表向きの理由として「数が増えすぎた」ことをあげていますが、背後に巨大畜産会社の圧力があることはよく知られています。アメリカの大統領ですら彼らの支援を受けているのです。イエローストーン国立自然公園の中にいた遺伝的に限りなく野生に近いバッファローの群れを虐殺したモンタナ州畜産局の背後にも強力なロビー活動を進める彼らがいましたし、今回の法律を遠そうとしている上院議員もまたモンタナ州選出です。

最初にインディアンたちの食料になっているという理由でバッファローたちを皆殺しにし、次には東から西に向かってインディアンたちを皆殺しにし、こんどはインディアンの心のよりどころになっている野生の馬たちを皆殺しにしようとしているわけです。

野生の馬たちが賢く生き延びてくれることを祈りたい気持ちです。

このニュースの詳細は「野生馬の命を救う会(WILD HORSE RESCUE)」のホームページにあります。

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Thursday, December 02, 2004

コヨーテと草の人たち

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その日もいつものようにコヨーテが歩いています。どこまでも広がる大平原、行けども行けども続く草の海です。晴れ渡った空、白い雲。思わず歌いたくなるぐらい良い気分でした。コヨーテはその日何となく自分が一回りも二回りも偉くなったような気分でした。まるで川に鮭を呼び戻してやったのは俺さまだ!みたいな。どうだ、おいらが怪獣をやっつけてやったんだぞ、みたいな。とても自分が特別に思えるような、そんな一日でした。

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