« 明後日のその次の日 | Main | 偉大なる白人の父が言っている »

Friday, November 12, 2004

それはアルカトラツではじまった

35年前の1969年11月9日。当時20代だったモホーク・インディアンのリチャード・オークス(Richard Oakes)をはじめ、イヌイット、ウィネパゴ、チェロキーなど、サンフランシスコのベイエリアに暮らす都市暮らしの大学に通う若いインディアンたち75人が「モンテ・クリスト(巌窟王)」と命名された一艘のチャーター・ボートで、サンフランシスコ湾に浮かぶアルカトラツという名前の——かつて連邦刑務所が設置されていた——岩の島に上陸して「アメリカ大陸はわれわれのものである」と宣言した。これがアメリカ・インディアンの現代史の中で最も重要な出来事とされるアルカトラツ島占拠事件の発端である。

当時対岸のサンフランシスコ市ではじまっていたビートの影響を色濃く受けた白人のヒッピー運動と、全米各地に広がりを見せていた黒人の公民権運動の影響を受ける形ではじまったこのインディアンの青年たちの抗議運動は、またたくまにたくさんの人たち、部族を巻き込んで、20日には正式な文書としてすべてのインディアンの国々を代表する形でアメリカの大統領と国民に向けた宣言が公開され、これが世界に流されるネットワークニュースにとなるまでに拡大、島の占拠はそれから一年以上も続き、南北アメリカ大陸の心あるインディアンに影響を及ぼして、今につながるインディアンの権利回復と精神復興運動の口火となった。(当時高校生だった私にはその映像をテレビの海外ニュースで見た記憶がなぜか鮮明にある)このときの宣言は「すべての国々のインディアンから偉大な白人の父と彼に従う人びとへ——アルカトラツ宣言」*註として記録に残されている。

*註「親愛なる市民の皆さん どうかすべてのインディアンと呼ばれる人びとの暮らしをよりよくするために、われわれのもとに集っていただきたい。われわれが今アルカトラツのうえにいるのは、われわれにはわれわれの大地をわれわれ自身の利益のために使う権利があることを、全世界に知らしめるためである」という呼びかけからはじまる宣言は、なかなか感動的な文書だ。機会があれば、翻訳したいと考えているのだがその思いを果たせないでいる。


中産階級のごく普通の——ハリウッドの映画産業とメディアの陰謀でインディアンはもうアメリカから姿を消したと思いこまされていた——ヨーロッパからの渡来系アメリカ人たちが、幽霊ではない、生身の生きてピンピンしてるインディアンたちの姿をテレビ中継を通してはじめて確認したことによるこのアルカトラツ・ショックは、その後21世紀になるまで世界に影響を与え続ける。

実はこの事件には予告編があった。アルカトラツの監獄は、19世紀に建設された当時は主にアメリカ・インディアンの中でもなかなか転向しない筋金入りの反抗的人間を収容してたたき直すための仕置きの場所であり、ホピの伝統派の人たちのほとんどが皆この獄舎を体験していた。のちに20世紀初頭になって連邦刑務所が新たにそこに建造され、名うての凶悪犯罪人を収監する脱出不可能な監獄としてアメリカ中に知れ渡ることとなって、禁酒法の時代にはシカゴ・ギャングのボスであったアル・カポネもここに入れられている。老朽化したアルカトラツ刑務所が閉鎖されたのは1964年、そしてそのまま島は連邦政府の持ち物とされてしまった。この年の3月9日、リチャード・マッケンジーという名前のラコタの長老ら5人のインディアンが伝統的な部族の衣装を身にまとってサンフランシスコ湾のまん中にある岩でできたこの小さな島に降り立ち、丘の斜面にアメリカの国旗を立てて儀式を行ったあと記者会見を開き、1868年の条約——スー族のチーフ・レッド・クラウドがララミー砦において合衆国政府と交わし、停戦とひき換えに土地の自由使用を認めた条約——に基づいて、この「岩」はインディアンのものであると宣言するとともに島を一時占拠する事件が起きた。5人は占拠の間にアルカトラツ島の刑務所跡地にインディアン文化を学ぶためのカルチャー・スクールとインディアンのための大学を造るべしと訴えた。ひとりのメディスンマンがパイプに火をつけ、白い煙がたちのぼると、国立公園のレンジャーがやってきて、4時間後、彼らは大きなトラブルもなく退去させられている。この年、以前にも書いたが、東京でオリンピックが開催されて、陸上トラックの一万メートル競技で、ひとりのアメリカ・インディアン(ラコタ族パイン・リッジ・リザベーション)出身の26才の青年が優勝した。青年は名前を「ビリー・ミルズ」といい、アメリカ陸上チームに選ばれた最初でただひとりのスー・インディアンの青年だった。モホークのリチャード・オークスらがアルカトラツ島に上陸してインディアン精神復興運動に火をつけるのはそれから5年後のことである。

アルカトラツ占拠事件は当時世界中の注目を集めたこともあり数多くのカメラマンによって撮影されていて、現在はネット上で公開されているものもあるから、はじまりを知る意味でもごらんになることをおすすめする。

われわれは岩にしがみついた "We Hold the Rock"
アメリカの国立公園管理局がアルカトラツという島とネイティブ・アメリカン・ピープルの占拠事件の関わりをわかりやすくまとめたページ 記事はアメリカ現代史のなかのインディアンを研究するカリフォルニア州立大学教授のトロイ・ジョンソンが書いている。ここに収監されていたホピの人たちの写真も公開されている。

写真で見るアメリカン・インディアンのアルカトラツ島占拠 1969‐1971
The American Indian Occupation of Alcatraz Island by Professor Troy Johnson, California State University, Long Beach
トロイ・ジョンソン教授がアルカトラツ占拠に関わった複数のカメラマンや公園監督局などから集めた写真を公開しているもの。

▼「アルカトラツ占拠の思い出と、規則的にこの島に帰ってくるネイティブアメリカンたちのために
"In memory of the occupation of Alcatraz, Native Americans regularly return to the Island. "
トロイ・ジョンソン教授が構成したページにも写真を提供している写真家のイルカ・ハートマン(Ilka Hartmann)が個人的に公開しているページ。

|

« 明後日のその次の日 | Main | 偉大なる白人の父が言っている »

Native Time (Herstory)」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference それはアルカトラツではじまった:

« 明後日のその次の日 | Main | 偉大なる白人の父が言っている »