ズニ・エニグマ
『ズニ族の謎』(ナンシー・Y・デーヴィス 著 吉田禎吾+白川琢磨 訳 筑摩書房 ちくま学芸文庫)という本を読んだ。原題は「THE ZUNI ENIGMA」という。「エニグマ」である。エニグマという言葉でまずわたしが思い出すのはピンク・フロイドというプログレッシブ・ロック・バンドだが、それもまた謎としておいておくことにして、「エニグマ」という単語は意味としては「不可解なるもの」をあらわす。ズニ(Pueblo of Zuni)は、ネイティブ・アメリカンの一部族であり、北米大陸南西部現在のニューメキシコのとてつもなく美しい沙漠の中——大陸分水嶺近くの「宇宙の中心」——で暮らすプエブロと呼ばれる農耕定住の民で、精神的にはホピときわめて近いところに位置し、ホピと同じぐらい、もしかしたらホピに輪をかけて謎めいた人たちである。
わたしは一度彼らの冬至の頃のシャラコの祭りの時にたまたまリザベーションの中に旅行者としていたことがあるのだが、神秘的な黒い瞳のまなざしに面食らったことを昨日のことのように覚えている。この本『ズニの謎』は、「ズニの人たちは日本人と親戚であって12世紀頃に太平洋を船で渡った百人前後の日本人がズニの中に入っている」という驚くべきかつ多くの人には耳を疑うような主張をしている本であり、当然ながら人によっては「とんでもない本」の分類に入れるたぐいのものかもしれない。
たとえばフランク・ウォーターズの書いた古典の『ホピの書』に「宇宙からの聖書」というタイトルをつけて発売した徳間書店などが、「ズニ族になった日本人の謎」のようなおどろおどろしいこけおどし的タイトルで、巻末の参考文献リストなどはずして出版すれば、それなりに好事家の間で話題になった本なのだろうと推測される。後付を見ると、この本は今年の9月に第一刷りが発行されている。出版の世界の慣行からすれば、8月には書店の棚に並べられていたであろう本書は、これまで二ヶ月近くもどこかの新聞の書評に取りあげられることも話題になることもなかった。むしろ話題にされることを避け続けていたかのような印象まで受ける。わたしもたまたま書店で筑摩文庫の棚を見ていてこれを見つけて、即購入した。きっとあのとき見つけることがなければ存在すら知ることもなかっただろう。文学系の小説をほとんど読まないわたしは、日頃から書店で文庫の棚は、筑摩学芸文庫と早川ミステリ・SF文庫と講談社学術文庫と気が向けば岩波文庫ぐらいしか巡回しない。たまたまその日そこに一冊だけ『ズニの謎』が入っていたのは何かの偶然だった。余談になるがだいぶ前、小生が歴史の勉強の途上で、野史研究家として名を轟かしていた故八切止夫氏に「ジェロニモは日本人で、もともとは次郎仁左右衛門(ジロニザエモン)といった」というぶっ飛んだ話を聞かされて腰を抜かしそうになった記憶があり、これもそうしたぶっ飛び本かなと最初は考えたりもしたわけだが、読んでいくうちに、おおかたにはおよそ受け入れられることのない仮説を検証するためのまじめな学術的な探求の記録であることを知って、一種そこはかとない感動すら覚えた。
わたしはこの本に書かれていることがなにからなにまで真実であると思いこむような人間ではない。著者でありアラスカにある文化力学研究所に所属する先住民文化研究家のナンシー・Y・デーヴィスは、プエブロ第三期といわれる「紀元1250年から1400年の期間に、ズニ地域の居住形態に大きな変化が起きた」原因を「相当数の日本人の巡礼の到着」によるものとしている。
この本の著者もわたしも、方法論こそ違うが、今まで誰もが考えてこなかったかのようなやり方で「日本列島人とアメリカのネイティブ・ピープルのつながり」をこれまで考えてきた人間である。ズニの人たちと日本人がどれくらい似ているかは、それを実際に細かく検証して見せたこの本を手にとって確認していただきたい。わたしは著者の主張を全面的に受け入れるものではないが、それでもなお13世紀に日本列島から太平洋の向こう側の亀の島に渡っていった「日本列島人」の存在については、あながちないことではないと考えている。その人たちが「日本人」であるかないかはともかくとして。
1250年頃、13世紀半ばといえば、日本列島はモンゴル帝国の脅威にさらされていた頃である。日本は鎌倉時代となり武士の時代になっていた。鎌倉時代というのは、朝廷の命令を受けて蝦夷征伐をなしとげて東国に居を構えた武士が軍事政権として実質的な権力を握ったころだ。重要なのは、平安末期から鎌倉初頭までの日本列島東北部における蝦夷軍事征伐の熾烈さである。北海道は当然ながらまだ日本国の枠組みには組み込まれていなくて、アイヌやウィルタなどの少数民族たちが、これも同じようにモンゴルからの圧力に少しおびえつつ暮らしていた。フロンティアの移動とともに日本列島東北部に追いつめられていて大和朝廷を構成する「日本人」から同族とは見なされず、「蝦夷(えみし)」と呼ばれていた人たちは、先住民的な生き方と考え方を持って広く日本列島に暮らして日本人となることを最後まで拒絶したために滅ぼされたか、占領捕虜として被差別階級に組み込まれていったかした人たちだ。圧倒的な軍事力に対抗して四百年間近く、あるいはそれ以上の長きにわたって武力で戦った人たちは、そののち、いったいどこに消えてしまったのか? わたしが日本列島の歴史の中で、『ネイティブ・タイム』の本なかでもっとも気にかける存在がこの人たちである。北方の少数民族を頼って船で北に逃れた人たちも多かったと推測されるだろう。わたしは、この人たちが、太平洋を陸に沿って航海し北回りで亀の島に渡っていった可能性を否定しない。この人たちが、アメリカのネイティブ・ピープルの中に消えたとしても、おそらく誰もそれを日本人だなどと認識しなかったに違いない。部族が部族ごと移住して安住の土地を求めるのは不思議でもなんでもなかっただろうから。沙漠に暮らすホピやズニの人たちの言い伝えの中に、船で大きな水をわたって移住してきた言い伝えが残されていることも妙に気になるところだ。
【参考】青森県八戸市の平安時代後期の集落跡・林ノ前遺跡(十〜十一世紀)から、前例のない数の鉄のやじりと縛られた人骨などが出土。激しい戦いの跡で、蝦夷(えみし)の地とされた本州島北東北から北海道島南部の集落は、近年の発掘でこの時期百数十年にわたり、平地を避けて山頂や環濠(かんごう)の中に作られていたことが判明しているが、今回の発見によって、この特異な集落形態が大和中央政府軍の組織的武力攻撃に備えたものだったことがほぼ確定的になった。出土したやじりは約二百点あり、遺跡全域でまんべんなく見つかっている。人骨は十体見つかったが、埋葬されたものはなかった。両手と両足を縛られた全身骨一体と、頭骨だけが三個も見つかった住居もあった。明らかに激しい戦いの末に放棄された集落だと思われる。調査終了後、遺跡のうえに県道が開通し、遺跡は周辺の一部を除いて残されることはなかった。
「ネイティブ・タイム」Version 4 の2004年の項目より一部引用
本書の著者は、ズニの中に入ったのを「巡礼の旅に出た日本人の仏教徒」としているが、わたしはもし12世紀末から13世紀の初めに太平洋を渡っていったことが事実であるのなら、それは「日本人」ではなく、「日本列島の先住民」であったのではないかと考えている。いうならば日本の権力によって歴史から消されてしまった「最後まで日本という国を受け入れることがなかった人たち」である。
ともあれ、「日本人」と「アメリカ・インディアン」のつながりについて関心のある人なら、この本は興味深く読み進むことができるだろう。無理矢理ズニと日本人をくっつけようとする強引な箇所がかなりあるのもご愛敬かもしれないが、惜しむらくは著者がズニの成り立ちと同じくらいもう少し「日本人の成り立ち」と「日本が単一民族から構成されてなどいないことを日本列島に暮らす人たちが知っていた時代」の歴史について知識や関心を持っていてくれれば、この本はもっと光り輝いたことだろうに、まことに残念に思われてならない。
ズニ族の謎 ちくま学芸文庫
N・Y・デイビス (著),
吉田 禎吾 (翻訳), 白川 琢磨 (翻訳)
価格: ¥1,575 (税込)
● 文庫: 476 p ; サイズ(cm): 15 x 11
● 出版社: 筑摩書房 ; ISBN: 4480088342 ; (2004/09/09)
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