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Thursday, October 07, 2004

逆さまから見たインディアン博物館

国立アメリカ・インディアン博物館は「大量虐殺」を隠している

MVC-659F_s2.jpgネイティブ・アメリカン・タイムズという独立系新聞を発行し同時にネット上で「NativeTimes.com」というニュースサイトを運営しているオクラホマ・インディアン・タイムズ社の編集発行人であるエリザベス・グレイとジム・グレイのふたりが、このほどワシントンDCにオープンしたばかりのスミソニアン国立アメリカン・インディアン博物館にたいして自分たちのホームページで抗議の声をあげている。

この9月上旬に開館したアメリカ国立のアメリカ・インディアン博物館については先日も別の記事でふれたが、今言えることはけっしてすべてのネイティブ・アメリカン・ピープルがこの開館を喜んでいるわけではないということだ。わざわざナショナル・ジオグラフィック誌が「インディアン・ルネッサンス」の特集を組んだのもこの国立博物館のオープンがきっかけだったことは想像に難くないにしても。

なぜエリザベスとジムのふたりがこの国立博物館に対してこのような態度をとるのかというと、その博物館の展示において、ヨーロッパからの渡来人たちによって引き起こされたアメリカ先住民の大虐殺がものの見事に表舞台から隠されてしまっているからに他ならない。怒りの声はまずカーター・キャンプというポンカ(Ponca Indian)一族出身のライターが2年ほど前にニュー・カリフォルニア・メディア・オンラインに「国立アメリカ・インディアン博物館は大虐殺を隠してる」という追求の記事を、自分の一族のことを例に引いて書いたことにはじまる。この記事を受けてエリザベス・グレイとジム・グレイのふたりが今回博物館の開館にあわせて自分たちのホームページをカーター・キャンプに提供し「大虐殺の隠蔽——国立アメリカ・インディアン博物館」という記事として書き直ししたものを、自分たちが責任を引き受ける形で公開したのだ。博物館が隠しているのがポンカ・ネーションにおける大虐殺だけではなかったからである。

ユダヤ人とインディアン

記事のあらましをお伝えしよう。実は国立インディアン博物館と一緒にスミソニアン協会は今回もうひとつ博物館を作っていた。それが「ユダヤ人博物館」だった。そしてこのふたつの博物館は、両者を比較すると様々なものがあらわになるぐらいに、きわめて対照的な関係にある。たとえばユダヤ人博物館には古代ユダヤ人の生活を伺わせるような遺物のようななものはなにひとつ展示されていない。昔のユダヤ人がどのような衣服を身につけて狩猟をしたり、毛皮をなめしたりしていたかを、インディアン博物館がそうしているように、わざわざ展示してみせるようなことはしていない。そういう展示があればもっとユダヤ人のことを身近に感じることもできるし、おもしろい博物館になっていたことだろうに。ユダヤ人博物館は、ただひとつの目的、つまり「ナチスによるユダヤ人の大量虐殺を後世に伝える」という確固たる目的のもとに作られている。

スミソニアン協会は臭いものに蓋をして国立インディアン博物館を作るときに意図的にアメリカにおけるインディアンの大量虐殺について触れることをさけてしまった。なぜならこのアメリカのホロコーストは、いまだに進行形であるからだ。今日もネイティブ・ピープルの聖なる土地はコンクリートで覆われ、死者の墓場は遺跡の名のもとに暴かれ、子供たちは親元から奪い去られて頭の中を作り替えられ続けているのだ。修道士たちは今もなお密林のなかで「最後の未開人」の姿を探し求めているのである。

アメリカ人たちはユダヤ人博物館に赴き、そこでアドルフ・ヒットラーとナチがユダヤ人に対して行ったありとあらゆる残虐非道な真実を見せつけられ、教え込まれる。彼らは被害を被った者たちのために声をあげて泣き、生き延びた者たちには精一杯の同情の気持ちを表し、二度とユダヤの民に対してこのようなことが起こらないようにしようと決心する。こうした展示が可能なのは、アメリカ人は皆、ナチスが殺戮を続けた戦争を止めたのが他ならぬアメリカであり、ユダヤ人たちを故国に戻すのに力を貸したのもアメリカであることを知っているからだ。

次に国立インディアン博物館に出向いてインディアンの歴史を見てみよう。普通のアメリカ人たちはそこで目の当たりにするネイティブアメリカンの遠くそして美しい過去に目を丸くして喜ぶ。大平原に立ち並ぶティピ。自然のなかで動物の皮をなめす人びと。こうした牧歌的な光景によって、血塗られたアメリカの大地はきれいに隠されてしまっているのである。その血はアメリカの先住民たちの血なのだが。見学者たちはアメリカ先住民の古代民芸の繊細さとその美しさに驚き、その人たちが「過去の歴史のなかに消えてしまった」ことをほんの少しだけ嘆き悲しむ。

自分たちのご先祖さまがインディアンが姿を消す原因の一翼を担っていたことで、その人たちも多少は罪のうずきを感じるかもしれない。だが、彼らは絶対に、ヨーロッパ人と接触したすべての先住民の国や部族が味わった「恐怖の時間」を見ることもなければ知ることもない。自分たちの政府が、人種差別に基づく先住民皆殺し政策を立案し、どれくらいの大虐殺が公式に計画され実行されたのか、その正確な数さへ知らされることなく、その人たちは家路につく。この人たちは自分たち関与したことに対する罪の深さになど、なにひとつ気がつくこともないだろう。

今も続くアメリカのホロコースト

いくつもの部族や国が、母なる地球の上から人びともろとも完璧なまでにきれいに消されてしまったのだ。もはやこの人たちの話していた言葉が二度と口に上ることはない。彼らの歌や音楽や科学や民芸は、この世界から失われた。なぜなら、彼らが出会うことになったのは、自分たちだけを信じ、自分たちの神だけを信じ、自分たちの優秀性だけを信じ、自分たち以外を劣等と見なす人たちだったから。そしてそれがすべての皆殺しの原因でもあった。国立インディアン博物館を見て家に帰ったアメリカ人には、インディアンたちに故国となる土地を確保しようと考えることもなければ、自分たちが暮らしている土地の上のアメリカで、血塗られた大量虐殺が続けられたことをけっして認めることもないだろう。

さらに悪いことには、その人たちは、インディアンたちが今なお皆殺し政策の対象にされていて、生存を脅かされていることなどなにひとつ知らされないまま家路につくのだ。教会と政府は結託していまもってアメリカ先住民を母なる地球の表面から一掃しようと画策している。北極圏から南極圏までのインディアンの大地は、現在もわれわれ先住民の血で洗われ続けているのである。

アメリカ・インディアンたちは、これらふたつの博物館が設置された背景と展示のあり方対して疑問を抱くべきではないのか。ユダヤ人とインディアン。中央情報局(米国、CIA)の専門家が動員されて、ざっと2億人を超す人びとの殺戮を覆い隠すための心理的戦略が練られたのではないのか? 五百年以上続くホロコーストがこんな博物館ひとつでチャラになるものなのか? アメリカの首都には、他ならぬそのアメリカで行われ続けるホロコーストを伝えるための博物館が絶対に必要ではなかろうか。

とまあ、こういう文章がくだんのホームページには掲載されているわけだ。もとよりこれはその完全な翻訳ではない。あらましを伝えるために部分を拾いながら読み進んでいるし、思い入れがあるために表現がきつくなっている箇所もある。だが、アメリカのキャピタルに開館した国立アメリカ・インディアン博物館が、先住民の失われつつある文化を美しく伝えるだけで、なぜ、そしていかにしてそれが失われていったのかについては口をつぐんで語ろうとしないという指摘には、謙虚に耳を傾けなくてはならないだろう。いつかこの博物館を訪れることがあっても、そのことだけは忘れないようにしたいものである。

Japanese Text Version 2.1 updated 11:11 AM, Friday, October 08, 2004

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