クレイジー・ホースを連れ戻しに
チーフ・アルフレッド・レッド・クラウドがパリに出かけた理由
「ネイティブ・アメリカンがパリのストリップ・クラブに宣戦布告」というおだやかならぬニュースが USENET ニュースグループ(Newsgroups) の alt.native に流されたのは19日の午前3時のことだった。わたしがそれを読んだのは20日の朝だが、あらましはこうである。
フランスはパリにある世界的に有名なストリップ・キャバレーの「クレイジー・ホース」をご存じの方は多いと思う。小生もその名前だけは知っていた。ストリップ劇場としては世界的に有名な店で、パリを訪れるお上りさんたちはこぞってここを訪れて鼻の下を伸ばすのだという。そこでは裸の女性たちがインディアンのウォー・ボンネットをかぶって踊りを踊る。で、そのようなストリップ劇場になぜ「クレイジー・ホース」というオグララ・ラコタの偉大なチーフの名前が付けられたのかは定かでない。このストリップ劇場は、ネイティブ・アメリカンの権利回復運動が起きた70年代よりもずつと前から、この名前で世界に轟いていた。なにしろパリのクレイジー・ホース劇場といえば、第二次世界大戦直後の1951年の開場以来、そのエロチックな踊りで世界のストリップ劇場の頂点に君臨し続けているのだ。
さて、今回、オグララ・ラコタ(スー)の一員であるアルフレッド・レッド・クラウド(Alfred Red Cloud)が、グラマーなヌード娘たちを取りそろえているクレイジー・ホース・サロンの経営者に対して、店舗の名前の変更を求める手紙を、サウスダコタからパリまでわざわざ届けにきたことがそもそもの発端だった。彼はこの名前は自分たちの先祖に対する悪意ある攻撃だと主張した。そしてアルフレッドは伝統的な羽根飾りを身にまとい、19世紀の英雄であるチーフ・クレイジー・ホースの子孫に当たるハーベイ・ホワイト・ウーマンから劇場の所有者に向けての手紙を手に、先週末にパリにのりこんだのである。
「わたしは今回、一族の者たち、長老たち、わが部族から、この手紙を届けるように正式に申しつけられて送り出されたのです」チーフ・レッド・クラウドは土曜日の午後、ストリップ劇場の入り口の前に立ち、何事かと集まってきた人たちを前にして、そう語り、手紙を大きな声で読みあげた。
「わたしの家族は、下品な出し物により栄誉あるチーフの名前が傷つけられることをはなはだ不快に思っています」と手紙は伝えていた。
「クレイジー・ホースという名前は、1800年代にわが一族を率いてアメリカ陸軍と勇猛果敢に戦った人物の記憶を呼び覚まします。その存在があったればこそ、彼に従った者たちは、われわれが今なおかけがえのないものとしている伝統と文化のなかを生きながらえてこれたのです」
チーフ・クレイジー・ホースの実の叔父であったリトル・ホークの直系の子孫であるハーベイ・ホワイト・ウーマンは手紙の中でこう続けた。「先般ケーブル・テレビの番組で、あなたのナイトクラブのショーなるものが放映され、なんと羽根飾りをかぶった女性たちがストリップを踊っている光景が写し出されました。わたしの家族の者たちは、わたしたちが敬うべき指導者たちとわたしたちの文化にたいして礼儀に欠けることがおこなわれるたびに侮辱されたと感じます。わたしは一族の若者たちにクレイジー・ホースの名前を、パリにあるナイトクラブの名前としてではなく、ひとりの戦士であり、力を持っていたチーフの名前として記憶してもらいたいと考えています」
劇場の支配人であるジャクー・アスプラナト(Jacques Asplanato)氏がチーフ・レッド・クラウドに対し、手紙は必ずキャバレーの所有者に手渡すことを確約したことを受けて、チーフは問題の手紙を公衆の面前で支配人氏に手渡した。手紙を受け取ったジャクー・アスプラナト支配人は、その場でチーフ・レッド・クラウドをクレイジー・ホース劇場の鑑賞ツアーに招待したものの、入り口に飾られた世界中からショーを鑑賞しにきた著名人たちの写真をしげしげと眺めた後、チーフは招待をていねいに断った。
「おそろしくて裸の女性がインディアンの羽根飾りを付けて踊るのところなど見れません。われわれにとってクレイジー・ホースという名前は、1876年にモンタナ州のリトル・ビッグ・ホーンの戦い(the Battle of Little Big Horn)でアメリカ陸軍註を打ち破った偉大な戦士の名前以外のなにものでもないのです」とアルフレッド・レッド・クラウド。
「それにもうひとつ、われわれにとって女性とは聖なるものです。来るべき未来の世代の守護者であり、母親であり、祖母であり、叔母であります。われわれは女性たちを心底尊敬しています。偉大な名前をこのようなことに使おうという人間など一人もいませんし、また聖なる女性をこのように扱うものたちもおりません。クレイジー・ホースというのはわが一族にとってはきわめて神聖な名前なのです。わたしたちのなかには誰ひとりその名前を使おうとするものなどおりません。使うことすら許されない名前なのです。一族の長老たちは、この神聖な名前をわたしが本来あるべき場所に連れ帰ることを望んでいます」
チーフ・レッド・クラウドは自分がアメリカに帰ることになっている日までにキャバレーのオーナーからの何らかの反応があることを期待していると述べた。
「わたしの一族の者たちは、この返事を必要としています。もし返事をもらえずにわたしが帰ることになれば、次にはさらにたくさんのチーフたちがやってきて、おそらくは法的な手段に訴えることになると思います。いまから10年ほど前、あるアメリカのビール会社がクレイジー・ホースの名前を付けたビールを売り出そうとしたことがあり、そのときもわれわれは法的な手段に訴えました」
実際、かつてホーネル醸造(Hornell Brewing)というビール会社が「オリジナル・クレイジー・ホース・モルツのビール "The Original Crazy Horse Malt Liquor"」なるものを売り出したために訴えられ、裁判の結果、強制的にその名前を使うことが差し止められて、偉大な戦士の末孫たちに150000ドルの賠償金の支払いが命じられているのである。
「わたしは劇場そのものを廃止してほしいと言っているのではありません。名前をかえてほしいだけなのです。望んでいるのはそれだけなのです」チーフ・レッド・クラウドは改めてそう言うのだった。
*クレイジー・ホース (1849-1877) ラコタの言葉でタシュンカ・ウィトコ(Tashunca-uitco 彼の馬は気がふれている)オグララ・バール・スー一族。掲載した図版は唯一彼の姿をとどめる絵文字(ピクトグラフ)とされるもの。
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