七人の兄弟(セブン・ブラザーズ)
セネカに伝わる物語
寒くなってきて、いよいよ物語を語る季節でもあり、今月は、物語をどのようにしてブログで表現していくかを試す意味もあって、少しずつセネカの人たちに伝えられた「七人の兄弟(セブン・ブラザーズ)」のお話をしてきた。小分けにして掲載した分は、ひととおりの話が終わった段階ですでに削除してある。以下はそれらのお話にもう一度あらたに手を加えたものを読者の便を考えてひとつにまとめたものである。
地球に生きる普通の人たちにとってこうしたお話は「この世界でいかに生き抜いていくかを伝えるためのもの」であり、同じように大変な世界を生き抜いていかなくてはならないあなたと、その精神を分け合えればよいと考えるから。
すべてのお話がそうであるように、ネイティブ・ピープルのどのお話にも様々なバージョンが存在するわけで、わたしはそうしたものをいくつか比べて一番自分にとってありがたいと思えるものをこれまでも選ぶようにしてきている。さて、今回は北米大陸北東部の森林地帯にあってイロコイ六カ国連合を構成する農耕と漁労狩猟採集の人たちで、「物語を語る石」の伝説を持ち、伝承された物語の豊富さでは追従を許さない、しかも1800年代の記録がたくさん残されているセネカの人たちの物語のなかから選んだ。
セネカという名前はイロコイの言葉で「そそり立つ岩山の人びと」を意味する。かつてセネカの人たちは今のニューヨーク州のほぼ全域と、ナイアガラの滝を含む五大湖のすべてとその周辺をテリトリーとしていた。ウエストバージニアにはその名前の元となったと推測されるそそり立つ岩山であるセネカ・ロックがあり、世界中からクライマーたちを集める名所となっている。セネカの人たちは現在もニューヨーク州の中に三つの居住区を、カナダのオンタリオにも居住区を持っている。
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それではセネカの人たちに残されていたセブン・ブラザーズの、つまり「七人の兄弟」のお話をはじめよう。
遠いむかし、セネカの人たちのなかに、戦士となるための特別な訓練を受ける七人の兄弟がいた。セネカはロングハウスと呼ばれるかまぼこ型の木造の長小屋(ロッジ)で暮らす人たち。狩猟と漁労と戦いが男の仕事であり、セネカの女性はトウモロコシ、豆、スカッシュのいわゆる「3姉妹(スリーシスターズ)」を栽培して基本的な食料にしていた。あるときその七人の兄弟が、母親のロッジの外で叔父に当たる人物から戦士としての教育を受けることとなった。
叔父さんは地面に腰をおろして自分のドラムをたたき、兄弟たちはそのビートにあわせて戦のための踊りと戦士としての生き方を学んだ。来る日も来る日も、兄弟たちは踊り続けた。そして兄弟たちがあまりにも踊りにのめり込みすぎたせいで、いつしか母親の機嫌をそこねてしまった。
やがて七人の若者たちに「戦士となるための準備が整ったと」叔父さんが申し渡すときがきた。七人の兄弟たちは自分たちで話し合い、みなそろって戦いの道へ出ることを決めた。当時セネカと近隣のいくつかの部族との間では日常的に戦(いくさ)が続いていたからだ。
七人の息子たちはセネカの戦士たちが戦いに出かける前にそうするように、村の中に建てられた「戦いの柱」のところに集結し、柱の周りを踊りながら巡りはじめた。そして戦いのダンスが終わると、息子たちは母親のもとを訪れて、戦の旅の途中で口にする乾し肉と炒りトウモロコシを求めた。
当然のことながら七人の兄弟の母親は息子たちを戦におもむかせたいとは思っていなかった。母親とはいつの時代でもそういうものであり、戦の道に出た自分の息子たちの全員が無事に戻ってくるとは限らなかったからだ。母親は息子たちが望んだ食べ物を与えることを拒否した。息子たちはそれからさらに三度、「戦いの柱」の周囲を踊り巡って母親に決心の固さを伝えようとしたが、そのたびに母親は息子たちの要求を拒絶し、コーンミールで作ったパンのひとかけらも、与えようとはしなかった。
兄弟たちはさらにもう一度「戦いの柱」におもむいた。そして四度目のダンスを踊ることにした。だがそのとき、兄弟の中の長男は、柱の周りを巡りながら歌う歌を、それまでとは換えていた。口にしたのは魔法の歌だった。彼だけはそれを歌った。その歌にあわせて、足をあげ、足をおろした。するとステップを踏むたびに、体が少しずつ宙に浮かびはじめた。足をあげ、足をおろすたびに、体はさらに地面から離れていく。やがて弟たちもそれぞれが兄に続いた。
じきに全員の足が陸地から離れた。そうやって宙にとどまったまま、兄弟たちは柱の周りを踊りながら一巡した。二巡り目になると、長男はステップを大きくした。高く足を引きあげ、強く踏みおろした。足があがり、足がおりるたびに、七人はさらに地面から離れた。かくして「戦いの柱」を一巡りするごとに、七人の戦士たちは螺旋を描いて空に向かって上昇していった。
長男が弟たちを引き連れて戦の道を進むことをなんとしても止めたいと願っていた七人の兄弟の母親は、息子たちがそうやって空にのぼっていくのにまかせていた。戦(いくさ)で死ぬよりはましだったからだ。母親の耳には普通ではない歌が聞こえていた。
そのようにして彼女の七人の息子たちがゆっくりと空にのぼっていくのを見つけた村人たちは、空を見上げては大声で何事かを叫んだ。あるとき、七人兄弟の母親がロッジから外に走り出てきたかとおもうと、空を見上げて、長男に、たのむから自分をひとりにしないでおくれと、声をかけた。母親の言葉は長男の胸に突き刺さったが、しかし彼は下界に顔を向けることをかろうじて思いとどまった。
母親がまた大きな声で呼びかけた。声を耳にして長男がちらと下に目を向けた。途端に彼は踊りながら思わず足をもつれさせ、あやうく空から下界に転げ落ちそうになった。一番年上の戦士は、あわてて弟たちに注意を与えた。天の世界(スカイ・ワールド)につくまではなにがあろうと下を見ないようにと。
そのときまた母親が大きな声で呼びかけた。三度目だった。しかし息子たちはただひたすら踊り続けた。
つぎに母親は人目もはばからず声をあげて泣き出した。泣きながら両の手を空に向けて差し出すようにして最初に生まれた息子に呼びかけた。母親の声は再び長男の胸に突き刺さった。たまらずに長男ははるか下の母親に目を向けた。そしてまたしても足をもつれさせてよろめき、今度はそのまま踊りの列から転げ落ちてしまった。
他の六人の弟たちは戦士として隊列を組んで踊り続け、何事もなかったかのように天の世界にのぼっていったが、七番目の戦士は流れ星となって勢いよく落下し、母親のすぐそばの地面に激突した。その衝撃で地面には裂け目ができた。
母親は地面にできた裂け目に駆け寄った。そして長兄が落ちた裂け目をのぞき込んだ。裂け目はとても深く、目をこらしても中にはなにひとつ見えなかった。彼女が天を仰ぐと、今しも残りの六人の息子たちが大きな輪を形作る六つの星になったところだった。六つの星はそうやって天の世界に立っている「戦いの柱」の周りを、踊りながら永遠に巡り続けるのだ。
母親は長男が激突してできた裂け目のそばにいつまでもとどまりつづけた。裂け目のかたわらに自分の手で小屋(ロッジ)を建ててそこで暮らした。やがてその裂け目から一本の緑の木が育ちはじめた。木はすくすくと育ち、まるであの長男のように、人一倍大きく成長した。
ある日のこと、ひとりの狩人がその木に近づき、樹液がメープルのように甘いかどうかを確かめようと、幹に切り込みを入れた瞬間、木の幹からは樹液ではなく血が流れ出した。
血の流れる傷口を縛りあわせると、母親はなおもその場所にとどまり続けた。
夜な夜な彼女は木に向かって歌いかけた。まるでそれは、昔に長男がまだ赤ちゃんでゆりかご板の中に入れられていたとき、母親が優しく歌いかけたときの姿を彷彿とさせた。
やがて時が巡り春が訪れて、木はさらに大きく成長し、さながら大きな羽根飾りのような姿形となった。さよう、それはあの長男が身につけていた踊りの衣装に飾られていたものとうりふたつの形をしていたのだ。この大きな羽根飾りは、しかし羽根ではなく、大きな樹木であり、新しい木の一族を育てるための種がたくさん採集された。セネカ一族はその木のことを「松(パイン)」と名付けた。
松の木の子供たちは、どれも切り込みを入れると血のような樹液を流す。人びとはその木から採集した松ヤニを使ってカヌーやロープを作った。大きな羽根飾りは、今では松の木のカヌーとなったのである。
最初の松の木を育てた母親がやがて年老いて亡くなったとき、最初の松の木も同じように命を落とした。そして一番年上の兄のスピリットはそのまま天上に昇り、空の世界で弟たちの踊りの輪に加わった。以後夜が訪れるたびに、七つ星の兄弟たちは、仲良く一緒に、空の高いところで、セネカ一族が集まって会議をする建物のはるか頭上で、今も踊りを続けているのだと、このように物語は伝えている。
(了)
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