« September 2004 | Main | November 2004 »

Sunday, October 31, 2004

浄化 #03


母なる地球はこれまで酷使され続けてきた。地球は、われわれと同じように生身の肉体である。われわれの間ではこう言われている。地球は泡のうえにのっかっているのだと。それは水のうえにのっている油のようなものだ。水が油をしたで支えている。母なる地球はどろどろに溶けた岩からできた核のうえにのったまま、漂い、あぶなっかしく浮いている。だからこそ地震や他の自然現象も引き起こされる。地球ののっている泡とはまた地球の内部にある水そのものであり、湖であり、川の流れであって、この水が人間のみならず他のすべてのいのちあるものたちを養う。そうした水は、地球の隅々にまでネットワークされているのである。

    ——ローリング・サンダーの遺書となつた本
    『ローリング・サンダーは語る——亀の島への伝言』
     第3章「浄化」から

Continue reading "浄化 #03"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, October 30, 2004

新潟県中越地震被災現場からの声はチェーンメール!

以下はメールで届いたものです。転載自由ということだったので、ここに掲載します。(タイトルを変更しました。末尾にある小生の書き加えたコメントも必ずお読みください。今回もまた顔のない情報の危うさについて考えさせられました。内容的には事実ではあるのだろうけれど。

Updated Monday, November 01, 2004

Continue reading "新潟県中越地震被災現場からの声はチェーンメール!"

| | Comments (2) | TrackBack (0)

浄化 #02


そうした大変動は、母なる地球の使い方を誤ち、条約を破棄し続けてきた結果である。オクラホマを襲ったただならぬあの砂塵あらしも、ネオショー条約を破ったことでもたらされた。水が流れ、草が生える限りいつまでもインディアン領が州に組み込まれることはないと、あの条約は述べていた。自らの言葉で約束を交わしたにもかかわらず、その自らの言葉を裏切ることで、白人は自ら罰を招くことになった。(1861年にネオショー郡においてアメリカ南部連合国とチェロキー国の間で締結された友好条約は、1907年に一方的に破棄されてオクラホマは州となった。そして1930年代になるとこの土地一帯をダスト・ボウルとする、土埃のたまり場とするほどの極端な干ばつが襲い、乾燥した砂嵐が吹き荒れることになる)

われわれに残されたいくつもの予言が、土地と空気と水の汚染は40年間という長期にわたって続くと伝えている。汚染はあまりにもひどく、生き残るものはわずかでしかない。われわれはこの期間のことを「浄化の日々」と呼んでいるが、これは多くの白人にとっては「裁きの日々」となるだろう。どちらであれ、おなじことであり、その周期はすでにはじまっている。破壊と、自然災害と、社会的崩壊が40年間続く。安全な場所はわずかしかなくなり、われわれが現代社会として知っているものは終わることになる。

    ——ローリング・サンダーの遺書となつた本
    『ローリング・サンダーは語る——亀の島への伝言』
     第3章「浄化」から

Continue reading "浄化 #02"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, October 29, 2004

われわれは進歩してるのか

地球規模で眺めてみると、世界の子供たちの4人に1人は、1日の収入が1ドルに満たない極貧の家庭で生活している。国際復輿開発銀行(世界銀行)の世界開発報告書の1999 / 2000年版は、1日に1ドルほどの金額に相当するもので生活している人びとの数が、1987年の12億人から2000年には15億人に増加し、2015年には19億人に達するだろうと推計した。現在の収入が10年前の収入よりも減少している国は50カ国に及ぶ。


1990年代だけで、2百万人以上の子供たちが武力衝突の犠牲となって命を落とし、6百万人以上の子供たちが、戦争で重傷を負うか、体に障碍を持つ身となった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

浄化 #01


もしもわれわれがこの惑星を癒さなければ、グレイト・スピリットが、あるいはそれを「神」と呼んでもよいし、「エホバ」でも、「アラー」でもよいのだが、なんであれわれわれみなをここに置かれた偉大な存在が、そのときにはわれわれのかわりに悪いものを一掃する作業を行うことになる。人びとが太古の教えを尊守することを学び、母なる地球に礼を尽くして接し、調和のとれた生き方をして、もう一度いかに祈るかを学び直すことがなければ、とてつもない大変動がいくつももたらされることだろう。

    ——ローリング・サンダーの遺書となつた本
    『ローリング・サンダーは語る——亀の島への伝言』
     第3章「浄化」から



1574160265.01.MZZZZZZZ.jpgRolling Thunder Speaks: A Message for Turtle Island
Rolling Thunder +Carmen Sun Rising Pope (著)

U.S. 定価: $14.95
価格: ¥1,460 (税込)

● ペーパーバック: 249 p ; サイズ(cm):
● 出版社: Clear Light Pub ; ISBN: 1574160265 ; (1999/02/01)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, October 28, 2004

そのときにはじめて

最後の木が切り倒されたあとになってはじめて
最後の魚がつりあげられたあとになってはじめて
最後の河が汚染されたあとになってはじめて
そのときになってはじめて あなたがたは知る
お金は食べられないものであることを。

     クリー・インディアンに残された予言

▼英語バージョンは続きにあります

Continue reading "そのときにはじめて"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, October 27, 2004

コヤニスカティとは

BLOG のカテゴリが増えるのはあまり好まないのだけれど、今回「Koyaanisqatsi まともじゃない世界」というのをひとつ加えた。この「Koyaanisqatsi」はホピの言葉で「コヤニスカティ」「コヤニスクァチ」「コィ・アヌ・イ・スカッ・スィ」と発音される名詞で、


1 崩壊するいのち
2 バランスを失った生き方
3 混乱する生活
4 まともじゃない暮らし
5 もうひとつの生き方を必要とする生活の状態

を意味する。このホピの言葉を全世界に知らしめた同名の映画(ゴトフリー・レジオ監督 フィリップ・グラス音楽 1983年)が過去に公開されたので覚えておられる方もあると思う。われわれを育んでくれたこの母なる惑星が現在いかに危うい状態にあるか、そしてわれわれ自身がどのくらい病んでいるかを目の当たりにするようなニュースがこのところやたらと目につくようになってきたので、これらを前兆として認識し、母なる地球とわれわれ自信を癒す必要があると考え、そうした情報を皆で共有できればよいと願って、このカテゴリを加えることにした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

昆虫たちは生き残れるのだろうか

10年ほど前にフランスで開発され、バイエル、BASFなどドイツの製薬会社などがいろいろな名前で製品を製造している「フィプロニル Fipronil」という殺虫剤は、たとえば日本では動物病院で販売されている犬のノミやダニの駆除の薬(製品名・フロントライン)、シロアリ駆除剤のみならず、さらには家庭用殺虫剤などとしても、多様な商品名で日常的に使われているのだが、本来的な使われ方では水稲の害虫であるニカメイガ、イネミズゾウムシ、ウンカ類等をやっつける目的で使われ(日本農薬株式会社の「日農フジワンプリンス粒剤[フィプロニル・イソプロチオラン粒剤]の解説や明治製菓が作っている「Dr.オリゼプリンス」の解説をお読みください)たり、作物のトウモロコシやキャベツ、カリフラワー、ひまわりの種子などに種まき前に散布して使用する種子処理用殺虫殺菌剤に分類される農薬。日本ではたとえば「ピラゾール」という別名だったりする。「農薬ネトマガ」というメールマガジン(今年の4月23日号)によれば、フィプロニルは世界の農薬市場でも7番目によく売れている農薬だ。製薬会社はこの薬は昆虫たちの中枢神経にダメージを加え方向感覚を喪失せしめるものと説明しているけれど、ABCニュースなどいくつかのメディアによれば、世界はこの農薬の使用を禁止しすべきではないかという声が今年になつて上がりはじめた。なんでも、フランスでは、このフィプロニルのせいで、人間の手でこの10年間に90億匹ものミツバチを殺してしまったらしく、フィプロニルを含む6種類の殺虫剤の商品化とフランス国内での使用が今年になって禁止されている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Saturday, October 23, 2004

クマたちに声を与えよう

冬が近づいて、冬眠の準備をするためか、エサとしていたドングリのなるナラの木が枯れてしまったためか、たび重なる台風で親と生き別れになって(精神状態が普通ではなくなって)森を出ざるを得なかったためか、最近クマ出没のニュースをよく見るようになった。いや実はクマたちを取り巻く事態はもっと深刻なのだとする人たちもいる。

出没するのはたいていは子どもをつれた母グマだったり、子グマだったりする。クマの母さんは子供を本当にかわいがるから、子グマがひとりでいることはまずないし、子グマに手を出そうとするものを見つけたら本当に怒ってものすごい勢いでかかってくる。むろんなかには腹を空かせた青年期の雄のクマもいるようだが、わたしはクマが出没したというニュースを見て、各地方の猟友会のハンターの人たちがライフルを持ちくわえタバコかなにかでおびえたクマを追いかけまわしている姿を確認するたびに、なんともやりきれない気持ちにおそわれる。

クマたちのなかには運良く射殺を免れて、麻酔弾で眠らされて奥山に帰されるものもいたりするのだが、境界を越えて人間の暮らすエリアのなかに深く進入したりすると、そのときにはあっけなく射殺されてしまう。そうすると白目をむいて口元から血を流している無惨な姿がメディアによって天下にさらされることになる。だからいつまでも彼らが人里などにまで出てこなくても良いような自然環境でありつづけてほしいと願うし、もともとクマさんを含むあらゆる狩猟採集の人たちとは折り合いの悪い農家が、丹誠込めて育てた農作物にも被害がないようにと祈らずにはおれない。

ここまででうすうす感づかれたかもしれないが、わたしはクマが好きである。クマが毛皮を着た人間であることをマジに信ずるものでもある。そのようにわたしは自然を第一とするアメリカ・インディアンの世界で教育されてきたのだ(クマや蛇といった文明人が闇雲にこわがるものをいたずらにおそれずにこれを敬えと)。もちろんクマにもいろいろいて、ヒグマやアメリカ大陸のグリズリー(灰色熊)のように怒らせたら怖いのもいるだろう。日本列島の本州に生息するクマはいわゆるツキノワグマで、ほんらいはおとなしいクマであって、すでに絶滅危惧種でもある。ツキノワグマをやっている彼らは日本列島にわれわれの祖先がやってくる前から暮らしていたこの列島のネイティブ・ピープルではないのか。わたしはクマの毛皮を着た人たちが涙の旅路を追い立てられている姿をつい想像してしまう。日本列島の先住民の末裔であるアイヌも、熊は神の使いであり、毛皮を着てアイヌのもとに現れて、それを脱いで魂だけ帰っていくとする信仰を持っていたっけ。

クマといえばディズニーの映画に『ブラザー・ベア』というものがあり、今年の前半に公開された。すでにビデオ化もされている。米国アップル社の映画予告編のサイトには今もこの「Brother Bear」のよくできたトレイラー(予告編)が収められていて、ウォルト・ディズニー・プロダクションの考える魔法にあふれたネイティブの世界の一端が QuickTime で見ることができる。これは、アフリカの大地の精神を「ライオン・キング」で映画化してまんまと成功させた彼らが、今度は北米大陸のスピリットとネイティブ・アメリカン的なものの見方を何とか映画化しようとした冒険的な映画で、不覚にもわたしはそれなりに結構楽しんで最後まで見てしまった。というのも実はこの映画と同名のノベライゼーションのブラザー・ベアの文庫本(竹書房刊行)の解説を、映画公開にあわせてこの春に書かせてもらったからである。ノベライズされたものもそれなりに楽しめた。

ではアメリカ・インディアンはクマをどう見ているのか?  彼らのなかにはクマ(ベア Bear)を名前に持つ人が結構いる。19世紀にインディアンの権利回復運動の先頭に立ったルーサー・スタンディング・ベア((1829-1908))という人物は著名人でもある。北半球のネイティブ・ピープルの世界ではクマはたいていいつだって「吉兆」と考えられているようだ。クマはある種の病を癒す力を持っていると信じられていて、クマに薬草や木の根を治療に使う方法を学んだメディスンマンも多い。そういうメディスンマンは「ベア・メディスン」を使う人として特別扱いされている。そういえばローリング・サンダーが育てたメディスンマンのひとりには、その名前の通りメディスン・グリズリー・ベア(Medicine Grizzly Bear)という人もいたりする。ニューエイジ・メディスンマンと揶揄されるサン・ベアという人物も名前にクマが入っている。こういう人たちは皆自分とクマとの超個人的な関係をスピリチュアルの根っこに持っているようだ。クマは不思議な力を宿していて、クマを見たり、クマとあったりした人には何か良いことが起こるといわれている。襲われた人にありがたがれと言っても無理な話ではあるけれど。またクマは「特別な力」の象徴でもある。シンボルとしてのクマは、知恵、洞察、内観、守護、そして癒しをあらわす。

森の中を歩いているとき、川縁を歩いているとき、もしクマの姿を見かけたら、その場所からほど遠くないところに聖なる場所があると考えて間違いはないと、教わったことがある。「その場所のスピリットがクマの姿をしておまえを調べに来ているのだ」と。

クマは敬うべきものであり、怖がらせたり、おびえさせたりしてはならない。クマを見かけたら感謝の祈りを捧げて特別な願い事をすると良いらしい。もちろんそのクマの大きさや、先方の気分のありようによっては、危険でもあるわけで、クマを見かけたらそばに近づかないのが大原則であることは西も東も北もかわりはない。秋になってクマたちが人家やキャンプ場の近くなどに食べるものを求めて多く出没する今年のような場合、それは冬が早く訪れるばかりか、かなり厳しいものになることをあらわしていると考えられる。

つまり今年の冬は寒くて長そうだぞと言うこと。

4886223133.09.THUMBZZZ.jpgクマのことをもっとネイティブの視点から理解したいという人には、わたしはどんな本よりも『クマとアメリカ・インディアンの暮らし』(デイヴィッド・ロックウェル David Rockwel 著 小林正佳訳 どうぶつ社刊)を勧めたいと思う。再版された原本は『Giving Voice to Bear: North American Indian Myths, Rituals, and Images of the Bear』(クマに声を与える——北米インディアンの神話と儀式とイメージのなかに見えるクマたち)といってデイヴィッド・ロックウェルとジャネット・マクガーン(イラストレイター)の共著になっている。デイヴィッド・ロックウェルには『Digging for Medicine: Bears in Native American Healing Traditions』(メディスンを求めて掘る——クマたちとネイティブ・アメリカンの伝統的癒し)という論文があって、シャーマニズム研究の雑誌である「Shaman's Drum -- A Journal of Experiential Shamanism & Spiritual Healing」 の 1993年冬号に掲載されているが、こちらは翻訳されていない。

というわけでクマについての小生の雑感を終えるが、幕を引く前に最後にクマについてのジョークを紹介しておきたい。本当はカテゴリーを「インディアンは笑う」として別記事にすればよいのだが、今の季節、これぐらいの前置きがないと誰もジョークだとは思ってくれないから、ここに掲載することにした。この季節になると、必ずと言っていいほどいろんな人が口にして笑える「偽」の警告なのですが、グリズリー・ベア(灰色熊)の怖さを伝えるものともなっているようです。題して「モンタナ州漁労狩猟局から出された熊についての勧告」——



モンタナ州漁労狩猟局から出された熊についての勧告

モンタナ州、ヘレナ市、2004年、10月。人と灰色熊が遭遇する事件が頻発していることから、モンタナ州狩猟漁労局は、このたびハイカーやハンターや釣り人たちに、特に念を入れた事前準備とフィールドにおけるいっそうの用心を勧告する。とりあえず「野外活動者は着衣のうえに音のでる小さな鈴をいくつもつけるようにし、あらかじめ熊たちにおのれの存在を誇示し、連中を驚かさないよう努めなくてはならない」そしてさらに「熊との遭遇を念頭におき、必ず撃退用トウガラシ入りスプレー」を携行されたし。熊との遭遇にそなえるためには、そうした準備のみならず、できるだけ新しい熊の活動のしるしを、それもいち早く、発見することが好ましい。野外活動者はその痕跡を残した熊が黒熊か灰色熊かを、爪あとや糞から的確に判断する必要があるだろう。黒熊と灰色熊とでは、性格も行動形態もなにもかもがまるでことなっている。灰色熊の爪あとは黒熊のそれと比べると、大きくて、つめも極端に長い。黒熊の糞にはたくさんの野いちごやリスの毛がふくまれている一方、灰色熊の糞には、たくさんの小さな鈴がふくまれていて、トウガラシの臭いがぷんぷんしている。


| | Comments (0) | TrackBack (1)

Friday, October 22, 2004

クレイジー・ホースを連れ戻しに

チーフ・アルフレッド・レッド・クラウドがパリに出かけた理由

crazyhorse.jpg「ネイティブ・アメリカンがパリのストリップ・クラブに宣戦布告」というおだやかならぬニュースが USENET ニュースグループ(Newsgroups) の alt.native に流されたのは19日の午前3時のことだった。わたしがそれを読んだのは20日の朝だが、あらましはこうである。

フランスはパリにある世界的に有名なストリップ・キャバレーの「クレイジー・ホース」をご存じの方は多いと思う。小生もその名前だけは知っていた。ストリップ劇場としては世界的に有名な店で、パリを訪れるお上りさんたちはこぞってここを訪れて鼻の下を伸ばすのだという。そこでは裸の女性たちがインディアンのウォー・ボンネットをかぶって踊りを踊る。で、そのようなストリップ劇場になぜ「クレイジー・ホース」というオグララ・ラコタの偉大なチーフの名前が付けられたのかは定かでない。このストリップ劇場は、ネイティブ・アメリカンの権利回復運動が起きた70年代よりもずつと前から、この名前で世界に轟いていた。なにしろパリのクレイジー・ホース劇場といえば、第二次世界大戦直後の1951年の開場以来、そのエロチックな踊りで世界のストリップ劇場の頂点に君臨し続けているのだ。

Continue reading "クレイジー・ホースを連れ戻しに"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, October 21, 2004

偉大な四つの自然の教え

母なる地球とわたしたちをつなぐもの

Updated Friday, October 22, 2004

土。大地。母なる地球。それはわたしたちに人間であるとはいかなることかを教えてくれる。いのちをもたらし、わたしたちにその恵みをわけあってくださる。その母なる地球からの恵みに対する返礼として、母なる地球のうえで生きるすべてのいのちあるものを保護するのは、わたしたちの責務である。

石。岩。岩石。岩山。それは時代を越えて知恵を運ぶもの。地球上で最高齢の師として尊敬を込めて「曾祖父」と呼ばれるもの。その岩や石から、わたしたちは内なる力と信仰を学ぶ。岩はその動きがあまりにもゆっくりであるために、まるで動くことはないようにも見えるが、しかしそれがひとたび動くときは、全世界が刮目(かつもく)する。

木。樹木。巨木。老木。わたしたちに清らかな心を教えてくれるもの。その根から集めた滋養分を、樹木はおのれの枝葉の隅々にまでもたらすことができる。樹液がその幹のなかを経巡るがごとく、わたしたちもわたしたちのなかを隅々まで、真実を巡らしてゆくすべを学ばねばならない。地球に生きるすべての人間には、必ず自分の木が一本与えられている。もしあなたが、全世界を両肩の上に担いでいるかのような振る舞いをすれば、深く頭を下げてかがみこんでいる木を見ることになるだろう。木のなかには背がずばぬけて高い木もある。いかにもまっすぐで、見た目の良いものもある。だがそうした木だからといって、内側が腐っていないとはかぎらない。人間のなかにも、そういう人間はいる。ねじ曲がった人間は、同じようにねじ曲がった木を見つける。わたしたちは背が高くてまっすぐで、清らかな心を持ち、立派な根を地中にしっかりと広げているような一本の木となるよう、懸命に努力をしなくてはならない。わたしたちのように、一本一本の木が、それぞれ人として独立していてもなお、ひとつの家族の一員であることを理解しなくてはならない。

たとえ踏みつけにされようと、いつでも立ち直り、にこやかにそこに還ってくる緑の草。わたしたち人間も同じように他の人間を踏みつけにしたり、踏みつけにされたりすることがあるだろう。たとえいかなるときにも、自分と自分以外の人に対しての優しさを失うことなく、常に緑の草のごとく立ち直り続けなくてはならない。わたしたちが互いに面倒を見合わなければならないように、同じように緑の草を育て、肥料を与え、世話をする。草の葉の一枚一枚に裏と表があるように、わたしたち人間にもなめらかな面とがさがさしている面とがある。ときには鋭利な葉っぱの縁で手を切ってしまうこともあるだろう。わたしたちはそのことをしっかりと認識し、自分や他人を傷つけたりしないように誰に対しても優しくあらねばならない。

そして動物たち。この人たちはわたしたちにかけがえのない贈り物を与えてくれる。その贈り物とは、わけあうことがいかに大切かという教えである。この人たちがそのいのちを差し出してくれるおかげで、わたしたちは生きてゆけるのである。その昔、はるか大昔、わたしたちの祖先は、天と地を作られし御方に、しばしば祈りを捧げて、一族の者たちを養うための動物を求められた。狩人と動物が心で結びつけられているとき、死ぬ用意のできた動物がそこに姿をお見せになる。狩人たちはその動物をしとめると、いのちを差し出してくれたその動物の心の臓を切りわけてそれぞれが口にし、その一部を必ず、感謝の祈りとともに母なる大地への捧げものとした。ひとりの生きとし生けるものとして、わたしたちは互いにわけあうことを、そしてわけあたえられたいのちの贈り物に感謝することを学ぶ必要がある。

岩と、木と、草たちと、動物たちからもたらされる偉大な四つの教え、「信じること」「心を清らかにすること」「助けあうこと」「分けあうこと」の、これら四つの教えこそが、わたしたちとわたしたちの母なる地球とをつなぎあわせているものなのである。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Wednesday, October 20, 2004

死亡広告

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Tuesday, October 19, 2004

大きな灰色熊

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

| | Comments (0) | TrackBack (0)

七人の兄弟(セブン・ブラザーズ)

セネカに伝わる物語

eaglefthr.gif寒くなってきて、いよいよ物語を語る季節でもあり、今月は、物語をどのようにしてブログで表現していくかを試す意味もあって、少しずつセネカの人たちに伝えられた「七人の兄弟(セブン・ブラザーズ)」のお話をしてきた。小分けにして掲載した分は、ひととおりの話が終わった段階ですでに削除してある。以下はそれらのお話にもう一度あらたに手を加えたものを読者の便を考えてひとつにまとめたものである。

地球に生きる普通の人たちにとってこうしたお話は「この世界でいかに生き抜いていくかを伝えるためのもの」であり、同じように大変な世界を生き抜いていかなくてはならないあなたと、その精神を分け合えればよいと考えるから。

すべてのお話がそうであるように、ネイティブ・ピープルのどのお話にも様々なバージョンが存在するわけで、わたしはそうしたものをいくつか比べて一番自分にとってありがたいと思えるものをこれまでも選ぶようにしてきている。さて、今回は北米大陸北東部の森林地帯にあってイロコイ六カ国連合を構成する農耕と漁労狩猟採集の人たちで、「物語を語る石」の伝説を持ち、伝承された物語の豊富さでは追従を許さない、しかも1800年代の記録がたくさん残されているセネカの人たちの物語のなかから選んだ。

セネカという名前はイロコイの言葉で「そそり立つ岩山の人びと」を意味する。かつてセネカの人たちは今のニューヨーク州のほぼ全域と、ナイアガラの滝を含む五大湖のすべてとその周辺をテリトリーとしていた。ウエストバージニアにはその名前の元となったと推測されるそそり立つ岩山であるセネカ・ロックがあり、世界中からクライマーたちを集める名所となっている。セネカの人たちは現在もニューヨーク州の中に三つの居住区を、カナダのオンタリオにも居住区を持っている。

+++++++++++++++++++++++++++++++

それではセネカの人たちに残されていたセブン・ブラザーズの、つまり「七人の兄弟」のお話をはじめよう。

Continue reading "七人の兄弟(セブン・ブラザーズ)"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, October 18, 2004

トカゲがやってくる

またしても台風。23号は「23」というマジック・ナンバーらしく、その名前を日本語で「トカゲ(Tokage)」といって広大な強風域をもつ大きなものです(デジタル台風)。トカゲかあ。トカゲはうちの庭でもしばしば見かけるかわいらしいやつです。そういえば最後の野生のインディアンとされるイシが、「トカゲ」というお話を残しています。昔誰かに聞いたのではっきりとは覚えていないのですが、「せっせせっせと矢を作るトカゲ」のはなしでした。「イシ」の本には収められていないと思う。もともとは終わりのない話で、えんえんとどこまでも続いていくというもの。トカゲはあきらかに「知者」ですからね。今度の台風の動きが気になるところです。大トカゲだからなあ。いったいどんなメッセージを運んでくるのやら。

*「23」という数字は不思議な数字で、気がつくとすぐそばにいます。人間の意識と関係でもあるのかもしれない。マジカルな数なわけ。理由? 理由は、わかりません。でもそうなのです。だから魔術的。「23」という数字を意識しはじめるときっとわかります。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

ライブ・トークのおしらせ(再掲)


ア キ ノ  イ サ ム + 北 山 耕 平  LIVE TALK Vol.2


風 を ひ ら く


日時/2004年10月25日(月)午後 19:00〜21:30(開場18:30)
会場/東江寺(東京都渋谷区広尾)
参加費/¥2500(中高生¥1500)(定員有り)


▽フライヤーのキャッチ・コピーは以下の通り。


今年の夏至の日に世界の先住民の精神的指導者たちが日本の富士山に集い開催された文化交流とセレモニーの集いWPPD(ワールドピース&プレイヤーズデイ)。その場で北山さんとアキノさんの出会いとしてのライブトークが開かれ、お二人の興味深いライフ、この時代、私たちのネイティブ性などを熱く語り合いました。尽きせぬ話に、その続きをとの声、再びライブトーク開催の運びとなりました! 同進行役の古屋さんも交え、秋の夜長に、互いに耳を澄ませて、風をひらきつつ、語り継ぐものとは?

● 特別プログラム/ アキノ氏  絵本「おれは歌だ おれはここを歩く」
        スライド上映+アメリカンインディアン口承詩の朗読
    + インディアンフルートのノナカカツミさんによるライブ演奏


アキノ イサム/ 世界各地を家族と巡り、カナダ先住民との交流、沖縄八重山諸島ではタコ取り漁師として16年暮らし、現在、広島在住。画家、絵本多数。『イサム・オン・ザ・ロード——バビロン=都市=の時代の終焉と宇宙に向かう時の始まり』(スタジオ・リーフ)はイサムさんの地球放浪記。WPPD画「縄文の赤富士」を描く。
古屋和子/長年に渡り、カナダ、オーストラリアの先住民の地を訪ね、交流を重ねて来た。多彩なレパートリーを語るストーリーテラー。今年の夏は各地で「虹の戦士」を語ってくれた。
北山耕平/ アメリカ インディアンのメディスンマンとの運命的な出会いから、彼等の精神文化、特にストーリーテリングの世界を伝え続けている。著書、翻訳書 多数。

* 東江寺 / 地下鉄 日々谷線 広尾駅下車 2番出口 徒歩5分 地図
(神戸屋ベーカリーを右折、広尾商店街を進み、突当たり山門をくぐり、右手)
* 申込み+連絡先/ きさら みえ FAX03−5486−9847
 EMAIL kisara@dh.catv.ne.jp

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, October 17, 2004

結婚式に際しての祈り(部族不明)

Native American Wedding Prayer

*以下は部族不明ですが、アメリカ・インディアンの人たちの結婚式の祈りの言葉のひとつです。なかなかほほえましいので紹介しておきたくて。

これからはもう雨を感じることもないだろう。
なぜなら互いにかばいあって雨をしのぐことになるから。

これからはもう寒さを感じることもないだろう。
なぜなら互いに暖めあって暖をとることになるのだから。

これからはもう寂しさを感じることもないだろう。
なぜなら互いに生涯の道連れをもつことになるのだから。

これからはもうふたりの別々の人間ではなく、
ただひとつの人生があなた方を待っている。

さあ、自分たちの住み処に行きなさい。
そしてふたりの日々の暮らしをはじめなさい。

願わくばあなた方のこれからの地球の日々が
いつまでも良きものであらんことを。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, October 15, 2004

Makahki(ハワイアン・ニュー・イヤー)

今日はネイティブ・ハワイアン・ピープルにとって新年(マカキ Makahki)に当たる日です。「ポ(Po)」と名付けられた混沌の中で、御自らを創られた「パパ(Papa)母なる大地」と「ワケア(Wakea)父なる大空」によって「アクア(Akua)男神/女神」が創り出されたとネイティブ・ハワイアンの人たちは信じていました。これは南太平洋の先住民であるポリネシアに共通してみられる信仰ですね。ちょうどこのころから見えるようになるプレアデス(星座・日本名「すばる」)と関係していて、この星座が東の空に現れると収穫の季節が終わる、つまり1年が終わり新しい1年がはじまるとされたようです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, October 14, 2004

東京オリンピックとインディアン

running_brave_ver2.jpg1964年の今日(10月14日)は、東京オリンピックの陸上競技10000メートル決勝で、世界記録保持者のクラーク(オーストラリア)やイワノフ(ソ連)ガムーディ(チュニジア)などの強豪を抑えて、ラコタ(オグララ・スー)出身のビリー・ミルズ Billy Mills が28分24秒04で優勝し金メダルを獲得した日です。ビリー・ミルズは近代オリンピック百年の歴史の中で最初に金メダルを獲得したアメリカ・インディアンとなりました。「男は生まれた以上は戦士として生きなければならない。そして戦士は謙虚な生き方をしなければならない。戦士は『与えの道』を生き、それがもたらしてくれる力を身につけるのだ」という父親の教えを胸に彼は後に「ラニング・ストロング」というアメリカインディアンの若者のためのランナー育成のためのプログラムを立ち上げ、もっとも成功したアメリカインディアンの実業家のひとりとして今日に至ります。彼の半生は「ロンリーウエイ(Running Brave)1983」というタイトルでカナダで映画化されました。日本でもかつて放映され、わたしも何回かこの映画を見ましたが、リザベーションの現実などがとてもよく描かれています。残念ながら日本語版はもう入手できないようですねえ。確かノベライズが集英社文庫からも出版されていたのですが。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Tuesday, October 12, 2004

コロンブスの日

1492年の今日、旧世界の人間だったクリストファー・コロンブスが新世界に初めて足を踏み入れた。コロンブスを出迎えた先住民はタイノの人たちで、彼らが「グアナハニ(Guanahani)島」と呼んだ現在の「サンサルバドル島」での出来事だ。サンサルバドルはバハマ諸島の中の島のひとつ。そしてそれは南北アメリカ大陸で続いていたドリーム・タイム(日本的に言うなら縄文時代)の終わりのはじまりであり、征服と植民地化の第一歩だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, October 08, 2004

台風22号、名前はマーゴン

「マーゴン」というのは「MA‐ON」とアルファベットで書かれています。「馬の鞍」という香港の山の名前だとか。デジタル台風は「南海上で十分にエネルギーを蓄え、その後スピードを上げて日本列島に接近するという、かなり危険な経過をたどりそう(2004年10月08日)」と書いています。ミラクルが亡くなった喪失感があるから、呼び寄せちゃうかもしれない。皆さんお気をつけて。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

ミラクルが亡くなりました

miracle.jpgミラクルが亡くなりました。

世界中に与える衝撃の大きさを考慮して彼女が亡くなったことはしばらく公表を差し控えられていたのです。ウィスコンシン州ジェーンズヴィルで刊行されている「ジェーンズヴィル・ガゼット(Janesville Gazette)」紙が伝えています。


Continue reading "ミラクルが亡くなりました"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Thursday, October 07, 2004

逆さまから見たインディアン博物館

国立アメリカ・インディアン博物館は「大量虐殺」を隠している

MVC-659F_s2.jpgネイティブ・アメリカン・タイムズという独立系新聞を発行し同時にネット上で「NativeTimes.com」というニュースサイトを運営しているオクラホマ・インディアン・タイムズ社の編集発行人であるエリザベス・グレイとジム・グレイのふたりが、このほどワシントンDCにオープンしたばかりのスミソニアン国立アメリカン・インディアン博物館にたいして自分たちのホームページで抗議の声をあげている。

この9月上旬に開館したアメリカ国立のアメリカ・インディアン博物館については先日も別の記事でふれたが、今言えることはけっしてすべてのネイティブ・アメリカン・ピープルがこの開館を喜んでいるわけではないということだ。わざわざナショナル・ジオグラフィック誌が「インディアン・ルネッサンス」の特集を組んだのもこの国立博物館のオープンがきっかけだったことは想像に難くないにしても。

なぜエリザベスとジムのふたりがこの国立博物館に対してこのような態度をとるのかというと、その博物館の展示において、ヨーロッパからの渡来人たちによって引き起こされたアメリカ先住民の大虐殺がものの見事に表舞台から隠されてしまっているからに他ならない。怒りの声はまずカーター・キャンプというポンカ(Ponca Indian)一族出身のライターが2年ほど前にニュー・カリフォルニア・メディア・オンラインに「国立アメリカ・インディアン博物館は大虐殺を隠してる」という追求の記事を、自分の一族のことを例に引いて書いたことにはじまる。この記事を受けてエリザベス・グレイとジム・グレイのふたりが今回博物館の開館にあわせて自分たちのホームページをカーター・キャンプに提供し「大虐殺の隠蔽——国立アメリカ・インディアン博物館」という記事として書き直ししたものを、自分たちが責任を引き受ける形で公開したのだ。博物館が隠しているのがポンカ・ネーションにおける大虐殺だけではなかったからである。

Continue reading "逆さまから見たインディアン博物館"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Monday, October 04, 2004

「嘘は、それを言われた人間の魂を傷つける」
ヤンクトン・ラコタの長老 フィル・レイン氏の言葉

“When you lie to a person, you hurt his soul.”

Phil Lane, Yankton Lakota Elder

Japanese Text Version 2 updated Monday, August 01, 2005

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Sunday, October 03, 2004

働く人間は夢を見れない

「神はこういわれた。自分は人びとの父親であり、地球は母親であると。自然が法であり、動物も、魚も、植物も、自然に従う。ひとり罪作りなのは人間だけであると。それこそが昔からの法である」

——ワナパム(Wanapum)一族の予言者であり夢見人(シャーマン)として宗教指導者だったスモハラの言葉


スモハラは1815年頃に生まれて1895年に没した。ワナパムは北西太平洋から内陸に向かうコロンビア川の上流の高原に暮らしていた川の人たち。地図上でいうとワシントン州にあり、オレゴン州との州境に近いワラ・ワラ(Walla Walla)のあたり。ワナパムのシャーマンの役割は、普通は川をいつ鮭たちが遡上してくるかを予知したり、肥沃な土地がどこにあるかを察知したりするものだったが、彼の場合は地震がいつ起きるかとか、日食までもを予知したという。スモハラは彼に従う一族のものたちに白人のように働くことをたびたび戒めた。捕まえた魚たちや、狩りの獲物、棒で掘り出したゆり根などは、労働の成果ではなく、自然からの贈り物なのだと彼は言った。「働く人間は夢を見れない。知恵は夢の中でわれわれにもたらされるのだ」と。

| | Comments (2) | TrackBack (0)

Saturday, October 02, 2004

講座「樺太のアイヌ文化」のおしらせ

*以下のお知らせはわたしが定期購読している [Asurpusu-puyar] というメーリングリストに掲載されていたものです。

■樺太のアイヌ文化−−博物館講座(帯広)のお知らせ
2004年10月16日(土曜日)

Continue reading "講座「樺太のアイヌ文化」のおしらせ"

| | Comments (0) | TrackBack (0)

特別な犬

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Friday, October 01, 2004

スウェット・バス

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« September 2004 | Main | November 2004 »