虹の戦士たちへ
Tasks of Rainbow Warriors
*以下は太田出版版『虹の戦士』(1999年刊行)のあとがきではなく、まえがきである。昨日の記事と関連しているものなのでここに再録した。『虹の戦士』の本文そのものは、ぜひ本でお読みください。
わたしたちは、現在、自分たちの生活を見直すべき時代を生きている。この時代は、アメリカ・インディアンの信仰においては、空の星たちの位置の変化によって、一九六〇年代後半にはじまったことが確認されており、劇的なる変化は、活動に激しさを加えつつ世紀を超えて、二一世紀の最初の二〇年ほどを支配することになっている。アメリカ南西部の高原砂漠に暮らすホピ族はこれを「偉大なる浄化の時」と呼んできた。ホピの教えによれば、灰の詰まった瓢箪が二回地球を震わせた後、遠からずして浄化の時がはじまり、ホピと純粋な心をもったインディアンたちが力をあわせて、世界をよりよいところへとつくりかえていくことになるという。この「灰の詰まった瓢箪」は「ヒロシマとナガサキに落とされた原子爆弾」をさす。
かつてわたしは自分の本(注)で、日本人が「ルーツを喪失したインディアン」である可能性を指摘した。わたしたちは「あらかじめ母なる地球との絆を失ってしまっている」のだ。そして「縄文時代のライフスタイルを今に伝える世界の先住民に残された教えと生き方を学びなおすことで、もう一度日本列島と自分とをつなぐこともできるはずだ」と。その後もこの確信は変わっていない。わたしたちはもともと遠い昔にはインディアンでありながら、インディアン的生き方とは一番かけ離れた対極的な「強欲に支配される生き方」を良しとしてきた。それはわたしたちの自然の扱い方を見れば一目瞭然であるだろう。
日本人は、日本という国家を愛するほどには、日本列島を愛してはいない。その結果、日本列島における自然は、ことごとくゴミに覆われて、もはやほとんど残されていない。その昔、朝鮮半島やアジア大陸からの帰化人によって「大きな八つの島」と呼ばれた大きな美しい島々は、二千数百年を経て、今、見るに忍びない姿を曝している。自然のままの浜も森も山も沼も、もうない。二〇世紀には、あらかた原生林も消え、水も黒ずみ、空気も汚染した。川には死んだ魚が浮き、空かからは鳥が落ちた。さらに世界中から食料や化石燃料や森林の木を切り倒して作る紙などの自然資源を大量に輸入することで、世界各地の先住民から土地と生きる権利や環境を奪い、精神的物理的さまざまなレベルにおける汚染を地球規模に広めてきた。当然ながら、母なる自然は日本列島から潮がひくように姿を消しつつある。気がついたときには野性の植物や動物の大半がすでに消えていた。今生まれつつある赤ん坊はダイオキシンに汚染された母乳を飲んで育つのだ。これは「地球が病んでいる」ことの証しである。こうした地球の病に関わる問題は、わたしたちをわたしたちたらしめている生き方と密接に関連するのだ。だから、わたしたちは、地球の病を癒すために、自分たちの生活を根本的に見直さなくてはならない。
世界各地の先住民の教えが伝えている。地球が病んで、動物たちが姿を消しはじめ、人々が健康を失って愚かな振舞いを始める頃、つまり、地球の変化が激しくなって「偉大なる浄化の時」が始まると、伝説や、物語や、古い教えや、儀式や、神話や、太古の部族の風習などを、しっかりと守り続けてきた者たちの時代が到来すると。地球上の生命あるものたちの生存の鍵を握っているのはその人たちだ。日本列島でも例外ではない。本書のタイトルにもなっている「虹の戦士」とは、その人たちを指す。虹の戦士たちは、誰からも命令や指示をうけない。戦士は「指示や命令がなければ動けない兵隊」とはまったく異なるからだ。虹の戦士とは、自分が好きになれるような世界を作るために、なにかを自発的に始める人たちだ。正義と、平和と、自由に目覚め、偉大なる精霊の存在を認める存在だ。日本列島は、母なる地球は、その人たちの到来を必要としている。
虹の戦士たちは、この教えを地球に生きる人々に広めることになるだろう。偉大なる精霊の指し示した生き方を実践し、今の世界がその教えに背いているために、わたしたちの地球が病んでしまったことを伝えていく。自分たちが好きになれるような世界を作るために、病んでしまった日本列島を癒し、もう一度地球を美しくするために、なにをすればよいのかを理解して、力強い行動をとることだろう。
本書は、わたしたちのなかで眠りこけている「母なる地球と直接つながる精神」に働きかけるものである。すべてはその精神が眠りから目を覚まして、わたしたちのもとに帰ってくるかどうかにかかっているのだから。
暗い夜明けのときに
(注)『ネイティブ・マインド−−アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(地湧社刊)
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Comments
まず、自分の体を知ろう。
頭で知るのではなく、体から頭が学ぶのだ。
魂(こころ)がこの世界に現れるとき、
一番最初に触れるのがこの自分の体なのだ。
街にいても、機械に囲まれた部品のように自然から切り離されたところにいても、
この体は大地からかしあたえられた土とのつながりだ。
むろん、たくさんの生きものたちの息吹を感じられる空気の中にいられれば、それが心地よい。
そんなときは是非靴を脱いで土を感じて欲しい。
われわれを培う暖かさを。
われわれが生きる道は、他の命をもらうこと。
その作業を、厭うてはならない。
かり(狩、借、仮)は、他の命とのつながりだ。
だが、他の命をもらうことを、楽しんではならない。やがて自分も他の命へと姿を変える、そのときを思おう。
体の使い方を学ぼう。
脳だけでなく、すべての細胞が思いを持っている。体の声を聞くことで、繋がりあるもの達の声も聞こえてくる。
Posted by: 柴﨑徹之 | Sunday, March 20, 2005 03:35 PM