敵をつくらない生き方
Making Good Medicine
新聞やテレビのニュース番組を見ると、いったいどうしちゃったんだろうと考え込まされるような事件が切れ目なしに続いている。人々の中に暴力と憎しみが蔓延しているように思えてならない。これは共同体の機能不全を意味する。明らかに社会は病んでいるのだが、こうした病気の治療に当たれるような存在をわれわれは失ってしまって久しい。部族的な社会であれば、いわゆる「メディスンマン」「メディスンウーマン」「シャーマン」といった人たちの出番であるだろう。わたしが70年代後半から80年代前半に教えを乞うたグランドファザーのローリング・サンダーのメディスンマン仲間に、イロコイ連合国のタスカローラ一族の信仰を守る希有なメディスンマンとして名前を轟かしたウォーレス “マツド・ベア” アンダーソン(Wallace Mad Bear Anderson)という人物がいる。1985年に彼もまたこの世界から次の世界へと旅立ってしまったのだが、幸いに彼の言葉が記録されているので、役に立つことがあるかもしれないから、それを紹介しておきたい。(そういえば1978年のあのロンゲスト・ウォーク--The Longest Walk--に参加した人なら、最終目的地のワシントンDCで大きくて丸ぽちゃでハワイのアロハを着た愛すべき彼の姿をきっと目撃しているはずだ)
グッド・メディスンの意図するところは、物事を単純にすることだ。敵対する破壊的な力を作り上げる必要などどこにもない。そうした力はさらに輪をかけたネガティブななエネルギーとなってこちらにはね返ってくるし、問題を引き起こすことが多い。もしあなたが誰かに敵意を抱いているなら、すなわち他人を軽蔑するような気持ちがあなたのなかのどこかにあるのなら、当然あなただってその人たちから軽蔑を受けても仕方がないのである。
要は敵意の受け皿にならないことだ。
あなたがたのなかには、怒りや、恐れや、いわゆる犯罪を犯した人間を蔑(さげす)む気持ちがたくさんあり、それがためにあなた方の犯罪率も上昇し続ける。
あなた方の社会はどうぞ犯罪を引き起こしてくださいと言っているようなもので、当然犯罪率も跳ね上がってこざるをえない。
あなたがたは、そのような人たちを敵として扱うのではなく、共に生きていくべきなのである。
蔑(さげす)むべきは犯罪であり、人ではない。
いかなる人間であれ、集団であれ、これを自分たちの敵として考えることは誤りである。もしそれをすれば、その個人、もしくは集団は、あなたがたに敵対するものとならざるを得ないだろう。
自分以外のすべての人を、誰であれ「もうひとりの自分」と考えるようにすることのほうが、はるかに役に立つ。すべての個人を宇宙の現れとして考えてみるのはどうだろうか。
人間というのは一人残らず、すべての働きとつながりあっているものであり、自分だけ外側にいてその影響から免れることも、また誰かさんよりも影響を少なめにすることもできることではない。
人間はそれぞれ誰もが「命のひな形」であるわけで、人間の本性はいのちのあらわれそのものである。
わたしはあなたが、経済的に、あるいは学問の世界で、どれくらい低いところまで落ちようが、どのくらい高いところまで登ろうが、そんなことは少しも気にしない。いずれにしてもあなたはそこにいるだけで、すべてをあらわしているのだから。
たとえ終身刑の罪で独房の中に閉じ込められている身の上の極悪犯罪人であろうと、彼という存在の中心にも同じ種が、天地創造を可能にする種が息づいている。
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