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Thursday, September 30, 2004

ネイティブ・フード

国立アメリカ先住民博物館(National Museum of the American Indian)が9月21日にワシントンDCに新しく開館し、そこのカフェテリアでネイティブ・アメリカンの伝統料理——杉の木でローストされた鮭や、灰焼きされたスイートコーンにヘイゼルナッツ・バターをかけたものなど——が、ハンバーガーやピザやホットドッグの代わりに提供されていることから、さっそくワシントンポストが(washingtonpost.com)がアメリカ先住民の料理にスポットを当てて「The New Focus On Native American Cooking By Karen Lincoln Michel(ネイティブ・アメリカンの料理に新たな焦点)」という記事(要登録)を開館日の翌日に掲載している。

こうした動きの背景には9月の初めにミルウォーキーで開かれた「ネイティブ・フード・サミット2004」(ネイティブ・アメリカの食べ方と生き方を変えるための集い)があり、このサミットでは「単にネイティブの人たちの料理について語られただけでなく、各部族がおのおのの土地で持続可能な食物システムを作りあげること」に焦点が当てられた。またアメリカ・インディアンの世界に今、糖尿病と若年層の肥満が広がりつつあることに懸念してそのふたつに対する戦いの必要を強調したこともある。インディアンの若者の40パーセントは太りすぎであり、白人の3倍ぐらいの割合でインディアンの人たちが糖尿病になるのだという。

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Wednesday, September 29, 2004

朝の祈りの歌

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Tuesday, September 28, 2004

FULL MOON

あなたも今夜の満月を見ていますか?

 ○22時 11分 13秒 が月の満つる瞬間です。
 ○月齢 13.945
 ○月の地心距離 380,725km

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メアリーは日本列島に向かう

中国大陸に上陸する寸前で、なにを考えたか北東に向かって動き出した台風21号。名前は「メアリー」。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の言葉で、意味は「やまびこ」だそうです。結構大きく、かつ中心の目のところも強く成長して、またしても九州南部を狙っています。これから数日は、デジタル台風にお世話になりそうです。

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地球を讃えよう

music.jpg

「平和利用」であれなんであれ、すべての「核利用」に反対する立場から、長年反核運動をになってきた人たちをまとめて1994年にネバダの核実験場で「核の鎖を断つ」ことを目的にシュンダハイ・ネットワーク(Shundahai Network)というネットワークを立ち上げたのがウエスタン・ショショーニの精神的指導者でメディスンマンであり、ストーリーテラーであるコービン・ハーニィ(Corbin Harney)であり、かのローリング・サンダーが最後までケアしていた沙漠の中の国が、このウエスタン・ショショーニである。

「西部ショショーニ国」は、ロッキー山脈の西側に横たわるとてつもなく広大な「グレートベースン」と名付けられた沙漠にあり、ショショーニの人たちはユタ州とネバダ州にまたがるハイ・デザートであるそこを「ニューウィ・ソゴビア(Newe Sogobia)」と呼んできた。「人びとの母なる大地」という意味である。

このとてつもなく美しくてかけがえのない沙漠の近くにあって、ウエスタン・ショショーニと同族であるゴシュート・ショショーニ(Goshutes)の人たちが先祖代々守り続けてきた「骸骨渓谷(スカル・バレー)」というところに、近年合衆国政府が高レベル核廃棄物処理場(核のゴミ捨て場)を作ろうと画策し続けている。そして2005年の1月には正式な許可証が発行されようとしている。世界中どこでも、日本においても、核廃棄物処理場だけでなく、核関連の大規模施設は、そうした弱い人たちの土地に飴とむち政策でいつでも狙いをつける。当然ながらショショーニの人たちも巻き込んだ反対運動が今も継続中だ。

ゴシュート(Goshutes)最盛期には2万人を数えたが、現在は500人が残るのみ。そのうちの125人が、ゴシュート・インディアンのスカル・バレー一族としてユタ州のスカル・バレーというところの73平方キロメートルの土地で暮らしている。傀儡(かいらい)政府である部族会議のチーフが自分たちの土地を核廃棄物の貯蔵庫に提供すると決めてしまったために大きな騒動が起きた。

そこで来週の10月1日には今アメリカで注目されている——20世紀最後の、そして21世紀最強のアトランタ出身の女性フォーク・ロック・デュオであり、グラミー賞も受賞している「インディゴ・ガールス(Indigo Girls)」が、ユタのソルトレイク市にあるユタ州立大学のキングズベリー・ホールで、スカル・バレーの核廃棄場建設を止める目的の地球のためのコンサートを予定している。

インディゴ・ガールス(Indigo Girls)」は最近政治的に腰砕けのミュージシャンが多い中では自分たちの信念に基づいて活動する珍しい存在だ。1999年の女性による女性のための「リリス・フェアー(Lilith Fair 1999 A Celebration of Women in Love)」コンサート・ツアーでも中心的な役回りを与えられていたし、ドキュメントを見るとかっこよかったよね。日本では歌のうまさだけで紹介されているが、デビュー以来15年以上も行動と歌とが一致している最近では珍しい音楽活動家たちなのだ。彼女たちの公式サイトを見てみるとそれがわかるだろう。彼女たちはまた「地球を讃えよう(Honor the Earth)」という環境保護組織をネイティブの活動家であるウィノア・ラデューク(Winona LaDuke)とともに1993年に創設し、これまでに世界各地で70回近くの資金集めのためのコンサートを行い全米100を超えるネイティブの草の根運動にこれまで1,000,000ドルを超える資金を提供してきたし、また「再生可能なエネルギー計画」としてラコタのパイン・リッジ居留地やネバダのウエスタン・ショショーニの土地で風力発電施設を稼働させている。

10月1日のコンサートは、ゴシュート・ショショーニの文化と居留地住民たちの健康問題を憂慮し続ける草の根運動家たちおよびショショーニの土地に核廃棄物処理場を持ってくることに7年間反対してきた環境と文化を守るための団体の資金集めとして行われる。

インディゴ・ガールズの一人エミリー・サリアーズは「産軍複合体がまわしている輪にそろそろ大きな棒をつっこんで止める時なんじゃないの。誰も自分の家の裏庭に核廃棄物処理場なんてほしくはないわよね、そうでしょう? 死を売り物にする核産業を放棄して、風力とか太陽熱といった、もうひとつのエネルギー資源に向かって舵を切らなくてはいけないときが来ているのよ。新しいエネルギーのパラダイムは可能なの。人としての威厳を保ち、私たちが生き残り、未来の世代が生き残るためにもね。だからこの動きに参加してほしいわけ」と言っている。久しくこれほどの発言をするミュージシャンに出会えなかったので彼女の発言は何か新鮮ですね。日本の芸能界にいる人たちは逆さまになっても口にできないお言葉ではあります。

「それはわれわれの裏庭であり、前庭でもある。核による汚染は、あらゆるすべてのいのちを短くしてしまう。われわれはひとりの人間としてひとつにつながり、もうたくさんだと声をあげなくてはならない。われわれは、人間として、われわれの思いをひとつにして、このわれわれの星をともに守らなくてはならない。われわれにあたえられているのは、ひとつの水であり、ひとつの空気であり、ひとつの母なる地球なのだから」
——ウエスタン・ショショーニの精神的指導者でメディスンマンのコービン・ハーニィの言葉

※写真は「地球を讃えよう」を象徴する旗の前にたたずむインディゴ・ガールズ(エミリー・サリアーズとエイミー・レイ)のふたり。

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Sunday, September 26, 2004

Do not lose hope.

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昨日、小生の朝日カルチャーセンターにおける講演会に来ていただいた多くのみなさまに改めて感謝申しあげます。講演の最後にホピのライフ・プランについて話が及んだとき、問題の岩絵をインターネット上でみられないかと尋ねられました。今朝探してみたら、部族会議と対立していた伝統派ホピの長老たちが編集部の場所を明らかにしないままアメリカ南西部の沙漠の中のどこかで最後に編集刊行していた全44巻の「テカ・イカチ(TECHQUA IKACHI)」の通巻37号で「予言の岩、あるいは生命の計画」という記事としてそれが掲載されているのがわかったのでここに転載しておきます。この岩絵の意味するところは、「テカ・イカチ」のなかに、シンプルかつ力強い英語でエルダーが解説してくださっているので、ネイティブ・アメリカン・シンプル・イングリッシュのレッスンもかねてどうかそちらを参照ください。この記事の最後が「Do not lose hope.(希望を失ってはならない)」という言葉で終わっているのが印象的ですね。

▽テカ・イカチ(TECHQUA IKACHI)ホームページ
http://www.jnanadana.org/hopi/techqua_ikachi.html

テカ・イカチの解説本としては以下のものがあります。この本ではTECHQUA IKACHIの読み方が「テククア・イカチ」となっています。その方が正しいのかもしれませんが、わたしの耳には「テカ・イカチ」もしくは「テクァ・イカチ」と聞こえました。もともと文字で書き記す風習はなかったので、いろいろな文字に置き換えられるのも仕方がないことなのかもしれません。なお、同書の原タイトルは「THE HOPI SURVIVAL KIT」といいます。「ホピを生き残らせるためのもの一式」とでもいいましょうか。

4198613273.09.MZZZZZZZ.jpgホピ神との契約—大地といのちの護りびと
トーマス・E.マイルズ (著), ダン・エヴェヘマ (著), 林 陽

価格: ¥1,890 (税込)

書籍データ
• 単行本: 366 p ; サイズ(cm): 20
• 出版社: 徳間書店 ; ISBN: 4198613273 ; (2001/03)

内容(Amazon jp「MARC」データベースより)
インディアン最古の血筋・伝統派ホピ族の最長老がついに決意。創造主がマサウを通じてホピに語った、人類の未来についての「預言」と生き残りの方法を記した「警告」「教示」を詳細にまとめた、「テククワ・イカチ」を初公開。

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Wednesday, September 22, 2004

もしも立場が逆転したら

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Tuesday, September 21, 2004

強き者よ

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Monday, September 20, 2004

敵は小さなうちに叩け

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Sunday, September 19, 2004

ネイティブ女性の研究

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Saturday, September 18, 2004

裁きの日

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Friday, September 17, 2004

エデンの彼方

狩猟採集民・農耕民・人類の歴史


「狩猟採集民の神話伝説には、善と悪、真面目と冗談を画する一線がない」
-----同書236ページ 「第5章 農耕民の神、狩猟採集民の神」より 池央耿訳


ひさしぶりに目からうろこが落ちるぐらい刺激的な本を読んだので紹介したい。ヒュー・ブロディ著、池央耿訳になる『エデンの彼方(狩猟採集民・農耕民・人類の歴史)』は80年代以降に出版されたネイティブ・ピープル(亀の島・北米大陸のオリジナルな住民のみならず地球のネイティブ・ピープル)について書かれた本のなかで、すくなくてもわたしにとってはもっとも重要な一冊になるかもしれない。仕事の合間や、交通機関での移動の時間に読んでいたので、読むのに2ヶ月ほどかかったが、その間最後までこの本の存在を忘れることがなかった。普通つまらない本だと忘れてしまうのだけれどね。

「狩猟採集民の生き方で注目すべきは、個人の意思を大いに尊重することである。どの集団にも、指導者というよりは技量において崇敬を集める狩りの名人がいる。しかし、その指示や助言に従うかどうかは、あくまでも個人の選択である。狩りの先達は命令を強要しない。自分の意志は明らかにするが、それにどう対応するかは個々の判断に任される。社会的な倫理規範は厳格ながら、上意下逹や集団による制裁によってこれを強制する考えはない。人間の行為が霊界におよぼす影響は、祟りに対する恐れを伴って理解されている。動物を正当に敬わず、禁忌をないがしろにすれば、報いは飢えと病であり、そのことは部族の神話伝説に語られているし、現実に厄災に見舞われた場合、長老やシャーマンもこの考えに立って現状を分析し、対応を検討する。狩猟採集民の社会にあって、個人と霊界の結びつきは何にもまして重要であり、その媒介は夢や、瞑想、直観、とさまざまだが、選択の自由は各人にあって、社会的階層、序列に制約されることはない」
-----同書116ページ 「第3章 時空を翔ける」より 池央耿訳


ふつう農耕民と狩猟採集民とでは、農耕民の方が大地に根ざしていると思われがちだが、著者はこれを真っ向から否定する。農耕文化の歴史は「定住、大家族、移動」と三点セットであり、これが「容赦ない植民地開拓」と結びつく傾向があるからだ。カナダ北方のファースト・ネーションズ・ビープル(カナダ・インデイアンとは言わない)を題材に、狩猟採集民とは何かを細部にわたって追求検証した記録だが、これを読むと、自分の知っているさまざまな部族のアメリカ・インディアンたちが「狩猟採集民的なもの」をリザベーション暮らしの中でだいぶ失いつつある現実に気がつかされる。同時に、自分たちのなかにもほんの少しかもしれないが狩猟採集民的なものが残っている可能性にも気がつかされる。なぜなら「今から1万2000年前には人類はみな狩猟採集民だった」からだ。日本列島における狩猟採集民(遊動民)と農耕民(定住民)との出会いがもたらした植民地国家の表と裏とをわたしは『ネイティブ・タイム』(地湧社刊)という厚さ5センチもある年表の中で考察したし、ライフワークとしてその作業は今も続いているのだが、この本はその作業に厚みを与えてくれることは間違いない。アメリカ・インディアンに限らず、地球の先住民文化、狩猟採集文化、シャーマニズムなどに関心のある人はお読みになれば必ず得るものがあるだろう。地球には文字に記されることなく続いて来たもうひとつの「歴史」があり、その中で形作られて来た狩猟採集の民の世界認識は、彼らの言葉とともに失われつつある。1万2000年という時間が長いのか短いのかわからないが、明らかに今、地球から、そしてわたしたちの遠い記憶の中から、狩猟採集民的なるものが永遠に失われようとしている。われわれにできることはなにもないのだろうか? この本の最後は次のような言葉で締めくられている。

「狩猟採集民と農耕民の遭遇は、一方にとっては喪失、他方にとっては利得の歴史だった。狩猟採集民が失ったものは取り返す術もない。だが、狩猟採集民とは、いったい何者か、彼らがどれだけ大地に根付いた生き方をしているか、農耕民との出会いが何をもたらしたか、そうしたことを世界中がきちんと知れば、いささかなりとも埋め合わせの望みがなくもない。狩猟採集民の達成もさることながら、彼らが語り継いで来た歴史にこそ、人類の未来を切り開く道がある。狩猟採集民がいなければ、悲しいかな人類の存在価値は逓減する。狩猟採集民がいることで、我々は円満な全人たりうるのである」
----同書291ページ 「第6章 狩猟採集民と人類の歴史」より 池央耿訳


4794212682.09.MZZZZZZZ.jpgエデンの彼方
狩猟採集民・農耕民・人類の歴史

ヒュー・ブロディ著 池央耿訳

The Other Side of Eden
Hunter-gatherers, Farmers and the Shaping of the World

●単行本: 310 p ; サイズ(cm): 19 x 13 ¥2,310 (税込)
●出版社: 草思社 ; ISBN: 4794212682 ; (2003/12/10)


内容(Amazon.co.jp「MARC」データベースより)
人類学者・記録映画作家としての30余年のフィールドワークを踏まえて、狩猟採集民の社会・文化の特質を農耕民のそれと対比しながら、進歩史観を排して人類の歴史を根本から捉え直す。


目次
第1章 イヌイット語を学ぶ
第2章 天地創造
第3章 時空を翔ける
第4章 言葉を奪われて
第5章 農耕民の神、狩猟採集民の神
第6章 狩猟採集民と人類の歴史

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Thursday, September 16, 2004

敵をつくらない生き方

Making Good Medicine

新聞やテレビのニュース番組を見ると、いったいどうしちゃったんだろうと考え込まされるような事件が切れ目なしに続いている。人々の中に暴力と憎しみが蔓延しているように思えてならない。これは共同体の機能不全を意味する。明らかに社会は病んでいるのだが、こうした病気の治療に当たれるような存在をわれわれは失ってしまって久しい。部族的な社会であれば、いわゆる「メディスンマン」「メディスンウーマン」「シャーマン」といった人たちの出番であるだろう。わたしが70年代後半から80年代前半に教えを乞うたグランドファザーのローリング・サンダーのメディスンマン仲間に、イロコイ連合国のタスカローラ一族の信仰を守る希有なメディスンマンとして名前を轟かしたウォーレス “マツド・ベア” アンダーソン(Wallace Mad Bear Anderson)という人物がいる。1985年に彼もまたこの世界から次の世界へと旅立ってしまったのだが、幸いに彼の言葉が記録されているので、役に立つことがあるかもしれないから、それを紹介しておきたい。(そういえば1978年のあのロンゲスト・ウォーク--The Longest Walk--に参加した人なら、最終目的地のワシントンDCで大きくて丸ぽちゃでハワイのアロハを着た愛すべき彼の姿をきっと目撃しているはずだ)


グッド・メディスンの意図するところは、物事を単純にすることだ。敵対する破壊的な力を作り上げる必要などどこにもない。そうした力はさらに輪をかけたネガティブななエネルギーとなってこちらにはね返ってくるし、問題を引き起こすことが多い。

もしあなたが誰かに敵意を抱いているなら、すなわち他人を軽蔑するような気持ちがあなたのなかのどこかにあるのなら、当然あなただってその人たちから軽蔑を受けても仕方がないのである。

要は敵意の受け皿にならないことだ。

あなたがたのなかには、怒りや、恐れや、いわゆる犯罪を犯した人間を蔑(さげす)む気持ちがたくさんあり、それがためにあなた方の犯罪率も上昇し続ける。

あなた方の社会はどうぞ犯罪を引き起こしてくださいと言っているようなもので、当然犯罪率も跳ね上がってこざるをえない。

あなたがたは、そのような人たちを敵として扱うのではなく、共に生きていくべきなのである。

蔑(さげす)むべきは犯罪であり、人ではない。

いかなる人間であれ、集団であれ、これを自分たちの敵として考えることは誤りである。もしそれをすれば、その個人、もしくは集団は、あなたがたに敵対するものとならざるを得ないだろう。

自分以外のすべての人を、誰であれ「もうひとりの自分」と考えるようにすることのほうが、はるかに役に立つ。すべての個人を宇宙の現れとして考えてみるのはどうだろうか。

人間というのは一人残らず、すべての働きとつながりあっているものであり、自分だけ外側にいてその影響から免れることも、また誰かさんよりも影響を少なめにすることもできることではない。

人間はそれぞれ誰もが「命のひな形」であるわけで、人間の本性はいのちのあらわれそのものである。

わたしはあなたが、経済的に、あるいは学問の世界で、どれくらい低いところまで落ちようが、どのくらい高いところまで登ろうが、そんなことは少しも気にしない。いずれにしてもあなたはそこにいるだけで、すべてをあらわしているのだから。

たとえ終身刑の罪で独房の中に閉じ込められている身の上の極悪犯罪人であろうと、彼という存在の中心にも同じ種が、天地創造を可能にする種が息づいている。

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Wednesday, September 15, 2004

3人のいとこたちの世界

THE WORLD ACCORDING TO THE THREE COUSINS

以下は世界貿易センターの惨劇から1年目の2002年9月11日に、アメリカ・インディアンの「Oyate Underground」「RezLife」「NDNAIM」などいくつかのメーリングリストに流された「3人のいとこたちの世界」(ジェームス・H・スターキー/ James H. Starkey /ラコタ)という文書のなかのもっとも印象的な一節である。(なおこの文書は今年の9月11日にも同じようにネイティブのメーリングリストに流された)


兄弟姉妹たちよ、ずる賢いトリックスターの仕掛けた策略にはまってはならない。中東で起こっているのはなにもかも、ユダヤ教とイスラム教とキリスト教という、いうならば3人のいとこたちによる家族の内紛にすぎないのだから。この3人は3人ともが、太古から自分たちが歩んで来た聖なる道を踏み外し、けっきょく今日まで、母なる自然そのものを受け入れることができず、また母なる自然に受け入れられることもなかった。いかにすれば親類として助け合えるかなどということはきれいに忘れて、リヤ(ラコタの信じる悪の神)とイクトミ(みんなをおとしめることしか頭にないわんぱく者)のやり方に倣っている。すべての自然が自分たちの思いのままになると思い込むことで、われわれのようにあえて伝統的な母権制にとどまるものを罵倒した。彼らはわれわれを「五〇〇ほどもある多様な国の人々」として認めるのではなく、われわれ全員をひとからげに「ネイティブ・アメリカン」と見る。今彼らが味わっているのと同じような苦しみを、われわれが経験し続けていることなどまるで考えたこともない。ラコタの人間として、われわれは今なおウーンデツド・ニーにおける悲惨な出来事に嘆き苦しみ続けている。われわれがウーンデッド・ニーで失った命を人口比で見れば、アメリカにとっては有に世界貿易センタービル100棟分以上に相当するのだ。

Update 23:56 PM, Wednesday, September 15, 2004

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講座「ホピの道、平和の教え」のご案内(再掲)

●朝日カルチャーセンター新宿教室で9月25日土曜日に講座をおこないます。


「ホピの道、平和の教え------ネイティブ・アメリカンに学ぶ」
                      講師:翻訳家 北山耕平 


             four_wheel.c.gif
             【ホピの シールド】

※使用している図版はホピのシールド・マークで、四つのそれぞれの小さな輪は地球にあるすべての国々を示し、全体としては「すべての国々と力をあわせて、大地と生命を守り、世界のバランスを保つ」という彼らの意志を伝えているとされるもの。

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Tuesday, September 14, 2004

ローリング・サンダーによれば、愛とは


愛とは、
すべての存在に向けられるものです。
それを忘れてはなりません。

愛とは
セックスとか、
異性に対する事だけではなくて
生命あるものすべてのためにあるのです。

--------ローリング・サンダー(1992年9月17日)


昨日の記事にも登場したローリング・サンダー(Rolling Thunder)はインタートライバルなメディスンマンとして20世紀後半にアメリカ・インディアンの精神と権利の復興運動の先頭に立った人物。ここに引用したのは、彼がこの世界の旅を終える直前の1992年に、彼のもとを訪れたひとりの在米日本人ミュージシャンである粕谷幸正くんに語ってくれた「日本と世界の人たちへのメッセージ」の一節です。なおローリング・サンダーの日本の人たちへのメッセージの全文を読みたい人は、粕谷君が「ローリング・サンダーを訪ねて」という会見記を「2004インタビューマガジン・うえやま的聞き耳学」のなかで4回に分けて公開してくれているのでそちらをどうぞ。

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Monday, September 13, 2004

アメリカの礎石

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Sunday, September 12, 2004

幌馬車隊、止まれ!

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Saturday, September 11, 2004

時を告げるインディアン

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Friday, September 10, 2004

北方文化フォーラムのおしらせ

以下は、Asurpusp-puyar というメーリングリストからの転載です。


重要イベントのごあんないです。

札幌大学文化学部主催の北方文化フォーラム
「アイヌ民族の今日的課題〜アイヌ民族共有財産裁判を通してみえてきたもの〜」

日時:9月27日(月)18:00〜19:30
場所:札幌大学 6号館6102教室(札幌市豊平区西岡3条7丁目3番1号)

講師:小川隆吉(アイヌ民族文化伝承の会会長・北海道教育大学非常勤講師・
アイヌ民族共有財産裁判原告団長)

入場無料

問い合せ:011−852−1181
http://www.sapporo-u.ac.jp/bunka/hoppou0402.htm


なお、小川さんが原告団長を勤める、
アイヌ民族共有財産裁判を支援する全国連絡会では、最高裁判所への請願署名を集めています。
http://www.dogyousei.gr.jp/ainu/
のページの「請願署名簿」に署名用紙がございます。
ご協力お願いします。


}{}{ Asurpusp-puyar MM }{}{
--------------------------------------------------------------
Asurpusu-puyar URL: http://www.egroups.co.jp/group/asurpusu-puyar/

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こちらは「インデイアン」だったぞ

さっき下の記事を書いたあとで、もしかしたらと思って本家のナショナルジオグラフィック協会(National Geographic Society)刊行の「National Geographic」誌の今月号をチェックしてみたら、案の定、特集のタイトルはそのものずばり


Indian
SCENES FROM A RENAISSANCE

となっているじやないか。

記事は「インディアンのルネッサンス」についてで、ジヨセフ・ブルチヤック(Joseph Bruchac)というこの世界に造詣が深く、ヨーロッパとネイティブの血を部分的に受け継いだ混血の作家(母親がアベナキ族で父親がソロバキア人)が原稿を書いていて、内容としては著者を含むインディアンの人たちが自信を取り戻しつつあることを報告するものであるらしい。ナショナル・ジオグラフィックという世界でたくさんの人たちが定期購読している雑誌のタイトルが意識に与える影響は大きいだろう。「インディアン」という言葉が堂々と大きな文字で使われる時代になって来たようだ。これでもう照れくさそうに「自分はネイティブ・アメリカンなのかな」と口にするようなインディアンの友だちも減ることだろう。「ネイティブ・アメリカン」という言葉がメディアで使われ続けた時代に意識の転換が起こり、「インディアン」を肯定的に政治的にも正しく使うための準備が整って来たと見るべきかな。

コロンブスがきたときにはじまった戦争も、新しい段階に移るのかもしれない。

National Geographic Magazine, September 2004

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アメリカ・インディアンだぞ

広告を見ただけだけれど、日経ナショナル ジオグラフィック社刊行の「ナショナル・ジオグラフィック(日本版)」がその9月号で「アメリカ・インディアンの復活」という特集を組んでいる。気がついてほしいのはこれが「ネイティブ・アメリカン」というタイトルではなくて明確に「アメリカ・インディアン」とされているところだ。「ネイティブ・アメリカン」という言葉がメディアのなかで支配的に使われたこの30年間だったけれど、ようやくここへきてバランスをとる動きが出て来ていると見るべきかな。用語の変化はその言葉の意味する世界で何かが起きていることを表している。ともあれこの意味だけでも記念的な特集なので、なんとか手に入れたら、また報告したい。

日本版ナショナル・グラフィック 2004年9月号

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負けず嫌いのシャイアン(ハイテク・インディアン)

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Thursday, September 09, 2004

虹の戦士たちへ

Tasks of Rainbow Warriors

*以下は太田出版版『虹の戦士』(1999年刊行)のあとがきではなく、まえがきである。昨日の記事と関連しているものなのでここに再録した。『虹の戦士』の本文そのものは、ぜひ本でお読みください。

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わたしたちは、現在、自分たちの生活を見直すべき時代を生きている。この時代は、アメリカ・インディアンの信仰においては、空の星たちの位置の変化によって、一九六〇年代後半にはじまったことが確認されており、劇的なる変化は、活動に激しさを加えつつ世紀を超えて、二一世紀の最初の二〇年ほどを支配することになっている。アメリカ南西部の高原砂漠に暮らすホピ族はこれを「偉大なる浄化の時」と呼んできた。ホピの教えによれば、灰の詰まった瓢箪が二回地球を震わせた後、遠からずして浄化の時がはじまり、ホピと純粋な心をもったインディアンたちが力をあわせて、世界をよりよいところへとつくりかえていくことになるという。この「灰の詰まった瓢箪」は「ヒロシマとナガサキに落とされた原子爆弾」をさす。

かつてわたしは自分の本(注)で、日本人が「ルーツを喪失したインディアン」である可能性を指摘した。わたしたちは「あらかじめ母なる地球との絆を失ってしまっている」のだ。そして「縄文時代のライフスタイルを今に伝える世界の先住民に残された教えと生き方を学びなおすことで、もう一度日本列島と自分とをつなぐこともできるはずだ」と。その後もこの確信は変わっていない。わたしたちはもともと遠い昔にはインディアンでありながら、インディアン的生き方とは一番かけ離れた対極的な「強欲に支配される生き方」を良しとしてきた。それはわたしたちの自然の扱い方を見れば一目瞭然であるだろう。

日本人は、日本という国家を愛するほどには、日本列島を愛してはいない。その結果、日本列島における自然は、ことごとくゴミに覆われて、もはやほとんど残されていない。その昔、朝鮮半島やアジア大陸からの帰化人によって「大きな八つの島」と呼ばれた大きな美しい島々は、二千数百年を経て、今、見るに忍びない姿を曝している。自然のままの浜も森も山も沼も、もうない。二〇世紀には、あらかた原生林も消え、水も黒ずみ、空気も汚染した。川には死んだ魚が浮き、空かからは鳥が落ちた。さらに世界中から食料や化石燃料や森林の木を切り倒して作る紙などの自然資源を大量に輸入することで、世界各地の先住民から土地と生きる権利や環境を奪い、精神的物理的さまざまなレベルにおける汚染を地球規模に広めてきた。当然ながら、母なる自然は日本列島から潮がひくように姿を消しつつある。気がついたときには野性の植物や動物の大半がすでに消えていた。今生まれつつある赤ん坊はダイオキシンに汚染された母乳を飲んで育つのだ。これは「地球が病んでいる」ことの証しである。こうした地球の病に関わる問題は、わたしたちをわたしたちたらしめている生き方と密接に関連するのだ。だから、わたしたちは、地球の病を癒すために、自分たちの生活を根本的に見直さなくてはならない。

世界各地の先住民の教えが伝えている。地球が病んで、動物たちが姿を消しはじめ、人々が健康を失って愚かな振舞いを始める頃、つまり、地球の変化が激しくなって「偉大なる浄化の時」が始まると、伝説や、物語や、古い教えや、儀式や、神話や、太古の部族の風習などを、しっかりと守り続けてきた者たちの時代が到来すると。地球上の生命あるものたちの生存の鍵を握っているのはその人たちだ。日本列島でも例外ではない。本書のタイトルにもなっている「虹の戦士」とは、その人たちを指す。虹の戦士たちは、誰からも命令や指示をうけない。戦士は「指示や命令がなければ動けない兵隊」とはまったく異なるからだ。虹の戦士とは、自分が好きになれるような世界を作るために、なにかを自発的に始める人たちだ。正義と、平和と、自由に目覚め、偉大なる精霊の存在を認める存在だ。日本列島は、母なる地球は、その人たちの到来を必要としている。

虹の戦士たちは、この教えを地球に生きる人々に広めることになるだろう。偉大なる精霊の指し示した生き方を実践し、今の世界がその教えに背いているために、わたしたちの地球が病んでしまったことを伝えていく。自分たちが好きになれるような世界を作るために、病んでしまった日本列島を癒し、もう一度地球を美しくするために、なにをすればよいのかを理解して、力強い行動をとることだろう。

本書は、わたしたちのなかで眠りこけている「母なる地球と直接つながる精神」に働きかけるものである。すべてはその精神が眠りから目を覚まして、わたしたちのもとに帰ってくるかどうかにかかっているのだから。

北山耕平
暗い夜明けのときに

(注)『ネイティブ・マインド−−アメリカ・インディアンの目で世界を見る』(地湧社刊)

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Wednesday, September 08, 2004

地球規模の試練のとき

The Day of Purification

日本列島に大風を吹かせた(吹かせている)台風18号は、ベトナムの北西にある川の名前をとって「ソングダー (SONGDA)」と名付けられています。ハーベスト・ムーン(収穫月)を迎えて、せっかくの収穫を目前にした農家の人たちの気持ちは察するにあまりありますね。13年前、1991年9月末の大型台風19号のとき、青森県のリンゴ農家が大きな被害を受けた際に青森県の農家の子供たちが書いた「りんごの涙」という文集のことを、デジタル台風のサイトで教えられました。そのとき、大風でリンゴ畑一面に落ちてしまったリンゴたちを見て、農家のおじいさんの言った「ずいぶんりんごも苦しんだなあ」という言葉に、農の本質が垣間見えるようです。機会があれば一度読まれると良いと思います。

今年は6月以来いくつもの台風が日本列島を虎視眈々と狙い続けているようで、大きな試練のときなのかもしれません。台風、ハリケーン、竜巻、地震、雷、噴火。地球規模の浄化のときのただ中にわれわれはまさに生きていて、この流れはまだしばらく、そう10年から20年は続くと、ホピの予言などでは言われています。われわれは地球規模の天変地異にたいしては、祈ること以外になすすべがありません。こうした自然現象がなにを伝えようとしているのかを可能なかぎり澄みきった意識でとらえたいものです。

追伸 中部太平洋の海域の海水温が少し下がってきたために発育不全で熱帯低気圧にかわりつつある19号は、カンボジアの言葉で「サリカー (SARIKA)」と名付けられています。意味は「さえずる鳥」だそうで、ここでも名は体を表すとはよく言ったものではありませんか。

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カジノの問題

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Tuesday, September 07, 2004

モカシンとコーラ

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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Monday, September 06, 2004

日本人という夢

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあった文章は『ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ』(太田出版2007年7月刊)に、加筆改訂版が収録されています。ネイティブ・ハート・ブログの書籍化については「さらにブログを続けるということ[Native Heart Friday, June 01, 2007]」のアーティクルを参照のこと。わざわざ探し出してここまでこられたのに誠に申し訳ない。願わくば拙著にて、より完成された表現媒体となったものを、お読みください。
北山耕平 拝

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Sunday, September 05, 2004

クレイジー・ホースが死んだ日

The Day Crazy Horse was killed

417.jpg

127年前の今日(1877年9月5日)、アメリカはネブラスカ州のロビンソン砦(Fort Robinson, Nebraska)に不本意にも連行されてきたオグララ・バール・スー一族のチーフ・クレイジー・ホース(タシュンカ・ウィトコ "彼の馬は気が狂ってる")が、片腕を役人に、もう片方の腕を同族のインディアンに押さえられているときに、兵隊のひとりに背後からナイフで刺されて殺された。公開されているアメリカ陸軍の公式記録ではチーフ・クレイジー・ホースの死亡日時は、翌日の9月6日になっている。年老いた彼の父親が、彼の遺体の脇で彼のために死の歌を歌って通夜をすませたあと、それ以上白人の手によって遺体が汚されたくないという意向から、父親と義理の母親はチーフの遺体を----ラコタの人たちにとっては宇宙の中心である----バッドランド(現在は国立公園 Badlands National Park, South Dakota)のなかの何処へかと持ち去った。享年33歳。

「また白人にだまされた! どうせなら戦のなかで死なせてくれ」
      ----兵隊に斬りつけられたときにクレイジー・ホースが叫んだと伝わっている言葉

2年後にチーフ・ダル・ナイフに率いられるシャイアン一族が一斉蜂起をしたときに、この砦は主戦場となる。なおロビンソン砦は後の第二次世界大戦においてはアメリカ最大の軍事物資置場とされ、ドイツ軍の戦時捕虜収容所としても使われた。現在は写真の碑が建立されている。

Update 10:15 AM, Sunday, September 05, 2004

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Saturday, September 04, 2004

0−22 歴史的大勝利

せっかくおいでいただいて恐縮ですが、この記事は、書籍化にともなって、削除されました。ここにあったジョークは『インディアンは笑う』(マーブルトロン発行・発売中央公論社)に、改訂版が収録されています。どうか本でお笑いください。
北山耕平 拝

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平和の人になれるかもしれない

tbsr.jpgここに掲載するのは「地湧社」という出版社が毎月出している『湧』という冊子に求められて書いた原稿です。『輝く星』という小説の翻訳書が刊行された直後で、本の紹介をかねる意味で書きました。この『輝く星』のオリジナルのタイトルは「真実は輝く星」といいます。ホピ・インデイアンの少年が成長していく物語で、ホピの人たちのいのちに対する考え方をアメリカ南西部の忘れがたい景観を背景にして描いた物語です。人間の成長についてタオス・プエブロのメデイスンマンが語るすてきな言葉が心に残るでしょう。翻訳者当人がいうのもおかしいですが、まるで映画を見ているようです。暴力に頼ることなく、愛と勇気で問題を解決し、ヒーローとして成長する主人公の世界を体験してください。写真はオリジナルの英語版の表紙です。

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1832年の12月、現在のアメリカ南西部と呼ばれる高原砂漠地帯が、まだスペイン帝国とその支配下にあるメキシコの領土とされていたころ、ホピ・インディアンの子どもたち十数名がスペイン軍の兵隊たちによって拉致され、サンタフェの町で奴隷として売り飛ばされるという事件が起きました。『輝く星』は、そのときに誘拐されたホピのひとりの少年について描いた小説です。

ホピというとその「予言」が世界的に有名で、ホピという名前が「平和の人々」をあらわすことは広く知れ渡ってきてはいますが、実際の生き方や哲学や精神生活については、残念ながらこれまであまり知られてはいませんでした。

そのホピの国のあるアリゾナで生まれて育った女性で、ホピとも長年の親交を持ち、現在は大学で宗教学を教えるJ・プライス教授は、一九世紀に起ったその事件を下敷きに小説として描くことで、ホピもそのなかにふくまれるプエブロと呼ばれる農耕定住のネイテイブ・アメリカンの人たちの奥の深い精神生活をリアルに描いています。

武力や暴力によってものごとを解決しようとするのではなくて、幼少の時から一貫して非暴力を植え込まれたハートがあれば、愛と勇気を持って事にあたることで、人間はほんものの「ヒーロー」としての人生を生きることができるのだとするホピの人たちの教えの核心が、『輝く星』というスピリチュアルで心温まる「もうひとつの心の冒険小説」には見事に描かれています。

非暴力であるということを生き方と実践するためには、物質的な豊かさではなくて、その対極ともいえる豊かな精神性が求められますが、ホピの人たちがその豊かな精神性をどのようにして次ぎの世代に伝えてきたかを知ることができれば、わたしたちも「平和の人」になれるかもしれません。

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Friday, September 03, 2004

Stream Radio With Spirit

NativeRadio.com --Your Portal to Beauty and Mystery

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今日はネイティブ・ラジオ(NativeRadio.com)というストリーム・ラジオの放送局を紹介したい。この放送局のうたい文句はこうだ。「Your Portal to Beauty and Mystery」(美と神秘の世界へのポータル)。ネイティブ・アメリカンの世界に浸るためにもっともビューティフルなやり方が、ケンタッキーからネットで全世界に放送されているこのネイティブ・ラジオを聞くことであるとぼくは信じている。ネイティブ・アメリカン・ミュージックが日本で紹介されることは、日本人演奏家が増えつつある「ネイティブ・アメリカン・フルート」をのぞいてはまだまれであるので、ぼくのような人間にはこの放送局の存在はとてもありがたい。ネイティブ・アメリカン・ミュージックとして送られてくるもののなかにはロック、ジャズ、ヒップホツプ、ラップ、ニューエイジ、カントリー、パウワウのドラム・ソング、部族の言葉による祈りの歌までなんでもあるし、どれを聞いていても、ゴーストダンスでよみがえる亀の島の風景を彷彿とさせる。時々はさまれるストーリー・テリングやジョークも楽しみのひとつだ。もうひとつの「アメリカ Amerika」というものの存在を、これほどはっきりと印象づけてくれる媒体はそうはない。ネイティブ・アメリカンの人たちの歌や音楽に、そして何よりもそのヴィジョンに、何かを感じる人は、ぜひこのラジオ放送を聞き続けてください。今流れている曲を試しにチェックしてみるとケネス・リトル・ホーク(Kenneth Little Hawk)というインデイアン・フルート奏者の「In A Very Real Way」(とてもリアルな道のなかで)というしみじみとしたフルート。ぼくは普段はネイティブ・ストリーム6(Native Streams6)のニューエイジを中心にしたさまざまなジャンルのかかるチャンネルを流すようにしている。それに、このストリーム6がこの放送局の本流でもある。けつこうロックっぽいものがたくさんかかるし、気が向けばCDを買うこともできてしまう。こんなにいい放送局があるのに、車を運転するときに聞けないのが残念だね。

May Your Spirit Be Strong

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Thursday, September 02, 2004

母なる地球のとりおこなう聖なる儀式

Sacred Eruption

昨夜、浅間山が久しぶりに噴火しました。テレビに映し出された赤い火が印象的でしたね。火山の噴火というのは人間の意識にとても影響を与えます。その昔、ハワイ島でキラウエア火山が噴火したとき、天の配剤で、ハワイ島に長逗留していたことがありますが、その数日、島中が「ハイ」でした。人も動物も植物も、みな明らかに違って見えました。頭の中の何かのスイッチと火山の噴火のあいだにはなにか関係あるようです。ネイティブ・アメリカン人たちは、噴火を特別なもの、母なる大地からのメッセージととらえて、噴火をしているあいだはそのメッセージを聞き漏らすまいと真剣になります。南西部の農耕定住の民であるホピは、噴火を「母なる地球のとりおこなう聖なる儀式」ととらえています。噴火の象徴する世界とは以下のようなものだとつたえられています。

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暗くて不思議なもののあふれた地下世界で、ココペリ Kokopelli の背中のこぶのなかで生まれた火が、一息に地表世界に吹き出してくる。噴火はエオトト Eototo という名前の火の守護者の光のなかに火をもたらし、肥沃な大地と発芽を促す力を与える。人も、動物たちも、噴火が続くときは恐れおののくが、時を経て大地が豊かになると、それは聖なる知識となって、儀式へと変容する。

ホピの人たちが聖なる歌のなかで伝える「連なる頂きに白い雪の残る山々の麓」の「クワニヴィ Kwanivi 」という土地。この土地で最初のいのちを育てるスピリットがココペリというせむし男。ココペリの背中のこぶのなかには「光」と「火」がつめられていて、その光が豊穣をもたらす。もうひとりの火を表すスピリットであるエオトトもまた光と発芽を司る。エオトトは火一族のチーフ・スピリット。彼に従う鳥の姿をした「キャアロ Kyaaro 」は「インコ」であり、虹に象徴される。

パアルルクワン Paaluluquang は地中奥深くの水のなかに住まう大蛇で、これが時に地表まであがってくる。大蛇は大地から立ち上り、噴火という聖なる儀式にココペリとエオトトとともに参加をする。長身の身をくねらせ、向きを変えるたびに大地は揺れ、噴火にともなう地震となる。

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Wednesday, September 01, 2004

立ち上がって戦うのが当たり前

Up in arms

Peyote_Spirit.jpg


ユタ州の最高裁判所が人種の如何を問わずネイティブ・アメリカン・チャーチの信者がペヨーテ peyote を使用するのを承認したとする判決を下したというニュースを7月5日にお伝えしたが、ここへきて連邦政府がこの件に介入する動きを見せはじめたようだ。ソルト・レイク・トリビューン紙が伝えている。

この6月、ユタ州の最高裁判所はネイティブ・アメリカン・チャーチのあらゆるメンバーが儀式のなかでペヨーテ peyote を使用をすることを事実上承認した。その結果、州の段階では地方のメディスンマンであるジェームス・ムーニーおよび彼の妻、リンダに対しての罪状は取り消されることになった。しかし中央政府の検察官はその後もカップルの後を追いかけて、今度は彼が部分的にアメリカインディアンであるというジェームス・ムーニー自らの主張にその矛先を向けはじめた。

8月20日、オクレヴェハ(Oklevueha) Earthwalks ネイティブ・アメリカン・チャーチの創設者であるムーニーに送られた手紙のなかでポール・ワーナー検察官は、州の最高裁判所の判決によって連邦政府検察官が縛られることはないむねを通告した。「当方は連邦法による貴兄らの訴追を考慮している」と手紙は言っている。

ワーナーの事務所は手紙の内容についてコメントすることを拒絶した。ジェームス・ムーニーおよびネイティブ・アメリカン・チャーチの代理人であるキャサリン・コラードは記者会見を開き席上その手紙について「常軌を逸している」と非難。「これこそ卑劣な精神のあらわれであり、ユタ州の最高裁判所の判決をないがしろにするものです」と彼女は言った。「これは連邦政府の法律が州法に優先するような領域ではありません。彼らのやっていることは嫌がらせ以外のなにものでもなく、宗教的迫害であり、即座に停止するべきものです」

ユタ州最高裁判所は、判決においてジェームス・ムーニーと彼のオクレヴェハ(Oklevueha)教会とを支持して満場一致の判決を下し、2000年10月の警察の家宅捜査によって1万2000個のペヨーテ・ボタンを押収されたことによる1ダースもの一級犯罪容疑をことごとく棄却した。1970年に通過した法律でペヨーテに関しては連邦法から離れ、それぞれの州の法律に組み込まれていたのである。

何百ものアメリカおよびカナダの他のネイティブ・アメリカン・チャーチの支部教会と同じように、オクレヴェハ(Oklevueha)、つまりセミノールの言葉で「遮ることのできない川の流れ」教会においても、ペヨーテを聖なるものとして、聖餐として、崇拝する。ムーニーによれば、その手紙が届けられたときも、まさにペヨーテを食べるための準備を教会の信者たちとともにしているときのことだつたそうだ。彼はそれを「怖じけつかせるための作戦」といい。そのことで家族のための法廷闘争が個人的に難しくなっていると語った。

「連中は私と私の妻を終身刑にしたいだけなのだ。私がなにをしたと言う? やったことは人助けでしかないのに」

今年で60歳になるジェームス・ムーニーはそう言うと、アメリカ・インデイアンの宗教はこの大陸において数千年間実践されてきているのにとつけ加えた。

ユタ州の最高裁判所がくだした、人種を問わずネイティブ・アメリカン・チャーチの信者による宗教儀式におけるペヨーテの使用は合法とする判決にもかかわらず、連邦政府の当局者はあくまでもそれを「連邦法が認めるところの部族に属するインディアン」という言葉の定義を盾に州最高裁の判決に抗しようとしているのである。

ムーニーによれば連邦控訴審裁判所は論争を拒絶した。彼は自ら4分の1のセミノール(Seminole)であると主張するが、登録されている部族のメンバーでない。

ユタ郡保安官補がベンジャミンにある6エーカーの敷地を持つ教会の家宅捜査を行う以前、ムーニーの教会の信者は200人から300人だった。彼は儀式に使うサボテンをテキサスから仕入れていた。テキサスではサボテンの所持も販売も違法ではない。

記者会見の席上、キャサリン・コラード代理人はすべてのユタ州の宗教および教会の関係者に支援を要請した。

「いかなる宗教であれ、自分たちの信ずる聖体に関わるものであれば、立ち上がって戦うのが当然ではありませんか」

*図版は「ペヨーテ・スピリット」と題された絵。コロラドにあるフオート・ルイス大学民族植物学データベースより。●Cool Runnings Music Native American Church Songs(ネイティブ・アメリカン・チャーチで使われる音楽を集めたサイト。MP3 で試聴することもできる)

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